第五話 旅立ちと動機
かくして季節は巡る。
翌年の過ごしやすい陽気に恵まれた早朝、晴れて伯爵家となったスヴァルトリヒ家本邸の前には、多くの人だかりがあった。
あまり屋敷から外へ出る機会はなかった筈だが、領民総出で涙を呑んで新たな旅立ちを祝ってくれているのだから、いかにスヴァルトリヒ家が慕われているかがわかる構図であった。
「ラインヴェルト様! どうかお体にお気をつけて!」
「ラインヴェルト様なら入学試験くらいなんてことないですよ! 帝都の奴らに目にもの見せてやってください!」
「皇帝陛下万歳! ジークヴェルト様万歳! ラインヴェルト様万歳!」
「ご卒業なさった暁には、是非うちの娘を妾に取ってやってください!」
「いいやうちの娘だ! 私、オイラー家の一人娘イリーネは親眼鏡抜きにしてもそれはそれは絶世の美女で――」
「らいんべるとさま! おおきくなったらわたくちとけっこんしてくだちゃいませ!!」
……あまり外を出なかった筈、だよな?
「ふふ、人気者は辛いわねリーン」
隣に立つ母ロジータが、にやにやと小声で耳打ちしてくる。
「……母様、これはどういうことで?」
いつどこに漏れ聞こえるのかわからないので、念を入れて外行の口調でそう問う。
それに母は訝しげに首を傾げて、
「聞いてないかしら? 昨年の秋頃、昇爵の儀にあの人が出たでしょう?」
「そうですね」
「それが終わるや否や、領民を庭に招待して昇爵を祝う立食形式のパーティを催したわね?」
「私は書斎に篭り、魔導書を読み漁っていましたけどね」
特に悪びる気もないので、堂々と肩を竦める。
確かに、次期当主最有力候補ともあろう人間がそんなでは、領民に示しがつかないだろう。しかし、やるべきことを全て終え、その後で物事をじっくり楽しむというのが俺の性なのだ。それを曲げるくらいなら、自己中心的で結構というもの。
「兄様に私という口調は似合わないわね」
「ソフィは黙ってなさい」
ぺしぺし、とソフィの金髪を軽く叩いて黙らせる。
その行為中、微かに頬を赤らめていたのは気のせいであると思いたい。
「……それで、あの人ったら次期当主としてあなたを大々的に挙げたのよ」
「ああ。……なんとなく読めました」
「お酒も入っていたからか、あの人ったら普段そんな素振りを見せないのに、あなたのことをべた褒めしていたわ。それはもう凄かったわよ。やれ六歳の頃には上級魔法の研究をしていただの、エミーが魔法陣学論文最優秀賞を受賞したのはリーンが入学前に教えたからで、教育者としての素質にも優れているだのと、ね」
「……」
予想以上にべた褒めだった。
俺は、頭を抱える。何をどう間違え、こうなってしまったのだろうか。それは確かに、貶されるよりかは褒められる方が断然良いに決まっている。しかし、このむず痒さはなんだろうか。これも有名税とかいうものの弊害なのだろうか。
……考えるのはよそう。心が砕け散ってしまう。
「ラインヴェルト様、魔動車の用意が整いました」
それは助け舟か。
背後の巨大な鉄の塊からダリアが顔を覗かせると、準備が整った旨を告げた。
魔動車――魔を原動力として動く、乗用目的で開発された、馬を使わない画期的な馬車。これはそういう触れ込みで貴族を中心に爆発的に普及するに至った、上流階級御用達の代物だ。どの時代……それどころかどの世界の人間も考えることは同じなようで、この魔動車も例に漏れず所持することがステータスと言われていたりする。
「……行くか」
しかし、俺はこの魔動車を初めて目にした時、その巨体さに驚くでもなく、技術力の高さに感嘆の声を漏らすでもなく、ある確信を感じていた。そもそもがこの程度のものは多くの世界を渡る過程で嫌というほど目にしてきたし、所有もし、手掛けたことすらある。そういった経緯で、この手の車両に驚くということは絶対的にあり得ないと断言できるのだが、俺はこの魔動車に別の意味では十分に驚かされたと言える。
この技術水準の世界で、これが誕生することはあり得ない。そういった確信だ。即ちそれは、"あいつら"の居場所を探る有力な手掛かりに他ならない。
「それでは母様、ソフィ。五年後に会おう。数日後にひょっこり帰ってくるなんてことはないようにするよ」
言って、後部座席へ繋がる扉を潜る。
運転席に腰掛けたダリアに目配せし、足を組んで一息つく。
「ふん、なによ。兄様なんて学校へ行く意味、全くないくせに……」
外から漏れ聞こえるのは、妹ソフィの声。どうやら反抗期に入ったようで、ここ数年は専らつんつんとしている。……反抗期ってこんなに長いっけか?
「まぁ、約束だからな。それよりソフィ、これから暫く会えなくなるんだ。可愛い顔を見せてくれ」
いやに気障ったらしい言葉だが、こういう時は正直になる方が良いに決まっている。たかだか五年、されど五年。俺にとっては大した長さではないが、それでもソフィにとっては人生の半分以上もの年月だ。今の家族もこの十年で愛おしく思うようになったし、ソフィもその中には当然入っている。
「……ふんっ。兄様なんて知らないわ。どこへなりとも行けばいいのよ」
そう言って、ソフィは両手で自分の顔を覆い隠した。
そうして空気の読めないことに、侍女の一人が周囲の確認を指差し点呼でもってところどころ噛みながらも終えたのち、扉を閉じる。
「……」
うん。兄様、泣きそう。
見え見えの虚勢でも、響くものがあった。言葉というのは不思議なものである。
「それではラインヴェルト様、出発いたします」
「ああ」
組み込まれた魔法陣が噛み合い、始動する。
魔動車が動き始めたところで、母とソフィへ手を振る。母は控えめ且つ優雅に手を振り返してきたが……
「……」
ソフィはそっぽを向きつつも、手だけは振り返してくれたようだった。
「……ふぅ」
改めて座席にもたれつつ、足を組み直す。短時間ではあったが、その疲労はなんとも言えないものがあった。
領民の作る花道を手を振って進みつつ、これから向かう帝都へ思いを馳せる。
「……はぁ」
思いを馳せたところで、それに意味はないと虚空を仰ぐ。どうせすぐにでも各地を回ることになるのだ。そちらの方が魅力的であるし、首都とは総じて口うるさい役人で溢れかえる場所だ。貴族となった今世としては、そう考えてしまうのはあまり好ましくないところであるのかも知れない。しかしそれでも、階級社会から遠ざかった最前世でのブランクか、そう思わずにはいられない自分がいた。
……尤も、首都というのは詳細な文明の技術度合いを確認するのに打って付けであるため、そう悪いことばかりであるとは言い切れないのも事実なのであるが。
「ん、どうした?」
ふと視線を感じ前部座席のミラーを確認すると、ダリアと目が合った。
白髪から伸びる長い尖った耳に、赤い双眸。男好きのする体の、二〇代前半ほどの容姿。自我が安定し最初に視認してから、その姿は寸分違わず変わっていない。
ハイエルフ――エルフが種としての許容量を超えた魔素に曝されることで、色素という色素が抜け、そこを魔素が補完するという変態でもって遂げた、上位の種。耳が伸びるのも、この変態の影響だ。エルフの耳は神経が詰まっている、などというホラをかつて耳にしたことがあるが、そのホラを地でいってしまっているのが、このハイエルフだ。魔素の影響で変質したその耳は、周囲の魔素の微かな揺らぎを察知できる能力を有しており、それだけに敏感なのだ。ハイエルフはその性質上魔獣に近いものがあるが、その美しい姿から神聖視され、崇められる傾向にある。それは前世での知識であったが、この世界でも変わらないようであった。
「いえ。ラインヴェルト様とこうして二人でいるのは、いつ頃振りかと思いまして」
いつの間にやら街の門を通り過ぎ、魔動車は街道を疾走していた。両腕を後頭部で組み、海老反りになって後ろの流れ行く景色を無感動に眺める。
街道脇で風に揺れる草木。逆方向に進行する馬車。車両が通過したことで街道を横断し始める野生動物。その全てが逆さまだった。
「――そういうのいいから。それで、お前は報告したのか? ――この俺が、"転生者であること"を」
「……」
無言であったが、俺はそれを確認する。ガラスに映るミラーに収まった、目を見開くダリアの顔を。
そんな筈は、という自らの過失を模索するようなその顔に、俺は笑う。
「俺は転生者だぞ? お前の目のチカラくらい知ってて当然だし、そんなもん資料を読むまでもないだろ」
転生者の全部が全部、そんなものを見極める知識があってはたまったものではないが。そう内心付け加えておく。
「……そういうことでしたか」
納得がいった、という表情。そして俺自身、その動揺していた様子から確信する。それでも念のため、ここで一応は話を通しておくべきと判断し、裏付けを取ることにする。
「その様子じゃ、報告はしていないようだな。この悪い子さんめ」
「子という歳でもないですが……」
「それでも、トータルで言えば俺よりは若いだろうよ」
ああ。これは駄目だ。これでは埒が明かない。
そう判断した俺は、ぱんぱんと手を打ち鳴らし、上体を起こす。
「そうだな、誓ってもいい。俺は別に、スヴァルトリヒ家に仇なすだとか、そんなくだらないことに興味はない。むしろ逆だ」
「……と、言うと?」
恐らくは最たる懸念事項であろうと当たりを付けたが、どうやら当たっていたらしい。こうして相手の思考に合わせ的確な言葉を出すというのは、時間の短縮にも繋がり実に小気味の良いことだ。
「俺は転生が趣味なんだよ。正確には旅かね? で、その旅の過程で、お前のその懸念事項とやらに該当する連中を間引く」
「間引く……とは?」
「文字通りだ。転生者と言っても害のない奴もいるし、むしろ生活水準の向上に貢献してくれるからな。住み心地が良くなるのは願ったりだろ。まぁ、引き継いだ知識で利益に走り過ぎる奴は、ちょっとお灸が必要かもな」
言って、肩を竦める。それは嘘偽りのない本心だった。誰かのためであるとか、そういった高尚な動機では断じてない。俺は俺の過ごしやすい人生のため、自らとアイツのために動くのだ。勿論、今の家族のためであるということにも偽りはないが、それはあくまで二の次でしかない。
他人は他人で、それ以外は共に過ごした時間の問題に過ぎないものではあるのだが。
「……それで、害のある転生者というのはどうなさるおつもりで?」
恐る恐る、とミラー越しの赤い双眸が、こちらを向く。それに何を今更、という様子を隠すでもなく、俺は該当者の処遇を告げることにする。
「――消す。跡形も無くな」