第四話 例のアレ
「おまっ、ちょ――」
あまりの驚きから声を正常に出せないらしく、なんとか言葉を紡いで話そうとするも失敗を繰り返す。
やがて頬が紅潮し切って興奮の波が退いた後、冷静になったのか一つ息を吐いて父は口を開く。
「何故、俺が驚いたかについては理解してるか?」
「勿論。九歳児の情報収集能力を侮って貰っては困りますよマイスウィートファザー。少なくともこの国唯一と呼ばれる空間魔法使い、つまり父さんのみが使えていた空間魔法が、息子の俺にも使えた。そこでしょ?」
「そんな九歳児がそこいら中にいてたまるか。……いや、別にそこは秘匿してねえから、知ってても……いやいや、そうじゃない。茶化さないでしっかり答えろ」
父は頭をぼりぼりと掻きつつ、どう収拾を付けようかと思案しているのだろう。机の木目を左手の人差し指でなぞり、暫くそうして考えが纏まったのか。顔を上げこちらへ向き直すと、口を開いた。
「お前はこの魔法が特別な条件を満たした者にしか使えないということを理解しているか?」
ああ。アレだ。これは罠みたいなものだ。罠と言っても稚拙の域を出ないものでしかない。が、こんなことを仮にも実の息子に仕掛けてくるというのはどういうことだろうか。
一瞬そう思考が及んだが、それも仕方ない、と思い直す。この人は立場が立場だ。例え自分の息子であろうと、いや、息子だからこその徹底なのだろう。少なくともその姿勢に嫌悪感は湧いてこない。だが、
「酷いトンチだな。いつもの父さんならもっと直球に聞くでしょ? 例えば、そう――第三者に供与された技術なのかどうか、と」
それでも少しは腹が立つので、そう切り返す。しかし、俺は安易にそう返してしまったことを少しばかり後悔する。
俺の言葉を認識してすぐ、室内の様子が様変わりした。いや、室内自体に変化はない。その室内に存在する父の様子が変わったのだ。
対象を死へと追いやらんとする類の気迫、それを対象へ肌で感じさせる技術。これを最後に味わうことになったのはいつだったか。いわゆる殺気というものだ。流石に実力で軍のトップに収まる男の殺気は相当なもので、そういったものに晒された経験がなければ酷くて失神に至るだろう。
しかし、これは困った。非がなければ弁明できると考えてのことだろうが、この殺気に当てられて何の反応もない、というのも今後誤解を招く可能性がある。
……仕方がない。
若干震えた様子を装いつつ、俺は口を開く。
「……あぁ、その、えっと。売り言葉に買い言葉だったよ。勿論、そんな第三者なんてのは存在しない。俺が自力で編み出した魔法だ。そして父さん自身も編み出したから分かってると思うけど、この魔法自体に使い手を選ぶということはない」
「……と、言うと?」
「魔法陣――図形と図形の位置関係の法則性を理解できていれば、魔法は誰でも扱うことができる。しかし、空間魔法と呼ばれる技術は、真に魔法というものの原理を理解できていなければならない。例えば……そう、空気中に漂う"例のアレ"の存在を認識していないと描図に支障が出る、故に誰にでも扱えるという点は相殺される」
「……」
「父さんの懸念は尤もだと思う。俺に技術を与えた人物が他国の人間だったのなら、その意図を探るべく迅速に動かなければならないし、自国の人間だとしても勢力均衡の崩壊を防ぐべくやはり迅速に――って、こんな話はどうでもいいか。まぁ、簡潔に纏めると、独学だよ」
「……お前は」
はぁ、と息をつき、首を左右に振って項垂れる。落胆の類からくるものでないのは明白だが、それでも少々その仕草は心に響くものがあるので、できることならやめて欲しいところだ。
「予想以上だな。全く、とんだ長男サマだよお前は」
張り詰めていた空気が、父の顔に比例して弛緩していく。
「お褒めに預かり光栄デス」
「別に褒めてなんかねえけどな。……まぁ、よく自力でそこまで極めたもんだ」
そう言って、父は俺の頭を撫でてくる。何だこれ。いわゆるツンデレ中年とかいう残念な生き物なのだろうか。
それに俺は嫌そうな顔を隠しもせず、手を振り払う。
「照れんなよ。たまには家族サービスさせろ」
「照れてねぇっすよ。そもそも、家族サービスの線引がおかしい」
いかん。何かこれ、俺までこの中年に感化されている気がする。自分は常に律している筈だが、遺伝子の弊害というものは存外想定以上に無視できないものらしい。
……閑話休題、と咳払いしつつ、俺は話を本筋へと戻す。
「……で、だ。空間魔法については姉さんに教えてないけど、魔素――空気中のアレの存在はソフィ含め教えた。まぁ、ソフィは憶えてないかも知れないけど」
「構わねえよ。むしろ、お前には感謝してるくらいだ。エミーの奴な、入学以来、魔法の成績が今現在まで首位なんだとよ」
「へぇ……今現在まで、ってのは凄いな。もう半分まできてるし、このまま首位で卒業できるんじゃないかな?」
「その可能性は高いな。エミーの代は特筆するほど秀でた生徒はいねえし、そもそもが魔法専攻の教育施設でもなし。当然の帰結だろうよ」
「なるほどなぁ」
「それよかお前、例のアレ。魔素って言ったか?」
「言いましたね」
「実は俺も、その物質の存在に気付いて独自に研究してきたが、名前はまだ付けてねえんだわ」
「……それって不便じゃないすか?」
「いんや。下手に情報を流出させると、色々と不味いことになるんでな。実質、少なくともこの国で知り得る限りは俺しか知らねえしな」
「そういうことですか」
右手を握り、広げた左手にそれを打ち付ける。それならば納得だ。
しかしこの流れ、こちらとしても情報の混同が減って願ったりの流れかも知れない。
「ああ。そういうわけで、お前のその魔素って名前を採用するわ。魔法の素、しっくりくるな」
そう言って父は、虚空を掴む。ただ空を切ったようにしか見えないが、確かにそれは存在するのだ。
「そうだ。お前、エミーに魔素の概念を外に漏らさねえよう釘を刺しておいただろうな? それを知ったからといって、そうそう機密たる空間魔法に近づける奴はいねえと断言できるが、それでも家の優位性を脅かす一因になることだ」
「問題無いですよ。釘を刺しておいた上に、念には念を入れて暗示を掛けておきましたから」
「……色々と言いたいことはあるが、一つ。お前、実は性格悪いだろ」
呆れ顔を向けてくる父に、俺は肩を竦めた。
・ ・ ・
「空間魔法については教えていない、か。……これをどう見る」
日が落ちて久しい深夜。書斎の椅子にどっかりと腰掛けたスヴァルトリヒ家当主は、執務机を挟んだ反対側に佇むハイエルフの女性――ダリアに、そう問い掛ける。
「やはり、文字通りの意味かと。ラインヴェルト様は、今よりも幼い頃から極めて聡明でいらっしゃいます。三年前の時点で空間魔法を扱えていたとして、不思議ではありません」
「そうか……」
スヴァルトリヒ家当主――ジークヴェルトは、苦々しく笑う。流石は俺の息子だ、という誇らしさと共に、どこか少しばかり寂しさのようなものを覚えた。
「まぁ、いずれは継承させる予定だったからな。それが早まっただけだ」
ジークヴェルトは、深く溜息をつく。
本来であればもう少し構ってやるべき年頃の子供が、皮肉にも構ってやれなかったことで、誰もが度肝を抜く成長を遂げた。
貴族の古い風習を嫌っていた自分が、その風習で自らの子供を著しく良い方向に成長させてしまったことが、この上なく歯痒かった。
「せめてソフィだけは、俺の手でしっかりと育ててやりたいものだな……」
男の嘆きは、そうですね、という返答で静かに幕を閉じた。