序幕 情報収集
俺、あるいは私は、何度目とも付かない頭痛に顔を顰めた。
いや、頭痛に顰めるというのは誤りであろうか。正確には、転生前との処理能力のギャップに、酔うような不快感を感じていた。
……うん? 頭痛で合っているのか?
「あ゛ぁ゛ああ゛ー」
取り敢えず、産声を一つ。しなければ死んでしまうし、環境によっては殺される恐れすらある。尤も、死んだところで新たな転生先に移るだけではあるが。極力死にたくないのは、どんな生物でも共通した本能であるだろう。
「――! ――――!?」
「――。――――――」
「――――!! ――――♪」
「……――。…………――――」
三、四種類くらいの音がする……ように感じる。恐らくは、家族か医療関係者なのだろう。皆喜びに打ち震え、あるいは生命維持に奮闘中、といったところだろう。
頑張ってくれたまえ。諸君の頑張りが俺、あるいは私を強い子にする。
・ ・ ・
この世に生を受け、三年の月日が経った。あの忌々しい不快感も大方は鳴りを潜め、ある程度の思考ができるまでになっていた。故に、ある程度の思考なだけに、ある程度の情報を整理できるまでになっていた。
……ややこしい言葉遊びはここまでにして、改めて状況を整理してみる。
俺、あるいは私は、結論から言えば"俺"であった。
そう、男だ。名を、"ラインヴェルト"というらしい。姓名に関しては未だ特定するに至っていないが、聞き取りだけで言えばそれなりに理解することが可能なため、知るのにそう時間は掛からないだろう。
そして、これは良いことだ。転生を自覚する前の最古の記憶は、男のもの。気の遠くなるような大昔のことではあるが、あの回は特別だ。むしろ"あの"世界での記憶が俺の人格を形成する全て、とも言える。故に、男として生まれた今世での自分を褒め称えてやりたい。
……閑話休題。兎にも角にも、これで不安な要素が一つ排除されたわけだ。繰り返す転生の内、どのような法則性があるのかは定かではないが、女性に生まれる確率は男性に生まれるものよりも幾分か低いものであった。とは言えゼロではないため、その度に苦労させられるものもあった。今回の人生においては、時空遡行を使うことはないであろうと思う。
それから、この世界には魔素が満ちているようだ。最前世風に言えば、マナ。魔法が使える環境。それ故に技術が未発達な文明である可能性が高いが、知識が武器になる優位性は何よりだろう。魔法に関しては、この世界、国の言語を理解した上で、摺り合わせが必要になることだろう。幸いこの体は優秀な造りをしている。今この瞬間に発動させることも可能ではあるが、魔法名を口にしないという技術がこの世界では確立されていない可能性もある。何より、魔法を発動させる赤ん坊なんて嫌すぎる。俺が親だったら泣くと思う。
とは言え便利なことに変わりはないので、言語を習得したら徐々に慣らしていくとしよう。魔素が満ちているということは、十中八九で動物の凶暴化した魔物がいる世界であることを指す。必要に応じて体を鍛えていくことも頭に入れておこう。
「らべる、ソフィ、おねーちゃんだよー!」
しゅたっ、という擬音でも出そうな風に俺のベッドに駆け寄るのは、肩に垂れるくらいの長さの金髪を後頭部で二つに結った幼女。いや、幼女という表現は少々失礼な気もする。俺、ラインヴェルトの二つ上に相当する実の姉、"エミーリア"である。あと数ヶ月で三つ離れることになる。
そのくりくりと丸みを帯びた邪気のない青み掛かった瞳には、俺、そしてもう一人の幼女が映されている。
「あー、だーうーー」
俺の幼児用ベッドに併設された幼児用ベッドに寝転がる、正真正銘の幼女。名を、"ソフィ"という。姉と同じく色素の薄い綺麗な金髪が生え始め、そのつぶらな瞳は透き通るように青み掛かっている。
そう、妹ができました。数ヶ月前に一歳の誕生日を迎えたようです。おめでたいですね。
「ねー、ねー」
社交辞令に、こちらも返事をするとしましょう。言語は習得中の身ではありますが、妹にできて兄にできないというのは風聞が悪いというもの。真摯に対応せねば。
「わー! 今らべるがおねーちゃんって言おうとした! ねぇダリア、きいてたよね!?」
「ええ、エミーリア様。ラインヴェルト様はもう少しすれば言葉を覚えになることでしょう。ソフィ様もこの調子で成長なされば、あっという間かと」
そうエミーリアに返すのは、先程から俺たちのベッドの横にある椅子に腰掛けていた、白髪の女性。名を、"ダリア"という。容姿としては二〇代前半のように見えるが、これはあくまで見かけ上の判定基準でしかない。彼女は、エルフなのだ。それも耳の尖り具合から判断して、高位のエルフ――ハイエルフと見て良いだろう。従って、その実年齢は一〇〇を、もしかすると二〇〇を超えている可能性もある。
さて、そんな彼女であるが、明らかに血筋の人間でないのは明白であるが、その正体は簡単だ。黒いワンピースに、白いフリル付きのエプロン。極め付きはヘッドドレスと、最前世での記憶から容易に判断が付く。使用人、いわゆるメイドだ。
解けば腰にまで届くであろう長い白髪は、後頭部で一つに纏め。透き通った赤い双眸からは強い意志を感じる。その容姿は綺麗の一言に尽き、男好きしそうな体型でもあるため、年寄りという言葉とは縁がなさそうに見える。彼女はメイドたちの纏め役、言わばメイド長と呼ばれる役職に就いているようだった。
「そうかー。えへへへへへ、そうなんだー。えへへへへ」
「左様でございます、エミーリア様。お二人の成長が待ち遠しいですね」
ご機嫌にはにかむ幼女、もといエミーリアに、ダリアは優しげに微笑んだ。
・ ・ ・
更に三年の月日が流れた。俺は六歳になり、エミーリア姉さんは九歳、ソフィは四歳になった。
エミーリア姉さんは来年、国立のお嬢様学校へ入学することが決まった。より細かな貴族としてのマナーや、各種教養を学ぶ運びとなるようだ。ソフィもソフィで、拙いながらも会話が可能になった。この辺の言語習得期間はどの世界でも大方は共通で、この世界も例に漏れないようだった。
そう、貴族なのだ。今世は、貴族の家系に生まれたようだ。名を、スヴァルトリヒ子爵家。貴族の階級として言えばまずまずの階級に属しているようであったが、この家の当主――父親にあたる人物が中々の大物であった。
ヴァーグナー帝国軍魔導総裁。この国、ヴァーグナー帝国を統治するアルフロード四世直轄の軍。その選りすぐりの魔導師を集めに集めた精鋭軍の頂点に君臨する男。それが俺の父、"ジークヴェルト・ラウム・フォン・スヴァルトリヒ"だ。若干四〇歳で今の地位にまで到達した父は、友人の商業関係で功績を出した貴族の、当時一九歳であった娘を娶った。それを機に帝都から外れた領地へと移り住み、一年後にはエミーリア姉さんが生まれた……という経緯らしい。中々に忙しい男である。
とは言え、彼はその重役さながらの身分から長く帝都を離れるわけにはいかず、領地の管理はその妻――母の"ロジータ・シュトール・スヴァルトリヒ"が執り行っている。この体制の世界で女性がこのような実権を持つというのは珍しく、その事実を目の当たりにした時は驚かされたものだ。しかもそれがこの世界では珍しくもないというのだから恐れ入る。ちなみにシュトールというのは母の旧姓であるらしい。
「……ふぅ」
とは言え、だ。そんな物々しい肩書の父がいるとはいえ、継ぐのは貴族としての権限だけで、必ずしも軍務に携わる必要はない。軍は世襲制ではないのだ。隣国とは今や良き共存関係を築いているし、国内の政争も今のところは落ち着いてきている。問題があるとすれば、過剰な魔素が蔓延る世界ならではの問題――魔獣の被害くらいのものだろう。しかしこの程度では徴兵のちの字も出ないだろう。俺の今世での快適な生活が保証されたわけだ。
……尤も、父は俺を軍の方に進めたがっていたようだが。
「ダリア、次は家にある各系統の上級魔法の教本、全部持ってきて」
軍には進まないとはいえ、魔法は快適な将来を得るのに習得しておくべきだろう。……正確には習得などではなく、単なる摺り合わせなのだが。俺の持つ知識の何がこの世界では重宝されるのか等、知っておいた方が後々有利に事が進むというもの。六歳の体では、前世で身に付けた戦闘技術の行使に耐えられる筈もなし、現状でこの作業に没頭するのは転生を繰り返す俺ならではの必然とも言えた。
「かしこまりました。少々お待ちください」
単調な作業に辟易するも、俺は戻ってきたダリアから本の山を受け取ると、我が身の成長を願いつつ、作業に全てを注ぐのだった。
ネーミングセンスが壊滅的!