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桜の木

作者: 藤原愁憂花

私達が暮らしている「日の国」には、何百年も前から続いている、一つの儀式がある。その儀式とは、十八の歳になった者は、「桜の木」という樹木を見なければいけない。桜の木とは、その木自体は、一年中、枯れ木である。しかし春になると、その枯れ木の枝に、数え切れないほどの、「桜」という桃色の蝶々が、およそ、春が終わる頃まで、身動き変えずに、羽を休めているのだ。だから、枯れ木のことを桜の木と言う。桜は、四月の中旬を過ぎた頃から、寿命が尽きる桜が現れて、枝から落ちていっては、その樹木の下の、土が見えなくなるほどに、蝶々の屍で埋まっていく。その光景が、余りにも残酷だと言うので、十八になるまでは、誰もその木を見ることが出来ない。しかし、何故その光景を見ることが、十八の歳になった者の儀式になるのかについては、誰も本当の答えを知らず、日の国の歴史学者のなかでも、度々、議論になっている。桜の木の立つ場所は、この国にも数え切れるほどしかなく、しかもその場所には、特定の洞窟からでないと行けない。その洞窟の入り口には、数人の警備員が厳重に監視をしている。その警備員等は、十八以上の者しか洞窟には入れず、洞窟に入るには、保険証と住民票が必要になる。その洞窟を一時間程歩いた洞窟の出口に、桜の木が存在するのだ。桜の蝶々もそこにしか姿を見せない。洞窟を抜けたところは、樹海と言われる森の中を整備されたところで、日の国に数箇所ある樹海だか、一度入れば出れることは決っしてないと言われている。だから桜の木まで辿り着くには、先ほどに説明した洞窟からでないと行けないのだ。

今から話すのは、何十年も前の、私が十八になって、桜の木を見る儀式を行ったときのことだ。


十八の頃の私は、桜の木を見ることに、恐れを抱いていた。十八歳の好奇心も、大量の昆虫の屍といった、気味の悪い話に劣っていたのだ。まず、桜の蝶々は、桜の木のある場所にしか生存しないために、私はその蝶々を、今までに一度も見たことがない。日の国では、桜の蝶々を見る儀式を見た者が、まだその儀式を終えていない者に、儀式の内容を詳しく語ることは、大変下品なことだという慣わしもあったので、誠に、まだ十八になっていない私にとっては、桜についての知識は皆無だった。大量の桜の屍に立ち会う儀式は、私にとっては幻のような存在だった。昔から伝わっている、この意味の分からない、不思議な儀式は、私に、気味の悪さしか感じさせなかった。

儀式の前日になって、私は父に、その不気味な伝統式に対する、自分の持つ不安から、反発を試みたが、それも無駄な話しで、結局、儀式の当日はやってきたのだった。


私は父に連れられて、とうとう、例の洞窟の前まで来て、洞窟を閉ざす扉の前に立っている、門番の監視員に、年齢を証明するための身分証を差し出して、洞窟の扉を鍵で開けてもらった。監視員の導きで、父と洞窟の中に入ると、すぐに又、扉は監視員によって閉められた。洞窟の天井には、幾つもの電灯があったのて、洞窟の中自体は、ほんのりと薄暗い程度であった。ちなみに、この日の儀式施行者は、私一人だった。

私達親子は、歩き続けた。洞窟の中は、ずっと、真っ直ぐの一本道だった。電灯の光が目の前の道を照らすが、これから見る桜の木に対する、不安からの緊張のせいで、辺りは実際よりも暗いように感じられて、その暗さが、又、一段と私を不安にした。歩き始めてからどれくらい経ったのだろう。父は時計を見て、三十分程度と言うのだが、私にはその経過した時間が、とても長いように、又、とても短いように感じられたのだった。


目先に薄明かりが見えてきた頃には、覚悟も付いていた。

私がとうとう洞窟を抜けると、目の前には、鮮やかな桃色の花びらが、溢れるほどに咲き誇った木々が、何十本も、あるいは何百本も、ずらっとまばらに並んでいて、息を飲むほどの美しさだった。桜の木の終わりが、ここからでは見えないほど、びっしりと桜の木が立っていた。

太陽からの光が、桜の木々を照らして、それらは輝いているように思えた。あの万数の花弁が、蝶々であるなどとは、とても信じられないので、私は桜の木の下に走って行った。

桜の木の下に、山程に積もった、桃色の花びらをまじまじ見ていると、それは確かに、花弁ではなくて、蝶々の死骸だった。羽も触覚も目玉も、その花弁と思われたものに存在していたのだ。そして、私が踏んでいる、山程の、蝶々の死骸にも、上から降ってくる、数匹の蝶々の死骸にも、私は吐き気を覚えた。

父が言った。

「桜は、春が訪れようというときに、この木で雄と雌とでくっつくんだ。交尾のあと、まずは雄の桜が命が途絶えて散ってしまう。残った雌の桜も、何日かすれば、枝に卵を産みつけて死んでしまうんだ。卵は木の中で返り、幼虫は、この樹木の中に存在する蜜で生きていく。その蜜というのは、桜の蝶々が、夫婦で寄り添っているときに、どこで蓄えてきたか知れない、たくさんの花の蜜をこの木に注入したものなんだ。本当に不思議な蝶々だろう?この蝶々は、他の蝶々と比べたら、体の構造がまったく違うんだ。そして蜜を吸って育った幼虫は、顎で木に穴を掘って地上へと出て、顎で土を掘っては、土の中で蛹になる。蛹は蝶々となり、又それが繰り替えされる。桜は、本当に不思議な蝶々なんだ。桜の木も不思議だよ。一年中、枯れ木の樹木が、これを除いてどこあるんだ。当に運命的な関係だよ。」

私は何も言わずに、真上を見て、枝に付いている、桃色の花びらのような蝶々を眺めた。よく見れば、蝶々は、ゆっくりと羽を動かしていた。もう春も終わりの今日ならば、もうこの時期に残っているのは全て雌だろうか。靴の下の蝶々も、上から落ちてくる蝶々も、当時の僕には、あらゆる生命体の、力強さを教えてくれた。

「綺麗なのかも知れないね。」

僕は呟いた。父は僕の横顔を、黙って一瞥した。

「来年、又、この季節に、桜はこの木に集まって、満開の花びらを咲かせては、次の世代のために散って行く。ひょっとしたら、僕達に、似てるのかも知れないね。」

「そうなのかも知れないな。」

父が微笑したあとに、僕は目の前の景色に、一言呟いた。

「力強いね。」

僕はその日、目の前に広がる光景が、何故、十八の儀式なのかに、少しだけ気付いたような感じがした……


青空には白い雲、春を感じさせる暖かな風が吹いては、桜の木から、桃色の蝶々が、切なくとも儚く、風に乗ってひらひらと、四方へと舞い落ちて、緑色のはずの森林は、桃色一色に染まっているのだった。

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