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疾走、爽快、そして休息

 男は重い音をたてて着地した。みしりという音は、地面を踏みしめる音か、彼自身の体が軋む音か。その勢いをばねにして男は上体を跳ね上げた、が、そのときにはあたしは後ろに飛び退って狩猟用ナイフを構えている。

 男は両手に小ぶりのナイフを持っていた。いつも使っているもので、あたしも何度か見ている。しかしそれがあたしに向けられるなんて初めてのことだ。

 無表情ながら男はぜいぜいと荒く息を吐き、右手からナイフを取り落とした。


「……?」


 様子がおかしい。いやそれは襲いかかってきたときからわかっていたが、しかし……、

 また口元が引きつった。

 刹那、男は背後に右腕を回し、戻る勢いで回転するように斬りかかってきた。その右手にはもう新しいナイフが握られている。


「ちょっ、待っ、こらっ」


 あたしが一言発する間に男は次々と斬りつけてくる。あたしは避けるのに精一杯だ。続いて繰り出される斬撃をしゃがんで避けようとしてバランスを崩した。上体ががくんと落ち、尻餅をつきそうになる。もちろん男がそれを見逃すはずもなく、ぐんっと足を踏み出しあたしの喉元へと一直線!

 ——に向かうところで急に方向転換し、右方へ直角に近い角度で曲がった。そこには樹齢幾年か、静かにこの森で育ってきた立派な木が立っている。

 ぶつかる——と思ったあたしの推測通りに男は真正面から木に激突した。


 ふらっとよろめき、一歩、二歩後退さる。顔を押さえる手から覗く口元が、いっそうびくびくと痙攣している。

 なんだかわからないが最大のピンチは脱したようだ。あたしは既に立ち上がり、構えている。少し考えて、ナイフは仕舞った。元々ナイフの扱いはそううまくない。あたしの愛器はやはり銃なのだ。しかしこんな状況では、力加減のできない銃では簡単に殺傷してしまうし、木々に邪魔されて不利にしかならない武器である。


「徒手空拳のがマシってもん、よ!」


 最後の一言にのせてこちらから殴りかかる。どうして彼が襲ってくるのかわからないが、とりあえず無効化するのみ。

 ……男は顔を押さえたままこちらを向いて、口を開く。

 

「み、みみ、耳、む虫、…………水、水ず」


 何?


 しかし勢いは止まらず、あたしは男に肉薄し、上体を振った勢いのまま腕をこめかみに叩き付けようとする。男は上腕でかばう、その隙間、左耳の陰に何か蠢くものを見た気がした。


「……!?」


 殴られた勢いで男の身体は一旦沈むが、すぐに立ち直しナイフを持った手を振り上げてくる。


「——頼むっ水……」


「水っ!?」

 あたしはまた跳んで距離を取りながら問う。しかし男の口元は今やぴくりともしない。


 耳、虫、水。


 こいつ……?


 再びの攻防。しかし男の動きは先ほどより精彩を欠いているようだ。木にぶつかったときのものだろう、鼻血が顔面を赤く染めつつあった。

 あたしは避けながら、今度は身長に背後を確認する。もう数歩下がれば湧き出た水がたまった小さな泉がある。

 視線をわずかに男から外した瞬間、男は好機とばかり鋭く切りかかり、あたしは再びバランスを崩して後ろに倒れ込む。追って男も——……


 かかった!


 あたしは両手を伸ばし、男の両耳を思い切りひっぱたいた。


 ばちん!とどこか間抜けな音がする、が、男はふらりと一瞬よろめく。そのままあたしは男の頭を掴んで、一気に水面に押し付けた!

 派手な水音がして、男は身体ごと泉に倒れ込んだ。勢い、あたしも男に重なるようにうつぶせに倒れる。男の封じる意味でも好都合だ。


 ばしゃばしゃと水音をたてながら、男の身体は抵抗したが、体重をかけて押さえ込み、頭の中で秒数を数える。一分も経てば彼は動かなくなったが、そのままさらに一分、二分……、三分数えてようやっとあたしは男の上から身体を退けた。男は完全に沈黙している。

 そっと左耳に手を伸ばし、そこから覗いている黒いものを引っ張った。


「うげ……」


 ずるずると出てきたのは、足のたくさんあるムカデによく似た虫だった。




 一時間程度で男は目を覚ました。すっかり日は落ち、あたしが(一人で!)熾した火だけが周囲を照らしている。

 あたしが干し肉をかじっている間にクラウドはむっくりと起き上がり、きょろきょろと辺りを見回す。次いで耳と鼻を押さえ、小さく呻いた。

 そりゃ痛かろう、あんだけ勢いよく木と激突すりゃ。ついでに耳も結構勢いよくひっぱたいた覚えがある。


「ようやくお目覚め?」


 あたしの声が不機嫌になっていたのは不可抗力だと思う。


「ああ……」


 男は先の出来事をすっかり把握しているようだった。結構なことで。


「ごめん、礼緋チャン」


 男の素直な謝罪は尤もだと思うが、素直すぎてちょっと気持ち悪い。まだあの変な虫に取り付かれているのではと思うくらい。


「……じゃあ言い訳するけど、俺結構頑張ったよ?礼緋チャンが危ないときに急転回したり、一所懸命しゃべって助け求めたり」

「へー、そう」

「あと、馬の方見ないようにしたり」

「?なんでよ」

 クラウドはしたり顔で言う。

「あの虫、多分俺だけだったらそのまま食われてたんだと思う。礼緋チャンと馬がいたから、俺を操って全員殺してから食おうとしてたみたい。……で、馬狙っちゃうと普通に殺しちゃうだろうから、必死に視界に入れないようにして、先に礼緋チャンを襲うようにした」

「何、それ。普通逆じゃない?」

 同行人を先に襲うなんて、何たる不義理。

「どうせ馬を殺したら次は礼緋チャンなんだ。犠牲は少ない方がいいでしょ?」


 言ってることはわからんでもないが、納得いかん!

 憤然とするあたしをよそにクラウドは立ち上がり、自分の身体を確認するように首をまわしたり、手足を動かしたりした。


「あーあ、体中痛い。なんか変な筋肉使われた感じ……あと耳、これ大丈夫かな。俺、耳の良さは結構自慢だったんだけど……」

「知るか、自業自得でしょうが」


「……礼緋チャン、ごめん、ありがと。助かった」


 少し驚いてクラウドを見ると、奴はまっすぐあたしを見ていた。……正確には奴が切り裂いたあたしの両腕を、だ。実際服の下には薄い革を巻いていたから、腕そのものは軽くかすってちょっと血が出た程度だったけど、服は切られたところからだらしなく垂れ下がっているし、革はもう使い物にならないだろう。

 何よりこれが他の箇所なら、……あるいはのど元なら、あたしは既にこの世にいまい。

 しかし、仮定の話をしても仕方ないことだ。あたしはちょっとだけ親切な気持ちになって、奴に薄く笑いかけた。


「……理解しているならよろしい」


「あとこれ、一応取ってきたけど……」

 そう言って申し訳なさそうに差し出された5、6個の果実。クラウドのポケットにしまわれていたんだろうに、あの立ち回りにひしゃげることもなく、自らの硬い皮で形を保っていた。

 あたしはそれらを呆然を見つめて呟いた。


「ずいぶんお高価い木の実だったわね……」




 ともすれば途切れそうな小川をたどり、ときにはクラウドが木に登って周囲を確認(もちろん、耳栓は欠かさなかった)することで、それまでの迷子が嘘のようにあたしたちは森を抜けた。

 目印にしてきた小川は少し幅を広げ、草原へと流れていく。

 久しぶりの開けた土地に、馬も心なしか嬉しそうにしている気がした。


「さて、どうする?」

「どうするって、このあたりに村があるはずでしょ?」

 あたしは地図を確認しながら言った。太陽の位置を見る限りあたしたちは森を彷徨ううちに北西へ下がってしまっていたらしい。このまま森を左にしながら東に進めば、すぐに村に着くはずだ。

「いや、この馬がさ」

 男の言わんとすることが今いち分からず、あたしは眉はひそめる。さっさと本題を言え。


「多分、馬と馬車を盗んだ男女ってことになってると思うんだ、俺たち。だからのこのこと馬連れで現れたら、もしかしたらカームから情報が行ってて見事お縄ってことにもなりかねないよね」


 それは大いにあり得ることだ。あたしたちには森で数日迷ったロスがある。カームから街道を通って通達が行っていても、十分にあたしたちより早く着いている可能性は高い。


「……でも、ここまで連れてきた馬を、何の活用もせずに逃がすのはちょっともったいないかなとも思う」

 それも全くその通りだ。ようやく会話の終着点が見えてきた。

「……そんで、暗ーい森の中を歩き通しで、いい加減うっぷんを晴らしたい、と」


 その通り、と男は少年のように笑った。




 どこまでも続いて見える草原を、一頭の馬が走る。馬上には二人の人影。まあ言うまでもなくあたしとクラウドだ。

 クラウドと比べればあたしの方が小柄だし、馬に乗り馴れてもいない、ということで、あたしが前に乗り、それに覆いかぶさるようにして後ろに座ったクラウドが手綱を握った。その体勢にちょっと思うところがないではないが、爽快感に比べれば些末な問題だ。

 そう、非常に爽快だ!

 馬も鬱憤がたまっていたのだろうか、伸びやかに、風を切るように走る。もちろん暴走馬車で見せたような全力疾走よりは格段にスピードは遅いが、全く不足はない。

 青い空、爽やかな風、流れる景色。

 馬車には何度も乗ったが、馬そのものに乗ったのはこれがほとんど初めてだ。こんなに楽しいものだったとは!浮かれた気分で何となくクラウドを振り仰いだ。

 ……途端見てはいけないものを見てしまったようで、あわてて視線を戻した。

 奴は今まで見たことないほど晴れやかに笑っていたのだ。……本気で気味が悪いというか、気持ち悪い、というか……あたしもそんな顔してたんだろうか?ちょっと気をつけよ……。


「どうかした?礼緋チャン」

 そんな楽しげな声出すな!

「……別に」

「もうちょっとしたら休もうか。この分だと明日には次の村まで行けそうだ!」

 楽しそうで何よりです。


 その日の晩は兎をしとめて、二人でシチューにして食べた。ああ、干していない肉の柔らかさよ……!!馬も辺り一面の草を一心に食んでいた。よしよし、お食べ。なんだかんだあんた、ものすごく優遇されているよ、その強運逃がすなよ。




 その翌日の夕方、もう少しで日が落ちるか、というところで、ぽつんとかたまりが遠くに見えた。

 村だ。

 クラウドが馬を止め、あたしの顔を見た。

 草原には動物もいるし、このまま無視して馬で進むこともできる。馬での旅はとても楽しかったし、このまま続けてもいいかもしれない。ただ、いい加減、芋とかパンとか、そういうものが食べたい。ベッドで寝たい。そして何より、…………尻が。

 尻が痛いのだ。

 クラウドは苦もなく乗っているようだが、堪えているのか、痛くないのか。あたしは黙って馬を下りて、ぽんぽんと眉間辺りを撫ぜた。

 これ以上尻が痛くなったら、きっとあたしはお前を嫌いになるよ。広い野でお生き……すぐまた人に捕まるかもしれないけどね。

 クラウドが馬を下り、丁寧に手綱を外して軽くその身体を押した。馬は素直に歩き去っていく。その姿が見えなくなるまで……は当然見送らず、わりとあっさりと背を向け、あたしたちは再び歩き出した。

 街道沿いの村ではなかったので旅人向けの施設があるか少し心配したが、この平野のこと、遠駆けする貴族さまのために結構いいお宿があった。もちろんそれなりの値段はしたが、背に腹は代えられぬ、あたしはベッドで寝たかったのだ。

 あたしたちのように迷い込んできた旅人のために、少しだけ安い値段設定の部屋があったので、そこを一部屋借りて雑魚寝することにした。


「もちろん、雑魚寝するのはあんたよ!」


 真っ先に布団にダイブし、あたしはそう宣言した。


「俺も結構頑張ったと思うんだけどな……」

 さすがに不満か、クラウドはぼやく。

「うっさい」あたしは一蹴して起き上がり、ずいっと立ったままのクラウドに詰め寄った。


「いい?なんであんたはあたしについてきてるの?」

「……まあ、ついていきたいから……」

「ほらそうでしょう?その上あたしはただついてきただけのあんたに、なけなしの食糧まで分けたわ。もうこれ以上の譲歩は無用ね」

「…………うーん?」


 いまだ納得のいっていないクラウドをよそに、あたしはさっさとブーツと上着を脱いで、シャツとズボンだけになる。


「じゃお休み」


 ああ布団、数日ぶりの布団。一番安い部屋でもこの肌触り、すごい。急速に眠りに引き込まれていきながら、男が苦笑した気配と、灯りが消えた感覚をまぶたの裏に感じた。

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