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森の中

 あたしの名前は礼緋。姓はない。家もなく、親もなく、故郷もない。旅から旅への根無し草。勝手気侭な一人旅。

 ……だったはずなのに、どうしてこうなる。


 あたしの目の前には無人の馬車と、疲れきった様子の馬。そしてクラウド……はどうでもいいか。

 そしてあたしの目の前にある現状は、馬車・馬泥棒と、関所強行突破の事実だった。


「どうしようか……って言ったって、もう……これ……」

「このまんまサンドラ行っちゃう?」


 ばかか!と怒鳴りつけそうになったが、よく考えるとカームに戻ったところであのハチャメチャな状況をうまく説明して納得してもらうには相当な労力が必要そうだ。そしてその間にあたしが賞金首なんてことが知れたらもっと問題はややこしくなるに決まっている。

 あたしはあたりを観察した。山の中、と思っていたが、どちらかというと丘のようだ。地図を思い出せば、あたしたちが町に入ったのとは反対側の門からしばらく、なだらかな丘が続いていたはず。


「カームから二キロちょいってとこかな」


 クラウドが言った。

 その距離なら、このままじっとしていればすぐに追いつかれてしまう。……追ってくるかどうかは分からないが。

 馬車は……持っていっても仕方ないか。サンドラで売っぱらうという手もあるが、それだと本当に悪党だ。馬はその点、逃がせばいいし……。


「じゃあ、馬車壊すね」

「ちょ?ちょっと、何してんのよ」

 クラウドは馬車を蹴落とそうとした足を止めて、こちらを向いた。

「え、馬車、置いていくんでしょ?」


 ……まあ確かに、この暴走で壊れて乗り捨てたと思われた方があとあと楽だろう。兵士が動くかどうかはわからないが、あの御者の兄ちゃんが探しにこないとも限らない。

 しかし、馬車に誇りを持っていた様子の御者が、大破した愛車を見つけたときの悲しみや如何に。哀れだ。

 結局丘の上まで引っ張ってきた馬車を二人掛かりで落として、丁寧に手入れされていたはずの馬車はしっかりと壊された。ついでにいくつか装備(主に姉妹からもらった分)をぐしゃぐしゃにして捨てて、あわよくば強奪犯も死んだ、あるいは這々の体で逃げ出したと……思ってくれればいいけど。ないよりまし、程度のカムフラージュだ。

 ということで、サンドラにそのまま行くことになってしまった。いろんな人に、ごめんなさい。あたしは悪くない。


「さて、行こうか」


 馬に乗っていくのかと思いきや、荷物すら載せずにクラウドは歩き出す。


「少しは休ませないとね。死ななかったのが不思議なくらい」

 言われて馬の顔を見ると、どことなく目が死んでるような気はする。頑張ったねえと鼻面を叩いてやったらねばついた液体が手についた。


「ちょっと、俺の服で拭かないでよ」

「うるさいな」


 サンドラまで400km強。休まる間もなく、あたしたちは出発した。




 ……のだが。


「なんであんたそんな軽装なの」


 馬に荷物すら載せずに、とあたしは先述した。彼の言に従って、あたしは馬車に乗り込んだときと同じ、万全の装備を背負っている。他方、クラウドはどう見ても着の身着のままだ。言い代えれば、手ぶら。荷物を載せなかったんじゃなくて、荷物を最初から持っていない。


「だって、気絶してたし。荷物は置いてたから、落ちてったみたいだね」


 さらっと言ってのけるが。みたいだねって。

 なんでてめえ自身が落ちなかったんだよ、こら!

 ……とあたしが声に出さなかったのは、如何ほどの努力故か。わかってんのか、おい。




 それから数日、あたしたちは丘を越え、森の中にいた。


「迷ったわ」

「迷ったね」

「疲れたわ」

「疲れたね」

「おなか空いたわ」

「おなか空いたね」

「あんたのせいよ、わかってる!?」

「俺のせいじゃなくない?」


 いーや、この男が悪い。荷物をことごとくなくしたこの男は、もちろん食糧だって持っていなかった。しょうがないから、本当にしょうがないから、あたしの非常食糧をわけてやって、急いで森を抜けようとしたのだが、まったく抜けられる様子はない。同じ木ばかりで道もない。一度クラウドが、


「あ、俺方位磁石持ってる」


 と声を上げるので、


「どこに?」

 と問うと、しばらく沈黙して、

「……持ってた」と訂正した。


 おまけにこの森、ほとんど生命がいない。動物が出てこないばかりか、木々も針のような葉で、果実もない。この地方で見ない植生だ。先日越えてきた山の方が食糧豊富だった。

 食糧はまだ半分近く残っている。しばらく食べなくたって動けるけど、こんな見通しのつかない状況じゃ先に不安しか感じない。

 あたしは昨日木につけたはずの印に手を置いて、がっくりと肩を落とした。


「もういや、もう無理、もう帰る」

「どこに?」

「あんたがいなけりゃどこでもいい!!」


 馬がもそもそと足元の草を食んでいた。あたしはその背を撫でてやる。


「あんたはいいわね、食べるものあって」


 しかし昨日今日と水場に辿り着けなかった。これ以上水を飲めないようなら馬も危ないかもしれない。


「……馬って、そういえば食べられるわよね……」

 どうせこんな木々の中じゃ乗ることもできないのだ。足手まといになるならいっそ、とあたしは半ば本気で思った。


「……馬自体は最終手段としても、馬が食べてる草なら、どうしようもなくなったら食べられるんじゃないかな」

 特別毒のある草を食べる習性はないはずだから、まあ切羽詰まれば食べることも考えなくてはならないだろう……腹下しのリスクを負ってでもだ。

 と、クラウドが横を向いた。


「……なんか」

「何よ?」

 あたしにも答えず黙って遠くを見つめている。何かを探っている?

「水の音がする?」

 水の音?

「別に聞こえない……けど」

「行ってみてもいい?」


 返事を待たずクラウドは馬を連れてさっさと歩いて行ってしまう。


「ちょ、ちょっと」


 仕方がないからあたしも慌てて後を追った。


 果たしてそう遠くないところに水場はあった。

 この森は生き物がいない代わりに水はとてもきれいだ。あたしは近づいて臭いを確認し、問題ないと判断してそのまま飲んだ。冷たくておいしい。

 小さい川のようだ。岩場からちょろちょろと水が湧き出ている。


「このへん、昨日も通ったんだよな?なんで気づかなかったかな……」

 クラウドの独白をよそにあたしは顔も洗う。馬も水を飲み始めた。


「この川、続いてるわね。これをたどっていけばとりあえず、元の場所に戻ることはなさそう」


「……そもそも、このへんってどこなんだ?」


 あたしは黙ってクラウドを見つめ返した。毎日地図は確認している。カームからしばらくは丘が続いていて、そのあとは帯状に森が広がっていた。突っ切れば数日とかからずに森を抜けて、そこに村がある。そこからサンドラまでは平野になるはずだった。まっすぐ通ればすぐ抜けることができると判断したからこそ、あたしたちはこうして森に入ってきたのだ。ちなみにカームからサンドラへの乗り合い馬車は、森を迂回するルートを通るらしい。木々の中で馬車が動けないからだと思っていたが、明らかに遠回りなのに道も作らず迂回するのは、この森がとんだ迷いの森だと、地域の住人は知っているからかもしれない。


「もー、いいわ。今日はここね」


 まだ日は落ちきっていないが、疲れた。せっかくの水場を離れて闇雲に動いたって、どうせ今晩中に森を抜けるなんて無理だ。

 あたしは荷物を投げ出して手近な岩に座った。この上で寝れば間違いなく身体が痛くなる。けれど地面もなんとなく湿っていていやだし……。とりとめのないことを考えながらぐるりと周囲を見ていて、ふとあるものに目が止まった。


「あれ、なんかの実みたいね」

「本当だ」


 木の高いところに赤っぽいものが見える。木々の隙間から見えるだけだから確証はもてないけど、どうせ今晩は動かないことにしたのだし、行ってみても損はないだろう。ただあたしって育ちがいいから木登りはあんまり得意じゃないのよね。猿みたいな真似はごめんだ。

 あたしは黙ってクラウドを見た。


「……え、俺が行くの?」

 ちょっと面倒くさそうな顔をしたな。

「あんたが食糧なくしたんだから、あんたが調達するべきでしょ」

「うーん、まあ、そうか……」


 頭をかきながら男は渋々木々の向こうに消えていった。すぐ近くかと思ったが、意外と遠いみたいだ。森が静けさを増したような気がして、あたしは思わず馬の手綱をちょっと引っ張った。馬は少し鼻を鳴らした。




 すぐ近くかと思ったら、意外と遠かったようだ。しばらく歩いて男は一本の木の前に立っていた。上を見上げると、確かに果実が生っているようである。


「食べられるのかな」


 呟いたが当然ながら答える声はない。さっさと戻ろうと木に手をかけ、するすると登っていく。木登りは得意だ。太い枝に乗って、しばしあたりを眺めた。彼が登っている木は大多数の木と違って葉が少し丸い。近くにも同じような木があるようだ。枝がしっかりしていて登りやすく、他の木々より少し背が高いようだ。


 (上まで登れるかもしれないな)


 と彼は思う。そういえば今まで木に登って森の全体を眺めるなんて考えつかなかった。これは思わぬ収穫になるかもしれないと、新たな枝に足をかけたときだった。

 小さな葉揺れの音。

 これまで生き物の気配などなかった。だからこそ男と少女は空腹に耐えていたのだが……、

 何かがこすれる音がする。

 彼は立ち止まってそれを探ろうとした。まさか盗賊がこんなところにはいないだろう。追っ手だって……追っ手なるものが存在すればだが、森の中まで静かに追ってくることもない、と思う。隠れていた森の生物が、動き出した?

 次の瞬間、耳元で。

 ぎちっ……と音がした。


「な、うわっ……」


 一瞬で途切れたその声は、礼緋に届くことはなかった。




 あのばか男が帰ってこない。

 ここから見えるようなところにある木まで、どれだけ時間がかかるというんだ。

 もういっそ置いていけばいい。あたしはずいぶん前から、というか最初からあの男を疎んでいたじゃないか。そう思うものの、しょうがなく分けた食糧がもったいないという思いもなかなかに根強い。そこまでして生かしておいたのだから、もう少し役立てよ、と。

 ため息を吐いて馬を見遣る。本当に食おうかな、こいつ。

 急に近くでがさりと音がして、あたしは上を向いた。


「ちょっと、何でそんなとこから帰ってくるのよ。それにもう少し気配ってものを……」


 木の上にいたのは間違いなく数十分前に別れた男だった。でもあたしが言葉を失ったのはその表情にだ。

 無表情。


「ちょっと、どうしたの。なんか変なものでも食った?」

 抜け駆けで食べた実に毒でもあったとか……あの無表情が必死に腹痛を堪えてるとかだったらちょっと笑えるけど。

 

 その口元がかすかに引きつった、気がした。次の瞬間、男は黒い影となってあたしの目の前に落ちてくる。

 ーーとっさに身体をかばったあたしの両腕を、服ごと切り裂きながら!

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