カームの町に潜入-2
「……あんのクソガキ〜、失敗しやがったな!」
あたしはごまかしようのない赤毛を掴んでうめいた。赤毛はそこまで珍しいものでもないが、あたしの背格好はおそらく知れている。賞金首とぴったり合致する特徴の人間が詰所辺りをうろうろするのを見逃すほど、無能な兵士たちじゃないだろう……多分。
クラウドはそんなあたしをしばし眺めて、ぽつりと言った。
「思うんだけど、マリーちゃんが失敗したわけじゃないんじゃないかな」
「はあ?」
「マリーちゃん、こう言ったんでしょ」
『三日程度しかもちませんからね。あと、他の魔術の干渉を受けたら効果が切れちゃうかもしれないので、気をつけて』
「それが何よ?三日どころか、まだ半日も経ってないし、別に他の魔術なんて……」
そこまで毒づいてから思い出した。
黒ローブの怪しい奴。
「なんか、変な感じしてない?魔術かけられてない?」
「別に、変な感じしないけど……」
なんかされたわけでもない。気味が悪かったのは確かだけど……。
「魔術については全然詳しくないからなあ」
「あんたも、知らないんだ?」
「俺の出身地方では魔術なんてほとんどおとぎ話みたいなもんだったし」
確かにあたしも、今まで魔術師や魔術が発動しているところを見たことはなかったけど、話には結構聞くし、そもそも旅券を例にしなくても魔術が施されているものはちょこちょこあるから、おとぎ話というのはちょっと大げさな気がする。
よっぽど田舎から来たんだな。よっ、田舎者!
「関所にいたくらいだし、素性を改める類いのものかもしれないわね」
どういうこと?と彼は視線をこちらに向ける。
「あいつ、通れって言わんばかりに腕を動かしたでしょ?こう……」
言いながら実演。クラウドも頷いた。
「なんらかの魔術がかかっていて、それをパスしたから通れた、とか」
「んーでも、それなら、見た目を偽る魔術をかけていた礼緋チャンなんて不審人物筆頭じゃん、なんで見逃されたのかな?」
クラウド曰く。
魔術師の腕がのびてきて、動いた瞬間から、あたしの髪の色はだんだん濃くなってきていたらしい。門の陰で色が暗くなっているのをいいことに、慌てて隠しながらその場を離れるようにしてくれたらしいのだが。
「考えられる理由は二つ、かしら?」
「ふんふん」
こいつ、何でも知ってますみたいな飄々とした態度を取るけど、現状確認以上の意見とかほとんど述べないのよね。実は頭が悪いんだと、あたしは推測している。
「一つ、あたしはちゃんと認識された上で泳がされている」
でも泳がす意味はあんまりないと思うのだけど。そもそもあたしを捕まえたい……というか殺してもいいと思われている理由も分からないから、ここらへんはうまく推測できない。
「で、もう一つは、さっきのが本当に魔術による何らかの網だったとして、その目的はあたしや他の賞金首を洗い出すためではなくて、もっと別の何かだったってこと」
「別の何かって?」
「そんなの、知るわけないじゃない」
あたしはしゃがみ込んで髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
「やっぱり、あたしに賞金をかける理由がわからないと何にもならないわ。ともかくこの髪の色をどうにかしないと」
「俺が探ってくるよ」
突然の提案にあたしは驚いて顔を上げた。
「どうして?」
「どうしてって」
クラウドはきょとんとこちらを見下ろしてくる。……見下ろされるという状況が少し嫌であたしも立ち上がった。
「あんたがあたし個人の問題に関与してくるのがさ」
なし崩し的に一緒に行動しているあたしとクラウドであるが、基本的にあたしに売られたけんかにクラウドが加勢することはないし、その逆も然り。お互いの事情や厄介ごとには首を突っ込まないのが暗黙の了解になっている、と思っていた。
「このままじゃ、礼緋チャンまともに町も歩けないんでしょ。まあこれくらい、苦でもないし」
寄りかかっていた壁から身を離して、クラウドは通りに出て行った。
「ちょ、ちょっと!」
「あ、すぐ戻るからちょっと待っててね」
ちょっと、ってどのくらいだ。情報を集めてくるならそれなりの時間になるのではないのか。待ってろと言われて動くのも、いやしかし物陰とはいえこんなところでじっとしていたらそのうち怪しまれてしょうがないし……。
とじりじりしているうちに、本当にすぐ彼は戻ってきた。数分だった。
「はい、これ」
何だこれ。
手渡された布を広げると、それはただの布ではなくて、帽子だった。
「それ被って髪の毛隠してれば少しはカムフラージュになると思う。ついでに厚手の上着でも着てれば、男って言い張ることも出来るんじゃないかな」
うーん変なところに気が回る奴。確かにあたしの旅装は(当然だけど)色気も何にもなく、動きやすさだけを重視してある。女にしてはタッパもそれなりにあるし、上半身のラインだけ隠せば、線の細い少年って感じにはごまかせそうだ。
「じゃあ、今度こそ行ってくるね。礼緋チャンに本当に賞金がかかっているのか、その嫌疑と、かけている奴の名前くらいわかればいいんだろ?」
「……そうね」
「どうかした?」
「別に。日が落ちる頃、ここで落ち合いましょ」
本当に別にどうってことない。この男に全面的に頼るのが不満だとか、大した問題じゃないしね!ただちょっともやもやするだけだ。
いつも通りふらふらっと男は去っていった。さて、あたしは何をしようか。
髪を軽くしばってまとめやすくしてから、もらった帽子を深く被った。髪がこぼれ落ちていないか手で確認する。自分の姿を視認するには水鏡しかないが、井戸や泉を覗き込んだ瞬間帽子がぽろり、なんて今は笑い話にもならない。
「まあ、情報収集はあっちがやってくれてるんだから、こっちは買い物でもしようかしらね」
携帯食糧も心もとなくなってきたところだったし、傷んできた服も換えたい。カツアゲ……もとい拾ってきたものも換金したい、ってこれは今は危険かもしれない。足がつかない質屋を知っているわけでもないので、ならず者が集まるその手の店は危ない。
「観光するものは少ないってことらしいけど、知らない町は見るだけでも楽しいしね。怪しくない程度にうろうろしますか」
あたしだって女の子だ。買い物は乙女の大好物!
あたしは意気揚々と町の中心部へ向かって歩き出した。
カームは国境に近い山際の町だ。旅券が必要なのも、防衛上の理由からだろう。山を越えて斥候などが紛れ込むのを警戒しているのではないだろうか。とはいえ、隣国とはここ十年ほど戦争どころか小競り合いの噂すら聞かないというが。
そんな立地なので、山を越えてきた商隊や旅人たちにとっては初めての大きな町となるし、これから山を越えるには最後の町となる。無骨な建物や色気のない広場ばかりとはいえ、装備屋は充実しているし、そこそこ立派な宿屋もあった。
ついでだからと宿を取っておいて(不本意ながらクラウドの部屋も取っておいてやった)、置いていっても問題なさそうなものを部屋に置いてきた。旅人向けなこともあって部屋にはしっかり鍵がついている。まあ、信用はしきれないけどね。
太陽は傾き始めていた。髪の色を変えてもらったのが午前中、それから門を通るのにだいぶ待たされて、少し買い物をしたのだからまあ妥当な時間だろうか。クラウドとの待ち合わせにはもう数時間ある。
「そうそう、銃弾買わないとね。これだけ大きい町だから、きっとあるわ」
宿屋は町の中心から少し離れたところにあった。市場からは大通りを通って来たが、少し回り道になる。方向的には間違っていないだろうと、特に考えずに脇道に足を踏み入れたのが間違いだった。
近道になればと思った脇道はぐねぐねと曲がりくねっていて、分かれ道も多い。まるで迷路だ。道の両脇に経っているはずの家々は高い塀に囲まれていて、生活の音すらほとんどしてこない。そして辺りには人っ子一人いない。
「まるで迷路……っていうか、そのまんま迷路なんだろうなあ……」
有事の際には敵を惑わす役割を果たすのだろう。あたしはまんまと惑わされてしまったわけだ、敵じゃないけど。考えなしに歩いていたせいで方角も分からなくなってしまった。
「しょうがない、一旦戻って……?」
振り向きかけたあたしの目の端に、黒い何かが映った気がした。
……黒い何か、ね。
あたしは一拍置いて再び前に向き直った。
「……すみません、僕道に迷ったんです。通りに出る道がわかったら、教えてほしいんですけど」
なるべく低い声を心がけた。少年のフリ作戦だ。
そこに立っていたのは案の定、黒いローブの人物。まあ、服装だけじゃ午前中の奴と同一かはわかんないけど。
「やあ、それは大変だねえ。ボクが案内してあげるよ」
声は予想以上に若い、男のものだった。しかしどうにもねっとりというか、じっとりというか、気持ちの悪い声である。
「ありがとうございます。あの、お顔を見ても?」
おずおずといった感じを装って、あたしは訊ねる。顔を見せずに話すことは礼儀に反する、これくらい要求してもおかしいことではない。
「いやあそれは、ご勘弁いただきたいね。ボクって顔にコンプレックスがあるからねえ」
……本当に気持ち悪いんだけど、こいつ。
「キミのほうこそ、その帽子、窮屈じゃないかなあ。人目もないし、取ってしまえばいいのに」
「いえいえ、おかまいなく」
「そう?もったいないなあ。せっかくきれいな赤毛なのにねえ」
まあ、予想はついていたけど。
「……もしかして、僕の名前をご存知ですか?」
「ご存知だよ。礼緋チャン」
ぞぞぞぞっ
人に名前を呼ばれて鳥肌が立ったのなんて初めてだ。気持ち悪っ。
「ごめんなさい。確かに私は性別を偽っていましたけれど、名前はジェーンというんです。お間違えではないですか?」
「いやあ、お間違えではないねえ。なんてったってキミにジェーンをけしかけたのは、このボクなんだからねえ」
…………!
「あんた、ジェーンたちの『お師匠様』?」
「押しかけ弟子だよ。まあ、かわいい子たちではあるよねえ」
「…………なんのつもりよ」
「ボクはねえ」
そういってにたりとそいつは笑う。
「天使のファンなんだよ」
「!!」
あたしは即座に後ろに跳び退って、そいつと距離を取る。銃を構えて、周りの気配を探った。
「ああ、そんなに警戒しないで。今のところボクの片思いだから」
「……なんで天使を知っている?」
天使。
比喩ではなく、あたしの真の天敵であり、旅の目的。
あたし以外誰も知らないはずの存在を、こいつは知っている……?
「実在するんだね、天使は」
そいつは嬉しそうに笑った。
「伝承でも天使の姿はよく知られているよねえ。もちろん姿を見たものは誰もいない。でもキミは知っているね。そして天使と接触している。面白いねえ」
「……」
どうやら辺りにはこの男だけのようだ。しかし油断はならない。やはりこいつは、魔術師のようだから。
「キミと接触すれば、天使に会えるかと思ったんだよ。それこそ、」
すっと腕をのばした。門で会ったときと同じように。
「キミが殺されるようなピンチにでもなれば、ねえ」
その手が動く前に迷わず引き金を引いた。
軽い銃声が響く。
しかし黒い影はもう目の前にいない。
「まあ、またちょっかい出させてもらうよ。あの子たちともども、よろしくねえ」
気づくとあたしは一人立ち尽くしていた。
「……なんであのお笑い姉妹の師匠が、あんな得体の知れない奴なのよ」
レベルが違いすぎるでしょ。
あたしは呆然と呟いた。
町の入り口に戻ると、クラウドは既に待っていた。
「どうしたの、礼緋チャン。なんか疲れた顔してるけど」
「うん、まあね……」
天使のことは誰にも言うつもりはなかったが、この男がずっとついてくるつもりなら、いつかはばれてしまうだろう。黒ローブの奴が関わってくるとなれば、なおさらだ。でも今はとても話す気にはなれなかった。
「……とりあえず、あんたの話はご飯でも食べながら聞くわ」
精神的にそれどころじゃなくて、何も食べていないのだ。