カームの町へ潜入-1
あたしの名前は礼緋。姓はない。家もなく、親もなく、故郷もない。旅から旅の根無し草。勝手気侭な一人旅。
……のはずが、最近ちょっと騒がしい。
ストーカー男はついてくるわ、変な姉妹に連日襲われるわ、心休まるときがない。
姉妹に言わせると、あたしには賞金がかけられているらしい。賞金首を捕まえこそすれ、追われるような悪事は誓ってしていない。まあ、コナかけてきた男からカツアゲめいたことはしたことあるけど、そんなことみんなやってることだし……そもそも、そんなことで生死不問の指名手配が行われるはずはないのだ。
ひとまずその嫌疑を明らかにするために、次の町へ向かっているのだが……、
「礼緋さん、今日こそお縄についてもらいます!」
ほら、またなんか聞こえる。
「はー、今日も来た……」
「大変だね」
ちっとも同情を込めずに隣の男が言う。
「いちいち相手してる辺り、人がいいよね」
「うるさいわね。あんたなら最初っから無視できるかもしれないけどさ」
「買いかぶり過ぎだよ」
言いながら、クラウドはすっとあたしから離れる。いつもながら、関わるつもりはないようだ。
「先行ってるからー」
「そのまま行ってしまえ」
我が物顔で同行しているが、あたしはまだこいつの存在を認めたわけじゃないのだ。
ふうとため息をついて、こちらに向かってくる金髪の女に相対した。
「やあああーー!!」
ひょいと避けて、裏拳一発。
女はあっさりと地面に沈み込む。
続いて右方に手を伸ばし、飛び込んできた少女の首根っこを掴んだ。
「礼緋さん、苦し……くるひいです……」
「あんたたち、なんで魔術師のくせに身体ごと突っ込んでくんのよ」
あたしは少女を解放して、ため息を吐いた。べしゃりと音がした気がするが、大した問題ではない。
「でも本当に、どうするの、次の町」
当たり前のように合流してきたクラウドに、訊ねられた。姉妹は一回叩きのめせば数日出てこないのが常なので、放置してきた。
「どうって、まあ、見つからない程度に情報集めるしかないわね。そこそこ大きいとこみたいだし、紛れるのもそんなに難しくないでしょ」
どうやらここいら一帯の町に手配は回っているらしい。大きめの町なら保安官の詰所もあるだろうし、最悪そこを襲撃して締め上げればなんらかの情報は手に入るだろう。
「……じゃ、なくてさ、そもそも」
「何よ」
「カームの町に入るには、旅券がいるんだよ?」
………………。
「それを早く言いなさいよお?!」
この国は、多くの町や村を抱えている。かつて存在した数多くの小国を、創王と呼ばれる王が束ねたからなのだけど、現代ではその町村の出入りは比較的自由に行われている。創王が街道を整備し、各地に保安官を配置したからだ。
しかしその中でもいくつか、黙って通過することの出来ない町が存在する。理由はいくつかあって、大きく分けると、その町自体が古都であり独特の自治をしている場合と、国の中にいくつかある関所の役割を果たしている場合とがある。今回の場合は後者で、ではどうやって入るかというと、旅券を見せて登録する必要があるのだ。
旅券の入手方法は簡単だ。国の都、あるいはそれに準じる大きな都市に赴き、お金を払うだけ。国民全員の戸籍があるわけでもなし、大した身の証は必要でないのが現状だ。旅券には髪の色と目の色、身長や顔つき体つきなどの身体的特徴、歳、性別、出身地などが書かれている。
旅券自体はあたしも持っている。旅券の発行手数料は大した金額でもないし、こうして旅券の必要な町は意外にちょこちょこあるから、もっていて損はない。
けれど賞金のかけられているこの状況では、
「自首しに行くようなもんじゃない!なんでそんな大事なこと言わなかったわけ?」
「ごめん、知ってると思ってた」
今回ばかりは申し訳なさそうにクラウドは言う。
「まあ無理なものはしょうがないわね……。でもここを抜かしたら当分町はないし……」
かといって偽造というのも難しいのだ。旅券には高価な紙が使われている上、その表面には簡単な魔術がかけられていてちょっとやそっとでは破損しないようになっている。偽造するより正規に作った方がいっそ安上がりだ。
「多分町の入り口辺りで作れるんじゃないかな。田舎な分手数料は高そうだけど」
「そんなことより身元不明の赤毛の女が現れただけで怪しまれるに決まってるわよ」
あたしを狙う輩がいる以上、手がかりであるあたしの背格好は知れているものと思っていいだろうから。
うーん、と腕を組んだのもつかの間。
ふと思いついて、背後を振り返る。
「ねえ、あんたたちさ」
「はい!?」
びくりと身体を震わせて立ち止まったのは、手に火球を用意して近寄っていた金髪の女だった。
「旅券持ってる?」
「え、はい……」
「身長、どれくらいだと思う?」
今度はクラウドに訊ねる。彼も心得たもので、何度か金髪とあたしに視線を往復させて、黙って頷いた。
「あの、何か……」
手持ち無沙汰に火球をさまよわせる女に、あたしはにっこりと笑いかけた。
一回叩きのめせば数日出てこない、とあたしは判断していたが、これは何の僥倖か、困っているときに限って現れてくれた。
「あんた、ジェーンっていうの、ふーん」
と、声をかけたものの、女の意識はない。女は今縄で全身を縛り上げられ、クラウドにその縄の端を握られている状態だ。そしてあたしはというと、地面にあぐらをかいて座り、手に入れたばかりの旅券を眺めている。その周りの地面に、十歳にも満たない少女—ジェーンの妹、マリーが泣きながら何やら文様を描いていった。
「なんかめんどくさいのね。あんたたちがいっつもやってる火とか雷はもっとぱっと出してるじゃない」
「あれはよく使うから、簡略化の手続きをしてあるんです。本来はこうやって使うものなんです」
「へー」
あたしの興味のない相づちにマリーはいっそう悲愴な顔をした。
「どうして私とお姉ちゃんがこんな目に」
「日頃の行いを振り返りなさいよ」
「ううー、おねえちゃあん」
そうこうしているうちに文様は描きあがったらしい。マリーが立ち上がり、あたしから数歩離れた。
「言っとくけど、失敗したらただじゃおかないからね」
「し、失敗なんてしません」泣きながらも、少女は憤然とする。己の魔術に自信を持っているらしい。結構なことだ。
クラウドが興味津々に近寄ってきた。彼もこんな魔術は見慣れていないらしい。文様をしげしげと見つめている。
「ちょっと、離れてくださいよう」
「あ、ごめんごめん」
少女はすうと息を吸い、そして吐いた。
「……いきます」
宣言とともに、魔力の働きなのだろうか、少女の周りの空気がゆらりと揺らいだ。
おお、と男の感嘆の声が聞こえて、あたしは目を開けた。
「出来ましたよ」
同時に少女の声が聞こえる。
どれどれと、あたしは自分の長い髪を一房掴んで、眺めた。
おお、とクラウドと同じような声が漏れる。
「見事なもんね」
少女はそうでしょうと胸を張った。
赤毛だったあたしの髪は、見事な金髪に変わっていたのだ。
「でもこれ、三日程度しか保ちませんからね。あと、他の魔術の干渉を受けたら効果が切れちゃうかもしれないので、気をつけて」
「そうそう魔術師と関わることなんてないわよ。何はともあれ、助かるわ。これで町に入れるし」
「……あの、もう帰ってもいいですか」
「ああ、いいわよ」
目的は果たされたので、もう用はない。思い出したようにまた泣きながら、マリーは姉を担いでよろよろと去っていった。
「覚えててくださいね……!」
とわかりやすい捨て台詞を残して。
「いやー、渡りに船ってこのことよね」
背丈と体型はわりと似ていたし、目の色も少しあたしの方が濃いがごまかせるレベル。あとは髪の色を変えれば完璧に成り代わることができる。幸いなことに旅券の持ち主たちは魔術の使い手ではないか。
しかも旅券を奪うことによって、彼女らは町の中まであたしを追って来れない。これぞ一石二鳥!
「てわけで、あたしは今日からジェーンよ。間違えないでよね」
「はいはい」
クラウドは愉快そうに答えた。
カームの町はここ周辺では一番大きな町のようだ。といっても防衛上重要な都市というだけで、たいした観光施設もおいしい食べ物もないのだとか。
「……詳しいわね」
「そう?俺は華やかな町しか行ったことないから、中のことはあんまり知らない」
「華やかな町、ねえ」
「昔サーカスの一座にいたって、言ったことなかったっけ」
聞いたことがあるような、ないような。旅慣れた男の様子から、いいとこの坊ちゃんではないなとは思っていたけど。
「サーカスの興行やっても売れないようなとこには行かないからね」
自分が元いたところのことを話すクラウドは、懐かしさを浮かべながらもどこか苦々しげだった。なんかあったんだろうな、とは思うがそれ以上追及する気はこれっぽちもない。興味もない。
あたしは会話を切り上げてあたしたちの前の行列をうんざりと眺めた。
そう、行列である。
観光的に価値のない町であっても、工業、商業的にはそれなり需要があるのだろう、工人や商人が入り口に列を成して、門を通る順番待ちをしているのだ。しかも兵士の手際がよほど悪いのか、行列は先ほどからほとんど動いていない。並んでいる人びとのいらいらした雰囲気にこっちまで引きずられてしまいそうだ。
「まだかしらねー」
列の脇から身を出して、門を眺める。このままだと小競り合いでも起きてしまいそうだ。
門には三人の兵士が立っている。門の中にも幾人かいるのだろう。そんな大人数で何を手こずっているのか。
と、門の窓からすっと腕がのびた。黒いローブを纏った腕が、ついっと動いた。こちらから奥へと流れたその動きは、さっさと通れと促しているようにも、……違うと否定されているようにも見えた。
「あ、ちょっと進んだよ」
クラウドがあくびまじりに言った。
待たされること一時間。いい加減我慢も限界だが、ここでぼろを出しては水の泡だ。黙って旅券を差し出した。
「ジェーン、十七歳、髪の色、金、目の色、アンバー、身長……」
兵士は旅券に書かれた特徴を読み上げながら、あたしの外見と相違がないか確かめていく。横のクラウドも一緒に検分されていった。
「クラウド、十九歳、髪の色、黒……」
ってあんた十代だったの。
つつがなく確認は終わり、書類に書き込み、判を押された。もう通って良いのかと進みかけたが、
「ちょっと待て」
と、呼び止められる。
素直に待つが、兵士たちは門の中をちらちらと見るばかりで何もしない。
何をしているのか知らないが、時間がかかったのはこれか……!
しばらくすると、門の窓の前に立たされた。格子のついた窓の奥に、黒い塊が見える。さきほどのローブの人物だろう。
嫌な予感。こういう奴に、ろくなのはいない。
ローブの人物は、何かをさらさらと書き付けて、それからようやくこちらに気がついたように顔を上げた。といってもあたしからはその顔はフードの陰になって見えない。
しばらくその顔は動かなかった。少しだけ黒さに目が慣れて、口のようなものが陰に紛れて確認できた。
その口が、にやりと歪んだ。
「うっ……?」
すっと、手が伸びる。
格子の隙間から出てきた腕は、あたしがさっき見たときみたいに、町に向かってすいっと動いた。
なんだか動けないあたしに、声がかかる。
「もう行っていいみたいだよ。ほら、ジェーン」
クラウドだった。彼はなぜか焦った調子で、脱いだ上着をあたしにぐいぐいと押し付けながら町の中へ急がせる。
「ちょっと、何すんのよ」
「いいから、早く物陰へ」
耳元でしゃべるな、気色悪い。
大きめの建物の陰へ入ると、クラウドははあとため息を吐いた。押し付けられた上着はもはやあたしの頭に被さっている。これじゃただの不審者だ。
「何なのよ。門は問題なく通れたんでしょ」
「……あのね、礼緋チャン。それ……」
上着を取ったあたしの頭をクラウドは指差した。
何のことかと髪を摘んで、総毛立つ。
「あ……!?」
三日は保つと言われたはずの金髪は、もとの燃えるような赤毛に戻ってしまっていた。