魔術姉妹登場!
あたしの名前は礼緋。姓はない。家もなく、親もなく、故郷もない。旅から旅の根無し草。勝手気侭な一人旅。
「ねえ、礼緋チャン」
一人旅です。
「ねえってば」
「うるさいな!!」
あたしは猛然と振り返った。怒鳴り声にも構わず男はのんきに笑っている。
「いつまでついてくんのよあんたってば!」
「それそれ。いいかげん『あんた』じゃなくて名前呼んでくれないかなあ」
「はあ?」
あたしの三歩くらい後ろを歩いていた男は、ここ二ヶ月くらいあたしにつきまとっているストーカーだ。
黒髪黒目、中肉中背。ふらふらと歩いているようで、そんじょそこらのごろつきよりよっぽど強い。…………認めたくないけど、あたしより強い。あたしにまとわりつく輩は今までにもいなかったわけじゃないけど、そんなやつらはすべからくぶちのめしてきた。だからこいつも例外なく殴り倒してやろうと思っていたんだけど…………。
以下、回想!
『久しぶり、礼緋チャン、だよね?』
突然かけられた声に、あたしは視線を遣った。そこには男が立っている。またか、とあたしは思った。こんなふうに声をかけてくるのは、キャッチ、盗人、強姦魔、たいていそんなもんだ。
『違うわ』
『またまたー、タルリルの街にいた、礼緋チャンでしょう?ほら、俺、覚えてない?』
そこであたしは初めて警戒心を抱いた。タルリルの街、というのは確かにあたしの出身地である。でも、誰にも話したことはないし、ともすればあたし自身忘れてしまいそうな過去のことだ。
覚えていないかって?誰だ、こいつ。
足を止めて男を観察した。ぱっと見は優男だ。へらへら笑っているし、格好も普通の旅人より多少軽装かというくらい。顔はまあ、整っているのか?よくわからない。黒髪黒目がこの地方では少し珍しい程度の、平凡な外見。
でも血の匂いがする。見た目にはまったく血は付いていない。身体に染み付いた匂いだ。
なんだ、こいつ?まかり間違っても肉屋の息子には見えないが。
注目されたことに男は少し満足げに笑みを深めた。
『思い出した?俺も一瞬わかんなかったよ。礼緋チャン、すっかりたくましくなったねえ』
たくましいって褒めてないだろ。
『ごめんけど、あたしはいまだにあんたのことわかってないわ』
『ええ』
一転、男はわざとらしく悲しげに顔をしかめる。
『ほら、十年くらい前のことだよ。迷子の礼緋チャンを案内してあげたじゃんか』
十年前?…………
『ああ、ごめん、あたしそのころの記憶なくしちゃったのよ。だから覚えてないごめんねさよなら』
あたしは一気に言うと踵を返した。「ちょっと」と慌てた声が聞こえるが知らない。
ちなみに言うと別に嘘じゃない。十年前、あたしは階段から落ちて幼少期の記憶を失ってしまったのだ。さらにそのあとも家庭のごたごたがあって、そのころのことなんてまともに覚えてやしない。そしてそのことで困ったことはない。
結論、男はどーでもいい存在である。
『ちょっと、待ってよ。記憶がないって本当?』
男はあたしの前にまわりこんできた。ちっ、しつこいな。
『ほんとほんと。ごめんごめん。語り合う思い出もないし』
ついでにしっしっと手で払ってみたが、男は退く気配を見せない。ちょっといらついてきた。
『ねえ退いてくれないかしら?』
『じゃあ思い出さなくてもいいからさ、せっかくだし一緒に次の町まで行かない?』
『はああ?』
あたしたちが話しているのは街道のど真ん中だ。街道と言ってもその実はただの山道。田舎の街道なんてそんなもんで、本来は街と街をつなぐ道以上の意味はない。
そんな道だから、行き先は限られている。あたしが三日前あとにしてきた小さな村か、あと十日ほどで着くはずの大きめの宿場町か。男はあたしの後ろからやってきたから、行く方向は同じ、つまり行き先も同じ、だが。
『お断りです』
『なんで』
『あんた、あたしの後ろから来たじゃない。あたしより移動速度早いんでしょ。人にはペースってもんがあるんだから』
『あわせるよ』
なんでそこまでして一緒に行きたがるんだ?
『あたしは一人旅が好きなの。同行人はいらないわ』
『ついていくだけだからさ』
それがいらないって言ってんでしょ。
と言う代わりにノーモーションで殴りつけた。
『銃、使わないんだ。優しいね』
……次の瞬間、その拳は男に握られていた。
『触んな変態』
唸るように言うと男は「ごめんごめん」と手を離す。
離されるか否かというところで脇腹めがけて蹴りを入れる。
軽く身をよじっただけで避けられた。あたしは男と距離を取る。
『別に飾りじゃないんだろ?それ』
やけに銃に興味を示すな。
『なあに、珍しいの』
『使ってみてよ』
『あんたなんかに使ったら弾がもったいない』
あたしは男に飛びかかった。
結果、あたしは返り討ちにあったのでした。
回想、終わり!
思い出すだにいらいらする。こんな奴にこんな奴に。結局、次の町に着いてもあたしはこいつから解放されることなく、いまだに粘着されているし!
「……で、聞いてる?」
聞いてない。
男はため息をついた。
「俺の名前、覚えてないでしょ?」
「変態根暗ストーカー男とかだったっけ?」
「あのさ……」
さすがに苦笑する男。まあちょっとベタだったかなとあたしも思った。
「クラウドっていうから。覚えてよ」
その名前は雲を意味する。
どんよりした曇り空をあたしはイメージした。
「案外あんたに似つかわしい名前だったわ」
「そう?」男、いやクラウドは嬉しそうな顔をした。
「礼緋さんですね?」
声がかけられたのは昼過ぎのことだ。連日の雨で足場が悪く、思ったより歩が進んでいない、今日中に町に着けると思っていたが、どうやら無理そうだ、なんてクラウドと話していた(厳密には、彼が一方的に話しかけてきていた)ところだった。
話しかけてきた女はあたしから見て右にある木の陰から出てきた。木の陰って。今まで隠れていたのか。端から見たら不審すぎる。
茶髪の女だ。背は低め。なかなか可愛らしい顔つきではあるが、それ以上にお人好しなオーラが全身からにじみ出ている。どうぞ騙してくださいと顔に書いてあるみたいだ。
あたしはゆっくり三拍ためて、言った。
「違うわよ」
余裕たっぷりに出てきた女は途端つんのめる。ちょっと面白い。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
慌てて女は木陰に戻り、何か必死に話しかけている。そこにもう一人いるんだろうか?何はともあれ、彼女に付き合う義理はないので先へ進もうとすると、
「待ってくださいって言いましたよね!?」
女は再びあたしたちの前に戻ってきた。顔を真っ赤にしている。
「待ってあたしに何か得があるわけ?」
「え、そ、それはないかもしれないですけど……」
「じゃあそういうことよ」
「待ってくださいいい」
彼女は通り過ぎようとしたあたしの前にまわりこんできた。前もあったぞこんなこと。ちらりとクラウドを振り返ると、後ろにいたはずの彼はちょっと離れたところで悠々と弁当を広げていた。おい、いつの間にそんなもの手に入れてんだ。
「礼緋さん。あなたに恨みはありませんが、お命ちょうだいします」
「だから違うって言ってんで、しょ!」
ノーモーションで殴りつけた。デジャヴにいやな予感がしたが、それをあっさりと裏切って女はしっかりと殴られてくれた。
……予想以上にきれいに入ったな。
「……てことで、じゃあ」
「待ってください!」
違う女の声。あたしはいい加減うんざりする。クラウドはサンドイッチを食べ終えて、包みを片付けようとしている。食うの早。
今度は金髪の女が木陰から出てきた。えらい美人で背が高い。
「逃がしませんよ!!」
言うと、金髪は手をさっと前に差し出した。
途端、その手の先に炎が燃え上がる。
魔術!初めて見た!
……けど、それが一直線に迫ってくるだけなら、避けてしまえばそれっきりだ。
「避けないでくださいよ!」
「はあ……」
何とも気が抜けると思ったら、背後からちりちりと熱気。
勘だけで避けると、なんと炎が戻ってきていた。
「あっぶね!」
視線を前に戻すと、金髪は新たな火球を生み出そうとしている。ちょっとちょっと、一個ならなんとかなっても、あんまり増えられたら避けきれないっての!
不利になる前に本人を叩くしかない。あたしは一足飛びに彼女に駆け寄り、その勢いで顔面に向けて蹴りを放つ。
「きゃあ!」
女は悲鳴をあげて身をすくませたが、結果的にそれが回避行動になっている。わざとなのか偶然なのか……。しかし体勢を崩したところを見逃しはしない!
あたしは後ろに回り込み、手刀を金髪女に叩き込んだ。入った!——と思った瞬間。
衝撃とともに視界がぶれた。光が目の裏に走る。
一瞬遅れてビヂ、だとか、バチ、だとかそんな音が聞こえた。
手にしびれ、とっさに女から手を離そうとしても動かない。それが一瞬なのか、長い時間だったのか。
あたしはどさりと音をたてて地面に倒れた。
なんだこれ。身体がびりびりとしびれて動けない。足音が近づいてくるのを感じて必死に目を上げると、幼い少女がこちらを涙目でにらんでいた。こいつの仕業?
やばい。しびれから回復できない。少女はゆっくりと手を振り上げ……、
「はい、おしまい」
クラウドにその腕をつかまれた。
少女は十歳にも満たないように見えた。茶髪茶眼の可愛らしい顔立ちであるが、いかにも世間擦れしていないような、……って似たような感想をほんの数分前に抱いた気がするんだけど。
「あの茶髪女は?」
ようやくしゃべることができるようになったあたしの質問に、クラウドは肩をすくめて視線を少女に向けた。
「おねえちゃーん」
少女は泣きじゃくり、金髪女にすがりついている。しかしその両腕はクラウドによって後ろ手に縛られていた。魔術師はなかなかお目にかかれないが、彼らが腕の動きと呪文によって魔術を繰り出すのは有名な話だ。
「あんた、さっきの女なの?」
話しかけると、きっとこちらを睨みつけてきた。迫力は全くない。
「まやかしの魔術も見破れないなんて、とんだ素人ですねっ」
実際魔術に関しては素人だから、全くダメージがない。
……けどちょっぴりむかつくから、その頬をねじりあげて、もう少し質問を続けることにした。
「あんたたちはそれなりの玄人のようだけど?その玄人さんたちがあたしに何の用だったのかしら?」
「いひゃいいひゃいいひゃいです」
「ていうか、あたしを攻撃しようとして仲間もろともノックダウンさせるなんて、なかなかの『玄人』さんじゃないねえ?」
「うううううう」
「マリーを離しなさい!」
今度は金髪の女がようやく目を覚ましたらしい。
「マリーって言うの、このガキ」
「おねえちゃあん」
離せと言われて離すお人好しではない。
「離してほしければ話してみなさいよ。どうして礼緋を……あたしを狙うのか」
「賞金首ねえ」
あたしに賞金がかけられている。
これまた、どこかで聞いた話だ。
生死不問、賞金額は聞いていないが、こうして素人同然の奴らの目をくらませるくらいだから、それなりの金額なんだろうか。
前にも、賞金がほしいと命を狙ってきた姉妹がいたっけ。思い出して少し嫌な気分になった。
「それで、あたしの首を手に入れたらどこへいくようになってるの」
「え、知りません」
「大きい町の兵隊さんに引き渡せばいいんじゃないんですか?」
こいつら……。
「そもそも私たちは、お師匠様にこの仕事を紹介されたのです。『お金がほしいのならこの賞金首を探してみれば?』と言われたもので」
「お師匠様あ?」
「なんでお金ほしいの?」
あたしとクラウドが同時に訊ねた。
「乙女にはいろいろと入り用なんです!」
同意。
「お師匠様って誰よ」
「言ったところで知らないですよ。魔術師の名前なんてそう知れ渡ってないでしょうし」
「まあ、そうだけど」
「もういいですか?離してください」
何言ってんだこいつ。
「命狙ってきた輩をそのまま解放するような心の広い人間じゃないわよ、あたしは」
ひっと女と少女の顔がひきつる。
「どうされたい?そういや二人ともなかなか顔立ちはきれいだし、もっと手っ取り早いお金の稼ぎ方があるんじゃない?プロデュースしてあげよっか?」
ここ数ヶ月他人に見せたことないってくらいきれいな笑みを作ってみせたのに、彼女らの顔はますます強張る。失礼な。
「いっ」
「い?」
「いやですうううう!!」
叫びとともに、煙が巻き起こった。同時にマリーと呼ばれた少女は身をよじってあたしから逃れる。
「あんたら、どうやって!」
「後ろ手でも使える魔術があるんです!」
「じゃあ、さよならっ」
煙が晴れた頃には、呆然と立つあたしと、木陰で昼寝をするクラウドだけが残されていた。
「なんだあれ」
なんかえらい疲れたけれど、終わったものはもうどうでもいい。賞金首になってしまっているのは事実らしいし、大きめの町に着いたら調べてみよう。
……と結論づけた二日後だった。
「礼緋さん、覚悟!」
数日おきにあたしたちは間抜けな姉妹に襲撃されることになるのだった。