天蓋つきベッドにての目覚め
あたしはぱちりと目を開けた。
「……なんか、きもい男に何度も迫られていたような気がするわ……夢かしら」
心臓がばくばく言っているし、鳥肌も立っている。すっと引いた血の気が少しずつ戻って行くような感覚がして、あたしはしばらくじっとしたまま呼吸が整うのを待った。
その間に周囲の観察。
「……って、ここ、どこ……?」
あたしが寝ていたのは、ベッドの上のようだ。といっても、見慣れたいつもの、ただの木枠に藁とか布切れを詰めてその上に布団を引いたようなものじゃなくて、いや下はそうかもしれないんだけど、ベッドの四隅から柱が伸びていて、それが天井を支えていた。そう、このベッドは天蓋付きだった。絵物語で存在は知っていても、実際に見たことなんてもちろんない。
布団に使われている布はすべすべしている(それが寝心地の良さにつながるかはおいといて)し、柱や天蓋に使われている木はいちいち細かい彫刻が為されていて、つやつやと磨かれていた。天蓋からは透けるくらい薄い布がかかっていて、それだけで上等なものだってことが分かる。
その布越しに部屋の中も観察する。木でできた調度品が多いが、それら全てこのベッドに使われている木材と同じものでできているみたいだ。布越しなのではっきりとはわからないけど、同じような彫刻も施されているんじゃないかしら。窓枠も木だけど、なんと丸かった。その窓の外から声がするけれど、この部屋の中には今誰もいないらしい。それを確認してから起き上がった。
服は着替えさせられていた。やたら裾がひらひらとした服で、下はスカートだった。スカートなんて、何年ぶりかしら。動きにくいったらない。
記憶を探らなくたって、何があったか覚えている。あたしは、ナッシーアの転移魔術でアリエスの城から逃げ出してきたんだ。それを、ここの住人に拾われたんだろう。こんな上等な部屋で、ご丁寧に服を着替えさせてくれているってことはいきなり殺されたりとかはないだろうけど、得体の知れない女にここまで親切にしてる時点で何か裏がありそうよね……。たとえばこのまま売られるとかさ。
ここはどこだ、っていうのも何となくわかってきたわ。多分、川向こう。いや、来ちゃったんだから「向こう」ってのはおかしいのか? とりあえず、今まであたしたちが旅してきた国の文化とは明らかに違う。あの陰険魔術師、わざとなのか本当に手元狂わせたのか知らないけど、今度会ったときにゃただじゃおかないわよ……!
と、足音が聞こえる。
逃げた方が良いかもとちらっと思ったけど、事情が分からないのに姿を消してなんかややこしいことになっても困るし、とりあえず寝たふりをすることにしてあたしは再びベッドに倒れ込んだ。この布の肌触りは寝るのには向いていないと思う……。
扉の開く音がした。
『入るぞ』
ああ、やっぱり……ここは川向こうだ。言葉が違う。前にクラウドとも話したけど、あたしは教養として古語を習っていたことがある。でもここの言葉は古語に近いといわれているとはいえ、現代においてどれだけ言葉が変わっているかわからないし、そもそも古語だって自由に扱えるレベルじゃない。不安しかないわ。
声は男のものだ。声の張りと足音の軽さからしてあんまり大柄じゃない若い男。それとその後ろに、複数の、こちらはがたいの良さそうな男の足音。
先頭の男が呟いた。『目が覚めない』みたいなことを言った気がするから、あたしを観察して言ったのだろう。
それから声が少し遠のいた。多分、後ろを振り向いたんだろう。その隙に、あたしは薄目を開いて男を見ようとする。
男は天蓋から垂れる布の隙間から手を差し込んで、上半身だけ覗かせていた。
黒髪の男。やっぱり若い。なんだか見たことあるような……。
「って、クラウド!?」
思わず、あたしはがばりと起き上がってしまっていた。
だって、ベッドの前に立っている男は黒髪黒目中肉中背、っていうと色以外特徴ないけど、とにかくこのシルエットは、最近やけに一緒に行動することが多くてむかつくあのクラウドなのだ。
目を丸くしているクラウドはやっぱり裾の長い、おそらく川向こうの服装をしていて、しかもなんだか装飾品をじゃらじゃらとつけている。なんだか偉そうだ……。
………………。
…………あれ、誰だこいつ。
男がしゃべった。『起きたのか』とかそういうことを多分言った。
クラウド、に似ている? いや、そっくりに見える? 少なくとも体型はそっくりだ。しかし肝心の顔のパーツは、今いちわからなかった。なぜかというと、この男は化粧をしているからだ。
けばいとか、気持ち悪いとか、そんな化粧ではない。もちろん仮装やら道化師やらのそれでもない。けれども肌は白っぽい粉で薄く塗られているし、目元も藤色で淡く縁取られている。そのせいで、本来の顔の印象がはっきり掴めないのだ。
クラウドがこんな化粧をするはずがない。っていうか、そもそもあたしに向かって川向こうの言葉で話しかけるはずがない。
…………クラウドじゃないのよね?
男のうしろにいるのは、使用人とかそういう類い。この陣形と服装から察するに男はきっとお偉いさんだ。
背後の男たち、使用人……というか、護衛も兼ねているかもしれない、そのうち一人が近づいてきて、天蓋からの布を束ねて柱にくくりつけた。彼らは化粧をしていない。多分、化粧は上流階級にだけ許されているのだろう。彼らの顔立ちはやはり少しクラウドに似ていて、クラウドには、川向こうの血が入っているのかもしれないとあたしは思う。なればやはりこの化粧男はただクラウドに似ているだけなのだ。たまたま小柄で、体型まで似ていただけだ。使用人たちは皆ガタイが良く、話によく聞く川向こうの人間らしい体格に見えた。
男たちを観察しながら、あたしは慎重に口を開いた。幸い男が言った言葉は、かなり古語と近いみたいだ。なんとかなるかも。
『……ここは、いずくか。吾はここにおるのは、いかなことじゃ』
なんとかなるかも、と思ったのに、あたしが古語でしゃべった途端男たちの表情が変わった。
化粧男が早口で何かをしゃべっている。あたしに向かって言っている、というよりは後ろの男たちに、……いや、独り言? 興奮している様子だ。
『やっぱりこの女は……だ』、みたいに聞こえた。あたしのことに違いないけど、あたしが何だって言ったのかしら?
後ろの男の一人が化粧男に尋ねた。こちらは声も小さくてまったく聞き取れない。聞かれた男は頷いた。
言葉が通じなくてこんなに心細いなんて思わなかったわ……。でも、こいつらはなんだか喜んでいるみたいだから、やはり今すぐ悪いようにはされないと思う……多分。
なんて思っているうちに、男があたしの足元に跪いた。そして手を差し出し、『ついてこい』という旨のことを言う。
前言撤回。この手を取ったら駄目な気がする。なんで跪くわけ。
『……なにゆえ、問うたことに答わざらん』
おそるおそる尋ねる。さっき話したことで態度が変わったみたいだから、あんまりしゃべるとぼろが出そうで怖い。
男は跪いたまま、あたしに答えた。質問に答えなかったことを謝って、(あたしの聞き取りが間違ってなければ)あたしが男たちの頭上に降ってきたのだと言った。
『そして古く正しい言葉を使う。だからあなたは……だ。私たちを……てくれるだろう』
ちなみにというか何と言うか、化粧男は声までクラウドに似ていた。
降ってきたのは、魔術のせいでしょうね。こちらには魔術はあるのかしら。あっても、あたしたちの国みたいにそうそう見られるものではないかもしれない。で、やっぱり古語は川向こうでも珍しい言葉だったのかしら。まずったな、似てると思ったけど、やっぱりネイティブが聞いたら言葉が違ったんだ。いや、もしかしたら、古語はこちらでは上流階級の言葉遣いに近いのかもしれない……。
いきなり降ってきた女。そして目覚めれば古語を話す。
……もしかしてあたし、なんか特別で高貴な人間みたいに思われてるのかしら?
『吾は、……ありがたしもの? と覚ゆるども、そはまことか』
『特別』という意味の言葉を必死に思い出したけれど、間違えたかもしれない。しかし男は嬉しそうに頷いて言う。
『ついてきてくれますか』
どうしよう。ついていっても悪いことにはならないかしら。この降って湧いた権力? を使って都合の良いように動けるなら良いんだけど。
迷っていると、男は少し顔をうつむけて、ほんの少し微笑んだ。にこりと……というより、にやりと。その顔をあたしはよく知っている気がして、思わず呟く。
「あんた、クラウドじゃないのよね?」
聞こえているはずの男は、やはり本当に川向こうの人間で言葉がわからなかったのか、それとも聞こえないふりをしたのか。
いずれにせよ、あたしはためらいながらも、再び差し出された手を掴んだ。
靴はえらく厚みがあって、履きにくいし歩きにくい。男たちはどうやらあたしを特別視してくれるみたいだから、おしとやかなポーズをするには向いていると言えた。
『そは誰そ』
尋ねると、クラウド似の男は「アブル」と名乗った。ここまできたら名前まで似てるんじゃないかなんて思っていたけど全くそんなことはなかった。
アリエスのところから飛ばされてどのくらい経ったのだろう。まさか何週間も眠っていたということはあるまい。大体この男がクラウドじゃないのなら、本物のクラウドはどこに行ったのか。そしてあたしの服は、ナイフは、銃は。着替えさせられているってことは、持ち物だって知られているはず。武器を確認した上でこの待遇ってのもなんかおかしい。罠なのかしら。なんのために?
……それにしてもおなかが空いたな。
思考を一旦放棄して、尋ねる。
『あ、朝餉……』
『朝食ですか』
『……』
食べたいってなんて言うんだっけ……。
わからなくなって黙っていると通じたらしいが、アブルは少し驚いたようだ。まさか、食事すらとらない生物だと思われてたとか。
長い廊下を歩く。この屋敷(といって良いと思う。この広さなら)の壁は石で作られているみたいだった。窓枠にあわせて丸く石を切り抜いてあって、かなり裕福なのだと思わせる。窓の外は中庭みたいで、きれいな緑の苔と、背の高い植物がきれいに手入れされている。二階建ての建物の二階にあたしたちはいるらしい。
アブルは手を離してくれない。この服装じゃ歩きにくいから助かるっちゃ助かるけど、ちょっと気持ち悪い。これが本当にクラウドであると想像したらいっそう気持ち悪い。
何人もの使用人がこの屋敷で働いているらしい。すれ違う彼らは、決まってアブルに会釈し、そのあとあたしにも丁寧に頭を下げた。
建物は、中庭を真ん中に置いて囲むように四角く作られているらしい。右手の窓からはいつでも中庭が見える。左手には窓は見えない。部屋の扉が並んでいるからだ。二回角を曲がって、両開きの扉が正面に現れた。きっと食堂だろう。
急に言ったにもかかわらず、食堂には食事が既に並べられていた。
あ、巨鳥だ!
『ヒッグは好みですか』
アブルが微笑んだ。目が釘付けになったのを見られたらしい。
いくつかの料理は癖が強く食べにくいものだったけれど、大抵の料理がおいしかった。甘い果物が野菜炒めに使われていたのには驚いたが、辛めの味付けによくあっていて、一番気に入った。果物の味がしっかりしているのだ。これは川向こうでしか食べられないだろう。
あたしが勧めると、アブルも少し食事に手を出した。少なくとも、アブルが口にしたものには毒が入っていないだろう……とか、今さら警戒したところで、食器に毒が塗られていたらもうアウトなんだけど。
『吾のものいづくにかありや』
もうちょっと自信満々に聞いた方が良いのかしら。いかんせん自信がない。
『……が持っている』
最初が少し聞き取れなかったけれど、『私』に似た言葉だった。多分、複数形の『我々』。
『なんぞあやしきものやあらん』
例えば、銃とかさ。
『奇妙な……?』
アブルはいぶかしげに首を振った。
っていうか、特別な人間が、あんなボロの旅装なわけないよな。一応対面を保っとこう。
『彼は吾のまことの姿にあらず』
言ってみたけれど、通じなかったのか呆れられたのか、アブルは笑うのみだった。
やってみたかったありがちネタはち
主要登場人物のそっくりさんが出てくる
古語は適当です。