荒野を抜けて
よく晴れた日だ。
雲ひとつない青空が広がっている。でも今のあたしにとってそれはひたすら憎たらしい。
「ああいやだ、こんな道もう絶対歩きたくない」
さんざん悪態を吐いて、あたしは腰を叩いた。石ころだらけの荒れ地は、足に響く上に、だだっ広くてただただ退屈だ。
「そんで、着いたのがこれか……」
苦労の末辿り着いたのは、
「しけた町」
どうしようもなく寂れた町だった。町の財政のため観光を重視する方向に大きく舵を切ったもののうまくいかず、農業はその際に廃れたまま、工業を発展させる力ももう残ってはいまい。テーマパーク崩れの時代遅れの建物が入り口から出迎えてくれる。
「ま、“元”観光地ならしょぼくとも宿はあるわね」
中身に期待はしないけど、と相変わらず独り言を呟きながら、あたしは辺りを見回した。平日の昼間だというのに道端に酔っぱらった様子の中年男が座り込んでいる。空は砂埃で黄色くかすんで、高いところに鳥が飛んでいるのがぼんやりと見える。何日も雨を吸い込んでいないような灰色の地面、塗装のはげた柱、色あせた看板、それらのものをすべて軽く見逃して、あたしはさっさと町に足を踏み入れる。
あたしの名前は礼緋。姓はない。家もなく、親もなく、故郷もない。旅から旅の根無し草。同行人だって……いない。いないとも。間違っても変な男なんてついてきてない。来てないったら!
かつていた両親は、どういうつもりであたしに名前をつけたのか知らない。けれど、その『緋』の字が示す通り、成長するにつれあたしの焦げ茶色の髪は赤毛と言っていいほど赤みを増した。燃えるような色だと、例えられたこともある。
女にしては背が高くてしっかりした体格な方、でも男には到底敵わない。別にそれで劣等感やコンプレックスを抱いてるわけでもない。あたしには、あたしなりの戦い方はある。
「こんな町で、銃弾なんて売ってんのかしら」
あたしの武器は銃。場合によってはナイフも使うけど、あんまり得意じゃないから、使う機会も少ない。銃なら、走り回る獣ののど笛にだって当てることができる。賞金首や盗賊、その他因縁をつけて襲いかかってくる連中を捕まえて、連行するか身ぐるみはがすかしながら生活費を稼いでいた。なにしろ銃なんて、あまり出回ってなくて高価だから、弾を買うお金を稼ぐので精一杯なのだ。
「でもこないだでかい賞金首を突き出したから、余裕あんのよね」
荒野を通り抜けてきた自分への労いの意味も込めて、宿に泊まるくらいのお金は奮発するつもりだった。
宿は果たしてあった。しかし満室であるという。
「こんな町になんでそんなに人が泊まりにくるのよ」
こんな町呼ばわりに宿の店主はあからさまに顔をしかめて、理由もそこそこに、忙しいからとあたしを追い出しにかかる。
「こんな町はこんな町じゃないの。あたしは客よ!ちょっとお!!」
憤慨として叫んでも、宿の扉は二度と開かない。夕暮れの中、二階建ての宿の建物の窓には、なるほど、確かに灯りがぽつぽつと灯っていくのが見てとれた。
「なんでこんなに人が泊まりにくるのよ」
呆然と見上げるあたしに声がかけられた。
「町長の一族が来ているんです」
驚いて振り向いた。まるで気配が感じられなかったからだ。しかしそこにいたのは普通の少女のようだった。
「年に一度、一族総出でパーティを開くそうですよ。屋敷にも泊まりきれなくて、一軒しかないこの宿屋になだれ込んでくるんです」
それははた迷惑な、と思いつつ、実際は満室ではなかったのかもしれないとあたしは考えた。町の有力者の親族が泊まりにきているのだから、素性の知れない旅人など一緒に泊める訳には行かないという思考の流れはいたって自然だ。
「あ、そ……」
あたしは改めて少女の顔を見た。特徴の無い、目立たない顔だ。美人ではないが、ひどく崩れた顔でもない。中肉中背、目は一重で、唇も眉毛も薄い。非常に印象の薄い少女だった。あたしはすぐに少女への興味を失い、半ば背を向けつつその晩の宿のことを考えていた。ほかに宿屋のないのなら野宿しかない。
「あ、あの」
せっかく町に着いたというのにまた野宿か……。本当にこのごろついていない。
……と、一拍遅れて声をかけられたことに気がついた。
先ほどの少女がこちらを見てうっすらと微笑んでいた。
「よかったら泊まりませんか……うちに」
長く歩かされたと思ったら、「ここです」と少女が足を止めたのは村はずれに立つ大きな屋敷だった。
「なに、金持ちだったの」
「家が大きいだけで……」と少女は苦笑した。
「家族は?」
少女は表情を固くした。
「いません」
何か事情があるのだろう、まったく興味のないあたしはそれ以上聞かなかった。
部屋はきれいだったし食事は簡素ながらもおいしかった。ただ少女はひたすら暗い表情で黙っているだけで、空気が重苦しくてしょうがない。石造りの建物は天井が高く、燭台の光も部屋全体を照らせていない。なんとなく寒々しい感じがするのはきっとあたしの偏見じゃないだろう。
疲れているし、こんな雰囲気じゃあ気がめいってしょうがない。泊めてくれる少女に申し訳ないとも思うが、さっさと寝てしまうことにした。
「ごめんけど、あたしもう寝るわ。あなたは?」
「私は家の仕事があるので。ゆっくりお休みになってください」
「ありがと」
少女のこの陰気さはなんだ。陽気で元気な人間が好きなわけじゃないけど、彼女はどうにも苦手だ。
どうして目が覚めたのかはあたしにもわからない。一旦目を開けてしまうともう冴えてしまって、寝台からのそりと起き上がった。物音はしないから、少女も寝てしまったのだろうか。音を立てないように雨戸を開けて、窓から空を見た。月は真上に上っている。真夜中か。
身体は疲れているのにどうにも眠くない。戸口に向かい、扉を開けた。
「……で、これはどういうこと?」
「すみません」
暗い石造りの廊下には、灯りも灯っていない。窓から漏れる月の光が、申し訳程度に少女の顔をぼんやり浮かび上がらせた。
「答えになってないんじゃない」
「すみません」
彼女はあたしに銃を突きつけていた。銃なんて、一介の旅人のあたしが持てる程度の武器だけど、普通の村娘が持っているようなもんでもない。現に、彼女の手つきはあまりにおぼつかない。けれど慣れていないからこそ警戒する必要はあった。
「どうするつもりなの」
「あなた、見たことあります。賞金がかかっています。私には、お金がいるんです」
賞金だって?
あたしは賞金首を捕まえこそすれ賞金をかけられるようなことをした覚えはない。恨まれる覚えもない、恨むような奴は全部その場で倒してきたから。あたしを賞金首にするなんて、誰が?
「それって生死不問なわけ?あたしを生け捕りに出来るほど腕が立つようには思えないけど」
「首さえ届けばいいそうです。だから、死んでください」
少女の声は平坦だ。そんでもって、生死不問だなんて、あたしは誰にそれほど恨まれているんだろうか?
きちり、と引き金を引く音が聞こえた気がしてあたしはとっさに少女の方へ飛び込んだ。銃声は聞こえたけど当たらない。少女は怯えて腕を上げてしまっていた。
肘を腹に打ち込んで、そのままうつぶせにねじ伏せる。距離をとってはいけない。
「あたしを殺そうなんて百年早いわ」
「そうでしょうか」
声は後ろから聞こえた。
瞬間、目の前に星が飛んだ。次いで何かが壊れる音が耳元で。視界がそのまま白くなり、どんどんせばまる。
「倒れないんですか、頑丈ですね」
という声が遠く聞こえて、それがあたしの意識を引き戻した。
手をついて、起き上がりざま背後の人物に殴り掛かる。その人物は驚いた顔をして、そのままあたしに殴られて倒れた。
ぜえはあと荒く息をして、あたしは立ちあがった。
足元には陶器の破片が散らばっている。花瓶かなにかで殴られたらしい。
少女が二人、倒れている。この屋敷には二人いたようだ。否、もしかしたらもっといるのかもしれない。これだけ広い屋敷に、何人潜んでいたって分からない。
彼女らは今にも起き上がろうとしていた。
「冗談じゃない。一宿一飯の恩はこれでチャラよ」
あたしは走って逃げ出した。そもそも一宿もできてないから、損してるじゃない!
頭がぐらぐらする。殴られた衝撃が、まだ残っている。どころか、どんどんひどくなっている気がする。顔を流れるものが、汗なのか血なのか判然としない。
足をちゃんと前に出せているのか、よくわからない。自分はどこを走っているのか。
ついに倒れ込んで手をついた。手に触れたものは芝のようだったから、無事に外へは出られたらしい。
「……お金が、必要なんです」
押し殺した声が聞こえてくるが、こうして声をかけてくること自体、非情になりきれてない。余計なことをしゃべらず、さっさと殺してしまえばいいのに。
「殺したこともないんでしょう、あんた」
「人を殺したからって、自慢にも何にもなりません」
「でもあたしは殺すの」
「賞金かけられるなんて、あなたはどんな悪いことをしたんですか」
悪い人なら殺しても良いと?
あたしは立ち上がり、彼女に相対した。後ろから違う足音。目の前の少女は気づいていない。
「もう一人のあの女は何なの」
「姉ですよ」
「姉妹で賞金稼ぎってわけ」
「…………お好きなように」
もう一度、引き金に指をかける音。
背後の少女が、あたしに殴りかかろうとステップを踏んだ。
それを避けざま、あたしは背後の少女の手を取って、背中を押す。
銃声。
反動の少ない小さい銃だったみたいだ。狙いやすい分威力は低いけど、この距離なら十分、殺傷能力はあるだろう。
姉妹の姉は倒れた。
「もうちょっと、打ち合わせをしてから襲いなさいね、あんたたち」
妹は状況をつかめないようで、銃を構えたままぼうっと立っている。
「結局、この屋敷にいるのはあんたたち二人だけみたいね」
「…………」
少女は口を開かないが、こんな状況でさらに新手が不意打ちをしてくるようならもはや彼女らは立派な賞金稼ぎだろう。
少女はまだ銃を持ったままだ。警戒は怠らず、少しだけ顔を傾けて足元の姉を確認した。
「まだ助かると思うけど……」
「無理ですよ」
平坦な声に顔を上げた。
「だってそんなお金うちにはないもの」
少女は自分のこめかみに銃を当てた。
「ちょっと、何してんの」
あたしの制止にも全く表情を動かさず。
まだ、姉は生きているって言うのに。放っておけば死んでしまう。
死んでしまう死んでしまうのよばかじゃないの、ちょっと、
「お願いします、礼緋さん」
引き金が引かれた。
「……ばかじゃないの」
老婆がベッドに寝ていた。もう死んでいた。
「葬儀代でもほしかったのかしら。本当にばかな姉妹」
あたしは神への信仰は持っていない。どれだけの弔いになるのかはわからなかったが、二つの死体を庭に埋めてやった。
自分一人では姉を助けられないとわかっていた少女は、あたしに姉を託した、つもりだったのだろう。きっと、あたしが姉を見捨てては行けないだろうと。でも、少女が生きているなら、多分あたしは少女に任せて去っていただろう。あたしをこの場に引き止めて、少女よりかは多いであろう知識で姉を救わせるために、自分を撃った。
「ばかじゃないの。あたしがあんたの姉を見捨てたら、あんたは無駄死によ。あたしが聖人君子にでも見えたって言うの」
死ぬまでしなくても良かっただろうに。
なけなしの金を払って、医者に見せた。医者を叩き起こす前にあたしが応急処置をしていたので、彼女は一命を取り留めた。当たったのは脇腹で、当たりどころが悪ければ内臓を傷つけていただろうとのことだった。彼女は運が良かったようだ。
「運が良かったのか?」
あたしは自分の独白に自分で首を傾げた。
目覚めれば、彼女の妹は死んでいるし、母もいない。彼女は仇に命を救われ、その仇は逃げ去ったあと。
運が良かったなんて言えるんだろうか?
妹に良く似た顔立ちだ。驚くほど気配のない姉妹だった。だからあたしも簡単にピンチに陥ったんだけど……。
それにしても、あたしを殺すつもりなら食事に毒でも混ぜれば良かったのに。あいにくあたしは簡単な毒なら匂いや味でわかるけれど、少女たちはそんなこと知る由もないだろうし。
それに、少女はあたしの名前を知っていた。
『お願いします、礼緋さん』
賞金首になっているらしいから、名前が知れていてもおかしくはないけど……。
「まあいいわ」
こんな胸くその悪い町からはすぐさまおさらばだ。少女の姉が目を覚ます前にとっとと逃げ出そう。妹の仇と命を狙われたりなんてしたらたまったものではない。
買い物も何もできなかったが、どうせこんな町にはろくなものは売っていないだろう。
次の村までは三日ほどかかるという。結局町では休むどころか疲れたし、もう少しあたしの身体にはがんばってもらうとするか。
朝一番に町を出て、山の陰に隠れていた太陽が真上までのぼって来た頃、のんきな声が聞こえた。
「あーっ、礼緋チャンじゃん」
「げっ」
現れたのは黒髪の男だった。
「久しぶり、礼緋チャン」
男はにっこりと笑ってみせたが、その黒い瞳は感情が読めない。
こいつこそがあたしの天敵。ある日突然現れて、以来なんの魂胆があってかあたしにまとわりつくストーカー。いくら撒いてもついてくるし、ぶちのめそうと思ってもあたしより強い。
ようやく別れることができてから二週間ほどだろうか、よもや再会することはあるまいと思っていたのに。
「あ、あんた、なんでこんなところに。荒野は」
「礼緋チャンがわざわざ抜けるって言ってたけど、俺はあんなとこ通りたくないし。違う道知ってたし。遠回りだけど荒野を抜ける時間を考えるとそっちの方が早いかなって思ってさ」
男はにやにや笑いながら言った。
「じゃあそのときに言いなさいよ!」
「言ったよ?『何もそんな荒野通らなくても』って。そしたら礼緋チャンは『ならついてこなくていい』って言ったからさ」
言った。確かに、荒野を通ると言ったとき、この男は難色を示した。あたしはそれをいいことにこの男をさっさとおいて先に進んだのだが、
「別の道があるなんて言ってなかったじゃない」
「んー言ってなかったかもしれないね」
憎たらしい。が、この男は相手にすればするだけつけあがる。あたしは怒りを押し込めて男の脇をすり抜けた。
「まあまあ、せっかく合流できたんだから、また一緒に旅しようよ」
「あんたと一緒に旅した覚えはまっっっっっっっったくないんだけど!?」
「つれないよねー、俺は礼緋チャンのこと大好きなのに」
わかっている。こいつは相手にすればするだけつけあがる。
でも無理!!
「あたしはあんたが大っ嫌いですう!!」
あたしの叫び声が街道にこだました。