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白壁の保持者

 そうだ。あの姉妹があたしを襲ったのは、賞金がかかっていたからだ。つまり、あたしが賞金首にされたのが最初ってことになる。

 アリエスの姉のことを知らないクラウドは会話についていけず、目を白黒させている。


「私は、あなたと話がしたかった。だから、あなたに賞金をかけて、あの人たちにあなたのことを教えた。もちろん、本当に連れてきたなら、賞金は上げるつもりでした。私は、いい話があると彼女らに伝えただけ。それをあの人たちが助言ととるか、指示ととるか、命令ととるかまでは知らないけれど」


 彼女の話は、どこまで本当だったのだろう。姉に裏切られたという話は、嘘だったのだろうか。


「賞金がかかっていることを知れば、あなたはなんとかしようと思うことでしょう。やがて、賞金をかけた貴族がサンドラにいるということは嗅ぎ付けるはず。そうすればあなたは、この町へやってくる」


 そう。実際に今、ここへやってきた。全て、この女の思惑通りだったということか。けれどそもそもの理由が、まだわかっていない。


「……なんで、あたしと話を? いいえ、話をしようって態度じゃないわよね。さっきのは本当に殺すつもりだったんでしょ」


 アリエスはゆるゆると首を振ったが、否定の意味ではなさそうだった。そりゃ、明らかに殺しにきてたものね。

 そして口を開く。今、改めて敵として現れた彼女の仕草は、とても優雅だ。


「怖いのよ」


 容姿は変わっていない。地味で印象の薄い少女のはずなのだが、僅かに青褪めた顔色で、震えた声で話す彼女が美しく見えた。


「あなたと出会えば、私はあなたを見なくてはならない。それが望みではあったんだけれど、同時にとても怖かったのです。見てしまっては、最後まで関わらなければならない、そのことを悟っていたから」


「何の話をしているのか、ところどころわかんないのよ。つまり、あんたの目的はなんなわけ」

 「見る」だとかなんだとか、全くわからないわけよ。

 アリエスは一瞬口を閉じ、それから、口の動きだけで、一つの単語を表した。



『天使』



 かっと頭に血が上る。


「どこからそれを知った!!」


 あの陰気魔術師といい、この女といい、どこからそんなことを嗅ぎ付けてくるのか。今まで、誰に話しても信じてもらえなかった、誰にも見えなかった存在であるのに。

 あたしの剣幕に、クラウドがびっくりしてこちらを伺っている。その存在を知らないであろう彼は、アリエスが何を言ったのか分からなかったのだろう。

 しかしアリエスは、私の詰問には答えなかった。


「私の目は、あの存在によってならきっと治るわ。そのためには、あなたと関わることが必要なのです」


 天使。あいつはそんなに万能なのだろうか。

 あたしにとっては、ただ残酷な存在であるだけだけど。


「私は、未来を『見』ることができる。あなたのことを『見』れば、きっとあれのことも知ることができるわ。でも、影を通じただけではやはりきちんと『見』ることができませんでした」

「影?」

「言ったでしょう。私にできるのは影を作ることだけ。影と言っても、あの物語のものとは違う、あなたの言うような偽物ですけれど」そう言って、アリエスはクラウドを見た。


 それから、まだ何のことか掴めないあたしに向かって口だけで微笑んだ。


「『あなたは失われないけれど、あなたは失う』……」


「……!!」

 そうか、今さら思い出した! カームから飛び出したあと、立ち寄った村の女魔術師だ。確かにあの声は誰かに似ていると……あの姉妹に似ている声だったのだ。


「あんな抽象的なことしか、見えないの。あんなのでは、あなたとあれが、私に何をもたらすのか分かりはしない。でも私は、ここを離れることができない。だからあなたに来てもらったの」

「離れることができない?」


 町の中は普通に出歩いていた。って、あれは、影なのか。


「この町の壁は、魔術でできているって、言いましたよね?」


 案内人の口調になって、アリエスは言う。


「今、この壁は私が維持しているのです」


「……は?」

 別に、『いやいやご冗談を』みたいな意味で聞き返したんじゃない。単純に、言っている意味がわからなかったのだ。


「今この壁を作り、保持しているのは私です。私で百三十二代目になります」


 ……あの壁って、個人で作ってるものなわけ?

 まだぽかんとしているあたしに、アリエスは説明する。


「この壁を維持するのは、別にこの町の出身者でなくても、どこかの一族の跡取りでなくも構いません。条件は二つ、この町の壁を守る意思と、それができるだけの魔力を持っていること」

「……はあ……」

「私の金色の瞳は珍しい、と言いましたね。なぜ珍しいのかと言えば、その瞳の保持者は膨大な魔力を得ると言われているからです。実際、私の魔術の才能は同年代の者たちを大きく上回っていた。加えて、未来を見通す目を持っていた。サンドラは魔術の町。多くの魔術師が、私の目をほしがりました」


 いつの間にか彼女の足元には白い椅子があった。アリエスはそこに腰掛け、あたしたちの頭上遠く、何かを思い出すような眼差しを向ける。やっぱり唐突に、いつの間にかアリエスの過去の話になっていた。


「そして姉たちは私を売り、私は罠にかけられ、瞳の色を奪われた。けれども、瞳の色を移したはずの魔術師の目は、ただの明るい黄色に変わり、魔力はちっとも増えなかった。他方、視力を失った私の魔力は、失われるどころかいっそう増したのです」


 クラウドが一瞬よそ見をした。こいつ、多分何言ってるかわかんなくて集中力切れてるな。表情だけは真面目そうだけど。ってあたしもよそ見してる。


「そのころ既に、私はこの町の壁を維持する役目に就いていた。だから私を失うわけにはいかない。この町の魔術師たちは揃って私に頭を下げました。どうか、このままこの町にいてくれと」


 つまり、アリエスの目を奪うのは、ある程度大きな勢力が関わっていたということなのだろうか。おそらく、奪った彼女の目を使って平然と町の壁を維持することが許される人物であったのだろう。そして、失敗したとき、町の魔術師全体を巻き込んで尻拭いをさせることができるような。


「別に構わなかったわ。知っての通り、私は簡単な影ならあらゆる場所に出現させることができますし、影を通してでも、なんとなく未来を見ることができましたから」


 それが、あの村での占いだったってわけね。本当に怖かったんだけど、あれ。

 そこでアリエスは視線を下げた。今度はあたしたちを通過して、足元を見る。声音も合わせて低くなった。


「……でも、あの人たちを許すことはできなかった」


 あの人たち。目を奪った魔術師だろうか。

 あたしはそう思ったが、クラウドが声を上げた。


「あんたの姉妹?」


 アリエスは小さく頷き、続ける。


「私が影ではどうしてもできないことを、あの人たちにしてもらうことにした。私は普通の人より長く生きることがわかっていたから、あの人たちの時間を止めた。もう何十年前の話かしら……」


 何十年もの間、あの姉妹はこの少女に従い続けていたのか。一度の過ちを償うために。


『家族は?』

『いません』


 それは、アリエスのことを思い出したからだろうか。姉妹の絆が壊れたときに、『家族』という形はなくなってしまったんだろうか。あるのは、使役するものとされるものの関係、ただそれだけ……。


「だから、あなたが気にする必要はないのです。あの女は、妹を生かすために自死したのではなく、この世で生きることから逃げたのですから。長く生き、私に怯えることから逃げたのです」


 アリエスはふうとため息をついた。視線の先には、明るくなったことで再び現れた、アリエスの偽物の無惨な死体。ついでにあたしたちの偽物の死体も近くにあったけど、まあそれは今はどうでもいい。


「ちっぽけな恨みってことはわかっているわ。でもどうしても、この人間臭い、くだらない気持ちを捨てたくはなかったの」


 ついと指を振ると、四体の死骸は忽然と消える。

 そして少女はにっこりと笑った。


「私、自分と同じ顔の人間が無惨な目に遭っているのが好きなの。悪趣味でしょう」


 

 思い出したようにアリエスは手を差し出す。


「どうぞ、お座りになって」


 気がつけばあたしたちの背後にも二つ、白い椅子が現れていた。もちろん、座りはしない。アリエスもそれ以上勧めることはなかった。


「私はあなたを『見』たかった、と同時に、答えを知るのが怖くて、あのようなことをしたのです。死んでしまったとしたら、それでもいいかもしれない、そう思って」

「死んじゃったらそれはそれでって? そんなんで殺されたらたまったもんじゃないわ」

「でも、あなたたちは死ななかった。こうして私の前に姿を見せてくれたのですから、『見』ないわけにはいきませんね」

「見られてあげたら、手配を解いてくれるわけ?」

「それはわかりません。あなたがあれに関わっていることは確かだけれど、もしかしたら、あなたを害することで、あれに接触することができるのかもしれませんから」


 まあ多分そんなことはありませんよと気軽な口調でアリエスは言うが、そんなの信用できるわけない。


「そんなこと言われて、黙って見られるわけにもいかないわね」


 それを聞いたクラウドが、嬉しそうにナイフを構えた。きっとようやく自分の分かる話になってきたと思っているに違いない。脳筋なやつだ。


「クラウドもやる気みたいだし? さっさとあんたをぶん殴って、なんでも言うこと聞いてもらうようにしようかしら」

「それは困ります」


 アリエスは立ち上がった。


「見てください。私、いかにも貧相な体つきをしていますでしょう。あなたに殴られたら、私、簡単に吹っ飛んじゃいます」

「人を筋肉だるまみたいに言いやがって」

「言っていませんよ」

 ま、まあ、言っていないと言われればその通りだけど。別に卑屈になんかなってないもん。そんなにムキムキじゃないもん。


「だから、殴られないようにしますね」


 彼女がそう口にした途端。

 部屋全体がぐらりと揺れる。



 最初の印象通り大きな部屋だった。小さな農家なら余裕で入るくらい。その壁や床は全部白い。きっと、魔術で作られたという町の白壁と同じものなのだろう。

 ……あ、だから動くのか。

 光源もないのに明るい部屋の中、白壁が今、ぐねぐねと蠢いている。

 はっきり言ってかなり気持ち悪い。白い中で白いものが動いていて、虫みたいな感じもするし、水の淀みみたいな感じもする。形容しがたくてなおさら気持ち悪い。


「な、なによこれ……」


「言ったでしょう。今この壁は、私が作っている。いわば、あなたは私の魔術の真ん中にいるのですよ」


 ええー、ひたすらに気持ち悪い。

 逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、なぜか足が貼り付いたかのように動かない。「かのように」っていうか本当に貼り付いているみたいで、膝やなんかは動くのに、足の裏だけがぴたりと離れない……。


「魔術ってのはどこまでも便利よね、全く」

「そんなに便利でもありませんよ。いろいろ面倒くさいんです」


 いつかの魔術姉妹みたいなことを言いつつ、アリエスは余裕の表情であたしたちを見下ろす。今度は、動いていた左右の壁が少しずつ、こちらに向かって迫り始めた。


「ひいっ、やめ、やめなさいよ!!」

「嫌ですよ。私があなたたちを拘束するには、これしかありませんもの」


 他にもあるでしょ! なんでよりによって、こんなホラーなやり方なのよ!

 がむしゃらに動かした腕が、さらに近づいてきた壁に触れる。なんだかむにゅっとした感覚のあと、腕も動かなくなった。身をよじると、クラウドの身体にぶつかった。こいつもあっさり動けなくなってやんの。


「私を殺せば、礼緋さんの賞金はかかったままですよ」


 ナイフを投げつけようとしたクラウドに、アリエスはそう脅した。思わず動きを止めた男に壁が迫り、その腕を固定してしまう。


「足の裏や腕の皮膚をはがせば動けますけど、そんなことまでして逃げなくたっていいじゃないですか。ただあなたは『見』られるだけ」


 アリエスが目を開く、その濁った目の奥底に、光が灯ったような気がした。


「何もあなたに害はありません。ただ、『見』るだけですから……」


 心臓が冷たい手で撫でられたみたいに、ひやりとした。そのまま、ぞくぞくと悪寒が這いよってくる。どこか見るだけよ! めちゃくちゃ気持ち悪いじゃないの!


「や……やめろ!! 触んな!」


 あたしの意志に反してか細い女々しい声が出て、もう四肢を動かすこともできない。

 あたしの中が、覗かれていく……。




 突然、がっと側頭部を殴られた。




「っだ!!」

「あ、ごめん」


 横を見ると、腕を振りかぶったクラウド。もがこうとした腕があたしにヒットしたらしい。


「夢中で動かしてたらぶつかっちゃった」

「ちゃった、じゃないっつうの! こんな狭いところで暴れたらそりゃ……」


 ……なんで暴れられるんだ?


 クラウドもそれに思い至ったらしく、不思議そうに両腕を見る。

 彼の腕はいつの間にか自由になっていた。


「あれ、なんでだろ」


 そう呟くのを聞くに、クラウドも理由がわかっていない。とっさにアリエスの表情を確認するが、とくに変わった様子は見られない。見えてないから気づかないのか、壁の動きで気づいているが表情に出していないだけなのか。


「って、ぼーっとしてる場合じゃないわよ、さっさと……」


 あの女ぶん殴って、この壁を止めさせるわよ!

 と言おうとしたとき、身体がぐんと持ち上げられた。

 壁に捕われていたはずの身体はあっさりと浮き上がり、あたしはくの字に抱え上げられたまま、その場から遠ざかる。

 クラウドが、あたしを背に担ぎ上げて走っている!


「ちょ、ちょっと、何してんのよクラウド!」

「何って、こんな気持ちの悪いとこ、さっさと逃げた方がいいって」

「逃げたところでどうするっていうのよ! あの女をどうにかしないと手配がかけられたままだし、何より、」


 どこまで逃げたって、ここは白壁だらけじゃない!


「だから、礼緋チャン担いでるでしょ。俺はなんでか、この壁に捕まらないで動けるみたいだし」


 呑気にしゃべっているようで、クラウドは全速力のようだ。あたしを担いでいるからスピードは落ちてるんだろうけど、瞬く間にこれまでいた部屋を逃げ出し、どんどんと廊下が過ぎ去って行く。ここに来るまでに何度も道を曲がったはずだが、クラウドが通るとその壁も、生き物のように慌てて避けていく。前に向き直り後ろを見ると(変な表現だが、あたしにとっての前はクラウドの背中側なのだ)、避けた壁はあたしたちの通ったあとどんどん元に戻っていった。どこまでも気持ちの悪い壁。もうきれいだなんて思えないわ、これ。


「大体なんであんた、動けるのよ」

「知らないよ! ちょっと本気で走ってるから黙って」


 こいつ、あたしに指図しやがった。けどこれ以上はあたしも舌を噛みそうなので黙る。問いつめたってどうせこいつに理由なんて分かるはずないし。

 本当、どうなっちゃうわけ、あたしたち?

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