影-2
2015/8/6改訂しました。
とはいえ、ナイフさばきはあまりうまくないあたしのこと、なかなか相手に迫れない。『影』の方も力量に差はないようで、お互い牽制どまり、どちらも傷一つつけるに至らない。
「まどろっこしいわねー」
いい加減いらいらして、腰の銃に意識をやったとき、再び暗がりから男が転がり込んできた。
「クラウド!」
「こいつ、変だ」
クラウドは素早く立ち上がり、あたしに背を向けて身構え、唸るような声を出した。珍しく息を切らしながら『変』だという根拠を続ける。
「斬りつけても全然堪えた様子がない。それどころか、気づかないうちに俺がやられてる。狙ったみたいに全く同じとこだ」
見ると、彼の腕からはだらだらと血が流れている。確かにそこは、先ほどクラウドが『影』斬りつけたのと同じ箇所だ。
「……?」
あたしの脳裏に、『影』の物語がよぎる。
……影は、偽物ではない。本当に、そのひとの『影』なのだ。影なくしては、ひとは生きられぬ……
そう、「影に殺される前に殺す」というアリエスの言葉に違和感を覚えたのは、そのせいで……だから、影を殺されたアリエスは……。
あたしはようやくはっと思い至り、また闇へと消えようとするクラウドに向かって叫んだ。
「クラウド! そいつと戦っちゃだめ!」
クラウドは不可解だ、という表情を見せた。
「戦わなくてどうしろって? こいつ、俺を殺しにきてるってのに」
クラウドはまだこちらを見ない。彼が見つめる先、闇の向こうから人影が現れようとしている。
「そいつはあんたの影なのよ! あんたが斬りつけたところが、あんた自身の傷になってるのよ」
そこまで言ったところで、今度はあたしの『影』がすぐそこまで迫っていた。あたしは身をよじって避け、ナイフを振りかぶる。案の定、それは外れ、あたしたちは再び距離をとる。
あたしの読んだ物語、そこでは、影を傷つけると自分も傷つくとされていた。もちろん、影を殺せば、自分も死ぬ。……アリエスは、影を殺されたために自分も死んだということになる。
「……じゃあ、どうやって倒せばいいのさ? このまま黙って殺されろって?」
いらいらとクラウドは言う。確かにあたしたちが動きを止めたところで、影たちの動きが止まるわけでもない。あいかわらず、あたしたちの命をまっすぐに狙ってくる。
物語はどうなっていた? 伝説が本当なら、主人公はどうやって影を倒していた?
あたしは必死に記憶を探る。
……何度斬りつけても攻撃は効かなかった。否、効いてはいる。ただそれと同じだけ、自分が傷ついて行くのだ。向かってくる『影』に刃を向け、確かに斬りつけたと思った瞬間、仲間たちは同じ場所から血を噴き出して死んでいった。
王宮に仕える良い魔術師は、旅立つ王子にこう助言した。
『魔術は立ち向かうものをはねのけるだけの力を持っている。それを制する方法は三つだ。それ以上の力で臨むこと、その力を受け流すこと、そしてその力を受け入れることだ』……
頬に刃が掠った。急いで跳び退り、向き直るといつの間にか、あたしの『影』の頬にも血がにじんでいる。本当に、こいつはあたしの影なのだ。こういうとき、あの魔術姉妹ならどうにかできるのだろうか。無理そう。
……王子に魔術は使えない。この『影』を退ける大きな力も、戦わずに避ける能力もない。彼は自分が思いついた最後の可能性をすぐに信じることはできなかった。なんといっても、『影』は武器を持ち、こちらに向かってくるし、仲間たちは実際に殺されているのだから……
ここまで思い出して、あたしは物語の主人公と同じくその解決法を疑う。
そう、そんなに難しいことじゃなかった。このシーンは物語で一番有名なシーンなのだから。でも、そんなこと、本当にあるのだろうか?
……王子はナイフを置き、刃を向け迫ってくる『影』に相対した。そしてそのまま、心臓にその刃を、……『影』の体ごと、受け止める……
一瞬だけ目を閉じて、そして開く。
物語と一緒なら、受け入れれば『影』は消える……ううん、『影』と一緒になる、はず!
あたしは向き直り、『影』の構えるナイフの、刃先を真正面から見た。
『影』はまだあと数歩の距離にいる……その足が地面を蹴った!
『礼緋チャン!』
クラウドの声が聞こえるが、奴は遠く離れている。
『影』が飛び込んでくる。
……王子は影とひとつになった。敵は消え去ったのだ……
あたしはだらりと両手を下ろしたまま、『影』を待つ。
確証はない。確証はないけれど、でもここまで『影』の物語と同じなのだ。こうするしか……。
瞬間、あたしの頭の中で、何かがちらつく。何かが、あたしに警告している。
何か? それは何?
あたしの直感?
でも、あたしの推測は正しいはず。こいつは影で、影と直接戦えば、自分が傷つくだけ。倒す方法は、相手を受け入れることで……。
『本当に、そいつは影か?』
その直感か何かはより明確な声になって、あたしの頭を突き刺した。
時間が引き延ばされたみたいに感じる。目の前の『あたし』が、ゆっくり地面を蹴っているのが見える。
そいつは本当に影か?
『それしか方法はないのか?』
方法はないの。論理的な結論よ。一瞬の直感なんかで、全てを台無しにする気?
でも声に怯えるみたいに、あたしの手は彷徨い、いつの間にか銃にかかっている。
声は、最後には命令になって、あたしの腕に雷を落とした。
『撃て!!』
あたしは反射的に銃を構え、引き金を引いた。
血が逆流するような感じがした。
どくどくと鼓動の音がいやに響く。
あたしは荒い息を吐きながら、立ち尽くしていた。
その数歩先には、倒れ伏す人影。
……あたしの影が、心臓を撃ち抜かれて死んでいる。
「な、なんてこと、したの……」
自分で自分に呟く。
物語に沿うんじゃなかったわけ。影を殺したら自分も死ぬ、唯一の攻略法は影を受け入れることだと、自分なりに推測を立てたのに。
あの声は? あたし自身、なのか? 直感の声、とでも言うんだろうか。
じゃああたしは何を感じ取ったんだ?
「礼緋チャン、そいつらは『影』でもなんでもない、ただの偽物だよ」
いつの間にか、クラウドがすぐ隣に立っていた。
「よく見て、礼緋チャン」
男はあたしを一瞬振り向くと、右の方へ走り去る。見ろ、と言ったのに、闇に紛れてほとんど見えない。『影』であろう人影がちらりと見えたくらい。そこに向かってクラウドは足を踏み込んだ。
薄暗い中に銀の光が閃く。続いて、どさりと何かが倒れる音。
その音まで聞いて、あたしは自分が死んでいないことに気がつく。
「あれ……」
近寄って確認する。あたしの『影』は、間違いなく死んでいる(元々生きていたのかって疑問は考えないこととして)。心臓を撃ちぬかれたのだ、当然だ。
じゃあ、どうしてあたしは死なないんだ?
クラウドが去っていった方向、何かが倒れる音がした方へ向かう。何かって、想像はつくけど。
おそるおそる近づくと、クラウドの姿をした男が血を流して倒れていた。
そしてその横には、生きて立っているクラウド。
「こいつらを殺したって、なんの問題もない。騙されてたんだよ、礼緋チャン」
「な、なんで、でもあんた、影を斬ったら自分もとかって……」
そう言って見たクラウドの腕には、傷一つない。
「騙されてたって言ったろ。途中から礼緋チャンに話しかけてたのは、俺の偽者だ。あの女の子もきっと偽物か、サクラだよ」
本物のふりをしてしゃべるだけ。もともと本物のクラウドにつけられた傷なのだから、同じ箇所にあって当然だ。アリエスが同じところから血を流して死んだのは、時間経過とかあの『影』が死んだらとか、条件付きで血を流すように作られた偽物だったということなんだろうか。
よくよく考えてみれば、あたし自身実体験をしていない。あたしが傷つけられた後、影は同じところから血を流したけど、その直前、一瞬だけどあたしは影から目を離している。そして影にはあたしは傷を付けていない。『影を傷つければ自分も傷つく』クラウドがそう言ったからだ。……そう言っていたのがクラウドの影だったわけか。確かに、『影』はなんとなくしゃべらないイメージでいたから、普通に話しかけてきただけで本物だと思ってしまっていた。
「……って、あんたが本物っていう証拠もないわけだけど」
「え、そこ疑うの」
当然だろ。さっきまで騙されてたわけだし。なんかいつもより頭良いっぽいところとか、ちょっと怪しいわよね。
「大体いつから入れ替わってたわけ」
「最初に俺が暗がりに飛び込んだでしょ。そのとき、闇に紛れて自分がどこにいるのかわからなくなった。その間に偽物が出て行って、礼緋チャンに話してるのを聞いた」
「声が聞こえてるならあんたも叫ぶなりすればよかったでしょ」
「呼びかけたよ。礼緋チャンには届かなかったみたい。なんかここ変な空間だし、不思議なことじゃない気がするけど」
うーむ、それを言うと、全部『魔術が絡んでるから』で思考停止しちゃうんだよな……。やっぱりこいつばかかも。本物のクラウドかな。
まあとりあえず、あたしたちは自らの偽物を打ち倒したわけだ。
腰に手を当てて、周囲を見回してみる。
「黒幕さんは、いるのかしら?」
呼びかけに答えるように、さっと辺りが明るくなった。
まぶしくて思わず目を閉じる。まぶたが閉じる瞬間、目の前に人影が見えた。
「……また、あんたなわけ?」
クラウドの呆れたような声。そっと目を開けると、先ほどよりはまぶしくなくて、やはり一瞬見えたように人影がそこにいた。
…………また、あんたなの?
不本意ながら、クラウドと同じ感想を抱く。
そこには、アリエスの姿をした少女が立っていた。
幸の薄そうな顔。閉じられたままのまぶた。きゃしゃな体つき。
「ごめんなさいね、礼緋さん。私があなたを呼んだのです」
少女は、悪びれた様子もなく言った。
「あんたは、アリエスなの?」
「そうです。今日一日、あなたたちをご案内したアリエスです」
そう言って、アリエスは微笑んだ。その笑顔は確かに、日中見ていたアリエスの穏やかな表情と一致する。
「下っ端と思っていたのがボスだったってオチなわけ」
「別に、ボスではありませんけれど」
「どーして、こんなまわりくどい方法であたしたちを襲ったのよ」
「だって、私に力はないんですもの。こうして、偽物を作って戦わせるくらい。でもそれも、強いあなたたちは倒してしまうかもしれないから、影の話を吹き込んでみたのです」
そしてそれに、あたしはまんまと引っかかったわけか。実際影でもなんでもない、あの偽物と同化しようとあのまま抵抗をやめていたら、あっさりと殺されていたんでしょうね。
「そもそも、なんで殺そうとしてたわけ? やっぱり、あんたの姉さんを死なせたから?」
「いいえ」
そう言って、アリエスはまぶたを開いた。しかしそこにあるのは、やはり朝見たのと同じ、白く濁った瞳。
「だってそもそも、あなたを襲うようにあの人たちに指示したのは私だもの」
作者はアクション描写ができないってことがわかりました。
やってみたかったありがちネタそのさん、下っ端がボス