影-1
残酷な描写があります。
2015/8/6文章改訂しました。
クラウドは、首を傾げながらアリエスに……というより彼女についていくあたしについてくる。どうして抵抗もせずに連れて行かれるのか不思議なんだろう。確かに本性を見せたのだから、締め上げでもして目的や親玉の居場所を吐かせたっていいんだけど。
でも、もともと親玉のところに行きたかったんだから、案内してくれるなら楽ちんだし、……あんまりアリエスと敵対したくないってのもある。もうこの顔の少女とは戦いたくない。一人死なせといて、わがままなのは承知だけどさ。
やはり目が見えないとは思えない足取りで、少女は歩いて行く。相変わらず美しい白壁が続き、その整然とした並びに方向感覚が失われていく。多くの人がいたはずが、いつの間にかあたりには人っ子一人いなくなっていた。
「この町が手配の発端のはずなのに、誰もあたしに反応しなかったわね。あんたが何かしてたの?」
もうばれているのならと、堂々と町を出歩いていたが、手配は依然としてかけられていたはずなので、誰かが反応してもおかしくはなかった。よほど平和ボケした町なのか……とは思いにくいが。
「私、気配が薄いでしょう?」
「……そうね」
背後に立たれても気づかれないくらい。
「だから、一緒に歩いているとあなたたちも見過ごされちゃうんですよ」
あっさりとアリエスは言う。どこか冗談めかしているようにも聞こえるし、至極当然のことを言っているだけのようにも聞こえた。
……え? 嘘よね? 本当なわけないわよね?
「あんた、本当に見えないの?」
アリエスは、見えないとは思えないほどすたすたと歩く。確かに、見えていれば視界に入るであろうものに反応することはなかったが、人にもぶつからないし、探る様子もなく階段や曲がり角も進んでいく。
「疑っているんですか? 無意味だと思いますけれど」
「どう言う意味よ」
「私が見えていたって、見えていなくたって、関係ないでしょう?」
妙にひねた言い方をするわよね、この女。多分、悪気があるんじゃなくてこういう言い方しかできないタイプと見た。なお悪いけど。
しかしすぐにアリエスは薄く笑った。
「まあ、本当に見えませんけれど。打ち明けてしまうと、この町は私の庭も同然なのです。この町にいる限り、どこでも迷わずに行けるわ」
それを裏付ける証拠もないけれど、とりあえず信じてみることにする。彼女の言う通り、実際見えていたとしても、あんまりあたしたちには関係ない。
「クラウドさんは、家族はいますか?」
アリエスは、今度はクラウドに訊ねた。どうして、そんなに気にするのかしら。
「いない」
クラウドは即答する。
「いたこともない。『家族』って言葉なんて、最近知ったよ」
妙に突っかかる言い方をする。これはなんか、トラウマかコンプレックスがあるな。
「そうですか……家族なんていなくたって、生きていけますよね」
「家族のために死ぬ人間もいるんだろ。いない方がいいのかもしれない」
「そうでしょうか……」
アリエスはうつむいた。目が見えなくても、そんな動作はするんだな。下を向かなくたって、いつでも、何も見えやしないし、視界は暗いはずなのに。
「私、本当は、姉たちのことを恨んでいるんです」
そういって、彼女は自分の身の上話を始める。最初会ったときから(って言っても、アリエスと会ってから一日も経ってないけど)、彼女の話はどうにも唐突だ。
「私たち三姉妹は、この町で生まれ育ちました。保護者はいなかったから、三人だけの家族。唯一の家族と信じていました。三つ子だもの、心からつながっていると思っていた。でも、あの人たちは、わたしのことなんていらなかった」
アリエスは顔を上げ、あの頃私の目はまだ見えていたと呟いた。
「もともと生活は苦しかったのです。わずかなお金のために姉たちは私の目を売った。私は視力を失い、姉たちは逃げました。さっきの話は全部逆。私のために町を出たなんて嘘です。私から逃げるために、出て行った」
彼女の声はいつしか掠れていた。それは悲しみ故か。
「あなたの目を? どうして」
「私の目は、金色をしていた。物珍しさで取引されたのでしょう」
悪趣味な貴族の間で、目の色を移す魔術が行われていることは知っていた。容姿を美しくする魔術の一種だが、奪われた方が視力を失うというのは初めて知った。
家族に裏切られたと悲しそうに悔しそうに少女は話すが、正直あたしにとってはそんなに重大なことのように思えなかった。クラウドも同様のようで、それよりもそんな話をどうして今始めたのかとでも言いたそうな顔をしていた。それを感じたのか、アリエスは表情を消し、前に向き直る。
「いい加減長い道だったので、無駄話をしてしまいました。もうすぐ着きますよ」
「それで、裏切られたあなたは、今何をしているの?」
話が蒸し返されると思っていなかったのだろう、彼女は一瞬息を呑み、それから答えた。
「……目を取り戻したいのです」
あるいは、あたしが彼女の盲目を疑ったから、そんな話をしたのかもしれない。
いつの間にか、薄やみの中でも白く光っていた壁はいっそう高くそそり立ち、ここは大きな屋敷、いや城郭の中のようだ。周囲を白壁で囲まれているから、暗い中なのに足元は明るい。
「どこへ向かっているの? 本当に、大貴族さまだったようね」
「貴族じゃありませんよ。権力はあるようですけど」
「結構知っているのね」
その口ぶりに、あたしはアリエスが単なる下っ端ではないことを悟る。今だって、仲間の誰かに引き渡すということなく、この城の中を勝手知ったる足取りで動き、複雑な道を進み続ける。何かの符牒を確認することもないから、本当に身体に染み付いているかのようだ。あたしはといえば、今すぐ解放されても歩いて脱出は困難だろう。あたりは同じような白壁で、既に方角すら見失ってしまっている。
「ここですよ」
少女がようやく立ち止まったのは、一つの扉の前だった。重厚な作りをしていて、こんな城にはあっているようだが、明るい白の軽さには似つかわしくないように見える。
「誰が待っているのかしらね……」
「私は案内しただけです。案内役ですから」
言って、手を伸ばす。扉に指先が触れて、そこから把手を探り掴んだ。
彼女が扉を開けた。外から様子がうかがえないほど、中は暗かった。
アリエスを伺うが、彼女はあくまであたしたちに先を譲るつもりのようだ。室内へ目配せをして、自身は把手に手をかけたまま、動かない。
「どうしました?」
「あんた……、目を取り戻したいって、そのためにこの中の奴に従っているの?」
アリエスは答えなかった。
「早く、入ったらどうです?」
一歩足を踏み入れても、やはり中の様子は分からなかった。窓一つないのだろうか。
「誰かいるの?」
もう一歩進むと、アリエスも入室し、扉が閉められた。あたりは真っ暗になる。
「こんな暗い中で、何をしようっていうの……」
「そもそも、黒幕が待ってるって決まってるわけじゃないんじゃ……」
クラウドが至極もっともなことを言った。あたしだって分かってるわよ、うるさいわね。
それにしても声が妙に反響して、どこから来ているのかわかりにくい。すぐ横にクラウドがいるからわかるものの、こんな暗い中で誰かが話しかけてきても、そいつの居場所を掴むのは難しいだろう。かなり広い空間のようだ。
灯りを用意した方が良かったかしら。
しかし少しずつ、目は慣れ始めていた。この部屋の壁も魔法の白壁だったらしい、光源らしい光源はないが、壁自体がほのかに白い光を発しているようだ。背後の壁から、それはわかった。
と、少し遠くでアリエスの声が聞こえた。
『待っていたわ……』
「ん? アリエス、何を待っていたの?」
訊ねたあたしに、硬い声が返事をした。ぼんやりと見え始めたその姿は、声からは想像できないほど近くだ。
「……私、しゃべっていないわ」
急に、目の間に人影が現れる。多分ずっとそこに立っていて、目が慣れたことでその存在に気がついたんだろう。とにかく、それはきゃしゃな少女だった。
その容姿に、あたしは思わず声を漏らす。
「あ、あんた……?」
クラウドも、声こそ出さないものの、息を呑む。それを感じて、アリエスが怯えた声を出した。
「ねえ、何が見えているの?」
「な、何がって……」
あたしにだって、どうなっているのかわからない。「何」が、と答えることはできるけれど……だって……。
答えないあたしたちに焦れたように、アリエスは再び問いかける。否、問いではなく確認だった。
「ねえ、そこにいるのは女じゃないの? 私と同じ格好をした?」
「……!!」
沈黙、あるいは息を呑んだ音を肯定と受け取ってか、彼女は一歩足を踏み出す。
その真向かい立つ少女は、確かに、アリエスと顔も服装も全く一緒だった。今違うのは表情だけ。強張った表情のアリエスに対し、少女は無表情で、まぶたを閉じたままだ。
「誰なんだ? 三つ子のお姉さん?」
姉ではない。姉ではないわ。似ているといっても、アリエスと見まがうほどじゃなかった。この少女は、アリエスそのままだ。
これが、『影』……?
混乱して声も出せないあたしの疑問にアリエスが答えた。
「姉さんなのか、影なのか、どちらでもいいわ。どちらにしても、私はあんたを憎んでいるもの」
「憎んでって……」
「私を捨てて逃げた姉さんも、私を殺して乗っ取りにきた影も、どちらも大っ嫌い!」
吐き捨てるように言って、アリエスは懐からナイフを取り出した。あたしに突きつけられたものと同じナイフ。よく見ると、きれいな飾りが彫り込まれていた。
『よく言うわ。もう姉さんには十分な罰を与えたでしょう』
同時に目の前の少女……アリエスと全く同じ顔の少女も刃物を構える。あたしはものすごく嫌な予感がした。
少女はまっすぐ、こちらが見えているかのような足取りでこちらに向かっている。否、アリエスの影だからと言って、同じく見えないわけでもないのだろうか……。
反対にアリエスは、恐怖で足を震わせ、反響する足音にどこを向いて良いのかすら分からない様子だ。気丈にナイフだけを突き出し、ふらふらと歩き出す。
「私は、私は殺されたりなんかしないわ……」
「ちょっと、待ちなさい。何もあんたがやらなくても」
『あたしが、』と続けようとして、その言葉を飲み込んだ。
あたしが、どうするのだ? あたしが殺してやるのか? 何だってこんな他人のために人殺しなんか……。
考えに立ち止まった刹那、闇に紛れて、少女がこちらに飛びかかろうとするのが見えた。
あたしとクラウドは同時に走り出した。
あたしはアリエスを突き飛ばし、クラウドが少女の首を掻き切る。
ぶしゅうと血が噴き出し、『影』の少女は倒れ伏した。
アリエスを突き飛ばした勢いで一緒に倒れ込んだあたしは、一瞬その光景を呆けて眺めた。しかしすぐに我に返り、すぐ下にいるアリエスに向かって話しかける。
「……ほら、あんたの影はもう死んだわ。これで……」
ぶしゅう、と液体が噴き出す。それはあたしの顔から胸にかけてまともに降り掛かった。
鉄臭い、水よりも粘度のある液体のことを、あたしはよく知ってる。
……でもなぜ?
あたしの身体の下、儚げな少女が、アリエスが、首から血を流して死んでいた。ほのかに白く光る地面が、それを僅かながら照らし出す。
「どういう…」
「礼緋チャン!」
声に反応するより一瞬早く、気配を感じて体が動いていた。身をひねり際に視界に入るのは、……赤毛? 自分の? 振り返り確かめた人物の人相はどこか見たことのあるものだ。あたしと同じような赤毛は珍しく、こんな姿の人物に会えば覚えているはずなのに。
あたしはあたりを確認した。先ほど部屋の中央に向けて走り出てしまったせいで、入り口から離れてしまっていた。光源は地面だけで、周囲十歩先は、もう何も見えない。
ばっと暗闇の向こうからクラウドが飛び出してきた。あたしに構わず、すぐに方向を変え、何かを睨みつけている。
あたしの視線は自然とクラウドが向かう方へ、そのあとあたしの目の前に立つ見覚えのある人物へ、交互に動く。クラウドが相対しているのは、彼本人に酷似した容姿の……まどろっこしい。もう一人、クラウドが立っていた。それから想像するにおそらく、あたしの目の前にいるのは……
「ごきげんよう、あたしの『影』?」
あたしの軽口に、そいつは答えずまっすぐにあたしを見つめている。その手にはナイフ。銃ではないことに少しほっとする。
鏡なんてそうそう見ることがないし、見ても実際にあたしの顔が目の前に現れればそれは左右が逆の顔なのだ。ぱっと見で分からなかったのもまあ頷ける。少女の影が出た時点で思いつくべきだったとはわれながら思うけど。
アリエスはこのことを言いたかったのだろうか。『影』の話は確かに唐突だった。彼女はこいつに脅されていた?
たくさんのことが起こりすぎている。頭は「情報を整理させてくれ」と叫んでいるような気がするけど、今するべきなのは、あたしの目の前にいる『影』らしき奴をぶっ倒すことよ。
クラウドが飛び出し、『影』の腕を斬りつけた。そのままもつれ合うように、闇の中へ消えていく。
『私は影に殺されたりなんかしない』
アリエスの声を思い出す。
「……あたしだって、そうよ」
ナイフを構え、『影』と相対した。
副題を「影との戦い」にするのはさすがにやめときました。
やってみたかったありがちネタそのに、自分のそっくりさんと戦う