魔術の町サンドラ
巨鳥——ヒッグという種類らしい——の葉包み焼きは、少女の言う通り絶品だった。肉汁がしっかり閉じ込められ、肉の繊維は柔らかく口の中でとろけるようだった。こういう都会では、やはり料理も進んでいる。この調理法自体は昔からあったのだろうが、こうして外の人間も食べられるように洗練され工夫されている料理は田舎ではそうそう食べられない。
「すごいわ、あんた、案内役としてもやっていけそうね」
「ええ、案内役ですから」
うっかり、少女の本業が間諜か殺し屋か、などと考えていたので、案内役も向いているなと思って口に出してしまう。幸いアリエスは当然のように自分は元から案内役だと訂正するのみだった。
店を出て再び町中に立ち、アリエスの案内が再開される。
「さて、この白壁ですが。創王の時代の詩人が詠ったくらい古くからあります。その間、一度も清掃や修繕などをしたことがないと言われています」
「この壁を?」
辺り一面の白壁——今は人の隙間から見えるのみだが——を見渡して、あたしは呟く。壁はどこも輝かんばかりに白く、日に何度も磨き上げていると言われても不思議ではないくらい。
「サンドラは魔術の町だ、と聞いたことはありますか?」
唐突に話が変わったことと、その言葉が初耳だったことに、あたしと、ついでに隣のクラウドは首を傾げた。『白壁の町』というのはよく聞くが、『魔術の町』だなんて聞いたことがない。そもそも、魔術やそれに関わる輩というのは決まって秘密主義で、そんなおおっぴらに宣伝することなんてないのだ。
「そうだったんです。けれど、このご時世魔術を志す人も少なくなってきて、その権威が落ちてきつつあります。魔術師というのは、組織を作ることなく、しかし同志として時に協力し合いながら彼らの道徳に従い裏から世間を動かしています。少なくとも彼らは自分たちをそう評価しています。だから、これまで魔術師として何かを掲げることもなく、わかりやすい象徴を残すこともなかった。けれど、実際は魔術で作り上げたものは少なくありません」
「そのひとつが、白壁ってこと?」
そう口にしたクラウドに、アリエスは満足げに頷く。別に早当てクイズをしているわけではないけど、この男に負けた気がしてなんとなく気に入らない。
「壁、というのは……壁に限らずですが、支持体が必要です。木であったり、レンガであったり、石であったり。それに塗料で色を付けたりするわけですが、この白壁の支持体は、魔術です」
「……?」
よくわからないが、クラウドもわからないといった顔をしていたのでひとまず安心。
「魔術で作り上げた壁に、白い色を塗っているのです。その塗料にも魔術がかけられているので、汚れることも朽ちることもありません」
「なんだかいろいろ話が飛んでいるわね……。それでこの町が『魔術の町』と呼ばれているってことでしょ。今までそんなの聞いたことないし、今魔術が人気ないってことは、最近あえて呼ばれるようになったってこと?」
「ええ」
つまり、もともとこの町の白壁は魔術で作られていて、だから美しく、古くから観光名所として盛んだった。でも魔術師たちはそれを自分たちの作った物だと明かす気はなく、あくまで壁はただの美しい壁だった。それが、近頃魔術の人気が落ちてきていて(まあ地味で陰気な魔術が流行らないのも頷けるけど)——多分、俗な理由だが、後継者がいなくなったのだ。それで白壁の秘密を明かし、わかりやすく『魔術の凄さ』を象徴するものとして祭り上げることにした、ということだろう。
「魔術のメッカとして売り出すことで、改めて物珍しさで訪れる人や、思惑通り魔術に興味を持つ人など、最近特にこの町はにぎわっています」
「なるほどね……」
いちいち感心しながら聞いていると、どんとすれ違う人がぶつかった。
「おっと、悪いね」
いかにもな台詞を吐いてぶつかった男は去っていく。あたしはあんまりそれに構わずに、白壁を眺めていた。きれいだけど、全部魔術でできてるって言われると、なんとなく気持ち悪いな……そう感じる原因の一端は間違いなくあの魔術師師弟にあるだろう。
「お財布、大丈夫ですか」
急にアリエスが呟いた。今ぶつかった男のことを気にしているのだろうか。
「大丈夫よ。この鞄はちょっとやそっとの刃物じゃ裂けないから」
「……ちょっとやそっとの刃物じゃなかったみたいだね」
というクラウドの声に振り向くと、鞄からばらばらと物が落ちている。
「うそお!」
川馬の革は丈夫だ。よくよく研いだしなやかな刃物でも、一度斬りつけたらもはや二太刀は斬れずと言われている。その革でできた、しかも二重の部分をきれいに切り裂かれていた。
慌てて落ちた物を拾い集める。人ごみの中しゃがみこむもんだから、蹴られそうったらない。瓶詰めなんかが割れたりしてなくて良かった。財布は鞄の中じゃなかったし、一番の被害はこの鞄だわよ。結構値が張ったのに。
「川向こうに、鍛造の町があるんです。いくら厚い革でも切り裂くって話です。あなたの驚き様なら本当にそうなんでしょうね」
「へえ」
クラウドが興味深そうな声を上げた。
「川向こうに寄り道なんてしないからね」
「何? 一緒に行ってくれるの?」
行かないって言ってんだろ。
「市場にも、いくらか行商が来ているはずですよ」アリエスが市場があると思しき方向へ顔を向けて言った。
「行ってくれば?」
うん、とクラウドは素直に頷いて、たくさんのテントが張られている方へ去って行った。
しばらく二人で歩く。特に目的はなかったが、アリエスは何か由来や蘊蓄がある場所にさしかかればわかりやすく解説をしてくれた。
そんな中で、唐突に訊ねられる。
「礼緋さん、家族はいますか?」
「いないわね」
両親は故人だし、兄弟もいない。他に家族と呼べるような人だって、いない。
そうですかとアリエスは呟いた。まあ、そんなに珍しいことじゃないのよね。
「私には、二人の姉がいるんです」
「そう」
と軽く相づちを打って直後気がついた。
二人の姉。
……二人の姉妹。
存在感のない、よく似た……。
あたしはアリエスの顔を見る。どこかで見た顔。よく似た姉妹。
表情が暗い。幸が薄そうな。
アリエスの方が雰囲気や表情が明るいから、思い出せなかった。
彼女は、荒野の先の村にいた姉妹に瓜二つなのだ。
あたしは急にのどの渇きを覚えていた。目だけで周りの屋台を眺める。どこかに果汁は売っていないだろうか。
「……そのお姉さんたちは、今?」
「わかりません」
彼女は寂しげに目を伏せる。あたしの動きはきっと端から見たら突然ぎこちなくなっていただろうけれど、彼女が気がつくことはなかったようだ。
「私の目を治すには、魔術師に頼む必要があります。そのお金を貯めるために、この町から出て行ってしまいました。いい稼ぎ話を手に入れたと言って」
『お金が必要なんです』
あの屋敷で死んでいた老婆は、元々の住人? あたしは待ち伏せをされていた?
稼ぎ話を持ちかけた人物がいる?
「よく似た姉妹だったのかしら」
あたしの呟きみたいな問いに、アリエスは淡く微笑む。
「ええ。だって、三つ子だったもの」
微笑む彼女は儚げで、きっと見る人が見れば可憐に映ったのだろう。
けれどあたしには、あのときの姉妹の顔がきれいに重なって、どこか不気味な印象を抱いた。
クラウドが戻ってきた。あたしたちは、青果の屋台を見つけて、果汁を飲んでいるところだった。
「なんかいいの、あった?」
「うーん、とりあえず買ってみたけど。ちょっと大きいな」
確かに取り出したナイフはなかなかにごつい。値も張りそうだ。ナイフを投げつけることもあるクラウドには不向きなような気がした。
「まあ話の種程度にね。意外と使えるかもしれないし」
「ふうん」
あたしはそのへんで興味をなくして、少し人の減ってきた広場を眺めた。
白い壁は、いつの間にか赤く染まっている。
「もう夕暮れ、早いわね」
「みんな言いますね。ここまで旅をしている間は気がつかないのに、この町に来ると急に日が短くなったように感じるようです」
アリエスも目を細めて言った。あたしはそんな彼女をこっそり観察する。
今日一日の彼女のガイドっぷりは、本当に本職じゃないかと思わせた。知識も豊富だし、いい店や品物も教えてくれる。
本当は本当に、ただの案内役?
……けれども、そうではないことをあたしはもう知っている。
あたしの命を狙ってきた姉妹。一人は死んでしまった。アリエスは彼女の仇を取りにきたのだろうか。姉妹のもう一人、姉の方は生きている。アリエスと連絡を取り合っているのかもしれない。
(……待てよ)
……それよりも……、もしかして……、アリエスが、あのとき生き残った姉であるなんてことは……。
「ねえ、礼緋さん」
「…………なに?」
益体もないことを考えていたせいで、返事が遅れた。アリエスは、別段気にした様子もなくあたしに問いかける。
「『影』の話を知っていますか?」
彼女は足元の、己の影を見つめていた。
「え? あの絵本の?」
クラウドは不思議そうな顔をした。知らないらしい。そもそも、こいつあんまり字が読めないらしいから、仕方ないのかも。
でも、結構有名なお話のはずだった。それこそ、『影』の話、といってすぐに思いつくくらいに。
王子が自らの影と戦い、最終的にはお姫さまを救う話。『自らと戦う』というそのテーマが教育的に受けたのか、子どものいる中流以上の家庭には必ずと言っていいくらいその絵本があるという。例に漏れず、あたしの実家にもあった。たくさんの派生の絵本があるが、この本はオリジナルの複製なのだと教わったことがある。
影。……もしかして、この少女が影だったりして。
あのとき死んだ姉妹の姉の……。
そんなわけないか。
さっきから、変な想像ばかりしてしまう。アリエスがあまりにも、あの姉妹にそっくりだからだろう。まあ、三つ子らしいから当然だけど。
首を傾げるクラウドに向かって、アリエスが説明をする。
「有名な絵本のお話なんです。タイトルは、忘れてしまいましたが……。影に支配された国の物語です」
魔術師が、影を生み出した。自分とそっくりそのままの影。魔術師は、彼らを使って国を支配しようともくろんだのである。
物語の主人公は王子さま。さらわれた姫を助けに行く途中で、自分の影がたちはだかる。仲間は皆自分の影に殺されていく……絶望的な展開が、おとぎ話にありがちに淡々と語られる。
「影に殺された者は、その存在を影に乗っ取られてしまうんです」
「ふうん」
クラウドは実に興味無さげに相づちを打った。確かに、なんでこのタイミングでアリエスがこんな話をしだしたのか、よくわかんないわ。
「その影って、そんなに強いわけ。たかが自分でしょ」
自分だから怖いんじゃないの。それに、物語の中の影は確か……。
「ええ、影は所詮自分自身。私は乗っ取られたりなんかしない」
アリエスは呟く。気楽な口調で言ったクラウドに対し、ひどく深刻な声音だ。
「私は黙って殺されたりなんかしない」
アリエスは、すっと立ち上がり、あたしの背後に立つ。
気がつけば、首元に刃物が突きつけられていた。
「ごめんなさい。ついてきてくれますか?」