白壁の町サンドラ
ご無沙汰しております。予告通りサンドラ到着です。
サンドラ。白壁の町として大昔の詩歌にも残っている、古い古い町である。その呼び名の通り、美しい白壁は年月を経ても黒ずんだり褪せたりすることはなく、まぶしいくらいに輝き続けているという。
「っていう話だけ聞いて、あたし実際には来たことなかったのよ」
「そうなんだ。きれいな町だった気がするよ。あんまり覚えてないけど」
クラウドはそう言った。あたしが旅を始めるより前から各地を回っていたというから、このへんにも来たことがあるのか。
「大分前だから忘れちゃった。一旦この辺まで来たけど、折り返して西に戻っていったんだよね」
「ふうん」
ということは、ここよりさらに東は、あたしもクラウドも踏み入れたことのない土地だということになる。
「このへんから川向こうの言葉がけっこう混じってくるから、不便することあるかもね」
「ああ。あんたのことだから、川向こうの言葉もぺらぺらなんでしょ」
「まあ……それなりに?」
『川向こう』というのは、サンドラよりさらに北にある大河の向こうのことだ。今いるこの地方自体がこの国の端っこにあるから、先日あとにしたカームの向こうだってここからもう少し東の方だって違う国にはなるんだけど、川向こうに関してはちょっと事情が違う。
かつて創王が小国をまとめてこの国を作ったっていうのは、この国じゃ路地裏で生まれたがきんちょだって知ってるって言われてるけど、首都から遠すぎる東の地や、地理的に攻めにくい山の向こうとは違って、川向こうは地形的には十分に治められる土地であった。けれどもその時代、川向こうは別の国に支配されていたのである。古くから存在する大国で、小国をまとめただけの新しい王では武力も格式も敵わなかったそうだ。当時は同盟を組んで事なきを得たそうだけれど、この国が安定したあと、創王が死んで三代めくらいにその大国はあっけなく滅んでしまった。今はその名残で、お飾り程度の王を担いでなんとなくまとまっているだけらしい。
昔からわずかな交易以外の交流がなかったせいで、古い文化が未だに残っていて、話される言葉もこの国の古語に近い。あたしは幼いときに教養として古語を習っていたから、文章はなんとなく読めるけれど、川向こうのネイティブと話したことがないからどれだけ会話についていけるかは分からない。
「俺と一緒にいて良かったね?」
嬉しげに言うクラウドがうざかったので、あたしは早く川向こうの言葉をマスターすることを決意する。
「まあでも、サンドラは観光都市みたいだから、買い物とか宿には困らないと思うけどね、多分」
「だといいけど」
数日前から地平線に見えていた白いラインが少しずつ大きくなり、特徴的な尖塔を備えた町の形を作っていくようだった。そして今日、夜明けの薄青い光、朝もやの向こうに、ようやく白い壁がはっきりとした形で目の前に立ち並びつつあった。
「さて、もうすぐサンドラだけど、どうする?」
「そうね……」
言わずもがな、どうやって街に入るか、である。カームのときには髪の色を変えて入ったが、失敗に終わった。今回は大丈夫と信じて同じ手を使うという気にはとてもなれない。
「まあでも今回は、関所なんてないから、潜り込むの自体は簡単じゃないかな」
「どうかしら……。観光地だし、あんまりこそこそしてるのは目立つんじゃない?」
「観光地って言っても古くからのとこだしさ。裏の方は結構いろいろ溜め込んでると思うけど」
「……そうかもね。まさしく『裏』の方ってことか」
観光客が来るということは、歓楽街も併設されているということだ。サンドラは大きな町だが、早朝ということもあって、町に向かう旅人の影は遠くにぽつりと一つ二つ見える程度だ。今、町の正面を避けて裏町の方から入ったとしても見とがめられることはないだろう。
クラウドの予想通り、街道から外れた小径をたどっていくと、見えていた美しい白壁が途切れ、 木材でできた崩れかけの建物が目立つようになってきた。サンドラの裏の裏、歓楽街を支える人たちの生活区域だ。建物の間にこそこそと入っていき、歓楽街との境に向かう。吐瀉物や酔いつぶれて倒れている人を避けて歩きたいけど、下ばかり見ていると不審だし。
「さあ、こうして入れたわけだけど。黒幕さんでも探してみる?」
「って言ってもね……。黒幕の顔もわかんないわけだし……」
お偉いさんらしいってことだけわかっているけど、あたしに心当たりはないし。お偉いさんってことはひとつひとつ忍び込むなんて簡単にできない。
……今さらだけど、本当にあたしたちって行き当たりばったりよね。
「とりあえず、観光がてら補給でもしようかしら」
「俺一人で?」
まあそうだよな。あたしがのこのこと出歩くわけにもいかないし。
でもあたしだって、サンドラの町並みを見て歩きたいんだけど。この裏通りには白壁ないし。
黙ってクラウドを睨みつけるが、クラウドは繁華街があると思しき方角を眺めていて、意に介さず。
と、そこで。
「あの、観光の方ですか?」
「うおわ!?」
少女の声と、続くクラウドの情けない声。どうやら本気で驚いたらしく、背中がびくりと動いてそのまま勢い良く振り返った。
無理もない、あたしだってじゅうぶん驚いた。だって、まるで気配がなかったところから急に声がしたんだから。
そこにはひどく気配の少ない少女が立っていた。中肉中背、美人でも不器量でもない顔立ちだ。一重のまぶたは閉じられたまま、少女は再び薄い唇を動かした。
「観光の方ですか?」
「え、ええ、まあ……旅の途中よ」
……なんだか、見たことのある顔ね。
あたしは記憶を探りながら、用心深く答えた。クラウドもようやく持ち直して、目を細めて少女を観察している。
「そうですか」
「で、何の用かしら?」
問いかけに、少女はほんの少し口角を上げた。目はいまだ閉じられている。
「私、こんな目ですけれど、案内できますよ」
「こんな目?」
少女は頷き、目を開いた。
その目は白く濁っている。
「……」
片腕がない男も、耳がちぎれた女も見たことがあったけれど、怪我ではなく目が見えない人物というのを、その濁った目を見たことがなくて、思わず一瞬黙る。そんなあたしをよそにクラウドは平然と訊ねた。
「何のために案内するの?」
「何のために、ですか?」
「メリットがないんじゃないの。君が、俺たちを案内するのにさ?」
ろくな理由もなくあたしにつきまとう男が何を言うか。でもまあ、確かに、少女の申し出はあまりに唐突だし、その目的も不明だ。
少女は薄く笑って答えた。
「メリット、ありませんかね? 別に、ボランティアとは言っていません。ほんの少しお小遣いがもらえたらなと思っただけです」
こんな目じゃ、他にいい仕事もないんですと少女は言う。
「お小遣いか」
クラウドはちらりとあたしを見る。どうする? とその目はあたしに問うていた。
「……じゃ、お願いしようかしらね」
少女はアリエスと名乗った。
年はあたしより少し下くらいか、しかし落ち着いた物腰で、囁くようにしゃべるから、どうにも年齢が掴みにくくはあった。
あたしは彼女を信用していない。もちろんクラウドもそうだろう。多分この少女は、あたしに賞金をかけている『誰か』の手先か、それにつながる者だろう。手がかりのない状態で、自ら出てきてくれたのなら、それに乗っかるしかない。
こうやってすぐにコンタクトをとってきたということは、あたしたちの行動は筒抜けとは言わないまでもある程度把握されているのだろう。もうばれているのにこそこそするのも変な話だし、堂々と出歩けた方が気楽だ。罠にかかったところで、そうそう簡単にやられるつもりはないし。
……それにこの少女、どこかで見たことがある気がするのだ。
それがどこだったか、どうにも思い出せない。
裏町をあっという間に抜けて、通りに出ればそこは人でごった返していた。カームも人が多かったが、あちらでは無骨な旅人や商人が多かった。サンドラはひたすら華やかだ。
女性のスカートはひらひらしていて、今の流行なんだろうなと知れる。男の方は、細身のズボンや短パンを履いている者が多かった。短パンなんて、旅装には間違いなく向かないから町に住んでいる人だろう。
道の脇には屋台がところ狭しと並んでいる。この規模の町では一番川向こうとの国境に近い町だから、交易品が多く取引されているようだ。魚も売ってる。国境の川の魚は臭くてまずいって聞いたことあるけど、買う人いるのかしら。
アリエスは、通りを眺めるあたしたちを振り返って言った。
「じゃあ、どこに行きましょうか」
「そうね。とりあえず、腹ごしらえをしたいわ」
「いいですね」
少女は案外表情が豊かだ。「目」という、感情を伝えるためのツールのひとつが欠けているせいか、それ以外を大きく動かしているように見える。今も、ゆっくりと頬を持ち上げて、声にも笑みをにじませた。
なんとなく意外だ。彼女は、表情が少なくて、陰気に押し黙っているイメージで……。
あたしは誰を思い出そうとしているんだ?
「旅の方ですから、やはり精のつくものがいいんでしょうか? この町じゃあ、巨鳥の肉が有名ですよ」
「巨鳥? なんだか硬そうね」
大きな獲物は得てして大味である。
「それがどうして、繊細でおいしいんです。特に葉で包んで焼いたものは絶品ですよ。行きましょう」
さっさと歩く少女の足取りは、目が見えないとは思えない。この町は慣れているからと言っていた。むしろ人ごみに慣れないあたしたちのほうが、彼女にようやっとついて行く形だ。クラウドがアリエスの背中に問いかけた。
「葉で包むっていうのは、初めて聞いた」
アリエスは振り向いて、微笑んだまま答える。
「川向こうから伝わってきたようですね。大きな葉は生のままではとてもくせが強いんですが、焼くと非常にいい香りになります。刻んで煮込み料理にも入れます」
「川向こうは何でも大きいらしいわね」
巨鳥というのも、川向こうの動物として有名だ。川向こうで狩ってこちらに持ち込むのか、この辺りでも獲れるのか。
「そうらしいですね。人も大柄です。あちらの商人が持ち込んだ靴なんて、こちらで履ける人はほとんどいません。近頃はこちら用にわざわざ小さいものを作って売りにきているようですが」
まっすぐ通りを突き抜け(それでも小さな村なら大通りを五つ束ねても足りないくらい幅の広い通りだったが)そのまま再び裏通りへ。今度はそう奥まで行かず、すぐに目的の店らしいところに辿り着いた。
「さあ、着きました」
店の中からいいにおいが漂ってきていた。