今度は魔術姉妹再び
日が傾いてきていた。
「このへんにしようか」
「そーね」
今晩の野宿地は大きめな木の下になった。軽く地面を均して座り込み、クラウドは火を熾すのに使えそうな枝を探し始める。その耳に未だお札がぴらぴらとしていた。
「それ、効いてんの?」
「ああ、これ」
言われるなりクラウドはばりっとお札をはがした。
「ちょっ、ちょっと」
「忘れてたけど、もう痛くないし。本当に効いたみたい。気持ち悪いけど」
彼はしばしはがしたお札を見つめて、ぐしゃりとポケットに押し込んだ。捨てるのも気持ち悪いと思ったのか、また使えると思ったのか。実際、効力はいつまであるのかあたしにはわからない。
あたしは一息ついて何気なく水筒を取り出し、中の水を口に含もうと……して、何も出てこなかった。
「え?」
もう一度水筒を傾けるが、水は出てこない。
逆さにしても出てこない。
「……クラウド、水……」
「水?」
あたしが水筒を手にしたまま呆然としているのを見て、彼も自分の水筒を取り出し傾けた。
水筒はもちろん、水を満タンにしてあって、口を湿らす程度にしか飲んでいなかった。こんなにすぐになくなるはずはないし、水筒に穴なんて開いていない。
「あ……んの、陰険魔術師!」
「俺のもないや」
これ見よがしに水筒を逆さにしなくたって、わかっとるわ!証拠はないが犯人はわかっている。にたにたと笑う魔術師だ。なんのつもりかわからないが、こんなはた迷惑なことをされて許せたもんではない。次会ったらぶっとばすのは決定として、どうしようか……。
あたしたちがいるのは相変わらずの広大な草原のど真ん中。次の村まで急いでも二日はかかる。
「途中水場があればいいけど……」地図にはそれらしいものはない。あたしたちが森からたどっていた川も逸れてしまっている。
「戻る?」
クラウドが訊ねた。まあ、まだ一日も進んでないし、あながち悪くない選択肢ではある……が、
「なんかもうあの村あんまりいたくないのよね……」
言わずもがな、あの占い師のせいである。無害そうな老婆しか知らないクラウドは首を傾げた。
「……まあ、戻らないっていうんなら、いいけど」
これだけ草が生えているのだし、水がないわけじゃないのだ。どこかで手に入れることはできるだろう。
そう結論づけて、立ち上がったときだった。
「あれ、礼緋さんじゃありませんか」
がさりと足音をたてて現れたのは、金髪の女、次いで茶髪の少女。
「あ、あんたたち!!」
お騒がせの魔術師姉妹だった。
「なんだかお久しぶりですねえ」
呑気に言ってるが、あんたら覚えてないのか、あたしたちに何をしたのか。
「よくもおめおめとあたしの前に出て来れたもんねえ。あんたたちのせいでどれだけ苦労したか……」
知らず拳に力を込めて詰め寄ると、ジェーンは慌てて手を振った。
「や、やだなあ、お互いさまじゃないですか。私たちだって、旅券二度もなくして結構大変だったんですから……」
「あんたは旅券をなくしただけ。あたしは晴れてお尋ね者よ!どの面下げて『お互いさま〜』なんて言ってるわけ?!」
「え、でも、最初っからお尋ね者でしたよね」
こ、こいつ……。
「それに、あの後始末も大変だったんですよ」
マリーが口を挟む。そりゃあ大変だったでしょうよ。火球がそこらを焼きまくって、消火もそこそこに逃げたんでしょうから。
「自業自得でしょうが!」
気の済むまでいたぶられる覚悟はできてるんでしょうね?
じりっと近づくと、何か察したジェーンが急いで話題を変えた。
「そ、それより、何かお困りだったのでは?」
ん?
「何でそう思うわけ」
「だって、なんだか『困ってます』って顔で、お二人で話していたじゃありませんか。何かお力になれるようなら、協力しますよ」
まあ確かに、困ってはいたし、そんな顔で話し合ってたかもしれない。でもそもそも積極的に協力されなくたって、こいつらぶちのめしてから奪えばいいだけだし。
と思っているうちに、クラウドがあっさりと困っている内容を明かしてしまった。余計なことを。
「そう。水がなくなっちゃってさ。余裕があれば分けてもらいたい。あるいはこの近くに水が手に入るところとか知らないかな」
「言わなくていいのよ、クラウド。どうせ奪っちゃえば一緒、どころかあたしの憂さも晴らせて一挙両得なんだから」
「や、やめてください!」
マリーが怯えた表情でジェーンの後ろに隠れた。ジェーンは一歩前に出て妹を隠すと、水筒を取り出して掲げた。
「そ、そんなことするなら、あなたたちに奪われる前に、水を捨てますからね。何もしないなら、分けてあげないこともないですよ」
「何を上から言ってんのよ!」
「ひいっすみません」
マリーが条件反射で謝ったが、ジェーンは水筒代わりの革袋にナイフを押し当てて、何かあればすぐに破ろうとしている。
「あんたたちだってなくなれば困るでしょうが」
「奪われたら一緒です!私たちには魔術がありますからね、どうにかなるんです。それで、どうするんですか?何もしなければ普通に水が手に入るんですよ」
こいつの態度、本当にむかつく。よほど『いらないから殴らせろ』と言おうと思ったけれど、ここは大人になってやろう。
「……わかったわ。今回は見逃してあげるから、その水を寄越しなさい」
「人にものをもらう態度じゃないですよ」
「ほお、あんたがそういうこと言う」
「あ、すみません、冗談です!」
ジェーンはさっと持った水筒を差し出した。
「ど、どうぞ。丸ごと持っていってください」
「いいの?」
「ええ。私と妹とで二つ持っているので、一つ差し上げます」
「……今回だけだからね。次会ったときはあんたたちの師匠共々ただじゃおかないから」
水筒を受け取ってじろりと睨むと、姉妹揃ってこくこくと頷いた。
「え、ええ。私たちだって、あなたの賞金を諦めたわけじゃありませんからね」
そもそも真面目に賞金を狙っているのか甚だ疑問だ。あたしを追っている暇があるなら大きめの町で給仕でもした方が金になるんじゃないのか。
水筒の口を開けて、さて早速一口……、
「………………」
魔術師に抜き取られた水。
ちょうどよく現れて水を渡してくるその弟子。
……こいつらに、人を騙すなんてことできるのかは怪しいけど、警戒はしとこうかな。口元まで近づけた水筒を下ろして、クラウドの方に差し出した。
「え、俺?」
「お先にどーぞ」
クラウドは素直に受け取ってから、
「毒味か、俺は」
と苦笑した。別にあたしだって、命に関わる危険があるなら渡しはしない。あたしを通して天使と接触したいような奴が、あたしを即死させる危険があるものを仕込みはしないだろう。せいぜいが遅効性の毒だと思う。ナッシーアにしたってあたしが本当に死んでしまったら元も子もないのだから、何かしら対策がとれるものだろう。
クラウドは少し匂いを嗅いでから、水筒の水を一口、飲んだ。
……うん、すぐには別状ないわね。
「普通の水みたいだけど」
そう言ってクラウドはあたしに水筒を渡した。もう少し様子を見てからにしよう。
目の前で毒を疑われてさぞ怒るかと思いきや、ジェーンはきょとんとあたしたちのやりとりを見ている。
「さっき水がなくてもどうにかなるって言ってたけど、そんなに便利な魔術があるわけ?」
「ええ、まあ……。飲み水を用意する魔術、なんてピンポイントなものはありませんけど、まあ使い様というか……」
「ふーん」
なんか、魔術って便利なのか不便なのかわかんないわね。
「あのですね、魔術って私たち、いつもどんぱちしてますけど、本来は準備に時間もかかるし効果もねちっこいものなんです」
そういう意味でナッシーアの外見やしゃべり方はふさわしいものであるという。確かに。
「常に人を呪ってそうな奴よね」
「呪……ま、まあそうかもしれません。実際、そんな魔術もあります。人の感情を操るだとか」
「へー」
なんだか脱線し始めているけれど、魔術に興味はあったので素直に聞いている。ジェーンは教授が生徒に講釈するかのような口調と表情だ。
「代表的なもので、魔術師が指定した感情を極端に増幅させるという魔術です」
「増幅?」
「そうですね……。たとえば、苛立ちの感情を増幅させる魔術が私にかかったとします。苛立ちといっても、そうたいしたものはありませんよね。大事にとっておいたお菓子を食べられたとか、そんなものです」
横で黙っていたマリーがびくりと身体を震わせた。
「よくあることですし、内心『ちっ』と思っていても笑って許す程度の苛つきです」
ふるふると震える妹の反応には目もくれずジェーンは話を続ける。
「それが、増幅の魔術によって、殺したいくらいの憎しみに変化するわけです」
「……!」
「へえ。それって、自分でもわからない憎しみにとらわれるってこと?」
そんなことよりあんたの妹が顔面蒼白だけど、いいの。思っても実際には突っ込まない。ジェーンも相変わらず無視だ。
「そうですね。その感情に支配されてしまい、正気を失ってしまいます。しかしこの魔術のやらしいところは、魔術が解けたときに、かかっている間の全ての記憶を思い出すということです」
「……正気を失っているときに何をしていたか、覚えてるってこと?」
「そうです。だから、長年の相棒を殺してしまい、正気に返ったときにショックで自殺してしまう、なんてケースも結構あるんですよ」
「…………そう……」
なんか怖い話になってきた。ショックで自殺なんて、ちょっとメンタル弱すぎない、とは思うけど、そんなふうに感情が制御できなくなるのは、恐ろしいかも。思わずつばを飲み込んだところで、あたしはふと手に持った水筒のことを思い出して、クラウドを伺った。数分前に水を飲んだクラウドに、特に変わった様子はない。
「この魔術は準備には一週間くらいかかるんですが、対象にかけるのはそう難しくもないんです」
「そうなの?」
「ええ。なんてったって、完成した薬を殺させたい相手に飲ませたあと、対象に飲ませればいいだけですから」
その言葉と、あたしが水を飲み込んだのはほぼ同時だった。
瞬間、膝から崩れ落ちた。
「え?」
身体に力が入らない。
「本当はあなたに先に飲んでもらいたかったんですが、まあ逆でもいいでしょう」
「あんた、あたしに何を飲ました……!」
膝をついたまま動けないあたしは、ジェーンを必死で見上げた。金髪女は先ほどの理知的な表情はいずこやら、罠にかかった兎を見るような目であたしを見下ろしている。
「わかってるんでしょう?感情を増幅させる薬ですよ。間もなくあなたの意識は塗りつぶされるでしょう。一体何の感情でしょうねえ?怒り?憎しみ?お師匠様の薬はよおく効きますよお」
そう言ってジェーンはにたりと笑った。あんた、間違いなくあの魔術師の弟子だよ!
悪態すらうまくつけない。ちくしょうこの女、本当に次会ったときはただじゃおかないからな。
あたしの異変に、クラウドが近寄って肩を叩く。
「ちょ、ちょっと礼緋チャン、大丈夫?」
「大丈夫、に見える?それより、離れなさい、よ……」
ジェーンの話が本当なら、あたしは間もなくクラウドが殺したいほど憎くなるはずである。怒りであろうが、憎しみであろうが、負の感情なら行き先はきっと一緒だ。押しのけようとするが、腕に力が入らない。そしてクラウドはこんなときに限って空気を読まない。
顔が熱くなってきた。これが?やばい、なんだか……。
「礼緋チャン」
名前を呼ぶな!
クラウドの顔が思ったより近くにある。慌てて顔を伏せた。自分の中で、なんだか変な感情が起こっているのを感じた。なんで、こんな急に……。わかってる、薬のせいだ。起こっているんじゃなくて、増幅されているんだ。あ、でも、この、気持ち……?でも、でもこれって、作られたものなの?だって、今やこんなに、あたしの中を占めているのに。
かろうじて上体を起こしていた力すら抜けて、あたしはクラウドに支えられた。
「礼緋チャン!」
男の腕を感じる。声が耳元でする。どうしてこの感情を今まで知らなかったんだろう。いいえ、でもいいの。今のあたしは、はっきりと自覚しているんだから。
四肢に力が戻ってくる。あたしを支える腕を逆に掴んだ。
顔を上げて、見つめた。
愛しい男の顔を。
「クラウド……愛してるわ」
クラウドは、ぴたりと固まった。そうよね。急に言われてもびっくりするわよね。でも、あたしの目の前でそんなに固まったら、何されても文句言えないわよ。
すなわち、隙あり。あたしは思い切って、クラウドの唇に自身のそれを押し付けた。
やってみたかったありがちネタそのいち、惚れ薬(的なもの)