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3章

マックスコーヒーの怪!

・三章

 新聞部のドアをノックすると、ひょろりとしたメガネがでてきた。

「あれ、上田さんじゃないか。1人なんて珍しいね」

「アイツきてない?」

「哲平? 来てないけど」

「あー。そっか」風夏は頬をかいて少しだけ言うのをためらい、「どこいるかしらない?」

「トイレ掃除ー、は、一ヶ月たって終わったか。部活きてないの?」

「うん。ここ最近来てなくてさ。変なとこ出入りしてるって聞いて……なんか知ってるかな……と」

「変なとこって?」

 貧弱な益子の表情が輝く。それに気づかず風夏は腕組みして、

「えーと、何だっけ。訊いた話だと、同士がナントカとかいう……」

「ほほおー……それはまたなんとも面白そうな話。ぜひ、詳しく!!」

「いやいや知らないならいいやじゃ!」

 その乗り出してくる好奇心の塊に、風夏は一目散に踵を返した。階段を駆け下り踊り場に降りる。すると、下り階段の前に立っていた生徒に衝突しかけた。

 どうにか寸前でブレーキが間に合う。風夏はまずったと、顔をあげる。清楚漂う雰囲気をまとった、どうみても男子制服で男装した女子にしか見えない生徒と対峙した。

 白鳥は風夏が口を開く前にそろりそろりと階段を登る。中腰で新聞部のドアに近寄ると、こいと風夏に合図した。

 わけも分からず近づくとドアに耳を当てろとジェスチャー。有無を言わさない様子に耳をあてると、中で誰かと話す益子の声が聴こえてきた。

『はい、上田風夏。どこからきいたのかはわかりませんでしたが、どうしましょう。言いふらされる前に、引き込みますか。それとも……始末』

 風夏がぎょっとして白鳥を見る、そのせいでドアを振動させてしまった。ふいに神妙な声が途切れ、床を鳴らす音が近づき勢い良くドアが開いた。

「誰だ!」

 右から左へ視線を這わす益子は信じられないほど険しい表情をしていた。

 3度見回すと「脅かすなよ」と息をついて引っ込んだ。

「ふう、ビビった。アンナ怒ってるの始めてみた……なんであんなに」

 下り階段に死んだカエルのように張り付いていた風夏と白鳥は頭を上げた。ふと隣を見ると、白鳥は棺に入ったミイラの様に横たわって真剣な表情になっていた。

「彼も同士なんです。MAXコーヒー同士の会の」

「……え? なん、なんだって?」

 

「あなたに頼みたいことがあるのです」



「お連れしました」

 白鳥が足を止めたのは生徒会室の前だった。ドアが開くと、正面に社長椅子に深く腰掛ける鬼灯が。体ごと横を向いて切れ長の瞳がどこか遠くを見ていた。窓の外から夕日が差し込んでくる室内には、鬼灯以外にも生徒がいた。

 長机で作った長方形、その左側にパイプ椅子を寄せてシャンと女生徒がシャンと座っている。黒い制服に黒いハイソックス、黒いストレートに黒いカチューシャに黒く細いフレームのメガネ。全身黒尽くめでプライドが高そうだが、その出で立ちからはとても生真面目な印象を受ける。

 彼女は無数の犬達に体の隅々まで舐め回された委員長っぽいメガネの先輩だった。風夏に対する憎悪によってモンスター化し、ぐしゃぐしゃに握りつぶした紙くずの様な顔になっていた。

 風夏は白鳥が持ってきてくれたパイプ椅子に座り、引きつり痙攣する苦笑いをモンスターへ送った。目の前には望遠鏡のような形をしてるプロジェクターが置かれていて、右の机のノートパソコンとケーブルでつながっていた。それに隠れようとがんばるが無理だった。

「目黒奏」

 鬼灯のよく通る声が目黒モンスターに人間の姿を思い出させる。ツンとした目黒の向かいの席、ノートパソコンの前に困り顔の白鳥が座った。生徒会の三人の視線が集中する。風夏は生徒会に取り囲まれていた。

「近頃」おもむろに目黒が尖った声で話し始め、風夏がビクつく。「MAXコーヒー同士の会なるものが秘密裏に活動しているようです」

 白鳥がキーボードを素早く叩きはじめる。なぜかエンターキーを叩く音が際立って軽快で大きい。

「部活申請もなく、先日校則に加わった『飲食持ち込みについての規定』に抵触する嗜好品を持ち込んでの活動。コレは明らかに違法者の違法部活。つまり、早急に然るべき措置を取ることが必要なのです」

 何が起きているかわからず、風夏はぽっかりと口を開けている。

 鬼灯が立ち上がってブラインドを一気におろし、白鳥がプロジェクターの電源を入れ、目黒がリモコンを操作する。生徒会長机の後ろにある壁に大げさな音を立ててゆっくりとプロジェクタースクリーンが降り始めた。ターン! とエンターキーが鳴ると、まだスクリーンが降り切ってない壁と鬼灯に、プロジェクターがうっすらと映像を流し始めた。

「これは学校内に設置されている生徒会カメラに写った、活動の映像です」

「せ、生徒会カメラって……」

「生徒会が設置したカメラです」

 風夏がやっとひねり出した消え入りそうな声は、うるせえとでも言いたげな目黒にピシャリと突っぱねられた。

 ビビリながら風夏は薄暗い室内で目を凝らす。次々と切り替わっていく映像は、美術室だったり音楽室だったり理科室だったりした。どれも監視カメラのように天井からの映像ではなく、生徒と同じぐらいの目線だった。

「これって、とうさ――」

「明言はできないが放課後の教室でうかつなことをしない方がいい」

 鬼灯が鋭い眼光で椅子に座り直すと、白鳥が空笑いを洩らした。風夏のスパッツはヒュッと寒くなった。

 やっと大きめのスクリーンが下り切る。すると輪になって座る生徒達が映しだされた。

 誰もが神妙な面持ち。中心で激しい身振り手振りを交えて何かを叫ぶ男から、片時も目を離さまいと凝視している。叫ぶ男はおもむろに鬼灯の写真を取り出した。そして躊躇なくビリビリに破り捨てる。それを称えるように周りの生徒が拳を突き上げて、何やら叫びだした。

 別の部屋に切り替わるがどれも判を押したように同じ。その光景はまるでどこかの危険な宗教かテロ組織の集会。音がなくても伝わってくる怒りと怨念と狂気に、風夏は圧倒されて瞬きするのも忘れていた。

「このように彼らは私個人に対して並々ならぬ敵意を向けているようだ。近々私や生徒会に対して宜しくない行動を取ってくるかもしれない。そこで」

 鬼灯が腕を組むと大きな胸が強調される。椅子を回し、眼球が乾き始めている風夏を鋭い眼光で射抜く。

「風夏に潜入してもらい、統率者が誰かを私達に報告して欲しい。早急に対処する。スニーキングミッションだ」

 その声にハッと意識が戻る風夏。言葉の響きが良かったのか、なぜか嬉しそうだ。

「別段難しいことではない。ただMAXコーヒーが好きで、私のことが憎いと、うぅうーーそぉおーーを!! 虚言でたらめデマカセ! 嘘を! 嘘をつけば会員になれるはずだ。やってくれるか」

 鬼灯は真顔のまま散々声を張り上げて強調した。しかし、風夏はどこかのカルト映画のような現実味のない映像を瞳に映すことに精一杯で全く聴いていない。

 それがわかると、目黒の髪がざわざわと逆立ってクリーチャーへと変化していく。そんな禍々しい光景にも気がついていない様子で、自分の口から無意識な言葉がでてもそれは変わらなかった。

「どうしてこんなに怒ってるんですか?」

「名前の通り、彼らはMAXコーヒーを好んで飲んでいるようだ。学校内でそれが規制されたので裏でコソコソとこんな事をし始めたんだな。子供が駄々をこねているのと同じだよ」

「学校でお菓子とかジュースを食べることを全面禁止してしかも処罰つき。これってちゃめちゃな校則じゃないですか。みんな言ってますよ。会長はどうかしてるって」

 目黒はついに変化を完了させて人間から妖怪へ。走り寄った白鳥によってどうにか椅子にとどまっているが、プラズマ火球を飛ばしそうな勢いだった。

 疑問をぶつけられている鬼灯は目を閉じたまま傾聴していた。

「鬼灯さんが何の説明もなしに強引に押し切ったおかしな校則でよね。そうですよね?」

 ぼんやりしていた口調が意識を取り戻していく。いつの間にか風夏はその大きな瞳で、正面から鬼灯を正視していた。

 鬼灯は、

「そうだが」

 と、悪びれもなく答えた。返す刀で風夏が言い返した。

「好きなものをにべもなく取り上げられたんだから怒って当然だと思います。アタシはこの人らが悪いとは思えません」

 ダン、と机を叩いて鬼灯が立ち上がると、風夏は飛び上がりそうになった。映像とブラインドから漏れてくる光だけの暗い部屋だが、鬼灯の頬にチークが入ったように赤みが帯びた。そしてポツリと言う。

「……風夏好きだぞ」

 ゾワゾワッと悪寒が走り太眉がうごめいた。鬼灯は瞳を閉じたまま微笑を浮かべた。

「最もな話だが頼まれてくれないか。成功の暁には一ヶ月部費を免除しよう。それに、」

 と、映像が一時停止される。風夏はそれをよくよく見ると、思わずあっと声を上げてしまった。

 音楽室の集会映像だった。円の中心で手を振り乱して叫ぶ男は、どうみてもここ最近部活に顔を出していない哲平だった。鬼灯がスクリーンの前に立つと、哲平の顔と鬼灯の顔が重なった。

「風夏にも関係ない話ではないと思うが?」

「………………嫌です。アイツが何しようがアタシには関係ないですから」

 俯いたまま言い切った風夏。目黒と白鳥は以外だとでも言いたげに顔を見合わせる。

「それに今回間違っているのは鬼灯さんだと思います。ハッキリ言って、恨みを買ってもしかたがないと、アタシは思います」

「このアマ」と、目黒が掴みかかろうとするが、白鳥が羽交い絞めにして止めた。

 鬼灯はポニーテールを軽やかに揺らして振り返った。

「そうか……」

 ブラインドを開け放つと、眩しいオレンジ色の太陽が鬼灯を飲み込んだ。その眩い鬼灯の背に、風夏は真剣な表情で一礼した。

「お断りします」

 目黒がフンと鼻を鳴らして、リモコンを操作しスクリーンを戻す。白鳥は困ったような笑みを浮かべパイプ椅子を仕舞い初めた。鬼灯は振り返ると、ため息をはいた。

「部費1年免除」

「やります!」

 時が止まった。

「……ん?」

 


 腕を振り上げる。口をそろえる。色々な声質が同じ言葉を同じ思いで叫ぶ。

 鬼灯五月を吊るし上げろ! 鬼灯五月を糾弾せよ! 鬼灯五月を追放せよ! 同士達はそう声を揃えてお互いの揺るぎない思いを確認しあう。

 それが終わればMAXコーヒーが配られる。 一斉にプルタブをあげ、掲げる。

 元気続き?! マーーックス!! 中身が飛ぶほど缶を重ねあう。

 一気に飲んで、呼応を上げた。



 MAXコーヒー同士の会はその日の会合が終わると幹部にくじをひかされ、翌日指定された場所へ行く。一つのところに留まって同じメンバーと活動するわけではない。この日風夏は理科室に割り振られた。

「よし、じゃあ始めましょうか」

 幹部の声が上がると、わーと拍手が起こった。おもむろに取り出したのは、そこら辺の露店と書かれたレジ袋。中から取り出したのはマックスコーヒーだった。ドンドン配って行き、全員に行き届くと一斉にプルタブを開けた。

「おつかれー」

 ゆるい号令で缶を付きあわせ、雑談に入った。昨日の殺伐とした空気が嘘のような和やかさだった。友達の家で雑談をしているような雰囲気だったが、唯一違うところは飲み物と一緒に食べるツマミのお菓子がないこと。テーブルの上にはMAXコーヒーが大量に積まれているだけ。名の通り、MAXコーヒーがメインだった。

「一体、何が起きているというの……」

「ど~~したの~~救世主風夏ちゃん~~?」

「あ、あの、それ止めてくだしい……」

 萎縮して、どういうことなのかと缶のラベル読みをしていると、隣に座っている2年の女生徒が話しかけてきた。上下共に少し丈が長い制服を着た長い黒髪。そして開いてるのか開いてないのかわからない細い瞳を心配そうにしていた。彼女は相川書店で本に埋もれた店員だった。教室で目を合わせた途端に風夏はハグされて一方的に仲良くされていた。

「あ、あの、ひひ、ひとつ、お聞きしても、よよよすグフオ」

 風夏がどもりながら訊くと、彼女はほがらかな笑顔になった。

「あの、昨日の、おはなフィは、今日は無いコポ?」

 おかしな発音だったが、彼女に唇の下に指を当てて考えるポーズとらせた。

「ああ~~。あれね~~。しょっぱなからそのグループだったのね~~」

 首をかしげると、前に座っていた3年の金髪が割って入ってきた。ボーリング場のプロボーラーを目指す男だ。ボタンを全開にしたブレザーからはアロハシャツが覗いていた。

「考え方の相違っつうの? 幹部の間で会のやり方で喧嘩してんだ。今日のヤツみたいに、いつもどおりにやろうっつうのが多いんだけどよ」

「風夏ちゃんが当たったのは、13人の幹部たちのウチ~~5人の生徒会長嫌いのほうだね~~。災難だったね~~」

 なぜか彼女は風夏の頭をよしよしと撫でた。座高が風夏より低い彼女より小さく縮こまった。

「アイツらマジうっぜーんだよ。会長引きずり下ろすとかどうでもいいっつうの。ただこうやって楽しくやってればいいっつうのヒュー!」

 金髪は隣の男子生徒と缶を鳴らす。妙なテンションに風夏は苦笑いを浮かべた。

「ホラ~~風夏ちゃん怖がってるじゃ~~~~ん」

「あ、あの、こ、この会って、部長みたいな人って、い、いなんでシュか?」

 風夏が及び腰に誰に向かってでもなくいうと、

「それはオレラも興味あるけどなー」

「私しってる~~13人の中の誰かなんだよね~~幹部会議に参加しないとわかんないんだけど~~~~……」

「ちょっと先輩たち何のはなししてんですかー?」

 幹部の暑苦しい声が飛んできて風夏はビクついた。チラッと様子を伺うと、汗臭い笑顔を見せていた。

「いや、誰が会長なのかと思ってよ。なー教えて教えてぇ~~?」

「ハハハ、それはさすがに先輩方にも教えませんよ。謎があった方が面白いじゃないですか」

 金髪がヒュー! とハイテンションで訊くが、軽く流され別の話題に変えられてしまった。

 まるで文化祭か修学旅行の夜のような賑やかさ。風夏は顔がこわばってもう点になるほど小さくなっていた。

 そんな風夏を見かねてか、彼女は風夏の頬をがっちり両手でホールドすると、むにゅむにゅかき回した。スライムみたいにぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃ「ちょもう止めとくれ!」

 永遠に続きそうなこねくり回しをはねのけてムカつきながら彼女に焦点を合わせていくと、ニコニコな笑顔が。

「まあ風夏ちゃん。私たちはMAXコーヒーとこの会が好きで集まってるだけだからさ。悪いイメージを持たないでくれると嬉しいな~~」

 暴力的でピリピリとした憎しみが嘘のようだ。MAXコーヒーを囲んでいる同士達には、平穏と笑顔しかない、平和さえ漂っていた。

 風夏は困ったような笑みを浮かべた。

 

 ○


 体育館倉庫を出ると、風夏は近くの木の影にバッグをおろした。身を低くしてしゃがむと、数人の同士たちが出てくる。その後からでてきたのは幹部の一年生。鍵を閉めると、隠れている風夏の横を通りすぎていった。

 バッグを漁って取り出したのは、黄緑色の不気味なゴム製マスク。それをかぶると、幹部の尾行を開始する。

 歩みが止まった。行き着いたのは体育館倉庫。尾行対策なのか、わざわざ校内を一周して戻っただけだった。

 黄緑色の不審者は数十分前にいた木の影に隠れ直す。マスクを外すと幹部が中に入っていくところだった。鉄製のドアが閉まると同時に忍び足で慎重に近づいた。

『……ってくれ。始まる前に言いたい。お前同士に鬼灯のことを吹き込んでどうするつもりなんだよ!』

 耳を押し付けて真っ先に聞こえてきたのは男子生徒の怒声。それに冷静な答えが返ってくる。

『鬼灯を追放する。新しい生徒会長を会の中から立てるんだ。そしてあの腐った校則を消しさる。みんなにも協力してもらうつもりだから、鬼灯についてよくしってもらおうと思ってね』

 風夏はハッとした。その声は、向坂によく似ていた。

『そんなことのために同士を利用するな! 今のまま続けて何が悪いんだ? こうやって見つからず平穏にやっていけてるじゃないか!』

 そうだそうだと声が上がり冷静に言い返す。どうやら複数体1人になっているようだった。

『平穏、平穏ねぇ。ドブを駆けまわるネズミと何ら変わらないのにか?』冷静な声が小馬鹿にしたような色を含みはじめた。『いつ見つかるともわからないこの状況を、ごまかすようにワイワイと騒ぐのが平穏っていうのかな』

『くっ……それでも』

『今のままが一番いい、今のままが平和だ、波風が立たない、立たせることは悪いことだ、なにもしないで来るべき時が来たらそれに従おう、そういう運命だったんだ、受け入れよう、そういうことだろ?』

『それの何が悪いんだ。俺たちはテロ集団じゃない!』

『ああ、そうさ。俺たちはテロ集団じゃない。腐った体勢を打破しようとする、レジスタンスだ』

『お、お前どうかして――』

『やめろ。もう駄目だ。何を言っても無駄だ』

 ドタドタと複数の足音がすると風夏は飛び上がった。体育館倉庫の角を曲がるとざらつく壁に張り付く。安心するように息をつき、ほんの少しだけ角から眉を出すと、丁度8人目がドアから出てくるところだった。

「今日のことは明日同士達に伝える。一体何人が、レジスタンスとやらについてくるだろうな」

 男子生徒が思い切り扉を閉めると、何も言わずに、目も合わせずに8人はバラバラにこの場を去っていった。

 困惑しながらも風夏はドアにそろりと近づく。立て付けが悪いせいなのか、ほんの少しだけ隙間が開いていた。覗きこむと、輪を作らずに座り込む5人の姿があった。

 全員1年生だ。俯くものもいれば、決意を感じる力強い表情をするものもいた。その中に哲平もいる。難しそうに眉間に皺を寄せあぐらをかいていた。 正面には向坂が座っていて、隣には髪の長い小動物のような女生徒が寄り添っていた。

「アイツ……」怒気をはらんだ表情でつぶやく風夏。

『明日実行に移す。もう同士たちには話をしているからな。知らないのは、あの5人だけだ』

 微笑をメガネレンズの奥に携え、向坂は余裕綽々といった様子だ。

『打ち合わせはまた明日行う。あとは、俺たちと同じ志を持った同士が1人でも多くいることを信じよう』

 哲平を含む他のメンバーも、口々に成功させよう、やってやる、と自らとメンバーを鼓舞するように声を上げた。そして目の前のMAXコーヒーの缶を手に取る。

 向坂と女生徒はプルタブを一気にあげ缶を掲げた。それを合図全員が缶を掲げた。

『みんな、甘い未来の為にがんばろう』

『『『おう!』』』

『元気続き?!』

『『『マーーーーーーックス!!』』』

 彼らは力強く缶を叩き合わせた。狂気じみた熱気。その中は異世界だった。追ってくるはずのないものから逃れるように、風夏はつんのめりながら走った。


「やはり、1年A組向坂陸郎が指揮官か」

 夕日が照らすオレンジ色の生徒会室。風夏は息を切らしながら、生徒会長机の正面の長机につく。白鳥から借りたハンカチで汗を拭った。どことなく顔色が青い。

「しかし、明後日とはまた急ぎだな。よほど私を引きずり下ろしたくてたまらないとみる」

「教頭に伝えてきます」昨日と同じく左の長机に座っている目黒が立ち上がる。

「そうだな。お願いできるか」

 鬼灯はまぶたを閉じ胸を強調したまま、足で床を蹴り椅子を半回転させた。

「と言うのが普通だが」

 正面を向いた鬼灯に、室内の視線が集中した。注目の的となった鬼灯は思わせぶりに鼻を鳴らした。

「好きにさせよう」

「会長、もしかして……見逃せと……?」

「彼らなりの抗議なのだろう。思うようにやらせてやろう。何もしないまま潰されてはやりきれんだろうからな」

 鬼灯はゆっくりとまぶたを上げて起立した。窓へ近寄り橙色の光に包まれると、グラウンドで汗を流す生徒たちを眺めた。

「風夏、もう少しホナルチ部に手伝って欲しい。いいかな?」

「却下です!」

 机を両手で叩き勢い良く立ち上がった目黒。風夏が飛び上がり、右の長机に座る白鳥が苦笑いした。ブラインドタッチでノートパソコンの打鍵を忘れていない。

「もしものことが会長にあれば親衛隊No.0000としてみんなに顔向けできません! 教頭に言わなくてもみんなには伝えてきます! 汚れて薄汚れたやからに鬼灯様を触らせるわけには行きません。もしそうなったら同士の会とかいうヤツら全員を、全員の首をはねて剣山にぶっ刺して晒し首にしてくれるわァ!」

 髪を逆立て白目になると、恐ろしい形相の怪獣に変身した。今にも口から青い光線を放ちそうな勢いだ。白鳥が沈めようとするがどうにもならない。風夏も止めに入り、女子3人はもみくちゃになった。と、

「目黒」

 鬼灯が雨音の様にぽつりと名前を呼ぶ。すると、スイッチが切り替わったかのように、目黒のトラウマモードが消え真顔になった。

 しん、と静まり返る室内。鬼灯は切れ長の瞳で目黒を見つめた。

「信じてくれ、奏」

 目黒ははあんと声を上げて回転しながら床に倒れた。他の3人にはズギューンというSEが確かに聞こえた。



 まばらに出ていく生徒たちを視線で追い、怪訝な表情を返される。放課後、風夏は校門の影にしゃがんで隠れていた。それでも風夏は待っていた。

 来たのは、夕焼けが深まり夜の帳が落ちる頃だった。

「おい」

 怒らせ気味に声をかけるが、よれた制服は立ち止まる事無く通り過ぎていく。

「明日、やるんでしょ」

 風夏が思わせぶりにいうと、哲平は背を向けたまま立ち止まった。

「アンたらが何かやらかそうって算段つけてたのこっちはみてんのよ。なにをしようというの」

「……思った通り鬼灯の差金だったか」

 哲平は半分だけ振り返って、不健康な顔を不機嫌にさせていた。

「今日サボったヤツが知ってるはずないか。全ての同士に向かって説明したんだけどな」小馬鹿にするように蔑んだ目だ。「折角こっちの手の内を全て見せようって時にいない。少し考えればわかるだろバーカ」

 明確な敵意がこもった尖った声。風夏の見ている風景が殴られたようにぐらっと揺れた。

「う……る、さ……わよ」

 風夏は息が詰まって俯いた。それを見ていた哲平は、左の口角だけ押し上げて気持ち悪い笑みを浮かべた。

「オレに頼りっきりで何もしようとしないからヘマするのは目に見えてたけど、まさか本当にやるとは。ハハ、まあ、パフェ食べるかオレを馬鹿にするかしかできないお前らしいとも言えるか」

 その抑揚のない声に、風夏は反論しようとする。だが、唸り声のような小さい声しかでない。哲平は畳み掛けた。

「オレはやめるぞ。会に専念させてもらう」

 風夏はバッと頼りなさげに眉を下げている顔を上げた。

「だ、だめよ、だめだめ! アンタ居なくなったら、男、出がいなくなるし、まだ、1万返してもらってないし! それに……それに……」

 言い放った哲平に、風夏はあたふたと言葉を紡いだ。つばをまき散らして長い手足を大きく身振り手振り。その姿は、はたからみても必死だった。

「そ、そうだ。アイツ! アイツがどうなってもいいの?!」

 何かを思いついたのか、勝ち誇ったように無い胸を急に張った。哲平は思案顔になり、頬をさすろうとしたが、やめた。身を翻し、抑揚のない声で言い捨てた。その背中は少しだけ寂しそうだった。

「…………陽子は、口惜しいがどうとでもしてくれ」

 ハッと息を飲む。夜を運んでくるように、涼しい風が吹き抜けていく。スカートがひらひら揺れると、唇を強く結んで奥歯を噛み締めた。

 哲平は深くため息を付き、また抑揚をつけないで言う。

「お前の泣き脅しじゃ、ねこの同情を得るのが関の山だ。残念だったな」

 無言。下校する生徒が嫌な顔をしてよけていく。哲平が背中越しに様子を伺うと、

「…………そうかよ。そうかよそうかよそうかよ!」

 癇癪を起こした子供のように、風夏は突然声を荒げた。

「これですっきりしたわ。見てなさい。アンタは明日、自分の居場所を失うことになるわ」

 少し間があいて、「そんなことは万に一つもない」

「ああ、そう」

 風夏は背を向けた。

「アンタは、首よ」

 怒りで染まった顔は、もう見る影もなく、泣き出しそうになっていた。


 ○


 昼休み。風夏は三段ある弁当箱の中身を平らげた。

「あの、結構食べるんですね」

 と、生徒会室の長方形の左の長机に座っている白鳥がにっこりと話しかけた。

「え、そ、そうですか?」

 風夏は頬を赤らめて、三段ある重箱を唐草模様の風呂敷に隠すように包んだ。

「それなのに、細いですね。トレーニングとかしてるんですか?」

「いや、あのーなんで、かなーあはは」

「食べ終わったのなら無駄口を叩くのを今すぐやめてください五月蝿いですとても蚊だって選挙カーだってもう少し静かです」

 ピシャリとなめらかな罵倒が飛ぶ。白鳥の左隣に座る目黒だ。鋭い視線が響に話しかけるな馬の骨、ととてもわかり易く言っていた。

 壮絶な居心地の悪さに風夏はよろよろと立ち上がる。すると、目黒をたしなめる白鳥に呼び止められた。

「あの。ネコちゃん元気そうですね」

「あ、ああ。ええ、お陰様で……元気すぎるぐらい、ですよ」

「ネコちゃんの件、本当にありがとうございました」白鳥はすっと起立すると、見とれるような礼を見せた。「それだけではなくて預かってもくれるなんて……もう何度お礼を言っても言い足りません」

「そ、そんな。MAXコーヒーもらいましたし、それにアレは哲平のおかげなんで……」

 風夏があたふたしていると、白鳥に聖母のような笑顔があふれた。

「いいえ。お二人のおかげです」

 言い返そうと口を開こうとしたが、その笑顔を見ると、風夏は何も言い返せなくなってしまった。


 眼の前にある生徒会長机のそれを確認してからドアを閉める。廊下へでて真っ先に飛び込んできたのは2つの後頭部。小さい耳のようなお団子髪と、紫色のロングヘアー。ランチョンマットを広げ、百々目鬼とレアラが並んで座っていた。

「ふ? ほうしは」

 振り返ったのはもきゅもきゅとおにぎりを頬張る百々目鬼。口の周りにご飯粒をたくさんつけていて、その無邪気さは幼稚園児に匹敵してた。

「……圧が」

「というかよくもったの。まあ座れ」

 風夏はげっそりとしてつぶやくと、小さい手がペチペチとひよこ柄のランチョンマットを叩く。弁当箱を広げる2人の前に回りこむとレアラの前に崩れ落ちるように座った。

 レアラは正座して百々目鬼のご飯粒を摘んでいた。生首ではなく、立ち上がったら180cm以上はあろうかという身体がついていた。それに身にまとっているのはどう見ても学校指定ではないセーラー服。表情の能面っぷりと紫の髪以外は、無気力そうな女子高生そのものだった。

「どうして2人とも入らないのよ」あぐらをかいたままムスッと唇をへの字に曲げる風夏。

「昼ごはんはお天道様の下で食べると決めてるのじゃ。これでも妥協したほうなのじゃ」

「あ、そ……どうしてこうウチの部員は一致団結しようとする心が皆無なのかーなー」

「ネコさんをお連れしたらどうです?」

 ご飯粒を取り終え相変わらずの半眼無表情で言うレアラ。その膝の上ではネコちゃんが半目を開いたまま仰向けでイビキをかいていた。風夏はあまり可愛くない寝顔を見つめ、レアラの瞳を覗きこんだ。

「……アンタの顔見てるとムカついてくる」

 そのカリカリとした声に、レアラはメガネ越しの半眼の瞳で、どうかしましたかと訊く。だが太眉はすでに天井のミゾへと向きを変えていた。

 物憂げな表情の風夏は、あぐらをかいたまま首を反らしてしばらくそうしていた。唇を結んだどこか影のある横顔は、まるで写真撮影のためにポーズをとっているモデルのようだった。陰鬱で無口な風夏は、清韓な顔立ちをした美少女といっても過言ではなかった。

「…………ん? ご飯粒ついてる?」

 風夏は視線を感じて首を戻す。それと同時に降臨していた美少女が抜けた。目が合ったのは百々目鬼コンビだ。ぐるぐるメガネとメガネ奥の半眼が凝視してくる。

「嫌いになったわけではないと思うぞ」

「は? な……なによ急に」

「意外に落ち込みやすいのです。センチメンタルなのです」

「だ、だから何の話しなのよ!」

 2人のニヤニヤ声に、わかりやすく風夏は狼狽した。

「別にアイツ関係ないし……なんか……む、胸がないこと、に、絶望してるんだし」

「アイツ? アイツとは」「誰のことです」

「だから哲平のことなんか気にしてないって言ってんのよぉおおおおぉおおおおぉぉぉおおぉおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 立ち上がってギュッと目をつぶって放った全身全霊の叫びは、分厚いコンクリートの壁を突き破って街の上空に上がると、お昼ごはんを食べている全ての人々へと降り注いだ気がした。

 風夏は吐き出した分の酸素を取り込むと冷静になる。そのおかげで、気がついてしまった。恐る恐る顔をあげると――――口元に手を当てている百々目鬼たちがいた。

「ベ~~~~~~~~~~タ~~~~~~~~~~」

 囃し立てる2人の間延びした声に、風夏はじんわりと赤くなった。そしてもう一度叫ぼうと空気を吸い込んだが、男の大声によって遮られた。

 昼時でざわつく3年フロアを貫くように響く声。風夏は不意をつかれて右に首をふった。

 ――舞っていた。

 3年の生活空間を占領して紙吹雪が舞っていた。教室の中や廊下までもが白い紙に塗りつぶされていた。

「コレが鬼灯五月だーーーー!」

 学校の制服を着てオレンジ色の下地に黒いギザギザの入った覆面。それをかぶっている不審な生徒たちは10人以上はいた。一人一人が抱えている紙の束から枯れ木に花を咲かすかのごとく、隅々にまで行き通るように紙をばら撒いていた。

 刺激的で非日常的な光景に、3年生達はパフォーマンスか何かだと勘違いをしているようで、嬉々として楽しんでいた。

 しかし、それはすぐざわめきに変わる。余りあるほどの紙に目を通した生徒は顔色が変わった。それから何やら友達と会話をする。まるで信じられないものを見て、本当かどうか議論しあうように。

 釘付けになっていた風夏は走りだすつもりだったが、レアラに阻まれて前につんのめった。

「行ってはなりませんです。言いつけ通り、全て終わるまで見守りましょうです」

「ホナルチ部員は臨機応変に切磋琢磨すんのよメモッときな!」

 横をすり抜ける。

 後ろからブラウスの裾を捕まれるとまくり上げられた。

「ちょッ、ちょいちょいやめて! 変態! みえるみえちゃう!」

 風夏は必死にレアラの手を振りほどこうとするが、分厚い鉄を素手で折り曲げているようにビクともしない。

「言われたとおりにしましょうです。今動くと危ないと思われますです」

「やめやめ! みえるみえちゃう!」

「これって本当なのかよ!」

 風夏がレアラと格闘していると、男子生徒が1人、覆面の男に紙を突きつけた。

「アイツが今までやってきたことは、自分の懐に金を入れるためだったってことかよ!」

 男子生徒が他の生徒たちにも聞こえるように問い詰めると、それを待っていたかの様に、「ああそうだ」と覆面の男は答えた。

 ざわめきが起こった。混乱と戸惑いが一気に吹き出して3年生の教室に充満して行くのが見える。それにやられたのか、風夏の顔色までもが曇っていった。

「肩身の狭い思いしてたのがばかみたいじゃないか! 弱者を馬鹿にしやがってあのメギツネ!」

 男子生徒が怒り散らす中、百々目鬼はトコトコと風夏の隣を横切る。床の紙を拾い上げると豪快に笑った。そして、見てみてと背中丸出しの風夏の目の前に紙を垂らした。

「……これって、新聞部の新聞?」

 風夏は白いブラ紐が見えていることなど忘れて目を見張った。それは、”学校改革は金のためだった”と過激な大見出しが映える新聞だった。

 掲載されている写真のどれにも鬼灯の凛々しい姿が写っている。だが、どういう訳かどれもそっぽを向いていて、カメラ目線の写真が一つもない。まるで盗撮だ。

 そしてその内容に目を通した風夏は、カッと目を見開いて言った。

「要約して」

「花壇の花の総入れ変え、漫画廃止、服装の徹底的チェック、飲食の制限などなど、独占的な政治は全て生徒会の運営資金を増やし、その分を学外の男に貢ぐために使っていたと。つまり、横領じゃ。生徒会費を勝手に使い込んでいたということらしいぞ」

 百々目鬼が言った訳、それはこの新聞が鬼灯五月に関するスキャンダルで埋め尽くされていることを示していた。風夏は戸惑った。

「何よコレ……嘘でしょ?」

「じゃろ」

「じゃろ?」

 だが、百々目鬼はケロッとしていった。

「多分ぜーんぶでっち上げじゃろ。どれもコレも言いがかりの域を脱していない根も葉もないことしか書いとらん。三文記事、パルプフィクション、ゴシップ記事。まあ、さも真実のように上手く書かれとるが、ちょっと考えれば分かるくだらない内容じゃ。でも、ちょー笑えるのじゃ」

 と再び笑い出した。それを聴いても、風夏の戸惑いは消えなかった。

「こんなことしてどんな意味が……」

「それはほれ、こういうことじゃ」百々目鬼が風夏の目の前から新聞を取り去る。すると、さっきの男子生徒が何やら騒いでいるのが見えた。

「こんなヤツが生徒会長をやっていていいはずがない! 抗議してやる!」「私も行く。私あのお花好きだったのに」「三国志途中だったのに、あんまりだ!」

 男子生徒と女生徒が肩を怒らせ、風夏たちの方に向かってくる。さらに6人続き10人になった。すると、先を行く2人の男子生徒と女生徒が、呆然と立ち尽くす3年生達に煽りをかけた。

「こんなことされてただ見てるだけだってのか? 黙って逃げる時じゃないだろう? 今こそ動く時だ! 残りの学校生活が素晴らしいものになるかは今この瞬間にかかっているんだ!」

 …………一人。

 また一人。また一人。決意でもしたかのように風夏達の方、つまり生徒会室に向かって歩いてくる。人数は膨れ上がり、呆気にとられている風夏の眼前に迫る頃には、大きな人の塊が出来上がっていた。ほとんどの全員がその群れに加わっていた。ズラッと並んだ三年生たちは、鋭い眼光を風夏たちに押し付けてきた。

「いやーまさかあの程度の煽りでこんなについてくるとは、これも、人徳のなせる技かの。ワッハッハッハッハ」

「笑い事じゃないでしょう!? ちょっといい加減に離してよ!」

 暴れる風夏の事情などどうでもいいと、人垣の先頭にいる男子生徒が新聞を見せつけてきた。

「生徒会長にあいたい。コレが本当なのか訊かせて欲しい」

「鬼灯生徒会長に通すなと言われておりますのでおととい来てくださいです」間髪いれずにいうレアラ。

「煽ってどうすんのよ! あ……」

 瞬く間にできた人垣、その後ろから首を出して風夏たちの様子を伺う生徒たちがいた。先ほど大声を張り上げていた生徒とたちだ。彼らはニヤつくと、おもむろに取り出した覆面をつけて階段を下りていく。

「アイツ会員!? クソ! 待ちなさい!」

 破ってしまいそうな勢いで前へ進もうとすると、突然パッと背中にブラウスが下りた。

振り返ると、レアラが手を離していた。

「追ってくださいです。ここは私とマイマスターにお任せくださいです」

 風夏は頷いて進もうとするが、どす黒い怒りの塊に阻まれた。その前を通りぬけ、百々目鬼がレアラの頭によじ上りメガネを外した。

「丁度いい試運転じゃ! 行けロボ! ノットオワギルティごっこをしてあげなさい!」

 そう叫ぶと、レアラの半分のまぶたがシャッターが開くように全開になり、強い光が飛び出した。そして生徒の塊へのっしのっし歩いていく。一歩踏み出すたび鳴り響くビョーンビョーンという効果音とともに、男子生徒の前に立った。

 後退りする生徒が、暴力反対、と言う前に頭を掴んで投げた。

「やべぇぞこいつ! かこめかこめー! 突撃ィ!!」

「レアラショウタイムです」

 ガタイの良い生徒たちが突撃する中、煽り立てる人垣の下を四つん這いで通り抜ける。百々目鬼たちの声を背中に受けながら階段を下って行くと、2年生の塊が下から押し寄せてきた。踊り場の隅っこに丸まってどうにか避ける。

「まさかあれも……ってことは……」

 耳を澄まさずとも、地鳴りのような足音が聞こえてきた。手すりから下を覗きこむ。姿を表したのは1年生の塊だった。誰もが怒りで染まっていて、猛牛の群れの大移動という表現がよく似合う。慌ててもう片方の角に逃げてやり過ごした。

「どうなってんのよ……」百々目鬼は困惑しながらも下の階に下りた。首を左右に振ると、オレンジ色の覆面がいた。見回りをしているのか、廊下を行ったり来たりしている。

 ふと一人と目が合うと、どう見てもやけになった2人が襲い掛かってきた。対する風夏は慌てる様子も見せず、ほとんど無防備に構えた。

 10秒後、風夏は床にノビている2人の片方の襟首を掴みあげた。

「向坂はどこ。後、どうしてアタシを襲ったの」

「おおおれは下っ端だからしししるはずないだろう!」

 無言の風夏は怯える覆面の右手を掴むと、中指を曲がっちゃいけない方向へ曲げだした。

「イダダダダ部室です! 外部室一番左です! 襲ったのは捕まえろと言われたからです! 堪忍してください!」

「チッ、アイツちくったな……」

 パッと手を離すと、覆面は指を押さえてうずくまった。そんなの関係ないと風夏はもう一人のノビてやつの覆面を剥ぎ取ると、二階の渡り廊下へ走っていった………………………………すぐに覆面の風夏が戻ってくると襟首を掴みあげた。小さく悲鳴をあげる覆面に何度か言いよどんだ。

「あ、あいつ。あいつはどこで何してる」

「あ、あいつって?」

「いやっぱりいい…………津島哲平だよ!! 黙って教えろ!」

「ぴぃい! 放送室です! 放送の準備してますぅ!」

 それだけ聞くと滑るように足を進めた。



 放送室は別棟にあるので渡り廊下を抜けなければならない。しかし、机と椅子が詰まれたバリケード、更に5人の覆面が塞いでいて通れなくなっていた。風夏は諦めて、外から別棟まで行こうと1階に下りる。

「名前を答えよ……」

 聞き取りにくいまでに低い声。昇降口には筋肉質でガタイの良い巨漢の男たち2人が立っていた。白いタンクトップはピチピチで、明らかに覆面のサイズが小さく口から下が隠しきれていない。風夏の何倍も大きく、2つの巨大な扉が立っているようだった。外への道を阻む門番なのだろう。

「っとー、ダーウエ……ダーウエです」

 慌てて答える風夏。門番達はアイコンタクトを取り合う。覆面からはみ出している2つの口から、地鳴りのような低い声が風夏を揺らす。

「「げぇえんきぃ……?」」

「え? まあまあ」不意に体調を聞かれた風夏はぽかんと答えた。

 すると門番達はどっしりと頷き合う。おもむろに右の男が野太い腕を振り上げた。咄嗟にバックステップを踏んで避ける。風夏は弓を引くように腕を引いて構えた。

「くっ! 穏便に行きたかったんだけど、そっちがその気なら――」

「も~~さきにいかないでよ~~一緒に行くっていったじゃ~~ん」

 今にも戦闘が始まりそうな空気を揉みほぐす脳天気な声。間延びした、場にそぐわないほんわかとした女の声が3人を生暖かく包んできた。

 振り返るより先に、覆面をかぶった女生徒が風夏の隣にくる。覗く瞳は開いているのか開いていないのか分からない。

「ごめんなさ~~い~~このこまだ新人で~~も~~また合言葉忘れちゃったの~~」

「名前は……」

 状況が理解できていない風夏をよそに、機械的に門番が訊いてくる。覆面の女生徒は風夏の腕を掴むと和やかに言った。

「MAXコーヒー同士の会では、私達に名前はありませ~~ん」

「げぇえんきぃい?」

「続きま~~~~っくす」

 朗らかに右手を上げて言い放つ。門番たちは眉間に深くシワを寄せる。それから小さく頷き合い昇降口からどいた。風夏が口を開く前に、覆面の女生徒の笑顔が弾けた。


 外を巡回している同士達に挨拶をしながら歩いて行く。そのまま体育館倉庫の裏へ。壁から顔を出して誰にも見られていないことを確認すると、彼女は風夏に向き直り、覆面の下で何度目かの笑顔を作った。

「や~~風夏ちゃん久しぶり~~」

 フレンドリーに話しかけてくるが風夏は腕を振りほどく。そして警戒心剥きだしで後退りした。

 そんな風夏の様子をみて、彼女は自分がまだ覆面を脱いでいないことに気がついた。モタモタと覆面を脱ぎ去ると、長い髪とトロケる柔らかい笑顔が外気にさらされた。見覚えのある顔に、風夏は指さしした。

「あー! 相川書店の!?」

「覚えててくれたんだ~~うれし~~」

 気づいてもらえたと彼女は手を叩いて喜んだ。相川書店の店員で、会合でやたら風夏に絡んできた先輩だった。

「ちょ! 手叩かないで! 呼ばないで!」ペチペチと手を叩く彼女の腕を掴んでやめさせる風夏。必死な風夏とは対照的に、彼女はマイペースに口を開く。

「ハハ~~。私は抜けた側なんだよ~~そんなことしないって~~元会員として見過ごすわけにはいかないからさ~~私と一緒に抜けた人のほとんどが潜入してるよ~~参加しているふりをしてま~~す。いえ~~い」

 そう言われるが、風夏はなおも警戒を解かずにおどおどしていた。

「あ、信じてな~~~~い。う~~ん、そうだ今から――」

 という言葉は突然の異音によって伝わらない。マイクのハウリング音が響き渡った。

『鬼灯五月に告げる。校長は預かった。13時までに体育館へ1人で来い。もし、1秒でも遅れたり1人で来ない場合は、校内に設置されている自動販売機を破壊していく』

 校庭に響き渡る声、それは優しげな笑顔が透けて見えるような声だった。向坂のにやけた声は、校内だけではなく近隣住宅にまで届いた。

『次にチカジンの生徒を拘束し、2度とMAXコーヒーという単語を言えなくしてやる。全てはお前の行い1つにかかっているというわけだ。フハハハ、苦しめ鬼灯五月! コレがお前のやってきたことの報いだ!』

 ブツン、と音が切れる。まだ昼時だというのに気持ちの悪い静寂が辺りを支配した。

 唖然としていた風夏だったが、それを嫌うように口を動かす。

「……チカジンって何語ですか?」

「近県出身の人を指す造語よ~~」柔和な顔を曇らせる彼女。「向坂は~~MAXコーヒーが自分たちの土地でできたものだと~~我が物顔主張している近県出身者に~~激しい怒りを示していたの~~。だから近県出身者は会にいないのよ~~どうでもいいのにね~~」

 たっぷりと時間をかけて言い切る前に、風夏は固く拳を握りしめた。

「そんなどうでもいい理由で……酷い……MAXコーヒーって言えなくなったら……なんか……許せないぐらい酷いことだよそれって」

「そうよ~~。そんなことしたら…………この先……どう……するのよ~~」

「くそ、やりすぎよ向坂の野郎! 酷いこと……酷い? ……うん酷い!」

 彼女と風夏は、怒りをあらわにするかどうか迷ってから怒りをあらわにする。

「鬼灯さんを一人で体育館に向かわせるのは危険ね~~……。迎えに行った方が~~……」

「あの、それなんですけど……」

 携帯電話を取り出す彼女を申し訳なさそうに覗きこむ風夏。首をかしげる彼女に言いづらそうに言った。

「……会長、生徒会室にいないんですーよねー……お昼買いに行ったっきり帰って来なかったんです、よねー」

 チラッと彼女の表情を伺う。口を開けて呆然としていた。

「全くどこほっつき歩いてんだー、まさか家に帰ったんじゃないのー? っつってね。あはははは」

 空笑いは、静寂に吸い込まれていった。

 スズメの鳴き声がする。

「み、見つけに行きましょう! あの人のことだから捕まったりなんかしてませんって! アタシちょっくら購買部までひとっ走りしてきます! ビュッ!」

 まくし立てて走り去ろうとする風夏。彼女はそれを羽交い絞めにして止めようとした。しかし足が少しも踏ん張っていないので、風夏が歩くたびに足が地面にズリズリ。擦れ轍を作っていく姿は、駄々をこねておんぶしてもらうまで歩こうとしない子供そのものだ。

「離してください! 地味に辛いですそれ! 重い重い!」

 ズリズリと大きな子どもを引きずっていると、風夏のスカートのポケットからロックンロールな着メロが流れだした。顔を青くして携帯電話を取り出して切る。どうにか鳴り止むが足音が聞こえてきた。二人は慌ててどこか隠れる所を探した。だがそんな所はどこにもなかった。

「誰だ!」

 覆面の男子生徒が怒鳴りこんできた。オレンジ色のテニスラケットを振り上げ、二人を威嚇しようとした。が、その光景に身体が動かなくなった。

 風夏が彼女のアゴをくいっと上げて壁に押し付けていた。

「ニ、ニゲナイデヨ、センパイ、コウイウコトハ、アタシノホウガ、センパイ、ナンデスカラ、ゼンブアタシニユダネテ、クダサイ」

「風夏ちゃん……もう、めちゃくちゃにして」

 彼女はそもそも閉じてるまぶたをギュッと閉じ、キスを待つ乙女のように胸の前で手を組んだ。ガチガチで顔を赤くしている風夏は、ぎこちなく唇をつきだして迫っていく。

 1cm、2cmと距離が迫っていき、後少しで合体しそうだった。

「ごめん!」耐え切れなくなったのか、男子生徒は走り去った。それを横目で見ていた風夏は、ほっとため息。

「……あの、い、行きましたけドッ!?」

「ふうかちゃん」

 離れようとする風夏だったが、彼女はがっちりホールドしてきた。風夏の胸に顔を押し付ける。ぷるぷる震えている風夏を、捨てられた子犬ように上目遣いで見上げた。

「好きになっちゃった」

「ええ!!??」

 急な告白に風夏はたじろぐ。何も言わずにツンとつきだしてくる唇。思わず断った。

「ご、ごめんなさい、アタシす、好きな人が……」

『いつまでやっているんですか。後25分しかありません』

 鋭い声。思わずウッと声を上げてしまう。敵意むき出しの目黒の声だ。

『この時間会長は特別棟の裏にいるはずです。早く行きなさい。以上』

 それは切ったはずの携帯電話からだった。消したつもりが通話ボタンを押していたようだ。

「もしもし? ……放送室に行かなきゃいけないのに」

 風夏は、柔らかい胸でそれを聴いていた彼女を困った顔で見た。

 彼女は笑った。

「知ってるよ」


 見回りをしているフリをしつつ慎重に移動。体育館から歩いて5分ぐらいのところを10分かけ、なんとか特別棟裏にまで来る。

 角から覗きこんだ風夏が手招きするように合図を送る。彼女は首をかしげると、羽毛のようなふわふわな走りで近寄ってきて、ナイフのような鋭いビンタをかました。

「なんすかなんすか?! 内乱ですか?! 奇襲ですか?! そうかよそうかよですか?! すぐ殴る大人ですか!!??」

 頬を抑えて涙目の風夏。なぜか彼女は困ったように眉をひそめる。

「だって~~かかって来いよってやったじゃん~~?」

「こそこそしてる時に殴って来いとかトチ狂ってますよアタシそれ!!」

 まあまあと彼女に背中を押され、風夏は校舎裏に足を踏み入れる。

「あ~~~~」ほがらかな笑顔が間延びした声を上げると、右の塀伝いにいた。

「きたか」

 2人が走り寄ると、鬼灯は凛々しい顔を向ける。右手に持っているじょうろで花壇に水をやるたびに、ポニーテールがゆるく艶やかに輝く。色鮮やかな花壇をバックに佇む姿は、美しい一枚絵のようだった。

「遅かったな」

「いや~~風夏ちゃんと途中であって~~~~」

 彼女は振り返る。彼女の背中の後ろで風夏は丸くなって隠れていた。

「風夏」

 呼ばれて風夏は震え上がった。おそるおそる顔をあげると、鬼灯の微笑があった。

「私を追って来てくれたのか。ありがとう風夏」

 伸びやかなその声に、風夏はさらに震え上がった。

「いや……わかっている。でも放送室にはもういないと思うぞ」

 鬼灯は目を伏せて言う。その言葉の意味がわかったのか、眉を立てて言い返そうとするが、他のことの方が気がかりになった。

「え? なんで知ってる……」

「……そろそろか」

 コクリと風夏の後ろに視線を送りながら頷く。風夏が振り返ると、のほほんとした笑顔が。鬼灯はさっさと歩き出し、彼女と肩を並べて先に行ってしまう。親しげに話している様子から、知り合いか友達のようだった。

「? 何のアイコンタクトですか?」

「フフ、風夏は私のことだけ考えてくれていればそれでいい」

 まるで事態をがわかってないように、ガールズトークに花を咲かせる女子高生2人の背中を追いかけた。


 3人は堂々と覆面が巡回する校内を歩いて行く。鬼灯の腕をロープで縛り、ロープから伸びる紐を覆面の彼女が引っ張って牽引している。

「私は連行される犯罪者だな」

「しゃべらないでくださいよ。バレたらヤバイのはアタシと……えー、相川……?」

 鬼灯の嘲笑を背中につく風夏が止める。覆面をかぶって背中を押していた。

「相川読子だ」

 前を歩く相川が少しだけ振り向いて手をふった。

「相川さんなんですから……つうかさっきから重いですよ、ちゃんと歩いてください!」

 鬼灯は涼しい表情をしながら斜めっていた。前体重を後ろに傾けている。風夏は後ろからついていくというより、寄りかかってくる鬼灯を支えている役割になっていた。

「風夏に支えられて歩く。共に人生を歩む一種の比喩のようではないか。いや、実際には私が支えるから風夏は2人の家を守ってくれ。そうだ、大きい犬を飼おう。子供はそうだな……そのうちだな。それまでは私が風夏を独り占めだ。フフ、楽しみになってきたぞ、いいと思わないか」

 生真面目な顔から聴こえてきた結婚生活プランに、風夏は心を無にして瞳の光を消していた。

 適当に相槌を打っていると体育館正面入り口へ辿り着く。入り口の前には覆面の女が2名、オレンジと黒に染めた竹刀を持って立っていた。先頭で牽引している相川が右手を大きくのんびりと振り上げる。

「きましたわ~~」そののろい声を訊くと、彼女達は頷き合い、左右の扉をを二人がかりで開けた。

 開かれる体育館の空間。その別世界に、風夏は絶句した。

 昼だというのに全ての窓のカーテンは閉まり薄暗い。ステージには、”MAXCOFFEE  練乳入り”と、これまたオレンジと黒で色が統一された旗が国旗のように掲げられている。広い室内の奥のステージ前もオレンジと黒。蛍光ペンで一筆書きしたように、鮮やかなコントラストを作っている。

 それは一斉に振り返った。彼らは入ってきた3人に、ただただ何も言わずに無数の瞳を向けてくる。風夏は人の多さに尻込みしそうになった。同士の会の会員たちだ。100人以上はいる。およそ1学年分の高校生達が、オレンジと黒の覆面を恥ずかしげもなくかぶり、行儀よく列を作って整列しているのだ。

 その統一された配色の風景、物々しい雰囲気。まるでよろしくない宗教の集会会場、または、何かの決起集会そのものだった。

『5分前にご到着ですか。少々遅かったですね』

 突然スポットライトがステージ中央を丸く射抜く。光の中で人の良さそうな笑みを浮かべるは、向坂陸郎だった。

『さすがにバレバレですよ、お2人とも』

 スピーカーから声がすると、入り口の両脇からどでかい男2人現れた。昇降口にいた門番達だ。風夏と相川の両腕が背中に捻られ覆面を剥がされた。痛がる時もあまり変わらない相川とは別に風夏は激しく抵抗した。だが、鬼灯に止められた。

「やめろ風夏。君の部員が危なくなる」

「え?」

『よく聞こえません。そこのマイクに向かって話してくれませんか? 校長先生もそう言ってますよ』

 相も変わらぬ向坂の優しげな声がすると、中央を照らしていたスポットライトがステージの左端へと移動する。幕の内側からパイプ椅子に縛られ口にガムテープで塞がれた校長先生が運ばれてきた。丸っこい風貌をして子グマのような印象を与える校長は、うーうー唸って必死にもだえている。

 鬼灯は直ぐにロープを解いて捨てると、覆面たちの前におかれたマイクスタンドの前に立つ。途端に別のスポットライトが鬼灯の凛々しい立ち姿を浮かび上がらせた。

「約束通りに来たんだ。校長先生を返してもらおう」

『約束通り? 約束通りか。生徒会長も真人間のような間違いをするのですね。驚いたな』

「その生徒会長というのはやめてくれ」

『生徒会長、僕がなんて言ったか覚えてらっしゃらないご様子。僕は、1人で、来いと、言ったはずですよ?』

 戻ってきたスポットライトの光の下で、本当に愉快そうに、向坂は満面の笑みを見せている。

「アタシ達が勝手に着いてきただけよ! だから付き添いには含まれてない! 約束は破ってない!」

 風夏の叫びに向坂は指で合図する。瞬く間に風夏と相川の口はガムテープで塞がれた。

「あ、そういえば上田さんも下手な行動取らないほうがいいですよ」

 向坂がマイクを切って右上を指さす。スポットライトが2階のギャラリー用の細い通路に移動する。

 照らされた通路の奥には無邪気に笑う百々目鬼が。咥えられた子猫のように、背の高い会員に後襟を掴まれてブランとしている。その隣にはレアラ。ロープで腕を縛られ、無表情に立ち尽くしていた。足下にはネコちゃんが居る。捕まっていると言うより寝ていた。

 風夏と目が合うと百々目鬼は口を動かして何か伝えようとしてきた。風夏が目を細めて口元を追う。

 は・ん・に・ん・は・ち・か・く・に・い・る……目が疲れるだけの結果になった。

『さ、前置きはこのぐらいにして、約束を破ったからには罰を受けてもらいましょう。ハイみなさんやっちゃってください』

 向坂が空いている手を挙げると、体育館の外から大きな爆発音が連続的にした。

『今、学校中の自動販売機が爆発しました。コレでもう学校で飲み物を買うことができなくなってしまいましたね。アナタのせいで』

 指をさされた鬼灯は、腕組みして言う。『そんなことをしてどうなる』

『どうにもなりませんね。ただ、生徒会運営費が少しばかり減るぐらいです。その程度ですよ。ただ僕が気に入らなかっただけですからやりました。アナタと同じです』

『そうか。なら、もう校長先生を開放してくれるな』

『土下座してください』

 至って冷静な鬼灯に向かって、向坂は不敵な笑みを投げかける。

『全裸で、と言いたいところですが、色々とあれがあるので、服を脱いで、下着で土下座してください。僕たちに謝ってください。それとついでに生徒会長もやめてください』

 風夏が目を剥くと同時に、ステージが光で白く染まる。光の中から向坂以外に4人の姿が現れた。

 物静かそうで肌の白い小柄な女生徒。角刈りでガタイが良い男子生徒。金髪でアロハシャツをきている男子生徒。そして一番左端、瞼が半分しか開いていなく、濃いくまがよく目立つ猫背の男子生徒。津島哲平。

 風夏は暴れてガムテープ越しにモゴモゴ言い、射殺さんばかりに睨みつけた。哲平はそんな風夏に一瞥くれただけで、他の覆面たちと同じように鬼灯を睨みつける。

 数えきれないほどの憎しみの視線。視線。視線。それでも鬼灯は仁王立ちして、いつもと変わらぬ鋭い目付きでそれを受け止めた。そして、不思議そうに首をかしげた。

 口が動く。マイクに通っていない。皆の様子にああ、と鬼灯はもう一度口を近づけていった。

『何をだ?』

 それは演技のようには見ない自然さがあった。本当に不思議でたまらないといったようだった。思いがけない反応に向坂の笑顔がわずかに揺らぐ。すぐ笑顔に戻しメガネを外すと、ポケットから白いハンカチを取り出した。

『自分の乱暴な行いを覚えていないと。度重なる自分本位で勝手な校則や規制を覚えていないと』

『私がやったのだから忘れるはずがない』

 即答する鬼灯に、向坂に微笑が戻った。

『それならいま直ぐ謝ってください。私鬼灯五月は、生徒たちに迷惑を駆けてしまった、最低最悪の生徒会長の風上にも置けないただのメスでしたと』

『君は何を言っている?』これも即答だった。考えている素振りを一切見せていない。『私はなぜ謝罪せねばならないのかを教えて欲しいのだ』

 鬼灯の純粋な問いかけに、取り戻したはずの向坂の表情が崩れかけていた。

『僕をおちょくっているのか? 今言ったでしょう、あなたの非道の数々を地面に頭を擦り付けて謝れと言っているんだ! いや、ですよ』

 鬼灯は腕組みしたまま視線を落とした。

 会員たちがざわめく。誰もが怒りではなく困惑の色を見せていた。

 体育館の大時計の針が長身がガコンと音を立てて一分を刻む。

 鬼灯は顔をあげた。

『君はどこの学校の話をしてるのだ?』

 向坂は、メガネをかけ直した。他の会員、いや、ここにいる人間の目が一斉に見開かれた。

「自分が今までやってきたこと、全部が正しいと思ってるのね……」

 向坂に寄り添うように立つ色白の女生徒がポツリと言う。言葉にされたことで事の事態を把握したのか、向坂は笑った。

『ハハ! まさか、善悪の判断ができないのか?! 子供じゃないか! 生徒会長である前に、人間としてダメだったとは傑作だ! ハハハハ! ヒーヒー』

 笑い転げる向坂とは別に覆面たちは驚きの色が隠せず、互いに顔を見合せている。驚きと困惑のざわめきの中、風夏は別に驚きもせずガムテープごしにため息をついた。

 堂々たる立ち姿でその様子を見回す鬼灯。怪訝そうに腕組みをし直す。

『なぜ笑う』

『はあ、もういいです。あなたは一般常識が通用しないダメな人間のようですね。知能の低いアナタにもわかりやすく説明しましょう』

 ヒーヒーと空気を吸い込みつつマイクにしゃべる向坂。笑い疲れたのか足下がふらついていた。

『まず床に正座をします。両手をハの字にしておでこにつけ、そのまま礼をして床におでこをつけてください。それが土下座です。それをしないと、そうですね、校長がどうにかなってしまいますよ。さあ、お願いね五月ちゃん』

『断る』

「…………はぁ……?」

 一瞬の迷いも無い否定。思考の間など一切なかった。それを体現するように、真っ直ぐな瞳が向坂を射抜いていた。

 今度こそ唖然呆然とし、目をむいてあんぐりと口をあけている向坂。鬼灯はその様子に右手をキツく握りしめ、力強く振り上げた。

『私は、何かわからないことに謝ったりはしない。例えそれで校長先生が目も当てられないほどどうにかなってしまわれてもだ!!』

 素晴らしく透き通った声が体育館にこだました。

 そのめちゃくちゃな一言で、覆面達はアゴが外れるほどあんぐりとし、百々目鬼は爆笑し、レアラは何も変わらずに立ち尽くし、相川は寝息をたて、校長は涙を流し一層と身体を揺さぶり、哲平はこっそり吹き出し、向坂の表情が般若のように歪んだ。

「ふざけんな! お前のせいで俺たちは裏でコソコソと、ゴキブリみたいに這いずり回ってたんだ!」

 向坂が口を開く前に、静寂を切り裂いた怒声。それはステージ上にいる金髪だった。

「てめえが間違ってねえって思っていようが、オレラがそう思ってんだから間違ってんだよ! 何回いえばわかんだアァン!? 責任とってやめろ! 死ねこの自己中野郎!」

 コレに感化され黙っていてた覆面たちも、そうだそうだと、思い出したように怒りだした。

「俺たちがどんな思いしてきたか知ってるのか!」「私たちが何したっていうのよ!」「土下座しろ土下座! そんで学校もやめちまえ!」「アンタがいなけりゃいい学校だったんだ!」

 火を灯したように室内の温度が上がり、渦を巻き、やめろやめろの大合唱が起きた。風夏はやってしまったかと項垂れて、ただただ罵声の雨に身を浸した。

『…………わかった』

 つぶやきをマイクが何倍にもして周りに伝える。鬼灯は思案顔で、アゴに手を当てる。

 向坂は手をあげると罵詈雑言の嵐を止める。勝ち誇ったニヤけ顔でメガネを押し上げ、勝利を噛み締めながら、

『お願いします』

 心底嬉しそうな向坂。でも鬼灯はすぐには答えなかった。

 次の言葉に誰もが固唾を呑む――――すると焦らすように顔を上げた。

 そして、待ち望んだ一言目。

『風夏』

 突然名前を呼ばれて風夏は顔を上げた。鬼灯は半身で振り返ってきていた。向坂を含むMAXコーヒー同士の会メンバーたちは、肩透かしを食らって棒立ちになっていた。

 風夏は首をかしげた。それを問いかけと受けったのか、マイクを通して百々目鬼が訊いた。


『ダイエットの成果はどうだ?』


 風夏は視線を感じて、キョロキョロと見回す。体育館にいる全ての人間の視線が風夏に集中していた。

『痩せたか?』

 もう一度質問すると、その瞳たちは風夏の次の行動に注目しだす。凝視されることを嫌うように風夏は俯いた。

 首が赤くなる。微かに頷いた。

『こうしよう』

 向坂はハッと我に返った。向き直ると、鬼灯は右手の人差し指をピンと立てていた。

『確認したいが、君たちはMAXコーヒーが学校の中で飲めなくなったことで、こうして非合法部活のようなものまで作った。そしてそれを禁止した張本人である私に憤怒していると、こういうわけなんだ』

 それは向坂が望んでいた答えではなかった。そればかりか、自分の質問をぶつけてくる。向坂は疲れた様子で首を振った。

「……もういい、やっちまえ」合図をすると、舞台端からバットを持ったかなり背の高い覆面の女生徒が姿を表した。素振りを始めると、風切り音が一番遠くにいる風夏の所まで聞こえてくる。というか、振りが早すぎて構えと振り終わりの中間が見えない。

 校長は命の危機に涙を流して必死に首を振った。助けてくれ、と塞がれた口と充血した瞳で訴えかける。

 鬼灯は無視した。いつもと変わらない凛々しい表情の薄い唇が開いた。

『簡単な話だ。なくせばいい。飲食持ち込みについての規定をなくそう』

 ざわつくことも唖然とすることもない。

 オレンジ色の生徒たちには、何を言っているのか理解できずにいた。鬼灯は関係なしに話を進める。

『校長先生、承認してもらえますか』

 訊かれた校長は壊れたクマのおもちゃのように首をブンブン縦に振った。鬼灯は一礼して、

『と、いうわけだ。もうコレで我々はいがみ合う必要はなくなった。解決だ。嬉しいよ。やったな』

 鬼灯の乾いた拍手がする。そして、他に何かあるか? とでも言いたげに両手を広げて、ステージ中央を陣取る向坂をみた。

 向坂はメガネをかけ直すが、その手は震えていた。平静を保っているつもりだろうが、心のなかが身体を通して筒抜けになっていた。

『お、おい待てよ――』

「それは本当スカ?! それは嘘じゃないんでしょう?!」

 弱々しい声は大きい音によりかき消される。哲平が声を張り上げていた。

『いま校長先生にも確認をとった。今日の放課後には排除しよう』

 鬼灯は口角をわずかに上げて言う。

「じゃ、じゃあ、俺たちはもう、こんなコソコソしなくてもいいんスネ?」

『ああ、そうだ』

「本当に、本当に、本当なんスネ!?」

『生徒会長の名、いや、私という人間の誇りにかけて騙したりはしない』

 凛々しい表情は、重々しく頷いた。

 哲平はまぶたを全開にして、噛み締めるようにステージ下にいるオレンジ色の同士を見渡した。振り返る数十人のオレンジ色。ステージに立っている哲平以外のメンバーは、互いに顔を見合わせる。後一押しで爆発しそうな喜びが、戸惑いながらも充満していくのが分かる。

 生徒会長はそれに火をくべた。

『MAXコーヒーの持ち込みを許可する』

 ――――一つの覆面が舞った。

 そして、弾けるように無数のオレンジ色が宙を埋め尽くした。覆面たちは覆面を脱ぎ去り、抑圧されていた喜びを爆発させて歓声をあげた。雄叫びをあげるもの、肩を組み合うもの、抱きあうもの、泣いているものいて、狂ったような熱気が吹き出した。

 1つのことをやり終えた成功をたたえあい、長年願ってきた夢が成就したかのように、喜びをみなぎらせていた。高かったり低かったりするそれぞれの喜びの声は、昼下がりの体育館を揺らして、近隣住民が何事かと外にでてくるほどだった。

 門番1号が男泣きしながら風夏の拘束を解く。覆面を外したどこまでも優しい岩石のような男の笑顔に、風夏は苦笑いで答える。隣では嬉しさで泣きわめく門番2号の背中を、相川が和やかな笑顔でさすっていた。

 全然ついていけない、という風夏の声は自分自身の耳にも届かないほど。歓喜の大合唱が体育館を満たしていた。ふとステージを見ると、校長先生の縄を解く百々目鬼の隣にレアラが。バットと覆面を持っている。咄嗟に2階に目をやると会員が1人伸びていた。どうやら、校長の頭を嬉々として粉砕しようととしてたのはこのガイノイドだったようだ。

 哲平は隣の金髪と握手しあい、ステージ下を横目で見下ろす。鬼灯は気品に満ちた微笑を浮かべていた。直ぐ哲平から目を離すと、その喜びの光景を眺め、腕組みしながら何度も頷いていた。

『……っとくいかねぇええよォオ!!』

 ギイインとマイクが音を立てた。熱気が一気に凍りつき、体育館が静まり返えった。

『納得いかねえ! お前らそれでいいのか? こいつが生徒会長をやめない限り必ず同じことが起きる! 目先の餌に釣られるな! こいつを引きずり降ろさなければ何も終わらないんだ! 気づけバカ野郎共がァ!』

 その深いシワが刻み込まれた憤怒の表情に荒い言葉使い。優しい笑みや穏やかな声はもはや原型を留めていない。別人格と言っても過言ではなかった。覆面を捨てた会員たちは驚き戸惑い、抱き合ったままやハイタッチしたまま固まっていた。

「少し考えればわかるだろうが! 今直ぐその無防備な表情をやめろ! 覆面をかぶれ! さあ今直ぐ!」

 つばを飛ばし、ステージに落ちてる誰のだかも知らない覆面をメガネを放り投げてかぶり、右手を突き上げた。

『元気続き?!』

 向坂の問いかけには、誰も答えられなかった。

『どうした! お前ら会員だろうが! マックスだろうが!』

『宣言しよう』

 マイクを通して至極冷静な声が拡張される。

『絶対にない。私は一度言ったことは絶対に曲げない。もし同じ事をするならば、全校朝会の壇上で土下座しよう。君が言ったように全裸でも構わない』

「ほらそう言ってる! 俺たちは勝ったんだ。コレ以上は何を望むんだ」

 鬼灯に続き、哲平がなだめるようにいう。だが、向坂は聞く耳を持たず喚き散らした。

「俺たちの勝利はこいつに辱めを受けさせて引きずり下ろすことだ! こんなの何にも起きてないのと変わらない!」

「なにいってんだ? 確かにこいつは自分勝手でどうしようもない女だ。でもオレたちの求めているものはMAXコーヒーの開放だろ? それが達成されたいま、この糞女なんてどうだっていいだろう」

「そんなのどうだっていいんだよ! こいつをどうにかしなけりゃ終わらねえんだ! こいつを引きずり下ろして! 生徒会長を……生徒……かい……ちょう」

 怒鳴り散らして行くごとに、覆面の向こう側で向坂の顔が青ざめていくのがわかった。冷静になるというより声を失っている。

 向坂は喉を鳴らしおそるおそる辺りを見回した。ステージのメンバーは、驚きも隠せずに立ちすくんでいる。ステージ下の会員たちの瞳は、何の感情も読み取れない。

 怒りでも驚きでも熱気でもない。どれにも当てはまらない、無関心の視線。彼らは、一様に冷めきっていた。

「……終わったな」

 鬼灯は息を吐くようにつぶやいた。そして、鋭いナイフでとどめを刺すように言った。

『何だ、君の目的というのはMAXコーヒーのことではなく、私を潰すことだったのか。しかし、それだとここにいる会員たちと齟齬が生まれているようだが?』

「違う……違うんだ」

 狼狽して、首をふる向坂。幹部たちに助けを求めるが、目をそらされるだけだった。

「熱くなっていただけで……だから……つい……本心じゃない……そう、違うんだ」

『君は私に個人的な恨みがあるようだが』

 向坂は、誰にもすがることができずに尻餅をついた。

「遅すぎたんだ」

 定まらない眼で、ボンヤリとその冷たい表情に焦点を合わせた。

「私は、君たち生徒の投票で生徒会長に決まった。それから毎月一度、この体育館で校則について君たちに提案してきた。この飲食についての規定も君たちの賛同によって決まったんだ。君は、その時何をしていた? 自分の考えを私に伝えたか? 私の記憶では2人しかいなかった。不満が合ったのだろう? 何か行動を起こしたか? 私の記憶では2人しかいなかった。それに君は含まれていなかった」

 鬼灯は大勢の会員たちと不健康な男と何よりも愛している女の視線を受けながら続けた。

「しかるべき時に何もしなかったのだ。遅かったんだ。君にはもう何も変えることはできない。ただの1人の、どうしようもない女の頭を床に擦り付けさせることもな」

 向坂はフラフラとステージ上を彷徨う。幹部の一人の小柄な女生徒にすがった。彼女は、怯えたように一歩引く。向坂は信じられないという、絶望したような表情になった。一歩一歩、ふらつきながらも女生徒に歩いて行く。

「なん、なんでだよ……俺は、君を……」

 風夏が女生徒の危険を察したのか、走りだした。

「確保ォオオオ!!」

 風夏がステージにたどり着く前に、聞き覚えのある鋭い声が響き渡った。何十人もの生徒がステージに雪崩れ込み向坂を取り囲む。まるで押し相撲のようにステージ上が人でいっぱいになる。それは、風夏には思いもよらない光景だった。その生徒たちは、ステージ下で喜び合っていた会員の半分だった。

「…………あんまりだ」

 向坂は顔をぐしゃぐしゃにして、膝から崩れ落ちた。



 翌日の放課後。

 バケツとゴム手袋を持ってトイレから出てきた哲平の背中に渾身のタックルがかまされた。バケツの水をどうにかこぼさずに持ちこたえて驚いて振り返る。風夏がムスッとして腰に手をやり、太い眉を釣り上げていた。

「アンタ。最初から生徒会とグルだったんでしょう。相川さん達も」

 哲平の目が泳いだ。

「は、はあ? し、しらねーし。オレ、会員だし。だからこうやって、他の同士と同じく奉仕活動に勤しんでるし」

 2人がそうしていると床を磨いている生徒にどけと言われる。本校舎1階には大勢の生徒がいて学校の窓や床などを磨いていた。全員MAXコーヒー同士の会の会員たちだった。

 その生徒を睨んで震え上がらせると、風夏は首根っこを掴んでずんずん歩き出した。引きずられていく哲平は、パンを千切っていくように掃除用具を落としていく。階段をのぼりきって屋上まで来ると風夏はやっと哲平を離し、腹立たしげに振り返った。

「アンタ、この前の日曜日向坂に誘われたでしょう。アタシがアンタがどこにいるのか向坂におしえた時にさ。でもアンタは興味がなくて断った」

 立ち上がろうとしている哲平の背中に一方的にまくし立てた。

「それは良いと目をつけたのが生徒会。ちょうどアンタが部活やめるって言ったあの日、生徒会室からの呼び出しってのは、スパイとして潜入して欲しいって依頼だったのね」

 哲平はビクリとしたが、何くわぬ顔で身体を起こした。

「そして相川さんと金髪先輩の尽力によって、ほとんどが味方の状態で体育館の一件に挑んだ。向坂に思うようにやらせ、鬼灯さんの言葉にアンタが賛同する。すると相川さん金髪先輩の息のかかった会員が過剰に反応する。集団心理ってやつ? 大勢の意見にすぐ流されてしまうって日本人の悪いところよね。そしてアンタが、逆上している向坂に、MAXコーヒーなんてどうでもいいと言わせて、任務完了ってね!」

 哲平は何度も深呼吸をしていた。

「アタシが受けた1年間ってのはホナルチ部全員で1年間だったのね。ということは、当然百々目鬼シスターズもグル。どうりで羽振りがいいと思ったわよ」

「……憶測で物を言うもんじゃない――」

「めぇぐぅろさんに聞かされたのよ。ドヤ顔で!」

 冷静を装った哲平の言葉は、風夏の怒気に蹴散らされた。

「よく考えるとおかしい所あったな~~。相川さんが、たまたま! 私が外に出ようとしたとき現れたし。鬼灯さんが、なぜか! 百々目鬼コンビが捕まってたの知ってたし。アンタも3度の飯より大嫌いなはずの鬼灯さんの提案を、すぐさま反応してたしね。変な語尾で。会員も過剰に反応する人が多かったしさーねーなんでかな!」

 文節ごとに語尾を荒げ、風夏は一歩ずつ追い詰めるように距離を詰めていく。背後に迫る獣の気配。哲平は心を落ち着かせるように深呼吸して、ぎこちない笑顔で振り返った。

「いやー、あれよあれ。敵を欺くにはまず味方からっていう……お前にはこういう繊細な芸当は無理かなっていうか、オレ一人でやったほうがうまくいくかなっていうか……つうか、危ない目に合うのは明白だから、巻き込まないほうがいいかなーって……それに、なんか変なの見てさ……お前がオレを……あ、あれ、お、おい。なんで」

 風夏は哲平が何かに慌てているのを声で理解した。視界がぼやけていて、視覚できなかったからだ。さらに自らの声がおかしい。発音しているつもりが、隙間風のようなかすれた音しかでてこない。

 ふと右目だけ視界が晴れて、何かが頬をつたった。ぼやけ半分の視界で拭ったそれを訝しげに見つめる。夕日で光る、濡れた手のひらだった。

 突飛な事すぎて哲平はどうしていいか分からずにオロオロ。でもそれは本人も一緒だった。両手でぐしぐしと顔をこするが、一度溢れだした涙は止まらない。スカートで拭っても全然追いつかず、鼻水まで出てくる始末だった。

「す、すまん。なんか言い過ぎたか? あーもう、なんでオレはこうすぐ……」

 哲平は自分に苛立ちながらもポケットを探るが、ハンカチを持ち歩いていないことを確認するだけでどうしようもない。嗚咽混じりで泣きじゃくる風夏に歩み寄るが、

「び、びんなぁあーー!」

 哲平を突き飛ばしてドアへ走った。

「わがんない。なんでなくのよバカタレ! とまれ! 止まれって!」

 ドアをくぐって下へ続く階段の前に立つと、上を向いてジャンプしたり、顔を叩いたりしていた。哲平は冷たいコンクリートの上で大の字になり、涙を止めようとしている風夏をぼんやりと逆さまに捉えていた。

 呆然。どうしよう。頭が機能しない。

 一体、何に対して泣いているんだ。やっぱりオレが何か気に触ることを……。

 ふと。視界に人影が現れた。

 ドアの影からスッと。抜け出てくるように。

 ゆっくりと頭の回路が繋がるように、哲平はそいつが誰かを認識していく。

 あの後ろ姿、どこかで見たことがある。

「アンタって」

 いや、ここ最近、毎日のように――。

「いつも1人で先にいっちゃって……」

 会合で。

「アタシはただ」

 見た。

「後ろを追いかけるだけ」

 向坂の。

「……」

 隣に、いつも寄り添っていた。

「もっとアタシは」

 振り返る。

 アレは――――――――――。

 風夏の背中に向き直って、階段の前で俯く風夏の背中を。

「風夏ァーーーー!!」


「哲平と二人で――」

 

 ○

 

 転落した2人は、病院に搬送された。風夏はたんこぶが出来る程度ですんだが、哲平の意識は戻らなかった。

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