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2章

都市伝説を暴け!

・二章

 津島哲平はブレザーが汚れることなど気にせずソファーに横になり、映画が流れているブラウン管を眺めていた。窓ガラスを叩いてくる雨の音が、テレビからの銃声に雑音を混じらせる。昨日から続く大雨のせいだ。

 チラッと向かいのソファーに目をやると、半眼の瞳の間にシワが寄った。

「それは、何ですか?」

 向かい側のソファーに座っている上田風夏にそう問いかける。相変わらず半袖のブラウスでスカート&スパッツ越しのぴっちりとしているふとともの上には、ぶち模様の犬がでろーんと伏せていた。

「知らないの? 犬よ。色々種類があるんだけど、この子はウェルシュコーギー……駄犬よ」

 風夏は訊かれると書く手を止める。事件簿ノートの上にシャーペンを置くと、ニコニコしてネコちゃんの毛並みを撫で付けた。

「丁寧なご説明の所悪いんですが、その、ネコがどうしてここにいるかを教えてもらえませんかね」

 不機嫌な哲平の問に、今気づいたような大げさなリアクションをした。

「なんでも白鳥さんのお母さんが犬アレルギーらしくて、飼うの禁止なんだってさ。隠して飼ってたんだけど、ネコちゃんが可哀想だし、代わりに卒業するまで預かって欲しいんだって。ねー?」

 風夏がそう言うと、ネコちゃんは言葉がわかっているかのようにひと鳴きした。

「説明ありがとうございます。話は変わりますが、部室棟での動物の飼育は禁止ですけどそこの所どういう意見をお持ちで?」

「はい」風夏はネコちゃんを撫でててた手を元気よく上げ、「校則を破るのはいけないと思いまーす。ルールは縛るためでなく守るためにあるからでーす」

「模範的な意見ですね。それでは即刻そのややこしい犬を返してきなさい」

「わん!」

 吠えたねこちゃんに、哲平は横になったまま3センチ飛び上がった。

「アハハ、おれは部員だから破ってないってさ」

 大口を開けて笑うと、風夏はネコちゃんを愛でるのに戻った。

「随分と野生をわすれた犬だな」

「いいじゃない、マスコットキャラができたわけだし。あたしンちなら一緒に住めるしさ」

「味ぽんかけて食っちまうぞ。くっそ」

「ふーん」哲平の愚痴に風夏は意地悪く鼻を鳴らす。ねこちゃんを床に下ろすとドア横に佇む人体模型に近寄って、自分の通学バッグを漁りだした。

「そんなこと言うと、コレあげないケド~~?」

 不機嫌な顔を億劫そうに上げると、その眩しさに腕をあげた。まばゆい光が、風夏の右手から発生している。いや、右手に持っている何かが光を発していた。

 その光が徐々に薄れていくと、哲平はその正体に目を見開いた。オレンジ色と黒のコントラストのデザインの、6本パックの缶だ。

「お、おおぉお、しょ、しょれはぁ」

 哲平だけに見えていた光が完全に消え去ると、それは紛れもなくMAXコーヒーだとわかった。

「な、なによその救世主が現れたみたいなリアクション。アタシが言うのもなんだけど、ただのMAXコーヒーよ、これ」

 哲平の過剰といえる反応に引きながらも一本取り出す。

「白鳥さんから貰ったの。なんか生徒会メンバーだからこういうことするのいけないんだけど、気持ちだからとかなんとか。ホント、男にしておくのはもったいない顔の作りと女子力の高さを持ってるわ」

「風夏さんよ」

 重々しく体を起こす哲平。その雰囲気になぜか風夏とネコちゃんは身構えた。バッと顔を上げると、

「犬、結構すきです!」

「清々しいわ!」

 風夏はビュッと哲平に一本投げる。まるでフリスビーに飛びつく犬のように器用なキャッチをみせた。

「アンタには人間の尊厳とかプライドみたいなのはないの」

「幼稚園のころ砂場で遊んでたらなくした」

「とってきなさいよ! こっちが恥ずかしくなんのよ!」

 風夏がつっこむのを無視して、哲平はプルタブをあけた。何の前触れもなく、コンコンとドアがノックされる。

「あ、きたきた」

「来た?」哲平が缶から口を離すと、ガラッとドアが開く。そこには長袖のワイシャツを身にまとったメガネの男が、ひょろっと手を上げていた。

「あれ? 何のよう?」

「やあ、津島哲平くん。これで二度目じゃな」

 哲平は違和感に眉をひそめた。男らしからぬ特徴のある高い声音だった。オバサンのようなという例えががよく合う。

「お前風邪ひいたのか?」と、男の痩せたメガネ顔をみるが、首をかしげている。その唇は全く動いていないのに話が続いていた。

「今日は他でもない、この現代のアインシュタインと呼ばれているワシが、君たちに依頼を持ってきたゾイ」

「それ腹話術? まさかわざわざコレ披露するために来たのか? いや、でもなにげにキャラに個性あるし相当うまいけど……でもワシは無いんじゃ」

 哲平が関心と駄目だしをしていると、風夏が寄ってきて肩をつつく。そして男の足下を指差した。

 男のメガネから視線を下げると、袖あまりの白衣を纏った小さな少女がちょこんと立っていた。抱えている風呂敷はボールでも包んでいるのか、丸い輪郭を作っている。

「実はな、ワシがいま作っておるアンドロイドを外になれさせて欲しいのじゃ。体は今作っておるから、この……」

 短い手で風呂敷を掲げる少女、その小さな口からはオバサンのような声が発せられている。

 哲平は少し驚いたような仕草をみせたが、すぐに優しい笑顔になった。

「あの、お嬢ちゃん? 大切なお小遣いをこんなトコロで使っちゃだめだよ? おもちゃの事だったら、駅南のおもちゃ屋さんにいったらいいとおもうけどなー?」

 やさしい声音で屈みこむ。気持ち悪いほどの笑顔に、少女のツインテールが揺れて、ぐるぐるメガネごしの顔がにやっと笑った。

「先輩なんだけどな……」

 唐突に男が頭をかいて言う。

「ああ、年長さんってこと」

「ガハハ、信じないならそれでよい。実際チンチクリンじゃからの」少女は空笑いをして、「依頼人なんじゃから別に素性を伝える必要もないじゃろ? なんたってお主ら、プロじゃからな」

 そう言って後ろで会話を聴いていた風夏に目をむける。風夏はうーんと腕を組んで、悦に入りだした。

「まあ、そうね。依頼だけで繋がる関係、プロフェッショナルなアタシ達にはそれで十分、かな?」

 アゴに手を当ててキメポーズを取っているからか、「ホラ言った通りです」「プロとつければプルトニウムでも盗む勢いじゃな」というひそひそ話は聞こえていないようだ。

「それで、えと、アンドロイドをなれさせる? というのはどうすれば」

「ああ、ほれ」

 風夏は勝手に話を進めだした。哲平が静止しようとしたが、少女が風呂敷をとる方が早かった。

「ちょっとやめうわああああ!?」

 風呂敷の下から現れたものに、哲平は尻餅をついて悲鳴を上げた。少女の腕に抱えられているのは、生首だった。紫色に輝く髪でメガネをかけている。瞳は青く、まぶたが半分落ちていて、異常に整った美女の生首だった。

 その美貌に恐怖がひっこみ、哲平はぼんやりとして見とれてしまった。

 首は薄い唇からえらく平淡に言葉を紡いた。

「……うっほほーい」

「ガハハ、ちゃんとコミュニケーションは取れるようじゃな」

 少女はポーッとしている哲平に歩み寄り、美女の生首を手渡した。目があうと、パチパチッと瞬きを返してきた。

「そいつが今ワシが作っておるガイノイド、ES4039781百々目鬼レアラじゃ。そいつを一日ほど外へ連れだして欲しいのじゃ」

「あのー、もちろんお引き受けしますが……えーと……おひねりぃ……」

 風夏のもみもみと手を揉んで媚びへつらうゲスい表情。少女は思い出したように手を打った。

「ああそうか。安心せい、100倍だそう」

「うええ!? そそそんなに!! てことは、じゅ、じゅう……!」

「ああいいとも。ワシは天才じゃ。だから金があるのじゃ!」

 胸を張って豪快に笑う少女に、ひゃっほー! 天才天才! と風夏は腕を振り乱して喜んだ。

「ガハハ、交渉成立じゃな。じゃ、よろしく頼んだぞ。健闘をいのる」

 哲平はハッする。すぐさま顔を上げたが、すでに少女の姿はなくなっていた。

「……どんすんだよこれ」

 くるくると回ってなに買おうなに買おうと繰り返している風夏は瞳に円マークを入れて、

「明日校門前集合ね! やるぞやるぞやるぞ~~現ナマ現ナマ!」

「待てオレはやるとは言ってないぞ」

「じゃ遅れないでよ、アタシから以上!」

 風夏は哲平の声など耳に入っていないようで、素早くノートをしまいバックを持つと、ネコちゃんを引き連れて部室を出て行った。

「今日はやけに強引だな……」

「いわゆる、金に目が眩む、という状態と推測されるです」

 誰もいなくなった部室。哲平はその平淡な声の持ち主と目を合わせた。半眼と半眼が見つめ合う。

「あの、話しできる?」

「です。短い間ですがよろしくです」

 そういったレアラの表情は尚も動くことはない。哲平はすっくと立ち上がった。そして、人体模型のところへいくとそのパッチリとした目の首をとった。

 レアラをすっぽりとハメた。

「よし。オレはもう帰るからそこにいろ」

「女の子を置いてけぼりにする男は酷いです」

「酷くて結構。生首もって外歩きたくない。お前はめんどくささを運んできそうなんだよ」

「私に見とれてしまっていたではないです。持ち帰ってアレしてもいいです」

「アレはしない。見とれて……はいたけど」

「私は今とても嬉しいと感じてるです」

「いまは全然だけどな」

 無表情に笑い声をあげるレアラ、その胴体は筋肉むき出しの筋張ったものだった。

「暖かくして一日待ってろ……つっても、こんな体じゃ寒さも何もないか」

 ひとでなしでーす、というレアラの声を無視して哲平は帰り支度をはじめる。

「哲平」

「うるさい。そんな男声で凄んでも意味ないぞ」

 哲平はさっさとバッグをたすきがけする。それでも呼び止められた。

「いや、哲平違うよ」

「声マネもできるのか。確かに益子じゃないよお前は。ロボット? なんだろ。本当なのかわかんないけどよ」

「本当です」「哲平……」

 今度は別々の声に同時に呼び止められた。テーブルを片付けていた手を止めて後ろを振り向いた。

 ドアの隣には美少女人体模型がまっすぐ前を向いて佇んでいる。そのドアは開いたままで、痩せたメガネの男、益子がひょろっと棒立ちになっていた。

「お前帰ってなかったのか」

「僕ってそんな影薄いのかな……」

 哲平は上を向く。

 バッグを肩にかけて、よし帰ろとひとりごちた。

「なんとか言ってよ!」

「そうだ丁度いいコイツを引き取ってくれよ。アレしても可」

 哲平は手早くレアラを引きぬくと、沈んでいる益子に押し付けた。

「明日校門前集合だってさ。時間はー……わかんなけどきて」

 適当にあしらうと部室から追い出して鍵をかけ始めた。

「ごめんな益子。実は明日映画見に行かなきゃならないんだよ。初日だ。映画にとって初動ってのは大事だから、こればっかりは引けないんだ。オレは、渡場監督の映画をこれからずっと見守り続けて行きたいんだ。だから……ごめん」

 哲平は噛み締めるように言い切った。

「そう、だったんだ。ごめんね……」益子は顔を伏せて言う。

「いや謝ることはないよ。むしろオレがありがとうと言うべきだ。ありがとう益子、君の選択のおかげで日本映画界の未来は救われた。ありがとう!」

 別人かと思うほどの弓なりの瞳にピンク色の歯茎むき出しの笑顔。益子の右手を力強く掴んで、ブンブンとふった。益子は苦笑いして口を開く。

「哲平、僕依頼主」

「でしょうね。じゃなかったら待ってないよね」

 別人のような笑顔は、瞬く間にまぶたが半分に落ちて歯茎が隠れ哲平になった。

「なんだわかってたのか。押しきられると思ってヒヤヒヤしたよ」

「そのつもりだったんだけどな」

「や、やめてくれよ。上田さんと行動したら心臓がいくつあっても足りないよ」

「吐いて吐いて強くなれ」鍵をかけ終えてポケットにしまう。

「本当は百々目鬼先輩と一緒に言うつもりだったんだけど、タイミングがつかめなくてさ」

「百々目鬼? ああ、あの幼女か」

「幼女て……年上なんだけど。先輩と僕の頼みをセットで依頼しようと思って来たんだ」

「セット?」

「そうそう、同時にこなして欲しい。そのほうが哲平たちにも効率がいいよ」

「……もしかしてオレが一人になるの待ってたか?」

 嫌そうな顔の哲平に益子は貧弱な笑顔で即答した。

「哲平ケータイ持ってないし、連絡とったりしないでしょ」 

「まあ……一つ聞きたいんだけど、セットってことは同時にやらないといけない、とか無いよな」

 おそるおそる訊くと、またもや即答する。

「あるよ。レアラちゃんに言ってあるから、仲良くやってくれ」

 レアラがパチパチと瞬きをした。哲平はげんなりとした。

「別に1人でやらせればいいじゃんかよ。オレが行く意味ってあるか?」

「ある。君がいないと眉毛つきコアラが出てくる確率ぐらい解決しない」

 哲平は何も言わずに歩き出した。横につく益子の腕には生首が抱えられたままだ。

「生首もって外あるくのやばくないか? カバンには入んないし」

「大丈夫です。カモフラージュモードへ切り替えますです」

 黙っていたレアラが急に口を開いた…………………………………………「完了しましたしましたです」

 長い沈黙の後、レアラが瞬きをする。哲平は首を捻った。

「は? どこが……」

「哲平、たぶん、ここ。ここ」

 益子が困惑しつつもそれを指さした。生首のアゴにしゃくれができていた。

「……そこ変えるか」

 

 ○

 

 翌日、正午前。

 通学路のフェンスごしに見える学校の校庭では、部活動に勤しむ生徒達が汗を流していた。哲平はそれにあくびをくれると、校門へと視線を移す。

 ぱらぱらと人の出入りがある校門の横に、ウエストポーチをした女生徒が腕組みしていた。足下にはネコちゃんが腹ばいになっていた。

 あくびを噛み殺すと制服の哲平が風夏に話しかける。

「休みなのに制服かよ」

「……コレが我が部のユニフォーム。学生みな部員」

 腕組みして苛立ちながら風夏が言う。哲平はアクビをしながら言う。

「100人以上幽霊部員がいる部活とか潰れたほうがいいな」

「集合時間アンタのパソコンのメーラーに送ったわよね」

 風夏が睨みつけているが、哲平は眠たそうに目をこすった。

「まあ、見たね」

「じゃどうして2時間遅れて来たのよ。返信も返さないし」

「その時間オレは寝てるし、メールのやり方はわかんないよ」

「なんでよ! ワザワザおじいちゃんでもできるって売りの簡単なトコロで作ってあげたのにィ! なんでなん!?」

 風夏が全力で叫ぶと、そのつんざく声に哲平は耳を塞いだ。

「うっさいな……もう、手紙で連絡してくれよ。メッセンジャーとか鳩とかでスイスイビュビュッとさ」

「ほんっっっとに覚える気ないのね。ネット社会に全力で喧嘩うってるわよねアンタ」

「何いってんだ、ネットがなかったら生きてけないだろ」

「ネット中毒のくせにメールできないとかヤヤコシイわ!」

 風夏はぜーぜーと肩で息をして、やれやれと首を振った。

「まったく、海より深いアタシの心じゃなかったら、ここらで我慢の限界だったわよ。もうさっさと……って、首、じゃなくてレアラはどうしたのよ」

 風夏は肝心のレアラがいないことに気がついた。持っているはずの哲平は、カバンを持っていなければ携帯も持っていない。どうみても手ぶらだ。

「まさかアンタこんだけまたせといて忘れたなんて言わないでしょうね」

 ……哲平は教室の自分のロッカーを開けた。狭い空間でレアラが瞬きした。

「ほら、忘れてない」

「こんなトコ置いといて誰かに見つかったらどうすんのよ!」

「大丈夫だって、カモフラージュしてるから」

 言われて、風夏は困惑しつつもまじまじとレアラを見る。アゴがしゃくれていた。

「……そこ変えるの」

「だよなー」



 きらめく紫髪が商店街のアーケードでゆらめいている。

「その7つの都市伝説をアタシらが暴くの?」上から風夏の声が降ってくる。「調べてどうすんのよ。そんなん誰も信じちゃいないわ」

「それは承知の上だそうです。ただ行ったという体験談が欲しいだけらしいです。面白ければ可だそうです」

 ゆらゆら揺れながら言うレアラ。

「あいつ、全然新聞のネタないんだな。そのうち三文ゴシップ記事書きだしそうだ……なきそ」

 哲平の同情の声も降ってくる。レアラの髪も顔もゆらゆらと揺れたままだ。

「ま、どこいくとか考えてなかったし、丁度いいわね」

「お前、予定もたてずに呼び出したのか」

「そんなん立てなくてもそこら辺ぶらぶらしときゃいいと思ってたのよ。歩いているだけで大金が転がり込んでくるなんて、IT会社の社長になった気分!」

 レアラの頭上で哲平と風夏が話しだした。

「しかし、こんなのでカモフラージュになってんのか。あ、子供がこっち見た……ホラ泣いたよ」

「こういうコーディネートですって堂々としていればいいのよ。お巡りさんも笑ってたじゃない、個性的なわんちゃんですねってさ。政府のお墨付きをもらったんだから、間違いはないわ」

 ゆらゆら揺れるレアラ、それを揺らしているのはネコちゃんだ。背中に布で括りつけられた生首を小さい四本の足でどうにか支えていた。コーギーの背に生首が生えている光景は異質だが、異質過ぎて現実味がなかった。だからなのか、人間と大差ない生首に視線が集まっても騒ぎになることはなかった。

「前衛的で理解できないというやつだなこれは」

「はいはい、それじゃ問題も解決したことだし、一つ目いってみよー!」

 オー! と、風夏とレアラは雄叫びを上げた。

 

 1、食堂吉井亭で呪文を唱えると押しつぶされる。「ケイコさんはお綺麗ですね」

 

 吉井亭の店内は広く、汚い字で書かれたメニューが壁に貼ってある。厨房が丸見えで、襖一枚隔てた先に居間が見える。切り盛りしている初老の夫婦の生活空間だろう。

 2人と1匹と1頭は4人がけのテーブルにつく。昼間から酒盛りをしている爺さんたちが、テーブルの上に置かれている生首を何事かと盗み見ていた。

 もじもじとして注文しようとしない風夏に代わって哲平が注文を済ませる。

「いい加減人見知り直せよ」

 前に座っている風夏に、頬杖を付きながら哲平は言う。風夏はツンと口を尖らせてそっぽを向いた。

「そんな言われても、仕方ないじゃない……そうなんだから」

「風夏さんは哲平さんには饒舌にお話をしますです」

 風夏の隣のレアラが言葉を発すると、爺さんたちがどよめく。

「まあ……腐れ縁だし」風夏は頬をかいて、「そもそもコイツに気使う必要ってあると思う?」

「返答しかねますです」

「……この話題はやめよう。オレの心が悲鳴をあげそうだ」

 哲平が涙ちょちょぎれていると、優しそうなおばちゃんがラーメン2つをテーブルに置いた。おばちゃんの背中を見送ると涙を拭いて哲平が言った。

「よし、チャーハン持ってきたらお前いえ」

「イヤよなんでアタシが」

「さっきオレが注文したから、今度はそっちががやる番でしょう」

「アタシのは半チャーハンなのよ。量多いほうが注文するのが世の理でしょ?」

「半チャーハンにしてもラーメン大盛りだから痩せませんよ」

「風夏は減量中です」

「きょ、今日は動くから食べてもいいのよ! ってもー冷めちゃうわよ。わかりましたわかりました。何だっけ?」

 湯気でレンズを曇らせながらレアラが平淡に答えた。

 

 チャーハンを持ってきたおばちゃんに不健康な笑顔が無理に弾けた。するとおばちゃんは大笑いして厨房へ引っ込んだ。

 風夏と哲平は顔を見合わせる。その間に、はいサービスと餃子一皿が置かれた。再び厨房へ戻るおばちゃんを不思議そうに2人は眺めた。

「褒めたから……サービスしてくれた、の?」

 風夏は首をかしげる。哲平は頬をこすると推測を口に出した。

「おばちゃんのサービスを独り占めしようとした奴が、押しつぶされるとか、死を連想させる言葉を使って禁句にした。みたいな?」

「うーん……………どうかなぁ」

 風夏がつまらなさそうにラーメンをすすり出すと、哲平も箸を割る。

 チャーハンに箸をつけながら店内を見回した。味のある店内には、閑古鳥がないていた。というか、誰もいなくなっていた。酒盛りをしていた爺さんたちが姿を消し、厨房にも誰もいない。哲平はどことなく不安そうだったが、風夏と同じようにラーメンをすすろうとした。

「……た……まだ……して……」

 麺をスープの中に戻して顔をあげる。風夏の肩越しにある居間の方からおばちゃんの声が聞こえてきた。

 半分開いた襖から哲平にはよく見えた。居間にはおじちゃんが正座していた。まるで誰かに説教されているようにうなだれている。

「あんたまだケイコさんを指名してるのね」

 ハッとする。レアラが声を発していた。風夏も何事かと顔をあげる。微かにおばちゃんの声が聞こえると、レアラの口が連動して動いた。

「昨日の会合はキャバクラでやったのかしら?」

 ゴクリと哲平は息を飲む。居間のおじちゃんがタオルで脂汗を拭った。

「もう今後一切行きませんとサインしましたよね。黙ってないでなんとか言いなさい。いや行ってない。信じてくれ」レアラは1人で会話をしだした。「そうやってまたウソでもつけばどうにかなると思っているんだから呆れるわ。本当に、本当だ。信じてくれ。離婚しましょ。そ、そんな待ってくれ」

 財布から金を取り出す哲平。食べかけのラーメンを残したまま出口へ向かった。

「ちょ? どこ行くのよ!」

 風夏たちを置いてそそくさと店をでると、哲平は歩きながらめいいっぱい空気を吸い込んだ。

「噂は本当だったんだ……罪悪感で押しつぶされそうになった」

「昼ごはん食べそこねちゃったじゃないのよ。ちゃんと説明して」

 ブスッとしてレアラを抱えた風夏とネコちゃんが追ってきた。振り返って風夏に話しかけるより先に、酒盛りをしていた爺さんに声をかけられた。

「なあ、どうだった?」

「ええ。修羅場でした。ホント、申し訳ないと思っています」

 おそるおそる訊いてくる爺さんに、哲平は頭を下げた。

「まあ、そんな気を落とされるな。身から出た錆さ。あの人の女好きにも困ったもんだからな。あの餃子は口止め料だ。その意味、わかるよな。君も男だろ?」

「はい。もう忘れます。もういいません。もう忘れます」

 交わされる会話の意味のわからなさに、風夏は首をかしげるほかなかった。ペコペコと頭を下げる哲平の背中をたたき、爺さんは人混みに溶けていった。ふーと息を履くと、哲平は頬を叩いた。

「さあ、次へ行こうレアラ」

「ちょっと、説明しなさいよ! なんだったのよ!」

 食って掛かってくる風夏は暴力を奮ってきそうな勢いだったが、哲平は振り返らない。遠くから聞こえてくるガラスの割れる音に背を向けて。

「男ってのはどうしようもないから、男なんだろうな……」

「しまってないわよ!」


 2、本屋でギョニソを食うと新しい扉が開く。


 小さな個人経営の本屋、相川書店。商店街を抜けて駅方面へ向かうと大学があり、その前にちんまりと店を構えている。大学の目の前にあるにもかかわらず客は少なく、客が少ない割には本に埋もれている感覚を味わう程の豊富な品ぞろえがある。

「魚肉ソーセージ限定なんだな」

「です」

 抱えているレアラの首にきく哲平。ネコちゃんは重さでバテたようで店の外で座っている。

「アタシここに来ると具合悪くなる。匂いは嫌いじゃないんだけどさ」

「へーそういうの読むのか。ラヴァーズオンバックストリート」

 風夏が手に持っている少女コミックを指さす哲平。キラキラした大きな瞳の女の子が、アゴの尖った美男子と手を取り笑っていた。恋愛漫画だろう。

「た、たまたまそこにあったからとっただけよ。興味なし」慌てて風夏は本を戻す。「はやくやっちゃお。昼ごはん食い損ねたから腹ぺこぺこりーぬよ」

 風夏はコンビニで買った魚肉ソーセージをウエストポーチから取り出す。ビニールを剥がそうとすると、哲平に止められた。

「店ん中で物食っちゃダメだろ」アゴでしゃくると、レジにはおっとりとした女子高生風の店員がボケッと座っていた。数人の間を抜けて店の奥へ移動した。

「新しい扉っていうんだからどっかにドアがあるに違いない」と哲平が言う。

「そんな直球な意味なの?」

「他にどんな意味があるんだよ」

「あのさ。アタシ思うんだけど、最初の噂が餃子サービスの合言葉だったんでしょ?」

 哲平は目を泳がせて、うん、と答える。

「だったらこれも何かの合言葉とか、暗号なんじゃない? 魚肉ソーセージじゃなくて、ワザワザギョニソって略しているし」

「ギョニソヲクウトアタラシイトビラガヒラク。って長くね?」

「だから合言葉なんじゃない、暗号なんじゃない」

「そうだとしても誰に……」

 2人は同時に同じ方向へ向いた。レジの女子高生は缶のMAXコーヒーを飲んでいた。

「言いだしっぺの法則」

「ええ……やだやだ。ハズい」

 哲平が指差しして言うと、もじもじする風夏。

「相手はたぶんお前と同じ高校生女子だ。気が楽だろ? ホラ、それ買うときにちょこっと言えばいいだけだ」

「えー、間違ってたらここもう来れないじゃない……」と漫画を戻す風夏。

「本屋なんてそこいら中にあるっしょ」

 よほど話しかけたくないのか、ムーとすがるような表情になった。それでも哲平は背中を押して急かす。観念したのか恨むような視線を送ってから、とぼとぼとレジへ向かった。その道すがら最新刊コーナーでラヴァーズオンバックストリートの最新225巻を手に取った。

 哲平は「あつめてんじゃんか」と本棚の影に隠れてレジを見守る。本だらけのレジカウンターに二冊を載せる。女子高生風の店員はほがらかに笑うとレジを打った。

 風夏が伺うように何か言う。合言葉もしくは暗号の言葉だろう。言われた店員は開いているか開いてないのか分からない瞳でぼけっとした。

「まあそうだろうな」

 哲平は頷きながらその様子を傍観する。おどおどして風夏は振り返ってくるが、他人の振りをしてやり過ごした。

 涙目の風夏が店員に向き直ると、再び覗きこむ哲平。どうするのかと見守っていると、店員は唇に指をあてて思案顔になった。キョロキョロと辺りを見回し立ち上がると、背中にある本棚に手をかけた。背表紙を指で撫でていき、ぐっぐっと本を一冊抜こうとしはじめた。

 なにやってんだ? と哲平は困惑しながら魚肉ソーセージにかじりついた。定員はぐいぐいと抜こうとしているがビクともしない。止めようとおろおろする風夏。そして、

「……ええ~~~~い」

 ゆっくりとした掛け声とともに、本棚と大量の本が店員に覆いかぶさった。本の雪崩に飲み込まれて店員が消失した。

「ちょ、だいじょ……!」

 哲平はすぐさまレアラを本の上に置くと駆け寄ろうとした。しかし、後ろから肩を掴まれて進めない。とっさのことに振り返ると、ピチピチのシャツを着たガタイの良い男がいた。

 筋肉質な男の威圧感にひるむ。男はニコッと微笑むと、哲平の細い肩を野太い腕で抱いて歩きはじめた。哲平は身じろぎして逃れようとするが、万力のような力にびくともしない。

 風夏を含めたお客が本の中から必死で店員を発掘している横を素通りして店の外へ。ビクビクする哲平に男はウインク飛ばした。すぐに左に曲がると相川書店と隣の店の隙間に哲平を引き込む。男は壁にドンと哲平を押し付けた。

「あ、あの」

 怯えで顔面がふやける哲平。彼はニコニコしたまま見つめた、哲平の手に握られたままの魚肉ソーセージをとり舐め回した。

 縮み上がった。それを哲平に返し、男は哲平のベルトを一瞬にして外すと、ズボンを一気に下へ


 風夏はレアラを抱えてドアを開けた。ありがとう~~というのんきな声に手を振って店の外へ。

「確かに外へでたのよね?」

 ネコちゃんに固定しながらレアラに訊く。

「そのはずです。パンダのように大き男に連れて行かれてしまいましたです」

「パンダ? 何したんだアイツ」

 しっかり固定し終えて探すかと立ち上がると、路地から猛スピードで哲平がとびだした。

「ごめんなさぁああい!!」

 ベルトがはずれずり落ちてしまうズボンを必死に上げながら全力疾走。風夏の前を素通りして一心不乱にかけて行った。

「ふざけんなガキ! 次ヤッたら引きずり込むぞ!」

 ぴっちぴちのシャツを押し返しながら、大柄の男がドスの利いた声で叫んだ。唖然とする風夏と目があう。舌打ちをすると、男は人混みに紛れていった。



 ネコちゃんの先導で意気消沈している哲平を見つけたのは、近くの遅貝公園だった。ちゃんとベルトを閉めてベンチにぐったりと腰掛けていた。

「説明」

「あれは新しい扉を叩く鍵だったんだ。強制的にな……」

 蚊のなくような声で言う哲平。風夏は首をかしげて前に立った。

「どういう意味? あのパンダみたいなおっさんが関係あったの?」

「ああ、悪いことした……ホント申し訳ないと思っています」

「それじゃわからないわよ。何があったか教えてよ」

「なあ、もうやめないか?」

 それは唐突すぎた言葉は、腕組みをしている風夏を硬直させた。

「2つだけでもう全貌が見えた。この噂は本物だ。お前だってもう人間界がどんなもんかわかっただろ?」

「いいえまだ影の部分しか見ていない気がしますです」

 ベンチの下でレアラが淡々と言う。ネコちゃんが横向きに寝転んでいるので、目線があっていない。

「ほらこう言ってる。もう全部知ったも同然だ、依頼の一つはもう達成した」

 哲平は立ち上がってズボンを直し、歩きさろうとした。咄嗟に風夏は哲平の腕を掴んだ。

「いいえって否定よ、わからないの? なに勝手に自己解決してんの。やるって言ったんだから最後までやるのよ」

「1人でやってくれ。オレはもう下りる」

「あんたね……そうやってすぐに自分だけわかった気になるのやめなさいよ。もうっと、こう、アタシにも、言いなさいよ。部長なんだから」

 途切れ途切れに言う風夏の表情は、焦りと恥ずかしさが入り交じっていた。

「どうにかできるとは限らないけど……もうちょっと、頼って……」

 口を動かすごとにボリュームが下がって行き、ついには黙りこんでしまった。

 哲平の反応は早かった。

「お前にどうやって頼れっていうんだ」

 日頃の恨みを晴らすかのごとく、哲平はべらべらとしゃべりだした。まぶたを閉じて、噛み締めるように。

「走り回るか怒鳴り散らすぐらいしか脳がないお前にできることっつったら、追うか凄むかパフェ食ってオレをひっぱたくぐらいしかないだろう。頭を使えば、早々に腕組みしてうーんうーんうーーんって考えてるフリしてオレに丸投げ。おまけに始めて会った人とはしゃべれないから、結局オレがやる。すっかり変なコミュニケーション能力がオレに備わって……あれ?」

 まぶたを半分開けた哲平は、風夏の様子に言葉を飲み込む。なおも腕を離さない風夏は、うつむいてプルプルと小刻みに震えていた。呼びかけるが反応しない。

「あ……ご、ごめん。ちょっと言い過ぎた」

 哲平は一変してオロオロ。すると、風夏がぐいっと腕を引っ張って引き寄せた。

「えっ、ちょ、なななに」

 途端に血色の悪い顔がほんのりと赤みを帯びる。はたからみたら公園で抱きあうカップル。2人の身体はほとんど密着していた。

 シャンプーの香りに混じってほのかな汗の匂いもする。それは服からなのか髪からなのかは分からないが、男子生徒を釘付けにする程の効果があった。肩越しに感じる目鼻立ちがハッキリとした主張の強い顔。その唇が物憂げにかすかな水音とともに開く。

「……わ」

「え? なんだって?」

「うるさいわぁああ!!」

 風夏は腕を離すと、哲平の愚痴を押し返すほどの声の大砲を休日の公園に響き渡らせた。哲平は視線が集まってくるのを嫌って、

「こ、声が大きいよ。謝るから。声をやめて」

「謝らなくていいわよ。どうせホントのことでーーすーーよーー!」

 焦る哲平に両手を上げ動物の威嚇のように身体を大きく見せると、

「どうせアタシはイノシシみたいにブヒブヒ走り回るしか無いノータリンですよ、そんですぐにこうやって大声で悪口いって、癇癪起こすめんどくさい女ですよみなさーーーん!!」

「うるせえって!」

 ランニングしているおじさんがビクつく。哲平は肩を掴んで風夏を自分に向かせた。

「もうわかった、オレが悪かったって、ごめん、謝る、パフェおごるから――」

「そーーーーーーーーーーーーーいうところがムカツクのよ!!」

 ゼロ距離で命中した声の大砲で、哲平のぽっかり開いた口が強風に煽られるようにぶるぶる震えた。

「アタシネコちゃんたちと一緒に行く。そんなに謝りたいなら、家に帰ってアタシのいる方向に向かってずっと謝ってろ! 」

 ケッとベンチの下でイビキをかいていたネコちゃんを抱き上げた。そしてズンズンと公園を後にした。

「なんだよアイツ……」

 人々の視線が哲平に集まっている。それに気がついていないようで、哲平は頬を撫でて立ち尽くしていた。


3。佐次田トンネルに呼びかけると女の霊がでる。


 風夏がレアラに先導されてたどり着いたのは、町外れにある小さなトンネル。錆びた車止めがコンクリートから生えていて、雑草が生い茂る入り口から向こう側の線路の金網が見える。落書きだらけで車一台通るのがやっとであろう道幅。使われているかも怪しかった。

「幽霊の人ー! 聴こえますかー! 今貴女にー! 呼びかけてまーす!」

 風夏はトンネルの前に立つと、海へやる要領で口に手を当てて声を張り上げた。

 ネコちゃんがウロウロして匂いをかぎ、接続されているレアラは無表情のまま。ハアハアと肩で息をして仁王立ちになって、もう一度叫んだ。

「トンネルのバカヤローーーー!!」

 低音のきいた風夏の怒声がトンネルを通り抜けていく。その直後に背後で足音がした。

 風夏は気恥ずかしさに振り向かずトンネルへ向かって歩いた。叫んでいたのは自分ではないという素知らぬ顔だ。

 声がした。思わずトンネルの中央で立ち止まり、その声に耳を澄ます。しかし雑草が風に揺られて言葉を消してしまう。その間からどうにか聞き取れる、途切れ途切れの言葉をつなぎ合わせると、一つの文になった。

 ――――まってよ。

 サッと風夏の顔から血の気が引く。スパッツ越しのおしりが閉まって、平たい胸の鼓動が早くなった。足が一歩を踏み出してくれない。ネコちゃんは風夏の足下にまとわりついているだけで、まるで事態を把握していなかった。

 そうしてる間に、足音がトンネルに踏み入ってきた。足音は気配に変わり、地面に伸びる風夏の背中に立った。そして肩に――。

「おい」

 ギュッと瞼を閉じる風夏は、その生気のこもった声に顔を上げた。

「さっきのお前だろ? 困るんだよなーアタシの持ち場で騒がれると」

 目の前には、やや低い位置から見上げてくるポニーテールの女性がいた。警察の制服を身にまとい、本当にめんどくさそうな表情をしていた。そこら辺のヤンキーのねーちゃんのような印象を受けるが婦警らしい。

 風夏はホッと胸を撫で下ろしへたり込みそうになった。おっと、と婦警が支える。

「……ははん、さてはお前、噂聞きつけてきたんだろ」

「え、は、いや、犬の、散歩で……」

 風夏は4歩ぐらい身を引いて、いつもより何倍も小さい声で言った。と、足下を見るがネコちゃんの姿はない。トンネルの出口へ振り返ってみると、片足を上げておしっこしていた。苦笑いを浮かべてその股間を指さした。

「ふーん……ま、よかったなまだ日があって。夜にこんなことしてみろ。お前、連れていかれてたぞ」

 話の流れに風夏は小首をかしげると、婦警はケロッとして言った。

「幽霊がでたってこと」

「え……」

 婦警はさも当然の事のような口調でいった。もう慣れっこになっているようで素っ気ない。風夏はどう反応していいのか分からずに空笑いをしていた。

「もう今月で6件。先月はその倍だ。おれもただのくだらない噂話だと思ってたんだけどな」

 腕組みをすると、婦警は首を傾けて難しい顔で目をつぶった。

「おれも赴任してきたばかりなんだがな。もし失踪者がでてもおれたちの仕事じゃないから手をだすなって念を押されてな」

 風夏がゴクリとつばを飲み込むと、トンネルに跳ね返って小さく反響した。

「目撃者の証言によれば、大学生グループとか、イケイケなあんちゃん達とか、まあ度胸試しにきた連中が居なくなっているらしくてな。しかもそれが大体このトンネル周辺っつーんだから驚きよ。それもお天道さまが沈んで暗くなった時間だけなんだ。おかしいよな?」

 急に話を振られて、風夏はぎこちなく頷く。

「そう、おかしいんだよ。そんなおかしいこと絶対人の仕業だって、夜、張り込んだ。その日はたまたまあんちゃん達がトンネルへの道に入ってくのが見えたんだ。おれはすぐ追いかけると、丁度お前みたいに呼びかけてる声が聞こえたんだ。そうしたらよ。はーい、って、声がしたんだ」

 思わず風夏はビクッと肩が震える。

「急いでトンネルへ行ったんだが居ないんだよ、どこにも。走り去る足音はしなかったから、何処かに隠れてんのかと思ったんだ。さては、後からくる奴を脅かそうとしてんだなぁと。そしたら、ご覧のとおり。隠れる場所なんかどこにもないわけ。おかしいよなぁ。そんで1、2週間後かな、案の定捜索願いがでたんだ。たまげたよなあ、そういうの全然信じないタチだったんだが、自分の身に降りかかると信じるしかねーな」

 婦警は風夏に一歩近づく。

「お前さ。隠れてるやつ呼ぶ時なんて呼びかける? おれはこういった」

 風夏は何の反応もできずにいた。すると、婦警はもう一歩足を踏み出した。

「オーイ! そこにいるのはわかってるぞー! 出てこーい!」

 その大声に身体を震わせる風夏。

 すると婦警の顔がプルプルと震えだし、くく、と笑いが漏れる。そして腹を抑えると地面にうずくまった。

 風夏は慌てて婦警に歩み寄ると――

「アッハハハハハハ! そしたらさ」

 突然顔を上げたと思うと、額に手を当てて狂ったように笑い転げた。

「なーーーーーーーーんにもできなかったんだよなぁーーーー! ハハハハハハハ!」

 風夏は息を吸うのも忘れて戦慄した。先程までの豪快さを微塵も感じさせない引きつった笑い声。腹を抱えて体をよじり、頭を上下に振り乱し、くねくねと動きまわり、両手で顔を抑えて笑った笑った笑った。

 その異様な光景と人間に悲鳴も挙げられず、風夏は転がるように走り去った。


 婦警は笑う。残された後も片目を開けて、風夏の背中見送りながら。なまじ足が速いため、すぐに風夏の姿は消えた。

「アハハハ! ゴホッ、ゴホッゴホッ! あー、しんど」

 咳き込むと、立ち上がってトンネルの冷たい壁に手をついた。あーあーと声の調子を確認すると胸のトランシーバーを取った。

「山口です。佐次田トンネルの高校生女子に対処しました。巡回戻ります」

 通信を終わらせると、喉の調子をもう一度確認する。

「なんで毎回おれにやらせるのかね。喉がいくつあっても足りないな。こりゃ給料上げてもらわな……」

「ウソだったのです」

「キャッ! だ、だれだ!」

 山口は驚き飛び上がって辺りを見回し、取り出した拳銃をヘッピリ腰で構えた。ぶんぶんと首を振り乱して周りを確認すると、足下に視線が行く。犬と目があった。

「そうやって人よけをしてるのです」

 犬が喋った。いや、その犬の背に生えているものがしゃべっている。それは、信じられないほどの美貌をもった生首だった。あまりのことに婦警は目を見開き口を開け凍りついた。そんなことなど気にせずに生首は問い詰める。

「山口、あれはウソなんです」

「キ」

 ネコちゃんが首をかしげると、レアラの首も傾いた。

「キャアアアでぅええたあああああ」

 身体が裂けるのではないかと思わせるほど声高な悲鳴を上げた婦警。数分前の余裕は消え去って、涙をまき散らしながら走り去った。

 ネコちゃんとレアラは、トンネルの中にぽつんと取り残された。

「私は、ショック、というものを理解できた気がします」

 ネコちゃんはワン、と吠えると風夏の後を追った。


4。廃ボーリング場の4レーンにボールを投げ込むと死んだプロボーラーが現れる。


 両手をだらんとさげたノーガードの姿勢で長い坂をくだる風夏。やや日が落ちてきて、昼ほどの暖かさはなくなってきた。

「な、なんだ、ウソだったのね。てっきり次元の住人とばかり……」

「山口婦警です」車道側でゆらゆら揺れているレアラが言う。ネコちゃんが寝っ転がったりしているせいか、鮮やかな紫色の髪は汚れて葉っぱや木の枝が付いていた。担いでいるネコちゃんはまだまだ元気なようで、飽きずに道の匂いを嗅いでいた。

「はあ、後4つか。もう疲れ……」と言いかけた風夏はぶるぶると首を振った。「いやいや、まだ行くわよ。今日で全てを終わらすわ。アイツが居なくたってできんのよ」

「そうでしょうかです」

「そうなのよ。ぐう、身体だるおも」

 身体を重そうに引きずりながら歩いていると、右手に横長に伸びるボーリング場が見えた。2階建ての平坦な屋上に、「湖際ボウリング」の大きな文字が並んでいた。風夏は躊躇せずに駐車場の入り口に張っている鎖を四つん這いになってくぐる。

「通行人に見られてはまずいのではです」

「こうやって姿勢を低くしていれば、そこの草垣に隠れるわ」

 身体を出来るだけ低くしてネコちゃんと進む。辺りを見回し4つの足を使って中央にある階段を駆け上がる。自動ドアを開こうとしてみるがビクともしなかった。ズサッと仰向けに寝転がり手すりの影に隠れた。

「チィッ、別の侵入経路を探すわよ」

「なぜかこなれているご様子で引きましたです」

 ビタンと地面に四つん這いになると、禍々しいものに取り憑かれた獣のように素早く移動する。長めの通路を這って角を曲がると、店員通用口のドアが一つ。瞬く間に近づき左前足を上げて取っ手を取る。呆気無く開いた。

「ラッキー」少し開けて覗きこむと、埃っぽくヒビだらけの細い廊下が闇へ伸びていた。四つん這いの風夏は思わず息を呑んだ。

 ウエストポーチに手を伸ばす。その前に光の線が真っ直ぐに廊下を照らした。レアラの両目が車のヘッドライトばりに光を放っていた。

「備えあればうれしいです」

「あるならあるって言ってよ、ビビるわ」

 ホッとした風夏がムカッしていうとライトが消えた。かけ声とともにまた点いた。

「空気を電離させて光らせるほどのビーーーム」

「名前ついてるんだ」

 レアラは瞬きをして答えた。


 強めの光と廊下を進み広い店内へ入る。パッと光が消える。風夏がどうして消すのかと涙目ですがると、電池が食うからだとあしらわれた。

 長方形のガラス窓から入り込んでくる太陽光が、薄暗く店内を浮かび上がらせていた。置いていかれた備品の他にゴミが散乱している。壁はやかましく落書きが埋めていて、多くの人間が侵入した痕跡を伺えた。

「三年忘れられるとこうなっちゃうのね……」

 物悲しそうに風夏はひとりごちる。13本のボウリングレーンが横たわり、重たいボールの変わりにペットボトルやカップ麺の容器が転がっている。パキパキ音を立てながら第四レーンの前に立つ。

「地獄へ伸びる一本道のようだわ……。なんかココだけ綺麗で気味が悪いわね……」

 風夏は眉を下げてどこか緊張している。薄暗い店内を見回してボールを探すが見つからない。

「よしじゃあアタシはこっち探すから、アンタは……」

 と、自分の右隣に言う。当然誰も居なかった。

「……っと、そうか」

 頭をかいてレアラに振り向く。すると、寝そべるネコちゃんの上からレアラが口を開いた。

「哲平はいませんです」

「な、どうしてそうなるのよ」

「そうなるとはなんです?」

 眉を立てて反論する風夏。見返してくるレアラは、無表情ながら純粋な疑問をぶつけているようだった。

「いいから探しなさいよ! みっかんなかったらアンタでストライク取るわよ」

 誤魔化すように風夏が大声を出すと、レアラは「ひえー」と棒読みの悲鳴を上げてネコちゃんに揺られていった。

 一人になった風夏はため息をついて探索をはじめた。ガラス張りの窓際の瓦礫やゴミをかき分けていく。ビリヤードコーナー、ボール排出口、レーン裏と有りそうなところはあらかた探したが、見つからない。

 疲労が見える表情でレジカウンター前の長椅子にぎしりと腰掛けた。風夏はノビをしてからスカートで手を拭いた。

「まったく、アタシが華麗ハンドを汚して労働してるのにアイツは何やってんのよ」

 首の後に手を組もうとして、自分の言葉に目を見開いた。かと思うとギュッと瞑って首をブンブンふった。

「違う違う今の無し! クセっていうかそうクセよ! だから別に意味はなにもない!」

 ハッと辺りを世話しなく伺う。別に誰かいるわけではなかった。

「……あー、バカ。ホント嫌い……誰に強がってんのよ……」

 うつむきがちにつぶやく。そして頭をかきむしるとウガーッと勢いをつけて立ち上がった。

「オーイネコちゃんレアラー! そっちどうなってるー?!」

 侵入時に通ってきた通路に声をかける。耳をすませるが一向に返事がなかった。声をかけながら通路入り口へ。覗きこむと暗い廊下の左の壁から光が漏れだしていた。ウエストポーチから取り出した小型ペンライトを点けて近づくと、それはドアから漏れだしていることがわかった。

 物音が部屋の中からしていた。風夏は音を立てないようにソロリソロリとドアを開けた。

 懐中電灯が小さな光を描いて床に落ちていた。身を低くして中へ入ると、薄らぼんやりとボールラックが浮かび上がった。小さな部屋の壁伝いを大量のボウリング玉が取り囲んでいる。近づいて見ると、ボールは光を反射してピカピカに光った。

「どれもキレイだわ。まるでまだ使われるような……」

 風夏がその内の一つにさわろうとしたその時だった。ゴソッと、後ろで物音がした。反射的に振り返ると、何かが棚の下に蠢いている。丸まっている、大きさからして人間のようだ。

「だれ? ……哲平?」

 さほど離れていない距離。恐る恐る光を当てた、その瞬間、バネのように飛び上がってそいつが突進してきた。

 突然のことにのけぞりそうになったが、その前に身体が動く。まるで慣れ親しんだ動きのように腰を低くし、くるりと回転して鋭い足払いをお見舞いした。足下をすくわれたそいつは、そのままの勢いで固いコンクリートの床にうつ伏せに転倒。悶絶している間に風夏は背中に馬乗りになった。風夏は涙目で唇を震わせ、肩で息をしていた。

 アゴを両手で掴んでエビぞりにさせると男は苦しそうに鳴き声をあげた。金髪でアロハシャツで短パンにサンダルのえらくラフな格好の男だった。バナナよろしく反り返っている金髪は背中の女子高生と目があうと、心底安心したように息を吐いた。

「ヒュー、サツじゃねーのか」

 風夏は目を瞑ったままさらに背をを反らせる。

「ウググググ、じょっど、まっでぐれ」

 金髪が床を叩いて限界を伝えているが、聞く耳を持っていない。すでに風夏は混乱していて、必死の涙目の形相で金髪をへし折ろうとしていた。体からベキベキと異音がし、無精髭を携えた金髪が青白くなっていく。目がぐるんと回って黒から白へ回転しそうになった。

「風夏、それ以上はいけないです」

 パッと強い光が風夏にあたった。その声にやっと風夏の手が緩む。急に離され、金髪は床に顔を打ち付けると、必死に空気を吸った。

「ど、どこいってたのよぉ」

「ちょっとそこらにです」

 風夏はすぐ立ち上がり光源のネコちゃんとレアラの元へ駆け寄った。震える声でネコちゃんを抱き上げると、わしゃわしゃ顔をこすりつけるので、空気を電離させて光らせるほどのビームが狂ったように部屋を駆け回る。そのせいで括りつけていた布が緩みレアラがすっぽ抜けた。

 固い音を立てて床を跳ねると、ガツンガツンと二三度跳ねて、悶える金髪の男の前に着地。金髪は首を抑えつつ何の音かと顔を上げると、悲鳴を上げて飛び退いた。

「ここで何をしていたのです」

「ひぇえ! マジすみませんすみません!」

 レアラが眼鏡ごしのライトを消すと、金髪は必死に土下座した。すみませんの間に南無阿弥陀仏をはさみ、謝っているかお経を唱えているかわからない。その慌てっぷりに風夏はすっかり落ち着きを取り戻した。

「あ、ご、ごめんなさい! 彼女、っていうか、この首は、その、プラズマ的な、あれ、じゃなくて、ですね」

 拾い上げられたレアラは、二度も間違えられるなんてショックですと平淡にいった。

「すみません南無妙すみま法蓮せん華経すみません」

「あ、あの、もしも――」

 風夏が呼びかける。しかし、金髪はお経を唱えることに精一杯だった。

「宇宙天地与我力量」

「も――――」

「降伏群魔迎来曙光」

「ゆーれーじゃないといっとろぉーーがァ!」

 恫喝にも似た怒声に、小さい悲鳴の後に呪文が止まった。お尻をつきだしたまま金髪は汁でふやけさせた顔を上げた。

「マ、マジで?」

「マジです」

 レアラは平淡だが心なしか語尾が強かった。



 絶世の生首とプリティなお尻の言わられるがままに風夏は学校に向かう。通学路を歩いていると、太陽は更に傾いて地上にオレンジ色の光を落としはじめていた。

 風夏は辟易として、肩を回しながら首を鳴らす。

「近場にボウリング場が無いからってあそこまでする? いい迷惑よ」

「プロボーラー志望者を差し置いてストライクを量産した人間の言うことではありませんです」ネコちゃんに揺られてレアラが言う。

「よくアンナ薄気味悪いとこで練習できるわね。ボウリング手入れする部屋なんかも勝手に作っちゃってさ」

「許可は取っていると、彼は言っていましたです」

 風夏はMAXコーヒーを一飲みするとあーそう、と息をつく。

「なんかに没頭してるヤツってのは、知らない間に周りにメーワクかけてるのが分かんないのかね」

「しかしそのおかげで都市伝説となり、結果的に人間が寄り付かなくなったと推測されますです」

「アタシには一生わっかんねーわね」

 ぐいっとMAXコーヒーをあおってから、数メートル先の校門を見据えた。途端に風夏の顔が嫌悪に歪んで早足になった。

「お、やっと来た」

 クマを携えた陰気な顔が呼び止める。哲平は校門のブロック塀から背中を離して手を上げた。しかし、風夏は見向きもせずに素通り。閉まっている鉄の門に手をかけ片手でひらりと飛び越えた。

「おーい待てって」と哲平は軽く声をかけるが無視。隣でネコちゃんが門の隙間を通りぬけようとしてつっかえている。レアラが背中に居るせいだ。哲平は布を解くとネコちゃんからレアラを抱き上げた。

「なんで怒ってるのか教えてくれ」

「風夏の哲平に対する今までの行動、反応から推測し、自らで思考ならびに考察を行うことで解を導き出す方法が最善の策だと――」

「……ああ、自分の胸に聞いてみろか」

 抱き上げられたレアラはそれですと言った。少しだけ開けて門を通ると、哲平は遠くの背中を追う。

「お前がオレんとこ来てからだいぶかかったな、ボーリング場って結構近いのに。道草というなのパフェでも食ってたのか?」

「なぜ憤慨しているか気にならないんです」

 哲平の問いかけに、腕の中のレアラが瞬きをする。

「うーん、まあ、そりゃ知りたいけど……どうせ明日になったら忘れてるさ。そういう単純なヤツなんだアイツは」

「ちゃんちゃらおかしいです」

 急な罵倒に哲平は思わず少し驚いた。

「金髪の男とボーリングしていたので遅れたのです」

「え? なにそれ? ……じゃなくて、今ちゃんちゃらおかしいって」

「哲平の首尾はどうだったのです」

「あーそうですか。答える気ないと」

 あからさまに話題をかえられ哲平はムッとする。

「丑の刻参りの藁人形は神社で遊んでる子供がおままごとで作った偽物。あの世に続く電話ボックスは、そもそも調べられなかった」

「どうしてです」

「撤去されてたんだよ」

 さらっと哲平がいう。先を行く背中に追いついた小さなお尻が部室棟へ吸い込まれていくのが見えた。

「ま、どーせ最初からこうなると思ってたけどな。この世界で起きる全ての摩訶不思議は、人間や生き物によって引き起こされている人力の不思議なんだ。これ、豆知識な」

 レアラは、なるほどなーと興味無さ気に言った。

「さて……コレで最後だ。コノ、世にも恐ろしい都市伝説のな」

 部室棟の自動ドアをくぐると、哲平のケツがキュッと閉まった。


7。部室棟屋上へ続く踊り場、鏡に未来の自分が映る。


「あれ開かないな。ここに来てるはずなのに」

 哲平は細い片腕で部室のドアをスライドさせようとするがビクともしない。小脇に抱えられているレアラがもう向かわれたのではと。そっか、と手を離した。途端に爆音で扉がスライドした。

 風圧で身体が押された錯覚でたたらを踏む哲平。何事かと振り返ると、目を見開いた風夏が立っていた。でもそれも一瞬でみるみるシワが集まり、表情がムスリと濁った。

「な、なんだいたの」哲平は胸をなでおろし、窓枠を支えに立ち上がった。

 風夏はそんな枯れ木のような男に一瞥くれ、ツンとそっぽを向いた。二三歩歩き部屋を出て背を向ける。バッゴンと爆音の第二波を放ち大股で歩き去った。

 ネコちゃんに追い越された哲平はレアラに小声で訊く。

「オレの胸が答えてくんないんだけど」

 肩を怒らせている背中を見上げながら階段をのぼる。胸の中の生首は、眠たそうな眼鏡越しの瞳を開いたまま物を言わぬ置物になっていた。

 哲平がレアラに気を取られていると、階段を登り切った所で何か柔らかいものにぶつかる。白いシャツの壁が広がっていた。

「どうし……たんですか?」と尋ねると、風夏は無言で三階の廊下を指さしした。暗くなりはじめの橙の廊下、指の先には女子トイレのマークが。

「そうですか。お待ちお申し上げております」

 哲平は屋上へ続く階段にレアラをおいてその隣に腰掛ける。だが、風夏は突っ立ったまま動き出さなかった。

「どした?」

「……てよ」

「は? もう一回?」

 人っ子一人おらず静かなのだが、それでも聞き取れないほどのか細い声だった。よく見ると風夏の肩はぷるぷると小刻みに震えていた。

「ついて……て言いってんの」

「え? つ、ついてるか? えらく突然ぶっこんできたな……」

 哲平が恥ずかしがっていると、風夏がバッと振り返った。俯いたままつかつかと哲平に近寄ってくる。目の前で止まった風夏に思わずのけぞる哲平。風夏はガシッと腕を掴み、引きずるように歩き出した。

「ちょなんだよ!」

 困惑したまま連行される哲平の後ろ姿、それをレアラが視線だけで追った。



 ――そこにいるのよね。

「……」

 ――オイ無視すんな!

「…………」

 ――うそ、本当にいないの。ちょっとなんでよアイツ。

「いるいる、いるからスッキリしよう」

 女子トイレの入り口で、哲平は泣きそうな風夏の声に生返事をした。目の前の廊下でネコちゃんがレアラに一方的にじゃれついている。

「怒ってたんじゃないのかよ」

「…………暗いんだもん」

 個室のドアの開く音がして、手洗い場の蛇口が音を立てる。その水音に紛れ込ませるように哲平がつぶやく。

「トイレ一人で行けないとか……引くわー」

「いけるわ!」トイレを隔てる壁から険しい太眉が飛び出した。「誰もいないからちょっと……」

「そ。じゃ、とっとと終わらせるか。早く帰って日曜ロードショーに備えたいんだ」

 素っ気ない態度でいうと背を向けてノビをした。だから、背後からの悲鳴に近い怒声に身を震わせてしまうのだった。

「ちょっと怖かっただけよ!」

「うわっ!? ビビったなんだよ」

 哲平は振り返る。その途端、意思の強さが伺える大きな瞳に射抜かれたじろいだ。

「お、お前、もしかしてまた怒ってんの?」

「怒ってないわよ」風夏は歯茎をむき出しにして言う。

「いや……どう見ても歯剥きだしで怒ってらっしゃるでしょ」

「どう見てもってなによ。もしかしたらすごい喜んでるかもしれないじゃない」

 風夏は眉を立てて哲平に食って掛かっていく。因縁をつけるように、必死に興味を向かせるように。

「説明しなさいよ。お得意の頬をさすりながら考えるあれで推理してみなさい、ホラホラ!」

「分かった分かった。何に怒ってんのか分かんないけど謝るよ。オレがなんかしたんだろ?」

「そういうことじゃないのよ、そういうことじゃ!」

「はぁ~~? もうハッキリ言えよ」

「い、いいから、さっさとやりなさいよ、えーと、に、にわか映画評論家」

 ビキッと血管が切れる音がしたかと思うと、眠たそうな顔を怒気に変化させた。風夏のような迫力は無いが、睨み返す陰険な瞳は腹を立てていた。

 風夏は怒りの色を見せた哲平に、かすかな笑みを口元に浮かべて睨み返した。そして、さらなる悪口を言うべく口を動かす。

 その間を縫って先に哲平が言った。

「……はあ、よく分かんないけど怒んなよ。もうさっさと終わらせようぜ。それからでもいいだろ?」

 さらっと背を向けた。まるで一瞬の出来事だ。哲平はもういつもの眠たそうでクマの目立つ、平凡な男に戻っていた。それだけだった。それだけだったのに、風夏は絶望したような、信じられないという表情になった。

 数歩歩いて追ってこない足音に哲平は振り返る。風夏は項垂れていた。

「……アタシって邪魔かな」

 それはポツリと廊下に浮かぶ。受け取った哲平は、心底心配そうに風夏と距離を詰めた。

「お前今日おかしいぞ。急に怒り出したり、しょげだしたり」

 頭の先から優しい雰囲気を帯びた声がするが、長い体躯は縮こまっていて、風夏に白い床しか見せてくれない。

 何もない視界に、二足のスニーカーが現れる。風夏はハッと息を飲んだ。

 その少し固くつめいたい感触。顔が上げられない。しかし風夏はおでこを伝って、それが何なのかよくわかった。哲平の掌が、風夏の前髪をかきあげておでこを包んでいた。思わず顔をあげると、相変わらずの黒いマジックで描いたようなクマと目があった。

「うーん、あるかわかんないな。オレの体温と比べたら、人類皆発熱してることになるし……」

 自分のおでこにもう一方の手を当てて、心配そうに風夏の顔を覗きこむ哲平。目と鼻の先の光景と感触。風夏は煙を出して鮮やかに紅葉した。

「オイオイ、顔真っ赤だぞ。マジで熱あるんじゃねえか?」

「あ、あうあ」

 おでこから離れたかと思うと、今度はピトッと頬を手が包みこんだ。ひんやりとしていて、無条件で安心できるような穏やかさがあった。

「は、はやぁ……?」

 自然と素っ頓狂な声をあげた風夏。それがスイッチになったのか、回転音がしているのではと思わせるほどぐるぐると眼球を回転させ――――。

「う、うが、うがぁあ!!」

「いってぇ、なんだ……あ」

 風夏は哲平の手を払いのけた。すると、哲平は手の痛みでやっと自分のしていたことに気がついたのか、じんじんとする手を見つめた。

「ご、ごめん。ちょっとやりすぎたか……ハハ」

 哲平は恥ずかしそうに、自分の頬をさすった。誰もいない夕暮れの廊下、男女が目を逸らしたまま向かい合ってる。夕方の冷えはじめの柔らかい空気とは別に、なんとも言えない甘さの空気が包み始めた。その居心地の悪さに、哲平は口を開こうとした。

「へ」

 ぽっとでたかすかな声。先に口を開いたのは風夏だった。ブルブルとチワワのごとく震えて、

「へっ、へけえええ!!」

 突然のことに哲平は思わずひるんだ。その隙にぎゅっと瞼を閉じた風夏は、哲平とは逆方向に向きをかえ、一歩踏み込むと、ロケットスタートをキメて爆発的な推進力で走り去った。

 呼び止める間もなく、廊下の窓ガラスを揺らして風夏はいなくなった。

「…………なんだよ元気じゃねえか」

 哲平はトコトコと風夏を追いかけるネコちゃんと転がるレアラを見送りながら、呆気にとられていた。

 しんとして、自身の息遣いしか聞こえてこない。

 首をかしげながら屋上の踊り場へと続く階段に向きを変えた。右掌の指をこすり合わせながら1段ずつ登っていくとすぐに登り終えた。

 屋上へでるにはドアを開ける必要がある。今は閉まっているから光が入ってくるはずもない。三階からの夕日が下から上がってくるのでそれだけが頼りだ。その薄暗い踊り場、屋上へ続く階段の下には、縦長の鏡が壁に張り付いていた。

 哲平は頬をさすりながら鏡へ近づく。頭の上から足先まですっぽりと長方形の中に収まった。顔色の悪い自分と向い合うが、心ここにあらずといった感じだった。

「なんかしたかオレ……」腕を組んで頬をさすっていると、鏡の中の哲平も首をかしげた。

 右手をじっとみる。ゆるく握ったり開いたりを繰り返した。

「………………アイツも女なんだな」

 ぐっと拳を握ると、鏡の自分に向き合おうと顔を上げた。

「…………あれ?」

 そのまま困惑した。何かがおかしいと感じるまで少しの時間が必要だった。それはとてもわかりやく、誰でもすぐに見つけてしまえるほど簡単で、おもしくもなんともない間違い探しだった。

 映っていない。

 鏡の目の前に立っているのに、哲平の姿が映っていなかった。まじまじと覗きこむその顔も、身体も、背景も、何も映っていなかった。と言うより――――。

「どこだ……ここ……」

 摩訶不思議な光景に哲平は動けなくなった。鏡に釘付けにさせられていた。

 長方形の縁の中には、どこかの階段の踊り場が映り込んでいた。微かに夕日が入り込んできているが、それも小さい豆電球程度。壁と階段の輪郭をわずかにしか見せてくれない暗闇だった。

 つばを飲み込み喉仏を鳴らす。それを待っていたかのように、鏡の中に変化が現れた。階段の上から、勢い良く塊が転げ落ちてきた。暗がりに浮かぶ輪郭。それは人間だった。

 一人が上半身だけ体を起こすと、もう一人いるのが分かる。下敷きになっている方が痛そうに頭を動かしてから、ピタリと止まる。そのまま哲平と同じように動こうとしない。

 また、鏡に変化がなくなった。しかし、哲平は何かに気がついたように鏡に鼻を押し当てた。

 二人の横顔がわずかに見えそうだった。そして、その顔に哲平はどこか見覚えがあった。

 瞬きをやめて眼球が乾くほど食い入って見る。すると、一人の顔が、哲平にはぼんやりと見えた気がして――――哲平。

 突然、肩を叩かれて悲鳴を上げた。階段をほとんど這うようにして上り、屋上へのドアノブを慌ただしく回すが開かない。

「ひ、ヒィイイ! ヒィイイィ!」

「おっと、だ、大丈夫か?」

 その聞き覚えのある温厚な声に、哲平はゆっくりと後ろを振り返った。そこには、向坂の人のよさそうな顔があった。哲平は語尾を荒げてへなへなと階段に横倒しになった。

「びっくりさせんなよぉ~~~~。もっとこうゆっくり出てこいよ。あービビった」

「いやだって何回も声かけたのに、それ覗きこんだまま動かなかったから……」

「それは……そうだ」

 哲平はすぐさま立ち上がると向坂を押しのけ、再び鏡を覗きこんだ。そして、目を丸くする。哲平は向坂に振り返り、訴えかけるように言った。

「なんだよこれ…………ここに、ここに映ってたんだ」

「映ってた?」

 向坂は眼鏡を押し上げて不思議な顔をした。哲平は言葉をつまらせ、どう説明したらいいかとパクパク口を開け閉めしていた。

「何かの見間違いじゃない? ホラ、そこら辺の模様がなんでも顔に見える、みたいなさ」

「いや、そういうのじゃなくて、もっと、こう……」

 哲平の狼狽っぷりに、向坂は怪訝そうにメガネを押し上げた。

「何のことを言ってるかわからないけど、見たまんまじゃないか」

 ほら、と哲平の後ろの鏡を指さした。

「これにどうやったら何かが映るんだ」

 素っ気ないほどの向坂の言葉、それを確認するように哲平は鏡に振り返った。

 壁を長方形に切り取っている長い縁。その中は、腐った板がむき出しになっていて、茶色い地肌をさらしていた。

 哲平は瞳孔が開くのではないかと言うほど目を見開き、長方形の縁を隅々まで視線で舐め回した。だが、ガラス一欠片もない。カサカサの木にこびりついているホコリしか見つけられなかった。

 それはただの長い縁。ガラスのないただの長い縁に目の前の物体を素直に映し出すことは、できるはずもなかった。超常現象でも起きなければ。

「哲平、大丈夫か?」

 弱々しく振り返ると、心配そうに覗きこむ向坂がいた。そんな向坂と顔を合わせると、

「……………………いや、はは、ごめん、寝ぼけてたみたいだ」

 狼狽する気持ちをごまかすように、へなへなと笑った。

「寝ぼけてた?」

「あ、ああ、そうそう。ここいい具合の暖かさだからさ、座ってたら寝ちゃって……」

 いっぱいいっぱいの苦笑い。向坂は合点がいっていないようで首をひねっていた。

「そんなことより! どうしてお前ここに来たんだ?」

 哲平は焦りつつ向坂に質問する。すると向坂は「そうだ」と首を真っ直ぐに戻した。

「上田さんに訊いたんだ。会合の帰りにたまたま部室棟の前であってね。そういえば一緒じゃないの?」

「……ええ。まあ。うん」

 わかりやすく目が泳いでいた。向坂は特に指摘せずに、

「そう。まあ、調度良かった。僕は哲平に用があったからさ」

「オレに?」

「前に、哲平に紙、渡しただろ。みたかい?」

「ああ……まあ……」

 哲平はモヤモヤを引きずりながらも、にこりと嗤う向坂を見た。

「そうか。それなら話が早い」


「哲平、君は、MAXコーヒーが好きかい?」



 翌日。

 風夏は一人で本校舎の階段を登って三階へ上がる。奥の階段なので、右を向くと校長室の扉が廊下いっぱいに広がっていた。その隣にある生徒会室のドアがスライドして開いた。

 向かい側の窓に身体を預けている風夏は、よ、と手をあげた。心底疲れた様子で、哲平は風夏と目を合わせた。

「な、なによ」照れくさそうに言う風夏。

「……いや、別に」

 少しの間が開いた後、哲平はため息で答えた。

「何だったの?」

「…………次やったら学校的に抹殺されるらしい」

 元気に声をかけると、哲平は元気なく答えた。そして下り階段に足をかける。

「やったらって、どれに対してよ」隣に着いて質問する風夏。

「お前と休日、でぅえーと、したことだってよ」

 風夏は足を踏み外して前のめりに倒れた。一回転して着地、両手をYにしながら振り返った。

「で、でぅえーと!?」

 哲平はその後ろを素通りして階段を下った。

「そんなことより、」

「よりじゃなくて、についてでしょうが! 否定したのよね? ね?!」

 ひどく慌てて猫背に大声をだす風夏。

「したした。でそっちはどうだったんだよ」

「アンタそれ絶対してないでしょう! するのとしないのでは大違いなのよ!?」

「あーわかったわかった、後でいうから。それより依頼がどうなったかを聞きたいんだよ」

「絶対だかんね」

 隣についた風夏に念を押されて、哲平は何度も頷く。風夏は納得いっていない様子だが説明した。

「レアラの情報収集は大丈夫よ。先輩喜んでたわ、こんな生意気になってってさ。でも……」

 1階に降りた所で、風夏の表情が曇った。

「焦らすなよ」

 哲平に急かされると、風夏は1000円札を取り出した。ゼロがマジックで三つたされていた。

「……これって使えんのかな?」

「騙されたことより目の前の現ナマの心配をするとはおみそれしました」

 哲平は呆れつつ昇降口に着くと下駄箱を開けた。

「都市伝説はどうなった」

 階段前で1000円札を眺めている風夏は、哲平の声にハッとする。

「ああ。レアラが記録してた映像で6つまではレポートできたんだけど、最期の一つがたんなかったのよね。だからマイナス200円……」

 1000円を懐にしまいながら階段にガニ股で腰掛ける。スカートからスパッツが黒々と覗いている。

「でも、なんか新しい都市伝説ができたとかですごい興奮してたのよね。そんでプラス200円。非情にヤヤコシイ」

「新しい都市伝説ねぇ。どうせ、またどうしようもないのなんだろ」

「いやそれが見たのが警察官らしいのよ」

「はあ。見たの」

 哲平は興味なさげにいうが、立ったまま耳をそばだてていた。そうそう、と頬杖つきながら風夏が投げやりに言う。

「なーんか、人面犬をみたんだってさ。どーせまたしょーもないわよ」

 指をいじりつつふんと鼻で笑った。哲平はすでに興味を失ってシューズを履いていた。

「でもマズイわね。このままじゃ今月の部費が払えない。待つだけじゃなくて足で依頼をとってこなきゃ」

「そうか。がんばれ」

 その無愛想な声に風夏は顔を上げて、苦笑いした。

「なーにまた他人ごとみたいに言ってんのよ。アンタもやんのよ。そうしないと――」

「オレもう辞めるからさ」

 哲平はそれだけ告げると昇降口をでた。風夏は、はいはい、と立ち上がって、声を張り上げた。

「じゃ、明日は営業だから、遅れないでくんのよ」


 翌日、哲平は部室に来なかった。


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