二月二日はツインテールの日
ヒタヒタヒタ。
学校からの帰り道。背後から足音が聞こえてきた。遠慮がちに、けれど存在を主張するようにはっきりと。
わたしが立ち止まると足音もぴたっと止まった。
振り返ろうか。
ううん、ダメ。
辺りに人気はないし、もしかしたらわたし一人では手に負えないかもしれない。
でも、誰が、何のために?
自慢じゃないが、わたしはそんじょそこらの女子高生だ。十把一絡げのごく普通のありきたりな女子高生だ。見かけだってたいしたことないし、家が金持ちだとか、実はプリンセスとか、謎の組織と戦っているとか、尾け狙われる特殊な事情があるわけではない。
まさかアレか。行きずりの、誰でもよかったとか言うやつだろうか。
うわー、どうせ誰でもいいなら宝くじとか幸せなのにしてほしい。悲劇のヒロインは遠慮したい。
そんなことを考えていたら少し恐怖心も薄れてきた。一瞬でもわたしを怖がらせた相手の正体が知りたくなった。
路地を曲がる。この先に隠れられる隙間がある。ドロケイなんかで子どもの頃にはよく利用したものだ。もっとも今回はわたしが刑事だが。
目的の場所は家と家の間。ささっとわたしはその身を忍ばせ……ぐうっ、狭い。年月の無情を感じる。子どもの頃には余裕で隠れられた空間が、今のわたしにはギリギリだった。
でも、ここからなら相手の姿が確認できて向こうからは見えない、ハズ。見つかった時は……あれ、逃げ場がない。狭くて身動きが取れない上に、三方が壁に囲まれている。
どーしよ。
そんなピンチを自分で演出してみたら、誰かが路地を曲がってきた。
わたしの姿を探しているのだろうか、そいつはキョロキョロとして……あれ、どっかで見たよーな。あ、ウチのガッコの制服だ。顔は、うーんよく見えない。はやく通り過ぎろ。
と、そいつは真っ直ぐにこちらに近づいてくる。え? え? もしかして見えちゃってる?
「……何やってんだ? シホ」
「あ、レイジ」
正体は幼なじみのレイジだった。男にしては長い髪をなびかせて、はさまったわたしを不思議そうな目で覗き込んでいる。紛らわしいんだよ、まったく。
「ドロケイごっこか?」
「わたしを見つけるとは成長したわね」
「この道だとたいていここに隠れてたよな」
「見つけられないからどこに隠れてるのか教えてって、泣いて頼まれたのを思い出したわ」
「……古い話だ。つか、さっさと出てこいよ」
「うん。……あれ? はさまって出られない」
「ホントに何やってんだか」
レイジに引っ張ってもらって脱出に成功。危ないところだった。レイジがいなかったらあそこではさまったままダイエットしていたかもしれない。痩せるまで出られない「壁の隙間ダイエット」新しいかも。
「って、あんたのせいじゃん!」
「は? 何が?」
「わたしのこと尾けてたでしょ」
レイジはうっと言葉に詰まったような顔になった。もじもじそわそわして明らかに挙動不審だ。長身をくねくねさせている姿ははっきり言ってキモイ。
「もしかして、わたしを襲うつもりだった?」
「ちげーよ」
「じゃあ、告白でもするつもりだった?」
レイジの顔がはっきりと驚愕の表情になった。みるみるうちに頬が朱に染まる。これで怒っていると勘違いするほどわたしも鈍くはない。
「おーおー、誰に告白するつもりなんだい? 言ってみ。相談にのるから」
けど自分に告白すると考えるほど自惚れてもいない。レイジとは幼なじみで、付き合ってきた(友人としてだ)時間も長いため、今さらわたしに告白するなんてことは考えにくい。そんな雰囲気は存在しなかったし。
「……え?」
レイジの目が点になっている。痛いところを突いてしまったかな。クリティカルヒットってやつ?
「じゃ、じゃあ相談にのってもらおうかな」
「うむ。何なりと申すがよい」
「何で上から目線なんだよ」
「年上の女ですから」
「たった二ヶ月違いじゃんか」
調子が戻ってきたのか、レイジの顔色は平常通りになってきた。照れながら話されるとこっちの調子も狂う。
「じゃあ聞くけどさ、今日って何の日だか知ってるか?」
「今日? 二月二日だよね。うーんとニャンニャンで猫の日?」
「それは二月二十二日だ」
「じゃあ、じじいの日」
「たしかに今日だけど俺の目的とは違う」
「アンタの目的?」
「フッフッフ、今日はツインテールの日なのだ!」
「は? あー、それじゃツインテールの女の子にコクろうってわけ?」
誰だろう? 知り合いのツインテールの子を思い浮かべた。
ちなみにわたしはツインテールじゃない。昔一時期やっていたけど、手入れが面倒だし、子供っぽいし、少し嫌な思い出もあってショートにしている。
けど内心ホッとした。予想に違わず、わたしじゃなくて。
アレ? なんでホッとしているんだろ?
「わたしの知っている中で言うと……メグっちかな? それともサエちゃん?」
どっちもツインテールの似合う女の子だ。わたしよりカワイイし性格も……ま、悪くないんじゃないかな? メグっちはともかくサエちゃんの方は、女のわたしからするとちょっとムカつくけど、前にレイジが「男からすると可愛く見える」って言ってたし。
「いや、今ツインテールの子じゃなくて、ツインテールになってほしい子なんだ」
「ほほー、それはまたマニアックな」
コクった途端に自分の趣味を押し付ける気か。
「でさ、調べたんだけど、ツインテールの日には男が好きな女に髪を結うためのゴム紐をプレゼントする習慣があるんだ」
「初耳ぞな?」
「去年決まったそうだ」
それ、習慣とは言わないよ。
「で、だ」
レイジはポケットから紙袋を取り出した。リボンのついた包装でプレゼント用だと分かる。
これを代わりに渡してくれと言うのだろう。自分じゃ恥ずかしいからと。
レイジの顔がみるみるうちに紅潮していく。堂々としているように見えて肝心なところで逃げ腰だからな、こいつは。
「シホ! これを受け取ってくれ! そしてもう一度ツインテールになってくれ!」
「…………ほえ?」
おいおい、緊張のあまり言い間違えたのかい。そういう冗談、お姉さんは感心しないよ?
「ごめん、もっかい言って」
「シホにツインテールになってほしいです!」
「………………ごめん、笑えない」
自分でもわかるほど顔がこわばる。たぶん、わたしはこれ以上ないほど冷たい目でレイジを見ているんだろう。
そもそも、わたしがツインテールをやめたのはレイジのせいだ。
小学校のころ、髪を引っ張られたことが度々あった。「ガキくせー」とも言われたし、習字の筆代わりにされたことだってあった。
レイジはわたしがツインテにしていることが気に食わないんだと思っていた。レイジが引き合いに出したアニメの女の子と比べてもわたしには似合っていないと思った。
だからツインテを止めたのに。
そしてツインテをやめたその日から、わたしはレイジにからかわれることがなくなった。その後レイジとは当たり障りのない、いい関係のお友達として今日まできた。
だからレイジはわたしには恋愛感情なんて持っていないと思っていたのに。
どうして今ごろそんなこと言うんだよ。
「オレ、シホがツインテールやめたことがショックだったんだ。でもどうしたらいいのかわかんなくって……」
そんな話聞きたくない。わたしはこの場を立ち去ろうとした。
するとグッと腕をつかまれた。
「放して」
「このゴム紐を受け取ってくれなくてもいい。話を聞いてくれ。俺に昔の過ちを謝罪させてくれ」
振り返るとレイジの真剣な瞳と目があう。気圧されるようにわたしは立ち止まった。
「小学生の頃、髪引っ張ったりしたのは軽はずみだった。でもそれは嫌いだから、じゃなくて好きな子に対する愛情の裏返しだったっていうか、アニメキャラと違ってシホの髪に触れられるのが嬉しかったっていうか――」
なんだよ、それ。
「ツインテールやめた後、口もきいてくれなかっただろ。本気で怒って悲しんでいたシホを見てたら何も言えなくなって――」
言われればそんなこともあったような。
「やっと口きいてくれるようになった時は嬉しかった。けど、変なプライドが邪魔して謝りそびれた」
あーあれか。少年にありがちな照れ隠しってやつ。
「いつか、いつか謝りたいって思ってた。だからツインテールの日のことを知った時にこれだって思ったんだ。あの時は本当にごめん! 許してほしい。そして俺と付き合ってくれ!」
あまりにも真剣なレイジの眼差しと言葉。やばい、ドキがムネムネ、違う、胸がドキドキしている。混乱して間違えるくらいに聞いているそばから頬が熱くなる。
レイジが答えを待っている。どうしよう、なんて答えよう。「道端でコクるなんてシチュエーション考えろよ」とか? いや、それは無い。それこそシチュ考えろよ、だ。
腕をつかむレイジの手に力がこもる。
「ちょっと痛い」
「あ、ごめん」
レイジが手を放してくれた。落ち着け、わたし。
レイジのことは嫌いじゃないし昔のことだし付き合うかどうかは別にして、許してあげてもいいかなーって思う。でもこのまま「うんわかった」なんて言うのも違う気がする。どーしよ。
ふと、レイジの長髪が目に入る。
「長いよね、その髪」
「うん? あ、ああ。ずっと切ってなかったからな。面倒で」
「ツインテール結えそうだよね」
ハッとしたようにレイジが髪に手をやる。
「わたしの髪がツインテール結えるようになるまで、代わりにレイジがツインテールになって。そしてら許してあげる」
「毎日かよ?」
「もちろん」
レイジの顔に苦渋の色が浮かぶ。
やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「……シホがそれで許してくれるのなら」
勝った。何に、かはよくわからないけど、なんか勝った。
今度はわたしからレイジの腕を取る。
「それじゃ一緒に帰ろ。ツインテールの結い方教えてあげる」
二月二日は二人のツインテール記念日。