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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第4章 西方帝国内乱
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第16話 帰還

 シレンティウム東門


 昨年より更に開けたシレンティウム東側農地の街道を軍団が行進している。

 ハルの不調を悟られないよう、当初の予定とは異なり駆け引き無しに帝国領を辞去してきたのだ。

 ユリアヌスは一応の味方とは言え、何とかシレンティウムの弱みを“西方帝国の為”に握ろうと考える輩が少なくないことは、メリオンの報告を待つまでも無く知れている。

 その先頭、兵士に曳かせた馬に乗るハルは徐に口を開いた。


「もう包帯をとっても良いかな?」

「恐らくは大丈夫かと。視力は完全に回復は致しませんでしょうが……」

「まあ、仕方ないですね……」

「力不足で誠に申し訳ありません」


 ハルの言葉に恐縮して答える治療術士。

 結局間者の失明毒は完全に抜けきらず、ハルは目に包帯を巻き、目立たないよう兜を目深に被って兵士の曳く馬に揺られて帰って来たのだ。

 しかしシレンティウムが近くなるにつれ、我慢出来なくなって包帯を取る事にしたのである。


『まあ徐々にではあるが回復はするであろう。アクエリウスに薬水を頼んでおくのである』

「お願いします」


 肩の上に乗ったアルトリウスに、ぼんやりとした視界の中で答えるハル。

 身体もあちこちを刺されており、時折引き攣れるような痛みや違和感を感じるが、順調に回復している。

 闇の組合員が何故致死毒では無く失明毒を使ったのか。

 それは武力で辺境護民官を討ち取りたいという気持ちがあったからだろうと推測されている。

 毒では無く、実力で武勇の誉れ高い辺境護民官を討ち取ったとなれば、闇の組合の格が上がった事だろう。

 陰働きに終始していた彼らにしてみれば、降って沸いた大手柄の機会だったのだ。






 程なく遠くに白い大理石で建造されたシレンティウムの東門が行進する北方軍団兵達の目に入ってきた。

 すっかり秋も深まり、周囲を流れる農業用水路の脇に残された広葉樹の真っ赤な紅葉が水面に映え、冷たそうな水音と共に季節を感じさせる。

行進する北方軍団兵が身に着ける鈍色の鎧兜にも、頭上に掛かった紅葉が映り込み、その姿はまるで紅葉の形と色を彩色した優美な鎧兜を身に着けているようであった。


 先頭を騎乗で進む北の護民官こと元辺境護民官のハル・アキルシウスが胸一杯に息を吸い込む。


 すっかり馴染みとなった北の大地の息吹が身体に染み渡った。

 まだ4年ほどの短い期間であるはずが、すっかり北の地、シレンティウムに身心が馴染んでしまったようで、帝国の温暖で乾燥した空気よりもシレンティウムの冷涼な空気の方がしっくり来るのだ。

見渡せば、開墾が進んだ農地は奇麗に麦が刈られてた後に圃場が整備されており、交錯が終わった場所には甜菜や牧草、蕪などが植えられている。

 この分で行くと今年の収穫も上々であった事だろう。

 がちゃがちゃと背負った荷物や装具を鳴らしながら行進を続ける兵士達の顔に、ようやく故郷へと帰ってきたという安堵の笑みが浮かぶ。

 地面に降り積もった紅葉の葉を踏む軽やかな足音をさせつつ規則正しい行進は続き、やがて軍団の先頭はシレンティウム東門へと到達した。

 






「辺境護民官改め北の護民官ハル・アキルシウス、只今帰還せり。開門!」

「開門!」


 ハルの口上で閉じられていた東門がきしみ音を立て、ゆっくりと開かれてゆく。


「「おかえりなさい!!!」」


 その言葉とともにわっと歓声が上がった。

 門の向こう街路の左右にはシレンティウム市民が黒山の人だかりとなって居並び、一斉に紅葉した木の葉やドングリを軍団目がけて振り撒く。

 堅いドングリが北方軍団兵の鎧や兜に当ってカンカンと賑やかな音を奏で、色取り取りの木の葉が白いシレンティウムの街路や壁に映えつつ降り注いだ。


 長かった戦いは終わった。


 それを実感させる市民達の屈託無い笑顔に、北方軍団兵は亡くなった戦友達を思いつつ笑顔で手を振り、槍や剣をかざして歓声に応えるのだった。







「ただいま、ちょっと遅くなった……んん~?」


 帰還式を終え、兵士達に休養を取らせる通知を出したハルは真っ直ぐ愛妻エルレイシアの待つ公舎へと戻った。

 扉を開けるなりエルレイシアに飛びつかれたハルは、直ぐさま言葉を終える間もなくその唇で口を塞がれる。


「おかえりなさい」


 長い口付けをハルに授けたエルレイシアは、ほんのりと頬を赤らめながらはにかみを含んだ笑顔で言った。


「あ、ああ、ただいま……」


 強い刺激をいきなり受けてくらくらする頭を振りつつ、何とか笑顔で言葉を返すハル。

 ハルの手を取ったままのエルレイシアに導かれるようにして部屋の奥へ進むと、子供用の寝台が置かれている部屋に入った。

 目が不自由なことは伝えていないはずだが、どうやらエルレイシアは察している様子である。

 そのエルレイシアと手を繋いだまま寝台を覗き込むハル。

 ぼんやりとした視界の中にも、すやすやと安らかに眠る息子と娘の姿が目に入る。

 ほんわりと温かい気持ちになったハルが恐る恐る2人の頬を指でつつくが、2人の赤子は意に介した様子もなく眠り続けている。


「大きくなったなあ……」

「ええ、もうちょっとで1年ですから」


 エルレイシアも優しい笑顔で2人の子供をハルの横から見つめる。

幸せそうな2人は、幸せそうに眠る2人の子供を眺める続けるのだった。





久しぶりに自宅での食事を終え、食後のお茶を楽しんだ後に再び子供達の眠る部屋へと戻るハル。

 子供達も食事を終えてからは、むずがる事もせず再び眠りに落ちていた。


「よく寝るなあ……」


 ハルがにこにこしながら飽きもせずしばらく2人の寝顔を眺めていると、後から部屋へやって来たエルレイシアがその手を少し強く引いた。

 驚いて振り返ると、拗ねたように軽くハルを睨むエルレイシアの顔がある。


「ハル……」

「え……?」

「ね?」

「……ち、ちょっと待ったっ。目が、目が今は駄目なんだっ」

「んんっ!関係ありませんっ」


 エルレイシアの求めるものを察したハルは慌てて制止するが、意外と強い力でぐいぐいとハルを奥の部屋へと引っ張るエルレイシア。

 子供達を起こさないように抑えた声でハルが訴える。


「じゃあ、せ、せめて風呂っ、お風呂にっ」

「ん~っ」

「またこの展開~っ!?」


 悲鳴じみたハルの訴えはしかし、無視されてしまうのだった。








 翌日、シレンティウム行政庁舎、大会議室



 久しぶりにシッティウスを始めとする行政長官達と顔を合わせるハル。

 その前に各部署を回って今回の戦いで後方支援を担当した官吏達と言葉を交わす為に各部署の部屋回りを終え、ハルは行政庁舎の大会議室へとやって来た。

 ハルの部署回りの終了時間を見越して、既に大会議室へと集まっていた各部署長官達は、シッティウスの合図で席から立ってハルを迎える。


 また、各部署長官達の他に、都市参事会議長であるアルキアンド、西街区代表のへリオネルが出席しており、また第23軍団長のベリウス、第22軍団長のアダマンティウスらが軍の代表者として出席していた。

 また、アルスハレアが学習所兼薬事院統括として出席しているが、タルペイウスはフレーディアの市長代として出向中であるので欠席している。

 全員が揃った事を確認したシッティウスが徐に立ち上がって口を開いた。


「早速ですが…あちこちから書状が届いておりますので、披露して宜しいですかな?」

「………」

「……アキルシウス殿?」


 自分の言葉に無反応なハルを訝るようにシッティウスが再度ハルへと声を掛けると、ハルはびくっと身を震わせながら慌ててシッティウスの方を見て答えた。

 その顔には何かをごまかすようなぎこちない笑みがある。


「あっ、は……ああ、どうぞ」

『……らしくないのである、居眠りか?ハルヨシよ』


 すっかり元の大きさへと戻ったアルトリウスがにやにやしながら声を掛けると、ハルは慌ててそれを否定する。


「い、いえ……大丈夫です。目も良くなり始めましたし」

『そうではないだろう?』

「え?」

『大方嫁が離してくれなんだのであろう?全く、アツイ事である』

「……う」


 アルトリウスに図星を指されたハルが思わず言葉に詰まると、シッティウスが肩眉をぴくりと跳ね上げて言う。


「ああ、それは気が付きませんでした、そうですな、検討事案は明日に致しましょう」


 ぱたりと書類綴りを片手で閉じ、早くもシッティウスが閉会を告げるべく立ち上がったので、それを止めようとハルが周囲を見回すと、全員がにやにやとしてハルを見ている事に気がついた。

 うっと絶句しつつもハルは何とか言葉を絞り出す。


「い、いや、その、そんな気は遣わないで下さい……お願いしますから」

『ふふん、まあ、ほどほどにするのである』

「はい、すいません……」


 勝ち誇ったようなアルトリウスの声に、ハルは素直に頭を下げるほか無かった。








「では、宜しいですかな?最初に、オラン人の部族会議から王位授与の申し入れが改めてきております。丁度今の時期はトロニア訪問を約束をしていた頃ですので、オラン人も戦争が長引いていた事は承知をしていたとは言え、そろそろ焦れてきたのでしょう」


 シッティウスが改めて案件について解説を始める。

 まず最初は以前から申し入れがされていた、オランの王位についてであった。


「そうでしたね、秋には一度お邪魔すると話もしてありましたから、そろそろトロニアへ行かないといけませんね」


 かつてオラン人が外敵に対し、一致団結して戦った際にその軍事指導者が就任したのがオラン王位である。

 各部族長から承認され、オランの都とされているトロニアで戴冠される習わしであった。

 今まで4人のオラン人英雄が王位に就いているものの、ここ100年ほどは王位に就いた者は居ない。

 特に最近は帝国の勢いに押されっぱなしでどんどんとオラン人が持つ領域は削り取られており、残りのオラニア・オリエンタにしても、最早帝国領への編入を待つばかりの存在へと成り下がっていた。

 既にオラニア・オリエンタという呼称そのものが帝国による物なのである。

 かつて帝国と対等に戦い、西方諸国を脅かした輝かしき過去を持つ蛮族、オラン人はその役目を終えようとしていたのだ。


 しかし、ここに来てにわかに隣接部族、クリフォナム人をまとめ始めた群島嶼人である辺境護民官の登場によって、オラン人達は希望を持つようになる。

 聞けば辺境護民官は生粋の帝国人とは違うせいか、蛮族と蔑まれている北方人に対して偏見を持っていないという。

 その証明に、太陽神の神官であるクリフォナム人を妻に迎え、都市で仲睦まじく暮らして子供まで生まれたと言うのだ。

 しかもハレミアの大軍を打ち破る統率力を示し、その武勇に優れ、法の執行は公正無私。

 最近は帝国の内乱に介入して見事な活躍を成し遂げた。

 このまま座して民族としての誇りと歴史を失うというのであれば、人種が違うとはいえ英雄と認めて辺境護民官を王に祭り上げ、その庇護を受けた方がより自分たちオラン人としての未来をつなぐ事が出来る。

各部族の指導的立場に居る者だけで無く、大陸に住まうオラン人全ての希望となったハルに対する期待は高まっていた。


「それから、クリフォナムの中でもアキルシウス殿へ王位を授与しようという動きがあるようですな」


 ぺらっと資料をめくったシッティウスが言うと、ハルは少し不思議そうに答える。 


「えっ、既にフリード王ですが?」

「それとは異なります。全クリフォナムの部族が認める王位ということのようです。いわばクリフォナム王と言った所でしょうか。尤も今までクリフォナムを代表するような王はいた事がありませんので、オラン人に対抗してという意味合いが強いとは思います」


 アルペシオ族長のガッティとアルマール族長にしてシレンティウム都市参事会議長のアルキアンドが主導し、ハルをクリフォナム王に就けようとする動きが出ていた。

 反対しているのはフリード族で、フリードの王が全クリフォナム人を統べていた事実を持って、フリード王が即ちクリフォナム王であるという理論に拠っていた。

 既にフリード王であるハルに改めてクリフォナム王を授ける意味は無いというのである。


 ただ、やはり一部族と全部族の王では意味合いが違う。


「……ふむ、帝国から北の護民官、オランの王、クリフォナムの王を兼ねるという事ですか、これを受けるとなれば、果たされた時点で北方連合国の成立宣言をしても良いのでは無いですか?」


 クリフォナム王の授与については、提案自体に関わっているアルキアンドであったが、今はあくまでもシレンティウムの参事会議長という立場で話す。

 次いで資料をめくり上げたシッティウスが言葉を発した。


「アキルシウス殿は今後の北方連合を立ち上げるに至ってどのような政治機構を考えておられますか?」

「北方連合の正式名称は、北方諸都市、オラン人、クリフォナム人連合とします。連合の盟主はオラン王、クリフォナム王、北の護民官を兼ねて務め、オラン国の首都は今まで通りトロニア。クリフォナムの首都はフレーディアへ置き、北の護民官が管轄する諸都市連合の首都はシレンティウムで、連合の首都もシレンティウムとします。」

「元老院は設けますかな?」


 シッティウスの再度の質問にハルは頷きながら答える。


「はい、元老院とは大分様相が違う会になると思いますが、オランとクリフォナムの各部族代表者と北方諸都市の市長を参加者とする政務参与会を設けます」

「なるほど、まあ良いでしょう。概ね今の実状に沿った構想ではあるようですな。いや、

結構です。私が口を挟む余地がありませんな」


 珍しくシッティウスはうっすら笑みを浮かべると、満足そうな口調で言いつつ、1枚の紙をハルに差し出した。

 そこには今、ハルが言った内容と寸分違わぬ政務機構の一覧図が出来上がっており、ハルは驚きで目を見開いた。

 その驚くハルの様子をこれまた珍しく、どこか面白がるような口調でシッティウスが言葉を継いだ。


「不思議と既にアキルシウス殿の構想は既にここに出来上がっておりますので、この一覧図を参考にしていただければ幸いですな」







「少々よろしいか?」


 ハルがオランとクリフォナムの王位を受けるという事で話がまとまった段階で、アダマンティウスが発言許可を求めた。


「どうぞ」


 ハルが発言を許可すると、アダマンティウスはいつになく改まった表情で1枚の紙片を取り出した。


「では、失礼して……私がこれから話す事は今後の帝国との関係と、帝国から来ている要望に関してです。シッティウス殿、構いませんか?」

「構いません、おそらく私が受け取っている物と同じ物でしょうな」


 シッティウスがアダマンティウスに別の紙を差し出す。

 机の上に置かれた2枚の紙を見比べる出席者達が、同種の物である事を確認したのを見計らってアダマンティウスが再び口を開いた。


「あ~はっきり言いまして、私に対して帝国軍総司令官にと引き抜きがありました」

「えっ?」

『ほほう、アダマンティウス、お主も偉くなったものであるな』


 びっくりするハルに遠慮しつつも、かつての副官が帝国軍総司令官にという要望があった事に対して喜色を隠せないアルトリウス。

 しかし当のアダマンティウスは周囲の反応に困惑しながら言葉を継いだ。


「出所はユリアヌス帝です。一応アキルシウス殿の意向次第とは言っておりましたが返答は保留致しました。私の本音と致しましては断りたいのですが……ともかくはそういう事です」


 驚きで絶句しているハルを心苦しそうに見ながらアダマンティウスが言うと、その後を受けてシッティウスが言葉を発する。


「補足させていただきますと、帝国軍の再編について人材が不足しており、見識、人物、経験、実力、名声から将軍の他に比する人物が居ないので、アダマンティウス将軍を返して貰いたいとのことですな。まだ正式な形での要望とはなっておりませんが、非公式な打診として文書が送られてきています」

「……お断りします」


 考えるまでも無い。

 アダマンティウスが帝国軍へ戻りたいというのであれば考慮する余地があったかもしれないが、本人も望んでいないのであれば、ハルとしてはこの有能な老将軍を手放すつもりは一切無かった。


「やれ、肩の荷が下りました。しかし現在帝国は兵士官吏共に末端から不足しておりますか、今後このような引き抜きをせぬように申し入れをせねばなりますまい」


 ため息をつきながらアダマンティウスが言うと、シッティウスが書類に書き込みながら頷く。

 そしてシッティウスは徐に一枚の紙を差し出した。


「こちらは帝国とシレンティウム間で取り交わされる予定の協定文書です。一応内容に過不足は無いと思っていますが確かめておいて下さい」

 ハルがのぞき込んだその紙には、つらつらと帝国風の硬い文章が書き連ねられている。

 その内容は

1 辺境護民官ハル・アキルシウスを北の護民官に任じる。

2 北の護民官位は今後継承については自由とする。但し、帝国に敵対した場合、帝国の敵対勢力と通じた場合はこの限りでは無い。

3 北の護民官の担当地域についてはクリフォナ・スペリオール、クリフォナ・インフェリオール、クリフォナ・オリエンタ、ノームリア、オラニア・オリエンタとする。東方辺境、極北辺境については北の護民官の優先領有権を認める。

4 北の護民官の管轄地域においては帝国のいかなる権限も及ばない。また、北の護民官は帝国領において権限を行使できない。これに付随して帝国は北の護民官に対する徴税権を放棄する。但し犯罪捜査については協議の上、担当官吏の権限を決定することとする。

5 北の護民官は、帝国東方及び北方に対する防衛戦争に協力する義務を負う。

6 国境警備隊の兵数装備は協議の上同数同程度とする。帝国と北の護民官は相手方との協議無くして勝手に国境警備隊を増強してはならない。

7 北の護民官は、外交について帝国に敵対する可能性のある勢力との交渉に当たっては、帝国に交渉の経過を報告する義務を負う。また、帝国は北の護民官に不利に影響する外交交渉に当たってはその経過を北の護民官に報告する。

8 北の護民官領における通貨は帝国通貨を使用する。貨幣改鋳を行う際、帝国は北の護民官へ通知しなければならず、貨幣改鋳に合意できない時、北の護民官は自国通貨を鋳造する権利を回復する。

9 帝国と北の護民官は、相互の領土間における通商は自由とする。但し、相手国内においては相手国の法令、課税制度に従って商業活動を行う。

10 帝国と北の護民官は互いに大使を交換する。

11 帝国と北の護民官は相手方主要都市に協議の下に領事を置く事が出来る。

12 帝国と北の護民官は、自領内において相手方市民に対する保護義務を負う。但し犯罪者についてはこの限りでは無いが、逮捕・拘束が長期に亘る際、罰金以外の刑に処す際は相手国に通知を行う。

13 帝国と北の護民官は官吏、軍人その他の人材交流を双方の合意の元で行う事が出来る。

というものである。


「まあ、概ねよいのでは?」

「ぱっと見た感じじゃ特に困った所はなさそうだ」


 街区代表のヘリオネルが言うと、その隣に座っていたルキウスも賛同する。


「……引き抜きに対する申し入れは別ですればよろしいか」


 アダマンティウスも賛意を示した。


「シレンティウム市民、これは概ねクリフォナムの民とオランの民ですが、北方の民と帝国市民が対等の立場に立っていると言うだけでも、この条約は価値があると思います」


 アルキアンドは何度も頷きながら賛意を示す。


「問題ありませんね、では条約を発効させましょう」


 ハルはすらすらと協定文書の末尾へ内容について同意する旨の一文と署名を行い、シッティウスへと手渡した。


「確かに……ではこれを帝国へ送っておきます。おって正式な祝福付きの協定委文書が届く事でしょう」


 外交文書においても、特に密約などの場合以外は祝福付きの協定文書を取り交わし、異心の無いことを示すのが通例である。

 ただ、これもあくまで対等の関係にある国同士の外交文書であって、属国や力関係のはっきりしている場合は使われない。

 祝福付きの協定文書を使うということを取ってみても、帝国の現在の首脳部が本来であれば皇帝の配下に過ぎない北の護民官が治めるシレンティウムとの関係を重視し、気を遣っていると言うことが分かる。


 いずれシレンティウムが帝国との関係を見直すにしても、対等の国家関係であったことを示す祝福付きの協定文書があれば、それだけで帝国に対して対等な関係で主張が出来ることだろう。

 シッティウスが全員の前でハルの署名が終わった協定文書の下書きを封緘し、更に筒に収めて厳重に封を為した。

 後ほど西方郵便協会に預けられ、特別便で帝都に送られるのだ。


「それから新皇帝のユリアヌス帝より、今回の戦費に対する補填が為される旨の通知が来ておりますな」

「それは助かりますわ」


 シッティウスがそう言いながら隣に座る財務長官のカウデクスにその書状を渡す。

 受け取ったカウデクスはさっとその書状へ目を通すと顔を少しほころばせた。


「皇帝陛下は随分と奮発して下さったようですわ。今回の戦費を補ってあまりあるほどの金額です」

「遺族に対する弔慰金や保障は大丈夫ですか?」


 ハルの言葉に真剣な眼差しで頷きながらカウデクスは口を開く。


「もちろん、それらを考慮した上でのことですわ。遺族に対する保障については、併せてシレンティウムで仕事を斡旋して頂こうと考えているのですが、宜しいでしょうか?」

「問題ありません」


 次いで視線を向けられた農業長官であるルルスが即座に答えた。


「男手を無くしてしまわれた家庭に対しては、薬草栽培農園で働いて貰おうと考えています。亜麻栽培や製糖にも人手がいりますので」

「こちらへも人手を回して頂けますかな?わはは、文字の読み書きが出来るようであれば商家へ斡旋致しましょう」


 次いでオルキウスが発言すると、更にその隣に座っていたスイリウスがぽそりと言った。


「……工芸区の親方達が弟子や従業員を探している……こっちでも仕事なら斡旋出来ると思う……」


 戦死者遺族や、傷痍兵に対しては手厚い事で有名なシレンティウム。

 その手当が終わると、シッティウスが少し困ったような顔で切り出した。


「但し、これには条件がありまして」

「条件ですか?」

「はい、帝都で北の護民官の叙任式と戦勝式典を執り行なうので、これにアキルシウス殿が出席すること、だそうです」


 ハルの疑問に紙面を見ながら答えるシッティウスに、アルトリウスが不敵な笑み浮かべて言う。


『……ふむ、考えたのであるな。あからさまに金をやるから来いとは対面もあるので言えぬであるし、こちらも応じ難い。式典にかこつければ此度の戦の勝利の立役者を帝都市民に披露してやれるという訳である。それに式典への出席を条件とすれば、金が欲しい我等は行かざるをえぬが、理由があれば応じやすくもあるという訳でもあるな』

「よく考えられているとは思いますな」


 シッティウスもアルトリウスの言葉に同意すると、今度はハルが困り顔で口を開いた。


「でも、順番でいけばトロニアの方が先でしょう?」

『何、問題あるまい。どうせ手ぶらでは行けぬのであるから、第21軍団を護衛代わりに引き連れてゆくが良い。トロニアから直に帝都へ行け、レムリア峠を越えれば直ぐである』

「日時もこちらにある程度合せることが可能と記されておりますな」


 アルトリウスの提案にシッティウスが再び紙面を見ながら言葉を継いだ。


「しかし、第21軍団は今回の遠征で疲弊しておりますぞ?レムリア峠などと言う峻険な山道を踏破するには装備、訓練とも十分でありませんし、1個軍団では大所帯に過ぎますか?」


 今度はアダマンティウスが現実的な面で指摘をする。

 いくら寒さに強く頑健な身体を持つクリフォナム人主体であるとは言え、軍装のままレムリア峠を越えるのは無理がある。

 そもそも道と呼べるような道は無く、かつてオラン人が強勢であった頃でさえこの道を使って帝国側へ侵入したことは一度も無いのだ。


 ごく少数の木樵や狩人といった山岳地域に暮す者達が偶に帝国側へ商売などのために抜けるぐらいの獣道である。

 また厳しい気候や峻険な地形の問題だけで無く、魔獣や野獣も多いのでそう言った意味でも安全とは言い難いレムリア峠。

 しかしトロニアから帝都へは一番の近道である事も確かであった。


『うむ、それについては考えがあるのであるが…まずは形だけは第21軍団にして、中身はごっそり入れ替えるのである』

「入れ替えるんですか?」


 アルトリウスの言葉に首を傾げるハル、シッティウスはその意図に気付いたのか仕切りに頷いている。

 アルトリウスはハルに笑みを見せ手から構想を披露した。


『おう、これからの北方連合を担う若者や重要人物を第21軍団として編制するのである。野戦中心の遠征だけでは帝国の実体は知れん。帝都を見せ、西方帝国の広大さと威容、文明と物量を自分の目で見せてやれば良かろう。世界を知ると言うことは自分や故郷を知ると言うことに繋がるのである、言わば見識を広めさせるのであるな』

「なるほど…では、少数で?」


 ようやく合点のいったハルにアルトリウスは肩をすくめて答えた。


『無論である、補給の問題もあろうし、峠越えは大軍では無理である。であるから1個軍団7000名を連れて行く訳には行かぬ。そうであるな…兵を合せて1500程度で良かろう。装備は冬期装備を持たせれば良い、補給は山越えの分をトロニアで購入するのである』

「では、早速編制に入ります……これが成功すれば帝国は我々とのより強い友好関係を望むでしょうね?」


 ハルの意味ありげな言葉に、アルトリウスは人の悪い笑みを浮かべて答えた。


『当然である、我等の機嫌を損ねれば軍がいきなり帝都の裏庭に踏み込んで来るやも知れんのであるからな。ま、わざわざそういう可能性もあると知らせてやるのであるから、今は親切というモノである』

「今回はクリフォナムの同盟部族の若者達に対して募集を掛けましょう、編制は早くとも冬になりますが、致し方ありませんな」


シッティウスの言葉にアダマンティウスが補足を加えた。


「装備はお任せ下さい、最高の冬期装備を調えて見せます」

「では、トロニアと帝都へ冬に入ってから向かう事とします。各部署は準備に入って下さい。これが終わればいよいよ北方連合国立ち上げです。心の準備もするようにしておいて下さいね!」


 最後にハルがそう締めくくると出席者達は一斉に立ち上がり、それぞれの仕事を果たすべく各部署へと散ってゆくのだった。


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