第9話 東部平原の戦い
帝国領リーメシア州、コロニア・リーメシア郊外
残暑の強い陽射しが残る、帝国東部はリーメシア州、コロニア・リーメシア郊外の平原には、まさに世紀の一戦となるべく2つの軍勢が集結していた。
南側に陣取るのは鈍色の帝国風の鎧兜に青を基調とした大楯を並べたシレンティウム軍の北方軍団兵、背中には今や彼らのトレードマークとなったクリフォナム風の青いマントが翻っている。
北側には砂色の丸盾を構え、ばらばらと短い槍を突き出して居並ぶ南方歩兵に、白を基調とする円形の大楯を構えた、重装歩兵傭兵が長槍を立てて整然と並んでいた。
「ほう……騎馬を温存するのか?」
アスファリフがシレンティウム軍の陣構えを見てつぶやいた。
アスファリフの言うとおり、シレンティウム軍は各軍団から抽出した重装騎兵と騎兵団の騎兵併せて1万全てを本陣に配置している。
翻ってシルーハ軍は2万余の騎兵を左右に振り分けて配置する基本的な西方陣形を組んでいた。
「おい、軍使を出せ、敵の辺境護民官とやらの面を拝んでやろう」
「……危険ではありませんか?」
「あん?ああ、そりゃ大丈夫だ、卑怯もんじゃねえよ、あいつは」
「どこかで面識がおありですか?」
「はは、あると言えば有るが、無いと言えば無いな!」
「はあ、そうですか……」
「英雄は英雄を知るってやつだ……まあ、良いから出せ。て言うかまだるっこしいな、俺が直接行く」
「それは!」
「大丈夫だ、さっきも言ったが俺たちみたいに卑怯もんじゃねえよ、あいつはよ」
『……軍使であるな』
シルーハ軍の陣営から3騎の部将と思われる者が進み出てきたのを望見したアルトリウスがハルに声を掛けた。
「今更何でしょうか?」
3人の部将はハルの目にも映るが、特に何かをするというわけでも無く、じっと両軍の中央でこちらを見つめている。
その様子を見たアルトリウスが面白がるような声を出した。
『ふふふ面白い、ハルヨシよ、あやつらはお主の顔を拝みに来たのである。全く持って面白みのある奴らである!応じてやるが良い』
「いや、それは危険だ……罠かも知れない。アイツは奥方を罠に掛けた奴ですぞ」
アルトリウスの言葉に、すかさずベリウスが反対意見を述べる。
しかしハルは少し考えた後に一つ頷くと、ベリウスを始めとする将官達に告げた。
「エルを殺そうとした事は許せませんが……先任の言う通りここは会ってみようと思います。何か交渉の糸口がつかめるかも知れませんし、それにどんな人物か見てみたいっていうのもあります」
『それでこそ我が見込んだ後継者よ!ではいざ行かん!』
「あれ?先任も?」
てっきり居残るとばかり思っていたハルは、アルトリウスの言葉に驚いて質問を返すが、アルトリウスは全く悪びれるところ無く答えた。
『当然であるっ。西方帝国をここまで追い込んだ人間を我は外に知らぬ。是非とも一度会っておかなくてはならないのである、正に冥土の土産である!』
「え……冥土へはもう行かないのではないですか?」
ハルが思わず言葉を返すと、一瞬怯んだアルトリウスであったが、力強く言葉を次いだ。
『……も、モノのタトエであるっ』
ハルがベリウスと護衛のレイルケンを伴ってシルーハの部将が屯する場所に近づくと、中央の男臭い髭面の部将がにかりと笑みを浮かべて声を掛けてきた。
「おおっ?あんたが噂の辺境護民官か……思っていたより若いな!」
「そういうあなたは……まさかアスファリフ将軍ですか?」
驚くハルに、アスファリフは破顔して言い返す。
「おう、そういうお前も直に来ただろうが、お互い様だ。ま、堅苦しいのは抜きにして少し話そうじゃ無いか……お前、北へ引き上げる気は無いか?」
「……どういう事ですか?」
アスファリフの突然の言葉に警戒心も露わに聞き返すハル。
その様子にふっと口角を上げてアスファリフが言葉を継いだ・
「何、簡単な話さ、あんたが占拠したシルーハ領のルグーサはくれてやる。但しユリアルス城は俺に渡せ……そうだな、コロニア・リーメシアと元の関所の周辺もくれてやろう。ポゥトルス・リーメスと帝国東部諸州はこちらに貰う」
「お断りします」
「悪い条件じゃ無いと思うんだがなあ……あ、ひょっとして俺がお前の嫁を殺そうとしたからおこってんのか?」
肩をすくめるアスファリフだが、それ程残念そうにも見えない。
一方のハルは最後の言葉に怒気を発した。
「……やはりあなたですか」
「俺以外にだれが居るってんだあ?あんな工作出来るヤツが他にいるかよ」
「外道め」
「どうとでも、俺は傭兵。勝てる為ならなんだってやるさ」
唇を噛み締めて怒りを露わにするハルに対し、ニヤニヤしながら軽い調子で答えるアスファリフ。
しかし隠れているアルトリウスがハルの背をそっと押した事で、ここに来た目的を思い出す。
「こちらの要請は帝国領からの撤兵と3国講和です。であればルグーサとシルーハのこちら側の占領地は返しましょう」
アスファリフの提案をにべもなく断わったハルが提案を返した。
しかしその提案を聞いたアスファリフが今度は怪訝な表情になって質問を返す。
「3国講和って、西方帝国とシルーハは分かるが、後はどこの国だ?お前んとこかよ?」
「東照に決まっています」
「……なるほど、使い捨てにはしないって事か。真摯だねえ」
感心したような声色のアスファリフに、ハルは逆に何を言っているんだと言わんばかりの様子で答えた。
「当然でしょう」
「……面白いな、実に面白い。俺がシルーハの実権を持っていたならその話に乗ってやっても良いが、生憎俺はシルーハの商人共に雇われたしがない傭兵なんでね、それは雇い主の意向では無いので応じられねえな」
しかし、アスファリフはそう言うと早くも馬首を返した。
「では?」
ハルの言葉に馬を進めながらアスファリフが応じる。
「おう、俺に勝てばお前の要求も通るかも知れないが、今この時においては交渉決裂だ。言っとくが俺は強いぞ?お前も知ってるだろ?目ん玉無くした老将軍は元気か」
「ふざけるのはそれぐらいにしてもらいましょう。頂いた言葉はそっくりお返しします!」
「はっ!違いない、じゃあなっ」
自軍の本陣へ帰ったアスファリフは心底愉しそうに口を開く。
「くくく、いや、面白いっ俺は絶対あいつに吠え面をかかせてやりたくなった!」
「基本戦略は変えなくとも良いですか?」
「ああ、このまま行く」
斥候頭の言葉にそう消したアスファリフは配下のへイズ達を眺めた。
歩兵はシレンティウム軍が北方軍団兵3万に対し、シルーハ軍は当初よりだいぶ減ってしまったが未だ南方歩兵3万と重装歩兵傭兵1万5千がいる。
しかしアスファリフは弱兵である南方歩兵の数を勘案しても歩兵については互角と踏んでいた。
正直北方軍団兵の実力は未知数で有るものの、帝国軍団兵と同等の能力はあるだろうと考えていたアスファリフは、先頃帝国軍を破った時と同様に正面を傭兵に受持たせて正面の北方軍団兵を包囲するつもりである。
騎兵の数がシルーハの半分程度と西方帝国の編制よりかなり多いのが気になるが、それでも半分は半分であり、騎兵の用兵に自信のあるアスファリフは正面から敵騎兵を討ち破るつもりでいた。
敵の陣容を読み取り素早く戦術を組み立てたアスファリフは、陣内を馬で駆け回り兵士達を鼓舞する。
「色々煩わしい事もあるが、今はこの時、戦いを存分に楽しむとしようっ!貴様ら負けんじゃねえぞっ!!指示を聞き漏らすな!同輩を見捨てるな!勇気を保てっ!俺たちは最強だ!」
うおっ!
アスファリフの檄に呼応する兵士達。
シルーハの召集南方歩兵、シルーハの正規騎馬兵、重装歩兵傭兵、騎馬傭兵など、兵種やその出自、成り立ちに大きな違いは有るが、等しくアスファリフの指揮下において敵地で戦ってきた歴戦の兵士達の気力が漲る。
「いくぜっ、北の護民官!覚悟しろ!!」
アスファリフが黒の聖剣を抜き、前へ振ると同時にシルーハ軍が動き出した。
「先任はどう見ますかあの人を?」
『アスファリフか……まあ時代の寵児ではあろうな。英雄の資質はある、油断せぬ事だ』
「それは分かっていますが……」
少し考えるように下を見るハルに、アルトリウスの声が響く。
『ハルヨシよ、敵が動いたのである』
シルーハ軍が動き出したのを察知したアルトリウスに促され、馬上のハルは静かに顔を上げる。
シレンティウム軍の布陣は左翼に第21軍団、右翼に第23軍団を配置し、正面にシレ第24軍団、第25軍団が並び、そしてその後方正面第2陣に第26軍団が控えている。
「では、手はず通りに……」
『うむ、まずは正面衝突であるな!』
アルトリウスの言葉にこくりと頷くと、ハルは進み来るシルーハ軍をきっと睨み付けて大声を発した。
「兵士諸君!只今から我等は最後の決戦に赴くっ!敵はシルーハの傭兵将軍こと雷撃のアスファリフ率いるシルーハ軍7万!数には劣る我々だが、諸君達の士気と練度は敵とは比ぶべくも無く、真に軍として機能するのはアスファリフの傭兵3万とシルーハ騎兵1万のみである事を考えればその数に遜色は無いっ!奮え、勇めっ、この一戦こそ歴史に残る一戦となろう!行くぞ!!!」
おうっ
「まずは歓迎の矢を浴びせろっ。一斉射開始!」
ハルの号令で、シレンティウム軍の矢が一斉に引き絞られる。
そして、すさまじい弦音と共に空が黒くなるほどの矢が放たれた。
帝国東部平原の戦いの火ぶたが切って落とされたのである。
「おっ、早速来たな……頭上防御態勢!そのまま進め!」
シレンティウム軍から矢が放たれた事を見て取ったアスファリフの命令で、前線を進む歩兵たとが一斉に丸盾を頭上にかざす。
しばらく進んだ所で次々に落下してきたシレンティウム軍の矢が丸盾に炸裂し始めた。
がんがんがんと乾いた音と共に矢が丸盾に突き立つ。
中には簡素な盾を貫かれて手や胸に矢が突き立ち、絶叫して倒れる南方歩兵もいるが、主力である重装傭兵はその上質な盾で概ねシレンティウム軍の矢を防ぎきった。
シルーハ軍にも弓矢の部隊はいるが軽装弓兵であるので、ガッチリ鎧兜で身を固めた北方軍団兵の弓装備隊と撃合いをしてしまうと、どうしても撃たれ弱い分損害が大きくなってしまうし、同じく軽装備の南方歩兵も投射兵器には弱い。
それであれば盾で矢を防ぎつつ接近戦に持ち込んでしまった方が良いとアスファリフは判断したのだ。
「騎兵、左右から展開開始!」
アスファリフの命令で、左翼に配置されていたシルーハ騎兵と右翼に配置されていた騎兵傭兵が動き出す。
両翼に騎兵が配置されていないシレンティウム軍を包囲する為の行動である。
シレンティウム軍は左右に北方軍団兵を分厚く配置して騎兵対策を取ってはいるものの、アスファリフからすれば機動力のある騎兵に対しての配置としてはお粗末であった。
「さあ、どうするかな?」
ハルは弓矢による攻撃を続行させながら、シルーハ騎兵が左右に展開し始めたのを見てとった。
「先任……」
『うむ、騎兵が動いたのであるな。シルーハ……というか敵将アスファリフお得意の包囲攻撃であるな』
ハルの声にアルトリウスが素早く反応した。
シルーハの騎兵は装備的には軽装であるが、白兵戦を得意とする軽騎兵と、弓矢を装備した弓騎兵がおり、いずれも素早さに定評がある一方防御力や突撃力には若干難がある。
その為、クリフォナムの東部諸族を真似たシレンティウム軍の重装騎兵や帝国の重装騎兵といった装備に勝る相手に対して正面からあたる事はしない。
大体は歩兵の後方攪乱や腹背攻撃、追撃戦などに使われるが、厄介なのはその数である。
ざっと見ただけでも左翼だけでシレンティウム軍の騎兵と同数、右翼を併せれば2倍になるだろう。
そこでハルは基本的には北方軍団兵に騎兵の対処をさせ、その隙に片方の騎兵を討ち破ろうと考えたのである。
左右どちらかだけであれば同数である上に、こちらは装備で勝っている。
大きく回り込まれてしまえば挟み撃ちをされる恐れがあったが、そこは北方軍団兵に頑張って貰う他無いが、その為にわざわざ歴戦の第21軍団を左翼に、そして第23軍団を右翼に配置したのだ。
間もなく左翼の第21軍団とシルーハ騎兵が衝突する。
「ルーダ、がんばれよ」
『おう、あのアルマールの小僧か……まあ、あ奴であれば大丈夫なのである』
シレンティウム軍左翼
「よしっ、騎兵が来るぞ!各人対騎兵攻撃準備!」
アルマール族の小僧こと、ルーダは現在第21軍団軍団長代行の地位にある。
第21軍団は辺境護民官であるハルが軍団長であるが、今回に限ってハルは騎兵団を直卒しているため第21軍団の指揮軍団長代行のルーダに回ってきたのである。
ルーダの命令で北方軍団兵は盾の裏から手投げ矢を取り外す。
「対騎兵亀甲隊形取れ!」
ルーダの号令で大楯を並べ、その隙間から槍を突き出す第21軍団の北方軍団兵達。
新たに考案された対騎兵亀甲隊形は、槍装備の兵を前面に置き、騎兵突撃や乗り崩しを掛けられないように、盾壁の合間合間から槍を前に突き出すのだ。
シルーハの騎兵達には弓騎兵が混じっており、盛んに矢を撃ってくるが固い大楯の壁に阻まれて矢は北方軍団兵までは届かない。
一頻り矢を放った後、シルーハ騎兵が喊声と共に突撃してきた。
「手投げ矢用意!」
そして怯んだ騎兵相手に、手投げ矢を雨霰と降り注ぐのがシレンティウム軍の基本的な対騎兵戦法である。
「まだまだ……」
ルーダが生唾を飲み込みながら迫る騎兵を凝視する。
遠すぎては威力が減退してしまうどころか届かないかもしれない。
逆に引付け過ぎてしまえば矢を投げる前に突撃されてしまう。
「まだだ……」
地響きの音を立てて迫るシルーハの褐色の騎馬戦士達。
歯を剥き出して喊声を上げ長剣を振りかざし、あるいは槍を突き出して迫る。
「まだだっ……!」
ルーダの声にも焦りが含まれるが、北方軍団兵達の手投げ矢を握る手にも汗がにじむ。
シルーハ騎兵の歯の一本一本、顔のしわが見えた。
馬のたてがみが、蹄の筋が、浮き出た血管がはっきり視認出来る。
最前列の北方軍団兵が歯を食いしばって迫るシルーハ騎兵の恐怖に耐えきろうとしたその瞬間。
「撃てええええええっ!!」
待ち望んでいた命令がルーダの絶叫となって北方軍団兵達の耳に届いた。
ぶわっ
渾身の力を込めた手投げ矢が3列目以降から放たれ、斜め前方から降り注ぐ手投げ矢がシルーハ騎兵に襲いかかる。
手投げ矢に額を射貫かれて馬に乗ったまま絶命するシルーハ兵。
馬の首筋に手投げ矢が刺さり、絶命した馬の下敷きになって死ぬ騎兵。
肩口にて投げ矢を受けてバランスを崩し、落馬するシルーハ兵に、後方の騎兵が突っ込んで撥ね飛ばす。
別の場所では数本の手投げ矢を撃ち込まれて馬諸共騎兵が絶命していた。
たちまち混乱の渦に巻き込まれるシルーハ騎兵。
足が止まった騎兵達に更なる投射兵器と矢の嵐が降り注ぐ。
シルーハ騎兵にとって歩兵とは蹂躙の対象であり、絶対優位の兵科のはずであった。
歩兵が騎兵に対抗する術と言えばせいぜい槍を並べて突撃を牽制する程度である。
西方諸国のように密集方陣を組まれれば厄介ではあるが、それでも側面に回り込んでしまえば運動性の無い歩兵など鎧袖一触に出来たはずなのだ。
数騎は乗り崩しを賭けられたようであるが、それも余りに少数過ぎてすぐに北方軍団兵のやり玉に挙げられてしまった。
しかも残った騎兵達は足が止まったところを狙われて手投げ矢と弓矢の攻撃でばたばたと討ち取られている。
「なっ、何だと……!くそ、下がれっ立て直すんだ!」
シルーハの騎兵隊長が余りの惨状に思わず後退を命じるが、その命令が遅かった事はすぐに知れた。
「突撃!」
おおおお!
ハルの号令で本陣にいたシレンティウムの重装騎兵が一気呵成に突撃を開始する。
投擲兵器の攻撃がぴたりと止んだ事に安堵していたシルーハ騎兵の表情が再び引きつった。
北方軍団兵と同様の鎧兜に身を包み、槍を手に突っ込んでくるクリフォナム人の重装騎兵に次々と血祭りに上げられ、シルーハの騎兵達は恐慌状態に陥る。
槍で正面から胴を突き抜かれて落馬するシルーハ騎兵。
振り上げた長剣もむなしく、槍を顔に突き込まれて落馬する者。
シレンティウムの重装騎兵の波状突撃を受け、シルーハの軽装騎兵がみるみる数を減らす。
そしてついに騎兵隊長が落馬し、重装騎兵の槍に突き倒されると、シルーハの右翼騎兵は潰走状態となった。
シレンティウム軍正面
西方諸国風の長槍装備に白い丸盾、アスファリフ子飼いの重装歩兵傭兵達は得意の密集方陣を組み、シレンティウム軍正面にあたって来た。
シレンティウム軍でこれを受け止めるのは、正面に配置された第24軍団と第25軍団である。
こちらを任されているのはかつてハルに従い部族を飛び出したアルペシオ族のシールとアルゼント族のデリク。
シールは族長であるガッティの孫で第24軍団軍団長を務め、デリクは第25軍団の軍団長を務めている。
いずれも第21軍団の千人隊長として訓練と実戦を経験し、成長してきた各部族の次代を担う有望な人材である。
血気盛んな祖父の血を存分に受け継ぎ、若者らしい無鉄砲なシールに対し、デリクはクリフォナム人の中でも知性派で通るアルゼント族出身らしく寡黙で真面目。
性格は正反対の2人だが、近隣部族としては珍しくこの2つの部族は昔から友好的であることから交流が盛んで、かく言うこの2人も幼馴染みで仲が良い。
そう言った理由からイネオン河畔の戦いではガッティが両部族の戦士を束ねて率いていたのである。
その2人がハルから言われているのは、過剰な攻勢や突出に気を付けてなるべく前線を持ちこたえる事で、これは敵の主力歩兵である重装歩兵傭兵を拘束するのが目的であると2人は理解していた。
「変に意識して下がる事は無いぞ!攻め立てられる場面があれば積極的に攻勢を掛けるんだ!」
威勢良く配下の北方軍団兵へ指示を飛ばすシール。
対するデリクは物静かな様子で伝令に命令を伝える。
「なるべく投射兵器を使って足止めをするように」
2人が命令を伝え終わったところで正面での衝突が始まった。
喊声を上げ、槍を正面に突き出して迫る重装傭兵に対し、北方軍団兵は手投げ矢の雨を振らせ、大楯で槍の穂先をかわして持ちこたえる。
時折盾の隙間をぬうように突き出される長槍の穂先を後列の北方軍団兵が切り飛ばした。
「いいぞ、粘れ!」
シールの励ましに答え、北方軍団兵が鬨の声をあげて楯を前に突きだした。
長槍が跳ね上げられ、慌てた重装傭兵が槍を構え直す隙を突いて手投げ矢が投じられる。
鋭い刃音とともに手投げ矢が最前列の重装傭兵を撃ち抜くが、その隙間を後列の重装傭兵が素早く埋めて付け入る隙を与えない。
再び拮抗状態が生まれ、正面はシルーハ、シレンティウムの双方が譲らず、膠着状態に陥った。
シレンティウム軍右翼
ベリウスは苛烈なシルーハの傭兵騎兵の突撃に焦ってはいたが、何とか戦列を維持し続けていた。
再びの強烈な突撃が加えられ、最前列の北方軍団兵達が絶叫を残して馬蹄に踏みにじられる。
短槍が馬上から繰り出され、燦めく穂先が楯の上から北方軍団兵の身体を貫いていた。
味方の陣から血飛沫と悲鳴が上がる。
シルーハの一般的な戦法は、まず弓騎兵による弓射が行われた後の突撃であるが、この傭兵達はそんな定法を無視して一気に突っ込んできた。
てっきり最初に弓射が行われると思って防御に徹していた第23軍団は、たちまちの内に距離を詰められてしまい、あっという間に踏み破られてしまったのだ。
手投げ矢を投げる遑さえ無く迫られ、大楯を構えて馬体を防ぎ止めようとした最前列の北方軍団兵達であったが、いかな大柄なクリフォナム人とは雖も馬の突撃に敵うはずも無くあっさり戦列を食い破られたのである。
何とか乱戦に持ち込んで馬の突撃を防ごうとしたベリウスだったが、傭兵騎兵の巧みな馬術に翻弄され、剣を構えて突撃する北方軍団兵が次々に討たれてしまう。
後方から迫った北方軍団兵は馬の強烈な後ろ蹴りを受け、大盾ごと身体を叩き割られた。
また別の北方軍団兵は横から突きかかったが馬の体当たりを受けて吹っ飛ぶ。
正面から馬の首筋を狙った北方軍団兵は、兜の上から槍を叩き付けられて昏倒した。
たちまち第23軍団の戦列は乱れて混乱に陥る。
再度の突撃のために騎兵傭兵が一旦離れた時間を使って何とか戦列を組み直しはしたものの、その衝撃と被害は甚大であった。
1万の騎兵に5千余りの歩兵という、兵科だけで無く兵数の劣勢も響く。
「ぐっ……これ程とは!」
ベリウスは悔しそうに歯がみするが、失ってしまった兵士は戻ってこない。
最初から騎兵の援護は受けられない事になっていた第23軍団であるが、強烈なシルーハ騎兵の攻撃にたちまち士気を落とした。
しかしここで退いてしまったり敗走してしまえば、今度はこの強烈な突撃を正面で敵の重装傭兵と拮抗状態にあるシレンティウム軍団とフェッルム軍団が横撃を受けてしまう。
「持ちこたえろ!」
普段寡黙な軍団長が絶叫した事に驚く第23軍団の北方軍団兵達であったが、すぐにその意を汲み取り気力を盛り返した。
大楯を構え直し、戦列を組み、槍を突き出して騎兵突撃を牽制する。
見違えるように混乱から立ち直った第23軍団は鬨の声をあげた。
しかしそれでも劣勢は覆らず、シルーハの傭兵騎兵達は気勢を上げて猛烈な突撃を繰り返し、第23軍団は敗走こそしないものの次々と兵士を失っていくのだった。
シルーハ軍本陣
戦陣を眺めてアスファリフは快活な声を上げた。
「ははっ!やるな北の護民官!こっちの右翼騎兵は壊滅か……すぐに混乱を収拾しろ」
アスファリフの指令を受けて部将の1人が壊滅して敗走しているシルーハ騎兵を収拾するべく本陣を離れる。
そしてシレンティウム軍の歩兵はやはり思ったように強い。
正面を望見するアスファリフの目に、今までのように戦列を打ち破れず膠着状態に陥っている味方の重装歩兵傭兵の姿が映った。
更に目を左翼に視線を移したアスファリフはにんまりと笑みを浮かべる。
「左翼は貰った!すぐに南方歩兵を投入しろ!」
アスファリフは今回前線には出していない南方歩兵の投入を命じた。
「まだ早くありませんか、もう少し騎兵で敵の戦列を崩してからでは?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ!こっちも右翼がやられてんだ、今こそ追討ちを掛けなきゃならんだろ。騎兵は追撃戦にも使う、一旦下げさせて休憩させろ。その穴に南方歩兵をまとめて突っ込め!」
部将の一人が助言をするがアスファリフは取り合わず、命令を繰り返す。
その助言をした部将は、再度の命令に黙って一礼をアスファリフに送ると南方歩兵を指揮するべく本陣から離れた。
「さあ、ここが勝負所だ!本陣で右翼を固めるんだ。北の護民官軍が雪崩れ込んでくるぞ!」
アスファリフの命令で本陣の騎兵と重装歩兵傭兵が動く。
アスファリフは本陣を囮にしてシレンティウムの騎兵を受け止め、その間にシレンティウム軍の主力である北方軍団兵を壊滅させようと目論んでいた。
ただし、本陣に置いてある重装歩兵傭兵は長槍を装備していない。
これは予備としてどこへでも投入出来るように汎用性を持たせるためと、効果的な密集方陣を組めるほど兵数が無いためで、重装騎兵を受け止めるには少し荷が重いが、アスファリフは本陣は囮と割り切って考えていた。
当初は両翼の騎兵での包囲殲滅を狙ったのだが、自軍の右翼騎兵が敗走したので戦略を変え、シルーハ軍左翼からの側面包囲攻撃に切り替えることにし、その為総予備で取っておいた南方歩兵を一気に左翼へと投入することにしたのである。
勝利を描くアスファリフは、敵の騎兵が来る方向を見てにやりと笑みを浮かべた。
「まあまあやるがこれで勝負は終わりだ、なかなか楽しかったぜ!」
シレンティウム軍騎兵団、戦場の西側
疾走する馬上にあるハルの肩へ更に乗る、アルトリウスが風音に負けない声で言葉を発した。
『ハルヨシよ!敵の本陣がこちらに回ってきておる。恐らく本陣で我等を受け止め、反対側で勝負を賭けるつもりであろうな!』
「そうですねっ。右翼が心配ですが今はベリウスさんに耐えて貰う他ありません!」
ハルが風に散りがちな声を張り上げて応じると、アルトリウスが頷く。
『うむ、我等が敵本陣と交戦を始めれば、すぐに合図を出させるが良かろう!』
「いよいよですか!」
『いよいよであるっ』
未だ正面では北方軍団兵と重装歩兵傭兵がその持てる力を出し合ってせめぎ合いを続け、一進一退を繰り返している。
一度は敗走寸前にまで追い込まれた右翼の第23軍団はベリウスの督戦で持ち直し、損害を出しつつも敵の騎兵の攻撃を持ちこたえている。
左翼は騎兵を撃破したシレンティウムの重装騎兵が間もなくシルーハ軍の正面と衝突しようとしていた。
一番恐れていた密集方陣はどうやら敵本陣には存在せず、いるのは重装歩兵ではあるが盾と剣それに短い槍を装備した部隊のようである。
「合図を出せ!」
ハルが後ろに向かって叫ぶと、重装騎兵の一騎が持っていた大きな黄色い旗を解いて上げる。
しばらくそのままの状態で走り、十分に黄色い旗が見えた頃合いを見計らってその騎兵は旗を巻き、鞍の下へとしまった。
「突撃!」
おう!!
ハルの号令でシレンティウムの誇る重装騎兵がシルーハ軍本陣に向かって疾走を開始した。
シレンティウム軍正面
左翼に靡く黄色い旗を見て取ったシールとデリクの2人は素早く副官に黄色い旗を揚げさせた。
そしてシルーハ軍の密集方陣から少し陣を退くと、戸惑うシルーハ軍が進撃を躊躇している隙を突いて後方の兵の間隔を空けさせた。
開いた隙間に素早く駆け込んできたのは後方で待機していた第26軍団の北方軍団兵達である。
第26軍団を率いるのは、ベレフェス族長ランデルエスの長子テオシス、そしてその兵士達が手にしているのは剣でも槍でも無く弩であった。
テオシスは黄色い旗が揚がるのを今か今かと待ち望んでいたのだが、ついにその旗が揚がると一気に兵士達を前進させる。
「急激前進!陣を組めっ」
そして第24軍団と第25軍団が築いた盾壁の間に兵士達が到着すると、次の号令を下した。
「連続一斉射撃始めっ!!」
がしゃんと機械的な音がすると同時に、直進的な弩の短い矢が次々と盾の上端から放たれた。
放たれた威力たっぷりの矢は上質な盾や鎧をものともせず、シルーハの重装歩兵傭兵の身体を食い破る。
ばたばたと前列の兵士が倒れた事に一瞬驚いたシルーハの傭兵隊長はそれでも直ぐさま穴を埋めるべく後列に前進を命じた。
「後列進め、密集方陣を崩すな!」
如何に威力のある弩とは言え連射は出来ない。
一斉射で生じた隙を突いて乱戦に持ち込むつもりだろうが、すぐに距離を詰めて接近戦に持ち込めば大事は無いのだ。
しかし折角埋めた穴は再びの弩の一斉射によって討ち破られた。
鋭い風切り音を伴って飛来する弩の矢は、易々と重装歩兵傭兵の鎧を貫通し、盾を打ち抜いて傭兵達の身体に突き刺さる。
山形に頭上から迫る普通の矢であれば、後衛の兵士が長槍で払い落として防ぐ事が出来るが、直線的に飛ぶ弩の矢は盾で防ぐ以外に術が無いが、その盾が十分機能しないほど威力のある弩は本来連射の利かない拠点防御用や攻城用の物であるはず。
しかしそれが野戦で使われているだけでなく、連射できるとなれば驚かない方がおかしい。
「な、なんだとっ!?」
傭兵隊長が見たのは後列と次々に入れ替わりながら弩を放つ北方軍団兵の姿。
連射の利かない弩を戦列で入れ替えて斉射を繰返すという奇策である。
重く取り回しの悪い弩を持って戦列を入れ替わるなど、誰も考えない。
ましてや弩はそう安い兵器では無いのだ。
驚く傭兵隊長の周囲にも次々と弩の矢が鋭い風切り音と共に飛来し、重装歩兵傭兵が打ち倒されてゆく。
血煙が舞い、戦列が乱れる。
止むはずの無い弩の矢が止まない。
少し待てば、我慢をすれば止むはずと高を括っていた傭兵達の顔が引きつり始め、ついには更なる弩の斉射に図太い傭兵達も流石に動揺し始めた。
「今だ!突撃!!」
最期の一斉射が終了すると、乱れたシルーハ軍の陣へシールとデリクの指揮を受けた北方軍団兵が手投げ矢を数回投げた後、一気に剣を振りかざして突撃を掛けた。
その間に撃ち尽くした矢を補充するべくテオシスは弩兵達を下がらせる。
たちまち混戦に陥る最前線。
手投げ矢で更に陣形を乱され、密集方陣が完全に崩されてしまった重装歩兵傭兵は、今や文字通り無用の長物と化した長槍を捨てる事も出来ないまま、剣に抗うすべなく討ち取られてゆく。
北方軍団兵の剣を首に受けて血煙に沈む傭兵。
盾をかざすも同僚兵士の槍に邪魔され、もたついた隙を剣で突かれる傭兵隊長。
手投げ矢を胸に撃ち込まれて崩れ落ちるシルーハ兵。
また別の場所では短剣を抜いて抵抗するも、袈裟懸けに切り下ろされたシルーハ兵が絶叫する。
北方軍団兵の歓声と剣戟の音が重装歩兵傭兵の絶叫や悲鳴と重なった。
それまでの鬱憤を晴らすかのような北方軍団兵の苛烈極まりない攻撃に、歴戦の傭兵達に怖気が走り、ついに後方の傭兵達が槍を投げ捨てて逃走し始める。
更に別の喊声が上がった。
シレンティウム軍左翼にいた第21軍団が、敵軍からの圧力が無くなったので側面からシルーハの重装歩兵傭兵が作っている密集方陣の側面を押し込んだのだ。
手投げ矢を次々に投擲し、全く長槍の無い側面から攻撃を始めた第21軍団の圧力に抗しきれず、シルーハ軍正面の右側が潰走を始める。
「逃がすな!」
鋭い命令が飛び、再び前線に進出してきたテオシス率いる第26軍団の弩兵が背を見せたシルーハの傭兵達をばたばたと打ち倒した。
「後は任せた!こっちは第23軍団の援護に回る!」
前線へ出てきたシールとデリクに、テオシスはそう声を掛けると、配下の弩兵達を率いて右翼へと向かった。
「おう!頼んだぞ!」
「こっちはもう大丈夫です、任せておいて下さい」
その後ろ姿に返事の言葉を掛けたシールとデリクは、更に前線を押し上げるべく北方軍団兵を前進させた。
「このまま本陣を衝くぞ!」
シールの言葉に笑顔で応じたデリクは、きっと前を向き、アスファリフの本陣へ今正に襲いかかろうとしているハル直卒の騎兵団を見つめるのだった。
シルーハ軍本陣
「将軍!前線が破られました!」
「ちっ!どんな手を使ったか知らねえが、ちょっとやばいな!」
伝令の報告を受けるまでもなく、シルーハ軍の前線が北方軍団兵に大きく破られた上に、陣の右翼と前線から崩れ始めている様子が見て取れた。
相変らずこちらの左翼は優勢に戦いを進めてはいるが、正面と右翼から本陣を攻め立てられる状態になっては勝ち目が無い。
左翼に投入した南方歩兵も、敵の右翼を包囲しつつあるものの、正面を破られては意味を為さないので、アスファリフは引き上げさせたシルーハ軍左翼の傭兵騎兵と潰走したシルーハ騎兵をまとめ、本陣の右翼に配置しなおした。
アスファリフは更に予備に取っていた南方歩兵5000を正面へ投入する伝令を出し、戦線の維持を図る。
そこへハル率いるシレンティウムの重装騎兵が突入してきた。
構えた陣から少し斜めに外れた角度から突入してきたシレンティウム重装騎兵は、その重さと突撃力を存分に生かし、あっさりシルーハ本陣の戦列を破り、たちまち3列目まで達した。
「おお!?こりゃたまらん!騎兵にすぐ側面を突くように言えっ!」
その勢いを見て、戯けを含みつつも珍しく焦った声を出したアスファリフは直ぐさま配置しなおした騎兵に命令を出す。
突撃の勢いを減じたシレンティウム側が一旦距離を取ったところにシルーハ騎兵が現われた。
ほっと安堵したのも束の間、今度は壊滅した正面の重装歩兵傭兵が本陣へと雪崩れ込み、たちまち混乱が広がる。
「おらあっ!しっかりしろ!てめえらっ、びびってんんじゃねえよ!!まだ負けてねえぞっ立て直せっ!!」
アスファリフは黒の聖剣を振りかざし、潰走していた重装歩兵傭兵をどやしつけてる。
アスファリフの声を聞き、若干北方軍団兵から離れた事もあって敗走しようとしていた重装歩兵傭兵の目に生気が戻ってきた。
「よおし、それで良いんだっ!陣を組み直せ!!槍を失ったヤツは本陣へまわれ!」
迫る北方軍団兵を南方歩兵が一瞬食止める時間を使い、素早く陣を構え直すアスファリフは更に予備の最後、南方歩兵5000を本陣の正面へと配置し直した。
「なんだ、結局こっちの左翼もやられたかよ……やっぱ南方歩兵は駄目だなあ」
ぼやいたアスファリフの視線の先には、アルトリウス軍団の援護を受けて持ち直した第23軍団が折角投入した2万もの南方歩兵を押し戻している姿があった。
いくら第26軍団の援護受けたとは言え、自分達の半分以下である1万に達しない敵を押え込めない南方歩兵にアスファリフは思わずため息をつく。
「はあ……まあいい、これは織り込み済みだ。敵が攻め疲れたら一斉に押し出すぞ」
劣勢に陥りながらも予備の南方歩兵を盾にするべく前線へ投入し、引き返してきた重装歩兵傭兵と騎兵部隊を立て直して休息を与えつつ、アスファリフは総反撃に移るべく機会を窺う。
やがて大量の南方歩兵に行く手を阻止され、膠着状態に陥ったことでシレンティウム軍全体に攻め疲れが見え始めた。
「よっっしゃああああ!今だあああっ!!」
大音声と共に突撃を開始するアスファリフに、子飼いの傭兵達が続く。
体力と士気を回復させた重装歩兵傭兵が長槍を押し立てて一気に前面に出ると、その側面から湧き出るようにシルーハ騎兵が突撃を開始した。
進路を譲り、後退する南方歩兵を押し退けてやって来た重装歩兵傭兵の長槍が北方軍団兵を遮り、鋭く突き出された長槍がその命を奪う。
シルーハ騎兵は不意を討ってシレンティウム軍の側面へ突入し、その堅陣を引っかき回した。
シルーハ軍より兵数が少なく、全員が総当たりで攻めていたシレンティウム軍は、疲労の濃くなった所に新手を差し向けられ、一気に後退を余儀なくされる。
ずるずると粘りつつも戦線を後退させてしまうシレンティウム軍。
その中途半端な粘りが余計体力を消耗させる結果となり、シールとデリクの奮闘も空しく一気に本陣近くまで敵に押し込まれてしまう。
重装騎兵を一旦引き上げさせ、本陣へと戻っていたハルの前面に大攻勢に出たシルーハ軍が押し出してきた。
『むう、よもやここで反撃してくるとは!』
「左翼と右翼は敵の南方歩兵に拘束されていて援護に回れません!ここは……私たち本陣で押すしかありません。重装騎兵は敵騎兵に当たらせます!」
アルトリウスの焦りを感じさせる言葉にハルが眦を吊り上げて応じる。
ハルは重装騎兵団にシルーハ騎兵へ当たるよう指令を出し、自身は2000程の予備となっている北方軍団兵を集めると、刀を引き抜いて裂帛の気合いを込めて号令を下す。
「前進!蹴散らせっ、最後の止めをくれてやるぞっ!」
ハルは2000の北方軍団兵の先頭に立ち、迫る重装歩兵傭兵が押し立てる長槍の壁に突入した。
「だあああ!」
巧みに槍先をやり過ごし、身体をその間に割り込ませては長槍の柄を刀で叩き切る。
周囲の長槍を只の棒へと変えるハルの後から、体力を温存していた予備の北方軍団兵が突入を図った。
懐に潜り込まれた重装歩兵傭兵は慌てて剣を抜きにかかるが、それより早く2000の北方軍団兵が雪崩れ込んできた。
棒となった長槍を構えたまま切り伏せられ、手投げ矢を至近距離から打ち込まれて崩れ落ちる傭兵達。
重装歩兵傭兵によって形作られ、奇麗に揃っていた戦線は直ぐにぐちゃぐちゃになる。
混戦となり威力を失った戦列に北方軍団兵が次々と突入し、長槍を持て余す重装歩兵傭兵を血祭りに上げて行く。
「くっそ!潜り込まれちまった!」
アスファリフは悔しそうに呻きつつ、騎兵に支援させようと脇を見るが、そこではシレンティウム軍の重装騎兵と真っ向から衝突し、苦戦する自軍騎兵の姿があった。
「ぬあっ、畜生っ!南方歩兵はどうだっ」
「何とか1万程度は士気を保っていますが……」
「仕方ねえっ、直ぐに正面へ投入しろ!」
そこに第26軍団が駆けつけ、一斉に弩を連射し始める。
ばたばたと討ち取られる重装歩兵傭兵とシルーハ騎兵。
投入した南方歩兵も戦いに加わる前に弩の餌食となっていく。
そして盛り返した北方軍団兵が北方人の特性を生かした苛烈で容赦の無い猛烈な攻撃を繰り出す。
自軍の損害が許容以上に達したことを悟ったアスファリフは悔しそうに顔を歪めて口を開いた。
「全く、まさかやられちまうとは……悔しいがここいらが引き際か」
アスファリフは素早く周囲の地図を思い浮かべ、最近陥落させたばかりの砦や小都市をいくつか思い描く。
そしてその中でも海岸に近い一つの小都市を思い出した。
「あそこなら何とかなるな……よし」
シレンティウム軍騎兵団
「危なかった……でも、上手くいきましたね」
『うむ、戦術に幅が出来たという意味ではそうであるな、ハルヨシよ、思いつきとは言え全くたいしたものである』
現われたシルーハ騎兵に対するため、戦列を組み直しながらハルが言うとアルトリウスが重々しく頷きながら相づちを打つ。
シレンティウム側の右翼も弩の連射戦術で持ち直し、南方歩兵を押し返した。
弩は故障が多い上に重く高価であるのが難点ではあるが、何とか戦争前に数を揃える事が出来たので持ち込む事にしたのである。
山越えやシルーハ領踏破、それにユリアルス攻めなどで素早さが求められた今回の戦いに重量がありかさばる上に取り回しの不自由な重兵器や火炎放射器は帯同出来ず、その穴を幾ばくなりとも埋める目的で持ち込まれた弩はその威力を十分に発揮したのであった。
「このまま敵騎兵を撃破して押し込みます!」
『うむ!だが油断はするでないぞ?』
ハルの言葉に勝利を確信して言うアルトリウスの顔には笑みが少し浮かんでいる。
ハルは再び表われたシルーハ騎兵に騎兵団を指向させると、一気に突撃を掛けた。
対するシルーハ騎兵も負けじと突撃を始め、たちまちその中間地点での激突が開始される。
勢いはシレンティウム騎兵にあるが、数は未だシルーハ騎兵が勝っており、こちらも混戦での膠着状態となる。
また正面はシルーハ軍本陣手前で敗走してきた重装歩兵傭兵が立ち直ったとは言え、すぐ間近に北方軍団兵が迫っており、シレンティウム側の弓矢や手投げ矢の攻撃を受け始めている。
そして、本陣正面に僅かな空白が生まれた。
左翼の南方歩兵がついに潰走を始め、正面へ投入した南方歩兵が敗退したのを尻目に、アスファリフは決断を下す。
本陣の右方で始まった騎兵同士の衝突が激しくなり、シレンティウム軍の中にシルーハ軍本陣へ目の向いている者がいない事を見て取ったアスファリフの目がきらりと輝いた。
「今だ!前面突破!」
アスファリフの命令で、本陣に集まっていたシルーハ軍の残軍が一気に右翼方向へとかけ始め、騎兵同士が衝突している戦場へと雪崩れ込んだ。
「なっ!?」
驚愕するハルを余所にシルーハ軍は騎兵の横合いに突っ込み、たちまち混戦が乱戦へと変わってしまう。
「行け!脱出だっ!!騎兵は先行!歩兵は後続しろっ、走って走って走りまくれっ、足が止まったら最後だぞっ!!」
アスファリフがそう叫んで兵士達を鼓舞し、そして行掛けの駄賃とばかりにハルへ黒の聖剣で斬りかかる。
「うわっ!?」
がいんっっ
慌てて背中に鞘ごとくくりつけてある白の聖剣を抜いて受け止めたハルに、アスファリフが凄みのある笑みを向けた。
「ははは、今日は一杯食わされたが、この次はこうはいかないぜ!これで一勝一敗だ!」
白の聖剣と黒の聖剣が激しく数度ぶつかり、その度に黒い煙と白い光が生じる。
その剣を見たアルトリウスが驚き、ハルの肩からアスファリフへ声を掛けた。
『ぬうっ!アスファリフとやら!その剣、どこで手に入れた!』
「あん?……おおっ?小さいな!気付かなかったぞ。あんた、守護神になったとか言う、何もさせて貰えなかった英雄アルトリウスだな?」
ハルと鍔迫り合いを演じながら僅かに驚き、そして笑みを自分に向けるアスファリフにアルトリウスは怒りの声を返す。
『その名で呼ぶので無いわ!自分で言うのは良いが他人に言われると腹が立つのであるっ……それより質問に答えよ!』
「わははは、あんたはリキニウスより面白みがあるな!まあ良い、今日は見逃してやるっ、さらばだ!」
『待て!』
アルトリウスの制止やハルの剣撃をものともせず、アスファリフはくるりと器用に馬首と剣を返して脱出するシルーハ騎兵に紛れてしまった。
あっという間に脱出してしまったアスファリフにハルは一瞬呆然とするが、未だ残って抵抗を続ける南方歩兵に気付き直ぐさま指示を下した。
「残敵を掃討しろ、敵の本軍は追わなくて良い!」
その命令を受けて南方歩兵に襲いかかる北方軍団兵を眺めつつ、アルトリウスがハルの肩で腕を組みながら言う。
『ううむ、本隊を逃してしまったか……』
「ええ、厳しい戦いでしたし、敵の方が疲弊をしていたとはいえ数も随分多かったのですから仕方ありませんね」
『確かに、しかしこれでは不完全であるな、シルーハ軍は十分余力を残しているのである。もう一度叩いておかなくては安心して帝都へ向かえぬのである』