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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第4章 西方帝国内乱
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第8話 ユリアルス再陥落

 深夜、シルーハ領・ユリアルス城南門


 夜鳴き虫の声が止んだ。

 それまでうるさいぐらいに鳴き通しであった虫たちの声が一斉に止む。

 ふとその異変に気が付いたシルーハの南方歩兵が城門の外を見るが、あたりは暗闇で動くものなど一切ない。

 ただ新月の夜の深淵が広がる山麓を見つめるが、そこは自国側の領土であり、本来異変など有るはずも無い。

 兵士は風音に驚いた虫が鳴き止んだのだろうと思い、哨戒を再開した。


城門の上をただ歩く歩兵。


 いつもと同じ夜。

 召集された時は此の世の終わりかと思い、父母や妻子と別れを惜しんだが、思いがけず安全な後方に残されることが決まった。

 故郷へ無事帰れるかもしれない。

 そう毎夜思いを強くしていた兵士は、ただ故郷を思って城壁の上を歩く。


 しっ


 鋭く、静かな音がしたと同時に歩兵の視界が衝撃でぐらつく。

 何事だ?

 ふと下を見れば、黒い矢羽根の付いた矢が半ば程まで自分の首を貫通している様子が見て取れた。

 驚愕に目を見開き、叫び声を上げようとする歩兵。

 しかし矢の貫通した彼の喉は声を発せられず、ひゅうっと空気漏れの音がするばかり。

 息苦しくなった歩兵が膝を着き、槍を持った手を城壁に突いて前を見ると、先行した同僚兵士が喉から矢を生やして事切れている姿が目に入った。


 ああ、なんだ……おれもしぬのか……なんだ、ここまで来て……


 ゆっくり視界が暗転し始め、身体を横たえる兵士が最後に涙目で見たのは、異境でも故郷と変わらず輝く満天の星であった。





「……よし、いけ!」

「了解」


 草木を鎧兜に差し込み、暗闇に紛れた北方軍団兵達はハルの指令で直ちに素早く、そして静かに動き出した。

 先行した陰者が垂らした縄を伝って城門を開け、味方がその城門から雪崩れ込むまでの間、彼らが開かれた城門を再び閉められないように守るのである。

 ハルが見張りの兵士が巡回してくるパターンを読み、矢でその兵士達を射殺し、その隙を縫って少しずつユリアルス城へと忍び込む北方軍団兵達。


 シルーハ軍のユリアルス城守備隊は戦場から遠く離れ、兵士達の指揮は著しく弛緩している。

 これはシルーハ軍の歩兵が半強制的に徴集された南方歩兵主体である事と無縁ではない。

その隙を見抜いたハルは、陰者からの報告を基に夜襲を掛けることにしたのだ。

 帝国や西方諸国、果ては東照に置いても夜の戦闘は同士討の危険性が高く、地形や野獣といった敵以外の危険も無視出来ないほど大きくなるため行うことは殆ど無い。


 しかし、ハルの故郷である群島嶼では大氏同士の小競り合いなどで夜戦はしょっちゅう行われていた。

 ハルは、今回の敵となるシルーハ兵は北方軍団兵とかなり人相風体装備が異なるので同士討の危険性が低いことや、敵が少数である事を理由に反対する将官達を説き伏せ、敢えて夜の戦いを選択したのである。



闇夜に紛れる城壁の陰から続々と北方軍団兵が城門へと向かう。

 その姿を見届けたハルは、後方に続く主力へ手を小さく上げて戦闘の準備をさせた。

 北方軍団兵達も元は皆クリフォナムの戦士達であり、帝国兵と違って伏兵はお手の物。

 実に巧みに身を伏せることが出来る。

 今も間近で装具の立てる音を聞かない限りはここに多数の兵士が潜んでいるとは分からないほどであった。

 しばらくして地に伏せたハル達の耳へ待ちに待った騒ぎが聞こえてきた。

ドスンバタンと言った重い音や剣戟の音、小さな悲鳴が聞こえてくる。

 やがて静かになった城門の兵士詰所から、夜目にも分かる白い旗が振られた。


「成功だ!」


 ハルの踊る声に続いて城門が静かに、ゆっくりと開かれてゆく。

 潜入した北方軍団兵達が見事城門を占拠し、作戦を成功させたのだ。


「行け!雪崩れ込めっ」


うおう!!


 ハルの号令と共に喊声が周辺から興り、同時に北方軍団兵が一面の草むらと見えた場所から一斉に立ち上がった。

 北方軍団兵が自分の鎧兜に付けた草木で草むらを偽装していたのだ。

 夜鳴き虫も途中まで気付かぬ完全な伏兵。

 その兵士達が一気に開かれた城門へと雪崩れ込んだ。

 たちまちユリアルス城のあちこちで戦いが始まる。

 怒声と悲鳴、剣戟と喊声が城内を飛び交った。


 驚いて動きが鈍っているシルーハ兵を北方軍団兵が容赦なく攻め立てており、碌に抵抗も出来ないまま次々と血祭りに上げられるシルーハの兵士達。

 深寝入りしていた者もいるようで、寝ぼけて起き上がってきた途端に準備万端で攻め入った北方軍団兵に斬り殺される者も多い。

 程なく地下室から塔の屋上まで北方軍団兵で満ちたユリアルス城。

 僅か数刻で落ちた難攻不落の城が、またもや僅か数刻で奪還されたのだ。

 



『わはは、何が難攻不落のユリアルスか、実に他愛ないのである!した時こそが一番危ない、油断とはそう言うものなのである』


 アルトリウスが腕を組み、ハルの肩で得意げに言う。


「まあ、確かに油断ってそんなものですね……しかし上手く行って良かった」

『何を言うっ、我の作戦に手抜かりはないのであるっ』


 ほっと息をつくハルをアルトリウスが心外だと言わんばかりに叱責する。

 アルトリウスからすれば用意周到に準備した作戦であり、ハルが言外に含ませたような投機的要素のない作戦であったのだ。


「ああっ?ち、違いますって!いや、凡人の自分にはどうも先任の見立てが理解出来なくって……先任はすごいなあ、と」

『ふふん?まあ、よかろう』


 慌ててご機嫌を取るハルに、アルトリウスが曲げていたへそを治す。

 再びほっとしたハルは、今度は慎重に言葉を選びながらアルトリウスに尋ねた。


「でも、既にユリアルス城へはルグーサ陥落の知らせが届いていたはずです。どうしてここまで油断していたんですかね?」

『それは自明の理である。ルグーサが落ち、退路を断たれた事を知れば南方歩兵達が錯乱して反乱を起こすやもしれんからシルーハの指揮官は情報を下へ知らせていないのである。召集兵達は無償であるので、望みは何とか生き延びて故郷へ帰る事だけ、これが覆った時に彼らの取る行動やその怒り、不満の矛先は指揮官へと向かうのである。故に詳しい情報は兵士に伝えないのであるな。指揮官と兵士の間に信頼関係が無い故にの行為であるが、実に悲しい事だ……』

「……なるほど」


 アルトリウスの説明に納得するハル。

 確かに決して高いとは言えない召集兵の士気を維持するのは難しいが、逆に特定のきっかけで不満も爆発しやすいということであろう。


『うむ、故に召集兵というのは本当は非常に扱い難い兵士達なのだ。権力者は廉価ですぐ集められるという理由で兵を召集するが、目的と理由のない兵士は実に扱いが難しい。それであれば傭兵達の方がはっきりしているの分扱いやすいのである。お主も気を付けるのである』

「分かりました」


 ハルの素直で神妙な返事に満足そうな笑みを浮かべたアルトリウスは言葉を継いだ。


『いずれにせよ、我等はまた勝った。これで帝国東部諸州への進撃路が確保されたのであるから、シレンティウムと連絡を取り他の首尾はどうなっているか聞けるのであるな』


 ユリアルス城には伝送石通信が可能な西方郵便協会の支部がある。

 シルーハが破壊したり持ち去ったりしていなければであるが、アルトリウスはこの点については楽観視していた。


『情報が命の商人共が、その情報を握っている西方郵便協会を敵に回す事は絶対にないのである。今後の商売に大いに差し障る』

「だと良いのですがね、あ、準備が出来たみたいですね。行きましょう」

『うむ、リキニウス将軍とやらと会ってみようぞ…尤も、無事でいればであるが』


 最後の塔が制圧された事をしめす白い旗を揚げたのを確認したハルに促され、アルトリウスはその方の上で重々しく頷くのだった。






 翌日、ユリアルス城・軍団長執務室



「どうやら帝国軍は負けてしまったようです。更に悪い事にポゥトルス・リーメスは陥落、現在シルーハ軍はコロニア・リーメシアを包囲しています」

『ううむ、シルーハの将軍、アスファリフとか言ったか……なかなかのものである。この短期間に東部諸州をほぼ制圧するとは、侮れんのであるな』


 伝送石通信でシレンティウムやコロニア・メリディエト、更にはコロニア・リーメシアとの遣り取りで情勢を把握したハルとアルトリウスはうなり声を上げた。

 ハルとしては帝国軍はシルーハより兵数が圧倒的に少ないので持久戦法を取ると考えていたのだが、一戦して蹴散らされてしまったようである。

 コロニア・メリディエト近郊に敗走した帝国軍が再集結しており、アダマンティウスが対応しているようであるが、取込みは難しいだろう。


 一方のシルーハ軍を率いるアスファリフは帝国軍からの圧力が無くなったので自由に分遣軍を動かせるようになり、実際アスファリフはコロニア・リーメシアに対する孤立化作戦の必要からもその好機を逃さず東部諸州の小都市を次々と陥落させていた。

 持ちこたえているのは2、3の小都市とコロニア・リーメシアのみ。

 それも何時陥落してもおかしくはないところまで来ている。

 情勢は厳しいが、良い情報もあった。


『ふむ……帝都は酷い有様のようであるが、分裂した元老院から越境許可が出たのであるか?これは朗報である』

「はい、既にその元老院文書を持った元老院議員がコロニア・メリディエトに到着しているみたいですね。これで晴れて帝国領へ入れます」


 ハルが笑み浮かべると、アルトリウスは机の上で顎に手をやり、難しい顔をした。

 その目の前には、帝都の惨状を記したクィンキナトゥス卿からの手紙が転送されたものが置かれている。


『あ奴は……マグヌスめはどうなったか』

「無事でいらっしゃると良いですね」


 ハルの言葉にしばらく目をつぶって考えてからアルトリウスは徐に口を開いた。


『うむ、あ奴には言ってやりたい事がたくさんあるのでな……まあ、帝都などへ行くつもりはないのであるが、情勢如何によっては我等が帝都を攻める事も考慮の内に入れておかねばなるまい』


 当初はユリアルス城を制圧した時点でハルとアルトリウスの作戦は終了であった。

 後方の連絡拠点を落とされたシルーハ軍は前後に圧力を受け、また陸路による補給を断たれるため、シルーハを停戦交渉の席につけさせる事が出来ると考えたのだ。

 しかし、前から圧力を掛けるはずの帝国軍が敗れ、シルーハ軍はその気になれば帝都へも進軍出来る状態になってしまった。


 シルーハ軍が帝都へ進軍する様相を示せば、ハルとすればユリアルス城に立て籠もっているわけにも行かず、野戦を挑まざるを得ないが、越境許可が無ければそれも果たせない。

ただ、越境については目処が立った。

 後は後方の安全を確認してから帝国領へ進軍するだけである。


『ユリアルス城はまともに守備さえしておれば、5000程度の兵で10万の大軍にも耐えられる。リキニウス将軍がおらずとも十分である』


捕虜達からこの城をアスファリフがどうやって抜いたか、そしてここを100年に渡って守っていたリキニウス将軍がどのような最後を迎えたかを聞き取っていたアルトリウスが言った。

 城の造りや防備体制を見る限り、リキニウス将軍に頼らずとも少数の兵で守れるようになっているのが国境守備の堅城ユリアルスであるのだ。


「では、この南にある砦を落としてティオンを攻める勢いを示しておいて一気に転進しますか?」

『うむ、それが良かろう。ルグーサを放棄してユリアルスには1000ほど残せば良いのである。我等が南の砦を落とす頃にはユリアルスへ補給部隊も到着しているであろうからな』


 アルトリウスはハルの言葉に顎の手を外し腰に当てるとそう言い、にやりと不敵に笑う。


『アスファリフとやらがどれ程の者か知らぬが、我とハルヨシの真の実力を思い知らせてくれようぞ……我等こそが西方最強である!』








 コロニア・リーメシア郊外、シルーハ軍本陣



 アスファリフは何度かコロニア・リーメシアを攻めさせていたが、これはあくまでもコロニア・リーメシアの防備体制や士気を探るための小手調べで、本格的な攻勢は未だ掛けていなかった。

 これは本格的な攻城兵器が無い事が大きな原因で、梯子程度の物しか用意出来ていないシルーハ軍は、敵の士気が十分落ちきってから攻撃をすることにしていたのである。

 そしてその士気を探るためにアスファリフは今日も少数の兵で城門を攻めさせたが、すぐに敗退してくる南方歩兵達を見て眉を顰めた。


 おかしい、今までと様相が違う。


 明らかに今までとは違い、攻撃の激しさを物語る南方歩兵達の惨状。

 アスファリフが何かに気付きかけてつぶやいた。


「あん?何か今日はやられ方が半端ないなあ……どういうことだ?」


 今までコロニア・リーメシアの守備隊は、籠城で補給の目処が立たない矢玉を節約しての攻撃に終始していたのであるが、ここへ来て一気に苛烈な攻撃がなされた事になる。

 厳しい包囲網によって補給路は当然寸断されており、補給が届いたりした形跡は見られない。

 どこかで大量の埋蔵されていた矢玉が見つかったというのであれば別だが、使われている矢玉を見る限り昨日までの物と変わらず、変わった物や古い物は混じっていないので、それも当て嵌まらなさそうであった。


「援軍の目処が付いたかあ?」


 一廉の戦術家として、その結論に至ったアスファリフ。

 コロニア・リーメシアに直前まで節約しなければならなかった矢玉を大量に使っても良い状況が生まれたのだろう。

 包囲が解除される見込みが付いたのか、それとも矢玉の補充の目処が付いたのか、いずれにせよ包囲しているシルーハ軍を排除出来るか、もしくは遠ざける事が可能な状態が間もなく訪れると踏んだからこその行動変化に違いなく、それは何方からかの援軍以外に考えられない。

 しかし帝国軍は未だ立ち直っておらず、残余の軍はいないはず。


 それは南方大陸でほぼ全滅に等しい打撃を、他ならぬアスファリフ自身の手で与えて知っている。

 それに、今帝都ではシルーハと密約を交わした帝国貴族が政変を起こしているはずで、シルーハに対する動きは無い。

 帝国以外でここに駆けつけられるのは、帝国の同盟者であるところの辺境護民官の軍以外に無い。

 しかし、本来であれば北の辺境護民官は帝国からの要請や命令が無ければ動けないはずで、これも帝国貴族から得た情報を信じれば、州総督のいない東部諸州に要請を出す事は不可能であるし、また元老院は件の帝国貴族が押さえたのであるから命令や要請を出すはずが無い。


「どういう手を使ったのかは分からんが、来るなら来ればいい、受けて立ってやるさ」


 折角ここまで追い込んだコロニア・リーメシアの包囲を解くのは勿体ない気もするが、ここは一旦退いて迎撃態勢を取った方が良いだろう。

 北方辺境で蛮族相手とは言え、華々しい軍事的活躍をしていると聞く辺境護民官。

 その軍を構成するのはかつての蛮族戦士を鍛え直し、帝国風の重装備と戦術を身に着けさせた北方軍団兵だという。

 一度は兵数差もあり苦も無く撃破してやったが、どうやら立ち直ったらしい。

 今までに無い強敵の出現に、アスファリフは身を震わせた。


 西方帝国も強かったがどこか物足りない。

 兵は強く戦術も完成されてはいるが将がいないのだ。

 包囲を解くべく伝令を出し、周囲の情勢を探るために騎馬斥候を放つアスファリフは、近隣の小都市を攻めている部隊にも本軍へ合流するよう使者を出す。

 解かれてゆく包囲を見て目を丸くしているコロニア・リーメシアの守備兵を尻目に、アスファリフは郊外の平原に陣を構えるべく移動を開始する。

 いよいよ現われた強敵に、アスファリフは腕を組み、唇をぺろりとなめ上げた。


「ははっ、これでなくちゃいけねえよ!この緊張感が堪らんなあ!」






 ユリアルス城、帝国側城門



 ユリアルス城の帝国側城門に、シレンティウム軍が勢揃いしていた。


 第22軍団、第23軍団、第24軍団、第25軍団、第26軍団の北方軍団兵を主とする3万5千の歩兵に、第1騎兵団5000余の騎兵が居並ぶ姿は壮観ですらある。

 ルグーサを放棄して大量の補給物資と共にユリアルス城へ入ったグーシンド率いる5000の兵が後方となるユリアルス城を守る事になっており、準備は整った。


 今頃シルーハにシレンティウム軍の動きは知らされているだろうが、東照軍も自国へと引き上げを開始しているはずで、後は帝国内に入ったシルーハ軍を討ち破るのみである。

 いつものようにアルトリウスを肩に載せたハルが、兵士達の不敵な面魂を見回し、同じような笑みを浮かべてから号令を発した。




「出発!」


 うおうっ


 ひらりと馬に飛び乗ったハルを先頭に、精強なシレンティウム軍4万が帝国東部平原へと進軍を開始した。

 シルーハ軍が包囲する、リーメシア州都、コロニア・リーメシアまでは約2週間、途中ポゥトルス・リーメスがあるが、城壁の無い港街であるのでそれ程攻略に時間は掛からないだろうし、同じ理由でシルーハ側がこの街において防戦するとも考えにくい。

 恐らくシルーハ軍と衝突するのはコロニア・リーメシア郊外となるだろう。


『おお良いぞっ。これでこそ軍というものだ!』


 ハルの肩でアルトリウスが続々と後ろに続く北方軍団兵達を頼もしそうに見ながらつぶやく。


「いよいよ決戦ですね」

『うむ、まあ、心配はいらんのである。我の作戦と戦略に誤りは無いっ』

 ハルの言葉にアルトリウスは胸を叩いて応じるのだった。





 シルーハ軍本陣


「なにいっ!?ユリアルスが落ちただって?どういう事だっ」


 斥候頭の報告に流石のアスファリフも目をむいて大声を上げる。

 しかし、驚くアスファリフを余所に斥候頭は淡々と報告を続けた。


「はっ、シルーハ側から夜襲を掛けられて城の守備隊は全滅しました。辺境護民官軍はここへと進軍してきております」


 その言葉にアスファリフは天を仰ぎ、額に手をかざしてしばし考えると口を開く。


「何てこったっ!至急陣替えだ、南向きに陣を構え直すぞっ、伝令!」

「はっ」

「至急の伝令だ、各陣に南東方向を正面にして陣を変えると伝えろ」

「了解しました」

「はっ」


 伝令が慌ただしく本陣から出て行く。

 アスファリフは本陣の兵達にも陣替えの準備を始めさせてから斥候頭に向き直った。


「一体どうやって辺境護民官軍が南から現われたんだ?」

「辺境護民官軍は北から東部山塊を越えてルグーサを落とし、パルテオンを攻める気配を示しつつ一気に転進。シルーハ山脈を越えてユリアルスを攻め落としました。その後もティオンに進軍する素振りを見せていたようですが、こちらへと進軍してきたようです」

「そうかあ~ん~くそぅ、そんな大戦略が……」


 思わず悔しそうに声を上げるアスファリフ。

 確かに油断があった事は否定出来ない。

 来るならば定法通りにコロニア・メリディエト経由で帝国領に入り、自分達の正面に立ち塞がる形で現われるだろうと考えていたのだ。

 それに一度ヘオン郊外で戦勝しており、辺境護民官へシルーハに対する苦手意識を持たせる事に成功したはずだった。

 辺境護民官ハル・アキルシウスはアスファリフが思ったよりもしぶといようである。


「ダンフォードとか言う馬鹿はどうした?阻害に……ならなかったんだな。辺境護民官が主力を向けてきたんじゃ仕方ないかあ?」


 まさか裏側から、しかもシルーハ領内を突破して背後に現われるとは考えもしなかった。

 ダンフォードに軍を預けて辺境護民官の領域を侵させたのも、あくまで牽制であり、そちらへ力と注意を逸らすためにやった事。

 あくまでも主力はコロニア・メリディエトにあると踏んでいたのである。

 辺境護民官の戦い振りを見ている限り、彼は戦力を整え、正面から敵を打ち破るタイプの将だと思っていたが、このような搦め手や奇策を用いる事も出来るというのであれば少し考えを改めなければならない。

 戦術を思索していたアスファリフが徐に口を開く。


「首都のシルーハ軍はどうした?」

「東北国境を攻め破った東照の動きに翻弄されて、籠城以外に為す術が無いようです」

「ふん……まあそうか、俺でも籠城するな」


 辺境護民官が東照と連絡を取っていた事はほぼ間違いないだろう。

 何故そこで連合してパルテオンを攻めなかったのか?

 辺境護民官軍4万と東照軍4万があればシルーハ領を分割する事も出来たはずで、いくら籠城をしたとしてもアスファリフが戻るより早くパルテオンは陥落していたはずである。


「……占領後の統治やセトリア内海の覇権争いに加わる意志はないと言う事か?だとしても首都を攻めさえすればシルーハは帝国から軍を引き上げさせる他無いんだが……ううむ、俺なら首都を攻めるがなあ」


 アスファリフは誰に聞かせるとも無く首を捻りつつつぶやいた。

 その思索にふける傭兵将軍へ、斥候頭が声を掛ける。


「それから将軍……」

「何だ?」


 思索を中断させられて少し不機嫌になったアスファリフが答えると、斥候頭が申し訳なさそうに言葉を発した。


「シルーハ本国から召還命令が来ています」

「ああっ?馬鹿言え!今更どうやって戻るってんだ?第1もう退路は塞がれちまってる。退路は海以外に無いが、船は用意出来るのか?辺境護民官は南から来る。ポゥトルス・リーメスは放棄せざるを得ないんだぞ?」

「はあ」

「はあ、じゃねえよ!それに今退却なんてしようもんなら帝国軍に背後からやられるだけだってんだよ。くそっ……これだから商人共はダメなんだ。戦術や戦略ってものを分かっちゃいない」


 不満を爆発させたアスファリフ。


「これじゃ辺境護民官の思うつぼだぜ……」


 おそらくシルーハ本国とアスファリフの意見が食い違うことを見越していたのだろう。

 これでシルーハ本国とアスファリフの間に否応なく不審感が芽生えてしまう。

 本国の商人達が慌てるのも無理ない状況にあった事は仕方ないが、現実的に帰還出来ない以上アスファリフは一時的にせよ命令破りをする他無く、命令を破ればシルーハ本国はアスファリフを解雇しようとするだろう。

 アスファリフが解雇されれば傭兵達はどうするか?

 アスファリフの個人的な人望によって雇用している者が大半である以上、解散してしまい、また目立った将官のいないシルーハ軍は四分五裂の状態となるのは必定であった。


「その辺境護民官軍と東照が本国を攻め立てているので何とか戻るように、戻って首都と本国を守備し、征服された領土を回復するようにと言うのが命令の趣旨です」

「それって今更だろうが……どうせ東照は役目を終えて引き上げるし、辺境護民官はこっちに軍を寄越してるんだぞ?くそ……仕方ねえか、雇い主にゃ逆らえねえからなあ……ただし、帰還は辺境護民官軍を破ってからだ。それまでに船を確保しておくように言え。辺境護民官を破ればポゥトルス・リーメスも再征服できるだろうからな」

「分かりました」


 斥候頭の言葉にアスファリフは深いため息と、呆れと諦めを含んだ言葉を吐いた。

 恐らく命令が出た頃は首都を攻められるかもしれないという情勢下にあったのだろうが、その元凶である辺境護民官軍は今目前に迫ってきているのだ。

 いずれにせよ退路を断たれている情勢である事が知れれば兵達は動揺するし、本国からの帰還命令が出ている事を知れば更に浮き足立つのは間違いない。


「最善を尽くす他無いが……くそ、出出しが良かっただけに腹が立つ!」


 アスファリフはがつんと本陣に置かれている水盤台を蹴り倒し、いきり立った声を出した。


「ちっ、面白くない展開だな、こっちは兵の補充もままならないって言うのに……すぐにポゥトルス・リーメスから守備兵を引き上げさせろ。どうせやられちまうんならこっちに合流させた方が良い、いずれにしてもこっちの兵数はもう7万を切ってるんだ、失った南方歩兵の足しにはなるだろ」

「了解しました」


 伝令が派遣される。


「全くよお!シルーハ本国には調子狂わされっぱなしだぜ!」


 アスファリフは南を睨み付けるようにして恨みの言葉を吐くのだった。


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