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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第4章 西方帝国内乱
73/88

第4話 シルーハ蠢動

 西方帝国東部国境、ユリアルス城最深部・開かずの間


 シルーハとの最前線であるユリアルス城の最深部には、俗に開かずの間と呼ばれる部屋がある。

 城主である第3軍団長やその上級幹部である千人隊長級の将官以外は立ち入れないその開かずの間に、人の声が響いていた。


「リキニウス将軍、あなたはこのような場所で永遠の時を無為に過ごすおつもりですか?」

『使者よ、何が言いたい?それは仕方ないだろう、私はこの地に守護役として縛られ、毎年帝国皇帝から任命式に名を借りた呪いで今も縛られ続けているのだ。今の皇族が根絶やしにされるか、帝国が完全に滅びでもしない限り私の呪いは解けない』


 くぐもった声を出し、闇から浮き上がったのは、かなり古い帝国の鎧兜を身に着けている壮年の筋骨逞しい男であるが、既にその命が無い事は透けた身体を見れば一目瞭然であった。

 その前に跪く浅黒い肌をしたシルーハ人の男が言葉を継ぐ。


「あなたを昇天させる術があると言えばどうしますか?」

『帝国に攻め入るのか?それで私が邪魔なのだろう?はっきり言ってはどうだ』


 使者の質問に答えず、100前の帝国英雄、豪腕将軍リキニウスは厳しく使者を睨み付けた。

 だが使者はリキニウスの言葉やその様子に動じた様子もなく言葉を継ぐ。


「……そうです、あなたさえいなければ、いや、あなたがここを破ってくれさえすれば、私たちは帝国貴族との協約に従い東部諸州を占拠出来るのです」

『なんと、誇り高き帝国貴族が貴様らの手引きをしたのか?』

「そうです、ルシーリウスという名をご記憶ですか?」

『信じられぬ』


 帝国筆頭貴族の名が出たことで驚愕の様子を浮かべるリキニウスに使者が淡々と応じる。


「では、何故私たちがこの場所を知ったのでしょうかね?何故易々とこの城の最深部まで来ることが出来たのでしょうか?」

『途中で気配が減ったと思わば手引きしている者がいたわけか……』


 使者の言葉に、しばし考えるリキニウスであったが、手引きしている者がいるといこと以外にも思い当たることが無かったわけでは無い。

 この地に縛られ続けているとは言え、外部からの情報は得ることが出来る。

 帝国兵達の噂話、愚痴、世間話、軍団長らの報告、城を通る商人達の会話、間諜の自白。

 それらを聞くことが出来るリキニウスが感じたのは、ここ数年、特に数十年ほどで腐敗し悪化した帝国貴族の質とおかしくなった帝国そのもの。


 そしてそれを阻止していたはずの帝国皇帝が力を失い、市民が疲弊しているという事実。

 更にここへ現われたこの曲者は、帝国貴族の筆頭であり、本来では帝国皇帝を助け、市民との融和を図らなければならない貴族のルシーリウスが自分と合わせる手引きをしたという。

 リキニウスが100年この地を守って初めての事態である。


『うぬっ!』

「そう言うことです、これを見た事がおありですか?」


悔しそうなうめきを漏らしたリキニウスにすかさず使者が懐から一振りの短剣を取り出して見せた。

 その手にあるのはルシーリウス家の家紋と家名が刻まれた帝国風の短剣。


『………』


 絶句するリキニウスに、使者がにんまりと笑みを浮かべ、短剣をそのままに口を開いた。


「あなたは確かに東部派遣軍総司令官となって東照の攻撃を防ぐよう命じられはした。そして力の限り戦って東照の大軍を破り、あなたは名誉ある戦死をした。しかしその結果与えられた今の状態はあなたが望んだものでは無かったはずです」

『私の任務は果たされていない…それは確かだ』


 辛うじてそう返すリキニウスに、言葉を被せるように使者が言い募る、


「東部諸国の併合ですか?しかしそれは戦死した者に課すべき事ですか?残されたあなたの家族はどうなったのですか?一族は招魂祭であなたが一切現れないのをどう思っておられるでしょうな……よもや真実は不名誉な結果に終わったのでは、と……思っておられる方もいらっしゃる事でしょう」

『不名誉など一切無い!』


 思わず怒鳴るリキニウスに、使者は少し間を置いてから語りかけた。


「そうでしょうとも、ですからあなたを解放して差し上げます。どうぞこの城を破って下さい。そうすればこの薄暗い山間の城に縛られ続けることも無くあなたは昇天出来る、一族に会うことも叶うでしょう。心配いりません、我々は帝国を滅ぼすことは毛頭考えていません。東部諸州を押さえて交易路を確保するのが望みです。我々に帝国を滅ぼしきる力はありませんからね」


 使者の言葉に、腕を組み目をつぶったリキニウスがしばし口を引き結んで黙り込む。

 そして徐に禍々しいものを帯びた目を開け、口を開いた。


『……よかろう。100年、100年尽くした……もうよかろう』

「おお、では?」


 喜色も露わな使者に、リキニウスは額にしわを寄せて答えた。

 約束を違えれば縊り殺してやれば済む話だ。


『第3軍団は任せておけ……しかしくれぐれも昇天の件、違えるな』

「もちろんですとも」








 シルーハ王国北部の街、ルグーサ



シルーハ風の丸屋根に尖端や丸味を強調した装飾が施された建築物が建ち並ぶ街並み。

 気候的にはクリフォナムとそう変わらないのだが、建っている建物や歩いている人の衣服が違うだけで相当な異国情緒が漂っている。

 本来日干し煉瓦を主な建材として作られるシルーハの建築物であるが、ここはセトリア内海やクリフォナム地域に類する気候地帯である為、シルーハが発祥した地域より雨が多く、建材は主に大理石で、部分部分に切り出された石材が使用されていた。

 道行く人の衣服もシルーハ風のゆったりした白っぽい麻や木綿の衣服であるが、やはり気候的な理由から本国の人々が着用するよりも厚手であるようだ。

 着ている人々も肌の色はシルーハ人より色白でるので、どこか違和感も感じる光景である。

 そしてそんな街中を歩くクリフォナム人の一団が居る。

 その先頭を歩くのは、クリフォナムはフリード王子のダンフォード。

 しかしその表情は異国情緒を楽しんでいるとは決して言えない。

護衛に付いているフリードの戦士達はもの珍しそうにあたりを眺めているが、ダンフォードはその様子にも苛立ちを隠せないようで遂に叱責の声を飛ばす。


「おい!もうここへ来てどんだけ経ったと思ってるんだっ、好い加減になれろ!」

「いやあ、そうは言っても王子……やっぱり珍しいですぜ?」


 フリードの戦士が頭をかきつつ答える。


「くっ……この馬鹿共が!」


 思わずこぼすダンフォードだったが、そんな彼らが付いているからこそ王子面していられるのだと、先程諭されたばかりだったのを思い出して唇をかみしめた。

 わなわなと拳を振るわせるダンフォードの脇の黒いフードを被った男から声が響く。


『おい、もうそろそろではないのか?』

「……まだだ」


 憮然としてその声に答えるダンフォードであったが、声は諦めず再び響いた。


『……なにをぐずぐずしているのであるか?早く用意せねば徒歩の我等はシルーハの傭兵将軍の出兵に間に合わなくなるであるぞ』

「分かってる!もうあまりしゃべるな」


 思わず怒鳴ってしまってから、怪訝な顔をしている戦士達に気が付き慌てて声を落とすダンフォード。

 しかしそれを意に介した様子もなく声は響くのだった。


『良いから急ぐのである。お主が馬は嫌だと抜かすから、仕方なくシルーハから歩兵を貰ったのである。早めに用意するが良いのである』


 




 ルグーサの与えられた館に戻ったダンフォードは、佇む黒いアルトリウスを余所にドサリと力なく椅子に座った。

 シルーハの将官達から招かれ、勇んで軍議に参加したダンフォードだったが、その結果ははかばかしくない。

 亡命こそ受け入れられたものの、クリフォナムの地における復権の後押しをしきりに願い出るダンフォードを持て余し気味のシルーハ側は、今まで言を左右にしてダンフォードの要望に応じてこなかった。

 シルーハとしてみれば、商品や交易路の関係において商売敵であるとは言え、蛮族が跋扈する不安定な地域が一応の安定をしているのであるから、治安面においてシレンティウム同盟はかなり評価されている。


 それに加えて新たな市場として有望である為、目端の利いた商人達はシレンティウムへ出向き初めてもいるのだ。

 シルーハの麻や木綿などの繊維製品、小麦、それに青銅や金貨、象牙がシレンティウムへ持ち込まれ、逆にシレンティウムからは大麦、硫黄、銅、乾し肉、乳製品などがシルーハへもたらされている。

 当初ヘオン近郊の戦いでシレンティウムは大きな犠牲を強いられ、南下に対して激しい牽制を受け、シルーハ王国とシレンティウム同盟という政治勢力同士は未だ敵対関係にあった。


 しかしそれ以降は紙を始めとする西方帝国への輸出物品、東照物品の交易や交易路については摩擦があるものの、シルーハとシレンティウムは正式な外交関係こそ無いが商業交易については概ね良好な関係にあった。

 そこへ舞い込んできたのがダンフォードとにわか騎兵の面々である。

 当初戸惑いの色を隠せないシルーハであったが、亡命の申し出にはダンフォードに今後使い道があると考えたアスファリフが受け入れ、ここルグーサに住まわせたのだ。

 そしてしばらく飼い殺し状態が続いていたが、ここに来てようやく声が掛かったのである。


 しかし、その結果は悪いモノであったのだ。


「たったあれだけで何が出来ると言うんだ……」

『渋ちんのシルーハが南方歩兵を2万も用意してくれたのであるぞ?まあ、奴ら召集兵であるが故に腹は据わっておらぬし、根性も無いがな』

「それで……そんな連中でシレンティウム同盟領へ雪崩れ込めと言いやがったんだぞ!あの傭兵野郎っ無理に決まってる!!」


 シルーハは伝統的に騎兵中心の軍制で歩兵は強くないし、また養成もしていない。

 市民による志願兵中心で士気や練度の高い西方帝国に比べ、シルーハの歩兵は無産市民や小作農民達が招集されて編制されるため、やる気も無い上に訓練も行き届いているとは言い難い。

 戦争がある度に招集され、簡素な丸盾と槍だけを装備したシルーハの歩兵達は一般的に南方歩兵と呼ばれ、弱いながらもシルーハ歩兵の中核を担っている。


 その南方歩兵が2万余り招集され、ダンフォードに預けられることになったのだ。


『要は工夫次第である』

「……お前、好い加減なことばっかり言ってっ!どうやって2万ちょっとの軟弱歩兵であのシレンティウム軍を破るって言うんだ!!」


 黒いアルトリウスの言葉に、絶望感漂うダンフォードが噛み付いた。

 戦士としての矜持も意思もなく技能も無い、その余りに哀れな元農民達を前にして、ダンフォードは常に武に傾注しているクリフォナムの徒歩戦士とは余りに成り立ちが違い過ぎることに絶句したのである。

 しかし黒いアルトリウスは冷静な声を響かせてダンフォードを諭した。


『我等の役目はあくまで陽動と牽制である、それを忘れなければやりようはある。我等が役目を果たせれば西方帝国も、憎き辺境護民官もあの傭兵将軍が滅ぼしてくれようぞ』

「……随分あいつを、アスファリフを買っているな。家移りすればどうだ?」


 アルトリウスの言葉に拗ねた声を出すダンフォードであったが、それについてアルトリウスは揶揄すること無く普通に答えた。


『ああ?それは無理なのである』

「どうしてだ?呪いのせいか?」


 てっきり皮肉が返ってくると思っていたダンフォードがいささか面食らい気味に問い返すと、黒いアルトリウスはきっぱりと言い切った。


『いや、我はあ奴を好かんのである』

「……は?」


 黒いアルトリウスの言葉に呆気に取られて絶句するダンフォードであったが、続いた言葉にげんなりする。


『あのようないかにも女にもてそうなスカシ野郎は我の敵であるっ。我はスカシ野郎と芋虫は此の世で一番嫌いなのである。芋虫かスカシ野郎かと問われれば、一晩悩む自信があるのである!』

「………」


 あきれ顔のダンフォードに気付いているのかいないのか、黒いアルトリウスは口調を改めて言葉を継いだ。


『それに我の好き嫌いの問題だけでは無いぞ?我があ奴の元に行けば、お主はお役ご免で切り捨てられよう。今回の陽動とてまともな者であれば受けもせぬし、受けたところで全うは出来ん。我と我の知恵があってこそ成せる作戦である、故に我の献策を軍議で提案したお主が一目置かれたのである』

「ふん……」


 思い当たる所のあったダンフォードが黙ると、黒いアルトリウスが言葉を継いだ。


『もしお主の献策のからくりが我であると分かれば、お主は我を取り上げられて暗殺である。フリードの廃王子など、王位を正規に継いでしまったアキルシウスが居る限り、それ程利用価値は無い』

「あいつは偽王だ……」

『と、言っておるのはお主ら一部だけよ、現実はそうでは無い』


 ダンフォードがぼそりとこぼした言葉を今度は揶揄する黒いアルトリウス。

 案の定我慢出来ずにダンフォードはがたりと椅子から立ち上がり、黒いアルトリウスの胸倉を掴んで叫んだ。


「うるさいっ!黙れ!誰が何を言おうと王は俺だっ俺なんだっ!」 

『やれやれ、また疳の虫が起きたであるか……まあよい、そうなるよう努力しようでは無いか、ここまで来たのなら家移りなどせず最後まで面倒を見てやるのである、そしてなんとしても西方帝国を滅ぼすのである』


 黒いフードが取れ、髑髏の首を露わにした黒いアルトリウスはそう言ってダンフォードを宥めるのだった。







東照帝国西域州・塩畔、西方府庁舎



「同盟やと?」

「そうです」


 素っ頓狂な声を出した黎盛行に、浅黒い肌に白い長衣を纏ったシルーハの使者は迫力ある笑顔で答えた。

 頭に布を巻き、口と顎髭に黒々とした髭をたっぷり蓄えた壮年の使者。

 赤い前袷の東照服を身に纏った黎盛行とは対照的なその体付きや衣服は、旅塵にまみれてはいたが強靱さを感じさせる。

 しかしその威迫に影響されること無く、いささか無礼なその答え方に腹を立てた黎盛行が珍しく怒気を含んだ声を出す。


「……冗談も大概にせい」

「冗談ではありません。但し、その際はここ西方府とシレンティウム同盟の関係を見直して頂かなくてはなりませんが」


 しかし使者は黎盛行の怒気を意に介さず、笑顔のまま言葉を継ぐ。

 その言葉を受けて黎盛行に冷静さが戻った。


「ほう、何か、それじゃあシルーハは西方帝国を攻めるか?」

「まだ何とも申し上げられませんが……とにかく西方府にはシレンティウムを牽制して頂きたい。大国東照のこと、3万や4万の兵はすぐに集められましょう」

「ふうむ、見返りは何じゃ?」


 自分の要求に応じる素振りを見せる黎盛行に、シルーハの使者は一層笑顔を深くして口を開く。


「我がシルーハとの交易再開とシレンティウム同盟の支配する土地の切り取り勝手次第」

「ほう、それは豪儀じゃな!」

「いえ、ほんのささやかなお礼で御座います」


 使者の言葉に目を丸くする黎盛行であったが、目は一切笑っていない。

 それはシルーハの使者も同じで、笑顔のまま冷めた目で黎盛行の目を見つめつつ言葉を返した。

 そもそも食糧の禁輸措置等の交易断行をしかけたのはシルーハであり、またその原因となった交易品の利益配分を着服していたのもシルーハ側であることを考えれば、余りに虫の良すぎる条件であった。

 それに、全くシルーハの影響下に無いシレンティウム同盟の支配地を占拠してもよいというのは条件ですら無い。


 占領地の分け取り交渉では無いのだ。

 ただ、シレンティウムと行っている交易をシルーハに戻すと言うだけの話で、シルーハにとって利が有るものの、東照にとっては何の得も無いどころか、むしろ以前の食糧供給という弱みを握られた交易に戻ってしまうのでは不利益ですらある。

 しかし、ここで馬鹿にしていると使者を追い返すのは簡単だが、その様な好い加減な交渉材料でわざわざ険悪になっている東照まで使者を寄越すシルーハの意図を掴みたい黎盛行はとぼけることにした。 


 黎盛行はわざとその答えに若干躊躇する素振りを見せ、背もたれに身体を預けると、唸りながら言葉を発する。


「ううむ、そうじゃなあ……すぐに返答は無理じゃ。本国にも諮らねばならんからのう」

「そうですか、ご尤もですな。どのくらいお待ち致しましょう?」

「何と……ここで待つ気か?」

「はい、何としても黎都督にはうんと言って頂かなくてはなりませんので」


 きらりと使者の目が鋭く光ったのを、黎盛行は見逃さなかったが、素知らぬふりで言葉を返した。


「うむ、分かった。3週間程度待ってくれるか?本国からの返答も少なくともそれ位はかかるのでなあ」

「良いでしょう、承知致しました。では私は塩畔の旅館におりますので、結果が出た暁にはお声を掛けて下さりませ」

「うむ、確かに。誰ぞ呼びにやらせることにしよう」


 使者の声に鷹揚に頷く黎盛行。

 使者もそれでようやく納得したのか引き下がる意思を示した。


「はい、では、くれぐれも宜しくお願い致します……」


 使者はそう言いつつ、配下の者達を呼び、黎盛行の前に大きな箱を置いた。

 恭しく使者のは如何それを開くと、金色に輝く砂金が箱一杯に詰められていた。


「……なんじゃいそれは?」

「お礼、で御座います」

「ほうか、ほんじゃま貰うとくか?おい、誰か居らんか」


 にんまり笑みを浮かべ、黎盛行は代わりの土産を手配するべく役人を呼び寄せるのだった。








「ダメじゃ、本国に諮るまでも無い、一時は自分達の都合でワシらの申し入れをけんもほろろに断わりながら、交易交渉を強引に打ち切って恫喝し、しゃあないからワシらがシレンティウムと仲良うし始めたら食糧を一切寄越さんようになった連中じゃ。あの南の悪タレ共がワシらを老いた国と舐めてくさりおる、目にもの見せてくれるわ!」


 使者が部屋から出た途端、癇癪を起こしたかのように黎盛行がいきり立つ。


「それで……如何致しますか?」

「ああん、決まっとろうが!シレンティウムの介大成に至急知らせてやれ、シルーハは帝国を攻める意思あり、最早準備を進めておる、とな」


 余程腹に据えかねたのだろう、役人の言葉に黎盛行は眦をつり上げて指示を出す。


「使者は如何しますか?」


 また別の役人がお伺いを立てると黎盛行は即座に言葉を返した。


「おう、監視を付けて足止めしておけ、ほれから交渉に応じてるという格好だけやっとくんじゃ。誰ぞ使うて騎馬で早馬飛ばしたように見せかけい!集めた兵はなるべく目立たせよ、ワシがシルーハとの同盟に乗り気やと思わせるんじゃぞ」

「しかし西方帝国が破れた場合は新たな火種となります。ここは勝ち馬に乗っておいた方が良いのでは?」


 更に別の役人が意見を述べると、黎盛行は呆れかえった表情で天を仰いだ後、その役人に怒声を浴びせた。


「お前はあほか!シルーハが求めとるのは、切り取り次第とか言いながらシレンティウム同盟を攻める事じゃろ。お前、北方軍団兵とあの辺境護民官をまともに相手して土地を切り取れるとでも思うんか?逆にワシらがやられるんが落ちじゃい……そもそもシレンティウムには恩も義理もあろうがい、あんな気持ちのええ連中敵に回す意味が分からんわ!」

「はあ、しかし背に腹は代えられないのでは?」


 言い淀む役人に、黎盛行は歯がみしながら言葉を被せる。


「そんな無節操をしとるから国が傾くんやないか!大体が切り取りなんぞ土台無理じゃわい、そもそもワシら兵を集めてせいぜい4万、シレンティウム同盟は10万超えるぞ?シルーハのあほ共それを分かってふっかけてきよったんじゃ、これは端っからワシらが断るのを見越しておるんじゃ!」

「では?」


 最初に声を掛けた役人が指示された介大成への書を認め終えて尋ねると、黎盛行は凄みのある笑みをその顔に浮かべた。


「决っとる!シルーハがやりたいんは背後の安定のための単なる時間稼ぎじゃい。ワシらがもし色気を出してシルーハへ兵を動かしたら、あやつらおちおち帝国を攻められん。ワシらはたった4万とは言え本国を空にするシルーハにとっては面倒な兵数じゃわい。ワシらに東照本国へお伺いを立てさせたり、迷わせたりして釘付けにしときたいんじゃろうがその手は食わんぞ!ここ数年来の恨み、晴らしてくれる」







 帝国領西方・アルテア市、海軍基地



 西方文明が発祥した西方大陸の中心都市であるアルテアは、神話にも登場する古い歴史を誇る街である。

 西方大陸の西岸から移ってきた西方諸都市の人々がまず最初に開いた街で、その後セトリア内海沿岸の西方諸都市の母都市となったが、約百年前に西方帝国に覇権戦争で敗れてその支配下に入った。

 しかしかつての中心都市であった頃の繁栄と栄光は未だ失われてはおらず、セトリア内海沿岸でも帝都に次ぐ第2の都市として重きを置かれている。

 街並みは淡い黄みを帯びた大理石を建材としていることもあり、元来が海に開かれた街でもあるので、雰囲気は非常に明るい。


 西方諸都市の特徴を色濃く持っている宗教施設や公共施設も多いが、帝国時代に入ってから整備された街路や街道、水道などの基盤設備が上手く融合する非常に住み心地の良い街。

 住み暮す市民達も顔かたちは帝国人とほぼ変わらない西方諸国人が大半であることもあって、帝国人にとっても非常に居心地の良い街であるのだ。

 からりと乾燥した地帯である為人の気質もそれに似てさっぱりとしたものである。

 




「どうだ修理は?」

「はい、順調です副皇帝陛下」


 西艦隊とユリアヌス率いる遊撃艦隊は海賊集団相手に図らずも挟み撃ちの形となり、混乱した海賊達を討ち破って大勝した。

 そして掃討作戦も一段落付き、西海域の海賊討伐を完了したユリアヌスは2つの艦隊を合流させ、補給と整備のためにひとまず最寄りの都市アルテアへ立ち寄ることとしたのである。

 昔から海上交易の中心都市として、またセトリア内海沿岸の西方諸国人都市の母都市として移民団を送り出して繁栄してきた歴史がある為、造船や操船については他の都市より一日の長があるアルテア市。

 急遽入港したユリアヌス率いる帝国艦隊の大量の戦艦にも動じること無く、アルテア市の行政府はただちに停泊場所の指定と造船工場の斡旋を行ってきた。


「では後は頼む」

「はっ」


ユリアヌスは艦長達に修理の監督を任せ、自分はアルテア市の市庁舎へと向かうことにした。

 そこのは少ないながらも海賊達が逮捕されて収容されており、現在ユリアヌスの部下となった海軍兵士達が尋問を行っている。

 既にウィオレンス上級総督と海賊達の繋がりは明らかとなっていたが、ユリアヌスとしては何としても貴族派貴族に対する不法行為を立証したかったし、他に海賊仲間や関係している者達が居るかどうかについても重要であったのだ。






 アルテア市、市庁舎・治安官吏詰所



「おい!どうなんだっ!」

「……ふん、今更何を言えってんだ」

「お前らがどうしてここまででかくなったのかだ」

「知らねえよ」

「貴様あっ!」


 詰所の取り調べ専用室では、海軍兵士の将官が海賊と思しき男と埒のあかない遣り取りを繰り返していた。

 ユリアヌスが覗くのも気付かず、頭へ血を上らせている海軍将官。

 ユリアヌスはその方に手を置くと、驚く海軍将官を余所に、身体のあちこちに包帯を巻いている男へ質問を投げかける。


「では質問を変えよう。お前らどこに略奪品を下ろしていた?」

「………」


 ふて腐れたままの男に、海軍将官の額に再び青筋が浮き出るが、ユリアヌスは怒鳴りつけようとするのを制止し、質問を重ねた。


「ジード市じゃ無いか?経理担当官吏カルトス、官吏は辞めたのか?」

「え?」


 名前を呼ばれ、驚愕する海賊を見るユリアヌスの顔は極めて平静で、静かな口調も変わらない、しかし、凄みを増したその視線に海賊が思わず居住いを糺した。


「カルトス、お前らが略奪した品は帝国の輸送船に似せた貴様らの船でジード自由市に下ろし、そこからシルーハを経由して売りさばかれていた……違うか?」

「う……」


 今度は黙りを決め込んだのか口を割らないカルトスに、ユリアヌスは一旦ため息を付いて離れると専用室の外でわざと聞こえるような声で言う。


「……まあ、元官吏とは言え拷問でもするか?何れ苦しんで死ぬんだ、ちょっとぐらい構わないだろう」

「はっ、では……」

「ああ、準備しろ」

「わ、分かった、言う、話す、だから……」


 部屋の外での会話に怖気を震っていたカルトスが遂に海軍将官へ情けなく訴える。

 生来の無頼や悪漢では無いのだ。

 元は善良な官吏として働いていた男に、拷問に耐えられるだけの胆力は無いと見切ったユリアヌスの口先だけの脅しであったが、作戦が見事に嵌まった。

 笑いながら作戦に載った海軍兵士を外に置いたまま、ユリアヌスが部屋へと戻ってきた。


「お前は経理担当だっただろう?何故そんな者が海賊にいるのか不思議だが…海賊をやっていたにしては体付きも華奢だしな」


 ユリアヌスがカルトスの顔を不思議そうに見て、その後ペンだこと身体の細さや日焼けしていない肌を示しながら言うと、カルトスはがっくりとうなだれた。


「まさか殿下が私の事を覚えていらっしゃるとは……」


 カルトスが観念したとみたユリアヌスが質問を開始した。


「で、何故海賊に居る?」

「……最初は割の良い仕事だと紹介されました。それが海賊の略奪品の計算や集計だと分かったのはしばらくしてからです。家族も居ましたし、お金の払いは良かったのでとても辞められませんでした」

「ちなみに何故官吏をクビになった?」

「……帳簿の不備を指摘したんです。そしたらそれが貴族の横領したお金の分で、私は罪を着せられた上にその帳簿を持たされてクビになりました」


 思わずため息が出るユリアヌス。

 帝国は優秀な経理官吏をまたもや貴族の横暴と不正で失っていたのである。

 今回は更に悪いことにその優秀な人材が敵側に流出してしまっていた。


「……そうか、それで海賊の経理係をやっていたのか」

「はい、殿下の仰るとおり、私は海賊の略奪品を集計して船積みを監督し、それをジード自由市でシルーハ側へ引き渡すのが仕事だったのです。最初は集計だけでしたが、しばらくして真面目な仕事ぶりが認められまして……他にも私のような境遇の元官吏や商人、市民はたくさん海賊で働いていました。私はその統括も任されました」

「何と……」

「そうか」


 元官吏カルトスの台詞に言葉の無い海軍将官とユリアヌス。

 元官吏が理の通らない理由で罷免され、生活のために悪の道へと誘われた。

 それが悪と分かっていても生活のために、家族のために逃れでる事の出来なかった元官吏カルトス。

 悪に付き悪のために働いていながら前面で悪事を働くわけでは無いために感覚が麻痺してしまっている事もあるだろう。

 そして本来帝国で発揮されるべき経理能力が海賊集団という無頼集団で十分以上に通用してしまったという皮肉。

 このまま貴族の横暴を許して帝国の腐敗が進めば、今後カルトスのような者はもっと増えるのは間違いない。

 しかしカルトスは、ユリアヌスの葛藤を余所に俯き加減で淡々と話を続ける。


「私はその他にもシルーハ側から情報を貰い、その情報を海賊に伝えたり、シルーハからの依頼を伝える役目も負っていました。普段はここアルテアか、ペルオンに居ることが多かったのです……後で事務所の場所も話します」

「分かった、しかし何故今回は海賊達と一緒に居た?」

「シルーハ側からの依頼を海賊へ伝えたところで、帝国の艦隊が来てしまいまして……そのまま出港してしまったんです」


 はあっとため息をつくカルトスにユリアヌスが質問を重ねる。


「依頼か、その内容は後で聞くとして、他の海賊達もジードに来ていたか?」

「来ていました。島のオラン人や北の海賊、東や南の海賊もジード市でいろんな取引をしていました。私たちと同じようにシルーハと繋がっているのも間違い無いと思います」

「壮観だな……反帝国海洋勢力結集か?」


 再び出た大きな話にユリアヌスはため息を漏らした。

 しかも裏で糸を引いているのはシルーハ王国だという。


「他に噂話や知っていることは無いか?」

「シルーハと帝国の貴族が繋がっている、だから帝国海軍の情報がシルーハや私たち海賊に筒抜けなんだ、という話を聞いたことがあります。実際、私も何度か海賊の船に乗っていますが……帝国海軍に会うのは今回が初めてです」


それは帝国海軍上級提督のウィオレンスが情報を流していた事を把握しているユリアヌス自身が一番よく知っている。

 カルトスの話で事実確認がこれで出来たわけだ。


「では依頼内容について話せ」

「シルーハから急に頼まれました。西で暴れて西方帝国の海軍を引付けてくれと。今回は南の海賊達も少なからず参加していましたし、島のオラン人や北の海賊も同じ依頼をそれぞれされていたようです」

「何故だ?」

「そこまでは分かりません」


 カルトスがそう言った時、海軍将官が駆け込んできた。


「副皇帝陛下!」

「どうした?」

「とにかくこちらへ」


 訝るユリアヌスに海軍将官は焦った様子で専用室の外へと誘う。

 ユリアヌスが怪訝な表情のまま専用室から出てその海軍将官に誘われるまま、詰所の奥へ向かうと、その海軍将官は周囲を見回して他に自分達の会話を聞ける者がいないことを確かめると、息せき切って話し始めた。


「ユリアルス城の第3軍団が壊滅しましたっ……!」

「なに!?」

「全くの壊滅だそうですっ」

「しまった、これかっ!?」







 ユリアルス城



 帝国第3軍団軍団長は、恥も外聞も無く逃げていた。

 剣や兜、盾はとうに捨てている、そんな物はあの相手に何の役にも立たないからだ。

 本当は鎧も脱ぎ捨てたいが、時間が惜しい。

 今は一刻も早くこの事態を帝都へ伝えなければならない。

 滝のように流れる汗を拭いもせず、軍団長はひた走った。


 時間は数刻遡るころ、事は起こった。

 シルーハの大軍が迫っていると聞いた帝国軍第3軍団は、ユリアルス城に置いて直ちに臨戦態勢を取り、国境守備隊へ連絡を取り、更には帝国への報告を試みた。

 しかしどこからともなく現れた騎乗の盗賊団にそれらは尽く阻止され、失敗に終わる。

 それでも帝国第3軍団は動じること無く迎撃準備を粛々と進めていたのであるが、そこで開かずの間に封じられてここユリアルス城を百年にわたって守ってきたリキニウスの亡霊が裏切ったのである。


 立ち向かった兵達は皆砂になるか、身体の一部を崩されて死んだ。

 残って兵達は余りの出来事に恐怖し、逃げ散ってしまった。


「く、リキニウス将軍が裏切りとはっ!」

『裏切ったのは私では無い、君たち帝国だ』


 突如目の前に現われたリキニウスに驚いて踵を返すが、その手が軍団長の肩に触れた。


「ぐああああああっ!」


絶叫すると同時にたちまち枯れ木のようになり、最後は砂となって崩れ落ちる軍団長の姿を見て、リキニウスは眉根を寄せたが、すぐに顔を上げると城門へと向かう。

 生者の精気を吸うことは出来ても鉄や石はどうにも出来ない。

 門を開けるには、シルーハ軍の兵士達に第3軍団が壊滅したことを伝え、城門をよじ登って貰うしか無いのだ






 帝国第3軍団壊滅後、しばらくして到着したアスファリフは、すぐに歩兵の数名をユリアルス城へ入り込ませ、城門を開けさせて城を接収した。

 守備の兵や指揮官を決め、食料や馬糧、予備の武器を運び入れると、アスファリフはリキニウスの居る帝国側の城門へと向かったのだった。





『……貴様達の望みは叶えたぞ、私を解放しろ』


 アスファリフが城門の最上段へ到着すると、帝国東部諸州の沃野を眺めていたリキニウスが振り向きもせずに声を掛けてきた。


「まあ、焦るな将軍、過去のとは言え英雄を前にして話してみたいと思うのは人の性だろう?」

『……知らぬ、私は人をやめて久しいからな』


 努めて陽気な声を出すアスファリフに、リキニウスは素っ気なく答える。

 しかしアスファリフはめげずに言葉を継いだ。


「ははは、英雄は洒落も良いな!」

『……色々と画策していたのは全て貴様か、大したものだ』

「俺は臆病でね、何かをやるのに人より多めに、そして念入りに準備をするだけの事さ、少し考えれば誰にでも出来る事を誰がやっても同じようにやるだけ、少しは考えるがね…どうだ、俺に興味が湧いたか?」


 からかうようなアスファリフの言葉にも、リキニウスは寂しそうに頭を左右に振りながらゆっくりと言葉を紡ぐ。


『いや……もう私は疲れた。世界のありように興味を持つこともないし、干渉するつもりも無い。私の望みは、ただ此の世にあらぬようになることだけだ』

「そうかい、それは残念だなあ。ではさらばだ豪腕将軍」


 リキニウスの言葉を聞き終わるやいなやアスファリフはそう冷たく言いつつ、腰の剣を目にもとまらぬ速さで抜き放ってリキニウスの胸に突き立てた。

 柄や鞘だけでなく、剣身まで真っ黒の長剣が、リキニウスの幽体に刺さる。


『ぐおっ?……貴様っ、幽体の私を何故っ?』


 剣が刺さった場所からすさまじい勢いで霊気が放出され、透けていたリキニウスの身体がより一層薄くなり始める。

 驚愕に彩られるリキニウスの顔を冷徹に見ながら、アスファリフは剣をそのままに口を開いた。


「聖剣だ、英雄ともなれば聞いたことぐらいあるだろう?」

『ぐむう、まさか……本物が……ああぁおああぁぁぁっ?』

「そう、最近じゃ不遇の英雄アルトリウスが持っていた白の聖剣、西方帝国建国の英雄皇帝マルスが振るったという朱の聖剣、西方諸国統一を夢見た僭主ローキオンの橙の聖剣、東照帝国中興の名宰相、黎昭光が手にした碧の聖剣、そしてナイショで俺が持っているのがこれ、黒の聖剣だ」

『これは……これはっ……昇天や解放では無い!……ただの消滅ではないかあぁぁぁぁぁぉぉっ……』


 絶叫しつつアスファリフを道連れにしようと手を伸ばすが果たせず、消滅するリキニウス。

 リキニウスが完全に消滅したことを確かめてからアスファリフは剣を戻し鞘へと収めた。


「上手くいったか?ま、悪いが死霊のあんたに何時までも此の世に居座られちゃ動けるモノも動けないからなあ」


 リキニウスが見ていた西方帝国東部諸州の沃野をちらりと見遣り、アスファリフは踵を返す。


「さて、邪魔な副皇帝サマは遙かセトリア内海の西の端、辺境護民官は蛮族の王子様が牽制してくれるし、副皇帝以外味方が居なけりゃ国境を越えられない。東照は今頃本国との連絡で躍起、西方帝国軍は南で半減、ユリアルス城の帝国軍と死霊は消えた、俺の配下にはシルーハ軍5万に傭兵3万……良い、実に良い感じだ」


 にいっと口を笑みの形にしたアスファリフは、階下に勢揃いしたシルーハ軍を眺めつつ叫んだ


「はっ!東部諸州と言わず帝都までイける陣容だな!」



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