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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第4章 西方帝国内乱
71/88

第2話 北方諸族

 戦後のフレーディア市内


「随分と待たせちまったな、済まなかった」


 地下牢から解放された、耳や指の欠けた西方帝国人の技師達を前にして、タルペイウスはまず謝罪し、次いで全員の顔を見て無事を喜ぶ。

 しかし獄死してしまったのだろう、その中にはちらほらと欠けた者も居ることがタルペイウスには直ぐ分かった。

 それでもタルペイウスは1人1人に声を掛けていく。


「無事で何よりだ、苦労かけたな」

「タルペイウスさん、兄貴は斬られた傷から膿み腐って牢で死んじまったよ……」

「そうか……すまねえ」

「ありがとうございます……良く戻ってくれました」

「おお、お前!」

「……耳は大丈夫ですか?」

「当たり前だ、尤もこの有様じゃ何の慰めにもならねえがな……」

「何の、俺たちはこれでも頑丈な元兵士ですから!」

「みんな……すまん!」


肩を抱き、手を握りしめ、涙ながらに再開を喜ぶタルペイウスと技師達。

 やがて生き残った全員との挨拶を終えたタルペイウスは、徐に口を開いた。


「みんな!早速で悪いが聞いてくれ!」


 タルペイウスの呼びかけに、ボロボロにやつれ果てた技師達が背筋を真っ直ぐ伸ばす。


「……俺はここで戦死したフリード族のベルガンと約束した。それは他でも無い、このフレーディアを西方帝国や西方諸国、そしてシレンティウムに負けない美しく、雄々しく、素晴らしい街に変えると言うことだ」


 静かに聞き入る技師達を前に、タルペイウスは熱っぽく語る。


「俺たちの耳を刈り、指を飛ばした者は確かにこの町に生まれ育ったダンフォード達だが、俺たちにこの町を託したのもこの町に生まれ育ち、そして死んでいったベルガンだ。お前らの中にはもう北方はこりごりだ、帰郷したいと考えている者も居るだろう。俺はそれは無理ないと思う。指や耳を切り落とされてそう思わない方がおかしい」


 その言葉に技師達から苦笑が漏れた。

 耳殻を落された者達は残った方の耳をタルペイウスに向け、指を失った者達は指の欠けた手で拳を造って咳払いをする。


「俺は思う、このフレーディアを掛け値無しに北方随一の街に仕上げ、受けた仕打ちを見返してやろうと。俺たちもかつて兵士だった。武力で事を為すのは簡単だし、その方法も分かってる。しかし武力以外の方法でも事を為すことが出来るってことを示してやろう。耳がなくとも字は書ける、字が書けなくとも言葉は話せる、俺たちはまだやれる!」


   ざっ!


 一斉に脚を揃え、技師達が手を胸に当てる敬礼を送りつつタルペイウスを見つめる。

 その視線は一様日から強い光を宿しており、欠ける者が居ない事をタルペイウスに確信させた。


「すまねえな、じゃあ存分に働こうぜ!」


おう!


 現役兵士顔負けの気合いを入れ、帝国人技師達はタルペイウスの檄に応じるのだった。









 すっかり焼け焦げてしまったフレーディア市内ではあったが、市民となった族民達はタルペイウス率いる帝国人の技師達の指導や指揮を受けながら力強く復興に精を出す。

 幸いにとも言うべきか、市壁や主要建築物の外壁、街路や排水路はタルペイウスの都市改良事業によって石造りに変えられており、火災の被害を免れた。

 ダンフォードの強圧的な指示にも関わらず、市民達は西方帝国風の建築物を完全には破壊しなかったのである。

 しかしその一方、火災による被害は専ら市民達に集中していた。

 ハルはフレーディアへ入るとまず街区ごとに軍団の割り当てを決め、焼け跡の後片付けを開始した。


 北方軍団兵ががれきを片付け、焼け落ちた家を解体し、使える資材を選り分けてゆく一方、工兵隊や帝国兵達はその設営能力を生かし、資材を補充しつつ次々と新しい家屋を建設してゆく。

 タルペイウスや一旦逮捕された帝国人の退役兵達、更には建築技師は何時しか斬られた耳や指を特徴とする技師集団と認識され、フレーディアの族民達から負傷技師団と呼ばれるようになった。


 その負傷技師団の設計に基づき、フレーディア市街の復興作業は着々と進む。

 新たな建築資材はシレンティウムから運ばれる手はずになっているが、差し当たってはタルペイウスが用意していた都市改良事業用の物資を転用するとともに、木材や石材でフレーディア周辺で手に入る物は北方軍団兵が伐採し、掘り起こしてフレーディアへと運び込んだ。


 ダンフォードによる放火の憂き目に遭い、家を失って途方に暮れていた市民達は、新たな軍の入市に怯えていたが、その暗かった目つきが次第に明るいものへと変わり始める。

 力強い北方軍団兵が続々と木材や石材を市内に運び込み、初めて間近で見る黒目黒髪の小柄な帝国人がたちまち美麗な家や集合家屋を建設していく様子を呆気に取られて見つめ、帝国の技師達が丁寧な作業で街路を石畳に変え、破壊された薬事院や学習所を再建する様を感心しつつ見守った。


 最初は見た事のない銀色の鎧を身に纏い、一心不乱に働き続けるシレンティウム軍の兵士達を気味悪がって近づかなかったクリフォナムの族民達であったが、爽やかな汗を拭きつつ労働の成果を惜しみなく提供するその姿を見て、徐々にその作業を手伝い、雑談をするようになる。

 貨幣が浸透し始めていたこともあり、物の売り買いを通じて話をする者も増え、穏やかで活発な文化交流が進み始めた。


 加えて北方軍団兵は怪我をした者や家族のいる者から優先的に交代を実施することになり、順次シレンティウムで編制された補助軍団の兵士と入れ替わり、休暇を実施する。

 帰る兵士達はお土産や必要物資をフレーディアで調達し、新たにやって来た兵士達は消耗品の購入や建設作業を通じて市民と交流を深め、フレーディアは北方軍団兵による経済活動で活況を呈し始めた。

 また戦いのせいで少し遅れはしたものの、冬小麦の作付けが農民達の手によって行われ、フレーディアは平時の姿を少しずつ取り戻していったのである。





ダンフォード脱出より2週間後、フレーディア城、王の間



「そうですか、それ程の犠牲が……」


 タルペイウスから火災の被害状況について報告を受けたハルの顔が暗くなる。

 被害状況が明らかになるまで実に2週間の時間を要したのだ。

 外見上は平時を取り戻したフレーディアであったが、市街地の被害と人的被害は甚大であり、復興には相当の費用と時間が必要になることが容易に予想出来た。


 しかし、復興は果たさなければならない。


「今シレンティウムに負担を掛けられねえのは分かっちゃいるんだが、援助してもらわんことにはフレーディアは立ちゆかねえ」


 タルペイウスはフレーディア失陥と、ベルガン、レイシンクの戦死についての自責の念もあってか、本当に苦渋に満ちた顔で援助を求める。


「アダマンティウスさんの第22軍団にはこのまま居残って貰ってフレーディアの復興に手を尽くして貰います。またタルペイウスさんの進めていた都市改良事業はこのまま並行して進めますし、物資もおってシレンティウムから届くでしょうから、時間が必要な以外はそれ程難しくはありません。難民も戻ってくるでしょう」


 ハルが慰めるように声を掛けると、タルペイウスは黙って頷きつつ言葉を継いだ。


「助かるぜ。それから相次いで北方の部族から使者が来始めてるからよ、そっちの対処も頼む」


 タルペイウスの言うとおり、フレーディア奪回作戦の戦勝を知ったクリフォナムの北部諸族が相次いで使者をフレーディアのハルへと送ってきているのだ。

 ハレミア人によって壊滅的な打撃を受けたポッシア族とセデニア族は既に半ばシレンティウムの支配下に収まる形で再建が進んでいる。


それ以外の部族については、直接戦場へ視察の戦士を送って戦いの一部始終を知る部族もあれば、シレンティウムの大軍に度肝を抜かれた部族もあり、様々ではあるがいずれもシレンティウム軍の精強さに恐れをなし、またその庇護下に入る利益を鑑み、同盟参加の意思表示をした。

 それまでシレンティウムには懐疑的であったフリード族のダンフォード派にも今回の戦勝による影響は及んでおり、ダンフォードが南へ落ち延びてしまったことや自分達がハレミア人によって蹴散らされていたことと相まって、主立った戦士長や貴族達が次々と半ば降伏をしにフレーディアを訪れていた。


 北方辺境におけるシレンティウム同盟参加の動きはエレール川流域のオラン人の各部族の参加と合わせて今回の戦勝で一気に強まり、以前からあったオラン人総参加の気運を高めている。

 シレンティウムは北方辺境を悩ませるハレミア人という最大の脅威を排除し、更にはアルフォード英雄王の系譜を引くダンフォード軍を撃ち破る事の出来る軍力を備えた勢力として各部族に認められたのである。

 フレーディアを奪われてしまったり、ヘオン近郊でシルーハに敗れたという失態を余所に、ハレミア人に対する圧倒的な戦勝、続いてフレーディア奪回によるダンフォードの追い落としが北方辺境に広まっていた。


「取り敢えず、名目上でも同盟部族としてオランとクリフォナムの部族を取り込みましょう。フリード族のダンフォード派も瓦解したようですし、使者をこちらから送れば参加する部族もいるかもしれません。今は負担を考えるよりも北の地をまとめ上げる好機と捉えて動きましょう」


 既にシレンティウムのシッティウスには伝送石通信でその内容の報告を送っており、おってシッティウスから費用と物資、それに人材は何とかするので、頑張るようにという内容の返事が届いていた。

 シッティウスからの手紙を改めて読み直していたハルに、タルペイウスが声を掛ける。


「今のところ近隣のオラン人ではランデルエスを介してフィズ族とファンサル族から同盟参加の条件について問い合わせる使者がきてるな。クリフォナムの方はフリード族ダンフォード派の各貴族や戦士長達がフレーディア傘下に入るっていう使者を送ってきてるし、カドニア族から同盟参加を表明する使者がきてる」


 いずれもエレール川流域に勢力を持ち、イネオン河畔の戦いにおけるシレンティウムの戦勝をいち早く察知し、またその後のパレーイ族平定戦争の実状を知る事の出来た部族である。


「おっと忘れる所だったぜ……クリフォナム人のサルフ族からは親シレンティウム派の貴族達から内紛に対する援助の申し入れがあった」

「内紛?」


 続いたタルペイウスの言葉に、ハルが怪訝そうな表情で質問した。


「おう、シレンティウム同盟に参加するか否かで派閥間の調整が付かねえで、武力衝突を伴った内紛が起きているってことだ」

「なんと……?」


 タルペイウスの回答に驚くアダマンティウス。

 各部族がシレンティウム同盟に参加するか否かに対し、それ程の緊張感を持って捉えているということを知って驚いたのだ。

 しかし考えれば今後の部族の運命を左右しかねない問題であるのだ。

 長くフレーディアで仕事をし、クリフォナムの部族との繋がりを持つようになっていたタルペイウスには、内紛に至ってしまったサルフ族の部族長達の気持ちが痛い程分かった。


「内紛に積極的に関与するのは避けたいですが……示威行動ぐらいはしてもよいかもしれませんね、それで内紛が収まれば儲けものです。早速ベリウスさんと第23軍団をサルフ族の勢力圏近郊へ派遣しましょう。但し決して内紛には加わらないこと」

「承知した」


 がれきの撤去や焼け跡の整理は大分進んでおり、差し当たって任務に支障の無い第23軍団はこうしてサルフ族の地へ派遣されることが決まった。



「辺境護民官殿はどうされるのか?シレンティウムへ戻られるのか?」


 アダマンティウスが尋ねるとハルはちょっと考えてから口を開いた。


「折角此処まで来たので……取り敢えずフリンク族の討伐を行います」

「……けじめは付けねえとな」


 ハルの言葉にタルペイウスが応じた。

 ハルは渋い顔で言葉を続ける。


「フリンク族がダンフォード王子に援助を与えたのは紛れもない事実です。残念ながら防衛戦争では無いので同盟部族に援軍を頼めませんが、フレーディアの復興が一定に達し次第、第21軍団を率いて討伐戦を行います」


 ダンフォード王子が率いていた戦士の約半数がフリンク戦士であったのは周知の事実であり、また今までダンフォード王子を匿っていたという事もある。

 そもそもハレミア人を引き込んだダンフォードに伝手を与えたのはフリンク族の他にいまい。

 明確とは言えないが、シレンティウムに敵対的な行動をとり続けているフリンク族。

 それにダンフォードの妹が未だ匿われてもいる。


「しかし、フリンク族と言えば勇猛で鳴らしたクリフォナムの部族。そう簡単に事が進みますか?しかも1個軍団では不安がある」


 アダマンティウスが危惧するとおり、かつてアルフォード王さえその武勇をあてにした程であり、そう簡単に討伐されるような部族では無い。


「ええ、ですからいきなり討伐はしません。降伏を促す使者を送り、こちらの武力を誇示した上で内部分裂を誘いたいと思います」

「フレーディア陥落とダンフォードの脱出が知れて、周辺の部族は軒並みこちらに靡いてもいるしなあ……上手くいくかもしれねえな」


 タルペイウスがハルの策に賛意を示した。

 恐らく今回のダンフォードの敗北でフリンクの族長は信任問題に揺れているだろう。

 クリフォナム人の首長や族長の座における実力主義は徹底しており、失敗した者は容赦無く交代させられる。

 ここでシレンティウム側が放置政策から強硬路線に転じれば、さらに揺さぶりを掛けられる事は間違いない。


「後はフリンク族の出方次第です、本気で抵抗するというのなら、こちらも本気で相手するまでです」


 ハルはそう言うと、静かに玉座の脇の椅子へと腰を下ろすのだった。






フリンク族の城邑、ハランド



「ふん、いきなり斬りかかってくるとはご挨拶だな」


 大剣をかつての護衛戦士の腹から抜くと、グランドルは口元を歪めた。

 力なく護衛戦士が崩れ落ちると、グランドルは隻眼で周囲を睨め回す。

 いずれも剣を抜き、その切っ先はグランドルへ向けられていた。

 しかしここは戦場では無く、自分の部屋である。


「どうした?かかってこんのか?老いぼれ1人だぞ!」


 最後に大喝を入れると、飛び掛かろうと身構えていたフリンク戦士達が一斉に下がる。

血まみれの大剣を担ぎ上げ、グランドルは戦士達を率いている1人の戦士長を見据えて隻眼を怒らせた。


「ヴィンフリンド、貴様あ~」

「グランドル前族長、あんたは失敗した、失敗した者は去るのが習わしだ」

「……去るか否かはわしが決める、貴様ごとき若輩者に左右されるいわれは無いわ!」


 吼えるグランドルからざっと足音を立てて後ずさる戦士達を余所に、ヴィンフリンドと呼ばれた若い戦士長は肩をすくめて余裕たっぷりに答えた。


「そんな時間はないのだ、辺境護民官は直ぐそこのフレーディアにいる。使者の口上は聞かせて貰ったぞ、握りつぶせるとでも思っていたのか?」

「降伏するにせよ一戦交えてからで無くては意味が無い、我らの手強さを思い知らせなくては有利な条件は望めぬ……奴らは全面降伏を求めてきたのだぞ!」


 グランドルは油断無く剣を構え直しながらも苦虫をかみ潰したような顔で答えた。 


「それが無謀だというのが何故分からないのだ?彼の辺境護民官は女子供一切構わずハレミア人40万を焼き尽くしたのだぞ……しかし降伏する者には非常に寛大だ。反抗していたフリードの貴族達も皆降伏し、所領や勢力を保証されている、同盟参加の呼びかけを無視していたセデニアとポッシアの遺民達も援助を受け、それぞれの土地や新しい街を創っていると聞く、周辺の部族達も全て使者を送っている」

「……誇りは命に代えられん」


 諭すようなヴィンフリンドの言葉にも耳を貸さず、グランドルはそう言って剣を突きつけた。


「我らクリフォナムの、フリンクの誇りを忘れたかっ!」

「……誇りはある、しかし族民達の命や生活もあるのだ。誇りは我らの生活を守るためのもの、その生活を蔑ろにしてまで守る誇りでは意味が無い。皆の意見を聞いてくれ」

「ふん、それのどこが誇りなのだ?その様な見識の者共と話す言葉は最早無い、真の誇りとは何か教えてやろうっ!かかって来るが良いっ!」


 グランドルの叫びにも似た声に、ヴィンフリンドに額にうっすらと青筋が浮かんだ。

 辺境護民官とシレンティウム同盟の日の出の勢いが何故分からないのだ?

 かつては傍若無人に暴れていたフリンクの族民達も、長い平和な時代で気質が変り、もはや積極的に争いを望むことはない。

 そして部族一丸となって敵に当っていたフリンク族はもういない。

 ここで統一見解を出し、シレンティウムに従わなければ恐らく有力貴族達は離反してしまうだろう。


 時代は変わったのである。


 ダンフォードを匿うという決定にも相当数の有力者や族民達が反対したにも関わらず、グランドルは血縁を重視してこれを受け入れた。

 ハレミア人との連絡然り、ダンフォードへの戦士の貸与然りである。

 そうした挙げ句の果てに現われたのは、降伏を勧める辺境護民官からの使者であったのだ。

 もうグランドルに任せてはおけない。


「石頭め……お前ら下がれ、俺がやる」


 しゅらりと長剣を抜き放ったヴィンフリンドが躊躇する戦士達を下がらせて前へと出る。

一呼吸置いた後、バネがはじけるような勢いで2人の戦士が激突した。

 ごっと重い音と共に剣が火花と共に衝突し、そのまま鍔迫り合いとなるグランドルとヴィンフリンド。

 お互い歯を食いしばり、腕と太腿、背中の筋肉を盛り上げて剣を擦り合わせる。

 ばっと同時に後方へ飛び退いた後、再び剣が噛み合う。


 真正面から力の限り剣を1合、2合、3合と打ち合わせる2人。

 その度に火花と鋭い音が響いた。

 そして4合目、激しく打ち合わされた剣がそれぞれの手元へと引かれるその時、ヴィンフリンドの剣が跳ね上がったのだ。


 グランドルの隻眼の死角から差し入れられたヴィンフリンドの剣は、さくっと軽くグランドルの喉元へ吸い込まれた。


「ぐむっ!」


 グランドルがうめき声と共に大剣を取り落とした。

 すっと引かれた喉から血がにじみ出し、膝を突いたグランドルの衣服を染めてゆく。


「……かつて豪腕剣士と呼ばれた貴方も歳には勝てなかったようだな」


 切っ先だけが血に濡れた剣を手に、ヴィンフリンドが痛ましそうにうずくまるグランドルの姿を見つめた。

 やがて血が床中に広がり、力なく倒れ伏したグランドルを見て取ったヴィンフリンドがゆっくりと剣を収め、周囲で固唾を呑んで戦いの全てを見守っていた戦士達に指示を出す。


「丁重に運べ、前族長としての礼を忘れるな」


 仰向けにされ、手厚く毛織物の敷布に包まれたグランドルの顔は、どこか満足げである。


「すまないな、親父……」


 ヴィンフリンドは静かな顔で運ばれてゆく、父親であり前族長であるグランドルを見送った後、眦をつり上げて号令を下した。


「シャルローテを捕らえるぞ!抵抗するようならば殺して良い」


まだ辛い仕事が残っている。

 今度は従妹を捕らえ、シレンティウムへ差し出さなければならないのだ。






 フリンク族の城邑・ハランド、族長館

 


早くも寒くなり始めているハランドは、南からやって来た精強な軍を迎え、静まりかえった。

 第21軍団を率いてハランド郊外へと進駐したハルは包囲こそしなかったものの、兵営を築いて正門前の街道を封鎖し、無言の圧力を加えた。

 3日程経ってようやく新族長であるヴィンフリンドからの使者がやって来て、街道封鎖の解除と降伏交渉をしたいという内容の口上を述べる。


 ハルはこれに応じることとし、レイルケン十人隊の北方軍団兵10名を護衛として引き連れ、フリンク族の族長館へと入ったのだった。

 正面には新たにフリンク族長へ就任したヴィンフリンドが座り、その左右には主立ったフリンク族の戦士長達が居る。

 ハルはいずれも背の高いレイルケン達を少し下がらせ、族長席に座るヴィンフリンドへと近づいた。


「辺境護民官ハル・アキルシウスです」

「族長のヴィンフリンドだ……今回の敵対行為についてはフリンク族の総意ではない」

「それはどういう意味ですか?」


 訝るハルを余所に、ヴィンフリンドは顔を歪める。


「言葉の通りだ、我々はシレンティウムに反抗する意思は持たない」

「意思がないのに反抗したとでも言うんですか?それはおかしい。使者が既にあなた方の宣戦布告ともとれる前族長の言葉を持ち帰っている。前族長を出して頂きたい」


 厳しく追及するハルに、ヴィンフリンドは一旦唇をかみしめ、それから絞り出すように言葉を発した。


「……親父は……死んだ」

「え?」

「シレンティウムに抗う意思は無い事を示す為に、敵対行動をとった父である族長を討った。ダンフォードの妹も、抵抗したので殺した」

「なるほど……」


 衝撃で絶句するハルの顔を不満の意思表示と感じたヴィンフリンドが言葉を足す。


「足らないのか?ではこれも引き渡す」


 ヴィンフリンドが配下の戦士長に持って来させたのは、アルスハレアが奪われていた大神官杖であった。


「これはなんですか?」


 一見すると古くさい大きな杖でしかないそれを手渡されて戸惑うハルに、ヴィンフリンドが口角を歪めて言う。


「……大神官杖だ、あんたの嫁が必要としているだろ?」

「ああ、これが……あなるほど」


 ハルの思いの外薄い反応に、表情は変えずに焦るヴィンフリンド。

 これはまずい。

 冷や汗を額ににじませたヴィンフリンドの内心を知るや知らずや、ハルは徐に口を開いた。


「私たちが求めるのは、セデニア族とポッシア族に対する謝罪と賠償です」

「なに?」


 思いがけない要求に、間抜けな顔で聞き返すヴィンフリンドへ、ハルが言葉を継いだ。

 ヴィンフリンドとしては、てっきりもっと苛烈な要求をされると思っていたのである。


「言うまでもないことですが、そちらが協力してダンフォード王子がハレミア人を引き込んだことは分かっています。その野人共の被害に遭ったセデニア族とポッシア族に対する謝罪と復興支援……具体的には食糧、衣服、家畜、生活用品、労働力の提供を命じます」

「命じる?我々は……」


 まだ我々は降伏したわけではない。

 命じるという言葉に反発を覚えて言い返そうとしたヴィンフリンドであったが、続いて発せられたハルの言葉に絶句する。


「では、滅びますか?」

「ぐっ……」


 ハランドを半ば包囲している北方軍団兵の威容を思い出し、再び額に汗をにじませるヴィンフリンドを余所に、ハルはそれまでとは異なり、強く怒りの籠った口調で言った。


「我々を滅ぼそうとする者に手を貸し、兵を与え、あまつさえ同族であるはずの2部族を破滅の縁に追いやっておきながら、この程度の懲罰で済ますといっているんですよ?これを受けられないというのであれば我々はあなた方の降伏に意義を見いだせません」

「しかし、我々がやったわけでは……」


 このように甘い辺境護民官であれば、交渉次第で負担を減らせるかもしれないと高を括ったヴィンフリンドは、責任回避を試みる。

 自分達の仕業で無い事を主張すれば、みだりに要求をしては来ないだろう。

 それに実際問題として武勇や勇気、戦士の数についてはともかく、経済的なことで言えばフリンク族は貧しい。

 痩せた土地に粗放的な農業、収穫出来る小麦の質も良くはない。

 自分達が食ってゆくだけで精一杯であるのに、壊滅しかけた2部族への援助など思いもよらないことである。

 何とか負担を回避しようと言い訳を試みるヴィンフリンドであったが、ハルは容赦なく言い放った。


「反論の余地はありませんね、受けるか、それとも滅ぶか、何れかを選んで貰います」


 ぎっと鋭く睨み付けられ、ヴィンフリンドは渋々要求に応じることとした。


「……分かった」

「具体的な内容については追って通達します、それまでに財貨や提供物資を揃えておいて下さい」


 そう言い置いて立ち去ろうとしたハルに、ヴィンフリンドが声を掛けた。


「待ってくれ、俺たちを……フリンク族をどう処遇するつもりだ?」

「それも追って通知しますが、きっちりとした対応をするのであれば滅ぼすことはしません、シレンティウム同盟に参加をしますか?」


 唇をかみしめるヴィンフリンドだが、ここは耐えねばならないと思い直す。

 でなければ父親と従弟達を討ってまでシレンティウムに媚びを売った意味がなくなる。


「……元よりそのつもりだ」


 ハルの言葉に不承不承答えるヴィンフリンドだった。







 フリンク族降伏から3週間後、フレーディア城



 宮宰執務室に置かれた大机に、北方平定事業を進めてきた面々が勢揃いした。

 辺境護民官である、ハルを筆頭に、アダマンティウス、ベリウス、クイントゥス、タルペイウスが上席に腰掛け、それと対面するようにクリフォナムの北部諸族の主立った者達が着席している。


 その顔ぶれは

フリンク族族長   ヴィンフリンド

フレイド族族長 ルドウス

サルフ族族長    レーデンス

サウラ族族長    バルシーグ

セデニア族族長代理 ディートリンテ

ポッシア族族長代理 トルデリーテ

カドニア族族長   モールド

ロールフルト族族長 ヒエタガンナス

クオフルト族族長  ジェバリエン

スフェルト族族長  ヤルヴィフト

の10名で、小部族や支族を含めてはいないが、北部諸族の内でも最有力となる部族の代表者達である。


 サルフ族は内紛の結果、第23軍団率いるベリウスに軍事的な後押しを受けた前々族長の一派であるレーデンスが族長に就任した。

 フリンク族の族長代行となったヴィンフリンドは父親であるグランドルを排し、シャルローテの首と共に大神官杖をハルへ差し出し降伏した。

 ポッシア族とセデニア族は戦死した族長の娘達がそれぞれ族長代理を務める事となり、シレンティウムの傘下に入り、その後援を受けて再建が進んでいる。


 一度はダンフォードとシルーハに破れこそしたものの、その直前のハレミア人との戦いやエレール川流域平定戦争の結果が広まるにつれ、シレンティウム同盟に対するクリフォナムの族民達の評価も変わったのだ。

 そもそもダンフォードはフリード族以外の部族を圧す考えを持っている事は知られていたし、ハレミア人を引き込んで2つの部族を壊滅寸前に追い込んだことが次第に明らかになるにつれて信用を失い、シルーハはそもそも北方辺境にとっては異物である。


 それまで呼びかけを黙殺していたフレイド族、サウラ族、カドニア族、ロールフルト族、クオフルト族、スフェルト族も同盟への参加を相次いで表明したのだ。 

 そしてこの度フリンク族が降伏したことで、北部諸族はほぼ全てがシレンティウム同盟への参加を決めたことになる。

 今日はシレンティウム同盟への参加条件やその項目内容を確認させると共に、参加条件を申し渡すことになっているのだ。


 ハルがシレンティウム同盟の要綱を読み上げると、あちこちから驚きの声が上がった。


「本当にその様な条件で良いのかの?余りにも我等に都合が良すぎる条件なのじゃが……」


 シレンティウム同盟の概況を説明された族長達を代表して、最年長であるロールフルト族の族長、ヒエタガンナスがそう言いながら首を捻った。

 半信半疑といったところであろうか。

 以前からハルの寛大な施政は各地に届いている。

 北部諸族もシレンティウム同盟への参加こそ見送ったものの、その動向には以前より注目していたし、族民達が商売や出稼ぎに出ることで情報を自然と持ち帰ってくることもあって、その内容が真実である事も確認が取れてはいた。


 しかし、改めて直接では無いにせよ一度は敵対した、あるいは疎遠であったはずの自分達にさえその寛大さを示され、戸惑いを隠しきれなかったのである。


「もちろん、後発の同盟者となる皆さんは、第1同盟者である部族より待遇は若干よくありません、しかしながら、基本的な条件で差別することはしないつもりです」


ハルの言葉に、再び唸る族長達。

 そして一番驚いているのはヴィンフリンドであった。

 課されたのは結局ポッシアとセデニアに対する復興支援だけである。


「親父は本当に時勢を見誤っていたのだな……」


 ぽつりと漏らし、天を仰ぐヴィンフリンドの目には光るものがあった。





 基本的な自治は保障され、文化的な支援策が用意されているシレンティウム同盟。

 規模はさておき、ほんの少し前まで自分達の住み暮す村邑と建築物や街区に大差なかったフレーディアの変貌振りを目の当たりにした族長達は、シレンティウムの持つ文明力に圧倒されていたこともあって、次第に会議はハル主導へと進んでいった。

 ましてやフレーディアへ来る途中、コロニア・ポンティスの大架橋を目にしてもいる。


「ハレミア人の脅威は当面去ったことですし、これからは文化振興や経済支援に傾注出来ると思います」


 ハルの発したこの言葉に、まずロールフルト族長のヒエタガンナスが首肯しつつ応える。


「うむ、シレンティウム軍の義侠心はしかと確かめておる、我が部族はシレンティウム同盟への参加を正式に申し込むとしよう」


 この発言を皮切りに次々と参加を申し込む族長達。

 見目麗しきポッシアとセデニアの族長代理達は既に参加表明しており、これでクリフォナムの主要部族は全てシレンティウム同盟に参加する事となった。

 これで東方の数部族を除いたクリフォナムの大半がハルの傘下に入ったのである。




 一方フリード族の反シレンティウム派貴族達は、ハルによる思いの外厳しい処置に参っていた。

 当初は降伏すれば許されると考えていた貴族達は、ハルを侮り勢力圏の維持を条件とした降伏交渉をしようとしたがハルはそれを一切認めず、反シレンティウム派であったフリード貴族は全員フレーディアへ移住させることとし、その影響力を領地と族民から切り離した。

 そして当代の者を全て隠居させ、ダンフォードによって殺し尽くされてしまった宮廷官の代りとして貴族の子弟や次代の者を使う事にしたのだ。


 更にシレンティウム派の貴族がこれを統括することとなるため、反シレンティウム派の貴族達は宮廷官として一族を出仕させることで辛うじて命脈を保つはめになったのである。


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