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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第4章 西方帝国内乱
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第1話 フレーディア奪回戦争

 シレンティウム軍出陣


初夏の陽射しが盆地に位置するシレンティウムの気温を上げる。

 青々とした広葉樹の葉が生い茂り、街路樹に使われている木々も勢い良く枝葉を天に向って伸ばしていた。

アクエリウスが温度を下げ、供給量を増やしたシレンティウムの水は一層勢い良く街路に沿って設置された水道を流れ、各家庭の取水口となっている部分で小さな滝となり、こじんまりとした虹を架けながら水を渋きと共に落す。


 木々の造る日陰が街路を覆い、あちこちにある人工の滝や落下点から霧状の水が程良く撒かれている為、気温程も暑さを感じないシレンティウム市街。

 その大通り。

 身に着けた鎧を木漏れ日できらきらと反射させながら、シレンティウムの精鋭達が行進して行く。

 5日分の食糧が入った背嚢と食器に水、加えて剣や槍と共に大盾を革製のカバーに包んで背負い、沿道に集まったシレンティウム市民達に手を振りながら北門より出発する北方軍団兵達。

 更には重兵器をロバに曳かせている重兵器兵が続いた。


 そしてその後方には食糧や武具を満載した荷車の列を率いるタルペイウスの姿がある。

 古くさい西方帝国製の鎧兜を装備し、短い剣を腰に差しているタルペイウスは、護衛役の技師達とともに輜重部隊を率いて今回の作戦に加わるのだ。

 積載しているのは消耗品の矢に手投げ矢、重兵器の矢玉にシレンティウムで今年生産されたばかりの大麦や黒麦と言った食料と馬糧である。


「折角作った麦を直ぐに使っちまうのは勿体ないが、まあしかたねえなあ……」

「ははは……まあ余ることは無いでしょうから」

「違いない」


 今回部隊規模に比べて遥かに多い食糧を用意したのは、籠城戦になる可能性を想定したことと、フレーディア近郊の難民に対する支援である。

 親西方帝国派と思われたフレーディアの族民達が、ダンフォードの圧迫を逃れてフレーディアから少し離れた場所で難民として集まっているのだ。

 既に楓が陰者を率いて情報収集を兼ねて協力依頼を取り付けているものの、ハルは加えて食糧支援を実施してシレンティウムの態度を示そうと考えたのである。







 フレーディア近郊、避難民の集落



「……結構フレーディア市民の不満は溜まってるって事?」

「はい、強圧的な方針を打ち出し、西方帝国寄りの施策をことごとく否定致しております。薬事医院を破壊されたことで罹患者や傷病者が不満をため、施策に迎合的だったと商人や有力者が次々と監禁されたのみならず、学習所が閉鎖されたことで子供にまで怨嗟の声が及んでおります」


 楓の質問に陰者の1人が答える。

 ハルからフレーディアの偵察を頼まれた楓達は、自分達の風貌が北方辺境では目立つことを考慮して完全な隠密行動での情報収集を心掛けることにした。

 人と会わず、人に見つからず、情報は専ら陰からの盗み聞きに拠ったのである。

 夜の城壁を突破し、出来たばかりの下水道を通り、あるいは運ばれる荷に紛れてフレーディアへ潜入した楓達は、1両日飲まず食わずでひたすら情報を集めた。


 そして夜、一旦城外へ出た楓達は避難民集落で落ち合ったのである。

 避難民達はハレミア人と行動を共にしていたフリード王子の顔を見知っており、楓達が依頼するまでもなく積極的にフレーディアの情報を提供してくれたのである。

 フレーディアから行われていた避難民の支援がダンフォードの入城と共に打ち切られたのは言うまでも無いが、加えてシレンティウムから提供されていた物資もダンフォードは戦時徴発と称して取り上げてしまったのである。


「街の協力者はどうかな?無事?」

「今のところは、でありますが……地下牢に押し込められております。いずれ折りを見て全員殺す腹積もりではないかと」

「どうしようか?」

「ダンフォード派はまだ晴義様がここに向かっていることを知らない様子です。恐らく大軍を率いてきた晴義様を見て腰を抜かすのが関の山かと思いますが」


 陰者の1人が言うと、周囲にさざ波のような笑いの雰囲気が広がる。

 ダンフォードの稚拙振りは街の評判を聞くまでも無く、あちこちで行われている子供じみた西方帝国排除の動きで十分以上に分かった。


「でもさあ~なんかひっかかるんだよ。あんな間抜け王子の割に作戦自体は怖ろしく嵌まっていたからさ~」


 しかし、楓は納得がいかないのか陰者達の嘲笑にも似た笑みがダンフォードへ向けられているにも関わらず、そう言って腕を組んだ。

 鮮やかとも言うべき、作戦。

 巧みに人の心理の裏を掻き、油断を誘い、一気に事を進めてしまったダンフォード。

 今までの彼の児戯にも等しい行動や作戦、謀略を知れば知る程、フレーディアへシルーハと連携して攻め寄せてきた時のダンフォードの行動は優秀すぎて不可解である。

 ましてや今フレーディアで進めている政策を見れば、その本質が何ら変わっていないことは十分推察出来た。


「確かに、誰ぞ有能な参謀でも就いたのかもしれませんな……」


 別の陰者が思案した後にそうつぶやくようにい言うと、楓は意を決した。


「よしっ、ボクが直接王城へ忍び込んでみるよ!」


 これは何がどうなっているのかその原因を突き止めなければいけない。

 陰者が言うとおり参謀が就いたというのであれば、その参謀の能力や人となりを見極めておきたかった。


「……お供仕ります」

「私も……」


 陰者の中でもとびきりの手練れ2人が楓へ同行を申し出る。


「うん、よろしくね!」






 フレーディア城、王の間



 楓と2人の陰者はかつてベルガンが差配していた時にタルペイウスが敷設した下水道を通ってフレーディア城下町へ入り込むと、そのまま夜陰に紛れて本城へと向かった。

 フリードの戦士達は有能ではあるが、フリード族そのものが陰働きや間諜に重きを置いていないこともあって、間諜に忍び込まれるということについて警戒をしている様子は見受けられない。

 どちらかというと市民、今は族民であるが、フレーディアの城下町に住む住人達の蜂起や動静を警戒しての警備が行われていた。


 その為楓達は誰何を受けることも無く、フレーディア城へと入り込むことが出来た。


 フレーディア城は閑散としていた。

 宮廷官や下働きをしていた者達が殺されてしまい、辛うじて逃げ出せた者も戻ってはいない。

 その後、ダンフォードは城で働く者を雇っていないので、人気が殆ど無いのである。

人の居ない空き部屋やバルコニーを伝い、王の間へと近づく楓達。

 途中、高位者の者と思われる部屋もあったが、しばらく様子をうかがっていたところ、フリードの戦士長とフリンクの戦士長が戻ってきた。


 他の戦士達は全員が兵舎で寝泊まりをしており、参謀の地位にいるような者は見当たらなかったのである。

 楓はダンフォードの様子を探れば、参謀の有無について分かるかもしれないと考え、王の間へと向かっていた。

 王の間の裏側、普段は護衛戦士が詰めている場所が空いているのを確認し、楓達はその場所から王の間の各所へと潜んだ。

 しばらくすると扉が開く音がし、若い男、ダンフォードが少し甲高い声で話しながら王の間へと入ってきた。

 話し声は途切れずに聞こえてくる。

 楓が見ると、ダンフォードは護衛戦士も付けず黒いフードを被った大柄な男1人を従えているのみだった。


「……ではどうすれば良い?」

『簡単なことである。西方帝国の重装歩兵は機動力に欠ける、歩兵と騎兵を引きはがし、遠射で追い込めば良いのである。フィン人の軽装騎兵やシルーハの軽弓騎兵に対して帝国軍団兵は為す術がない。また重装騎兵の突撃にも弱い、槍を装備しておらぬ故にな。西方諸国の密集方陣であれば騎兵に対処する方法もあるが、歩兵は騎兵に勝てぬのである』

「しかし、フリードには無い兵科だぞ?」

『雇えば良かろう。フィン人は遊牧の民であるが交易の民でもある。シレンティウムに溜め込まれた財貨を対価に雇えば良いのである』

「なるほど……戦士を雇うか、自由戦士を雇用するのと同じだな。ただ異民族になるだけか……よい案だな」


 楓と陰者はその光景に薄ら寒いものを感じながら聞き耳を立てる。

 ダンフォードの言葉は読唇術である程度声が聞こえなくとも知る事が出来たが、話し相手になっている黒フードの男はすっぽりと顔がフードで覆われていて分からない。

 普通であれば顔の下半分くらいは見えそうな物であるが、その動きも何やらおかしい。

 禍々しく怨嗟に充ち満ちている黒フードの男の声色であるが、楓はその声に聞き覚えがあるような気がして細く奇麗な眉をひそめる。


『ここならば誰も来るまい。落ち着いて講義も出来ぬのである』

「分かった分かった」


 ダンフォードが黒フードの声に呆れつつも許可をだすと、黒フードの男は自らのフードを取り去った。


『うむ、顔が見えぬでは味気ないのでな』

「……俺は貴様の怖ろしげな顔などみたくは無いがなアルトリウス」


 黒いしゃれこうべを前にしたダンフォードが言うと、黒いアルトリウスは揶揄するような声色で答えた。


『まあそういうな、我とて好きでこの姿形になったわけでは無い、お主の父親のアルフォードが我の首を刎ねてこの地にまで持ち帰ったのだからだぞ?』

「それは知っているが……」

『うははは、お主も最初は恐ろしくて腰を抜かしておったから無理も無い。あの時ようやく我の封印が弱まったのだ、故に我の復讐も成せるというものである!』


 笑声と共に愉快そうな声色が王の間に響いた。






「ええっ!?アルトリウスさんなのっ?どうして?」


 楓の目は驚愕に見開かれた。

 しかし驚きつつも様子をうかがっていると、黒い髑髏首の男は楓の知るアルトリウスらしくない。

 一々言葉が恨みがましく、また快活さが全くないのだ。

 あるのはひたすら恨みと呪いの意思だけ。


「……偽物かな?」

『偽物では無いぞ、娘』


 思わず漏らした楓の声に被さるように不気味な声が王の間に響き渡る。


「どうしたアルトリウス?」


 驚いて声を掛けるダンフォードを余所に、アルトリウスは姿を隠している楓に向かって話し続ける。


『いずこの手の者か知らぬであるが、我は災厄の首こと、ガイウス・アルトリウスの歴とした首であるぞ?偽物とは心外である』


 驚愕と恐怖でガクガク震える楓であったが、しっと舌を小さく鳴らして引き上げの合図を陰者へと送ると、自身もすっと部屋の外へと逃れ出た。


「どうしたって言うんだ?」


 未だに何が起こっているのか理解出来ていない様子で再度アルトリウスに尋ねるダンフォード。

 黒のアルトリウスは呆れを含んだ声色で答える。


『お主もつくづく鈍いな、間者が紛れ込んでおったぞ』

「なっ、何っ!?」

『そこである、ほれ』

 

 素早く身を翻す楓であったがしかし、黒いアルトリウスが見逃すはずも無い。


『ぬるいわ小娘!』

「あっ?」


 楓が驚く間もなく、その身体に黒い煙が絡み付いてきた。


「くうっ」


 焼けるような痛みととともに、楓の脚が黒い煙に覆われる。


『ふはははははっ、群島嶼の小娘か?』

「姫様!」

「……ちっ」


 陰者2人が潜んでいた物陰から黒いアルトリウスに襲いかかった。


「死ね!」

「……獲ったっ」

『ふはははははっ群島嶼の間諜か!面白いっ』


 ダンフォードと自分を狙った陰者を見て哄笑すると、黒いアルトリウスはダンフォードの襟髪を掴んでぽいっと投げ捨てた。


「なっ?」


 投げられたダンフォードよりも狙っていた陰者が呆気に取られる。

 しかしその隙が致命的だった。


『間諜が随分余裕であるな?』

「ぬわああああっ」


 首を掴まれ瞬時に干涸らびて砂と化してゆく陰者。

 それを見ていたもう1人の陰者が矢継ぎ早に短刀と短針を投げ放ちながら叫んだ。


「姫様お逃げ下さい!」

『ふんっ』


 腰の剣を抜きながら投げられた物を打ち払う黒いアルトリウスに、陰者が向き合った。


「……ごめんっ!」


 アルトリウスが戦いに集中し始めたせいか、黒い煙は既に解かれている。

 楓はそれだけ言うと踵を返した。

 煙を出すべく手を差し伸べた黒いアルトリウスの手に、陰者が短針を放った。

 慌てて手を引っ込める黒いアルトリウス。

 その隙を縫って楓は逃げ去ってしまった。

 感知範囲から逃れたことを感じ取った黒いアルトリウスが陰者に言葉をかける。


『いや、天晴れ……この身体は修復がきかんのでな、大事に扱わねばならんのだ』

「……死霊か?」

『くはははは、如何にも。ではどうするか?』

「……身体を滅して差し上げよう」

『出来るかな?』 


 その言葉が終わった瞬間、陰者は短針を3発放ちながら姿を消した。


『おお!見事!……しかし並の剣士ならば討ち取れようが、我には効かんな』


 自分の背後を薙ぎ払ったアルトリウスは、素早く短針をはじき返す。

 

「ぐわあ?」


 虚空から現れてどっと倒れ伏す陰者には、横一線の刀傷と短針が3本刺さっていた。


『ふむ、なかなかの手練れよ』

「お、おい?」

『何だ、まだおったのであるか?さっさと応援を読んだ方が良いぞ』


 

 アルトリウスの言葉で、隠れていたダンフォードはようやく慌てて王の間を出た。

 戦士達を呼びに行ったのだろうが、つくづく愚かしいと思いつつアルトリウスは剣をしまう。


『ううむ、人選を誤ったか?しかし他に適任者はおらぬし……復讐を果たすのも容易ではないな』


 黒い煙を吐き出してため息をつく黒いアルトリウスはそう言ってからフードを被ると、ダンフォードの後を追うのだった。


 




 翌日、シレンティウム軍兵営



「……そうか、先任が」


 ボロボロになった楓からその情報を聞いた、ハルは楓の肩を軽く押さえて優しく言った。


「大変だったな、よく休め」

「ハル兄……」


 フレーディア城から逃れ、追っ手の攻撃を振り切った楓は夜を徹して馬を飛ばし、兵営に戻ったのである。

 陰者達はそれぞれフレーディア城の近辺に隠れ潜み、シレンティウム軍の進軍時まで各々の場所で情報収集に当たることになっている。







「堂々と正面切って進軍します。先任相手に小細工は通用しません。幸い相手のダンフォード軍は5000から6000程、対する私たちは5万もの兵を要していますから、フレーディアを包囲してしまいましょう。包囲さえなれば後は相手の出方次第、我々は圧倒的優位に立てます」


 楓を医務所に見舞った後、ハルは兵営中央部の兵営本部へ戻るなりそう告げた。

 楓からの報告は包囲網を視察していたハルを除いて既に全員が聞いている。


「いかにも。アルトリウス殿とは言え何の準備もなしに包囲されては為す術はあるまい」


 アダマンティウスがハルの意見を後押しした。


「部族戦士の皆さんは大丈夫ですか?」


 今回農繁期である事もあり、各部族は3000程度の従軍に留まっているが、ハルの言葉に、フリード族シレンティウム派でベルガンの伯父に当たるダンケル、アルペシオ族の族長ガッティ、ベレフェス族のランデルエスが頷く。 


「フリード族は問題ない、全員が戦士です」

「わしらも問題は無い」

「ベレフェスの戦士は退かない……」


 ハルは族長達に従軍意思を確かめると、全員がフレーディア攻城戦に加わる意思を明らかにする。


「では明日、フレーディアに向かって進軍します」


 静かに、しかし力強くハルが宣言すると全員が無言で頷いた。







 3日後、フレーディア城



「ダンフォード様!帝国の野郎どもが攻めてきましたぜ!」

「な、なにっ!?」


 城門警備を行っていた戦士からの注進でシレンティウム軍の来襲をようやく知ったダンフォード。

 慌てて城の塔から外を見てダンフォードは絶句した。

 フレーディアをみっしりと隙間無く囲みにかかる5万の大軍を遠望して気が遠くなりかける。

 早くも重兵器での攻撃が行われているようで、外郭である城下町の城壁に激しい攻撃が加えられていた。

 そのくずおれそうなダンフォードの精神を引き戻す声が発せられる。


『お主、まさか定期的に斥候を放っておらんかったのか?あれほど情報をぬかりなく集めて置けと言っておいたのに……この前敵の間諜が入り込んだではないか!』

「ううっ……くそっこうなると貴様は言っていなかったぞ?」

『何を言う、独断で他部族の戦士を帰してしまったのはお主であろう』


 ダンフォードが言い訳じみた叫び声を上げると、黒いアルトリウスは呆れたように言葉を返した。


「ううっ」


 黒いアルトリウスは間諜の指揮や要請、シルーハとの連絡に周辺部族の平定とひっきりなしにかり出されており、余裕が無いので最低限の施策をダンフォードに授けていたのだった。

 しかしそれは実施されていなかったらしい。

 そればかりかフリンク族やフレイド族と言った協力部族の戦士長達が、報酬の支払いと軍役の解除を願い出たのを黒いアルトリウス不在の間に許可してしまった。


 ハレミア人の侵入という無理からぬ理由があったにせよ、黒いアルトリウスはダンフォードが直接対応してハレミア人を追い払い、部族戦士団は握り続けるよう言ってあったのだ。

 自分がハレミア人との戦いの矢面に立つのを嫌がり、変な所で格好を付けようとしたダンフォードが実施したのだがこれで戦力はがた落ち。

 今現在フレーディアにいるのはダンフォード派のフリード戦士、といっても無頼崩れやならず者ばかりの約5000だけである。


『そう言う問題では無い、敵の出方や戦力を知り情報を集めるのは戦の基本ぞ。これを見る限り敵は4万から5万、我らは僅か5000余り。こう隙間無く囲まれてしまうと容易には打ち破れぬぞ?』

「なっ?せ、責任を取ってくれっ」

『我はベルガン一派との戦いからこの前戻ったばかりぞ?……責任とはここに居らんかった我が取らねばならんものか?』


 思いがけないダンフォードの台詞に黒いアルトリウスが驚きの声を出す。


「そうだっ!あんたの言うとおりすれば勝てると言うから、乗ったんだ。勝てないんだったらあんたが責任を取れっ」

『……何と、我の言うとおりになぞ少しもしておらぬくせに、よくその様な余迷い事を言うものであるな。街の住民を慰撫したか?なるべく人死にを出さぬようにしたか?宮廷官や敵の戦士を無闇に処刑せずに取り込んだか?斥候や間諜をシレンティウムやその周辺に配したか?どうであるか?協力部族の戦士を帰さず上手く握り続けたか?』


 次いで出たダンフォードの言葉に対しては遠慮無く叱責するような響きが籠る。

 いずれも黒いアルトリウスが助言としてダンフォードへ与えた言葉だったが、ダンフォードは何一つとして守っていない。

 むしろやったのは全て正反対の施策である。

 痛いところを突かれたダンフォードが叫んだ。


「うるさいっ俺の勝手だ!どうするんだ!さあ言えっ」

『ダンフォードよ……名誉ある死も時には選ぶ必要があるぞ』

「ふざけるな、出来ないんだったら俺は逃げる!」

『……はあ』


 数回にわたって凄まじい音が鳴り響き振動が建物を揺らす。

 石屑がパラパラと天井より落ちてきたのを感じて、ダンフォードが短い悲鳴を上げて首を竦める。

 長射程の重兵器によって発射された石弾が着弾したのだろう。


「次はどうするんだ!」


 恐怖で金切り声を上げるダンフォード。

 ダンフォードの無茶苦茶な主張と論理にすっかり反論するのを諦めたのか、一瞬沈黙した黒いアルトリウスは、ダンフォードが身体を揺さぶったことでようやく渋々といった風情の声を響かせた。


『どうもこうも無いわ。城に籠って戦う他無かろう』

「そして討ち死にか?ふざけるな!」

『ふざけてはおらん……よもや周辺部族への伝令を忘れてはおるまいな?』

「むぐう」


 ダンフォードの沈黙で黒いアルトリウスは、この馬鹿王子がフレーディア奪還後に何の手も打っていないことを知った。

 散々助言をしてやったというにもかかわらず、である。


『まさかお主、フレーディア奪還とシレンティウム敗北の報を周辺部族に知らしめて味方に誘っておらんのか?』

「お、王には自然と人が集まってくるものだっ」

『おいおい……よもやこれ程愚かだとはな。お主の父でさえ宣伝慰撫工作は積極的に行っていたというのに、呆れたものだ。それでよく王になど……』


 再びの振動と轟音に黒いアルトリウスの声が途切れ、ダンフォードが悲鳴を上げる。

 そして更に恐怖で顔を歪めた。


『大将がそれでは戦士どもはついてこないのであるぞ?そもそも……』

「うるさい!終わったことはイイから、さっさとどうすれば良いか言えっ!!」


 黒いアルトリウスの説教臭漂う言葉を遮り、ダンフォードが再び絶叫した。

 反論するのを止め、言葉を紡ぐ黒いアルトリウス。


『……逃げるというのならそれも良かろうが、些か仕込みが必要である、少しばかり敵を悩ませねばならん』

「どこへ逃げるって言うんだ!」

『南のシルーハが良かろう、我がデルンフォードの名前で連絡を取ってもいる』


 黒いアルトリウスの言葉に、ダンフォードはしばらく考えた後に回答する。


「……帝国はどうだ?」

『お主にとってはそれもよいかもしれんな。帝国の貴族どもであればお主の使い方を色々考えるであろう。しかし道行きは全て敵、おまけに関所がある。遠くともシルーハへの行程の方が敵を避けられよう。第一、帝国にいくのであれば我は行かん』


 揶揄するような声色を出した黒いアルトリウスに、ダンフォードは少し沈んだ声を出した。


「……そうか」


 しかし顔は憎々しげに歪んでいる。

 確かに黒いアルトリウスの言うとおり西方帝国へはシレンティウムを通り、コロニア・メリディエトとなった北方辺境関所を通過せねばならず、また北辺大山脈の抜道は険しく戦士を率いて通れる程でも無い。

 西方帝国へ行くよりシルーハへ脱出した方が道行きは安全だ。


『いずれにせよ我の言うとおりしばらく戦え、でなければ脱出もままならん』

「分かった」


 黒いアルトリウスの言葉に頷きつつも、苦虫を噛み潰したような顔を消せないダンフォードであった。







 フレーディア市正門前


 かつて木で作られていたフレーディアの城壁は石造りの立派な物へ改修されている。

 城門は今だ木造ではあったが、要所要所に銅板が貼り付けられた頑丈な物へと交換されていた。

 ハル達はフレーディア城を包囲すると、野戦陣地を構築し攻撃に入った。

 しばらく重兵器で城壁や城門、それに主城のフレーディア城へ石弾を打ち込んでいると、突然フレーディアの正門が開いた。


 飛び出してきたのは1000余りのフリード戦士。

 そしてフリ-ド戦士は、第21軍団の正面に向かって一気に突撃を掛けてきた。

 慌てふためく第21軍団の前線を押し破り、北方軍団兵を蹴散らしたフリード戦士は、ハルが号令を掛けて軍団の混乱を収拾し始めるとさっと踵を返してフレーディアへと戻っていく。

 他の城門でも同じような攻撃が繰り出され、シレンティウム軍は一時的な混乱に陥った。





 最後の突撃直前、フレーディア正門


 フレーディア城の正門前には、ダンフォードが率いてきた5000余りの戦士が揃っていた。


『脱出するのであれば今が好機であるぞ、このまま手をこまねいていればシレンティウム軍は野戦陣地を築き上げてしまう。そうなれば脱出は不可能である』

「そうか、分かった……」

『で、どこへ行くのだ?帝国か?シルーハか?それとも東照か?』


 黒いアルトリウスのしつこい問い掛けに、ダンフォードが短い堪忍袋の緒を切った。


「シルーハへ行くが、貴様には言いたいことがある!」

『……なんと?』

「フリンク族への逃避行、ハレミア人の引き込み、フレーディア奪還、確かに貴様は役に立ったが口うるさいし、全てを俺にやらせようとするその根性が気に喰わん。しかも今回はちっとも役に立っていない!」

『そんな馬鹿な!』

「うるさい!実際今から逃げるんだろうが!!」

『それは……仕方なかろう、あくまで世を動かすのは人である。それに助言は数多くしたであろう?従わなかったのはお主ではないか』

「うるさいっ!お前がこの窮地を作ったんだ!」

『何と?』


 絶句した黒いアルトリウスを見て取り、満足そうに前を向くダンフォード。

 言い負かせたと思ったらしい。

 しかし、黒いアルトリウスはぽそぽそと愚痴っていた。


『やれやれ、アルフォードの子息というから期待したのだが、とんだ食わせ物である。やはり人選を誤った……とは言え我に他に選択は無かった故にな。次はどうするか……』

「よし、火を放て!」


 ダンフォードの指示で松明を持った戦士達がフレーディアのあちこちへ放火して回る。

 たちまち燃え広がる火に族民達は狼狽え、あちこちで叫び声や悲鳴が上がった。

 放火を阻止しようとして殴り倒される男、家から逃げ出したところで馬に跳ねられる子供連れの女、松明を取り上げようとして戦士に斬捨てられる族民の男達。

 逃げ惑う人々に燃えさかる炎が市街に溢れ、フレーディアの城下町はすさまじい勢いで炎に呑まれていった。


「ふん……行くぞ!」


 ダンフォードの命令で正門が開かれる。

 突如燃え上がったフレーディアに目を丸くしているシレンティウム軍の姿が目に入り、ダンフォードはにやりといやらしい笑みを浮かべた。


「ふふん、驚いてやがるな……突撃!」






 ダンフォードは正門を開き、苛烈な突撃を仕掛け南東へと逃げ去った。


 燃え上がるフレーディアの城下町の姿に動揺しつつも気を引き締め、また同じ突撃かと構えていたハル達だったが、5000の戦士達は一丸となって正面突破を狙い、一気に突撃して来たのである。

 今度はシレンティウム側が城門前に手厚く布陣して待ち構えていたこともあって激烈な白兵戦が展開された。

 手投げ矢の雨を浴びてフリンク戦士達が次々と倒れるが、その後方からフリード戦士が一気呵成に飛び出した。

 猛撃を大盾で受け止める北方軍団兵と、フリード戦士の間で血みどろの白兵戦が展開されるが、手堅く、そして秩序だって戦う北方軍団兵に大きな犠牲を強いられるダンフォード軍。

 そこに黒い暴風が割り込んだ。


『除けい!木っ端兵どもがっ!』


 黒フードの戦士長が長剣を振いながら、前面に出てくるとたちまち北方軍団兵の盾壁が破られる。

 他の戦士達の猛撃を受け止めることの出来た北方軍団兵達。

 しかし黒フードの戦士長は巧みに盾の隙間を狙って剣を押し込み、時には盾を突き通し、切り倒して前線突破を図ってくる。


『今ぞ!押し込め!』


 大盾を身体ごと切り下げられた北方軍団兵が倒れると、その死体を蹴り倒し黒フードの戦士長が叫ぶ。

 たちまち整然としていた戦線は混戦の場と化し、ダンフォード派の戦士達が戦列に食い込んできた。

 駆け込んできた戦士達は革袋一杯に詰められていた油を周囲にまき散らし、別の戦士が壺に満載されている焼けた石炭をまき散らす。

 第21軍団の正面で突如火炎が立ち上った。


「なっ!?」

『ふん!火を使うのは帝国人だけでは無いわ!』


 混乱した北方軍団兵の陣を次々とすり抜けていくダンフォード軍の戦士達。

 その中央にはダンフォードと思しき者が黒フードの戦士長に守られながら脱出する姿があった。


「くっそ!」


 ハルは直ぐさま弓を張って矢を番えるが、周囲の護衛戦士達が邪魔でダンフォードを狙えない。

 しかしそれでも2条の矢を放つ。

 鋭い風切り音と共にダンフォードへと迫る黒矢羽根の矢であったが、2本ともが護衛戦士の肉体に阻まれる。

更に2条の矢を射てダンフォード狙うが、1つは先程と同じように護衛戦士の頭を撃ち抜いて止まり、もう1つは黒フードの戦士長が切り払った。


『なかなか良い弓勢であるが……我を撃つにはちとぬるいである』

「くっ?」

『くはははは!ではさらばだ、辺境護民官!』


 半数以上の犠牲を出しながらも後方へと脱出するダンフォード軍。

 ハルは慌てて追撃の騎兵を出したが、いきなり初日に脱出を企てるとは思っていなかったので、対応は後手に回った。

 それにまずは燃えるフレーディアを何とかしなければならない。

 ハルはダンフォードの追撃を騎兵のみに任せ、本隊は火災の消火と市民の救助に回さざるを得なかったのである。






 火災を何とか収め、市民の救護活動を行っていたハル達。


 しばらくして追撃に出ていた騎兵が逃げ戻ってきた。

 途中、森に入ったところで不意の待ち伏せを受けたのである。

 3方向から攻撃を受け、命からがら逃げ帰ってきた戦士長の報告を受け、ハルはその作戦の要領の良さにダンフォードでは無くアルトリウスの臭いを感じ取った。


「やっぱりあの黒フードが先任か……先任相手じゃ仕方ないが、どうにもやりにくいな」

「方向から考えるに、シルーハへの脱出を計ったようです」


 ハルの独り言に呼応するように、クイントゥスが報告を追加する。

 いずれにせよ、焼かれてはしまったがフレーディアは奪還した。

 ダンフォードの脱出を許し、アルトリウスの分体の存在が明らかとなったことですっきりしない部分もあるが、取り敢えずの戦勝である。






 ハルはフレーディアへ入ると直ぐに負担を掛けた部族戦士に報償を支給し解散させた。

 ガッティとランデルエスは本拠地へ戻り、シレンティウム軍だけがしばらくの間フレーディアへ駐屯することとなったのである。

 街は火災によって酷く痛め付けられており、復興に人手が必要となったので、ハルは両耳を失ったタルペイウスをフレーディア市長代行に任じ、北方軍団兵を使ってしばらく復興に尽くすこととしたのだ。  

 ハルは直ぐに周辺部族へフレーディアの奪還を喧伝すると共に、ダンフォードへの注意喚起を行うべく伝令騎兵を派遣し、また地下牢に囚われていた人々を解放し、殺害された宮廷官や戦士達の弔いを行う。

 ハルの素早い措置によって、徐々にフレーディアは落ち着きを取り戻し、復興が進められ始めていた。


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