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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第22話 シレンティウムの日常とオスティウム造営

 シレンティウム市、西農場


 去年に引き続き、エルレイシアの手によって豊穣際が執り行なわれてから数日後。

 お祭り騒ぎもようやく下火になり、普段の生活を取り戻し始めたシレンティウム市内。

 冬小麦の収穫と共に蒔かれた牧草も既に大きく育ち、刈入れ時を迎えている。

 この刈入れが終われば直ぐに大麦の種まきだ。

 そんな種まき準備に忙しく農民が動き回っているシレンティウムの西農場の広場で、ハルはルルスや農業庁の官吏達と共に1台の機械を目の前にしていた。


「これがオランから手に入れた刈り取り機です」

「へえ……ロバに押させるんですか」


 ルルスが得意げにハルへと披露したのは、最近オラン人の地で普及し始めている刈り取り機で、その後ろには動力となるロバが繋がれていた。

 刈り取り機は前面に鋭い鉄製の歯が幾つも取り付けられた4輪の荷車であり、その刃の高さが麦の穂の下あたりに調整されている。

 そのまま人力や畜力で押すと、刃が麦の茎を刈り、穂が荷車の荷台へ落ちるという仕掛けで、今までのように人が大鎌で麦を刈り、その倒れた穂を拾い集めるより遙かに効率的に収穫が出来るのだ。


 オラン人の農民が発明したこの機械は帝国にも伝わったが、大量の人を雇って大規模な農園を営む帝国の富裕農民達には受け入れられず、普及しなかった。

 しかしルルスは小規模農家や、複数作物を栽培する農家にとって作業効率の向上になると考え、そういった農家の多いシレンティウムへこの機械を持ち込んだのである。

 見本となる機械を数台オランから購入して持ち込んだ後、スイリウスと協力して改良や工夫を重ねてこの機械が完成したのだ。


「はい、大型の物になると牛に押させる型の物もありますが、少し工夫を凝らしまして、一番取り回しやすいロバに押させる物を用意しました。ここの刃と荷台の高さを変えることが出来るように、スイリウスさんにお願いして改造してもらいました。これで生育の度合いや作物の種類に関係なく一台で使い回しが可能です」

「それで、この機械は農民に配布するんですか?」

「いえ、これは物自体が割合高価な事もありますが、欲しい方に購入して貰います。今まで通りでも刈入れに特段不自由はありませんので…ただ、官営農地を借りて商品作物を作りたい人や、農地を拡大したい人などの、農業に対して意欲のある人達に自主的に購入して貰いたいんです」


シレンティウムに入植した農民達は帝国から導入された最新式の四圃式農法を採用させられており、生産した麦類は一定量をシレンティウムが買い入れる制度になっている。

 それ以外にもルルスが導入した商品作物の栽培に使用されている圃場を借りたりするなどして商品作物栽培を行い、金銭を稼ぐことも出来るようになっており、ルルスはそうした意欲ある農民達に、より効率の良い農法を取り入れて貰おうと考えたのである。


「うーん、それだったら、麦栽培を止めさせて商品用の、例えば亜麻などの作物を農民個人に作って貰えば良いのではないですか?」

「そうですね、農民にとっては作物を自由に選定して栽培出来るのが一番良いとは思います。ただそれですと栽培作物に偏りが出てしまいます。例えばよく売れる、高く売れる物ばかりが栽培されてしまい、食糧生産が滞るといった事が起こるんです。それに私が持ち込んだ亜麻などは7年程度の休耕が必要な強い連作障害がありますので、広い範囲で農地を回転させなければ効率が良くありません。ですから原則として農民の所有する農地での商品作物栽培は認めず、商品作物栽培用の圃場を行政府が管理しつつ農民達に貸し出すことにして、商品作物の栽培に偏りが出たり商品作物栽培に食糧生産が阻害される事を防ぐための措置を取る事にしたんです」

「なるほど」


 ハルが感心しつつ畑を見ると、あちこちでオラン人の農民達が鋤を馬や牛に曳かせて農場の耕起を行っては肥料を仕込んでいる様子が見えた。

 掘り起こされた土と肥料の、湿った匂いがあちこちから届いてくる。

 ルルスは目をつぶり、その匂いを胸一杯吸い込んだ後ゆっくり息を吐き出し、口を開く。


「いずれは農民達も色々考えるようになってくると思いますから、このような方策も必要なくなるかもしれません。しかしまだシレンティウムは草創期にあり、考えられる不都合は出来るだけ取り除いて安定した食糧供給をまず第1に考えなければいけませんので、差し当たって数年間はこの方式でやっていきたいと思います」





 農業庁の官吏達が試験を行うべく刈り取り機とロバを連れて別の場所へ向かう一方、ハルとルルスは農地の中へと入る。

 そこはルルスがシレンィウムから借り受けている試験農場で、様々な植物が栽培されていた。

 ルルスがシレンティウムへ持ち込んだ主な作物は、亜麻、甜菜、蕎麦である。

 その他に野菜類や薬草類も多々持ち込み、支給されたこの研究用農地で栽培をしていた。

 今のところシレンティウムで実用化出来そうな作物は上記の3種であるが、それ以外の実用化可能な薬草は薬事院を司るアルスハレアに全て引き渡し、薬事院が現在は栽培を行っている。


 亜麻は繊維を採取して布や糸を作り、実からは油を採取している他、スイリウスの研究成果によって北方紙の原料として今後の需要が見込まれていた。

 また、砂糖原料になる甜菜は砂糖を絞ったあとの絞りかすや葉を家畜飼料とすることが出来るので、蕪と一緒に農民達にも栽培を奨励している。

 蕎麦は収量に劣るものの極めて栽培期間が短いことから、万が一の冷害や不作、飢饉の際の救荒作物としてルルスが一定量を備蓄し栽培を続けていた。


 ただ、最近は蕎麦を使った料理が一部で作られて好評を博しており、元々荒れ地でも育つ頑丈な作物である事から、痩せ地の多いコロニア・フェッルムやコロニア・メリディエトなどの山間地で栽培が多くなっている。


「いやあ、しかし亜麻にあれほどの需要が見込めるとは思っていませんでした。連作障害が強いですし、油や布に使える有用な作物ではあるんですけれども、紙になるとは……」


 ルルスは感慨深げに言いながら楕円長衣の懐から1輪の花を取り出した。

 鮮やかな青色の花が、ルルスの白い楕円長衣を背景に映える。


「……それが亜麻の花ですね?」


 ハルがおやっと言う顔をして尋ねる。

 亜麻の栽培農地はシレンティウムから少し離れた北の台地の先で、いまいある場所から見ることは出来ない。

 恐らく今頃は一面に同じ青色の花が咲き誇っていることだろう。


「そうです、こんな可憐な花を咲かす亜麻ですが、結構我が儘で……同じ場所で栽培し続けるのも一苦労です」


苦笑しつつ、ルルスはハルにその花を差し出した、亜麻の花の花言葉は感謝。


「これは私からと言うよりも、シレンティウムの農民達からの気持ちです」


 笑顔で花を差し出すルルスに、ハルは僅かに怯む。


「……それは本当でしょうね?」

「……」

「……どうして黙るんですか?」


 花を受け取りつつも、下を見て顔を赤くしているルルスから距離を取るハルであった。






シレンティウム行政区、行政庁舎1階・待合室



 行政庁舎の待合室は今日も満員。


 既にこの時点でシレンティウムの人口は20万に近づいており、煩雑さは些かも薄れていない戸籍庁であるが、陳情、要請、届出などに訪れる人が多くいるその中でも取分け多いのが転入者による戸籍申請である。


「クィンキナトゥスさん、クィンキナトゥスさあん!こちらへどうぞ~」


 若いオラン人女性の戸籍官吏が呼ぶ声に、1人の帝国人が顔を上げる。

 そしてカウンターへと近づいた。


「クィンキナトゥスです」

「担当します戸籍官吏のピエレットです。クィンキナトゥスさんは帝国本土からのご転入ですね?」

「そうだよ、済まないね」


 笑顔で問い掛けるオラン人の戸籍官吏、ピエレットに笑顔を返しながら書類を取り出す帝国人クィンキナトゥス。

 ピエレットはカウンターに出されている石板を掌を上にして示しながら言葉を継いだ。


「はい、では帝国で取った戸籍状をこちらに提出して下さい」

「ここで良いかな…お?」


 帝国ではありふれた公文書鑑定石板であるが、幾ら発展しているとは言え、このような北方辺境にあると思わなかったクィンキナトゥスが目を丸くする。

 帝国では公文書には真贋選別の魔法が掛けられており、この石板に載せることで真正の公文書は特定の淡い光を発する。

 偽物は発光すること無く、また官庁で使用されている以外の発光魔法が掛けられていたとしても、その発光の程度や色合いで真贋は直ぐに発覚するのである。


 大規模な商取引でこれに似た石板が使用されることもあるが、官庁で使用されるものは特別注文で、余所に流出することは無い。

 その石板にクィンキナトゥスが帝国で取得した自分の戸籍状を載せると、草茎紙で出来たそれは淡い黄色の光を放った。

 真正の書類であることが確認出来たのである。


「はい、ありがとうございます。ではこちら戸籍申請書です、この太い枠の中へそこのペンとインクを使って記入をお願いします」


 真贋鑑定が終わった戸籍状を受け取ったピエレットは、今度はカウンターのしたから1枚の書類を取り出してクィンキナトゥスへと手渡す。


「……へえ、東照紙ね」


 その書類を手にしたクィンキナトゥスが再度目を丸くした。

 帝国では特別な書類以外には使用されない、上質の東照紙でその書類が出来ているからで、しかも戸籍原簿そのものでは無くただの申請書類に使用されていることに驚いたのである。


「はい、こちらの書類では全て東照紙が使われていますよ」

「なるほど……ここで良いかな?」

「は~い、お願いします」


 ピエレットの案内と説明で、そのクィンキナトゥスはさらさらと流麗な字体で申請書類の空欄を埋めてゆく。

 しばらくして全ての項目が埋まり、クィンキナトゥスはペンを戻し、書類を反対にしてピエレットへと差し出した。


「はい、ありがとうございます。では確認をさせて頂きます…お名前、グナエウス・クィンキナトゥスさん、7月5日生まれの35歳、元の住所が西方帝国帝都第2街区181番地、現住所、シレンティウム市南街区1丁目55番8号21、扶養家族無し、仕事…なし、で宜しいですか?」


 ピエレットが項目ごとに書類を読み上げると、律儀に一々頷いていたクィンキナトゥスは、最後の確認を求める言葉に大きく頷いた。


「ああ、大丈夫だ」


 その様子にほほえみを浮かべながらピエレットが再確認を行う。


「あの、失礼ですがお仕事は本当に何もされていないのですか?」

「そうなんだ、就職活動中でね」


 苦笑いするクィンキナトゥスにピエレットはにっこりと笑みを浮かべて励ましの言葉をかけた。


「今この街は今どこも人手不足ですから、きっと大丈夫ですよ」

「そうか、それは助かるね」

「……はい、これで手続きは終了です、お疲れ様でした、そしてようこそシレンティウム市へ!これからどうぞ宜しくお願いします」


 書類を封書へ入れ、ピエレットが言うと、クィンキナトゥスは笑みと共に言葉を返す。


「ああ、ありがとう、こちらこそ宜しく」


 笑顔を残して立ち去るクィンキナトゥスの後ろ姿を少し名残惜しそうに見送りながら、ピエレットは次の仮申請書を取り出した。


「エラトスティヌスさん、エラトスティヌスさ~ん、いらっしゃいませんか~?」







コロニア・ポンティス造営



イネオン河畔の戦いにて戦場となったエレール川とイネオン川の合流地点はクイントゥスの指揮によって街が創られ始めていた。

 フレーディアに居るダンフォードの影響力が低下したことで軍事的な危険性が低下し、河川航路が取り敢えずこの場所まで引かれることになったのである。

 その為都市造営に必要な物資の搬送が可能となった。

 戦後直ぐに設置された兵営は一旦撤去されたが、その基礎を元にセデニア族とポッシア族の捕虜や難民を集め、街を創って住まわせることにしたシレンティウム。


 クイントゥスは都市造営の総指揮を任されることとなったのだ。


 シレンティウムにいた難民のほぼ全てが新しい街への移住を希望した。

 ハルはハレミア人による被害を受けた両部族へ復興支援のため、ハレミア人から奪還した略奪品のほぼ全てを故郷へ戻る者達へ均等に配分し、今後も物資や人手について必要があれば支援を行うが、シレンティウムの支配下に入ることを要求したのである。

 他に選択肢が無かった事もあるだろうが両部族はその要求を容れ、シレンティウムの傘下に入ること了承した。

 両部族の族民は、捕虜となっていた女子供全員と若干名、人数で言えば約5万人もの人間がクイントゥスの庇護下へと入ったのである。


 またそれ以外にも逃げ散っていた両部族の族民達がシレンティウムの支援が受けられると聞きつけ、続々と集まりつつあった。

 クイントゥスは兵営にその族民達を収容すると共に、捕虜生活や逃亡生活で痛んだ体と心を癒やさせる一方、回復した者達へは出来る仕事をどんどん回した。

 薪拾い、簡単な荷物運びと仕分け作業、倉庫管理、文書作成や事務作業、兵士達の食事等の世話、兵営の掃除や整頓などであるが、身体を動かすことで、悪い気持ちと思い出を払拭させようとしたのである。

 この方法が上手くいったのか、族民達は次第に兵士達とも打ち解け、少しずつ笑顔が戻り始めていた。

 クイントゥスも文字の読み書きが出来るセデニア族の元捕虜達を数名雇う形でつかっていたが、どうも勝手が違う。


「あの、クイントゥス将軍、お茶が入りました」

「あ、ああ、ありがとうございます」 

「クイントゥス将軍、この文書なのですけれども、よろしいですか?」

「えっと……ああ、これはシレンティウムのシッティウス行政長官からの調査要請文書ですね、後で私が回答を作成しますのでその隅に置いて下さい」

「はい」


 手紙をそっとクイントゥスの机に置き、にっこり微笑んで去るクリフォナム人の女性へ引きつった笑みを返すクイントゥス。

 どうにも落ち着かない。

 クイントゥスは簡素な机で書類作成をするためペンを東照紙へ走らせながら周囲を見回した。

 周りにいるのは金髪や銀髪、長身で細身のセデニア族の女性達。

 足の長いクリフォナム人の特徴をすっかり失念していたのだ。

 おかげで非常に目のやり場に困る。


「いやこれはちがうんだ」


 ついその後ろ姿を目で追ってしまったクイントゥスは生真面目に目をつぶり、愛妻ティオリアの怒った顔を思い浮かべて懺悔する。

 自分で推し進めた方策とは言え、女性にこうも囲まれては非常にやりにくい。

 ましてや今までの仕事はずっと男所帯の軍勤務だったので、仕事場に女性がいると言うだけで違和感があるのだ。

 頭を抱えかけたクイントゥスの耳に、野太い声が届いた。


「失礼します……宜しいでしょうか?」

「あ、ど、どうぞ……じゃなくて、いいぞ、入れ!」


口調すら怪しくなったクイントゥスがそう返答すると、扉を開いて工兵隊長が入ってきた。

 少し妙な顔をして入ってきた工兵隊長は足を揃えて敬礼すると、ゆっくり口を開く。


「臨時軍団長、エレール川への橋桁の設置が完了しました」

「……分かった、ご苦労。早速報告書を作るが、その前にちょっと視察に行こう」

「はっ、では……」


 そそくさと立ち上がるクイントゥスに、工兵隊長が応じる。

 そして工兵隊長の背中を押すように部屋の外へ出るクイントゥス。

 扉を閉めるとふうっとため息をついた。


「それ程苦手なのでしたら、彼女たちは別の場所へ移せば宜しいのではありませんか?」


 苦笑しつつ言う工兵隊長に、クイントゥスも苦笑で言葉を返す。


「いや、でも助かることは助かっているんだ。文章を作るのは得意ではないから」

「そうですか……では、こちらです」


 工兵隊長は苦笑いしたままではあったが、それ以上何も言わずクイントゥスを架橋工事の現場へと案内するのだった。






 クイントゥスが現在率いているのは、元シレンティウム守備隊の面々と帝国退役兵からなる工兵隊。


 舩文忠が指揮するエレール河川港での作業が一段落した後、西方帝国式で築かれた兵営を市民が住まう街へと換え、更にハルからエレ-ル川に頑丈な木橋を架けるように命令されたのである。

 イネオン川には既に橋が架けられているが、この地を河川流通の拠点にと睨んだハルの計画に基づき、舩文忠配下の工人頭と協力して設計された街と橋が創られることになったのだ。

 ただ、河川流通によって船舶航行が盛んになると海賊の遡上襲撃や密輸船の横行が心配なので、橋を建設して海側の下流域と上流域を区切ることにしたのである。


 実際問題、エレール川とイネオン川の合流地点より上流のエレール川は、川底も浅くなり始め、川幅も狭くなる。

 防衛上の理由だけでは無く、上流域への輸送は船底の浅い小型船に積み替える必要があるのだ。

 また、一旦この街で必ず荷を積み替えることになれば、積み替え作業に必要な人手を雇う必要があるし、上流と下流両方で船を維持するより、この街まで商品を運ぶことを目的とし、その先は取引相手に任せた方が効率が良くなる。


 そうすれば上流と下流の間で商取引が行われるようになり、この街が商取引の拠点となれるだろう。

 そうして商取引が盛んになることにより街は潤い、貨幣が普及し、流通に対する監視を行う事も容易になる。

 橋自体の陸上輸送と流通の効率化や促進作用もさることながら、副次的な意味合いも十分以上にあるのだ。






 イネオン川の倍以上の川幅があるエレール川。


 しかしクイントゥスは物怖じする事なく西方帝国の高度な技術力を駆使し、ハルからの命令後架橋に早速取りかかった。

 川底を測量し、下底の頑丈で一様な場所を選定すると、クイントゥスは帝国式の杭打ち筏を作製して早速橋桁の設置を開始する。

 連日連夜の架橋作業でエレ-ルの大河には既に楔が打ち込まれており、橋桁の上流川には三角形の流木避けが設置されてもいる。


 イネオン川にすら橋を架けられなかったクリフォナムやオランの民が驚く中、驚異的な速さで橋は完成しつつあり、西方帝国の最新鋭技術を受け継ぐシレンティウムの勢威を大いに高めたのである。


「いずれは石橋を架けるが、今は町の発展と流通のために自由に渡れる橋が早急に必要なんだ」


 ハルからそう言われたクイントゥスは、兵営という基礎がある為に街の建設が比較的容易であったことから、架橋工事に意を注いできたのだ。

 架橋工事の現場に到着したクイントゥスの目の前には、広いエレール川へ一直線に並ぶ橋桁があった。

 10艘の杭打ち筏がこちら側に引き上げて来つつあり、筏を操る工兵達の顔には誇らしげな笑顔があった。


「結構早かったなあ……」

「みんな頑張ってくれました」


 クイントゥスの感心した声に、工兵体長がやはり誇らしげに答える。


「あとは、天板と欄干か……」

「はい、木材が到着し次第工事を再開します。河川港の設置も舩さん達が頑張ってくれていますので、間もなくだと思います」


 工兵隊長の指さす場所には、クリフォナムの雇われ人足や北方軍団兵に混じって、特徴的な髷と前袷の衣服、稲藁の笠を身に着けた者達がちらほら見受けられた。

 川岸を開削し、岩とセメントを使用して護岸し、桟橋を設けて船着き場を造営しているのだ。


「この様な僻遠の異境にまでやってきて、大したものだ……」

「それは我々も変わりませんよ」


つぶやくように言ったクイントゥスに、工兵隊長は2人の姿を見つけて手を振る工兵隊に手を上げて答えながら言う。

 橋と河川港湾の街~コロニア・ポンティス~の名物となる大架橋と港湾設備はもう間もなくの完成である。






 エレール川河口西岸



 一部の北方軍団兵を残して基礎的な設備を造営していた場所は、未だ正式な名称は無かったものの地元民の間で河口の村と呼ばれていたものを継承し、オスティウムと便宜上呼ばれるようになっていた。

 指揮はソカニア族のカンディが執っている。

ハルは伝送石を持った西方郵便協会の局員とオルキウスを伴い、ルーダの補佐で第21軍団の半分ほどの4000名を率いてここへやって来たのである。

 西方諸国のエリアス通商会議の会頭を出迎える、事前準備の為であった。


「……やっぱり海ってスゴイですねえ」

「わはは、見た目だけで無く、この海は全てのものを繋ぐ道でもありますぞ?道路が無くとも船さえあればどこでも行ける!西は西方諸国から北の極北地域、南の大陸端、東の東照帝国まで海は繋がっているのですからな!」


 オルキウスは豪快に笑いながらルーダの背中を鎧越しに勢い良く叩く。


「……オルキウスさん、手加減して下さいよ」

「わはは、これは失礼。久々に大海を見たので興奮してしまいましたわい!」


 歳も生まれも違う2人であるが、この道中ですっかり仲が良くなったようだ。

 ハルがカンディからあれやこれやと説明を受け、西方郵便協会の局員に建物を割り振っている間にも、2人は仲良く造営途中の街を見て歩く。

 しかし街は未だ設計段階に過ぎず、出来ているのは海側の簡易桟橋と河口側の港湾設備のみで、街路や城壁になる部分へ目印代わりに石材が埋められているだけである。

 数ヶ月前にハルがこの地へ到達した際、野営地として築いた兵営だけが街らしいと言えば街らしい建物であった。






 ハル到着から数日後



「辺境護民官殿、ハレミア人の代表と称す者共が参っております」

「ハレミア人?」


ハルが簡素な木造の兵舎で今後の都市計画や港湾整備についてオルキウスやカンディ、ルーダと話し合っていると、突如見張りの兵士がそう言いつつやって来た。


「なんでまた?」


 ルーダが素っ頓狂な声を上げると、その兵士はちょっと笑みを浮かべて言葉を継ぐ。


「何でも貢納品があるそうですよ」

「……貢納って、そんな間柄じゃ無いだろう?」


 ハルが驚くと、カンディも兵士に続いて笑いながら口を開いた。


「以前我々と敵対したハレミア人とは別の部族らしいのです。オラン人や我々クリフォナム人に部族があるようにハレミア人にも部族があるそうで、この間イネオン河畔で壊滅した部族とはまた系統が違うようですよ」

「ほう、なるほど!」


 カンディの言葉に感心したような声を上げるオルキウス。

 ハルも感心して言葉を発する。


「それが分かるまでに交流を持ったのかい?」

「はい、何しろこの辺りはオランのケール族領域とは言え、対岸にはハレミア人の方が多く暮しています。中にはわざわざこの兵営にまで来て海獣の肉や毛皮を売りたいというような者まで居るので、自然と……」


 カンディが頭を掻きながらハルに説明する。

 どうやら海岸沿いに住み暮すハレミア人は、内陸のバガンの一族とは違って多少なりとも外との交流がある為、他部族に対しても物怖じしない者が居るようだ。


「ふうん……まあ会ってみるか」

「私も興味がありますな!是非ご一緒させて下され」

「私たちも護衛を兼ねていきます」


 ハルが応じるとオルキウスに続いて、ルーダとカンディも椅子から腰を上げる。


「分かりました、別の兵舎へ案内してありますので、こちらへどうぞ」






オスティウム、空き兵舎



 現在オスティウムに駐屯して作業に従事しているのは、カンディが率いる2000名のみである為、当初2個軍団分の兵営設備が設けられていたここには、空いた兵舎が沢山ある。

その1つ、最も海に近い兵舎には、獣皮を身に纏った背が高く筋骨逞しいハレミア人が3名、どっかりと席に着いていた。

 その前の机には持参した貢納品であろうか、奇麗になめされた海獣の毛皮が5枚と、革袋が2つ、床には海獣の乾し肉が1樽、塩漬けの魚が2樽置かれている。


 そこへぞろぞろと入ってくるハル一行。


 しばらくの間言葉を発することも無く物珍しそうにじろじろとハレミア人達を眺め回すハル達に、さすがのハレミア人も居心地悪そうに尻を動かしている。

 彼らからすれば敵地に3人だけで乗り込んで来ているのだ。

 おまけにこの周辺にいるのはシレンティウムの誇る北方軍団兵ばかり、それ以外でたまに居るのも上位部族としてこの周辺のハレミア人を圧しているケール族の人間だ。


「辺境護民官のハル・アキルシウスです。何でもわざわざ貢納品を持って来て下さったとか?」

「……ハレミアのボウォロフ部族、ホフム支族の族長ブルダン」

「同じく、戦士長ヴォリン」

「……ハレミアのはなれもの、ロッセ……です」


 ハルはロッセを見ておやっと首を捻る。

 ルキウスが話していた、ハレミアの美女と同じ名前であったからだが、銀色の髪こそ長いものの他の者達と体格に遜色なく、余り女性という感じはしない。

ハルが戸惑っていると、カンディが言葉を発した。


「ロッセが我々の兵営に物品を最初に海獣の乾し肉や魚を持ち込んできたんです。貨幣や麦、酒、砂糖やチーズと交換していたんですが、その内周辺の者達も彼女の紹介で出入りするようになりまして、今に到るというわけです」

「そうですか、ロッセさんが」

「……おせわに、なり、ます」


 ハルの言葉にぺこりと頭を下げるロッセ。

 それを見ていたブルダンとヴォリンの2人も慌てて頭を下げる。

 どうやら交渉ごとに関してはロッセが主導権を握っているようだ。


「それで……用件は?」

「……ロッセ、頼む」

「わかりました」


 ハルの言葉に情けない表情でブルダンがロッセに縋る。

 ハルの見立ては間違っていなかったようで、その言葉を受けてロッセが背筋を伸ばしてゆっくりと言葉を発した。


「こうえき、をみとめてほしい。ぶぞくのあんぜん、をほしょうしてもらいたい……です」

「なる程……対価は何ですか?」

「せんし、とはたらくひとをここによこします」


 ロッセの言葉にハルは顎に手を当てて考えた後言葉を継ぐ。


「部族の人口……部族全員で何人ぐらい居るのですか?」

「むら、2つ。たぶん……5にんかぞくが、100くらい……」


 どうやらブルダンの部族はハレミア人としても小勢であるようだ。

 ハルは頷きながら質問を続ける。


「農業はやっていますか?漁場は?猟場は?」

「のうぎょうはちょっとだけ、ぎょじょうはこのあたり。りょうはちかいもりでする」

「大麦と燕麦、魚を主に食べている」


 ロッセの言葉を補足するブルダン。

 農耕は寒冷地だけあってそう上手くは言っていないようで、その説明によって主に食糧は漁業に頼る部族のようであることを知ったハルは言う。


「いっそこちらへ移住してはどうですか?」

「「えっ?」」


 これに驚いたのはハレミア人達だけで無く、オルキウスやルーダ、カンディもである。

 全員が驚いている中、ハルは言葉を続けた。


「いまなら空いているこのような兵舎をそのまま家にしても良いですよ。都市造営労働の対価として提供します。そうすればゆくゆくはここに出来る街の市民として待遇出来ますし、ここから漁業を行うことも出来るでしょう?」

「……そ、それはっ」


 驚き慌てるブルダンとヴォリン、翻ってロッセは落ち着いている。

 一方シレンティウム側も、ルーダとカンディが反対意見を述べた。


「ハルさん、私は反対ですよ。いくら何でもハレミア人を都市に取り込むなんて無茶です。適応出来ないに決まっています」

「それに、安全保障上の問題もありますよ」

「いや、大丈夫だよ」

「どうしてですか?」


 ハルの自信ありげな答えに、即座に言葉を返すルーダ。

 しかしハルは慌てずゆっくりと説明する。


「同じクリフォナム人だって、更にその中のフリード族の中でも今は戦っているじゃ無いか。ハレミア人だって部族が違えば考え方も違うだろうしね。安全保障だってそうだ、自分達が住む場所を脅かされて面白いはずが無いし、自分達や身内が住む街が攻められればちゃんと協力してくれるさ、今のシレンティウムだってそうだっただろう?それはルーダ、カンディ、それにクリフォナムの人達が一番よく知っているはずだ」

「まあ……確かに」

「それはそうでしたが……」


 思わず互いの顔を見合わせるルーダとカンディ。

 思い起こせばアルフォード英雄王のシレンティウム攻めに対し、籠城して抵抗したのは大半がクリフォナムの族民である。

 みんながみんなというわけでは無いだろうが、自分達の住む街を攻められ、自分達の築こうとした生活を否定されて立ち上がったのだ。

ハルはそれがハレミア人にも適用出来るという。


「どうですかね、ブルダンさん?」


 ハルの言葉に慌てていたブルダンは何やらロッセと相談し、しばらくしてから回答を口にした。


「……希望者を募る、それで良いか?」


 隣でロッセが頷いている所を見ると、これも彼女の知恵だろう。

 ハルは頷くと口を開いた。


「分かりました、合わせてこの周辺のハレミア人家族や部族にも同じように呼びかけてみて下さい」

「分かった、引き受けよう……貢納品を受け取って頂けるか?」


 ブルダンがそう言いつつ持参した品々を指で示した。


「あ、忘れていましたね。では確認させて頂きましょう」


 ハルの声でオルキウスと兵士達が中身を改める。

 樽に入った海獣の乾し肉と塩漬けの魚は、確認後兵士達の手によってそのまま食料庫へ運ばれ、なめされた海獣の皮と革袋が残った。

 オルキウスが何気なしにその革袋を開いて驚きの声を上げる。


「な、何とこれはっ?」


 そして中身を机の上に置いた。


「……琥珀?」

「そうだ……ここに居るロッセが、シレンティウムの方はこの石を喜ぶのでは無いかと言ったので、村の者に集めさせた。村の近くの海岸に良く打ち上げられている」


 ハルの驚きの声に、ブルダンが得意気に答える。

 しかもその内容にオルキウスは絶句していた。


「もう一つの袋は?」


 ハルが聞くと、視線を向けられたロッセが淡々と答える。


「こうぼく、です。シレンティウムにいったとき……ホーさんがかいあつめていた。こはくはシルーハのあきないにんが、たかね?でかっていた」

「意外だなあ……ロッセさんスゴイですね!」


 ハルに褒められたロッセが少し顔を赤くしていう。


「やくにたてればいい……ぶぞくのことをよろしくおねがいしたい」


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