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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第18話 シレンティウム再発展

 シレンティウム行政区、公会堂


 薄暗い公会堂は鏡を利用した照明装置であちこちが照し出され、また蝋燭や燭台、ランプで至る所に照明が設けられてもいる。

 その公会堂では、帝国から招聘した劇団が舞台“真説・ハルモニウム陥落”の第3幕を演じていた。

 再現されたシーンは森の中に静謐な水を湛える泉のほとり。

 帝国の高位将官率いる、帝国第21軍団がその近くに陣を張っていた。


{貴方こそ私が100年間求め続けていた英雄、私を是非従者に!}

{その方、泉の精霊であるか……では我と盟約を結ぼうぞ!}


水色の羽衣を羽織り、同じ色のベールを被った美しい女性が帝国兵達に押さえ付けられている。

 その前には剣を鞘ごと杖のように立て、手を載せた帝国軍の高位将官が鷹揚な様子で大石に腰掛けていた。


{何と慈悲深い帝国の将軍、盟約に拠り、私に名を与えたまえ}

{では今日よりそなたはアクエリウス、我が名アルトリウスに従う者よ、盟約に従いこの地を統べる手助けをするが良い!}


 落ち着いた曲が劇場に流れ出す。


 舞台の袖で楽団が場面に合せて楽曲を演奏しているのだ。

 場面は解放されたアクエリウスがアルトリウスと盟を結ぶものへと変わっている。





『……随分脚色されておるのであるな』

『でも良いんじゃ無いの?大筋は間違っていないわ』


 客席の最後方から演劇の様子を眺める亡霊と精霊が感想を述べるが、正面にいる満員の観客達はそのシーンに見惚れて2人?に気付く様子はなかった。




 スイリウスの招聘した劇団と楽団は北の平定の後シレンティウムに相次いで到着し、ハルに目通りした彼らは口々に招聘を感謝を述べ、今後はシレンティウムを中心に活動することを宣言したのである。

 そしてもうあと2つほどの楽団と劇団がシレンティウムの招聘に応じて北方辺境へ向かっていることを告げた。

 劇団と楽団を統括するファブラエス団長は、ハルからイネオン河畔の戦いの一部始終を聞き取ると、直ぐさま今までのハルの活躍と合せて演劇に起こし、筋書きや台詞を調整して新たに演劇“辺境護民官”を創作した。

 舞台劇の筋書きや台詞一式は、合せて作成された楽曲の楽譜や楽団配置と共にファブラエス団長の手で帝国各地の劇団へ伝送石通信で頒布され、帝国のあちこちでハルの活躍と北方辺境での出来事が上演され始めていた。

 そのファブラエス団長は、英雄アルトリウスを前にして感激の余り触れようと近づき過ぎてその幽体に触れて昏倒してしまうという失態を演じる。


「最近どうも帝国の演劇はマンネリでしてなあ……ま、そこでアルトリウス殿の演劇を上演した所大人気を博しまして……ま、もともと庶民には人気のある演目ですので、目論見通りと言えばそれまでなんですがな。久々にやった演目でもありましたし、ご存じの通り貴族受けはしない演劇ですのでねえ~いやあ、まさかあそこまで貴族に反発されるとは思いもよりませんで難儀していた所でした。ま、後悔はしていませんが、最後まで公演を全う出来なかったのが心残りではあります」


 その後目を覚ましたファブラエス団長は、アルトリウスの姿に感激しつつも少し落ち着いてそう言った。

 貴族然とした優雅な楕円長衣を纏ったファブラエス団長が笑顔で目を回す様子を見下ろし苦笑する他無かったアルトリウス。

 しかしその言葉を聞いていたく感心し、今まで細部がぼかされていた精霊アクエリウスとの出会いの場面や最後の戦いの直前、アクエリウスを封じ、アルスハレアの保護を敵に求めて認められた場面、更にはアルフォードとの決闘の推移などを詳しく説明してファブラエス団長を更に感激させた。


 そうしてアルトリウスから聞き取った内容を元にファブラエス団長が場面を追加して完成させた“真説・ハルモニウム陥落”は現在シレンティウムにおいて絶賛上演中。

 朝と昼に上演されるその演劇を見るために、公会堂は連日市民が長蛇の列を作っているのである。

残念ながら帝国では上演が忌避されている、いわゆる“アルトリウスもの”に当ることから、ファブラエス団長は極々親しい劇団長にだけこの筋書きと台詞書きを郵送していたが、帝国本土での公演は未定であった。


「非常に良い出来と自負しておりますのに、残念です……」


 アルトリウスに詫びるように言ったファブラエス団長。

 しかしその一方、北の辺境で貴族の左遷にもめげず奮闘する辺境護民官ハル・アキルシウスの名は、演劇“辺境護民官”の上演回数の増加に伴って広まり、そして高まっていったのである。







同時期、シレンティウム市、薬事院



 薬師達が集まる薬事院はただならぬ緊張に包まれていた。

その処置室に横たわっているのは、大神官であり、辺境護民官の妻であるエルレイシアで、普段の彼女からは想像もつかない程苦しそうなうめき声を上げている。


「ううう、伯母さま……こ、こんな……あう」

「エル、大丈夫よ、しっかり、ゆっくり呼吸をするの、焦ることは無いわ」


 アルスハレアの指揮で数名の薬師が尽きっきりであれこれと世話をする一方、鈴春茗達が薬湯や産湯の用意をてきぱきとこなしてゆく。

 そして、その隣の太陽神殿大聖堂では、夫であるハルがアルトリウスと共に落ち着かない様子で腰掛けていた。

 早朝、にわかに産気付いたエルレイシアを、大慌てでハルが抱きかかえて薬事院へと連れてきたのである。




やがて、元気な産声が太陽神殿にまで聞こえてきた。

はっと顔を上げるハルにアルトリウスが満面の笑顔で言う。


『どうやら生まれたようであるな』

「は、はい!」


 がたりと椅子から立ち上がって部屋の方へふらふらと行こうとするハルをアルトリウスが制止した。


『まあ待て、しばらくは産湯を使ったり、後始末をしたり忙しかろう。薬師が呼びに来るまで大人しくしているのである』

「は、はい」


 再び椅子へ座り直すハルだったが、そわそわと落ち着かない様子で薬事院の方をずっとうかがっている。

 苦笑しつつそのハルの様子を見るアルトリウス。

 しばらくすると、薬事院からアルスハレアが笑顔でハルを呼びに来た。


「ハルくん、エルが呼んでるわよ」

「は、はいっ」


アルトリウスが驚くほどの敏捷さで薬事院へ向かうハルに、アルスハレアが苦笑を漏らす。


「心配なのは分かるのだけれども……」

『うむ、しかしよくぞ無事に生まれたのであるな。ご苦労だったのである』

「当然ね」


 胸を張るアルスハレアにアルトリウスが催促の声を上げた。


『で?』


 アルトリウスが聞きたい事柄は百も承知であったアルスハレアだが、白々しくハルが消えた薬事院への通路を見つつ素っ気なく答える。 


「なにかしら」

『も、勿体ぶるのでは無いわ、分かっておるのだろう?男か女かを聞いているのであるっ』

「さて、どちらかしらね?」


 空とぼけるアルスハレアに、アルトリウスは焦れて悔しそうに歯がみする。


『うぬう……教えぬつもりであるか?』

「見てくれば良いじゃないの」


 アルスハレアの言葉に少し怯んだアルトリウスは、ため息をつきつつ答えた。


『……我は死霊将軍ぞ、生まれ出でた子に祝福など授けてはやれん。せいぜい子に呪いが降りかかるのが関の山である故に聞いておるのである。さあ、早く教えるのである!』

「よくよく心配性ね。いくらなんでも見たぐらいで呪いがかかるわけ無いじゃないの、大丈夫よ、見てきなさい」

『ううむ』

「もし、アルトリウス殿……」


 アルトリウスがうなり声を上げて悩んでいると、鈴春茗がアルトリウスを呼びにやってきた。

 鈴春茗も最初アルトリウスと会った時は腰を抜かしたが、今はこういう存在だと納得をして付き合いをしているせいか、口調は相変わらずであるものの接し方は他の人々と変わらなくなっている。


『おう、なんであるか?』


 鷹揚に答えるアルトリウスへ鈴春茗が言葉を継ぐ。


「秋留殿と奥方殿が、是非に来て頂きたいと申しておりますが?」

「ほら、ね、意地を張らず行ってらっしゃい」


 しばらく考えていたアルトリウス。

 しかし鈴春茗の視線を受け、更にはアルスハレアの言葉に後押しされ、アルトリウスははにかみながら徐に言った。


『……ハルヨシもエルレイシアも物好きであるなあ……では、失礼するのである』





 薬事院の処置室に設置された寝台では、上半身を起こしたエルレイシアが生まれたばかりの我が子を抱いてハルに見せていた。

 子供は2人、しかも男の子と女の子である。


「かわいいっ」


 赤ん坊を見て絶句するハルに、エルレイシアが微笑みを向けた。


「……頑張ってくれて有り難う、身体は大丈夫?」

「ええ、大丈夫です……」


 ハルから労いの言葉を掛けられたエルレイシアは幸せそうな笑顔で答える。


『心配なさそうであるな』


 鈴春茗に案内され、アルトリウスが部屋へ入ってくるとハルはエルレイシアと一旦顔を見合わせてから、一緒に頷く。

 そして、2人の行動に疑問符を浮かべているアルトリウスに向かってハルが言葉を発した。


「先任、この子達に名前を授けて貰えませんか?」

「お願いします」


 続いたエルレイシアの言葉に、アルトリウスが唖然とした顔で答える。


『正気であるか?我はこの都市の残滓、亡霊将軍アルトリウスであるぞ?』


 黙って頷くハルとエルレイシア。


 アルトリウスはエルレイシアが差し出すように抱く2人の赤ん坊を見て、泣き笑いの顔になる。


『我にその様な……事を……?』


 言葉が途切れ、アルトリウスが天を仰ぐ。


 涙は流れない。

 泣声も無い。

 しかし、アルトリウスは確かに泣いていた。

それは悔しさを表すものでは無い。

 悲しみを表すものでも無かった。

 ましてや恨みを、表すものでも無いのだ。

 そして静かに顔を戻すとアルトリウスは古式の武人が名を授けた儀式次第に則り、腰から白の聖剣を鞘ごと引き抜くと目の前にかざした。


 かつては子供だけでは無く、降伏させた異民族や奴隷達を解放する際に名を与える儀式でもある武人の氏名授与。

 平和な時代となり、神殿で氏名授与が行われるようになるにつれて廃れていった古式であるが、アルトリウスはこの古式で名付けられた世代である。

 アルトリウスの厳かな声が部屋に響いた。


『……群島嶼の勇敢なヤマト剣士、アキル・ハルヨシ。クリフォナムはフリード族の王女にして太陽神大神官、エルレイシア。2人の子のそなたらに、我、古の軍司令官ガイウス・アルトリウスが白の聖剣と共に太陽神の陽光の下、真名を授ける』


 一旦そう言い終えると、アルトリウスは男の子に白の聖剣の柄を握らせた。


『子よ、我が名を与えん、アルトリウス』


 そして名を授けると、今度は女の子に剣の鞘を触れさせる。


『子よ、我が名を継承せよ、アルトリア』


 そしてアルトリウスは白の聖剣を鞘からゆっくり抜いた。


『我の名授けしこの子らに太陽神の祝福と加護のあらんことを!』


 アルトリウスの祝詞が終わると同時に不思議な声が部屋に響く。


『我が神官の子に名を与えし者よ、奪う者から与える者へと変わった、そなたの願いと思いを聞き届けましょう…貴方の願いは皆の願い、貴方にこそ幸あれかし』


 その瞬間、温かい陽光が部屋を包む。


『ぬおっ!?』


 2人の子にハル、エルレイシアと共に聖なる太陽神の陽光に包まれてしまったアルトリウスが驚きの声を上げて逃れようとするが、陽光の力は絶大でアルトリウスを縛り、果たせない。


『ぐわあっ!』

「先任?」


 苦しげに叫ぶアルトリウスに驚いたハルが近寄ろうとするが、その場にいた全員が一層強い光に包まれて周囲が見えなくなってしまう。

 そうしてしばらく5人を包んでいた陽光が、収まり始めた。

 アルトリウスの姿を見て一旦は安堵したハルだったが、その様相に目を見開く。


「せ、先任、その姿は……」

『ううむ、これはどうしたことか?』


 驚きの声を上げるハルに、戸惑うアルトリウス。

光が完全に収まると、アルトリウスの姿が一変していたのだ。

 アルトリウスが身に着けているのはそれまでの帝国製の古い鎧兜では無く、帝国の元老院議員が着用するような古式ゆかしい純白の貫頭衣に水色の楕円長衣。

 楕円長衣には縦に濃い青色の筋が一本入っている。

 白の聖剣は手に収まってはいるが、今の姿には何とも似付かわしくない。


『ふむ』


 アルトリウスは驚いて立ちすくんでいた鈴春茗の脇に置いてある、花瓶の花に触れた。

 しかし、いつもであればたちまちの内に枯れ果てて砂と散るはずが、その白い花は全く様子が変わらない。

 数刻、そうして触れていたアルトリウスであったが、花に変化が無い事を見て取り、あちこちの木製の壁や仕切り布に触れていく。


『これは……もしや』

「……太陽神様の御声がしました、おそらく、アルトリウスさんは死霊から神かそれに準ずるものに格上げされたのだと思います」


吸精作用の消えてしまった自分の手を見てつぶやくアルトリウスにエルレイシアが声を掛ける。


「そうですか、先任が神に……」


 確かに格は変わったのだろうが、ハルにとっては今まで通り神に等しい先任である事に変わりは無い。

 しかし、これで自分を卑下するアルトリウスを見なくて済むともなれば思いも違うというもの。

 感慨深そうに言うハルであったが、次の瞬間にはぽんと手を打って言葉を継ぐ。


「あっそうだ、名前!ありがとうございます!」

「アルトリウスにアルトリア、良い名を頂きました。これからも宜しくお願いしますね、アルトリウスさん」


 2人から感謝の言葉を掛けられたアルトリウスは、照れくさそうに微笑むと腕を組み、力強く答えた。


『うむ、まぁ任せるが良いのである!』






 オラン人同盟参加の影響



オラン人地域への街道敷設は比較的順調に進んでいた。


 街道敷設は以前から行われており、またシレンティウムから東西に延びる通称アルトリウス街道が既に存在して居たことから改修と拡張で十分間に合う箇所が随分とあったためでもある。

それに加えてシレンティウム同盟に参加した部族からの積極的に過ぎる協力もあり、オラン人の住む、オラニア・オリエンタ地域の南東側は急速にシレンティウムとの結び付きが強まっていった。

 元々西方帝国に依存していた所のあったオラン人達が、新しい寄る辺を見付けて一気に靡いてしまったのである。


 オラン族長会議の首府トロニアとシレンティウムを結ぶ街道が整備されたことで北方辺境は一繋がりとなり、商業や流通、人の交流が活発化し始め、それがセトリア内海の一大経済圏である西方帝国と結びついたことで波及効果が双方に出始めている。

 西方帝国からは鉄製品や貨幣を含む金属加工品、日用雑貨、穀物類、それに加えて技術が北方辺境に輸出され、北方辺境から西方帝国へは金属原料、木材、加工肉類、紙などが主に輸出されていた。

 西方帝国の技術によって都市が建造され、建築物が作られていくと対価として賃金や金属原料が帝国人に与えられ、それを得た帝国人が帝国内で消費する。

 帝国人が消費する者は北方辺境から輸入される物も多く、次々と新しい経済の循環が生まれ始めていた。





 今まで圧倒的にクリフォナム人の姿が多かったシレンティウムへの来訪者は、オランの各部族が参加して以降オラン人が爆発的に増えている。

当然、農業支援も行われているので、オラン人の農民で土地を相続出来ない次男や三男などの子弟達も、初期のクリフォナムの族民達と同じように続々と移住を始めていた。

 これによってシレンティウム周辺の開拓が一気に進むと共に、人口の平準化が自然と図られ、それまで人口過多で貧しかったオランの村々も、生産物に余裕が出てくることになる。


また西方帝国の国境警備隊がシレンティウムからの申し入れで越境攻撃や貢納要求を止めており、かつてのボレウス隊のような略奪のために設けられた様な砦も全て取り払われた事も大きい。

 北中管区国境警備隊の隊長であるマルケルスは有力軍閥でもあり、資金源が1つ消えることに非常に渋い顔をしていたが、直接の先輩でありかつて戦場で命を救われたこともあるアダマンティウスを通じての申し入れに否とは言えなかったのである。


 軍事的にもシレンティウムは充実し始めた。


 ハルはオランの自由戦士を積極的に登用し、敗戦で喪った北方軍団兵の補充に努め、今までは無駄に同盟参加気運を高めないようにとオラン人の北方軍団兵採用をベレフェス族とシオネウス族に限っていた制限を取り払ったのである。

 西方帝国からの圧力が無くなったことで安定的な給金や待遇を求め、各部族の自由戦士達はシレンティウム軍への参加を希望して続々と集まり始めていた。


 また西方帝国軍が国境の内側に戻ったことで用無しとなってしまった道案内や尖兵要員のオラン人戦士達も、今まで西方帝国に協力していた後ろめたさから故郷へ戻れず、またオラン人の中にも戻れないままシレンティウムへとやって来ており、軍団の再建は急速に進む事になる。






 シレンティウム行政府



 シレンティウム行政庁舎のハルの執務室ではいつも通り、シッティウスが案件を持参していた。

 今日もシッティウスの左手には最近特に分厚くなった資料や執務書類が持たれている。


「オランの各部族から街道敷設に対するお礼と同盟参加の意思表示を示す使者が参っておりますが……」

「まだ正式に参加を認めた訳では無いので……会う訳にはいきませんね」


 ハルの言葉に頷き、シッティウスは1枚の資料を取り出しつつ口を開く。


「こちらが使者を送ってきた部族の一覧表ですな。では使者からは行政長官の私が用向きを伺っておきましょう。オラン族長会議も両属を認めたとは言え、あくまでも上位所属はオラン族長会議である事を示しておかなければなりませんからな」

「宜しくお願いします」


 一礼を残して立ち去るシッティウスを見送り、ハルは資料に目を落とす。

 そこにはシレンティウム近隣の部族とあわせてエレール川の西岸に住まう部族の名が多数記されていた。

 しかし、目的の部族名を見付けられずハルは落胆する。


「やっぱりパレーイ族はダメか……」

『ふむ、討伐しかないのであるな』


 いつの間にか現れたアルトリウスが顎に右手を当てて言う。


「先任……」

『今のシレンティウム軍では大丈夫であろう。軍の再建も進んでおる上に敵は大部族とは言えオランの1部族である。戦い方も思考も分かりきっておる上に帝国軍とは相性の良い相手であるからな』


 振り返ったハルに笑みを向けたアルトリウスが言う。


「しかし……攻勢に出るには早すぎませんか?」

『いや、むしろ遅いぐらいである』


 ハルの言葉にアルトリウスは首を左右に振った。


『シレンティウム健在なり!これを周辺部族に知らしめねばならん。気になるのはダンフォード軍であるが、幸いフレーディアを落した後は何故か手を拱いておる。今の機会にエレ-ル河畔を制圧し、河川航路を整備して西方諸国との交易路を拓くのである』

「……確かに、フレーディアの動静が今一分かりませんね。部族戦士達も帰してしまったみたいですし」


 ハルが首を傾げながら言った通り、ダンフォードは何故か召集した協力部族の戦士達を解散させ、フレーディアに籠もりきりで出てこないのだ。

 楓に命じて陰者を使い、あるいは周辺の協力的な族民達から情報を集めていたが、粛正と暴虐の嵐が吹き荒れていると言うことしか分からない。

 町の人口が減じてしまう程の凄まじさと言うが、自らが統治する場所でその様なことをして何の意味があるのか、ハルには理解出来なかった。

 ダンフォードの施政方針は、結果的に自分の勢力を自らの手で弱めていることに繋がってしまうのである。


『……黒フードの戦士長が気になるであるが、周辺の反対派の討伐に少数の兵で四苦八苦しておるようであるな』

「何者でしょう?」


 ダンフォードの軍師的地位にある黒フードの戦士長の情報は、既にハルの元にも届いている。

 何より自分が負けた相手のことでもある為、積極的に情報は収集していた。

 しかし今は余り重用されず、フレーディアから出ているようだ。


『さあて……?一説にはダンフォードの弟のデルンフォードとも言われているのである。しかし今まで活躍出来なかった者がそう直ぐに力を発揮するとは思えぬであるから、何らかの絡繰りがあるのであろう。どこぞで腕の良い傭兵隊長でも見付けてきたか?』


 しかしアルトリウスは余り取り合わない。

 シレンティウムが敗れたのは挟撃され、しかもハレミア人との戦いで軍力が回復していない隙を突かれたからで、まともにぶつかればそうそうひけは取らないと考えているからだ。


「いずれにしてもパレーイ族の討伐はしなければなりませんね……」

『うむ、よかろう』


 ハルの言葉に力強く肯定の返事をするアルトリウス。

 しかしハルは産後で一度暗殺の標的に晒された妻であるエルレイシアと2人の子供達のことを思った。

 一度ゆっくり話をしなければならないだろう。

 シッティウスとクイントゥスに出兵の準備命令を下すべく席から立ち上がりながら、ハルは窓の外を見た。

 間もなくシレンティウムで過ごす3度目の夏が来る。

 今まで以上に暑い夏である事が予想されたが、それは何も気候的な者ばかりでは無い。


「何を為すか……」

『あるいは、何を為してきたか、であるなあ……』


 ハルの言葉に被せるようにアルトリウスが言う。

 そして笑顔を見せて言葉を継いだ。


『なに、心配は要らん。ハルヨシは我よりよっぽど事を為しておる、自信を持つが良い』


 ぱん


 アルトリウスに肩を軽く叩かれたハルは驚く。


「先任……」

『ははは、ようやくこういった手段でお主を励ますことも可能になったのである。頑張れ我が後任よ!まだまだ事はこれからである!』




 シレンティウム行政庁舎、ハルの部屋



「そうですか……また戦いが」

「今度は先任も健在だし、多分大丈夫だと思うんだ。不安になる気持ちは分かるけども……どうか受け入れて欲しい」


 ハルから再び戦いに赴くことを告げられたエルレイシアは、密やかに寝台でため息をつく。

 本音を言えば、子供達の為にも行って欲しくない。

 ついこの間ハルの不在を狙われ、酷い目にあったばかりであることもあるし、何より子供が生まれたばかりでもある。

 自分は兎も角今度はこの子供達が犠牲になるかも知れないとの恐怖心がよぎったのだ。

 しかしここでハルが大事を為さねば安心して暮していけない人間が山のように生み出されてしまうことだろう。

 隣の寝台ですやすやと眠る双子を愛おしそうに眺めているハル。

 きっと自分も同じ目と顔をしているに違いない。

 既に異母兄であるダンフォードに支配されたフレーディアの惨状はシレンティウム中に広まっており、タルペイウスが技師達の指や耳を持たされ、自分の両耳を失って帰って来たことも記憶に新しい。


「私は……待つだけです」

「ありがとう」


 万感の思いの籠もった言葉に、自分への愛情と気遣いを感じ取り、エルレイシアはついっと涙を流した。

 その涙を指ですくい取り、ハルはゆっくりとエルレイシアの寝台に腰掛ける。

 そっと唇を重ねる2人を励ますように春先の暖かさを感じるようになった風が包み、優しく解放する。


「でも、必ず戻って来て下さいね?」

「大丈夫、今度は負けないよ」




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