第13話 アスファリフの毒手
黒いアルトリウスに遅れて城下町へ雪崩れ込んだダンフォード率いるフリード戦士とフリンク戦士は驚く街の住民を殺しながらフレーディア城へ駆け込み、城と城下町を一瞬で乗っ取ってしまったのである。
城に残っていた宮廷官や戦士達は激しく抵抗したが、多勢に無勢。
脱出した有力者達を除き、立て籠もっていたフレーディア城において全員が討たれてしまったのだ。
普段剣を持つことのない文官的役割を持つ宮廷官までもが自分に抵抗したことにダンフォードは激しく怒り、その後情け容赦ない殺戮を命じた。
王の間に居残ったダンフォードを余所に、配下の兵士達はフレーディア城の宮廷官や戦士達、果ては配膳係や掃除係に至るまでを探し出し、片っ端から首を刎ねる。
「たった1年で辺境護民官ごときに懐きやがって!貴様らはフリードの恥だ!」
またダンフォードは半分の戦士達を街に派遣し、ハルの治政に協力的だった者達を摘発し、あるいは西方帝国出身の技師や官吏達を相次いで逮捕させた。
技師達を殺さず捕えたのは、黒いアルトリウスが人質に使えると進言したからである。
『……ふん、シレンティウムとやらの技師か?』
「おうよ、俺こそはシレンティウム行政府の按察長官、ティベルス・タルペイウスだ」
「おい、さっさと殺せよ」
『まあ待つのである』
いきり立つダンフォードを制止する黒いアルトリウス。
正体がばれないよう再び黒いフードをすっぽりと被っているその姿は、一種異様な迫力を持っていた。
フリード戦士に宮廷官館に居る所を敢え無く捕らえられたタルペイウスは王の間に引き出されたのだが、剛胆な彼もさすがにその異様な姿に息を呑む。
『何故脱出しなかった?』
「ここには俺が手がけている街がある。それを一緒に造っていた仲間が居る。あんたらが大分殺しちまったようだがね……」
黒いアルトリウスの問いに淡々と答えるタルペイウス。
その視線の先には事切れたベルガンの身体未だ転がされている。
「てめえ……ベルガンの仲間か?だったら死ね!」
視線の意味を知ったダンフォードが再び激高した。
しかし黒いアルトリウスは首をゆっくり左右に振る。
「おい、何で殺さねえんだ!」
『こやつには役目を果たして貰おう……技師達を連れてこい』
「おい?」
黒いアルトリウスの命令に訝るタルペイウスを余所に、西方帝国の技師達がフリンク戦士達に縄を打たれたまま乱暴に連れてこられた。
『技師達は全員人質だ、その身体の一部を持って帰りシレンティウムに我が恐怖を知らしめるが良い』
「お?それは面白そうだな!」
剣を抜きつつ言い放つ黒いアルトリウスの言葉に、その意味を理解したダンフォードは手を叩いて喜び、タルペイウスは顔面蒼白となった。
「止めろ!やるなら俺をやれ!!」
『貴様に選択権はない』
言うや否や黒いアルトリウスは剣を振るった。
次々に叫び声が上がり、血飛沫を上げながら耳や指を切り落とされる西方帝国の技師達。
「止めろ!」
『心配するな、間もなく終わる』
タルペイウスが必死になってそれを阻止しようと立ち上がるが、見張っていたフリンク戦士に殴り倒されて為す術無く床へと押さえ付けられてしまった。
「やめろおおおお!」
『……うるさいぞ』
鼻から血を出しながら叫ぶタルペイウスに頓着することなく、黒いアルトリウスは剣を収める。
事が終わり、西方帝国の技師達は指や耳の痛みに歯を食いしばって耐えながらうずくまるばかりであったが、それでも1人たりとも気を失うことなく耐えていた。
『ふむ、流石は元軍人か……おい、技師達を牢に入れろ』
再びフリンク戦士によって乱暴に引き立てられて行く技師達。
タルペイウスは火を噴きそうな目で黒いアルトリウスを睨み付ける。
『縄を解いてやる、全員分の指と耳を拾え。手首や腕では持ち帰るのに重過ぎるであるからな、手加減したやったのである、感謝するが良い』
「……くそが」
悔し涙を流しながら自分の部下である技師達の耳や指を拾い集めるタルペイウスに、ダンフォードがニヤニヤしながら近づいた。
「仲間はずれは寂しいだろう?お前にもちょっと箔をつけてやろう」
「うっ」
そう言うとダンフォードは技師の小指を拾おうとしゃがみ込んでいたタルペイウスの後方からその両耳にぎこちなく剣を当て、鋸を挽くような乱雑さで削ぎ落とした。
ぱっと血が飛び、ぼたぼたと湿っぽい音をさせて床に落ちるタルペイウスの両耳。
だらだらと耳殻のあった場所から血を垂れ流しながら無言で技師達の欠片を拾い集めるタルペイウス。
『帰還前に失血死してしまうであろうが、手当てしてやれ』
ダンフォードの所行を呆れたように見ていた黒いアルトリウスが命じ、与えられた袋に技師達の耳や指を入れたタルペイウスにフリンク戦士が包帯を巻き始める。
それが終わると、黒いアルトリウスは未だ暗い目で自分を見ているタルペイウスに素っ気なく命じた。
『では帰って良いぞ』
フレーディア城、王の間
『直ぐのシレンティウム攻めは無理である。戦士も足らぬし周辺の制圧も済んでおらん』
未だ血だまりの残る王の間で、玉座に就いたダンフォードが黒いアルトリウスの言葉を聞いて鼻を鳴らした。
「……まあ、良い。今敢えてシレンティウムへちょっかいを出すこともないしな。しばらくは睨み合いになる事は承知の上だ」
黒いアルトリウスの言葉に鷹揚に頷いたダンフォードはそう言いった。
既に帝国の技師や元兵士、ハルの治政に協力していた街の有力者達は逮捕し、あるいは抵抗の激しい場合は殺して街の浄化は着々と進んでいる。
ダンフォードとしては全員血祭りに上げてやりたいが、黒いアルトリウスの指示でフレーディアの陥落をより知らしめる為という事で、追放することにしている。
奇麗に整備されていた街路や排水溝は直ぐに石畳を引きはがし、セメントを打ち壊して元へ戻すよう街の住民へ通達も出した。
街路樹は切り倒すよう手配し、公設された学習所は閉鎖させ、薬事院は薬草を取り上げて壊してしまった。
しかし、僅かな期間で随分とフレーディアは西方帝国臭くなったものである。
憤懣やるかたない様子で元のフリード族らしい街へ戻すべく次々に指令を出すダンフォード。
指示を受ける人が途切れたその時、黙っていた黒いアルトリウスが腕組みをしたままダンフォードに話し掛けてきた。
『まあ首尾良く運んだようであるな』
「ああ、貴様のおかげだ……」
『ふむ、殊勝な心掛けよ。その態度を忘れるでは無いぞ』
「はんっ……何を偉そうに、元はと言えば貴様は俺たち北方人の敵だろう?」
『いかにも!しかし我は西方帝国に裏切られた。裏切りにはそれ相応の報いを受けて貰わねばならん、そして我が報いる先は西方帝国、敵の敵は味方。つまり西方帝国の敵はお主の味方であろう?』
「……違いない、まあ貴様の知恵や知識は十分役に立つ、これからも働け」
『ふむ、まあこの身体の恩もある。我の意に適う限りは協力してやるのである』
そう言いつつ黒いフードを取り去ると、その中から現われたのは古い帝国将官の兜を被った黒いしゃれこうべ。
古くも美麗な装飾が施されてはいるが、あちこちに刀傷の入った兜は房も途切れ途切れでしゃれこうべの色や禍々しい雰囲気と相まって不気味さを一層激しくしている。
その口がカタカタと動いた。
『ふうむ、外の世界はいつも心地よい怨嗟と腐臭に満ちておるな!』
感慨深げな声を出すしゃれこうべにダンフォードがいささか辟易した声を掛ける。
「……西方帝国の英雄アルトリウスも堕ちたものだな」
『抜かせ!英雄など片腹痛い、我こそは西方帝国に仇為すモノ“災厄の首”アルトリウスである!西方帝国とそれに連なる者にこそ不幸あれ!我が為すのは復讐であるっ』
ダンフォードの言葉に抗議した後吐き捨てるように言うしゃれこうべ。
「その意見には賛成だ」
『であろう?西方帝国に敵対している限りお主は我の協力を得られようぞ』
ダンフォードの同意に満足そうな回答を返すと、しゃれこうべの目が赤く光り、口からは黒い煙が吐き出される。
『希望など此の世にはない、それを思い知らせてくれるわ……お主を含めてな。まずは粋がっている群島嶼の小僧に地獄を見せてやろうぞ』
呪詛にまみれた言葉が黒いアルトリウスから密やかに紡がれるが、ダンフォードには届かなかった。
同時期、シレンティウム南街区
「おうらあっ!!」
「がはあっ!?」
ルキウスが思い切り振り下ろした棒杖が見張りをしていたチンピラの左肩にめり込む。
鎖骨を割られて崩れ落ちるチンピラを足蹴にしたルキウスが、正面の扉を蹴り開けた。
そして暗がりの残る空き家へ踏み込んでやけくそ気味に叫ぶ。
「手入れだこんちくしょー!」
「何っ!?」
「馬鹿な!」
クリフォナム人の北部諸族の特徴を色濃く持つ服装や装備を身に着けた男達が色めき立ち、また帝国人風の一目で素行不良者と分かる男達が次々になだれ込んできた治安官吏の姿に茫然自失する。
「大人しくしやがれ!」
「くっ……くそっ!!」
ルキウスから棒杖を突き付けられた男達が目を怒らせて次々に剣や短剣を抜き、またある者は槍を手に治安官吏達に対峙する。
「抵抗するか!?」
「ふざけんな木っ端役人!恐れるなっ、やっちまえ!!」
たちまち乱戦となる家屋内。
それほど広くない廃屋は、シレンティウムの治安官吏とクリフォナム人、帝国人の間諜達の怒号と剣戟の音で満ちる。
「ちくしょーっ!最近こんなんばっかだぜっ!!」
絶叫しながら乱戦に身を投じるルキウス。
アルトリウスが何故か居なくなり、間諜達の不意を突けないのでいつも取り締まりの場が荒れてしまうのだ。
それでも何とか取締りになっているのはシレンティウム市民が非常に協力的で、不審者の情報がすぐに治安官吏の元へ上がってくるからである。
ルキウスは帝国人間諜が振りかざす短剣をたたき落とし様に、その顎を思い切り打ち据えて昏倒させると叫んだ。
「逃がすな!全員逮捕ーっ」
太陽神殿裏手
太陽神殿の裏手に当たる民家。
家族は数日前密やかに殺され、その地下に埋められている。
その民家に1人のクリフォナム人の格好をした男が入って来た。
隣にある太陽神殿の様子を窺っていたその男は好機が到来した事を告げに戻ったのである。
「……今大神官は1人だ」
「何!?」
色めき立つ男たち。
一見してシルーハ人やクリフォナム人と分かるもの、帝国風の衣服を身に纏うものなどその風体は様々であるが、ただ1つ共通するものがあった。
それは暴力と策謀渦巻く後ろ暗い世界で生き延びてきた者特有の荒んだ雰囲気を持っていると言う事である。
生気は無いが異様にぎらつく目、歪な笑顔、歪んだ口、上げれば切りが無いが、今それが一様に輝いた。
「治安官吏は上手く南街区へ引きつることが出来た、しばらくは帝国貴族と北の王子の配下が相手しているだろう」
「……上手い具合に1人になったものだな」
シルーハ人の間諜がつぶやくと、クリフォナム人の間諜が密やかに叫ぶ。
「今こそ好機だ……!」
「やはり腹は大きいな、あれでは逃げられまい……上手くいきそうだ」
「とは言っても抜かるな……相手は大神官だ、高位神官術に気をつけろ」
それに答えたのは先程知らせを持ってきたやはりクリフォナム人の男。
その言葉に注意を加えたのは帝国風の衣服を身に纏った中年男である。
「分かっている……」
「……行くぞ」
黒ずくめのシルーハ人間諜達は素早く懐から短剣を抜くと、中の一人の間諜が取り出した小さな壺へ浸すと、再び鞘へとしまった。
ぬるりと粘り気のある液体が短剣の刃体に纏わり付く。
「……猛毒だぞ、気をつけろ」
「ああ……」
「かすっただけで良い……すぐに死ぬ」
「同士討ちに気をつけろ」
「分かった……行くぞ」
「……おう」
太陽神殿、大聖堂
「やはりおかしいですね……アルトリウスさんの存在がつかめません」
エルレイシアは大聖堂の中央、太陽神を象徴する祭壇に向かって目を瞑ったまま首を捻る。
お勤めを兼ねて姿を消してしまったアルトリウスの所在を探ろうと探知の神官術を発動させたが、大きく偉大な魂の形跡は見つけられなかったのだ。
戦時体制に移行した事で市民達の訪れは多くなったが、それ以外の太陽神殿は人が少なくなっているので、今エルレイシアは1人。
薬事院の薬師や治療師達も戦場へと向かい、閑散としているからである。
治療術を修めている事が多い太陽神官も今回は後方支援役として戦場の近くの本営で控える事になっているため、身重なエルレイシア以外の太陽神官は戦場に向かった。
ハレミア人との戦いで損耗した兵士を補充するため、クイントゥス指揮下の特殊工兵隊とシレンティウム守備隊も兵士を引き抜かれており、ハルは仕方なしに行政街区の警備に当たっていた兵士を減らしており、この太陽神殿も警備は手薄となっている。
ふとエルレイシアが不穏な空気を感じ取って目を開くと、染み出すように黒い服を着た男たちが神殿内に現れていた。
「……だれですか?」
「暗黒の使者、くくっ」
黒い粘性のある液体で塗れた短剣を音も無く抜くシルーハの間諜達。
顔はマントに付属している頭巾で覆われており伺う事は出来ないが、その口元が不気味な笑みの形に歪むのを見たエルレイシアは杖を構えた。
「不浄の気配がします。使者……ではなく、死者ではありませんか?」
「くくく……」
「ははは……」
「けけけ……」
様々な嘲笑が間諜達の口から溢れ、エルレイシアが気付くと太陽神殿のあちこちから間諜達が現れていた。
「……太陽神官にして辺境護民官の妻エルレイシア。この毒の短剣で味付けをしてやろう。腹の赤子共々暗黒の贄となるが良い」
「あっ?……くあっ!」
アルトリウスを探知しようと周囲の気配に気を配っていなかったのは迂闊だった。
慌てて神官術の詠唱を始めようとしたエルレイシアだったが、後方から獣のように飛びかかってきた間諜に驚いて身を躱した拍子に力なく転んでしまう。
身重なため身体が自由に動かせないのだ。
しかも転ぶ際に自分の腹部を庇った為に杖を手放してしまった。
乾いた音を立てて滑る杖を見送る以外にすべなく、咄嗟にハルから託された守り刀を抜くがそれも間諜の投げナイフに弾かれてしまう。
唇を噛みしめるエルレイシアに抵抗の手段は失われた。
それ以外に大事はなかったが、不自然な倒れ方をしたので起き上がるのに時間が掛かり、その隙に間諜達によって間合いを詰められてしまう。
「くふっ……」
「ああっ?」
静かに眼前へと突き付けられる毒塗れの短剣に絶望の声を上げるエルレイシア。
美しいその顔が歪むのを愉悦を含んだ笑みを交えながら間諜が言う。
「……お前の陵辱され尽くした惨殺死体を、そしてお前の腹から引きずり出された子供の死体を見たときの辺境護民官の顔が見物だな。くくく……絶望の余り自殺するかも知れん」
「ははは、そうなれば儲けものですな……」
「くうっ……ああああっ!?」
エルレイシアの左腕と右肩に短剣がぐぶっと音を立てて差し込まれ、瞬時にその部分の肌がどす黒く変色した。
急速性の毒がエルレイシアの身体を冒し始め、エルレイシアは全身から汗を吹きつつ横たえたままの身体を更にがくりと床へ落とす。
「ううっ……ハルっ、すみません、私はっ……」
力なく倒れ伏したエルレイシアの神官衣を乱暴に引き裂く間諜頭。
たちまちエルレイシアの美しい裸体が露わとなる。
大きくなった腹部は些かもその美しさを損なっておらず、厳しい訓練を受けて抑制力の強められているはずの間諜達が息を飲んだ。
「くくく……美しい妊婦か、なかなか趣があるな」
舌なめずりせんばかりの間諜頭の言葉に入らない力を振り絞って這いずろうとするエルレイシア。
必死に腹部を庇おうとするが言う事を聞かない身体に悔しさの余り涙を流すエルレイシアに、嘲笑しつつ周囲の間諜達から手が伸び、その白く美しい身体を撫で回した。
それでもなお身を捩ろうとするエルレイシアを驚嘆の目で見つめ、間諜頭が言う。
「おっと、これ以上動かれても面倒だ……手足を刺せ」
「……はっ」
間諜頭の命令を受けて、2名の間諜が未だ毒の付いた短剣を振るい、相次いでエルレイシアの両手両足を刺す。
静かに赤い血が流れ、刺された部分がどす黒く染まった。
「あぐうっ」
苦悶の声を上げるエルレイシア。
これで抵抗どころか身動きすらままならず、間諜達にいたぶられるだけとなってしまったのだ。
「……いいぞ、やれ」
「くくっ」
「ふはあっ」
「げひい」
これより少し前、シレンティウム食糧倉庫
糧秣として中にあった食料は運び出されてすっかり空となった食料庫の床。
そこに僅かな白い光のひび割れが入った。
ひび割れは次第に大きくなり、そして複雑に床一面へとた走る。
『おうりゃああっっ!!!』
そして凄まじい音と主にひびが粉々に砕け散り、その中から気合いと共に白い長剣が高々と突き出された。
倉庫は轟音と凄まじい白い光に包まれる。
そして白の聖剣を抜き放った帝国の鬼将軍、アルトリウスが目を瞑ったままその光の中から現れた。
アルトリウスがゆっくり目を開いて周囲を確かめると、ふと言葉を漏らす。
『ふむ、何と厄介な封印であった事か……んまあ、我の手に掛かれば破れぬ事は無かったであるが、随分と時間が掛かってしまったであるなっ。さてと、まずは……』
アルトリウスはそう言いつつ白の聖剣を塵一つ落ちていない倉庫の床に突き立てた。
白い波紋が幾重にも現れ、その波紋は静かに見えなくなりつつもシレンティウム中に広がってゆく。
アルトリウスの影響力が再びシレンティウムの隅々にまで行き届いた。
自分の影響力が十分に浸透した事を確かめ、しばらく街の様子を把握するべく目を瞑っていたアルトリウスは、かっと目を見開いて声を上げた。
『ぬおう!?なんたる事であるかっ、これ程までに間諜が……?一体どのくらいの時が流れたと言うのか……』
その中でも一際気になる気配があった。
アルトリウスの顔に焦りの表情が浮かぶ。
『うん?……これはっ!不味いであるっ』
太陽神殿
間諜達が脂汗を流すエルレイシアに覆い被さろうとした時、突如黒い旋風が巻き起こった。
『下郎共……エルレイシアから離れるが良い』
怒りとどす黒い呪詛を込めた言葉その口から煙と共に紡がれ、怖気が全ての間諜達の背筋を撫でる。
白く目を光らせ、青い鬼火を伴い一歩一歩進む死霊の迫力に気圧される間諜達が後退る。
つっと冷や汗をしたたらせた間諜頭が呻くように言い放った。
「……貴様、鬼将軍!封じられていたはずだ!?」
『ほほう、聞き捨てならんな。我が封じられていた事を知るか……ならば……』
アルトリウスが手を振ると、ドンッという音と共に太陽神殿の床から黒い煙が一気に噴き上がる。
『捕らえて出所を吐かさねばならんな』
「うごっ?」
「ぐは」
「げはっ」
「えひっ?」
黒い煙は意思を持つかのようにうねり、間諜達に絡み付いてその動きを封じてゆく。
そして、ゆっくりその精気を吸い取り始めた。
「「「ぎええええええええっ!!!?」」」
間諜達は自分の身体が砂になってゆく感触を激痛と絶望の中に味わいつつ絶叫する。
『ははははははは』
悪霊そのものの高笑いを上げ、アルトリウスは間諜達を嬲りながら次々に砂へと変えていった。
そして間諜頭の精気だけを死なない程度に残す。
「う……ああ……」
『……苦しかろう、だがこの程度では済まさぬ』
ドサリと床に崩れ落ちる間諜頭を尻目に、アルトリウスは吐き捨てるようにうと周囲の様子を探ると、南街区で混乱の気配がする。
気配の一方はよく知っている、後任者の同僚のものであろう。
『我がおらぬとは言え情けなし……アエティウス治安長官め、南街区へ釣り出されおったな?致し方あるまいが見過ごせる失態では無いぞ』
引き続いて町を探るアルトリウスが眉根を寄せる。
『ハルヨシがおらん、兵士も極めて少ない……何があったのであるか?』
それからアルトリウスは裸で倒れているエルレイシアを見る。
脂汗を流し、ハルの名を譫言のように呼ぶ哀れな姿がそこにあった。
明らかに刺されたと分かる傷口付近から血管が黒く染まり始めており、猛毒に侵されている事が直ぐに分かった。
『むう、これは……猶予ならんっ、しかし我は触れられんっ!くっ』
慌てて太陽神殿の隣にある薬事院へと向うアルトリウス。
少しなりとも目を離すのは心配だったが、エルレイシアを襲った間諜はおらず、その頭も精気を抜き取って動けなくした。
直ぐにどうにかなる心配はあるまい、それよりも今は毒の方が一刻を争う。
アルトリウスは見切りを付けると直ぐさま薬事院へと向うのだった。
「うう……ハル、ごめんなさい……でも子供だけはっ」
アルトリウスが去った後、朦朧としながらも一瞬意識を戻したエルレイシアは、自分が裸であるものの未だ穢されても死んでもいない事を確かめて安堵のため息をついた。
そして周囲に敵がいない事を悟ると、ぶつぶつと祝詞を唱え、自分の腹部に腐り始めた手を当てる。
「あななたちだけでも……」
暖かい光がエルレイシアを包み、毒の進行が止まる。
「……生き残ってっ」
つっと涙を最後に落とし、エルレイシアは深い闇の世界に落ちていった。