第11話 ヘオン近郊の戦い
第21軍団駐屯地
「急げえ!!敵は待っちゃくれねえぞ!」
百人隊長が兵士達をどやしつけて出動準備を急がせる。
先頃復員したばかりで油断していた事は否めないが、北方軍団最強の第21軍団は最精鋭の名に恥じない素早い動員と準備で面目を大いに施した。
休暇中の兵士を呼び戻して作戦計画と方針を説明した上で装備の総点検と出動準備を取らせ、輜重隊はシレンティウムの食料庫から残り少なかった糧秣を全て運び出して馬車に積み込んでゆく。
ハルからの動員命令が下って数刻後に第21軍団7000名は、早くも出動準備を整え終えたのであった。
シレンティウム行政庁舎
シッティウスは前回と同様直ちにシレンティウム市民に対して戦時体制に再び移行した事を告知する。
「情報は正確な物を適宜提供しなければなりません。根拠の無い噂や偽情報で市民が混乱するのを防ぐためにも正確な情報を的確に、信頼ある行政府が流し続けることこそが市民の安心と信頼を勝ち得る最良で最善の手段なのですから。これは敵の間諜が振りまく偽情報や破壊工作防止にも効果があります」
今回は間諜に対して絶大な力を振るったアルトリウス顧問官も不在。
正に人の力だけで全てを為さなければならないのだ。
行政府の官吏達に対して訓示を行っていると、1人の官吏が言葉の切れ目を見計い、手を上げて質問した。
「行政長官、私たちに不利な情報も流すのですか?」
「当然ですな、先程言ったとおり情報は正しく正確に告知するのが重要です。そして正確な情報を告知し続ける事によって信頼が得られるのです……あなたは普段から嘘をついている嘘つきの言葉を信じますかな?」
「いえ……」
シッティウスの怜悧な返答に口ごもる官吏。
それを見ながらシッティウスが更に言葉を継いだ。
「では、いつも正確な事を言う人の言葉はどうですかな?」
「当然……信じます」
「当然そう言うことですな、答えは最初から出ています。敵の工作に乗ぜられないためにも正確な情報を告知する事は大切です。噂話より行政府の告知を信用して貰えるようにすれば、市民は的確な行動を取ってくれるでしょう……以上で終わります」
シッティウスの言葉に官吏達が自分の席へと散ってゆく。
今日から戦時体制に移行し、再びシッティウスの元に集められた各部署の官吏達。
また過酷ながらも充実したあの日々が始まるのだ。
フレーディア城
フレーディアの宮宰、ベルガンは自派に属するフリード貴族や戦士長達をフレーディア城の王の間へと招集した。
集まったフリード族の有力者達は約50名余りで、それぞれが一族郎党を率いて戦支度をした上での参集である。
彼らはかつての英雄王アルフォードの近臣であった者達。
アルフォードの遺志を優先とフリード族の誇り、更には帝国辺境護民官の影響下に入る事を両立させるべく日々奮闘している者達でもある。
全員が戦の気配が近付いている現在、緊張した面持ちでベルガンの持つ件の辺境護民官ことフリード王を兼ねるハル・アキルシウスからの書状を注視していた。
全員が王の間に集まり終え、自分を注目している事を確かめてからベルガンはその手にしていた書状を徐に開く。
しばらくの時間、沈黙が王の間に落ち、その後ベルガンはゆっくりと正面を向くと口を開いた
「アキルシウス王は援軍を約束してくれたが……」
「どうかされましたか?」
「うむ、援軍は第21軍団の7000名のみだそうだな……南でシルーハが動いたらしく、そちらにアダマンティウス軍団長が第22軍団を率いて向かうと言う事だ」
一斉にうなり声を上げ天を仰ぐフリードのの親シレンティウム派の面々。
その内の1人が悲鳴じみた声を発した。
「それは!敵はダンフォードが率いるフリンク族戦士6000を主力として、今や1万5千程にふくれあがっておりますぞ!たった7000ではっ……!」
「やむを得まい、シレンティウムはハレミア人の大群と戦ったばかりだ。如何に大勝利したとは言えそれなりに損害もあったのだ。食料も十分準備できていないだろうし、兵の休養も不十分な状況で援軍を送ると言ってくれたのだ、感謝せねばなるまい……」
「し、しかし……」
静かに諭すような口調で窘めるベルガンであったが、その貴族は納得した様子もなく言葉を続けようとしたが、諦めた。
たしかにあの北の野獣どもと正面切って対峙し、最後は完膚無きまでに叩いたのはシレンティウム軍である。
正面からぶつかり、兵士や物資の損害を出したのもほぼシレンティウム軍のみで、ハルの作戦によって側面攻撃へと回った部族戦士達は損害が皆無に近かったのだ。
食料などの物資についてもシレンティウムがほとんどを負担しており、おまけに難民の収容も全てシレンティウムが行った事から周辺部族に経済的な損害もない。
それに敵対国家であるシルーハが動いたとなれば南の防備もせねばならず、どれほどの兵が敵にあるかは分からないが北の地へ軍団を派遣している余裕は本来無いだろう。
別の有力貴族が暗くなった雰囲気を払拭しようと明るい声を出した。
「ははは、心配する事はありませんでしょう!アキルシウス王がハレミア人に使用した“シレンティウムの火”があればフリンク族など鎧袖一触でしょう」
「いや、それも今回は帯同できないとの事だ。整備点検のためらしい」
しかしベルガンからその頼みの綱が使えない事を伝えられ、愕然とするどころか絶望のあまり顔を泣きそうな形に歪めて絶叫する。
「え?そ、そんな馬鹿な……それでは我々は見殺しではありませんか!」
「……馬鹿な事を言うな、それでもアキルシウス王は軍を直接率いてフレーディアの救援に来ると言っているんだぞ」
「勝てなければ意味がありませんぞっ」
「それでなくともダンフォードは我々を裏切り者と称して目の敵にしておりますからなっ、もしフレーディアが落ちれば我々は言うに及ばず、フレーディアの族民にも類が及びかねませんぞ!」
騒然となる王の間。
いかな有力者達と雖も、各々300から500程度の戦士しか持たない者達である。
ダンフォード王子の切り崩しがあったのか、親シレンティウム派の会合に以前参加していた者で今ここに居ない者もちらほら見受けられる。
おそらくそう言った者達は寝返ったのであろうが、自分達が不利である事もあって不安感が増しているのである。
「騒ぐな!」
ベルガンの一喝で場が静まる。
自分に周囲の視線が再度集まった事を見て取り、ベルガンが言う。
「今はアキルシウス王を信じてフレーディアに籠城して耐えるしかない。すぐに準備を始める!」
「「承知致しました……」」
確かにベルガンの言うとおり、今はとにかくハルを信じて出来うる限りの戦準備と籠城をするほか術がないのだ。
有力者達は自分の配下の戦士達に指示を出すべく、慌ただしい様子で王の間を出るのだった。
ヘオン近郊
城邑ヘオンを囲んでいたはずのシルーハ軍は、アダマンティウスが到着する頃にはその囲みを解き、ルグーサ峠に近い場所で陣を敷いて待ち構えていた。
その様子を見てアダマンティウスはヘオンが陥落していない事に安堵すると共に、シルーハ軍の狙いが本当は自分達の引き付ける事だったのでは無いかと疑念を抱く。
ダンフォードの南下と呼応しているのもさることながら、シレンティウム側が上手く2分されてしまった感じがしたのである。
アダマンティウス率いるシレンティウム第22軍団は、帝国軍団兵が多い事もあって帝国伝統の重装歩兵戦術を発揮すべく、得意の横列陣を敷く。
中央に第22軍団の重装歩兵5000名、左翼と右翼にソカニア族とソダーシ族から送られた戦士が3000名ずつの計6000名。
さらにその左右には帝国の重装騎兵が1000ずつ計2000名が配されている。
対するシルーハ軍は前方に長槍を装備し西方諸国の装備を身に着けた重装歩兵傭兵。
その左右に弱兵の噂高い南方歩兵が配置されている
兵数はそれぞれ1万程度、シルーハ得意の騎兵はどうやら連れてきていないようである。
シレンティウム軍1万3千にシルーハ軍2万が睨み合った。
シルーハ軍の本陣ではアスファリフが兵糧として持ち込んだ干し肉をくちゃくちゃと行儀悪く噛み下しながら口を開く。
「……ふん、北の勝利者と名高い辺境護民官の実力拝見と思ったが、まあ仕方ねえ。しかも出て来たのが鉄壁のアダマンティウスとあっちゃ不満も言ってらんねえなあ」
余った干し肉を口に放り込み、再度くちゃくちゃと噛みながら考えるアスファリフ。
現在対峙する将官は帝国軍の生き字引、鉄壁と謳われるあのデキムス・アダマンティウスである。
かつて西方帝国屈指の戦略家であり戦術家であると名高かった将官だが、長らく派閥争いを嫌って国境警備隊長として辺境で引退同然に過ごしていたと聞いている。
それがどうも辺境護民官に触発されたためか、今この時を選んで表舞台へ出て来たようだ。
敵将の名を改めて思い出したアスファリフは堪えきれずに笑みをこぼす。
「くくく、大者だぜえ……良将だぜえ……」
「……将軍」
「おおう、何だ?」
自軍の将軍が暗い笑いを浮かべているのを見て斥候頭が顔を引きつらせて声を掛ける。
それに気付いたアスファリフは、気持ち悪い程満面に笑みを浮かべて応じた。
「準備が整いましたが……大丈夫ですか?」
「おう、大丈夫だ……なに、久しぶりに手強い相手なんでな、ちっと興奮しちまったぜ!くははっ、西方諸国内の国境紛争にシルーハの反乱貴族、オマケに頭の悪い西方帝国総司令官、全く歯応えの無い相手ばかりだったからな!一戦のやり甲斐が違うってもんだぜ!」
笑みを喜悦から不敵なものへと変えたアスファリフに安心し、斥候頭は前線へと戻る。
斥候頭の背中を見送ってからアスファリフは敵陣を遠望した。
その先には帝国将官の赤いマントを身に着け、鉄重ねの鎧を隙無く着用している白い髪と髭を蓄えた老将軍が悠然と馬上から指揮を執っているのが見える。
しばらくその姿をじっと見つめるアスファリフ。
その次の瞬間、ふとその老将軍がこちらを見て笑うのが見えた。
「……くくく、ますますおもしれえっ、うはははははははっ!!」
一瞬笑みの意味を捉えかねて目を丸くしたアスファリフだったが、次の瞬間心の底から湧き上がる喜悦に身を委ねて哄笑を放った。
「劣勢にありながら俺を挑発するかよ!くくく、行くぜ鉄壁のアダマンティウスっ!勝負だ!!……全軍前進!!」
怒声と紛う程の勢いで発せられたアスファリフの号令で、シルーハ軍2万がゆっくりと、そして一斉に動き出した。
敵将アスファリフと思しきシルーハ人の将帥に悪戯の笑顔を送ったアダマンティウスは顔を引き締めると、配下の将官や伝令達に作戦目的を告げる。
「良いか?この戦は戦勝目的にあらず!自陣を守り抜き、敵を撤退に追い込むのが目的の戦である、故に派手な戦いはしない。じっくり構えて敵の猛攻を防ぎ止め、烈攻を耐え、敵の撤退を待つのだ」
「「はっ」」
敬礼をアダマンティウスに送り、将官や伝令達が配置に就くべく散ってゆく。
その背中を見送り、アダマンティウスは副官に不敵な笑みを向けながら言葉を継いだ
「但し!万が一にも敵に隙あらば絡め取ってやろうぞ……油断する事の無いように」
「了解しております……全軍前進!」
不敵な笑みを返した副官が前進の号令を掛けると、シルーハ軍に僅かに遅れシレンティウム軍1万3千がゆっくりと前進し始めるのだった。
少しずつ相手の出方伺うように前進してきたシルーハ軍とシレンティウム軍。
最初の戦端はそれぞれの主戦力である、重装歩兵傭兵6000と帝国軍団兵4000の間で開かれた。
次々と大きめの投げ槍を投擲する帝国軍団兵が先手を取り、重装歩兵傭兵の戦列が乱れる。
しかしシルーハ軍は大きく乱れず戦列を維持し、そのまま長槍を前面に押し立てて喚声を上げる。
2本の投げ槍を投擲し終えた帝国軍団兵が剣を引き抜き、大盾を構えて鬨の声を上げて応じた。
たちまち剣と槍がせめぎ合い、大盾と槍がぶつかり、剣と丸盾がぶつかる。
「引いて構わんぞ、無理押しするんじゃ無い!」
アダマンティウスの命令が伝令によって最前線へ届けられ、百人隊長が配下の帝国軍団兵達に向かって叫ぶ。
兵数の多いシルーハ軍の重装歩兵傭兵であるが、長槍を装備し、密集隊形を維持するとどうしても柔軟性には欠け、前進一辺倒になってしまう。
一方取り回しの利く剣を装備している帝国軍団兵はその柔軟性を生かし、引き押しを自在に行いつつシルーハ軍の圧力を巧みに逸らしていた。
敵の特性と味方の特性を十二分に把握したアダマンティウスの巧みな采配で、戦線は一進一退の膠着状態に陥りつつある。
自分の目論見通りに先頭が推移していくのを見てアダマンティウスが独り言をつぶやいた。
「はて……雷撃のと言われる割には平凡な采配指揮だな、まだ何か隠しているのか?それともこれから大きく動かすのか……?」
進展しない最前線を見てアスファリフがぽつりとこぼした。
「ふん……やっぱり正面衝突は分がワリイか。鉄壁と言うだけあって手固いな、隙がねえ……」
「……南方歩兵を投入しますか?」
そのつぶやきに素早く反応した斥候頭の言葉に、少し考えてからアスファリフは命令を下す。
「おう、だが、右翼に集中して投入しろ」
「え?それでは左翼の側面が空いてしまいますが……」
「相手もそう思ってるだろう?構わねえ、兵数はこっちの方が随分多いんだからな。左翼は重装歩兵傭兵の予備4000を守りに当てる。攻勢に出る南方歩兵の指揮はお前がやれ」
驚く斥候頭にアスファリフはにやりと笑ってから言葉を継ぐと、斥候頭は静かに答えた。
「……承知しました」
素直にアスファリフの言葉に従う斥候頭。
今までも常識外れの命令を度々下されたが、まさかと思いつつもその命令を聞いて今まで一度も失敗した事は無いのである。
今度もおそらく大丈夫だろう。
そう考えつつ斥候頭は直ちに南方歩兵を指揮すべく自軍の右翼へと向かうのだった。
「伝令!敵右翼が押し出してきました!」
「……兵数は?」
「南方歩兵約1万、敵の予備兵力の総数と思われます!」
「何!?」
伝令の報告に驚くアダマンティウスだったが、表情には出さず素早く頭を巡らせる。
敵の最前線に配置されている西方諸国の重装歩兵傭兵は今のところその威力を十分発揮出来ないまま味方の帝国軍団兵に阻止されている。
アスファリフは奇襲や側面攻撃を得意とする将帥である。
何らかの形で戦線を揺さぶってくると考えていたアダマンティウスだったが、まさか南方歩兵を全て片翼に集中してくるとは考えていなかったのだ。
しかし驚いて手を拱いている訳には行かない。
このままシルーハ軍の動きを放置すれば、1000余りの重装騎兵と同盟部族軍3000程度しか配置していない味方の右翼は破られてしまうだろう。
予備兵も少なく、敵との兵数差がある現状で増援を向けても意味は無いとアダマンティウスは即座に判断した。
ここは攻勢に出る事で敵の動揺を誘い、敵右翼の側面攻撃を弱めるほか無い。
「味方左翼に防御陣を敷かせ、騎兵は素早く右翼へ回し右翼の同盟部族や騎兵と合同して敵の左翼を突け、手薄なはずだ。急げ!」
「了解しました!」
アダマンティウスの命令を携えた伝令がすぐさま左右に分かれて走り去る。
勝敗の分かれ目が迫っていた。
「アスファリフ将軍、敵の右翼が動き始めました。どうやらこちらの左翼に攻勢を掛けてくる模様!」
斥候兵から為された報告を聞いたアスファリフは、にやりと片方の口角を上げる。
凡将であれば動揺して陣形を傾けるか、後退しようと図った事だろう。
そうなれば拮抗している前線に乱れが生じ、正面での兵数差が一気に出て戦線の膠着が崩れたかも知れないのだが、アダマンティウスは乱れなかった。
あわよくばとの考えも頭の片隅にあったが、そこは上手くはいかないようである。
防御に長けているとの噂に違わぬ老将のしぶとい指揮振りに、アスファリフは楽しそうな笑顔で言葉を発した。
「くくく……流石だなアダマンティウス軍団長。こちらの動きに対応して即座に攻勢へ切り替えて来やがったか、流石だ」
「如何為さいますか?」
「うん?どうもしねえ、防御に回した重装歩兵傭兵で受け止めるだけさ」
「……はっ!」
本陣から斥候兵が去るのを待ってから、アスファリフは再びにやりと笑みをその顔に浮かべた。
「やるねえ……どちらが先に敵の側面を破るかの勝負になってきたって訳だ、まあ勝つのは俺だがねえ」
騎兵を後方から右翼へと回して2000となし、部族戦士団3000と併せてアダマンティウスはシルーハ軍左翼の突破を企図する。
しかしその前には長槍の鋭い穂先をずらりと居並べた重装歩兵傭兵が立ちはだかる。
アスファリフが少数でも十分敵の攻撃的な部隊を阻止できると踏んだ、最精鋭の重装歩兵傭兵である。
平均年齢は他の部隊より高いが、豊富な経験と技能を持つ“ヴェテラニー”と呼ばれる傭兵中の傭兵達、それが彼らであった。
第22軍団付きの騎兵隊長は正面に展開されている槍衾を見て顔を歪めた。
そして傍らに居たソカニア族の戦士長に声を掛ける。
「戦士長、騎兵に長槍は鬼門だ。我々は迂回してあの槍衾をやり過ごす!申し訳ないが正面から敵を牽制して欲しい!」
「……分かった、難敵だが何とかやってみよう」
「頼む……なるべく早く突入体勢を取るようにする」
「まあ、正面から俺たちが撃ち破ってしまうかもしれんから無理はしなくて良いぞ?」
騎兵隊長が歯を食いしばって馬首を返すと、笑いを含んだ戦士長の声が背中に掛けられる。
かつて敵だったはずの西方帝国軍騎兵隊に向けられた信頼に、騎兵隊長はぎりりと強く手綱を握りしめた。
「済まんっ」
騎兵隊長はすぐさま部下の2000名の騎兵を集め、くさび形の隊形を取らせると、横撃を加えるべく移動を開始した。
一方のソカニア族戦士団は、気勢を上げて突撃を開始する。
前面には鋭い穂先を揃える重装歩兵傭兵が待ち構えていた。
兵数に差はそれ程無いが、統制の取れた重装歩兵傭兵ヴェテラニー部隊に対し、ソカニア族戦士団は一気呵成に打ち掛かる。
たちまち長槍と剣が交錯し、悲鳴と怒号が混じり合う。
厄介で威力のある長槍の一斉突き出しにも怯む事無く、ソカニア族戦士団はその穂先に剣を合わせて打ち払い、隙間を見付けては密集方陣への突入を図る。
しかしヴェテラニー部隊は味方戦士の死体を乗り越えても迫るソカニア戦士の蛮勇に動揺する事無く、冷静に後続の兵士達が突入してきた戦士達に槍を合わせて突く。
一時は突撃の勢いで深く密集方陣に食い込んだかに見えたソカニア戦士達だったが、次第に追い払われ、討ち取られて膠着状態が生まれた。
攻め疲れの見えるソカニア戦士達は、それでも諦めずに挑みかかってゆく。
その時、ようやく側面に回り込んだ帝国の重装騎兵が突撃を開始した。
「味方戦士団の犠牲を無駄にするな!突撃!」
騎兵隊長の号令で一斉に馬蹄を轟かせて重装騎兵が突撃を開始する。
しかしアスファリフからシルーハ軍の左翼指揮を任された傭兵隊長はその様子を見計らって冷静に命令を下した。
「前左方陣へ隊形変更……用意!」
その号令と共に、方陣の四角の左上から右下に向って斜めの線が入る。
線から左側の兵士達が一斉に地面と平行にしていた槍を垂直に掲げたのだ。
「左半陣、左向け左!」
そして左向け左の号令と共に、方陣の線から左に居た兵士達が左を向き、一斉に槍を地面と平行の位置まで勢い良く下ろす。
たちまち側面に回っていたはずの帝国重装騎兵隊の前に槍衾が現れた。
「なっ何っ!!」
既に突撃を開始して敵陣到達まで半分の位置に来てしまっている。
今更突撃を中止する事も出来ず騎兵隊長は絶望感に包まれるが、再び眦を吊り上げて裂帛の気合いを部下達にかけた。
「敵陣は薄いぞ!踏み破れ!!」
うおう!!
重装騎兵の突撃は強力ではあるが正面から長槍に阻止されると弱い。
自分達の突撃による攻撃力が全て自分自身に跳ね返ってしまうためだ。
馬蹄の音と喚声を轟かせて凄まじい勢いで突撃を掛けた重装騎兵達だったが、たちまち自身の身体を敵の構える長槍の鋭い穂先で貫かれる。
「ぐうっ!」
自身の腕と足を貫かれ、突撃を阻止された騎兵隊長が痛みと悔しさで歯がみする。
既に副官は最初の突撃の際、長槍で身体の中心を貫かれて戦死した。
顔を狙って伸びてきた槍の穂先を長剣で辛うじて切り払うが、継いで伸びてきた複数の槍に身体を馬もろとも貫かれた。
「……くそ」
馬と一緒に倒れながら騎兵隊長はそうつぶやくと、血を口から吐きながら事切れる。
「ふむ……」
これ程上手く作戦が嵌まるとは思っていなかったのだろう。
些か驚いた様子で重装歩兵傭兵を率いる傭兵隊長がつぶやくその前方には、槍や長剣を手に帝国の重装騎兵が左翼から突撃してくる様子が見える。
前方にはクリフォナムの蛮族戦士との激しい戦いが未だ続いていた。
「……勝負は決したな……」
突撃してきた騎兵が敢え無く長槍の槍衾に阻止されて次々と討ち取られる。
血煙と絶叫の中に帝国の重装騎兵達が次々に沈んでいった。
ソカニア族の戦士達も攻め疲れと北方蛮族特有の粘りの無さが出て、為す術無く攻撃を阻止されている。
当初は厳しい阻止戦を強いられると覚悟していただけに、傭兵隊長はある意味拍子抜けしてしまった。
余りの嵌まり具合に傭兵隊長は腑に落ちず首を捻るが、楽に事が済むのならそれに超した事は無い。
重装騎兵を壊滅させた左半陣が再び正面のソカニア戦士団に向き直る。
長槍を重装騎兵達の血で染めた重装歩兵傭兵の威容に怯む事無く向ってくるソカニアの戦士達であったが、それ以上攻め込む事も出来ずにいたところを、最後は戦線を逆に撃ち破られて潰走してしまう。
「……勝ったか、旗を揚げろ」
傭兵隊長は直ぐさま用意していた戦勝を示す黄色い旗を揚げさせた。
「これは不味い事になった……」
思わずこぼすアダマンティウス。
右翼の攻撃があっさり失敗した。
その結果虎の子とも言うべき重装騎兵が全滅し、ソカニア族の戦士達が戦線を離脱してしまったことでシレンティウム軍の右翼は壊滅してしまったのである。
そして左翼も状況は芳しくない。
ソダーシ族の戦士達も敢闘しているが、自分達の3倍にもなる南方歩兵の攻撃を受けて悪戦苦闘している。
正面の帝国軍団兵は未だ善戦しているが、左翼の圧力が無くなった事でおそらく防備に回されていた重装歩兵傭兵が支援に回るだろう。
「戦線を縮小するしかないか……伝令、繰り引きの命令を出せ!」
「ははっ」
アダマンティウスは最前線の帝国軍団兵に遅滞戦闘の指示を出す。
戦いながら徐々に退却し、戦線を縮小し、最後は頃合いを見て退却するのだ。
しかしその隙を見逃すアスファリフでは無かった。
左翼から上がった戦勝旗を確認し、更には書く戦線を見て素早く情勢を把握したアスファリフは、直ぐさま命令を下すべく口を開く。
「ふん、そろそろ退却し始めるだろうなあ……攻勢に出るぞ!」
「はっ!」
「右翼に蛮族の兵を踏み破るように指示を出せ。正面は相手が退却を開始ししたと同時に前進だ!」
「了解!」
「左翼のヴェテラニー部隊にはがら空きの敵右翼を突くように命じろ!」
「承知しました」
アダマンティウスの退却の意図を敏感に察したアスファリフは、素早く、そして的確に指示を各配下の部隊へと出してゆく。
「狙うは敵指揮官、第22軍団軍団長アダマンティウスの首!総掛かりだ!」
シレンティウム軍は退却し始めると同時に全方位からの攻勢を受け、まず左翼のソダーシ戦士団が崩壊した。
1万の南方歩兵に全面攻勢に出られてとうとう支え切れなくなったのだ。
元々防御的な戦闘や長時間の戦いには向いていない部族戦士達は、劣勢に陥ると一気に崩壊してしまう。
正面の攻勢も強まり、帝国軍団兵は戦列が崩壊しないように粘り強く戦っているものの、意図的な退却のはずが本当の退却になり始めているのが本陣からも分かる。
「うぬ!予備の千人隊を出せ!防御陣を張るのだ!」
アダマンティウスは負けを悟るが予備にとっておいた帝国軍団兵1000に戦列を構成させ、しんがりを務めるべく指示を出す。
とうとう本陣まで迫る戦線。
追い込まれた帝国軍団兵の周囲はシルーハの重装歩兵傭兵と南方歩兵によって半円形に包囲された。
「退却する!私が後衛を務めるので、軍団は速やかに退け!」
それまで正面の戦線を支え続けていた帝国軍団兵を後退させ、アダマンティウス自らが剣を抜いてシルーハ軍の前に立ちはだかる。
「死中に活を求めよ!ゆくぞ!」
勝ち戦に乗じて追撃を掛けていたシルーハ軍の最前線は、突如猛烈な投げ槍攻撃を受けた。
勢いよく飛来する大型の帝国式投げ槍は、シルーハの重装歩兵傭兵の丸盾を撃ち抜き、南方歩兵の簡素な鎧を食い破ってその身体へ突き刺さる。
この突発的な攻撃で正面に位置していた南方歩兵や重装歩兵傭兵が次々に射貫かれ、ばたばたと倒れた。
投げ槍攻撃は連続して続き、シルーハ軍の勢いを大いに削いでいく。
すかさず微前進した北方軍団兵は大盾を一斉に地面へと叩き降ろした。
がつんと大きな音がシルーハ軍を威圧し、さらにその突進力を減じせしめ、たちまち膠着状態が戻ってくる。
「おう、なかなかやるねえ鉄壁のアダマンティウス……敗色濃厚の現状にありながら見事な統率力だ」
「何の、まだまだ若い者には負ける訳にはいかんのだよ、雷撃のアスファリフ」
前線に出て来たアスファリフと、後の無いアダマンティウスがそれぞれの兵士を挟んで対峙する。
「ふん……さすがは鉄壁か、だが勝敗は決した。大人しく退く気はないか?」
「断る!」
「じゃあ仕方ねえな~その首貰うぜ!」
アスファリフがさっと手を上げると、喚声と共に重装歩兵傭兵が槍を居並べて一気に押し出してきた。
それまで何とか薄い戦列を保っていた帝国軍団兵が押し込まれ、シレンティウム軍はたちまち混戦に巻き込まれた。
後方から入れ替わるように南方歩兵が剣や短槍を押し出して突撃し、長槍の取り回しの不自由さから乱戦に強くない重装歩兵傭兵と巧みに入れ替わってゆく。
大盾と剣を駆使して迎撃する帝国軍団兵だったが、長期の持久戦を経ており、また圧倒的な兵数の差がその敢闘精神と体力を蝕む。
「むうっ……いかん」
間近に迫った短槍を躱してのめり込むように出て来た南方歩兵を切り捨てると、アダマンティウスは呻く。
重装歩兵傭兵で徐々に圧迫を加えてくるかと思いきや、全面的な攻勢を掛けての乱戦に持ち込まれ、アダマンティウスが焦る。
味方の帝国軍団兵が次々と討たれ、アダマンティウスの周囲の兵達もどんどん厚みを減じていった。
「っははは、アダマンティウス!その首貰ったあああ!!!」
怒声と共に黒く光る不気味な煙を吐く剣を叩き付けてくるアスファリフ。
その鋭く重い一撃を自分の剣でがっちり受け止め、アダマンティウスが叫び返す。
「何の!まだこの皺首にも使い出があるのだ、他人の手に渡せぬ!!」
「ふんっ、そうは言っても貰っちまうぜえっ!!おらあ!!」
「なにっ?」
受け止められた剣をくるりと回転させて噛み合っていた刃を外すと、アスファリフはアダマンティウスの剣の腹に合わせて黒の聖剣を滑らせた。
その剣先がアダマンティウスの額を斜に裂き、眼窩へ滑り込む。
「ぐぬあっ!」
右目をえぐられたアダマンティウスが、眼窩から血と水様液、それに加えて不気味な黒い煙を吹き上げながら呻いた。
アスファリフは酷薄な笑みを浮かべ、剣先に残る血濡れたアダマンティウスの右の眼球を得意げに掲げつつ高らかに呼ばわる。
「はあっははは!悲鳴を上げないとは大したもんだ!首からは少々外れたがまあ良い……鉄壁の右目、確かに貰った!」
「軍団長!!」
その声と同時に退却していたはずの第22軍団の帝国軍団兵と部族戦士達がなだれ込んできた。
総司令官であるアダマンティウスの危機に踵を返し、応援に駆け付けてきたのだ。
弱卒の南方歩兵は少数とは言え新手の精強な兵の乱入に浮き足立ち、重装歩兵傭兵も戦列を乱したままであったことから、ここで混戦に巻き込まれては損害が大きくなると判断したアスファリフは素早く黒の聖剣を後方へと振る。
戦列を敷き直し、僅かに退いたシルーハ軍に合わせてシレンティウム軍は右目から血と黒い煙を噴き上げるアダマンティウスを守りつつ後退する。
激しい戦いがまだ随所で続いていたが、両軍は次第にその距離を開け始めた。
「ふふん、飛ぶ鳥落とす勢いのシレンティウムの軍をこれだけ痛撃出来たんだ。まあまあの出来だろ?」
「はっ、しかしあと一息で壊滅に持って行けそうですが……如何しますか?」
斥候頭が今にも突撃の号令を下しそうな逸った声で問うと、アスファリフはにたりと笑みを浮かべ、右手にある黒の聖剣の切っ先に付いた眼球を手に取ると口を開いた。
「次の戦いが待ってるからなあ……あまり損害は出したくない。敵もこれ以上攻められれば死兵となる。この辺で勘弁しておいてやろう……撤収準備を始めろ!」
重装歩兵傭兵は西方から引き連れてきたアスファリフにとって虎の子である。
幾らでも補充の利く南方歩兵と違って兵士の補充もほぼ不可能なので、余り損害は出したくないのだ。
それにシルーハの首脳陣は、費用の嵩む傭兵の補充には余り熱心で無い。
廉価で簡単に召集出来る南方歩兵を宛がってくるだろう。
兵質というものを理解していないシルーハの首脳陣に悩まされているアスファリフ。
当然、いつも一緒の斥候頭もその辺の事情は理解しており、あっさり持論を取り下げてアスファリフの命令に従う。
「承知しました」
アスファリフの意向を受けた斥候頭が伝令を部隊に放つ。
そしてアスファリフの号令で意気揚々と戦線を縮小し始めるシルーハ軍は陣形を整え、シレンティウム軍が撤収するのを歓声で追討ちをかけて見送る事になった。
ヘオン郊外西方
翻ってシレンティウム軍は敵の歓声を聞き、明らかな敗戦に歯がみして悔しがる。
第22軍団の重装騎兵は全滅、帝国軍団兵も半分近い死傷者を出し、部族戦士も大きな損害を受けた。
敗残兵を収容して統制を取り戻したアダマンティウス率いる第22軍団であったが、最早戦いを続ける力は失われていたのである。
「この様な手酷い損害を被るとは……辺境護民官殿に顔向けできん」
包帯を顔に巻かれながらアダマンティウスが悔しげにつぶやく。
こちらの決死の覚悟を見て損害が大きくなる事を恐れたアスファリフが退いてくれたから良かったものの、このまま追撃されていれば文字通り全滅していただろう。
血と泥で汚れ、刃毀れした抜き身の剣を地面に突き立ててアスファリフの陣取るルグーサ峠を残った左目で睨み付けるアダマンティウス。
「……負傷兵、遺体は残らず回収せよ。一兵たりともこの地に残す事は許さん。全員でシレンティウムに帰るのだ」
「……了解しました」
「後方に警戒せよ、追い打ち不意打ちがあるやもしれん。油断するな」
脂汗を掻きつつも気丈に命令を下すと、アダマンティウスは馬に乗ると、殿の指揮を取るべく馬首を返す。
「軍団長!」
「……済まんがこれぐらいの事はさせてくれ」
「私もご一緒致します」
「そうか……」
副官の台詞に言葉少なく答え、アダマンティウスは後方に向かってゆっくり進むのだった。
ルグーサ峠
戦勝後、アスファリフはしばらく敗走するシレンティウム軍を見送る。
隙あらば南方歩兵を使って追い打ちを掛けてやろうかとも思ったが、どうやらそう言う油断は無いようである。
「まあ良いや……どりゃ、北の王子様を少し助けてやるか……おうい」
「はっ」
斥候が去ると別の斥候に命令を下すアスファリフ。
「騎兵を周辺の偵察に出すんだ、ちなみにシルーハ人とよく分かるような格好で、目立つようにしろよ、なるべく派手にな」
「はい」
「シレンティウムの城壁付近まで騎兵の威力偵察を出せ」
「了解」
「周辺の部族へ使者を出してシレンティウムからの離反を促すんだ。物資の供出も命じろ」
アスファリフの矢継ぎ早の命令を聞いた斥候頭が訝しげに問い掛ける。
「……長居するつもりですか?」
「あん?いや、予定通り引き上げる……シレンティウム進撃と同盟解体策を臭わせて辺境護民官を揺さぶってやるんだよ」
「なるほど……」
斥候頭の感心した様子にアスファリフは得意気に言葉を継いだ。
「上手く行けば後は北の王子様が何とかすんだろ?おっとそれから……おい、いるか?」
アスファリフは言葉を発しながら何かに気付いた様子で、配下の間諜頭を呼び寄せた。
「はっ……」
音もなくアスファリフの背後に現れた間諜頭は、片膝と片手を地に着き頭を垂れてアスファリフの指示を待つ。
その静かで闇に溶け込むかのような姿を肩越しに確かめ、アスファリフは酷薄な笑みを浮かべ、冷たく突き放すような声音で言葉を発した。
「勝ちのついでだ、辺境護民官自身にもっと大きな揺さぶりを掛けてやろうぜ……嫁の大神官を殺せ!」
「……承知致しました」
少し目を見開いた間諜頭だったが、すぐに頭を下げて承諾の意を伝える。
「子供が出来たらしいが、情け容赦は無用だぜ」
アスファリフは野獣のような目を北西方向、アダマンティウスが敗走した先にあるシレンティウムの方角へと向けて言葉を継ぐ。
「都市の英雄様は封じてあるし本人は身重で抵抗は出来ないだろうが、太陽神官術に気をつけろ、油断すんじゃねえぞ?」
「了解」
配下のシルーハの間諜が消えると、アスファリフはぐいっと口元を皮肉げに歪めて立ち上がると、天幕の外へ向かって歩き出す。
「はっ……汚かろうが姑息だろうが俺は勝つためなら何でもするぜい、辺境護民官さんよ……俺の手を逃れられるかな?」