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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第10話 アルトリウス封印


 特徴的な白や黄色のゆったりとした服を身に纏った、褐色の肌を持つ人種で構成されている一団がシレンティウムの南門に到着した。

 皆一様に濃い茶色や黒色の髭をたっぷりと生やし、頭には日除けのためだろうか白い布を2重の輪っかで留めている。


 馬や駱駝の背中には左右に振り分けられた多数の荷物があり、一見すると南方や東方の砂漠を行く隊商の一行かと見紛うばかりであった。

 総勢100名程の大規模なその隊商であるが、加わっている者達が旅慣れている為だろうか、その表情から疲れはうかがえない。

 先頭に居る大柄な褐色肌の馬を引いた男は、シルーハの旗印である三日月の紋章の入った旗を掲げており、この隊商がシルーハの王府もしくは公的な機関の指揮下にある事を示していた。




 シレンティウム行政庁舎



「まずは戦勝おめでとう御座います」


 黒々とした髭を顔中に生やした浅黒い巨漢は、シルーハ流の優雅な礼をハルに送りながら祝辞を述べる。


「ありがとうございます」

「新たなる北の英雄の誕生に対して、シルーハ王国は心よりの祝福と賛辞を送りましょう……つきましてはこちらがシルーハ国王からの親書で御座います」


 恭しい手つきで差し出された書簡をシッティウスが受け取り、ハルに手渡した。

 ハルが早速その封印を解いて書簡を読み進めるが、しばらくして眉をひそめた。

 そしてシルーハの使者と書簡を見比べて困ったようの首を傾げる。


「これは……本気ですか?」

「親書で御座います」

「そうですか……シッティウスさん、ちょっと良いですか?」


 微妙に食い違う会話に更に困ったハルがシッティウスを呼ぶ。

 ハルから突然呼ばれた事に不審そうな表情で近付くシッティウスだったが、ハルからシルーハ国王の親書を示されて目付きが鋭いものへと変わった。


「では……内容を読み上げます……誤りであれば仰って下さい。私どもとしましては誤りであって欲しいのですが……」

「っはは、親書ですからな!」


 シッティウスの静かな怒りの籠もった言葉にも動じる事無く笑い飛ばしつつ返答するシルーハの使者は、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

 最初はためらったハルだったが、その使者の態度にようやく合点がいったと頷きつつシルーハ国王からの親書を読み上げた。


「シルーハ国王は北の辺境護民官に対して次の事を要求する。1つ、アキルシウスは西方帝国の支配を脱し、シルーハ王国の宗主権を認める事を内外に宣言する。1つ、アキルシウスの支配地の内、ヘオン近郊の領土をシルーハ王国領として割譲する。1つ、アキルシウスはシルーハ王国の戦争に協力する。1つアキルシウスはシルーハの王都パルテオンに出向き、シルーハ王国との同盟調印式に出席する事。1つ、アキルシウスはシルーハ王国に毎年、庇護料として大判金貨7000枚を支払う事、1つ東照との交易を止める事、一つ……」

「あ~全部読まなくて結構です。全て間違いありません、親書ですからな」


 シルーハの使者の小馬鹿にしたような態度に、同席していたアダマンティウスとルキウスが怒りの表情で席を蹴った。


「どういうことだ!ああ?返答次第によっちゃただじゃすまねえぞ!」

「ふん……乱暴な、所詮は北の蕃地に勃興する半端国か……」


 ルキウスの切った啖呵に侮蔑するような笑みを向けて応じるシルーハの使者。


「てんめえ……!」

「よすんだ!」


 拳を握りしめて使者へ詰め寄ろうとしたルキウスをアダマンティウスが手で制した。


「ふん、一応使者に対してやってはいけない事ぐらいは分かっているようだな……で?回答はどうするのかな」


 それまでの一応礼儀をわきまえた態度をかなぐり捨てた使者が腕を組み、見下ろすような視線でハルへぞんざいに問い掛ける。


「当然、拒否致します」

「差し出がましいぞ、シルーハ王国は陪臣の行政長官ごときに返答は求めていない。ハルとやら、お前の返答を聞きたい」


怒りに満ちたハルの気配を察したシッティウスが回答すると、使者はあからさまに侮蔑の視線をシッティウスに向けてからハルへ再度問い掛けた。

 ハルはぐっと怒りを押し殺して、努めて平静に回答する。


「馬鹿にするのはご自由ですが……受け入れられる条件ではありませんのでお断りします」

「ふん……まあ良い、北の蛮族と衝突したばかりで余力があるとも思えんが、我が国と一戦交えると言う事だな?」

「……戦争は望んでいませんよ」

「はは、白々しい、覚悟する事だ」


 シルーハの使者はそう吐き捨てるように言うと、躊躇なく踵を返した。

 そして振り返る事なくハル達の前から立ち去ったのである。





 シルーハの使者との謁見が終わり、執務室へ戻ったハルは自分宛に届いている伝送石通信に気付く。

 差出人は故郷の群島嶼に居る秋留源継、大叔父である。


「え……何だろう今頃?」


 不思議に思いつつ私信を開くハルの顔がみるみる強張ってゆく。


「……これは?」


 すぐさまシッティウスとアルトリウスを呼ぶべく執務室を後にするハルであった。








 その後、ハルは秋瑠源継からもたらされた帝国南方派遣軍大敗の報と、シルーハの使者が居丈高に言い放ち、手渡した親書を見比べる。

 ハルに先程呼ばれたシッティウスとアルトリウスが相次いで現れた。


「お呼びですかな?」

『何事であるか?』

「あ、すいません忙しい所を……ちょっと至急の用件がありまして……」


 そう言いつつやって来た2人にハルはその2通の書状を見せる。

 しばらく書状手にして眺めていたシッティウスと、その横合いから覗き見ていたアルトリウスが同時にため息を吐いた。


「これは仕掛けて参りますな?」

『間違いなかろう……』

「やっぱりそうですか……」


 2人から発せられた言葉に頭を抱えるハル。

 ようやく都市経営が軌道に乗って、順調な発展が始まった所である。

 つい先頃ハレミア人との激戦を終えたばかりでもあり、出来れば戦争は避けたい。

しかしシルーハは今を好機とみているようだ。


『シルーハは西方帝国の属国であり勢いのあるシレンティウムを叩いておきたいのであるな。おそらくその後南方で大打撃を受け、体力の回復しきらない西方帝国へ侵攻する腹づもりであろう』

「その意見に賛成ですな。シルーハとしては西方帝国侵攻の際に北からちょっかいを出されないように我々を萎縮させるのが目的でしょうな」


アルトリウスの言葉をシッティウスが補足すると、ハルが疲れた様に言う。


「……布石ですか?」


 その答えに重々しく頷いたアルトリウスが言葉を継いだ。


『シルーハにはここを攻める大義名分が無いのである。であるから難癖を付けてシレンティウムが従わなければそれを口実に攻めるのであろう』

「そうですか……」

「拒絶はいた仕方ありません。シルーハの使者に従えば我々の目的は果たせなくなります。シルーハ貴族が支配者としてこの都市と北の地に君臨し、族民、市民を問わず塗炭の苦しみを味わう事でしょうな」


 再びため息をつくハルに慰める様なシッティウスの言葉が応じた。





 シルーハ使節団宿舎



 ハルとの対面を終えた使者が用意された宿舎へ戻ってきた。

 その顔には先程までの嘲笑じみた笑顔や軽薄さはなく、眉根や口元は厳しく引き締まっている。

 使者は宿舎へ入るなり背中に掻いていた冷や汗に身じろぎし、ほっとした後部屋の中に控えていた使節団の人員から少し離れた薄暗い場所に陣取る者達に近付いた。


「こちらの思惑通りだ、シレンティウムは挑発に乗ってきた」


使者が先頭に居た男へ声を掛けると、暗い目を向けて答える男。


「……では?」

「うむ、急ぎ早馬を飛ばせ。アスファリフ将軍に知らせるのだ」

「分かりました……それから例の件ですが……」


 自分の後ろに居た1人に目配せしてルグーサへ使者を立てるべく外へ出すとその男、間諜使者は尋ねる。


「うむ、手筈通りにせよ」

「分かりました、お歴々、次第は承知か?」


 使者から頷きと共に返事を受けるとさらにその後方に居た、白と黒を混ぜた厚い服装に身を包んだ異様な一団に言った。


「……一切承知。我らが役目見事果たして見せよう」

「では頼んだ、骨は拾ってやるぞ」

「かたじけない」


 薄く笑いながらその異様な一団の長と思しき男が答えた。





 シレンティウム中央広場、アクエリウスの噴水



『あ、あれっ?』


 突如身体から力が失われるのを感じたアクエリウスが素っ頓狂な声を上げた。

 その直後、地を這うような低いそれでいて甲高い奇妙な笑い声が響く。


「……この都市の死霊の魂を得て増長したか?下等な精霊風情が……」

『なっ……?』


 鉄をこすり合わせたような不気味な声がどこからともなく聞こえ、アクエリウスの身体から更に力が奪われる。


『ああっ!?』


 力が失われると同時にアクエリウスの身体は透明度を増しつつみるみる内に身体を縮め、やがてアクエリウスはアルトリウスと初めて会った時のような幼女の姿と成り果てた。


『こ、これは……なんなのっ?』


 自分の小さくなった両掌を見つめて驚き悲しむアクエリウスに、奇妙な光が纏わり付く。

 必死に抵抗するものの光っているにも関わらず黒く感じられる不思議な光の帯は、アクエリウスに幾重にも巻き付く。


『くうっ……?』


 やがてアクエリウスは頭を残して球形の黒い光に身体を完全に絡め取られてしまった。 

 その正面に、黒いシルーハ風の長衣を纏った痩せ細った男が現れると、にたあっと口だけを笑みの形に歪めて言葉を発する。


「苦しかろう?神威術の戒めは……しばし大人しくしているが良い」

『な、何が狙いなのっ?』

「ふっ……帝国の鬼将軍を獲りに来たのよ」

『!?』


 驚くアクエリウスであったが、すぐに顔も黒い球に埋まり、やがてその球は噴水の中心部へと沈んだ。

 それを見届けた長衣の男は黒いコインを池に投げ込むと、後ろに控えていたシルーハ人の男達に向かって徐に口を開く。


「手助けは出来ぬようにしておいた……力が強い故に滅する事は出来ないが、まあ封じただけでよかろう。それに滅してしまっては水が止まり、辺境護民官も異変にすぐ気付くであろうからな」

「は……承知致しました。後はお任せあれ」


 甲高い自分の言葉に返答する低い声を聞き、満足そうに頷いた長衣の男は音もなく踵を返してその場を立ち去りつつ再度言葉を発した。


「……しくじりは許さぬぞ?」

「心得ております」






シルーハ王国、王都パルテオン



 シルーハの王都は異国の兵士で満ちていた。

 西方諸国と呼ばれている、セトリア内海の西岸より更に西の地にある国々の傭兵達が多数やって来ているのだ。

 その兵士達が集まるのはシルーハ軍宿営地。

 砂色の日干し煉瓦をきっちりと積み上げた壁と柱、床は大理石で作られている宿営地は快適とは言いがたいが、シルーハの容赦無い日差しを避けるには十分で、過酷な戦場を渡り歩いている傭兵達にとっては天国同然である。

 その傭兵達を率いる傭兵将軍アスファリフが宿営地の庁舎廊下を足早に歩きながら、配下に付けられたシルーハ人官吏に声を掛けた。


「うお~い、シレンティウムとやらに丁度使者が到着した頃だろう?幽霊対策は完了したかよ?」

「へい、将軍……まだ連絡は来ていやせんが、抜かりはありやせんぜ。シルーハの闇神官の一流を融通して貰いやしたんでね!」

「ほう……で、どうだ……見たところの実力は?」

「まあ、以前に西方諸国で見た術士よりは強いですなあ……ただ相手があの英雄アルトリウスじゃあ何とも……まあ、闇神官ですから、死んでも任務はやり遂げるとは思うんですがねえ、何とも……」


 アスファリフの問い掛けに自信なさげに答えるシルーハ人官吏。

 しかし話し方と言い、アスファリフにも物怖じしないで話しかけるなどと、傭兵に付けられるだけあってなかなか図太い性格のようである。

 ちなみにシルーハの闇神官とは、シルーハで生まれた歪んだ太陽神信仰と言うべきものに連なる神官達で、不浄な霊体や悪霊を封じる事を任務とする。

 しかし実態はシルーハ十人衆の間諜であり、神官術の他にも怪しげな体術や陰形術を持つ者が多いので、今回の潜入にはうってつけだろう。


「ふん、まあそうだが……英雄とは言っても所詮死霊だろう?弱点はあるさ……まあ、おれが直接ちょっかい掛けるのはちっとばかり遠いんでな、他の準備もあるし……」

「大事を取って中止しやすか?」

「んん~いや……一応やってみよう、無駄にはならんさ」

「承知しやした!では早速使者と一緒に派遣致します」


 張り切る官吏に、アスファリフはふと足を止めてから言った。


「お、それと北の国の王子様にも引き続き連絡を入れといてくれ」

「はあ……どのように?」

「間もなく北を攻めますよ、だな」


 不敵に笑うアスファリフに、息を飲む官吏は慌てて頷くとアスファリフと反対方向へ駆け出すのだった。







 シレンティウム食糧倉庫



 アルトリウスがハルの執務室から辞去し、不審な者達の気配を感じて姿を現したのは、最近シレンティウムに設置された食料用の倉庫である。

 その陰ですっぽりと頭巾付きのマントを身につけた5人の男がうずくまっていた。

 アルトリウスの姿を認めるやいなや、その男達が1人を先頭にしてアルトリウスへと向き直った。

 その動きに今までに無い不気味さを感じたアルトリウスが声を掛ける。


『ほう……ただの間諜では無いな?何者だ?』

「……」

「……」

『ふん、だんまりか?良かろう……黙ったままで良い、すぐにでも貴様らの身体を物も言えぬ土塊に変えてやるのである!』


 アルトリウスが怒声と共に迫ると、黒ずくめの男達は懐から幾つかの小瓶を取り出すと、蓋を親指で外して投げつけた。


『ん?……おうわっ!!?』


 最初は眉をひそめつつも意に介さず突っ込んだアルトリウスであったが、瓶から立ち上る異様な空気に触れて叫び声を上げて慌てて水から身を躱した。

僅かな水飛沫がアルトリウスの左手に掛かり、その部分から真っ黒い煙が立ち上る。


『ぐおおおおおっ!!?』

「……死霊将軍よ、その方も力強きとはいえ所詮は死霊、我が太陽神様が清めしこの聖水には抗う事適うまい?」

『太陽神?聖水?……にしては禍々しいであるが、貴様らは何者であるか?』


 驚くアルトリウスの前で頭巾を取る男達。

 頭巾の下から現れたのは黒い髪を後ろで束ね、濃い黒色の髭に浅黒い肌をしたシルーハ人の特徴を色濃く持った男達であった。


『……なんと、シルーハ人か?まさかあの無礼な使者の一行か……ふむ』

「ふふ、ご明察。逝き損なった冥土の土産……ともいかんだろうが、封じられる前に教えてやろう、我らはシルーハの闇神官!貴様のような不浄で此の世にあらざるべき存在を封じて回るのがその任務よ!」

「シルーハに徒なす帝国の鬼将軍、ここでその命脈尽きたり!」


 素早く印を結んで聖水を振りかざしたシルーハの術士達の身体から眩い光が発せられる。

 光は筋状になってアルトリウスに被さり、その身体を絡め取った。

「よし!」

「捉えたぞ!!」

『……ふむ、太陽神を奉じている闇神官であるか?不思議な存在であるが、まあ術自体はなかなかのものである。尤も我には効かんであるが……』


得意げなシルーハ人の闇神官達の目の前で腕を組んだアルトリウスがつぶやくと、1人の闇神官が怪訝そうな表情で口を開く。


「亡霊が……窮して狂ったか?」


 その言葉を聞いたアルトリウスは鼻で笑いかけた。


『ああ~ん?狂ってなどおらん、そもそも我の命脈など生きてもおらぬのに有る訳無かろう。とっくの昔に尽きておるわ!侮るでない!!』

「な……何っ!?」


 訝る闇神官の目の前でアルトリウスが不敵に笑う。

 そしてアルトリウスが白の聖剣を抜き放って素早く周囲を切り払うと、闇神官の掛けた光の鎖は粉々に砕け散った。


「「「ぐわああああ!!?」」」

『無いものなど尽きる道理が無いわ……愚か者めが』


 その鎖が粉砕された事で衝撃波が生まれ、アルトリウスを囲んでいた闇神官達が倉庫の端まで吹き飛ばされる。

 アルトリウスは白の聖剣を手にしたまま闇神官の首魁と思しき1人に近寄ると、その切っ先で襟首を持ち上げた。


『ふん……他愛も無い。まあ如何に我と雖も幾ら怪しくとも正式な使者一行に手は出せんであるからな、その点についてはよく考えたでものある。しかし何故今この時期にシルーハが動いたのであるか?まあ概ね分かっているのであるが……おい貴様っ、洗いざらいしゃべるのであるっ!!』

「ふっ……もう、お……遅い」

『あん?』


 息も切れ切れに何とか言葉を発する闇神官の首魁の様子に不審を感じたアルトリウスが眉をひそめると、別の闇神官が腕を押さえながら起き上がりつつ言う。


「シルーハの北に西方帝国寄りの勢力が出来るのは肯んじ得ないのだ……故に」

「我らが派遣されたのだ……!」

「っ喰らえい!!」


 闇神官達が一斉に再度印を結ぶと、倉庫の床に白い光の筋が走る。


『ん?おお?……おうわっ!?』


 その光の筋は、驚くアルトリウスを中心に円と方形を複雑に描きながら倉庫一面に広がっていった。


『こ……これは?うぬっ!抜かったわ』


 悔しげに呻くアルトリウスを白い光の筋が作り出した円蓋が覆う。

 咄嗟に地面に描かれた光の筋に白の聖剣を突き刺そうとしたアルトリウスだったが、白の聖剣が何かに引っかかった事に動きが止まる。


『貴様……!』

「逃がしはしない……この世より去れい!不浄なるものよ……!」


 驚くアルトリウスが振り返った先には、剣の切っ先を素手で抱え込む闇神官の姿があった。

 したたる血液から黒い煙が立ち上り、その陰に異形の姿が垣間見える。

 それを見咎めたアルトリウスが目を見開いて怒鳴った。


『貴様らっ?暗黒神の手先かっ!外法を使う下郎の何が太陽神官か!』

「ふふう……我らの秘密を暴くか鬼将軍、流石だな……」

「ぬはは、我らこそ守銭奴の守り神、暗黒神を奉じる闇の神官よ」

「だが貴様もここまで……」

「ぎゅふっ……鬼将軍獲ったり!!」

『うぬっ!シルーハの侵攻が直近にっ……ハルヨシよっ!!』


 アルトリウスが全てを察して顔を歪めて叫ぶと同時に闇神官の印が完成し、アルトリウスは白い光の中に消えていく。

 そして光が徐々に収まると、その中心には何も残されていなかった。


「……ふ、ふふふ」

「はははは」

「くくくくくく……」

「はあっはっは」


 神官達は狂ったように笑い続けると、ゆっくりと懐から取り出した短剣で互いの胸を突き刺した。

 鮮血が倉庫内にあり得ない勢いで飛び散り、拡散する。

 そしてむっとするような生臭い鉄さびの匂いが薄暗い倉庫内に満ちた。


「鬼将軍よ……シルーハ暗黒神官術の粋を凝らした封印と、我らの命と引き替えた呪いの二重がけ……ははは、破れる物なら破ってみよ……呍!」


 最後に呪いの言葉を吐き捨てた神官は、自分と同僚達の血で満ちた倉庫に崩れ落ちた。

 同時に白い幾何学模様が血で赤く、そして黒く染まり、最後には神官達の死体を飲み込んでから全てが消え去る。






「先任?あれ……いない」

「どこにも居ませんね?どうしたのでしょうか……」


 しばらくしてハルがエルレイシアと一緒に件の倉庫に現れたが、そこには何も残されていない。

 かすかな違和感を感じたエルレイシアが床を手で触るが、土で固められた床は外気に比べて冷たいだけで、何の異常もなく、また変化も起こさなかった。


「倉庫に行くとは言っていたんですが……」

「誰も居ませんね?」

「困ったなあ、シルーハとの関係が不味くなりそうなのに……助言が欲しかったんですけど仕方ないですね」







 シルーハの使者が訪れてから20日後、ルグーサ近郊



 ルグーサ近郊のシルーハ軍本営の天幕内において、アスファリフは剣の柄に両手を置いて座り、目を瞑ったまま配下の報告を聞く。


「帝国の鬼将軍、確かに封じました……」

「御苦労だったな」


 アスファリフの言葉でシルーハの闇神官の元締めは、すううっと音も無く天幕無いから姿を消した。

天幕から出たアスファリフの目の前には西方諸国からやって来た重装歩兵傭兵が1万、そしてシルーハで農民から招集された南方歩兵が同じく1万、合計2万の兵がルグーサの北側に終結していた。

剣を腰に差すアスファリフの前に、斥候隊長がやって来る。


「アスファリフ将軍、準備完了しました」

「うおっし、いっちょやるかっ……おう!!てめえらっ!相手は北の蛮族40万を壊滅させたあの辺境護民官だっ!歯ごたえあり過ぎんぐらいあるぞ!油断すんじゃねえぞう!!」


  うおおおお!!!


 気合いの入ったアスファリフの檄に負けじと応じる兵士達の声がルグーサ郊外に轟く。


「進め!辺境護民官に一発かましてやろうぜ!」


  うおおおおおお!!!


 アスファリフの号令で一斉に兵士達が動き出す。

 ついにシルーハが北の攻撃に動いたのだった。






 シレンティウム市・行政街区近辺



 シレンティウムはただならぬ雰囲気に包まれていた。

 各地から次々と伝令と思われる騎兵達が盛んに出入りし、行政庁舎や第21軍団駐屯地へと入ってゆく。

 どの騎兵も歯を食いしばり、馬が泡を吹いて駆け込んでくる所を見ると相当無理をして駆けてきたのは一目瞭然であった。

 まだ正式な発表は無いが、これはどこかの勢力が軍を動かしたに違いないと感じるシレンティウムの市民達。

 その不安は徐々に、しかし確実に広がりつつあった。



 シレンティウム行政庁舎



「アキルシウス殿!シルーハ軍がヘオンを目指して動き出したとの知らせが来ました!」


 ハルの待つ行政庁舎の執務室に伝令兵が駆け込んできて凶報を伝える。


「そうですか……シルーハで間違いありませんか?」

「……明確にシルーハの旗印を掲げているそうです」


 伝令の報告にうなるシレンティウムの面々。

 確かにシルーハに対しては警戒をしていたものの、これ程早く動き出すとは思っていなかったのだ。


「これは……使者が来たときには既に準備が為されていたと言う事ですね……」

「狙い澄ましたかのような動きですな、まさか本当に狙われていたのか?」


 ハルとアダマンティウスがため息を吐きながら相次いで言うと、シッティウスの怜悧な声が飛んだ。


「今はそんな詮索よりシルーハ軍をどうするかの方が重要ですな。ルキウス治安長官、アルトリウス顧問官が居ない今、間諜対策はどうなっておりますかな?」

「はっきり言って良くない、返り討ちにされる治安官吏も出てきている。正直大分入り込まれているのは間違いなさそうだ……情けないが先任無しじゃ正直言ってキツイ。筒抜けとまでは行かないが、それなりに情報は抜けちまうのを覚悟した方が良い」


 シッティウスの問いにルキウスが悔しそうに答えると、続いてアダマンティウスがやはり苦しそうに言葉を発した。


「しかも先程ハレミア人との戦いで使った糧秣や兵士の損耗も補充できていない……軍を動かすにしても限定された兵数しか動員できませんぞ」


 原因不明のままアルトリウスの不在は既に知られており、エルレイシアやアルスハレアの手で捜索が行われては居たが結果ははかばかしくない。

 その間、まるでそれを知っていたかのように各地の間諜がシレンティウムへと入り込み始めたのである。


「そうですか……」


 それっきり黙り込むハルに対し、ベリウスが徐に問い掛ける。


「どうします?すぐに出兵を……?」

「はい、取り敢えず同盟部族に応援要請を出しましょう、それから敵の兵数は?」

「約2万だってさ」


 楓が陰者の差し出した書き付けを見ながら回答すると、ハルが難しい顔をする。


「2万か……第21軍団と第23軍団を中心に何とか同数の兵を編成できますね……でも相手は歴戦の傭兵ですし……」

「失礼します!」


議論が停滞した所に、シレンティウム守備隊長のクイントゥスが青い顔をして駆け込んできた。


「クイントゥス?」


 驚いたハルが思わず声を掛けると、クイントゥスはぐっと頷いてから口を開く。


「はっ……ダンフォード王子がフリンク族を中心とする部族を率いて南下を始めたとの知らせがフレーディアのベルガン殿から……!」

「何!?」

「1万以上の部族戦士が揃っているそうで、フリード族の反シレンティウム派が多数の戦士を集めて合流し、ベルガン殿はフレーディアに2000の戦士を何とか集めて籠城するとの事でした……ベルガン殿はシレンティウムに援軍を求めています」




「なんと言う事だ……北と南からの挟み撃ちとは……」


 アダマンティウスが惚けたようにつぶやくと、全員が暗い顔で押し黙ってしまう。

 シレンティウム最大の危機が訪れた。

 おそらくこの動きは連動しているのだろう。

 アルトリウスが理由無く姿を消し、シルーハの軍がルグーサからヘオンを目指して北上し、一方ダンフォードはフレーディアを目指して南下してきている。


 翻ってシレンティウム側はハレミア人との戦いでそれなりに兵士に損害を出し、食料や武具の類いといった戦時物資も相当消耗している。

 また食料や衣類、建材等については加えて保護したポッシア族とセデニア族の難民に相当数を割り当ててもおり、不足は深刻であった。

 ハレミア人との戦いで大いに活躍した新兵器も整備と点検のために既にスイリウスが全てばらしてしまっており、すぐには用意できない状態にある。


 そして援軍を求める先も無い。


「西方帝国は当てになりませんな。遠すぎる上に南方戦線で大敗してこちらに援軍を振り向ける余裕は無いでしょうし、派閥争いに汲々としていて余裕があったとしても援軍が来るかどうかは分かりません」

「東照とはまだそこまでの協力体制にありません。それに帝国と同様遠方ですぐに援軍を派遣して貰えるとは思えませんな」


 アダマンティウスが苦しそうに呻くと、シッティウスが説明を補足する。


「アルトリウス顧問官が居て下されば……」


 思わずアルキアンドの口から出た言葉は、この場に居る全員の思い。

 ハルが唇を噛みしめた。

 自分がふがいないばかりにシレンティウムのみんなに不安を与えてしまっている。

 自分の実力不足に情けなさもあるが悔しさもあるハル、しかしここでめげていてはそれこそアルトリウスやシレンティウムを信じて集まってくれた市民達に顔向け出来ない。


 今は自分に出来る限りの事を為すのだ。

 シレンティウムの平和と発展は今このときに掛かっているといっても過言では無い。

 失敗すればまだ成立して日の浅いシレンティウム同盟は瓦解の道を歩みかねないのだ。

 ハルの判断と行動が今後のシレンティウムの行く末を決める事になる。


「仕方ありません、下策ではありますが私が第21軍団を率いて北に向かいます……アダマンティウスさん、第22軍団を率いて南の押さえをお願いしたいのですが……」

「……承知致しました、やむを得ませんな。では早速編成替えを行います」


 ハルの言葉にアダマンティウスが不承不承頷いた。

 アダマンティウスが行う編成替えは、第23軍団から熟練兵を引き抜いて第21軍団と第22軍団に補填するという事。

 補助軍団の編成が進んではいるものの未だ途上であり、すぐに兵士が補充できるのは他の軍団からしか無い為である。

 そしてシレンティウム守備隊は間諜が暗躍するようになった今、動かす事が出来ない。


「クイントゥスはルキウスに従ってシレンティウムの治安対策に万全を期して欲しい」

「……分かりました」


 クイントゥスが緊張した面持ちで頷くのを見てから、ハルはシッティウスへと顔を向けて口を開いた。


「南のシルーハに対してはアルマール族とソカニア族に防衛協約を発行しましょう。2部族併せておそらく1万程度の戦士は集まるはずです」

「北は……この前動員した部族は兵数を削減してやらねば負担が大きすぎるでしょうな」

「そうですね、ダンフォード王子の進路からすれば場所的にまたアルペシオ族とアルゼント族になりますから……動員は半分の併せて5000程度にしましょう。ベレフェス族は遠くて間に合いませんので今回招集はしません」


 ハルの言葉に硬い表情を苦い物へと変えたシッティウスが答える。


「仕方ないですな」


 次いでハルは各部署長官達にそれぞれの職務に尽くすよう伝えると、ルキウスに強い視線を向けた。


「ルキウス……先任が居なくてキツイだろうが、間諜対策に万全を尽くしてくれ。シレンティウムの都市守備隊を指揮する権限を与える」

「おう……出来るだけの事はするつもりだ」


 ルキウスが掌に拳を打ち付けながら応じると、ハルは少し笑みを浮かべて応じてから楓に視線を向ける。


「楓はシルーハ軍とダンフォード軍の情報を集めること。進路と兵力規模に装備、指揮官も分かると助かる」

「うん、分かった……でも、シレンティウムの間諜対策は手伝わなくて良いのかな?」

「北と南に陰者を使えば手が足りなくなるだろう?」

「そうだけど……」

「最優先は北と南の敵排除だから、間諜対策はルキウスに任せよう。楓は情報収集に全力を尽くす事、良いね?」

「分かった」


 楓が不承不承頷く。

 実際群島嶼から図らずも郷一つ引き抜いてしまったとは言え、帝国やオラン、更には東照へも陰者は派遣されており、今現在北と南の敵の情報収集に当たれば手は足りなくなってしまう。

 しかし間諜対策となれば陰者の方が治安官吏や守備兵より役に立つのも事実。


「優先は敵の撃破だからな、楓」

「そうだぞ~それにちょっとは俺を信頼してくれよ楓ちゃんっ」

「う~ん、ルキウスさんだし……」


 ハルとルキウスの言葉に悩む楓。


「酷いじゃないよ楓ちゃん……」


 へこむルキウスに申し訳なさそうな顔を向けつつ楓はうんと頷いてから言葉を発する。


「でも分かった、何人か置いていくから間諜の情報収集に使ってねルキウスさん。ボクはすぐに北へ行く……南は郷の長に任せるよっ。アダマンティウスさん、後で長には執務室へ行って貰うからねっ」

「承知した」

「お~助かるよ」


 アダマンティウスとルキウスからそう答えを貰った楓は、意気揚々と立ち上がった。


「ほんじゃ行ってくる~」

「無理はするなよ楓」

「分かってるってハル兄~」


 楓がひらひらと手を振りつつ部屋から出て行くのを苦笑して見送ったハル。

 楓のお陰で深刻そのものだった部屋が少し明るくなった。

今は全力で力を尽くす時。

 嘆こうがわめこうが、嫌がろうが見たくなかろうが北と南から敵はやって来るのだ。


「シッティウスさん、行政全般の統括をお願いします」

「承知致しました、後方支援は万事お任せください。アキルシウス殿とアダマンティウス殿は後顧の憂いなく戦場で全力を尽くして下さいますよう」



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