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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第9話 不穏な情勢

 フリンク族南の砦


「おい!さっさとしねえか!」

「へ、へいっ」


 ダンフォードの怒声に頭を掻きつつ1人のフリード戦士が荷を積み上げた。

 ここはフレーディアの北東に位置するフリンク族の前線の砦。

 木造の簡素な砦を忌々しげに見回しながらダンフォードがいらついたように自分に従うフリード戦士達へ怒声を放った。


「ちくしょうが!馬鹿にしてやがる!」

「……若、仕方ありません、それでもこうして砦を与えられているだけでも良しとしませんと」

「分かってる!」


 配下の戦士が恐る恐る窘めると、ダンフォードは苛立たしげに足を踏み鳴らしてじゃらふと気付いたように言った。


「ふん、周囲の部族への懐柔策はどうなっている?」

「へい、書簡や使者を送っておりやす」


 別の戦士が言うと、ダンフォードは鼻を鳴らしつつ言葉を継ぐ。


「……そうか、、靡いてくるヤツはいるか?」

「それはまだ何とも……送ったばかりですんで」

「早くしろ!!!」


 配下の戦士が言うと、癇癪を爆発させるダンフォード。

 完全な八つ当たりなのだが、主筋でしかも偉大な英雄王の子息に抗弁する訳にも行かず、戦士は肩をすくめて押し黙った。

 ダンフォードは頻りに周囲の部族へ使者を出して懐柔策に勤めては居るが、ハレミア人の大群を木っ端微塵に撃ち破り、シレンティウム同盟に参加する素振りも見せていなかった2部族の再建に積極的に手を貸すハルの姿勢を見て態度を決めかねているようである。


 ダンフォ-ドの懐柔策も、フリンク族への亡命当初は手応えが感じられたが、最近ははかばかしくないのだ。

 あからさまにシレンティウム同盟への参加要望を出しているエレール川沿いのロールフルト族やクオフルト族などもおり、状況は予断を許さなくなっている。

 ダンフォードは砦内に設けた自分の部屋へ入るとすぐに鍵をかけた。


「くそっ忌々しい。俺に利用価値が無ければ南の王国は手を貸してくれねえ……叔父上も最近じゃ余所余所しい」


 がじがじと右人差し指の爪を噛むダンフォードは、黒い箱の蓋を外すとすぐに中の髑髏に食ってかかった。


「おい、どういうことなんだ?上手くいってないぞ!」

『どうもこうも無い、シレンティウムは疲弊している。ただ貴様に人望がなさ過ぎるだけの事よ』

「ば、馬鹿を言うなっ……俺は英雄王の息子でフリードの正当な王位継承者だぞ?」

『それは実力を伴わない以上砂上の楼閣であると言ったであろう……勢力拡大に使えぬ甥っ子をいつまでも面倒見るほど貴様の叔父は単純では無い。現にハレミア人の策で貴様は失敗しておるのだ、無駄飯喰らいがこれ以上邪魔立てするようなら切り捨てられるのである』

「ふざけるな!俺を馬鹿にしているのか?俺に代わりなどいないんだぞ!」


 ダンフォードが得意げに怒鳴るが、その髑髏、アルトリウスの首はカタカタと歯を鳴らしてせせら笑った。


『くはははは、そう思っているのは貴様だけよ……代わりなど幾らでもおる、現に貴様には弟と妹がいるでは無いか』

「……何!」

『貴様の叔父は貴様を廃して言う事を聞く者にフリードを継がせれば良いのだ、何ら難しい事では無い』

「何だと!まさか……」


 アルトリウスの首がしたたとえ話に愕然とするダンフォード。


『だから貴様は馬鹿だというのだ。今はまだ良い、だがあんまり煩くなるようであると、貴様の叔父はあっさり弟へ乗り換えるであろうなあ……?』


 その様子にアルトリウスの首が呆れたように言葉を継ぐと、ダンフォードはグランドルにこそ選択肢があるという事に気がついて黙り込んだ。


「……」

『もう少し物を考えると言う事をせよ。一々周囲の言葉に反応してその都度その場限りの対応をしているようでは先が思いやられるのである』

「うるさい!」


 揶揄するようなアルトリウスの首に怒るダンフォード。

 それを見てアルトリウスの首が再びため息を吐く。


『物を考えよと言ったばかりでは無いか。我がお主の懸案を1つ解消してやるのである』

「……なんだ?」

『ふふふ……お主の弟、デルンフォードと言ったか?あ奴を我に寄越せい』

「何だと!」

『まあ正確には貴様の弟の身体を寄越せ……妹であれば褒美として誰かに与えるなり有力者に嫁がせるなり使い道もあろうが、弟は貴様の代わりになりこそすれ他に使い道などあるまい?むしろお主の地位を脅かしかねない邪魔者では無いか?』


流石に弟を差し出せという提案に驚き戸惑い絶句するダンフォード。

 庶子のエルレイシアは敵方であるし、妹のシャルローテは容姿も良く、確かに婚姻政策に利用できるし何より大神官杖を持つ太陽神官である。

 それを考えれば自分が邪魔になった際、これを排除しておいて更にアルフォード王の血筋を利用しようとすればデルンフォード以外に都合の良い王家の者はいない。

 ゴクリと唾を飲むダンフォードは、気持ちの悪い冷や汗が背中ににじみ出るのを感じた。

 しかし逡巡するダンフォードを前に、アルトリウスの首は甘い言葉を囁く。


『どうしたであるか?貴様の不安である代わりの者を我が骨折ってわざわざ無くしてやろうというのである。まあ、ただ殺すのは惜しいであるからな、その身体を我が有効活用してやろう。貴様の足りぬ知恵を言葉だけで無く身体も使って補ってやろうぞ?どうだ?んん?』

「……弟を殺すなど……俺には……」


 逡巡するダンフォードのこめかみから汗がつっと走る。

 しかしアルトリウスの言葉は終わらない。


『勘違いしてはいかんなあ……殺すのではない、我に与えるのだ。そこを間違えるのではない』

「お、おれは……」


 尚も目を瞑って躊躇うダンフォードの身体に、アルトリウスの首は歯の欠けた口から吐き出す黒い煙を纏わり付かせた。

 途端にダンフォードの目つきが怪しくなる。


『ふん、父親を殺しておきながら何を今更……良いから弟を連れてくるである』

「俺は父親を殺してなどない!」

『……とんだ無法者であるなあ?あれで親を殺していないと言うのであるか?アルフォードもまさか可愛がっていた長男に後ろから弓で撃たれるとは思っていなかったであろう……痛かったろうな?苦しかったろうな?悔しかったろうなあ?情けなかったであろうな!?』

「やめろっ……!」


 歯を食いしばって首を左右に振り、耳を塞いで叫ぶダンフォードに、アルトリウスの首は呆れ返る。


『何とも弱き心の者である事よ、やっている事は非道無法の類いであるのにそれを認めぬどころか行為そのものに耐え切れんと見える……』


 ダンフォードの醜態にアルトリウスの首は密やかに聞こえないようにそうつぶやくと、黒い煙を口からどっと吐き出しダンフォードを絡め取った。

 黒い煙はダンフォードの耳や口からその体内に入り、思考を麻痺させる。

 自分の発した呪いの気を当てられ、目の焦点の合わなくなったダンフォードに向かってアルトリウスの首は改めて声を張り上げた。


『では今回も弟を殺さなければ良いのである!我が元へ連れて来るだけで良い。我がお主をだますべく首だけを挿げ替えて弟のように振る舞ってやるわ』

「わ、分かった……連れてくれば良いんだな?」


 父親殺しを持ち出され、更には呪いの気を当てられてしまって最早何も考えられないのだろう。

 呆然としてアルトリウスの首の言葉に従うダンフォード。

 それをほくそ笑みながらアルトリウスの首は言葉を再度発する。


『おうよ、後は我がやってやる……弟殺しに貴様は何ら関与しておらん、と言う事にしてやるのである、感謝せよ』


 その言葉に呆然としたまま頷くと、ダンフォードは外に向かって声を発した。


「……おい、誰かいるか?」

「はっ」

「デルンフォードを呼んでこい」

「承知致しました」


 その様子を見てアルトリウスの首が高笑する

『くくく……なかなか聞き分けが良いでは無いか……くはははは』







シルーハ王国、ティオン市・軍港


 強い陽射しが海面を介して周囲を一層強く照し出し、夏の熱気を含んだ潮風が港の熱気に加わる中、船艦から身軽に飛び降りたアスファリフは出迎えたティオン市のシルーハ高官達には目もくれず、整列していた兵達の元へと歩み寄った。


「おう、南ではご苦労だったな!今日から一週間は休暇だ、思う存分戦場の垢を落としてこい!金はここに居るティオン市のお歴々持ちだ!」


慌てて自分の元へ駆け寄る高官達を親指で示しながらアスファリフはそう言い放つと、最後兵達に短く告げた。


「解散!遊びまくってこい!!3日は帰ってくるんじゃ無いぞ!」


 うおおっ


 アスファリフの言葉に喜び勇んだ兵達がたちまち蜘蛛の子を散らすような勢いで港から駆け出し、歓楽街へと一目散に向かうと、苦虫をかみ潰したような顔をしているティオン市の高官達へと向き直るアスファリフ。


「と、言うことで、後は宜しく」

「将軍!勝手をされては困る!」


 軽く言葉を放ったアスファリフに、苦い顔で高官の1人が文句を言うと、アスファリフはきょとんとした顔で聞き返した。


「勝手?」

「そうだ、貴殿にはこれから西方帝国侵攻という大事な役目が待っておるだろう!」


 別の高官が言うと、アスファリフは肩をすくめて苦笑いを浮かべる。


「おいおい、俺は仕事を終えたばかりだ、仕事の後は休め、だぞ?」

「き、貴殿はっ!」

 なおも何か文句を言い募ろうとした高官を手で制し、アスファリフはややキツイ口調で言葉を返した。


「じゃあ、言い方を変えようか?契約で作戦や戦術、俺のやり方については口を挟まない事になっていただろう?契約はどうした?ん、いってみろよ」

「うっ……契約は絶対だ」


 高官達が怯んで口をつぐむ。

 それを見てアスファリフはにっと笑みを浮かべ、明るく言った。


「分かっているんなら五月蠅いことを言うなって。帝国侵攻前にやる仕事もあるしな、仕事はきっちりやってやる、それが契約だ」

「分かった……」


 苦々しい表情の高官達に、苦笑を返すアスファリフが、徐に口を開いた。

「心配する事は無いぞ?既に仕込みは色々やってある。後はその仕込みが上手くいったことを確認してから作戦決行だ、じゃ、後は頼んだ!」

「ま、待てっ、その仕込みとはなんだ?」


 呆気に取られる高官達を後に、アスファリフは満面の笑顔で歓楽街へと向かうのだった。







帝都中央街区・元老院議場



「それは……本当なのかっ」


 皇帝マグヌスがそれだけを言って絶句する。

 静まりかえる元老院の白亜の議場に、マグヌスの発した陰鬱な声だけがやけに遠く、そしてはっきりと響き渡った。

 それは皇帝だけでは無くこの議場に居る者全ての共通した思い。

 嘘であって欲しいという願望を多分に含んだ思いがそこには込められていた。

 しかし、ボロボロの軍装を纏い、顔に大きな刀傷を付けた百人隊長の声がその思いを打ち砕く。


「……間違い御座いません。帝国軍南方派遣軍は壊滅に等しい打撃を受けました」


 動揺の声すら出せず、軍部、貴族、官吏の別なく元老院議員達が固まる。

 元老院が一致した、それはここ百年来で初めての光景だったかもしれない。





 しばらく身じろぎ一つしないで静まりかえっていた元老院議場は、やがて皇帝のゆっくりとした質問によってその静寂を破られた。


「説明……せよ……」

「はっ、スキピウス総司令官率いる我が帝国軍6万余は、ウティカ市を進発し、周辺部族の連合軍を撃破した後、ゴーラ族の本拠地であるモースラ樹林地帯へと入ったのですが、ここで不正規戦をしかけられて消耗。その後樹林地帯での決戦にて大敗を喫し、実に3万以上の兵士達が討たれてしまいました…総司令官のスキピウス将軍をはじめ高位将官は軒並み戦死。副官のヒルティウス将軍は行方不明となり、現在カトゥルス将軍が臨時の総司令官として南方戦線を辛うじて維持しております。我が軍の敗戦を受けて周辺諸部族の離反も相次ぎ、根拠地であるウティカ市も攻囲されており予断を許しません。敗残兵は一時群島嶼へ退避させておりますが、群島嶼の貴族であるかつての大氏達が不穏な動きを見せており、押さえに置いてある第20軍団からは応援を求める報告書が届いています」


 一気に詩を読み上げるかのような朗々たる報告を為した百人隊長。

 しかしそれを聞いた元老院議員達の衝撃や恐怖による行動は、最早滑稽ですらあった。


「……げ、現在南方に残っている兵数は如何ほどか?」

「傷病兵、群島嶼に逃れた者を含めまして約1万5千」


 執政官のカッシウスが詰まりながらも尋ねると、百人隊長は見向きもせずに答える。

 しかしその無礼をとがめる者は誰も居なかった。

 その報告内容が余りにも衝撃的であったからである。


「……い、1万7千だとっ!」

「何と言うことだ……ああっ」

「スキピウスっ、あの愚か者が!準備も整わぬ間に……くそっ」


 口々に悲鳴じみた声を上げる元老院議員達。

派遣された時の半分以下に減った帝国兵は、帝国各地から無理を重ねて抽出した掛け替えのない重要戦力である。

 一朝一夕には補充の出来ない貴重な兵士達が一気に失われてしまったのだ。

 この結果が外交や国内統治に与える影響は計り知れない。


「その他に群島嶼にて手当を受けている兵士達は約5千名ですが……重傷者が多く使い物にはならないでしょう。実質戦力は1万程です」


 百人隊長の補足説明を聞き終え、マグヌスが言葉を発する。


「第6軍団と第7軍団は予定では既に群島嶼近海であったな……では、第6軍団は南方大陸へ派遣せよ、但し!敗残兵の撤収と南方領の維持を主任務としそれ以上の交戦は認めない。それから第7軍団は群島嶼へ派遣し、現地の治安維持と敗残兵の収容にあたれ。何としても大氏どもに反乱を起こさせるな、そして群島嶼に逃れた兵達を必ず連れ帰れ、良いな?」

「はっ」


 百人隊長が喜色を浮かべて立ち去る。

 皇帝は兵士達を見捨てない意思を示した。

 軍では無く、兵士達を、である。


「それから……カッシウス、行政府で至急軍再編の計画を立てよ。周辺諸国の動向にも注意せねばならん、直ちに退役兵達を臨時招集するのだ」

「しょ、承知致しましたっ」


 腰を席から上げ、周囲の官吏達と打ち合わせを始めるカッシウス。

いかな強大な西方帝国と雖も一朝一夕に回復出来る損害ではないが、それでも手は打たなければならない。

 幸いにも用意した軍団全てが敗れた訳で無く、先行していた軍団が壊滅しただけで済んだので、残った軍団を効果的に配置し直せば何とか一時しのぎにはなるだろう。


 しかしマグヌスはふと気が付いて元老院の議員席を見つめる。

 中央官吏派や軍閥達は意気消沈しているが、貴族派貴族は極めて冷静にこの事態を受け止めているようで、騒ぎ立てる者が不思議といない。

 普段であれば他派閥の失策を手厳しく、それでいてしつこく詰問するはずの貴族派貴族が一言も発言しないのだ。


「……おかしい」


 マグヌスが独り言をつぶやくが、本来国家の危機に対しては一致団結して当たるのがその役目である貴族達が、本来の役目を思い出したと考えれば良いのだが、実際はそんな事は無いだろう。

 また何か邪な考えがあるのか、それともただ単純に自分の関わる事では無いと高を括っているのかもしれない。


「そうであれば良いのだがな……」


 マグヌスのつぶやきは誰にも聞かれる事無く、元老院の白い大理石の床に吸い込まれていった。






 帝国領西方、イオロニア



 西方諸都市国家群の文化的影響を強く残す、西方帝国領の中でも更に西方に位置するイオロニア市は、かつて西方帝国の支配に激しく抵抗した事もある武力色の強い都市国家が前身である。

 城壁や町の造りは西方帝国の都市と何ら変わりないが、随所に刻まれた文様や装飾文字はその文化的背景が西方帝国とは異なる事を示していた。

 その市内、市民が好奇の目で集まる大通り目指してヒルティウスは配下の帝国軍団兵2000を率い、堂々たる様子でイオロニア市の城門をくぐった。


 そこには南方作戦の大敗を主導した敗軍の将としての陰は微塵も無く、むしろこれから凱旋式でも挙行するかのような威風堂々たる行進に、イオロニア市の首脳たちは市民共々すっかり騙されてしまう。

 やがて行進は都市の中央に位置する行政庁舎群に行き着き、軍をその周囲に配したヒルティウスは参事会議員や市長達の待つ公会堂へと入っていった。





「……な、何と軍政ですか?」


 ヒルティウスの提案に驚きの様子を隠そうともせずイオロニア市長が声を上げる。

 しかしヒルティウスは至って平静に言葉を発した。


「そうです。このイオロニアを中心として周辺の属州や都市、果ては西方諸都市国家群と連携し、私たちは新たな国造りを目指さなければなりません」

「し、しかし……それでは反乱ではありませんか?」


 ヒルティウスの言葉は、どう考えても西方帝国からの自立を目指しているとしか思えず、参事会議員の1人が疑問の声を上げる。

 しかしヒルティウスはうっすらと笑みを浮かべてその議員に向き直った。


「そうではありません。今の西方帝国を立て直す為には意見を通さねばなりませんが、残念ながら私たちには意見を通すだけの力が不足しています。そこでこの豊かな西方を足掛りとし、我々の意見を通すべく力を蓄えたいと思ったのです」

「……しかし」


 一見真っ当な事を言っているように聞こえなくも無いヒルティウスの言葉に首を捻る議員や官吏達。

 ヒルティウスは曲り形にも軍閥のナンバー2である。

 敢えてこの様な帝都から離れた僻遠の地で意見を主張せずとも、元老院で主張する事が出来るのだ。

 なぜ敢えてこの地で力を蓄える必要があるのか?

 しかし考えるまでも無く、イオロニアの有力者たちが抱いた疑問の答えは直ぐに得られることとなった。


「……これは?」

「何の真似ですかな?」


 公会堂の周囲を固めていたはずの兵士達がどかどかと靴音も荒々しく議場へと入ってきたのである。

 訝る議員や官吏達を余所に、発言者席に陣取ったヒルティウスは両手を広げて宣告した。


「私に協力するというのならばこのままの地位を補償しよう。それ以外の者は、残念だが退場して貰います」

「……何を言っているのかよく分からん!」

「ふざけるな!これでは不法占拠では無いか!」

「帝都に反逆の意志ありと報告するぞ」


 ヒルティウスの為そうとしている事にようやく気が付いた参事会議員達が、額に青筋を浮き立たせて怒りの声を発すると席を立った。


「では死になさい」


 しかしヒルティウスは眉1つ動かさずに言うと、手を配下の兵士に向って振った。

 兵士達は無言で議席から立ち上がり、議場を後にしようとした議員に殺到すると、階段状の議場の途中で押さえ付けた。


「な、何をするかっ!!?ぐえ?」


 そして抗議する間もなく大理石の床に押さえ付けられたまま兵士達に背中を突き刺された議員は、カエルが潰されたような声を上げて絶命した。

 みるみる内に大理石の床に広がる赤い液体を見たイオロニア市の有力者たちは目を見開き、息を呑む。

 軍閥でも策謀を担当するヒルティウスが、まさかこの様な直接の手段に訴えるとは思っていなかったのだ。


「な、何と言う事をするのか!?」


 1人の議員が激高するが、近くに居た兵士に敢え無くその胸に剣を差し込まれて仰向けに倒れる。

 怖気を震った議員達は身じろぎどころかため息をつくことも出来ないままヒルティウスを凝視した。

 それを見たヒルティウスはうっすら笑みを浮かべて言葉を発する。


「私とて軍人ですよ。荒事は決して嫌いではありません。まだ他に異論のある方はいますか?」


血濡れた剣を掲げた兵士達を背景にヒルティウスが言うと、全員が下を向いて押し黙ってしまう。


「ではイオロニア市はたった今から我が勢力下の都市と為します。皆様も私の治政に全力で協力して貰います」





 フリンク族の大邑、ハランド



 族長館ではフリンク族の戦士長達が居並び、一段高くなった上席に族長グランドルが大きな熊の皮を掛けた椅子に腰掛けている。

 その手前、少し小さな椅子からダンフォードが乱暴に立ち上がって面前の浅黒い肌をしたシルーハ人の男を怒鳴りつけた。


「ああっ、何だお前は馬鹿かあ?今シレンティウムを攻めるとか無理だろう!」


 しかし使者は薄笑いを消さず、グランドルに向けていた視線をその手前で立ち上がったダンフォードへと変えて静かに言う。


「無理とはいかなる理由からでしょうか?」

「あいつは……あの辺境護民官はハレミア人の大軍40万を全滅させたんだぞ!そんな強力な軍に正面から立ち向かえるわけが無いじゃねえか!?」


 ダンフォードが周囲に同意を求めるような視線を送ると、数名の戦士長達が頷いた。

 それでも使者は狼狽える事泣く言葉を継ぐ。


「考え方の相違ですなあ……我が主、シルーハの将軍アスファリフの考えは違います」

「ああっ?」

「ダンフォード王子、王子は辺境護民官軍がハレミア人との一戦で強くなったと思っておいででしょうか?」


 まるでチンピラが因縁を付けるかのような様子で使者を睨み付けるダンフォードを意にも介さず、使者は質問を投げかける。

 グランドルが少し興味をそそられたのか、面倒くさそうな様子を少し変え、使者の言葉を待つが、ダンフォードがそれを遮ってがなり立てた。


「当たり前だ!40万の軍を全滅させたんだ、全滅だぞ!何でそれを高々1万にも満たない俺たちが打ち破れるんだっ!!」

「……ダンフォード王子、少しまたれよ。使者殿の言葉を聞きたい」

「叔父上……くそ」


グランドルがなおも暴言を浴びせようとしたダンフォードを制止すると、ダンフォードは渋々従い椅子へと腰掛ける。

 使者はダンフォードとグランドルに丁寧な礼を送り口を開いた。


「ありがとう御座います族長。先程申し上げましたとおり、辺境護民官軍の強い弱いは考え方の相違で御座います。……々は今この時期、辺境護民官軍は弱っていると判断しました」

「……どうしてだ?試しに言ってみろ」


 軍権を握るフリンク族の族長が食いついてきた為だろうか、グランドルの言葉に使者は笑みを深める。


「はい、それはで御座いますね……辺境護民官は確かにハレミアなる蛮族40万を討ち破りこそしたもののその受けた損害は小さくありません。食料を始めとする物資や武具類も消耗しており、また帝国から特に武具類を購入しようにも日数が掛かり過ぎる上に我らの差し金で購入自体が出来なくなっておりますから、装備も随分と見劣りすることでしょう」

「ほう……それで?」

「はい、大方の予想に反し、今こそが辺境護民官を攻める好機なのです。辺境護民官軍は強大になったわけではありません。我々が一致団結して北と南から消耗している相手に攻めかかるという、相手の弱点を突く最も良い瞬間に他ならないのです。ですから……」

『シレンティウムを攻めよというのであるな?』

「ん?何か仰いましたか?」


 使者の言葉を遮って放たれた答えに周囲が訝り、言葉を遮られた使者が薄ら笑いを止めて辺りを見回す。


「デルンフォードか?」


 グランドルが声を掛けると、黒いフードをすっぽり被った大柄な男が進み出て声を発した。


『はは、叔父上。使者殿の意見に賛成です。兄も同じ考えかと……』

「おまえ……!」

「どうかしたかダンフォード王子よ?」


 いきり立ったダンフォードの様子を訝ったグランドルが声を掛けると、ダンフォードは慌てた様子で叫んだ。


「何でもないっ!」


 シルーハの使者は一瞬眉を顰めるが、そのまま言葉を継ぐ。


「はあ、そうですか……まあ宜しいでしょう、しかしシレンティウムを攻めるというのはその通りです。北と南で挟撃すれば弱っている辺境護民官にとどめを刺す事が出来るでしょう」

「とどめか……くくく、良いだろう」

「叔父上っ」


 グランドルが含み笑いを漏らしつつ使者の言葉を肯定すると、慌てたダンフォードが叫ぶ。

 しかしグランドルは今度は手で腰を浮かしかけたダンフォードを制して言った。


「まあ良いでは無いかダンフォード王子。アスファリフとやらの策に乗ってやろうではないか。我が一族はフレーディアをまず目指す、如何かな?」

「結構です、では我々は南からシレンティウム突きましょう……王子様、協力戴けませんでしょうか?」

「分かった……フレーディア攻めなら文句はない」


 使者の慇懃な言葉に、ダンフォードも不承不承頷くのであった。





 ハランド、ダンフォードの館



「くそ……どういう事なんだ?」

『それは我が助言した事であろうが、兄上よ』

「……おまえか」


 黒フードをすっぽり被った男、先程グランドルがデルンフォードと呼んだ者を見たダンフォードが歪んだ笑みを浮かべて応じると、男は腕を組んで傲岸に言い放った。


『以前説明したであろう?シレンティウムは消耗しているから心配要らんとな』

「ふん……」

『南の王国はきっちり手を貸してくれる。因みに間諜もシレンティウムへ入れてくれる事になった』

「何だと?」


 訝るダンフォードに、フードを取らないままその男が得意気に語り始めた。


『くっくっく、会議の後我の分身の情報を伝えてやったのである。まあ既にその存在は掴んでいたようだが、改めて我の情報を合わせて対策を取るとの事だ』

「……なるほど、おい、お前調子はどうだ?」


 何の気なしに問うダンフォードに、虚を突かれたのかその男の動きが止まる。

 そしてしばらくすると肩が震えだし、哄笑を放った。

 一頻りの哄笑後、両手を広げつつ男が言葉を発する。


『くくく、すこぶる調子が良いぞ兄上。何だ、心配してくれるのか?』

「……馬鹿言え……デルンフォード……」

『くはははは、如何にも我はデルンフォードだ兄上!っはははは!』


 哄笑するデルンフォードを名乗る人物のフードが風に煽られ、その黒い髑髏の頬がちらりと見える。

 ダンフォードは踵を返すと、戦士達が哄笑を続けるデルンフォードを気味悪そうに見ている事すら気付かないまま、元来た道を引き返し始めるのだった。



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