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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第6話 シレンティウムの更なる発展

 シレンティウム行政庁舎、大会議室


黎盛行、クリッスウラウィヌスとの会談を終えたハルは、素早く手配文書を書き上げてしまったシッティウスと共に次いで大会議室へと移ることになった。

 大会議室の扉を開けると、目の前には様々な民族からなるシレンティウムの官吏達が笑顔でハルを迎えた。


「「「お疲れ様でした」」」

「あ、ありがとう」


 目を丸くしているハルに、声を揃えて挨拶する官吏達。

 辛うじてお礼を返したハルに対して笑顔を深くした官吏達が、その後扉から出がけにハルの身体をぺたぺたと触ったり、握手を求めたりしては親愛の情を示しつつ立ち去ってゆく。

 ハルが呆気に取られている間に全員がそれぞれの部署へと戻り、部屋には各長官だけが悪戯っぽい笑みを浮かべながらハルの着席を待っていた。

 シッティウスがハルの脇を通り、自席へ着くとハルもようやく我に返って用意された席へと向かう。


「彼らは?」

「ここシレンティウムの行政庁舎で戦場を思い、日々その後方支援に心を砕いていた者達です、アキルシウス殿のお帰りを一日千秋の思いでお待ちしていた者達でして、是非一度ご挨拶申し上げたいと、ここで粘っていたのです」


 ハルの質問によどみなく答えるシッティウスの言葉で、ハルはようやく納得した。

 今回の後方支援に当ってはシッティウスが統括し、各部署から人を引き抜いて事に当ったと聞いている。

 彼らの手によって戦いに必要な食糧や消耗品、医薬品、生活用品に武具の修理物品を確保し、輸送手段を手配して戦場へと送った。

 また、戦場から送られてきた傷痍兵を引き取って薬事院へ運んで治療を受けさせ、壊れた重兵器や武具を引き取って修理して再び戦場へ送り出す。


 口で語るのは易しいが、実際にこれを行った者達の辛苦は察するに余りある。

 その者達が今日解散の日を迎えて、ハルが来るまで居残っていたのだ。

 ハルはじんわりと胸に湧く温かいものを感じて長官達を見回すが、誰もが笑顔で見つめるばかり。

 最前線の命の遣り取りとはまた異なる、きっと様々な苦労や骨折りをしてハルの背を守り、後方支援を最後まで果たしきった官吏達。


 しかし遺憾なく発揮された官吏達の能力と不断の努力と遂行力も素晴らしいが、きっと尋常では無い様々な困難や危機もあっただろうに、それを微塵も感じさせなかった彼らの姿にこそハルは感謝以上の尊敬に近い念を感じたのだ。

 そしてそれらの陣頭指揮を執ったのは、今ここに残っている長官達である。


「皆さん、ありがとうございました。皆さんのおかげで食糧不足に陥ることも、物資不足に悩まされる事も無く、無事帰還することが出来ました」

「いえいえ、戦場の苦労に比べれば何ほどのこともありません。今は皆さんのご帰還と無事を祝うばかりです。それに彼らは誇りを持って、後方にてアキルシウス殿と共に戦場にありました、その思いを汲んで頂けるだけで官吏冥利に尽きるというものです」


 ハルの言葉に、シッティウスが淡々とではあるが、非常に感慨深い様子で答えた。

 





「では、改めまして、大変お疲れ様でしたな」

「お疲れ様ですわ、アキルシウス殿。また逞しくなられましたね…益々イイ男に…はあ」

「わはは、戦勝おめでとうございます!お陰様で市場は大盛況です!」

「……秘密兵器……役に立った……?」

「間近で見ましたが、用兵の妙冴え渡りましたな!」

「素敵ですっ……素敵すぎますアキルシウス殿……!」

「やれやれ、これで肩の荷が下りたぜ。まあ、よく頑張ったな」

「首を長くしてお待ちしておりましたぞい、アキルシウス殿」


 口々に言う各部署の長官達に笑顔で応じ、ハルは議事を進行すべくシッティウスを目で促した。

 黙礼を返しつつ席から立ち上がったシッティウスが、資料を片手に口を開く。


「それでは……只今よりシレンティウム行政府会議を始めます、まずは夏頃に生まれる予定のアキルシウス殿とエルレイシア殿の子供について……」

「ちょっと待った!」


 シッティウスが取り出した議事について待ったを掛けるハル。


「何ですかな?」


 無表情のまま首を傾げるシッティウスに、ハルは焦って言葉を継いだ。


「そ、それは今回の議題から外して下さい」

「そうですか?残念ですな、名前などを考えようかと思ったのですが…」

「いやいや、それはここで話し合うことではないですよ?」

「そんなことは無いと思いますが」

「いや、止めておきましょう」

「まあアキルシウス殿がそう仰るなら……」


 イマイチ表情の読み切れないシッティウスがぴくりと片眉を上げて議事進行を断念して別の資料を取り出すと、長官達は心底残念そうな顔で机の上の資料をめくる。

 戸籍長官のドレシネスなどは、新しい戸籍原簿を実に残念そうな顔で資料の一番下へと差し込んでいた。

 全員の資料がアキルシウス家の子供の名付けについてと記された物から、新同盟戦略と記された物へと変わったのを確認し、シッティウスが口を開く。


「では改めまして……拡大したシレンティウム同盟の概況についてですが、この度北部諸族が加わり、東部の数部族を除くほぼ全てのクリフォナム人がシレンティウム同盟に参加しました、一応の北方辺境統一業はこれをもちまして成立とし、これからはこの域内の発展と西方への拡大を目指したいと思いますが……早くも西方のオラン人が動いてしまいました。先日オラン人の代表としてアレオニー族長クリッスウラウィヌス殿がシレンティウムを訪問され、王位授与と同盟参加の打診がありました。アキルシウス殿はこれを受ける旨の回答をしております」

「時期尚早ではないでしょうか?」


すかさずカウデクスが発言すると、シッティウスが一つ頷いてそのまま発言を続けるよう促した。


「では僭越ながら……未だ財政基盤の脆弱なシレンティウムがこれ以上の負担を背負い込むというのは感心出来ませんわ。セデニア、ポッシアの両部族に対する受け入れと支援、フレーディア都市改良事業、同盟域内の街道敷設とこれだけでも相当の負担となっておりますの。幸いにも莫大な引き継ぎ金がありますお陰で直ちに財政難へ陥るということはありませんけれども、3年後に予想されるシレンティウムの税収や事業収入から勘案しましても健全とは言えない財政支出ですわ。私は収支均衡を目指す財務長官の立場から反対をさせて頂きますわ」


普段の艶やかな笑みを消し、厳しい表情で言うカウデクス。

 その言葉が終わると同時に今度は商業長官のオルキウスが挙手をして発言を求めた。


「おう、では失礼をして……」


 シッティウスの許可を得ると、オルキウスはそう言いながら席から立つと両手を自分の目の前に小さく広げた。


「今シレンティウムの経済市場はこのくらいの小さなものですが、幸いにも今は西方帝国と東照帝国という広大な市場へ連動しておりますが故に経済活動は非常に活発です。しかし西方帝国での争乱が予想され、東照帝国も本国が危ないとなれば、あまりこの2つの市場に頼りすぎるのは考えものです」

「なるほど……」


 ハルが感心していると、オルキウスが一息ついてから言葉を継ぐ。


「シレンティウム同盟も北へ広がったとは言え、まだまだ北の地は未知の市場です。しかしオラン人は西方帝国との付き合いも長く、貨幣や文化も随分浸透しておりますのでこれを取り込めれば伸び代が確保出来ます。帝国が争乱状態になればオラン人はそれまで西方帝国に依存していた物品をシレンティウムから購入するようになるでしょうから、そう言った意味でも私はオラン人を取り込むべきと考えますな」


 最後には両手を大きく広げてそう主張すると、オルキウスは席に着く。


「良いですかのう?」


 次いで発言を求めるのは戸籍長官のドレシネス。

 シッティウスの許可を得たドレシネスは、腰を叩きながらよっこいしょと席から立つとゆっくり発言を始めた。


「今回は戸籍長官と言うよりは一オラン人の立場から言わせて貰うと、是非シレンティウム同盟に我々を参加させて欲しいのじゃ……というのも、オラン人は長い争乱の果てに勢力圏を大きく減じてきた。クリフォナム人にエレール河畔を明け渡し、帝国に南半分を族民ごと併呑され、ハレミア人に北から脅かされ、果ては同胞であるはずの島のオラン人からも攻め立てられている始末じゃ。オランの地は各勢力から攻め立てられ酷く疲弊しておる。このままではオランの族民達は滅ぶのを待つばかり、いずれ帝国の一部になるにせよ自然消滅などと言う不名誉な結果にはなりたくない。出来ればシレンティウム同盟に参加し、名誉ある同盟者としてその一翼を担うことで未来に希望を繋ぎたいと考えておるのじゃな」


 ドレシネスは一旦言葉を切り、全員が熱心に聞き入っていることを確認して少し微笑むと静かに言葉を継いだ。


「どうか亡国の民と呼ばれるオランの民に今一度名誉ある役目を与えてやって欲しいのじゃ」

『だが、それによってシレンティウムの軍事的な負担は一気に脹れ上がるのである』


 ドレシネスの発言が終わると同時にアルトリウスがいつの間にか現われて言った。


「先任……」


 振り返ってつぶやいたハルを余所にアルトリウスは滔々と述べる。


『シレンティウム同盟により帝国とクリフォナムからの圧力は無くなり国境は画定されるであろう、それにハレミア人はハルヨシが退治したのでもう心配は無い。たがオラン人を最も悩ませている島のオラン人や海賊退治は為されておらぬ。海から来るこの脅威に対処するには艦隊の創設が急務であるが、今のシレンティウムにその様な余力も能力も無い。それに艦隊の維持には莫大な費用と訓練された海軍兵士に加えて優れた提督が必要であるが……これもない。今のシレンティウムにオランの地を完全に守る術は無いのである』


 アルトリウスの言葉に腕を組むと、ハルはぽつりとこぼす。


「艦隊ですか……でもいずれは持たなくてはなりませんね」

『なんと……!』

「アキルシウス殿は、オラニア海経由の西方交易を考えておられるのでしたな」


 アルトリウスが驚き、オルキウスが頷きながら応じるとハルは言葉を継いだ。


「はい、河川航路を開き、エレール川の河口からオラニア海を経由して西方諸国へと航路を繋ぐことが出来ればまた新たな交易路が構築出来ます。それには海賊や島のオラン人は邪魔ですから艦隊をつくって排除しなければいけませんね」

『正気かハルヨシ?我であってもそこまでは考えなかったのである……』


 驚き呆れるアルトリウスを見たハルは笑みを浮かべていった。


「今はまだ無理です、人もお金もありませんし、船を造る場所も資材も技術もありませんか。でも、いずれは必要になるのですから、今から集めておいても良いですよね?」

『ううむ、まあ、そうであるな……』


唸るアルトリウスを余所にハルはシッティウスへと向き直ると再び口を開く。


「オラン人の条件付き参加を認めることは既に通知してありますが、秋を目処に正式な参加を認める事を知らせましょう」

「承知しました」







 シレンティウム商業区、青空市場



 ルキウスとプリミアが2人並んで歩く青空市場は今やシレンティウムの名物であると共に市民生活にとって無くてはならないものとなっていた。

 麦はその年に収穫された全量を一旦シレンティウムの行政府が買い上げてから市場へ安定した価格で放出しているため、価格も安定しており売り切れも無い。


 その他の野菜や穀物は自由に売り買いが為されているが、シレンティウムの農業生産が始まったことで概ね廉価で購入することが出来、種類や量も豊富でこちらも買いそびれることはまずあり得ない。

 “シレンティウムで揃わないのは貴族だけ”と言われるまでに発展した青空市場は今日も大盛況である。


「ふ~ん、それでどうしたんだ?」

「ええ、お客様にお願いして客室を変わって貰ったんですが……調べてみると……」


 他愛も無い会話を笑顔で楽しみつつ買い物をする2人はどこからどう見ても仲の良いカップルかもしくは夫婦である。

 市場のおばさん達が2人の様子を見ては目を細めている。

 種類豊富な食材を買い入れた大きな籠をルキウスが持ち、その隣でプリミアは軽いパンや官営旅館で作成する書類に使う紙やペンを持っていた。


 そうして一通り食材などの買い物を終えた2人が向かったのは、デニス雑貨店。

 今日の2人の本来の目的はデニス雑貨店で公衆浴場の備品を発注することであった。

 公衆浴場で使われる衣類入れの籠や、貴重品保管箱、木桶に掃除用のブラシやモップなどの用具は全てデニス雑貨店が請け負っている。


 それ以外の官営旅館の備品についてもデニスが造ったり仕入れたりしており、官営旅館はデニス雑貨店の得意先の一つなのだ。


「いらっしゃいませ~…あ、りょかんのおねえちゃんとおにいちゃん!」


 会計台を拭き掃除していたマークがプリミア達の姿を見て愛想良く迎える。


「こんにちは、マーク。お爺さんはいらっしゃいますか?」

「うん、ちょっとまってて!」


ぞうきんを近くの手桶へ放り込むと、マークはデニスを呼びに店の奥へと行ってしまった。


「うふふ、いつ見てもマーク君は可愛いですね」

「そうだなあ、なんかこう、癒やされるって言うか…子供を見ているとそんな気持ちになるよなあ」


 大荷物を一旦会計台の脇に置きながらルキウスが言うと、プリミアは少し考え、ルキウスを見つめながら言葉を継いだ。


「……ルキウスさんは子供が好きなんですね?」

「ああ、がきんちょは好きだ。見てて飽きないよ」

「そうですか」

「ん?」


 プリミアが見せた顔を赤くしながらの反応に、少し思い当たる節のあったルキウスが向き直ると同時にデニスとマークが店の奥から現われた。


「いや~お待たせ致しましたですのう。今日はどのようなご用件ですじゃろうか?」

「は、はいっ、あ、その、その……公衆浴場で使う脱衣入れの籠を補充したいんですけれども、前のと同じものはありますか?」


 デニス達の登場に慌ててプリミアはルキウスから視線をそらすとつっかえながらも注文を述べる。


「おお、ございますとも、数はいかほど入り用で?」

「えっと、30個お願い出来ますか?」

「分かりました、10日程お時間戴けるじゃろうか?」

「はい、大丈夫です」

「では10日後に公衆浴場の方へお届け致しますじゃ」

「宜しくお願いします」


 デニスの回答に対し、丁寧に頭を下げて依頼を果たすとプリミアは踵を返す。


「お、終わりか?」

「は、はい……」


 目の前にいたルキウスとばっちり視線が合ってしまったプリミアは、思わず赤くなって視線を下に落とす。


「じゃあ行こうか」


 荷物を持ち直し、先に歩き始めたルキウスの背を熱っぽい視線で見つめるプリミア。

 その後ろ姿を見送ったデニスとマークが笑顔のままでひそひそと話し合う。


「りょかんのおねえちゃん、あのおにいちゃんのことスキだよね?」

「おお、間違いなかろうの」


 デニスが自分の言葉に頷きながらそう言うのを聞き、マークはうんと頷いてから言葉を継ぐ。


「さっそくオルトゥスくんにほうこくだ!」

「気を付けて行くのじゃぞ?」


 祖父に見送られ、マークはルキウスとプリミアの先回りをすべく店の裏手から官営旅館に向けて走り出すのだった。






 シレンティウム商業区・繁華街、居酒屋「北方辺境」



「おっちゃん!席空いてる?」

「おう、ヘーグリンドの坊主じゃないか、まだどこでも空いてるぞ、好きなとこへ座ってくれ!ん?おやレイルケンの旦那!いらっしゃい」

「お邪魔するよ」


 元気よく入ってきたへーグリンドに続いて入ってきたレイルケンの姿に、店長である帝国人の親父は目を丸くして声を掛けてきた。

 今日は戦後の慰労会ということで非番のレイルケン十人隊は全員でヘーグリンドの行きつけであるシレンティウムで最も古い居酒屋の一つ、その名も居酒屋“北方辺境”へやって来たのである。


 ぞろぞろと入ってくる巨漢の北方軍団兵達。


 姿は支給されている帝国製の貫頭衣だったり、クリフォナム風のズボンとシャツ姿だったりとまちまちだが頭髪は短く刈り揃えられ、筋肉がくっきり浮き上がる程鍛えられた身体、そして右手の剣ダコを見れば直ぐに兵士だと分かる。


「今日のおすすめ何?」


ヘーグリンドの質問に、親父は注文取りの木板を出しながら答えた。


「そうだな、今日はソーセージがあるな。後は地鶏、野菜の素揚げ、キャベツの酢漬けもあるぞ、最近北からチーズと乾し肉もたくさん入ってきてる」

「じゃ、取り敢えず今のやつ全部と麦酒ね!」


 ヘーグリンドが注文すると、それを受けて木板へ料理名を書き付けた親父が言葉を継ぐ。


「おう、分かった人数分で良いな?……パンはどうする?」

「どうしますか隊長?」

「そうだな……少し貰おうか」

「あいよ」


 レイルケンが頷くと楽しそうな笑顔を残して親父が厨房へと引っ込み、入れ替わりに親父の妻であるクリフォナム人女性が笑顔で小さな酒宴用のパンを籠に入れて運んできた。


「しかし普通の日でもパンが食べられるなんて……すごいよな」


 兵士の1人が小さなパンを手に取りつぶやくと、直ぐに同意の声が全員から上がる。

 挽き臼が未発達のクリフォナムでは手で回す石臼しか製粉方法が無く、パンは贅沢で貴重な食べ物だったのである。

 祭りや祝い事などで出される以外は、不味くは無いのだが美味くも無い粗挽きした麦の実を水や家畜の乳で煮た麦粥が常食であった。

 今も兵営で出されるのは麦粥であるが、シレンティウム軍も帝国軍に倣って戦場では保存の利く塩味の強い堅焼きしたパンやビスケットが支給されており、これも原料は麦の粉である。


 いずれにしても西方帝国式の水車動力で巨大な挽き臼を常時稼働させている大規模な製粉所が幾つもあるシレンティウムであるからこそ、これ程大量の小麦粉や大麦粉が供給出来るのだ。

 出来たてのパンを食べられる幸せをかみしめつつ、レイルケン達は次いで運ばれてきたクリフォナム伝来の麦酒がたっぷり入った木製のジョッキを打合わせた。


「「辺境護民官殿とシレンティウムの勝利に!」」


 全員で唱和してからぐいっと煽るように杯を上げ、たちまち麦酒を飲み干すレイルケン十人隊の面々。


「たあーっ、いいねえっ」

「いやあ、最高だな!」

「これのために働いてるようなもんだからなっ」

「おい、ヘーグリンドぅ、もう一杯ずつ注文してくれ」

「あ、おれは葡萄酒が良いな!」


全員が笑顔で酒を飲み干し、たちまち始まる居酒屋の騒ぎ。


「お待たせしました~」


 しっとりした声と共にクリフォナム人の奥さんが料理をテーブルへと並べてゆく。

 酢漬けキャベツ、焼きたての香辛料を練り込んだソーセージ、塩と刻んだ香草をふんだんに振り掛けチーズを載せた鶏肉の焼き物、玉葱と葉野菜の素揚げ、鹿の乾し肉の炙りものがそれぞれ皿へ盛りつけられ、テーブルいっぱいに置かれた。

 香辛料はシルーハから運ばれたもので塩は東照帝国西方府は塩畔で産する岩塩である。

 香草はシレンティウム周辺で産するものをサックスが農場で生産出来るようにしたため、ふんだんに使用出来るようになったのだ。

 玉葱や葉野菜、キャベツはもちろんシレンティウム産である。


「「うおおおお~」」


 感嘆の声を上げる北方軍団兵達の様子をにこやかに眺める親父と奥さん。


「冷めてしまうぞ、どんどん食べろ」


 レイルケンの言葉を待つまでもなく、兵士達は料理を匙と肉叉で早速取り分けて食べ始めた。

 肉叉も帝国からもたらされたもので、昔は手づかみでの食事が当たり前だった。

 たちまち半分以上の料理が兵士達の胃袋に消え、それでも無言で夢中になって料理を食べ続ける兵士達の様子に苦笑するレイルケンが追加注文をする。

 空になった皿を引き上げられると同時に、今度は豚肉の塊と人参や蕪などの根菜類を塩と香草で味付けしてじっくり煮込んだ料理が固いパンと共に出された。


「行儀は悪いがあんたらお馴染みの戦場風だ、パンは汁に漬けて食ってくれ」

「「むおおおお~!」」


 しかし戦場で食べるものと比べれば数段美味い煮込みとパンに感動する十人隊の面々。

 酒を飲み、料理を平らげ慰労会とは名ばかりの食事会と化してしまう。

 時が過ぎ、あらかた料理を食い尽くした十人隊の面々、周囲は他の客で随分と混んでも来ている。

 ぱんぱんになった腹をさすり、ちびりちびりと葡萄酒や葡萄蒸留酒を飲みながらゆったりくつろいでいる時、ヘーグリンドがぽつりと言った。


「兵営もこんな飯ならなあ……」

「ありがたみが無いだろう、それじゃ……」


 先輩兵士の1人が苦笑しつつ言うと酔ったレイルケンも頷いた。


「飯が楽しみになって、戦いがおろそかになってしまうな!」


「「いやいや隊長、それはないない」」


 真っ赤な顔をして言い切ったレイルケンの言葉に、顔の前で手を振る十人隊の面々であった。

 

 





 シレンティウム工芸区、工芸長官工房



 工芸長官工房という正式名称がついてはいるが、誰もがスイリウスの基地と呼ぶその場所に、スイリウス以下工芸庁の職員数名と工芸区の武器工廠の職長や職人達が居並んでいた。

 その前にいるのは、今回ネオン河畔の戦いで大勝利の立役者ともなった工兵隊の面々である。

 工兵隊長を筆頭に、今回火炎放射器を実際に使用した工兵達がスイリウスに呼び出されて実地使用における問題点の検証をすることになっていたのだ。


「そう……秘密兵器は役に立ったみたいね?」

「はい、お陰様でハレミア人の猛攻をしのぎ切り、反撃につなげることが出来ました」


 スイリウスの質問に工兵隊長が答えると、うっすらと笑みを浮かべたスイリウスは更に質問を重ねる。


「……問題点があれば……教えて欲しい」

「そうですねえ……敢えて言うとすれば燃料を直ぐ使い切ってしまう所でしょうか?」

「うん……それは確かに前から問題になっていた……でも戦場で可燃性の高い液体を扱うのは危険……だからといって燃料槽を大きくすると取り回しが不便……難しい」


 工兵隊長が言った問題点というかむしろ運用側からの要望としての意見は、実は実用化の前から出ていたものであった。

 しかしながら技術的な問題点と運用の兼ね合いを最大限摺り合わせた結果、あの形状の火炎放射器が配備されたのである。


「そうですね、今回は相手が投射兵器をほとんど持っていませんでしたから良かったですが、投石弾の直撃を受けでもしたら大変です。大きくなればそれだけ当りやすくもなりますしね」


 少し眉を曇らせた工兵隊長が述べた意見の通り、万が一自陣で暴発するような事態に陥った時、その被害は兵器が大きくなればなるほど酷いものとなる。

 兵器は廃棄したり遺留したりしてしまうことも考えなくてはならないため、下手に装甲を付けて破壊に失敗し、敵に手に渡るような事態に陥っても困るため、それこそぎりぎりの線で構造や大きさは調整されたのであった。


「課題は多い……まだまだ頑張る……貴重な戦場の意見、ありがとう」

「いえいえ、これくらいならおやすいご用です。強い兵器が出来ればそれだけ味方の損害が減るんですから、いくらでも協力しますよ!」

「わかった……じゃあ一旦火炎放射器は整備の為に分解する」

「宜しくお願いします!」


 スイリウスの謝辞に工兵隊長や工兵の面々がにこやかに答えると、スイリウスもにっこりと微笑んだ。


「……ありがとう……またすごいのを開発するから……今度もお願いする」

「「え゛?」」


 濁った返事を返す工兵達から視線は遙か彼方へと外れ、呆気に取られている工廠の職人や工芸庁の職員を余所にスイリウスはつぶやくように言葉を継ぐ。


「……今度は……爆発力を使った兵器を開発したい……敵をぶっ飛ばす……」

「「…………え゛?」」


 今度はその開発を担わされる事になるだろう工廠の職人や工芸庁の職員が濁った声を出した。


「味方もぶっ飛ぶすごいのを……」

「味方はぶっ飛ばない、なるべく穏便なヤツをお願いしますよ……それこそ戦場の意見ですからね」


 夢見るような口調で手を胸の前で合せているスイリウスに、工兵隊長が冷や汗をかきながら注文を付けるのだった。






 シレンティウム太陽神殿、薬事院 



 妊娠休暇中のエルレイシアに代わってアルスハレアが差配する太陽神殿と薬事院は、いつも通り大盛況である。

 隣接する学習所の子供達の喧噪も加わって、本来静粛なはずの太陽神殿は結構騒がしい。

 今日はアエノバルブスも弟子を連れて来ており、喧騒はいや増している。

 その薬事院の事務室には、ホーが1人の澄ました様子の東方人女性を伴ってアルスハレアと面談していた。

 アルスハレアの隣には、当然のようにアエノバルブスがもじゃもじゃの赤髭をこすりながら座っていた。


「こちら、ワタシの……知り合いの知り合いの知り合いから紹介されタ鈴春茗リンシュンメイネ~東照で薬師やってたネ、とても優秀な薬師ヨ!」

「初めまして……鈴春茗と申します。東照の薬師をお求めとの由で御座いましたので、私共でお役に立てるならばと承った次第で御座います」


 鈴春茗と名乗ったその女性は細身で小柄、黒い髪を結い上げ、東照風の前袷の衣服を身に着けている。

 年の頃は20代前半、手指は熟練の薬師らしく荒れており、物静かな様子であった。


「初めまして、私がここの薬事院長をしているアルスハレアです」

「わしは医者のアエノバルブスという」

「アルスハレア様に、アエノバルブス医師で御座いまするね」


 鈴春茗が頷きながら言うと、アルスハレアが感心したように言葉を継いだ。


「西方語がお上手ですね?」

「はい、以前から西方の薬事や医事に興味がありまして、書物などを取り寄せて居りました関係で西方語を学んだ次第で御座います」


 アルスハレアの言葉に、堅苦しい西方語で応じる鈴春茗。

 言葉だけで無く、顔も硬いので緊張しているのだと分かるが、とても年頃の女性が使うとは思えない古くて堅苦しい言葉使いに何となくおかしみを感じて微笑むアルスハレアと苦笑するアエノバルブスに、鈴春茗は首を傾げて質問する。


「どこか面妖なる箇所があるので御座いましょうや?何分書物を元にほぼ独学で学んで参りましたもので面妖なる箇所があるやもしれず…失礼あらば指導のほどお願い致します」

「いいえ、素敵な言葉使いですよ?お気になさらず」

「うむ、似合っておるのじゃから良いと思う」


 微笑みをそのままにアルスハレアとアエノバルブスが答えると、ようやく鈴春茗の顔にも笑顔が浮かんだ。


「有り難きことに御座います」

「そうヨ~変な所なんかないヨ~ワタシの方がよっぽど変ヨ、鈴のは気になるほどじゃ無いヨ~」

「……変なのは自覚があったのですね」


 鈴春茗をそう言って慰めるホーの言葉に対して片眉を上げるに止めたアエノバルブスであったが、アルスハレア思わずつぶやいてしまうのだった。






 シレンティウム南城門



 楓と2名の陰者が城門付近にある兵士の詰め所で椅子に座って暇そうにしている。

 今日楓がここに来ているのは、故郷の群島嶼から陰者達が到着するとの知らせが伝送石通信であったからで、城門には待合場所が無いので顔見知りの兵士にお願いして詰め所の端っこで待たせて貰うことにしたのだ。

 イネオン河畔の戦いが始まる直前、群島嶼へ陰者の派遣を依頼する手紙を送っていた楓。

 直ぐに情報収集のために北へ旅立ってしまったため、返答があったことを知ったのは随分後になってからであった。


 その陰者達であるが、予定の時間である午前中を過ぎて随分時が経ったがまだ姿が見えない。


 楓は青空市場で陰者が買ってきた、大麦粉にハチミツを練り込んだ焼き菓子を食べ、兵士達から水を貰って飲みつつ待っていたが、それでも時間を持て余していた。

 帝国からの荷を運ぶ馬車や人、商人、帝国人の移住者、それにシレンティウムから帝国へ出て行く馬車や人が城門を盛んに通りはするが、目当ての人物らしき者は見当たらない。


「まだかなあ……」


 机に頬杖をついて手持ちぶさたに楓が言った時、陰者の1人が立ち上がり、楓に声を掛ける。


「姫様……」

「うん?あ、来たっ?」

「はい、しかし少し人数が多いような気が……」

「えっ?」


楓が椅子から立ち上がって、陰者達が見る方向に視線をやると、そこには明らかに300名以上の群島嶼人が居た。

 全員地味な色の羽織袴に身を包み、黒色の帯を締め、短い刀を腰に差して編み笠を被っている。

 またぱんぱんに膨らんだ荷物入れである旅帯をそれぞれが背負っている。

 先頭を歩く中肉の男は楓も見知っている陰者の長。

 長はその口元に皮肉げな笑みを浮かべて驚く楓達を見ていた。

 その人相風体雰囲気の異様な集団が南城門へ近づいてくるにつれ、城門警備の兵士の動きが慌ただしくなる。

 警備隊長が警戒命令を発したのだ。


「だ、大丈夫だよっ、あれボクの知り合いだから!」


 慌てて近くの兵士にそう言って伝え、事なきを得た楓は連れてきた2人の陰者と共に城門の外へと飛び出した。

 楓の姿を認めて立ち止まった陰者達が一斉に跪き、先頭の長が丁寧に挨拶をする。


「お久しぶりで御座います」

「ちょ、ちょっとこっち来てっ」


 慌てて陰者達を城門脇の広場へ誘導する楓。

 ぞろぞろ歩く陰者達の異様な風体とその数の多さに、付近を行き来するシレンティウムの市民や商人達が立ち止まって見物する事態になってしまった。


「ど、どうしたのさこれは!?」


 街道の交通を塞ぐほどではないものの、妨げてはいる陰者達が気になって仕方ない楓が思わずそう聞くと、長が心外だと言わんばかりの口調で答える。


「どうもこうもありませんぞ。秋瑠家の姫君が良い務め先を紹介してくださると言うのでこうして郷を上げて馳せ参じた次第」

「うえええっ?」


 確かに長宛に伝送石通信を使って何人かの陰者を派遣してくれるように頼んでいたし、その給金はシレンティウムで持つことを記してはいた。

 確かに派遣する人数は明示してはいなかったが、それでも10人か20人程度だろうと思っていた楓は素っ頓狂な声を上げる。

 手紙を受け取った陰者の郷は、長が直々に300人以上の陰者達を率いてやって来てしまったのだ。

 見れば赤ん坊を背負ったり子供の手を繋いでいる者達も居る、正に郷を上げての移住なのだろう。

 驚く楓を余所に長が訥々と語り始めた。


「帝国の支配が行き届き始め戦や小競り合いも無くなり、大氏同士の謀略戦や政争もすっかりなりを潜めてしまいましてな、我等としても働き所が無く、収入は途絶え、山深い地にある郷では農作業もままならずに難渋していた次第、いや、助かります」

「ぼ、ボク聞いてないよっ?こんな大勢来るなんてっ!」

「姫様の手紙には人数が記されては居りませんでしたしな、そこは“いっそ一思いに”というヤツです。最早我等路銀も使い果たしました次第で……ここで雇って頂かなくては進退もままなりません次第です」


 楓の抗議も何のその、涼しい顔で答えて更には帰る術は無いと半ば脅かしてくる長に、楓は頭を抱えた。


「うう……ハル兄に何て説明しよう……」

「旅で見聞きするに帝国は政情が揺れておりますし、この地においても晴義様が辛うじて押さえては居られますが北の地もまだまだ不安定、このような時勢であれば我等はお役に立ちますぞ?」

「それはわかってるけどっ」


 陰者の雇用と招聘は楓に一任されているため、恐らくハルは怒ったりはしないだろうが、この300人は楓が面倒を見なくてはならないのである。

 衣食住の手配に給金の査定、その他の手配りも楓持ちである。


「それはそうと長、これだけの大所帯でよく騒ぎにならずここまで……」


 予想外の事態に頭を抱えて悶えている楓を余所に、楓付きの陰者がそう言うと長はにやりと口角を上げた。 


「呆けたか?我等は陰者ぞ……道無き道をゆき、光無き夜を自在に歩く。全員が合流したのはつい先頃その先にある兵士詰所での事、それまでは皆バラバラにここを目指したのだ」

「……お見それしました」


 陰者と長が会話していると、楓がついに叫び声を上げた。


「もーっいいやっ、考えてもしょうがナイっ!何とかなるっ!」

「……姫は変わっておらんな?」

「はあ」


長の言葉に苦笑を返す他無い陰者だった。






 シレンティウム行政庁舎、ハルの部屋



「あの……エル?」

「あん、動いてはダメです……」

「いや、その、ね?」

「……ダメです」

「はい……」


 1日の仕事が終わり、自室へと引き上げてきたハルを待っていたのはその帰りを一日千秋の思いで待ち続けていたエルレイシアであった。

 入り口でさっそく捕まったハルは、抱きしめられ濃厚な口付けを授けられるとそのまま部屋のベランダに置いてある椅子へと連れ出される。

 北の戦いから帰って以来、朝夕の祈りを除いて大神官のお勤めを休んでいることもあってエルレイシアはいつも部屋に居り、毎日ハルを待ち焦がれているのである。


 普段は昼の軽食を摂ったり、休憩で喫茶するためにと用意された椅子とテーブルであるが、今は大きめの椅子に腰掛けたハルの上にエルレイシアが頭をその胸に載せて寄りかかっていた。

 お腹の大きいエルレイシアに負担を掛けまいとすると、どうしても無理な体勢で椅子に座らざるを得ず、ハルが何とか体勢を楽にしようと身じろぎする度にエルレイシアが不満げに鼻を鳴らすのだった。

 しばらくそうしていると、大通りの喧噪や街路樹の梢を揺らす風の音が僅かに聞こえ、渡ってきた風が2人を包んで天へと消える。


 上水道はいつもと変わらず清浄な水の転がるような音を、2人の逢瀬を邪魔しないよう気遣うかのごとく小さく響かせていた。

 遂に体勢のきつさに堪りかねてハルが少し切羽詰まった声を出す。


「エル、寝台の方が良いんじゃない?寝転がれば良いんだし……」 

「ダメです」

「どうして?」


 その問いに顔をたちまち赤く染めるエルレイシアは、小さな声でハルの耳元に口を寄せて囁く。


「……だって、我慢出来なくなってしまいます」

「そ……そうなんだ」


首にかじりついたエルレイシアが顔を真っ赤にして俯き、一層強く腕に力を込めるとハルもそれ以上言えずに手をエルレイシアの背中に添えた。

 そしてその額に口付け、顔を上げたエルレイシアとキスを交わし、その耳元に囁き返した。


「……俺も我慢出来ないかなあ」

「え……あっ?」


 エルレイシアが驚く間もなくハルはその身体をふわりと抱き上げ、部屋へとエルレイシアを運びながら言った。


「でも、身体の方が大事だから、寝台でゆっくりしよう」

「……はい」


 ハルの首に腕を巻き付けたままエルレイシアが言い、ハルは笑顔で部屋へと入り寝台へエルレイシアを横たえるのだった。




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