第3話 イネオン河畔の戦い 2
左右に向かったハレミア人達は地面に巧妙に隠されたリリウム(杭入り落とし穴)とスティルムス(鈎爪付杭)の罠に嵌まったのだ。
ハレミア人が左右に展開した場合に威力を発揮するよう工兵隊が陣地の左右に大量に設置してあったのである。
偵察など言う概念を持たないハレミア人であったからこそ、ぎりぎりまで作業をしていてもばれることなく工兵隊は無事設置作業を終えることが出来た。
ハルは陣地中央へハレミア人を集約させることを狙ってこの罠を仕掛けたのだ。
足の止まったハレミア人には矢がよくあたり、ハレミア人も罠と矢の両方には対処出来ず次々と射貫かれ、ある者は足を傷つけられて転ぶ。
矢を気にしすぎて落とし穴に嵌まる者、転んだまま矢に射貫かれて絶命する者などハレミア人の左右は阿鼻叫喚の地獄と化した。
一度は慎重に罠を探りつつ進もうとしたものの、仕掛けが幾重にも張り巡らされている事に直ぐ気が付いたハレミア人は、しつこく矢を射掛けられる事もあって左右への展開を諦め陣地正面へと戦士を集中してきた。
相変らず雨のように矢や手投げ矢を放ってくるシレンティウム軍に対抗してハレミア人側も矢を放ち始めるが、高低差がある上に頑丈な柵に阻まれて思うような効果はない。
普通ならそこで一旦立て直しを図るところであるがそこは蛮族である。
ハレミア人は獣じみた怒声や絶叫と共に突撃を止めない。
それどころか行き場を失った獣のような苛烈さで一気に陣地までの距離を詰めようとしてきた。
しかも最後には味方の死体を盾にしてシレンティウム側の陣地に迫って来る。
味方の死体がボロボロになるまで盾代わりにし、それが使えなくなるとまた新しい死体を担ぎ上げる始末。
正に蛮族の真骨頂たる戦い振りで、蛮勇と狂気に彩られた戦いが続く事になってしまった。
さすがの北方軍団兵も余りの惨さと酷さに顔をしかめている。
そしてハレミア人の蛮勇と数の力が、シレンティウム軍の投射攻撃をしのぎ始めた。
どんどんとハレミア人の大群が陣地に迫ってせり上がってきたのである。
必死に矢を撃ち、手投げ矢を投げつける北方軍団兵。
次第に気圧され、積極的攻撃から防御的な戦闘に移るシレンティウム軍。
それまでは自在に狙いたい敵を狙って矢を放ち、投槍や手投げ矢を撃ち込んでいたが、今は柵に取り付きそうな戦士を撃ち、逆茂木を抜こうとしている者に矢を放つ。
つまりは戦いに余裕がなくなってきたのである。
今まで以上に激しく矢を射て槍を投げるが、すさまじいまでの敵の数と死をモノともしない蛮勇に対処が追い付かない。
手の皮が剥けるのを我慢して矢を射、肩の痛みに歯を食いしばって槍を投げる北方軍団兵達。
一旦飲み込まれてしまえば後はない。
ハレミア人の圧倒的な数にもみくちゃにされ、擂り潰されて肉片すら残らないだろう。
しかしそんな懸命な防戦もむなしく、ついに正面の門や柵へハレミア人が取り付き始めた。
よじ登ろうとした1人のハレミア人が横合いから突き出された北方軍団兵の槍に脇腹を突き通されて転げ落ちるが、直ぐに数名のハレミア人が門に取り付く。
数名を何とか叩き伏せると今度は数十名のハレミア人が柵に取り付いてきた。
間に合わない!
あちこちで槍の突き出される風切り音と剣戟の音が響き始めた。
攻城兵器など持たないハレミア人達は素手と素足で血まみれになりながらも逆茂木の上を走り、柵へよじ登り、そこを守る北方軍団兵と剣を交え始めたのである。
まるで動物のような荒い息づかいと奇声が間近に迫り、うなり声と悲鳴、怒声と絶叫が戦場を支配し始めた。
ちらほら柵を乗り越えられて内側での戦闘が始めっているようであるが、しかしハルはまだ秘密兵器に待機を命じる。
「もう少しだ、もう少し待て……」
どんどん後から後から現われるハレミア人が自然と中央の凹部へと誘導されて、重なり合うように走り込んでくるのを見て取ったハルが大声を発した。
「よし今だっっ!!旗を揚げろっ」
ハルの号令で真っ赤な旗が揚がる。
まだかまだかとハルを注視していた工兵達は、赤い旗が上がったことを確認すると手押しポンプを力一杯漕いだ。
ぶわっ
ごうおっっ
何条もの火炎の帯が門の脇や柵の上から長く長く噴出し、その道筋にいたハレミア人達を炎の舌で舐め尽くし、更に後方から走り込もうとしていた戦士達をも飲み込んだ。
若干の時間差で陣地のあちこちから火炎の舌が伸び、ハレミア人達を飲み込んでゆく。
陣地へ取り付こうとしたハレミア人の群れが瞬時に火達磨と化した。
飛び火を受けたハレミア人の老人が世にも怖ろしい叫び声を上げて地面を転げ回るが、火は消えずその身を焦がす。
飛び火は周囲に飛び散り、その老人だけでなく相当数のハレミア人が生きたまま身を焼かれて地面をのたうち回っている様子が見受けられた。
やがてその全員が動きを止める。
一瞬で数千人のハレミア人が絶命したのだ。
そして呆気に取られた柵の内側へ入り込んだハレミア人も、北方軍団兵の手で次々と討たれ、シレンティウム軍は防衛線を持ち直した。
「スイリウスさん……威力強すぎだろう。配合を変えたって、何を入れたんだ?」
ハルが冷や汗を額から流して驚く以上に火炎放射を行った工兵達がびっくりしている。
もちろん、事前に兵器の仕様と使用を聞いていた北方軍団兵や帝国兵までもが驚愕していた。
そしてそれは火炎放射器の存在自体を知らなかったハレミア人にとっては驚愕などという言葉が生ぬるいぐらいの衝撃を与える。
正に青天の霹靂ならぬ真昼の火炎放射。
戦場の雰囲気が、変わった。
火炎放射器自体は西方諸都市国家で発明され、防御兵器として城壁を登る敵兵をなぎ払うのに以前から使用はされている。
スイリウスはその火炎放射器に使用される燃料の配合を変え、強力な手押しポンプでそれを噴射することで射程距離を伸ばし、威力を高めたのであった。
芸術的ともいる竜の装飾が施された火口は鉄製で、2人がかりで押す大きく強力な手押しポンプが燃料タンクにくっついているその火炎放射器は、小型の荷車に乗せられて移動可能な仕様になっており、随所に色彩豊かな浮き彫りが施されている。
ハルは今回その改良された火炎放射器を使用することを思いついたのであったが、敵兵が散開していては効果が薄い。
そこで中央部に敵が集まるよう左右にスティルムスとリリウムを設置した上で、陣地を逆扇状に構えて敵を集めたのである。
ごうっ
気を取り直して迫るハレミア人の群れが再びの火炎放射で薙ぎ払われ、後ろで様子を見ていた者を巻き込んでまた千名近くのハレミア人を焼き焦がした。
算を乱し、河原へ逃げ戻るハレミア人。
その背に容赦なく立ち直ったシレンティウム軍の矢が撃たれる。
一方シレンティウム側の後衛陣地では門から行われた火炎放射を合図に、クイントゥスが重兵器の準備を開始させていた。
左右交互に付いたオナガー(投石機)の梃子を工兵達が前後へ力一杯動かし、拗り発条へ力を貯めていく。
やがて限界まで巻き上げられた発条は鉄製の頑丈な鎹でその強大な力を留められた。
そして装填係の手によって受け皿へ特殊火炎弾が慎重に装填される。
クイントゥスの場所からは高低差がないために火炎放射の威力は目に出来なかったが、黒煙が上がったことで火炎放射器の使用されたことは確認出来た。
手はずでは川岸に逃げ戻って密集したハレミア人に火炎弾をお見舞いすることになっており、既に数基のオナガーで試射を終えて射程や着弾位置は確認済みである。
そしてクイントゥスが工兵隊に装填させている火炎弾もスイリウスの発明による物で、丸い陶器製の弾に硫黄と獣脂、松脂などを混合した消えにくく燃え広がりやすい燃料がたっぷりと詰められていた。
蜜蝋で封をした口に火が付けられ、その他の投石機にも火炎弾の装填が終わったことを示す白い三角旗が掲げられる。
クイントゥスが持ち込み設置したオナガーは全部で30基。
その全てに火炎弾が装填された。
「よし、目標は河原とその付近!放てっっ!!」
工兵隊の発射担当兵が鎹をハンマーで鋭く打ち外すと、蓄えられていた拗り発条のエネルギーが一気に解放される。
弾を載せた腕木が支え木に衝突してすさまじい音を発すると、30発の火炎弾は薄く煙を引きながら飛翔し、河原の周辺へくぐもった炸裂音と共に黒煙と火炎を噴き上げた。
火炎放射器の射程外でようやく一息ついていたハレミア人が火炎弾の着弾で恐慌状態に陥る。
パニックになって左右へと逃げ惑うが、そこにはスティルムスとリリウムが鋭い穂先を天に衝き上げて待ち構えているのだ。
先頭を行く者が次々にその餌食となって倒れ伏すと、それを見て逃げ場を失ったと感じたハレミア人が気が狂ったようにイネオン川へと走り出した。
「よし良いぞ!後は装填出来次第に発射し続けろ!!」
クイントゥスの号令で、工兵達が汗を垂らしながらオナガーの巻き上げ装置に付いた梃子を動かして拗り発条を巻き始める。
それ程特殊火炎弾の数はないが、あとは従来通りの石弾や焼き石弾でも構わない。
とにかく今この時に大打撃を敵に与えるのだ。
「急げ!今が好機だぞ!」
うおう!!
クイントゥスの檄に工兵達は力強く応じるのだった。
「なっ、何だあれはっ!竜がいるなんて聞いてねえっ」
バガンの側を固める戦士が圧倒的な火炎放射器の威力を見て叫ぶ。
そしてもう一度行われる火炎放射。
バガンのいる場所まで炎は届くはずもないが、その余りに圧倒的な威力に思わずのけぞるバガン達。
鮮やかな火炎のオレンジ色が熱風と共に陣地へ攻め寄せたハレミアの族民戦士達を火達磨にしていく様は正に古代の伝承にある竜炎そのものであった。
「竜だ……敵には竜がいる…!」
「竜だっ」
「竜だぞ……!」
火炎放射器の原理を知らず、火炎放射器という存在を知らないハレミア人達は、シレンティウムに竜がいると思い込んだのである。
誰かが発してしまったその言葉に反応して、連鎖的に竜が居るとの言葉が広がるとハレミア人は遂に総崩れとなった。
「おい、落ち着きやがれっ、くそっ逃げるな!」
バガンの怒声で前線から逃げ帰ってきた戦士や族民達の何人かを切り殺して収拾を図ろうとする戦士や戦士長達だったが、今度はオナガーによる特殊火炎弾が炸裂し始めるとその戦士長達が泡を食って逃げ惑う始末で、混乱は収拾されるどころかより一層酷くなる。
ハレミア人は真性の蛮族であるが故に衣服をほとんど身に着けない。
それ故に火には極めて弱い。
少しでも火を受けると裸に近いハレミア人達は、身体に直接火を浴びた事で衝撃を受けてしまうのだ。
落下すると爆発音と共に周囲に炎をまき散らし、しかも容易には消火できないとあれば火には極めて弱いハレミア人達は逃げ惑う以外に術がなく、特殊火炎弾が自分の周囲で炸裂し始めるとハレミア人は恐慌状態に陥った。
一旦渡ったイネオン川を渡って逃げようとするハレミア人。
そこに突如矢が背面からではなく側面から襲ってきた。
矢を受けて川面を血で赤く染めながらばたばたと倒れるハレミア人達。
驚愕して川岸を見上げると、そこにはいつの間に現われたのかクリフォナムとオランの部族連合戦士団が待ち構えていた。
膝を立て、こちらを狙う部族戦士達の鏃は狙いを過たずハレミア人に次々と命中する。
ハレミア人達は川の真ん中で為す術無く討たれていった。
「うわはははは、まさかこんな展開になろうとは!長生きしてみるもんじゃ!!」
アルペシオ族長のガッティが馬上から豪快に笑い飛ばすと、ベレフェス族長のランデルエスが笑みを含んで答えた。
「ふむ、シレンティウム軍とは何とも心強き者が味方になったものだ。帝国の技術と我ら北方人の魂を持った素晴らしき軍だ」
「アキルシウス王の器をまだ見誤っていたとは、アルフォード王の慧眼を素直に信用すべきであった……!フリード戦士団前へっ!王に負けるな!汚らしいハレミア人どもを残らず討ち取るぞ!」
フレーディア城代のベルガンは感嘆の言葉を述べると、川岸へ上がろうとするハレミア人を阻止するため配下の戦士団を前に出した。
それと併せてベレフェス族、アルペシオ族とアルゼント族の戦士団も丸い盾を押し立てて前に出る。
「我らの誇りに賭けて一匹たりとて逃がすでないぞ!かかれいっ!!!」
ガッティの檄で、部族連合戦士団は一斉に雄叫びを上げて川を渡ってきた敗走中のハレミア人に襲いかかった。
イネオン河畔へ向かったシレンティウム軍とはフレーディアで一旦別れ、イネオン川の上流へと向かったシレンティウム同盟の部族連合戦士団は、イネオン川の川幅が最も狭い地点でタルペイウスが敷設させた仮設橋を渡ってハレミア人の側面へと回り込み、近郊の森に潜伏していたのである。
タルペイウスの敷設した橋は急遽作成された物ではあるが、頑丈な丸太を重ねて基礎となし、その上に分厚い板を打ち付けた物で馬や重量物も十分渡すことが出来た。
ハルはガッティを上級指揮者に任じ、シレンティウム軍と衝突した後に逃げ散るハレミア人を待ち伏せて覆滅するべく部族連合戦士団を伏兵として配置したのである。
潜伏中も戦場の様子は手に取るように分かったが、さすがのガッティやランデルエス、そしてベルガンもハルの秘密兵器のすさまじい威力には驚愕を隠せなかった。
その後の圧倒的な展開に潜伏していることを忘れて思わず飛び上がりそうになったクリフォナムやオランの戦士達は1人や2人ではない。
その証拠にハレミア人が追い散らされ始めると、あちこちの茂みで身じろぎする戦士達の装具がカチャカチャと音を立てているのが聞こえてきた。
しかし逸る戦士達をよく抑え、ガッティは老練なクリフォナムの戦士長らしく時をじっと待ち続けた。
そして川を渡って逃げ始めたハレミア人を確認した後、満を持して河岸へと進出したのである。
イネオン川の南岸ではシレンティウム軍から火炎弾が次々と撃ち出されて川べりで密集するハレミア人を火柱と爆風で吹飛ばしている。
ガッティはその様子を横目で見つつ戦士を3段に整列させ、北岸でハレミア人を迎え撃った。
「者共!辺境護民官殿がお膳立てしてくれた名誉ある戦場じゃ!存分に励めい!!」
ガッティの檄に喊声を上げ、戦士達は敗走してくるハレミア人の大群へ長剣を燦めかせて雪崩れ込むと縦横無尽に切りまくる。
敗走時に武器を手放しているハレミア人も多くいたが、それでも歯を剥き出し、爪を立てて抵抗しようとするためクリフォナムやオランの戦士は彼らを容赦なく長剣の錆へと変えてゆく。
イネオン川の浅瀬はたちまち敵味方の血潮で赤く染まり、水がせき止められる程にハレミア人の死体が積み重なった。
それでも容赦なく剣を振るい、矢を射込みつつ川岸で待ち構える戦士団に、ハレミア人は下流のエレール川方向へと一斉に逃げるが、たちまち深瀬に嵌まりおぼれる者が続出した。
さらにイネオン川とエレール川の合流地点へ追い立てられたハレミア人は何とか部族連合戦士団の刃から逃れようとして次々と深瀬に嵌まる。
数刻後その周辺一帯は力なく浮かぶハレミア人の死体で埋め尽くされ、死体はやがてエレール川の流れに掠われ、下流に向かってゆっくり流れ出した。
「者共一旦退けい!新手が来るぞ、体勢を立て直すのじゃ!」
ガッティの号令で部族戦士達は一旦イネオン川から出ると、その川岸に戦列を作って待機の態勢に入る。
「心配せずとも良い!間もなく辺境護民官どのが出陣なさるわい、直ぐにどっさり獲物はやってくるわ!」
豪快に笑いながら発せられたガッティの言葉に部族戦士達は装備を整え直しつつ、剣を盾に打ち付けてがんがんと音を立てながら雄叫びを上げて気勢を上げるのだった。
シレンティウム軍陣地、重兵器隊
「特殊火炎弾が切れました!」
「よし、射撃中止!」
工兵隊からの報告を受け、クイントゥスはオナガーの射撃中止を即座に命じた。
「射撃中止!!」
「中止っ」
射撃中止の命令が復唱され、直ぐにオナガーの射撃は止んだ。
クイントゥスとしては通常段に切り替えてもうしばらく射撃を継続するつもりであったが、ハルから特殊火炎弾を撃ち尽くした後は一旦射撃を止めるように命令されたのだ。
「射撃中止完了しました!」
「分かった、別命令あるまで待機だ。オナガーの整備を行え」
「はっ」
クイントゥスの命令を受けた工兵隊が腕木や支え木の点検を始め、拗り発条の様子を確かめる。
不具合が見つかった物はその場で取り替えるべく分解作業が始まった。
「あとは辺境護民官殿に任せますか……」
クイントゥスは工兵の点検作業を手伝いながらそうつぶやき、前線のある北側を見るのだった。
シレンティウム軍陣地、正面門
「これより最終作戦に移る!陣地より出た後は第22軍団と第23軍団を並列して隊列を組め!その後方に第21軍団だ。第22軍団はエレール川に向かって展開っ、第23軍団はイネオン川上流に向かって展開し、中央は後方から第21軍団が受持つ!作戦目的はハレミア人をエレール川へ追い込んで壊滅させる事だ!前線指揮は各軍団長に任せる」
陣地の守りをシレンティウム臨時軍団率いるクイントゥスに任せ、ハルは3個軍団を前線へ押し出すことにした。
火炎放射と火炎弾で相当の打撃を与えたが何せ40万の大群である。
いまだ決定的な一撃を与えるには至っていない。
ハルは更にそれぞれの軍団へ一基ずつ火炎放射器を預け、折を見て使用するように指示を出した。
「出撃!」
若干厚みの違う隊列を組んだ第22軍団と第23軍団がハルの号令で進軍し、その後方から第21軍団が続く。
ハレミア陣営
火炎弾の攻撃が止み、門が開いたことでハレミア人はシレンティウム軍が勝敗を決すべき出撃してきたことを知った。
初めて見る重装歩兵の鈍色に光る鎧兜に青い塗装で統一された大楯を見て一瞬戸惑うが、その下に人間の肌色を見つけると、ハレミア人達はたちまち戦意を回復させる。
火炎や竜のような人外の物ならいざ知らず、目に見える人間相手であればどうにでもなる。
極めて整然と行進してくる姿に不気味なものも感じはするが、あくまでも相手は人であるのだ、それに味方の数は敵より遙かに多い。
盛んに雄叫びを上げて配下の戦士や族民達を鼓舞し、威嚇する戦士長達に乗って族民や戦士達のやる気が再び戻ってきた。
そんな喧噪の中バガンは敵の中央後方にいる大弓を持ち、王冠を兜の上から装着して盛んに周囲へ指示を出している小柄な男を見つけてにやりといやらしい笑みを浮かべた。
「あいつがクリフォナムの新しい王か……あんなちび直ぐにぶっ殺してやる。あいつさえ殺せば俺たちの勝ちだ!ヤルぞヤルぞっ!!やるぞきさまらあああああっ!!」
護衛戦士達を奮い立たせ、バガンはずいずいと前面へ叫びながら進み出る。
そしてシレンティウム軍に向かって咆哮した。
「おれと戦えええええっ!!!」
シレンティウム軍中央
「何か、すんごいのがいるなあ」
「はあ、正に蛮族ですねえ……」
見るからに蛮族らしい、汚くも雄々しくこちらに向かって咆哮しているバガンを見てハルが呆れて言うとルーダも同じ調子で答える。
アダマンティウスは左翼側に展開している第22軍団の指揮を執っているし、ベリウスは右翼に展開した第23軍団を指揮するために行ってしまったので、今ここに居るのはルーダのみ。
普段副官的な役割を担っているクイントゥスは後衛で陣地守備を担当している。
自然と前面に出たハル率いる第21軍団の正面に現われたバガンとその一党はあらん限りの声で挑発を繰り返していた。
「取り敢えず右翼と左翼を危険にさらすわけにはいかない、一騎討ちはするとしても後だ……細かい指揮はルーダに任せる」
「承知しました!」
ルーダの力強い返事に笑みを浮かべて頷くと、ハルは鋭く号令を発した。
「第21軍団漸進!」
その号令で、大楯を構えた第21軍団が足音を揃えて進み始める。
シレンティウム軍左翼
シレンティウム軍左翼のアダマンティウスは、規則正しい足音を聞きながら麾下の軍団に一旦停止を命じる。
「うむ、火炎放射開始せよ!」
ごうわっっ
アダマンティウスは密集体型を組ませた歩兵の合間に火炎放射器を配置し、射程に入ったところでまず火炎放射器を使用した。
正面にいたハレミア人が焼き尽くされ、後方のハレミア人が怯む。
「火炎放射器は後退」
アダマンティウスの命令で、火炎放射器を持って工兵隊が後退する。
「漸進、投槍攻撃の後直接攻撃せよ」
次いで冷静に命令を下すと、アダマンティウスは自らも剣を引き抜いた。
第22軍団は元の国境警備隊からなる帝国兵で構成された部隊であることから、装備も帝国の時のままである。
その為北方軍団兵とは異なり手投げ矢では無く投げ槍を装備しているのだが、その投げ槍がアダマンティウスの命令で投擲された。
びゅんびゅんと風切り音を残し、威力のある投げ槍が飛びハレミア人に突き刺さった。
最初の火炎放射で混乱していることからいきなり攻撃された形になったため、次々と投げ槍があたり、壮絶な叫び声が周囲に響いた。
「突撃っ!」
うおうっ!!
盾を前に剣を腰だめに構えて第22軍団が突撃すると、ハレミア人は大楯によって隠れた帝国兵のどこを攻撃して良いのか分からず戸惑っている内に盾による体当たりを浴びて転倒し、あるいは怯んでよろけた隙を突かれて帝国兵の剣で次々と刺突されて息絶えていった。
前列が次々と刺殺されて混乱に拍車が掛かる。
今までに戦ったことのない相手、見た事のない相手に戸惑っているのは帝国兵だけではないのだ。
ハレミア人もまた小柄、俊敏で粘り強く、そして組織だった攻撃を大楯の陰から繰り出す帝国兵の戦法に大いに戸惑っていたのである。
次々と戦列を入れ替え、兵の出し入れを自由自在に行いつつ、アダマンティウスは徐々にハレミア人をエレールの大河へと押し込んでゆく。
「3列目前!2列目後退、1列目投げ槍を用意せよ」
ようやく反撃に移ろうとしたハレミア人の前で、帝国兵はばしゃんと盾の隙間を詰めて防御態勢を取る。
「1列目、投擲!」
びゅんびゅんびゅんと今度は重さの加わった風切り音と共に帝国製の投げ槍が再び投擲されてハレミア人の身体を打ち砕く。
血しぶきを噴き上げて大柄なハレミア人が倒れると、帝国兵が無言で2歩進んだ。
気圧されて下がるハレミア人。
「突撃!」
どうらああ!
帝国兵が鬨の声を上げ、再び突撃するとそれだけでハレミア人は及び腰になった。
何とか武器を叩き付けては見るものの、帝国兵の盾に敢え無く弾かれ、更には固い帝国製の盾に負けてハレミア人の手入れされていないヒビだらけの剣が折れ飛ぶ。
がつうんと盾を下から押し上げるように敵へぶつけて一気に押し込む帝国兵は、次いで怯んだハレミア人の顎に盾の縁をお見舞いし、剥き出しの臑や足に盾を振り下ろす。
思いがけない攻撃に昏倒したり、痛みに悶えてひっくり返るハレミア人。
その頭や首筋に容赦なく帝国兵の剣が振り下ろされていった。
再度の突撃と攻撃でハレミア人を一所に押し込めたアダマンティウスは、更に命令を下した。
「火炎放射開始!」
火口を戦列の先へ突き出し、火炎放射器が情け容赦の無い火炎の舌をどううっとハレミア人に伸ばすと、たちまち前にいたハレミア人達は焼き尽くされ、そして残った者達は一斉にエレール川へ向かって潰走し始めた。
既にエレール川へ飛び込んでいる者達も居るが、泳げないハレミア人達は大河に飲まれて為す術無く流されていく。
「防護陣形を張れ!」
アダマンティウスの命令でガシャンと音を立て、盾をしっかり構え直す帝国兵達。
後は自陣の右側から追い立てられるハレミア人に立ち直る時間を作らせず、エレール川へ追い込むのが第22軍団の後の役割である。
陣を張り終え、兵達が落ち着いてからアダマンティウスは剣を収めると口角を上げて言いきった。
「他愛なしっ!」
シレンティウム軍右翼
「防御陣形を取れ!」
ベリウスの命令で、北方軍団兵達が一斉に盾を地面に付けて深く構え直し、攻撃を受け止める体制を取る。
すぐ前から、黄色い歯を剥き出しにしたハレミア人達が雄叫びを上げて突撃してくる。
イネオン川上流域に一旦逃れたハレミア人達は、少し余裕があったのか第23軍団が進撃してくるのを見ると抵抗する構えを見せた。
そして第23軍団が進出すると、突如襲いかかってきたのである。
手投げ矢を投射する時が無いと判断したベリウスは、一旦攻撃を受け止めてやり過ごすこと選択したのだ。
錆びて歪んだ剣をかざし、北方軍団兵の持つ盾に叩き付け、突き上げ、切り付けるが第23軍団の前衛は微動だにしない。
がんがんがんと通用しないにも関わらずしつこく剣を打ち続けるハレミア人であったが、それ以前に川を渡り、シレンティウム軍の陣地に攻めかかったりしてずっと走りっぱなしであった為、徐々に勢いが失われてきた。
声の勢いさえも落ちてくる。
ベリウスはその様子を注意深く見守っていたが、少し腰が退けてきた者が敵に散見され始めたのを見て取り、時期が来た事を知った。
「押し返せ!」
それまでひたすら歯を食いしばって敵の攻撃に耐え続けていた北方軍団兵の口元に笑みが浮かぶ。
どかあっ
うおっ
瞬時に前衛の盾が前へと押し出され、吹飛ばされたハレミア人が驚愕のまま北方軍団兵の剣で刺し殺された。
帝国兵と違い、北方軍団兵はハレミア人と体格的に遜色ないため、思い切り盾を押し上げると全員が仰向けに倒れてしまうのである。
「2列目!」
攻撃に耐えていた1列目とすかさず2列目が交代し、怯んで後ずさったハレミア人に襲いかかった。
「3列目!」
更に追討ちをかけるベリウスと第23軍団。
ハレミア人がイネオン川に向かって退却するが、そこには部族連合戦士団が待ち構えていた。
たちまち両軍に追い立てられてエレール川方向へと敗走するハレミア人。
そして自分達の軍の中央部、すなわちバガンの陣取る陣営へとぶつかってしまう。
「火炎放射開始!」
逃げる左翼のハレミア人と本陣を固めていたハレミア人が密集したところ狙ってベリウスが火炎放射を命じた。
車輪を転がし、北方軍団兵の構える盾の間へ移動した工兵達が手押しポンプを思い切り押し込んだ。
ぼうわああん
炎がハレミア人を無慈悲に撫でる。
すさまじい絶叫が上がり、背や腹を焼かれ、手足を焼き飛ばされて悶死する者が続出した。
飛び火が周囲にまき散らされる。
たちまち混乱が広がった。
シレンティウム軍中央
ハルが指揮し、ルーダが代行指揮する正面は、ハレミア人の族長であるバガンが直々に出てきたこともあって戦意旺盛で、猛烈な突撃を受けることとなった。
うぎゃあああ
ハレミア人の奇声叫声が周囲に響く。
「狼狽えるな!盾を構えろ、対人亀甲体型を取れ!」
前線でルーダの号令が出され、北方軍団兵が盾を正面に構える。
その後列の兵士がすかさず最前列の兵士の頭上に自分の盾を被せた。
既に距離が近く、手投げ矢を放っている暇はない。
ずごんっっと、ものとものがぶつかるすさまじい音が響いた。
ハレミア人が渾身の力を込めて体当たりをしてきたのだ。
受け止めきれずによろめく者も出るが、直後の戦列の兵士が前列の兵士の肩を支えて衝撃を受け止める。
ぎゃあああああ
雄叫びとはとても言えない悲鳴じみた声を上げながら棍棒や剣を無茶苦茶に盾へと叩き付けるハレミア人達であるが、後列の兵士が前列の兵士の頭上へ盾を被せているためにその刃や打撃は北方軍団兵までは届かない。
盾に蹴りを入れたり肩からぶつかってみたり、ハレミア人は何とか北方軍団兵の堅陣を突破しようとあらゆる手段を試みるが、微動だにしない第21軍団の戦列を攻め倦ねて動きが鈍くなり始めた。
次第にもみ合いに似た状況が生まれるが、後ろのハレミア人達は見境無しに突っ込んでくるために更に前線はもみくちゃの状態になる。
「今だ!押し返せ!」
緊張感が緩んだハレミア人の隙を突き、ルーダの号令と共に最前列が一斉に踏み出した。
後列と3列目の兵士が盾を両手で構える最前列の兵士の背を押し、力を込めて押し込む。
密集していたが為に踏ん張りが利かず、不意の押し出しによってどっと将棋倒しに倒れるハレミア人達。
その上を北方軍団兵が剣を突き刺し、盾を頭に落とし、更には踏み潰しながら通過する。
最前列の兵士は盾の隙間から剣を差しだして戸惑うハレミア人の腹を血祭りに上げた。
「停止!2列目、3列目手投げ矢用意!………投擲っ2射目3射目は自由投擲!」
ルーダの矢継ぎ早の命令に即応し、第21軍団はぴたりと停止して最前列の兵士が盾を構えたまま敵の攻撃を防ぐ体制を取ると同時に、2列目と3列目の兵士は盾の裏から手投げ矢を素早く取り外す。
そして腕に力を込めて構え、一斉に放った。
少し間が開いたとは言え至近距離である事に変わりなく、一斉に投げられた手投げ矢は風切り音も鋭く直線軌道でハレミア人達に突き刺さる。
手投げ矢を頭に受けて倒れる者、胸板を打ち抜かれて卒倒する者、腹に刺さりのたうち回る者、手足に当たった者も大怪我を負って泣き叫ぶ。
そして2射目が思い思いに投擲され、ハレミア人はたちまち血煙の中に沈んでいった。
機械的とも言える訓練の行き届いた戦闘行動に恐れをなすハレミア人達。
しかし蛮勇はまだ尽きず、彼らは奇声を発して襲いかかってくるのだった。
レイルケン十人隊の最年少兵士であるヘーグリンドは最前列で盾を構えていたが、ハレミア人の太った中年男がすさまじい体当たりをしてきたために後方へよろけてしまった。
「あっ!?」
運悪く足を下げた場所にハレミア人の血泥がたまっており、レイルケンや同僚兵士の助力も間に合わず、足を取られて盾ごと転倒してしまうヘーグリンド。
ハレミア人がその隙を逃さず、気勢を上げて盾の壁をこじ開けようと殺到してきた。
後方の兵士が穴を埋めようにも倒れているヘーグリンドが邪魔で前へ出られない。
おぞましいまでの笑顔でひび割れた剣を手に迫るハレミア人。
ヘーグリンドが恐怖に顔を引きつらせ、レイルケンが諦念の色を浮かべた時、鋭い飛翔音と共に先頭のハレミア人の眉間に黒い矢羽根を付けた矢が突き立った。
物も言わず張り付いたような笑みを浮かべてひっくり返るハレミア人。
驚くレイルケンやヘーグリンドを余所に、今度は2条の線が走る。
その後方に居たハレミア人とへーグリンドに体当たりしてきた男も相次いで矢を受けて倒れると、レイルケンが後方を見てから直ぐさまヘーグリンドの開けてしまった穴を埋めた。
「しっかりしろ!」
周囲にいた別の隊の兵士達に引き起こされ、後方へと引き出されたヘーグリンドが驚いて後ろを見ると、何食わぬ顔で矢を番えているハルの姿が目に入る。
「大丈夫か?怪我はないか?」
その兵士達が尋ねるが、ヘーグリンドは驚きと安堵感で声を出すことが出来ないままこくこくと頷きながらハルを見つめた。
安堵のため息を残してヘーグリンドを助けた兵士達が持ち場へもどると、ハルはヘーグリンドの視線に気付いた様子もなく別の方角へ矢を放つ。
びしっと言う音と共に線を引いた様な直線で飛ぶ黒い矢羽根を目で追うと、左翼方向で北方軍団兵の盾を両手で持って引きはがそうとしていた巨漢のハレミア人が仰向けにひっくり返った。
「第21軍団前進!」
「前進!」
弓を下ろしたハルの号令。
次いでルーダの復唱が響き渡ったことで、ヘーグリンドは我に返って盾を持ち直して立ち上がる。
「無理はしなくて良いから、最後尾に付け」
気合いを入れ直して前線へ出ようとしたヘーグリンドにハルが声をかけたのだ。
「えっ?」
驚くヘーグリンドの肩をぽんと叩き、ハルが前進する軍団に追随してゆく。
「……すげえ」
その姿を見送り、憧憬と畏怖の綯い交ぜになった視線をその背中に浴びせるヘーグリンドであった。