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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第1話 北方動乱


「詳しい内容は早馬にて為される旨記されておりますが、ベルガン殿は辺境護民官殿の一刻も早い出陣を要請しています」


 続けてクイントゥスから報告が為されると、ハルはぐっと目をつぶった後に静かに口を開いた。


「……直ぐにコロニア・メリディエトのアダマンティウスさんに連絡を、軍団を率いて至急シレンティウムへ集合するよう伝えて下さい。先任、すいませんが留守はお願いします」

『うむ、任せておくが良い。存分に戦え』

「アルトリウスさん、ハル兄と一緒に行かないの?」


 ハルの依頼とアルトリウスの答えに驚いて目を丸くする楓。

 アルトリウスは腕組みをすると、難しそうな顔をわざと作って言う。


『実戦で軍指揮の要訣をハルヨシに伝授してやりたいのは山々であるが……我はこの都市から動けんのだ』

「え?そうなんだ……」


 再び驚く楓にアルトリウスは腕組みしたまま僅かな笑顔で答え、ハルに目を向けた。


『我の呪いは未だ解けきっていないのである。残念ながら都市から遠く離れた場所である此度の戦いでは力になってやれん、が、心配はしてはおらん。我の後任者は極めて優秀であるが故にな!』

「……任せておいて下さい、先任の期待は裏切りませんよ……クイントゥス!」

「はっ、第21軍団と第23軍団には既に出動準備をするよう指示を出してあります」


 笑顔でアルトリウスに応じつつハルが呼ぶと、クイントゥスはよどみなく既に軍団の出動準備が始まっていることを報告する。


「分かった、それから今回はシレンティウムの都市守備隊と工兵隊を臨時軍団として編成するから、そのつもりでいてくれ」

「了解致しました」


 クイントゥスが編成作業を行うべく駆け足で部屋を去ると、シッティウスがハルの横へすっと進み出る。


「後方支援は任せて下さい。兵糧、矢玉、予備の武具は確実に補給致しますので、アキルシウス殿は一刻も早くフレーディアへ向かって下さい」

「分かりました、宜しくお願いします。それから重兵器とスイリウスさんのあれ、何と言いましたか……」

「スイリウス工芸長官の秘密兵器ですか?」


 ハルの言葉に思わず顔をしかめるシッティウス。

 ハルが言う兵器は、スイリウスが技術を持ち込んで製作した帝国の最新兵器。


「敵はおそらく大軍です。兵器を選り好みしている時間はありませんし、幸いな事に取扱いの出来る工兵もいます。使い方については私に案がありますから、この際ですので重兵器と併せて持っていきましょう……それからシッティウスさん、軍団を編制しておいて下さい」


 ハルの言葉に再び眉を顰めるシッティウス。


「軍団ですかな?帝国から許可があったのは3個軍団のみで、幾ら非常時とはいえこれ以上の軍団編制は厳禁されておりますが……」

「ええ、ですから補助兵で編制した“補助軍団”を2つばかり編制しておいて貰えませんか?確か補助軍の装備に制限はありませんでしたよね?装備の内容が正規軍団と同じであっても問題はないはずです」

「なるほど、補助軍であれば帝国の許可は必要ありませんな……なるほど、その様な手がありましたか……承知致しました、新たな補助軍団を早速編制しておきましょう」

『編成後の訓練は任せておくが良い、西方帝国の歩兵戦術と我が培いし戦法の神髄を叩き込んでやるのである!……加えて装備であるが武器防具の在庫は全て使えば良い。あんな物は貯めておっても意味を為さん。使ってこそである』


 シッティウスが納得した様に何度も頷きながら資料へ書き込みを始めると、アルトリウスが兵士の装備について申し添えた。

 ハルがお願いしますと返すと、アルトリウスはにっこり笑って倉庫の封印を解きに姿を消す。


「それからフレーディアのベルガンさんへ、難民の収容はフレーディアで一時的に行うように伝えて下さい。決して街道を使わせてシレンティウムへ難民を送り込まないように」

「軍団の移動を妨げないようにするのですな?承知しましたが……大丈夫ですかな?フレーディアには2部族の難民を収容しきれるだけの容量はないと思いますが……」

「食糧や住居用の木材、天幕などの物資はこちらで用意してフレーディアへ送りましょう。今彼らをシレンティウムへ移動させている時間はありません。心苦しくはありますが、一時の感情に流されてしまうと全てを失ってしまうことにも繋がりかねませんからね」

「承知しました、それではフレーディアへ支援物資と軍需物資を共に一足早く護衛を付けて送り出してしまいましょう。市民へも今回の件を布告致しますが宜しいですかな?」

「お願いします」


 ハルの言葉に、シッティウスは分厚い資料を片手に頭を下げる礼を残して部屋から去った。

 ハルは残っていた金髪の官吏を呼び、各長官達へ言伝をする。


「サックス農業長官には所定方針通り小麦の冬蒔きの準備と耕起に入るように告げて下さい、その他の長官達にも動揺すること無く、自分の仕事を全うするように伝言をお願いします……楓!」

「ん?なに?」


 ハルから呼ばれてきょとんとする楓に、ハルは真剣な表情で告げる。


「悪いが陰者と一緒にフレーディアの情勢とハレミア人の動向を探ってきてくれ。危険だから無理はしなくて良いし断っても文句は言わない。でも頼まれてくれるか?」

「ハル兄の頼みだしっ。それは全然構わないけど……情報はどうやって伝えれば良い?」

「ああ、それは大丈夫だ。直ぐに俺も軍団を連れて北へ行くからな、フレーディア近郊で落ち合おう」

「うん、わかった……じゃあ、ボク準備してくるね」


 ハルから頼られていることが嬉しいのだろう。

 楓が機嫌良く軽やかに部屋を出て行く。


「ルキウス、プリミア。2人には留守を頼む」

「ああ、任せとけって……ま、先任もいるし、こっちは大丈夫だろ、な?」

「は、はい、問題ありません。お役に立てないのが心苦しいですが……」

「そんなことないって、プリミアちゃんはもっと自信持って良いと思うぜ?」

「そ、そうですか……?」


 2人の様子に何となくエルレイシアが向けていた視線の意味を知ったハルは、その2人を余所にエルレイシアとアルスハレアに顔を向ける。


「エルごめん。少しの間留守にするから……アルスハレアさんも宜しくお願いします」

「いいえ、大丈夫です。私の愛する夫はきっと勝利を持って帰ってきてくれます」

「そうね、きっと、ね」


 ハルの言葉に満面の笑みを浮かべたエルレイシアとアルスハレアに、今度はハルが笑顔を返しつつ答える。


「うん、約束する、だから安心して待っていて欲しい」

「はい、待っています」


 そっとハルの手を取り、エルレイシアはその手を自分の頬へ当てると目をつぶり、誰にも聞こえないような小さな声で言葉を継いだ。

「待っていますから……きっと無事に帰ってきて下さい」







 3週間後、シレンティウム北街道



 整然と整列したシレンティウム軍は真新しい石畳とセメントで作られた街道を完全装備で足音を揃え、力強く進軍していた。

 強行軍で到着したアダマンティウス率いる第22軍団を加え、臨時のシレンティウム軍団を加えたシレンティウム軍2万5千の精鋭は一路フレーディアへと向かったのである。

 ベルガンからの早馬によれば、突如南下を開始したハレミア人はポッシア族の集落をいくつか襲ったところでセデニアとポッシアの部族連合戦士団から迎撃を受けた。

 ポッシア族とセデニア族の連合戦士団は善戦したが、ハレミア人の圧倒的な数に飲み込まれて全滅。

 戦士団を打ち破ったハレミア人は両部族の居留地へと雪崩れ込み、乱暴狼藉の限りを尽くした後南へ向かってきているとのことであった。


 収穫直後で相当の略奪品があったにもかかわらず、ハレミア人は未だ南へと向かって動いており、留まる気配がない。

 ベルガンによれば略奪と劫掠を目的とする今までのハレミア人にない動きであり、またフレーディアを目指して最短距離で動いている事から、誰かが手引きをしている可能性があるとのことである。

 その後セデニア族に隣接するロールフルト族の戦士団がハレミア人に挑んだようだが、敢え無く撃破されている。


 しかしハレミア人はこれを追撃してロールフルト族の居留地へ向かってもいない。

 劫掠が目的であるとすれば、戦士団が壊滅し、守り手のいなくなった部族を襲わないというのは明らかにおかしい。

 本来であれば略奪品に満足して自分達の土地へ引き返すか、弱った部族を襲ってその地に居座ろうとするかのどちらかであったハレミア人が、ゆっくりではあるが南下し続けている。

 30万の女子供老人を含めたハレミア人の大群はエレール川に行きあたると、そのまま川沿いに東南方向へ向きを変えて進み続けていることが楓の飛ばした伝書鳥による報告で分かっていた。

 略奪品で馬車も荷も人も一杯になったハレミア人の歩みは一気に遅くなり、ロールフルト族の戦士団を破ってからはほとんど動いていない。


 それでも移動を止めないのは、何らかの目的がある以外に考えられないのだ。

 ハルは道中も情報収集を怠らず、街道を北へと向かう。







「どうにかエレール河畔で迎え撃ちたいものですな」

「ええ、色々仕掛けもしておきたいですし……ハレミア人より早くエレール川に着きたいですね」

「ハレミア人の移動速度はかなり遅いようですから、恐らく間に合うとは思うのですが……」


 アダマンティウスの言葉へそう答えるハルに、クイントゥスが補足情報を加える。

 ハルはクイントゥスの言葉を聞きつつ後方の北方軍団兵達を見た。

 先頭を行くのは北方軍団兵で構成された第21軍団と第23軍団、その後方には北方軍団兵と比べて明らかに背丈の低い帝国兵で構成されているアダマンティウス麾下の第22軍団が続いている。

 補助騎兵や補助弓兵、部族兵もおり、一見すると帝国風ではあるが、どことなく北方の雰囲気を持つ奇妙な軍団がそこにはあった。


 その軍団の最後尾は、シレンティウム守備隊から転用されたシレンティウム軍団と荷馬車にひかれた重兵器。

 重兵器は分解して梱包しているため、一目ではこれが重兵器だとは分からない。

 近くにいる北方軍団兵達は、見た事のない帝国製の巨大兵器を物珍しそうな目で眺めている。

 時折、梱包してある頑丈な布をひょいと槍の石突きでめくり上げては、重兵器を管理している工兵隊長に怒鳴りつけられている者がいたりするが、概ね順調にハル達は行軍を続けていた。


 このまま進めば後もう20日程でフレーディアの城下町である。







 同時期、フレーディア城、王の間



 ベルガンはポッシア族とセデニア族の生き残りの代表者を引見していた。


「アキルシウス王がシレンティウムから兵2万5千を率いて急ぎ北上中だ、心配は無い」


 相変らず空けた玉座の脇に座るベルガンは、正面に立つ部族の主立った者達に言った。

 彼らはかつての有力貴族や村長達で、部族長や戦士長は居ない。

 皆ハレミア人との戦いで死んでしまったのだ。

 辛うじて残された彼らは疲れ切った表情でボロボロの服を纏っており、袖の端などは焼け焦げていたりする。

 明らかに剣によるものと分かる傷を額に刻み付けられた、ポッシア族の村長がゆっくり口を開いた。


「それは有り難いが……果たして帝国人崩れの兵達でハレミア人を打ち破れるのか?我々の戦士団は全滅したのだぞ」

「おまけに女子供は掠われ、男は殺し尽くされた、もう我々は部族としては終わったも同然だ」


 継いで発言するセデニア族の貴族は顔の半分を汚れた包帯で覆っている。

 おそらく火事にやられたのだろう、少し除く傷跡は赤黒く焼けていた。


「かつてのアルフォード王ならば10万の軍をすぐに率いてきたではないか!ハレミア人は30万!2万5千などという僅かな戦士では役には立たん!!」


 セデニア族の村長が泣きそうな声で訴えると、ベルガンは思わず黙り込んでしまった。

 確かにかつてのアルフォード王であれば、クリフォナムの全部族戦士に招集を掛け、10万程度の戦士をすぐに集め得ただろう。

 しかし今やアルフォード英雄王は亡く、その後継者とされたハルの元にはクリフォナムの南部諸族のみが参集していた。


 北部や東部の部族はこれ幸いとばかりに貢納を拒否し、独立色を強めていたのだ。

 セデニア族とポッシア族の2部族もそんな独立色を強めていた部族で、シレンティウム同盟の呼びかけに応じようともせず、ハルのフリード王位継承も認めなかった北部諸族の2つである。

 本来であればハレミア人に攻められたからと言って助けを求められる筋合いではないのだ。

今更泣きついて来たところで遅いというのがベルガンの意見であり、シレンティウム同盟としては冷たいようだが無視しても良かったのである。


 しかし盟主たるシレンティウムとそれを率いるハルは、フレーディアの防御的な出兵に留まらず、2部族の救援に直ぐさま動いた。

 ベルガン率いるフリード族のシレンティウム派と併せて、周辺に位置するアルゼント族とオラン人のベレフェス族にも戦士を出すよう要請が出されており、この2部族はハルの心意気に動かされて戦士を用意し始めている。

 ベルガンも常備していた3000人の戦士に加え、フリードの戦士を招集し、新たに5000の戦士を集めることに成功していた。


 もう少し時が経てば戦士はまだ増えるはずである。


「ゆっくり身体を休めて行かれよ、我々は……シレンティウム同盟は困っている者を見捨てない」


 ベルガンが言うまでも無く、2部族の難民達はフレーディア郊外に仮住いをしている状態であった。

 最初はシレンティウムで難民を受け入れるとばかり思っていたベルガンは、ハルの難民をフレーディアで滞在させるという指示に驚いたが、その後シレンティウムから次々と送られてくる救援物資を見て目を丸くした。

 フレーディアとしては相応の負担を覚悟していたものの、ほぼシレンティウムから送られてきた物資や食糧で事が足りてしまい、これを手配したシレンティウムの官吏達の実力を改めて知ったベルガンである。


 たまたまフレーディアの都市改造事業のために派遣されていた按察長官タルペイウスは、到着した物資を次々と差配して食糧や衣料を公平に分配し、仮設の住居や施設をフレーディア郊外に建設し始めている。

 併せて軍団が駐屯する設営地の準備も開始しており、タルペイウスは休む間もないまま、それでも精力的に動き回っていた。

 ベルガンの言葉に、セデニア族の貴族がため息を吐きながら言う。


「……そう言うことを聞いているのでは無い、ベルガン宮宰。我々はアキルシウス王の庇護下に入れて貰えるのかどうかと言うことだ」

「せめて移住地を用意して貰いたい……もうハレミア人に抗する力を我々は失ってしまった……」

「それがダメならシレンティウム族……で良いのか?そこに吸収してくれ」


 継いでポッシア族の村長が言うと、セデニア族の村長も便乗して頷く。

 部族吸収は確かにかつてのクリフォナムでは頻繁に行われた事である。

 弱った部族を近親関係にある部族や近隣部族が庇護下に置き、平和裡に合併するのだ。

 しかし昔は村単位での部族が存在したが、現在はそうした合併や吸収を繰り返した果てに残った大部族しか存在しておらず、久しく行われていない。

 ポッシアとセデニアの残された主立った者達は、指導者層と戦士をいっぺんに失って最早部族としては再興が難しいと考えたのだろう。


 しかし諦めるのが早すぎる。


 居並ぶ者達の様子を見たベルガンは軽く怒りを覚えた。

 頭に立つ立場の者がおらず、横並びなのを良い事に責任を放棄しようと狙う嫌らしい卑屈な顔がそこに並んでいたからである。


「責任放棄か?はき違えて貰っては困る、アキルシウス王には自身の王位継承への支持もせず、同盟参加を断った貴様達を助ける義理はないのだぞ?それをわざわざ兵まで出してここまで遠征してきているのだ。貴様らからその様な恥知らずな要望が出ること自体がおかしいと言うことを肝に銘じて貰おうか」

「それはっ!」

「そ、そんなこと言っても……」


 思いがけないベルガンの厳しい口調に対して、返答の言葉に窮した彼らは目を泳がせる。

 責任を放棄しようと明確に言葉で認識していた訳ではないが、今正にそれを言動で示してしまった事に気付いた2部族の主立った者達が狼狽える。

 それにシレンティウム同盟へ不参加を最終的に決めたのは今は亡き族長や長老達だろうが、それに賛同した中に彼らも入っていたのは間違いないのだ。


 2重の意味での責任放棄にベルガンの怒りが募る。


「いずれにせよ貴様達を判断するのはアキルシウス王だ。我が儘や無茶な要求をしている暇があるのなら、部族再興の計画でも考えておけ!」


 厳しい叱声にも似たベルガンの台詞に、2部族の主立った者達はとうとう下を向いてしまった。







同時期、シレンティウム市内



 降って沸いた戦いの気配にシレンティウム市民は浮き足立った。

早くも軍団が辺境護民官を先頭に進発し、都市はその出陣式に混乱と併せて湧き上がったが、その後シッティウスが出した平常時宣言や業務専念宣言によって市民の間に広まっていた不安感や高揚感は次第に沈下する。

 敵であるハレミア人の情報やシレンティウム軍の進軍状況は機密性の高い場合を除いて暫時市民に伝えられた事もあり、すぐに市民達は落ち着きを取り戻し始めた。


 ハレミア人との戦いが過酷なものになることは北に住み暮すクリフォナムの族民であれば知らない者は無い。

 出征した兵士の家族や友人は、彼らの無事を太陽神に祈る。

 太陽神殿にやって来る人は引きも切らず、多い時には行列まで出来てしまう程であり、外見上は平静を装うシレンティウム市民ではあったが、心の奥底では相当の不安を感じていることが如実に表われていた。

 エルレイシアは思いがけない忙しさにハルの安否に対する不安と寂しさを紛らわせることが出来たが、夜にはどうしても鬱ぎがちになる。


 愛する夫が危険で野蛮極まりないハレミア人の討伐に向かっているのであるから、無理もないことであったが理由はそれだけではない。






 夕方、薬事院の診察室



 アルスハレアは、寝台に横になったエルレイシアの腹部にぼんやり光らせた手を当てるとしばらく目をつぶる。

 そして手の光を収め、ゆっくり目を開けると徐に言葉を発した。


「……エル、間違いないわ、あなた子供を授かっているわよ」

「やはりそうですか」


 確信を得たような答えにアルスハレアが眉を顰める。


「気付いていたのならハル君に言っておけば良かったじゃないの」

「いえ……これから戦いだというのに、気持ちを鈍らせてはいけないと思って」


 らしくないエルレイシアの台詞にアルスハレアが呆れた声を出す。


「……全く、妙なところで健気ね。でもそれであなたが鬱いでいても仕方ないじゃない」

「そうなんですけれども、やっぱり言っておいた方が良かったのかなって……」


 寝台から上半身を起こし、かけられていた毛布を僅かに握りしめながら不安そうな顔でエルレイシアがいうと、アルスハレアは優しい笑みを浮かべて姪を励ました。


「心配ないわ、あなたのハル君は直ぐにハレミア人を打ち破って戻ってくるから!今は鬱々としていないであなたが出来ることを精一杯して、ハル君の助けになれば良いの。帰ってきてあなたのお腹を見た時のハル君の驚きが今から目に浮かぶわ~それにあなたたちの子供でしょう?きっとすごく可愛い子に違いないわ……」


 伯母の明るい声にようやくエルレイシアの顔に笑顔が戻る。


「そうですね……私に出来ることを、ですね!」


 先程までの鬱々とした様子はどこへやら、むんと両手を胸の前で握りしめ、あっさり気持ちを切り替えてしまったエルレイシアに呆れたアルスハレアが思わず忠告する。 


「でも、赤ちゃんが落ち着くまでしばらくは控えなさいよ」

「分かっていますわ、伯母さま!」

「……本当に分かっているのかしらねえ」


 何時もの調子を取り戻した姪っ子の姿を見て苦笑する他無いアルスハレアであった。






 シレンティウム商業区、デニス雑貨店



 アルマール村に居た頃、既に農夫としては引退して籠や木細工を作って生活の足しにしていたデニスは滞在していたユリアスことユリアヌスから商店の有り様を学び取り、同じ細工物造りの仲間達と一緒に商店を立ち上げた。

 デニスが販売や営業を担当し、仲間達の作った細工物を仕入れる方法を取り、たまには余所で製造された細工物や籠を仕入れたりもする。

 デニスらの作るクリフォナムの細工物は頑丈で長持ちが売りであることから優雅さには欠けるが、鉱山のあるコロニア・フェッルムや炭鉱での採掘が始まったフレーディアからまとまった注文が入ることもあり、少しずつではあるが稼ぎを出している。


 孫のマークは計算や数字に極めて強いという特徴がユリアヌスの見立てで明らかとなり、ユリアヌスが滞在している期間中に算学や数学、幾何学など帝国の最先端を行く学問の手ほどきを受けた。

 また元来感受性豊かな性格もあって、子供ながら商品の善し悪しや街の人達と積極的に会話することで売れ筋商品を見極める目を持ち始めており、ユリアヌスやデニスを驚かせた。

 午前中は学習所に通う傍ら農作業に出る両親や兄たちを余所に専ら祖父の営む商店を手伝うマークは、その愛らしい容姿と相まってデニス雑貨店の看板となっていたのである。


 今日も商品である籠を店先に並べながら、マークは隣で掃除をしている祖父に尋ねる。


「ねえ、おじいちゃん。ハレミアってきたのやばんじんのことだよね?」

「そうじゃな、辺境護民官様はそのハレミア人をやっつけに行ったのじゃ」

「ふうん、まえはアルフォード王様がやっつけたんじゃなかったの?」


 マークは籠を並べ終えてその見栄えに満足そうな笑顔を浮かべてからそう言うと、デニスは手を止めずに笑顔をマークへ向けて答える。


「そうじゃが、アルフォード王様は辺境護民官様に負けてその王位を譲られた。負けてアルフォード王様がいなくなったと思ったハレミア人は、クリフォナムが弱くなったと考えて攻めてきたんじゃな」

「ええ~でも、アルフォード王様に勝ったへんきょうごみんかん様の方が強いんでしょ?」

「そのとおりじゃが、ハレミア人は辺境護民官様の事を知らないのじゃ」

「そっかあ~知らないんだ……じゃあ、へんきょうごみんかん様の方が強いのが分かったらもう攻めてこないよね?」

「そうじゃな、きっとそうなるじゃろう」


 掃除の手を止めて自分の頭を撫でながら言う祖父のデニスに、くすぐったそうな笑顔を返しながらマークは元気よく言った。


「へんきょうごみんかん様、早くハレミア人をやっつけてくれると良いなっ!」







 シレンティウム行政区、第21軍団駐屯地



『整列と言ったら整列である!!それは整列ではないっ、何度言えば分かるのであるかあ~っ!整列とは整然と列を作るから整列なのであるっ!貴様らのはただ群れておるだけだっ!!整列っっ!』


 ぎこちない仕草で盾を左前に置き、持ち慣れない短い帝国風の槍を右手で持ったクリフォナムやオランの戦士達がアルトリウスの号令で動く。

 しかしお世辞にも滑らかとは言えないその動きに、すかさずアルトリウスの叱声が飛んだ。


『貴様っ、何度言わせるのだ!呪われたいかっ!?』

「ひいえっ」

『口を開いているそこの貴様もだ!』

「あひっ」

『貴様っ!なんだそのがに股は!?足を揃えるのであるっ!』

「ひえひっ」

『貴様っ!兜が前後ろ反対であるっ』

「ぎゃっ」


アルトリウスから叱声を飛ばされる度に奇妙な声を上げる戦士達。

 指揮に従うには指揮官の姿を見ていなければならないが、どうも帝国風の指揮方法以前に問題が存在しているようである。

 今回集められたクリフォナムやオランの戦士達は死霊であるアルトリウスに対して苦手意識があるようで、アルトリウスの目はおろか、姿すらまともに見ていない。


 というのも彼らはシレンティウムの周辺地域の部族ではなく、遠くからハルの盛名を聞いてやって来た戦士達であるからで、死霊が顧問官に就任していると言う事を冗談としてしか知らなかったのである。

 不幸にもと言うべきか、遠隔地からの参集であった為にシレンティウムへの到着が丁度この時期になったのだ。

 そうして北方軍団兵の募集に応じ、装備品を支給され、装着方法を説明された後に装備を調えて意気揚々と訓練場に入った彼らを待っていたのは、帝国の鬼将軍。

 そう、訓練担当を買って出た亡霊将軍ことアルトリウスであったのだ。


 噂を聞いてはいたがあくまで噂は噂。


 本当に居るとは思っていなかった事もあり、実物を目の前にするとどうしても萎縮してしまうのは無理からぬ所であろう。


「し、死霊が訓練担当なんて……聞いてないぜ」

「あ、ああ……う、噂だけかと……」


 何とか号令に合せて整列しながらぼやいた壮年の戦士とそれに答えた年若い戦士を、アルトリウスの白く光る瞳から発せられる鋭い視線が射貫いた。

 そして固まる2人に容赦なく罵声が浴びせられる。


『そこっ!指示中に私語とは度胸があるなっ!覚悟は良いかっ!?』

「「ひぃっ!!」」






 何とか整列や行進をこなせるようになり、いびつながらも整列した戦士達を前に、壇上へ立ったアルトリウスが腰に手を当てて高らかに宣言した。


『貴様らは今日から栄えあるシレンティウム補助軍団として編制されたっ!戦士はこの瞬間兵士となるっ!!今日から寝る間も惜しんで訓練に勤しむがよいのである!これからずっと我直々に訓練を差配してやるのである!』

「「「……うそだろ……」」」


思わずこぼした兵士達に、すかさずアルトリウスの怒声が飛んだ。


『私語は禁止であるっ!!』







 シレンティウム行政府、行政長官執務室



 シッティウスの前には人相の悪い2人の男が立っていた。


「行政長官、我々を呼びつけるとはそれ相応の見返りがあってのことでしょうな?」


 探るような目で執務机に座るシッティウスへ皮肉たっぷりに恫喝めいた言葉を発したのは右側に立つでっぷりと太った男で、脂ぎった指にはこれ見よがしに高価な指輪が幾つも嵌められている。

 しかしシッティウスはちらりとその男を見ただけで特に反応を示さない。

 その態度に太った男が怒声を上げる。


「きさまあっ、何だその態度は!都落ちした罷免官吏如きがっ!!辺境都市の行政長官なんぞで復帰した気になってるんじゃないぞ!?まだ我らの力が分からないのかっ!」

「……力とは、何でしょうな?」

「ああん?」


 シッティウスの言葉に訝しげな言葉を返す太った男。

 シッティウスは目の前の2人の男、すなわちルシーリウス卿とその派閥に属するプルトゥス卿に繋がる武具商人の手代達にあからさまな侮蔑の目を向ける。

 顔を赤くし、更に激高しかかったその男を制し、左側に立つ痩せた男がその見かけ通り陰鬱そうな声色で言葉を発した。


「それで、ご用件はなんでしょうか?」

「他でもありません、武具と防具を発注したいのです。品質は前回と同様かそれ以上の物をお願いします。取り敢えず一時的な契約は私が行いますが、商品の引き渡しや搬送はオルキウス商業長官と詰めておいて下さい。数は前回と同様1万領ずつですな」


 答えたシッティウスは机に置かれた書類から目を離さずそう言うと、ペンを持った手で出入り口を指さした。

 出て行けと言うことだろう。

 呼びつけておいた上にこの仕打ち、男達の額に青筋が浮かぶ。

 武具商人の手代とは言え歴とした貴族の分家や次男、三男に当たる者が務めている派閥お抱えの商人達であり、それは同時に気位や誇りというものには事欠かない類いの人間達であ事も意味している。

 痩せた音がこめかみをぴくぴくさせながら口を開いた。


「注文は了解しましたが……聞いておりますぞ?なにやら北の蛮族が大軍でもって攻めてきていると……」

「よくご存じですな」

「我々を侮るなっ」


 太った男の声に片眉をぴくりと上げるシッティウス。


「貴公達を侮った覚えはありませんな……まあ、愚かで浅ましいとは思いますが」

「ななな、ききき貴様っ!?」


 怒りに顔を赤くしたり黒くしたりしている太った男を余所に、痩せた男がささやきかけるような密やかな声でシッティウスに言う。

 しかしその声は不思議とよく部屋に響いた。


「……もうこの都市も終わりでしょう、そろそろ身の振り方を考えては如何ですか?今であればルシーリウス卿は貴方の中央官吏復帰を支持しても良いと仰せです」


 明らかに周囲にいる官吏達を意識して発言。

 しかしシッティウスは動じない。


「今何と?」

「ですから、ルシーリウス卿は……」

「ああ、帝国に巣喰う蛆虫の言葉でしたか。蛆虫に言葉があったとは驚きですが、そのようなモノは聞くに値しませんな。蛆虫は蛆虫らしく仲間と一緒に腐肉漁りでもしておれば宜しい、人の言葉を話そうなどとは身の程知らずも良いところです」


 再度同じ言葉を発しようとした痩せた男を遮り、発せられたシッティウスの言葉の余りの内容に目を剥く痩せた男。


「なっ!?」

「ああ、そうそう、我々シレンティウムは5000名規模の補助軍団を3個創設致しますので、ご承知置き下さい」

「なにっ?それは許可していないはずだ、帝国に対する反逆の意志ありと見なすぞ?」


 絶句している痩せた男の代わりに、少し持ち直した太った男がすかさずいやらしい笑みを浮かべながら言うが、シッティウスはその上を行く侮蔑の視線で応じる。


「ですから補助軍団、と申しておりますが?虫の使いには人の言葉が理解出来ませんでしたかな?それとも貴公も実は虫でしたか……おや、よく見れば横腹に足が……おっと失礼、それは腹の肉でしたか」

「うぐぐぐ………!貴様っ!!もう勘弁ならんっ!!!」


 シッティウスの言葉で自分の横腹を思わず押さえてしまい、その言葉の意味を深く理解してしまった太った男は余りの侮辱に湯気を頭から出す勢いで絶叫する。

 痩せた男が制止する暇も無く、太った男は以外と素早い身のこなしで真っ赤な顔を怒らせて自分の左から机を回り込み、椅子に座ったシッティウスに掴み掛かろうとする。


 しかし、シッティウスは動じた様子も無く、その男の手首を右手で無造作に掴んだ。


みちみちみち


「ぎいえええええええええっっつ!!!」


 シッティウスの腕が脹れ上がり、太った男の脂肪に満ちた手首が半分にまで絞られ、指という指に嵌められた幾重もの指輪がかたかたと音を立てる。


「なにをするっ?」


 驚愕に目を見開く痩せた男を余所に、シッティウスは肉に満ちた身体を海老反らせて痛みに絶叫する太った男を見もせずにぽいっと床へ捨てる。


 どちゃっ、と湿っぽい落下音と共に床に倒れ伏す太った男。


「中央にいた頃はよく交渉相手に掴み掛かられたモノです。ここしばらくはそういった事もありませんでしたが……まあ、これに懲りたら大人しくすることですな」


 泡を吹いている太った男を介抱しながら痩せた男が憎々しげに言い放った。


「後悔しても知りませんぞ?」

「手切れならば望む所ですが……我々のような上客を逃して良いのですかな?」

「むむむ……」

「それに貴公方から武具を売って戴けないとなれば、別の商会に話を持ち込むだけです」

「な、何っ?」


 シッティウスの返答に絶句する痩せた男。

 シッティウスの言うとおり、今やシレンティウムは万単位で武具を一括購入してくれる上得意先である。

 既に軍の整備を終えた西方帝国は補充以上の武具を購入しない。

 それでも全軍30万を謳う帝国軍、それ相応の数を毎年納品しては居るが、全くの新規購入はシレンティウムの他に無く、小競り合いを含めて戦いが多い上にまだまだ不安定なシレンティウム同盟は軍備増強に伴う武具の補充、消耗品の補給といった分野で今後も需要の伸びしろがある。

むざむざと手放すには惜しい上客である事は間違いないのだ。


「……くっ、分かった」


 痩せた男が悔しそうに言うと、シッティウスは1つ頷いてから再び出入り口を示す。

 悔しそうに唇を噛んだままの痩せた男が従者を呼び、くっきりシッティウスの手形の残った手首を抱えて未だ泡を吹いている太った男を抱えて出て行くと、シッティウスは徐に立ち上がって行政庁舎の窓際へと近付いた。

 眼下には今の遣り取りなど知るよしも無いシレンティウムの市民や各地からやって来た族民達が忙しそうに動き回っている。


 その光景を見たシッティウスは、僅かに目を細めるとつぶやいた。


「それに後悔は帝国で既にし尽くしました。ここは北の都シレンティウム、後悔すら思い出に変えてくれる街です……さて、休憩時間は終わりですな」


 最後に宣言するようにシッティウスが言うと、息を呑みつつ成り行きを見守っていた官吏達が慌てて視線を机へ落とし、必死に書類を繰り、ペンを走らせ始めた。

 その様子をしばらく満足そうに眺めてからシッティウスは自分の執務机へ戻り、新たな書類に目を通し始めるのだった。



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