第23話 シレンティウム造営完了
シレンティウム行政府、大会議室
ハルが背にする壁には行政組織図が淡い光を放ちつつ掛かっている。
大会議室にはシレンティウム行政府の主要な部署の官吏、すなわちその行政組織図にあるとおりの面々達が集まっていた。
その行政組織図には
最高行政官 ハル・アキルシウス(辺境護民官)
顧問官 ガイウス・アルトリウス
都市参事会議長
行政長官 トゥリウス・シッティウス
財務長官 セクンダ・カウデクス
商業長官 サルスティウス・オルキウス
工芸長官 ルキア・スイリウス
按察長官 ティベルス・タルペイウス
農業長官 ルルス・サックス
戸籍長官 ドレシネス
治安長官 ルキウス・アエティウス
の名が既に書き込まれている。
現在フレーディアで都市改良事業に携わっているタルペイウスを除いた全員が揃っているのを見て、司会役のシッティウスが資料を片手で繰りながら口を開いた。
「それでは、皆さんお集まりのようですので、シレンティウムの行政府会議を行いたいと思います、まずは今期の農産物収穫状況から……サックス農業長官、報告をお願いします」
シッティウスに促され、ルルスが席から立ち上がる。
「今年の収穫は上々です、これも私の一見無茶な政策を受け入れて頂いた上に、協力して頂いたアキルシウス殿や大人しく農法の変更に従ってくれた農民の皆さんの成果です。有り難うございました……それで具体的な収量なのですが、大麦黒麦合わせて25万くらいではないかと思われます。」
「ほほう、25万ですか」
思わず唸るシッティウス。
帝国にある大都市の人口を丸一年賄えるくらいの収穫があったことを意味する数字に、他の官吏達からも感嘆の声が上がる。
「その内官営農地からの収量は6万程になりましたので、我々の取り分は3万程です」
圃場整備が終わったものの未だ入植者がいない農地については、3年契約の労働契約に変えて余裕のある農民に貸し出し、その半分をシレンティウム行政府へ納める契約を結んでいた。
『シレンティウムの軍兵や官吏を普通に養うには十分な量であるな』
顧問官のアルトリウスが言うと、ルルスも頷く。
「それに十分な量の牧草や飼料穀物も手に入りましたので、早速周辺の村邑と話をして販売や譲渡の手続きをしたいと思います」
シッティウスが資料を繰り、書き込みをしつつ満足そうに口を開いた。
「今年の農業政策は大あたりでしたな。尤も来年は状況も変わってくるでしょうから一概に今年と同様にはいかないと思いますが……サックス農業長官、来年の施策はどうですかな?」
「来年は小麦を栽培作物に織り込みますが、それ以外は今年と同様で構わないと思います。まだ開発の済んでいない農地は引き続き開拓や圃場整備を進めますが、余り手を広げ過ぎると官営農地の作業で農民が疲弊しかねませんし、いきなり大量生産をしても消費が追い付かなければ穀物の大暴落とそれによる周辺村邑の破壊を招きます。今のところはこのままで良いと考えております」
「なるほど……基本政策は変わらず、と……分かりました、次はカウデクス財務長官」
シッティウスが新たな資料を繰りながら財務長官のカウデクスを指名する。
「私の方からは特に何もありませんわ。徴税はしておりませんし、繰越金の遣り繰りと東照産物の販売による収入のみですので……ただ商人や職人、工人、それに農民達から寄付の申し出が多数為されておりますので、これへの対処を如何しましょうか?」
「どの程度の金額ですか?」
ハルの質問ににっこりいつも通りの艶やかな笑みを浮かべたカウデクスが答えた。
「様々ですわアキルシウス殿。銅貨10枚程度から大判金貨10枚まで、また農民達は収穫物の10分の1程度が多いようです。皆お世話になったシレンティウムへの貢献を目に見える形で為したいと、積極的に寄付の申し出をしてくれていますわ」
少し考えてからハルは帝国で行われている寄付金の対処方法を思い出した。
しかし帝国のように行政府が寄付金絡みで縁故や貸し借りを作り、しがらみを残すべきではないとも考えた。
帝国の道路や施設も寄付金で賄われることがあるが、概して篤志家の事業と称しつつも貴族や官吏、金持ちの売名行為であったり、行政府への貸しにする為の寄付であったりする。
そうしたしがらみはしっかりと排除しなければならない。
「シレンティウム市民の寄付であれば受けるべきと思いますが、賄賂と受け取られかねないそれ以外の商人や西方帝国の商工組合からの献金は排除しましょう。それから寄付金は一括して特定の事業に使用し、寄付者の名前を彫り込んだ顕彰碑をその施設に付属して建てます」
「私はその意見に賛成ですな」
「私もそのように具申しようと思っていましたわ」
ハルの意見に対してシッティウスとカウデクスも賛意を示す。
「では寄付に関連する業務は財務長官が差配して下さい、寄付の制度を確立しましょう。但し受け入れは1年に1回のみ」
「承知致しましたわ」
カウデクスが微笑みながら椅子に座ると、今度はオルキウスが自主的に立ち上がった。
「良いですかな行政長官?」
「どうぞ」
「わはは、失礼!では……」
オルキウスは笑声と共に、資料を取り出した。
「商業の育成は順調です!青空市場の参加者は毎日ごとに増えておりまして、業種も薬草や狩猟物、畜産物、農産物、鉱物、細工物などなど多岐にわたっております。また産業が育成され始めたので、この街で商店を持つ者も増えてきました。仕入れが出来るようになりましたからですな!現在シレンティウムで商業登記をしているのは、帝国から一般商が8と武具商が2、シレンティウム出身の商業者が19、シルーハからの商人が1、東照からがホー殿を除いて2といったところですか。外から来た商人はいずれも大店や中堅どころの商人ですが、こちらで審査をして腐った者を排除しています。ただし、シッティウス殿の指示により武具商人だけはルシーリウス卿に近い者とプルトゥス卿に近い者を入れております」
武具商人はいずれも貴族派貴族に近しい者達であるが、これはシッティウスの政策により一定の情報を貴族派貴族に流す為の措置である。
それ以外に目立つのは、地生え商人の登場であろう。
青空市場から経験を積み、目端の利いた者が商業を興し始めたのだ。
「ふむ、ようやく商業が育ち始めましたか」
「そうですな……これは歓迎すべき事です。いずれシレンティウムを拠点とする大商人が生まれるかもしれませんからな!わはは」
シッティウスの言葉にオルキウスが楽しそうに応じると、ハルも笑顔を浮かべた。
ただ1つ気がかりがある。
ハルがオルキウスにその懸案事項について質問した。
「武具に不具合等はありませんか?不良品の発生は?」
「今のところはありませんよ。ご懸念はご尤もですが奴らも一廉の商人ですからな……ましてやシレンティウムはいっぺんに1万領もの鎧兜に1万本の剣を発注した大得意先、そんな下手はせんでしょう。防具武器共に帝国の最新のものを仕入れてきていますよ」
オルキウスが苦笑を漏らしながら答え、改めて言葉を継ぐ。
「あとは飲食店業が随分と発展しています。まあ、元々底の抜けた瓶みたいな酒飲みで大食漢のクリフォナム人が主体の街ですから当然でしょうが……私の方はこんな所です。やはり徴税をしていませんので特段言うべき事はありません。今は自由発展の時期ですから、商人や市民には大いに地力を付けて貰いましょう」
最後に両手を小さく開いてから席に着くオルキウス。
シッティウスが何かを書き込みながらうんうんと頷き、視線を次の席に座るスイリウスに向けた。
「スイリウス工芸長官。報告はありますかな?」
「ハイ……例の、劇団と楽団の件です……伝送石で手紙を送ったところ直ぐに返事が来ました」
『おう、あの見所ある芸術家どもか?』
「……そうです……こっちへ来てくれる……そうです」
アルトリウスの言葉に頷き、スイリウスはそう言いながら1通の伝送石通信紙を差し出した。
「やっぱり、干されて経営が苦しかったみたいです……」
その中身は二つ返事どころではなく、たった一言。
「行きます……ですか」
ハルが呆れる程簡潔な文章があった。
もう一通、楽団から送られてきたものも写し取ったのではないかと思えるぐらいの同じ文章である。
スイリウスはハルへこくりと頷きながらシッティウスに視線を移す。
「……それ以外はこの前報告したとおり……シレンティウムでも日用品の生産は全て出来るようになった……後は武具だけ、一応準備はしているけど……」
「今の段階はそれだけで十分です」
スイリウスの途切れがちな言葉を遮るように言うシッティウス。
「ではドレシネス戸籍長官、シレンティウムの人口動勢をお願い致します」
スイリウスが着席するのを横目で見つつシッティウスが促すと、ドレシネスはよっこいせとかけ声を懸けながら立ち上がった。
この場で唯一の北方人であるドレシネスは、ふううっとため息をついてから口を開く。
「シレンティウムの人口は8万7千人と行ったところですじゃ。尤も、戸籍登録が済んでおる者だけを数えたに過ぎませんのでな、実際はもっと多いかもしれませぬ。子供もばんばん生まれておる。偏に未来への希望と安心がそうさせるのじゃろう……それはそうと行政長官、人手を増やして貰えんかのう?」
最後には哀願口調で要望を出したドレシネスの顔は疲れ果てていた。
年齢的なものもあるだろうが、行政府一の繁忙さが彼の精気を削り取っていることは直ぐに分かった。
「戸籍庁はいずれ暇になります、今人手をむやみに増やすわけにはいきませんが……取り敢えず仕事の少ない部署から回すと言うことで如何ですかな?」
「良きに計らって下され、今や我が部署は過労の極みじゃ。」
「ではそのように」
さすがのシッティウスもドレシネスの要望を無碍に却下出来ず、応援の人手を出すことを約束した。
シッティウスはドレシネスの部署へ応援に行かせる人員を勘案しているのか、しばらく黙って資料を繰り書き込みを行っていたが、一段落してから徐に発言する。
「では……タルペイウス按察長官に代わって私が按察業務について報告致します。まず街道建設ですが、これはハルモニウム時代に顧問官どのが造営した東西の街道はほぼ修復と整備が終わりました。西はシオネウス族のレーフェまで、東は東照帝国西方府の都市塩畔までですな。翻って南北の街道ですが……コロニア・メリディエトまでのものは完成を既にしております。しかしながらフレーディアまでの街道は未だ完成しておりません。タルペイウス長官からの報告書類によれば、もう間もなく完成するとなっておりますが、恐らく来春まではかかるかと思われます」
アルトリウスがかつて敷設した煉瓦敷きの街道はまだ十分活用が可能で、ハルは東西に伸びるこの街道をアルトリウス街道と名付けて再整備を行ってきた。
舗装の煉瓦が割れたり無くなったりしている場所を新たな煉瓦で埋め、茂った木々や草を払いつつ排水路をつけて水たまりを無くし、小川や湿地に橋を架けたのである。
いまは目をつぶっても通行が出来る程までに整備されたアルトリウス街道は、今や新たな北の動脈として稼働し始めていた。
「その他の街道の造営状況はどうなっていますか?他に敷設要請はありますか?」
「現在完成しているのは、塩畔への街道の途中にあるレニウェとソルカン、それからアルペシオ族のカリークまでとコロニア・フェッルムまでですな。ヘオンまでは未完成、新たな要請としてはベレフェス族からレーフェ経由でオランの都であるトロニアまでの敷設要請が為されていますが、これは検討中です」
ハルが挙手しつつ問うと、シッティウスは別の資料見ながら回答する。
『トロニア?オランの中心地ではないか……そのような場所はシレンティウム同盟の範囲外であろう?ランデルエスの趣旨が分からぬのである』
ハルが腕を組んで考え込むと、まるで代弁するようにアルトリウスが発言した。
「よろしいですかの?」
シオネウス族出身のドレシネス戸籍長官が発言を求めたので、シッティウスが頷いてこれを許可すると、ドレシネスはゆっくりと立ち上がって口を徐に開いた。
「我がオランの民が帝国に敗れ、その領土と族民が緩やかに併合されようとしていることは皆さんご存じの事と思うのじゃが……実は最近シレンティウム同盟のことがオランの族民の間で話題になっておりますのじゃ。まあ、有り体に言ってしまえばオラン人全体でシレンティウム同盟に参加してはどうか、と言うことなのじゃが……」
ぽんと出た余りにも大きな発言にその場にいた全員が息を呑む。
さすがのシッティウスもドレシネスの発言に天を仰ぎ、その後は額に手を当てて何かに耐えるような仕草をしている。
そんなことになれば、都市造営や街道敷設どころの話ではない。
丸ごとオラン人の生活や面倒をシレンティウムで見なくてはならないのだ。
今のシレンティウムにはそんな武力も財力も人材も存在しない。
帝国出身の官吏達が示した反応を見て、ドレシネスは面白そうに肩を揺らして静かに笑うと発言を続ける。
「この発言を聞いてそういう反応をする……いや、してくれる帝国人が如何ほど居ることやら……同じ発言を帝国に対していたさば、今の帝国人の支配者達は徴税対象が増える、奴隷の供給場所が増えると喜んで併合に応じること間違い無しじゃ……もしこのまま正式に帝国へ併合された後に負うオランの民の艱難辛苦を思えば、今シレンティウム同盟に参加する事のほうが遙かにオランの族民達の将来は明るいと、みなそう思っておりますのじゃ」
ドレシネスは一旦そこで言葉を切り、ハルをはたと見据えて言った。
「いずれ正式にお話がしかるべきオランの代表者からあるでしょうが、ご考慮願えませんでしょうかのう?」
ドレシネスの爆弾的な発言により締めくくられた行政府会議。
突然降って沸いた話に長官達はしばらく衝撃から立ち直れず呆然としたままであったが、シッティウスが散会を告げたことによってようやく時が動き出した。
衝撃冷めやらぬまま長官達はそれぞれの部署へと戻り、後にはハルとアルトリウス、シッティウスとルキウスだけが残る。
新たにアルスハレアとエルレイシアが太陽神殿から呼ばれ、また楓とプリミアがやって来たことで会議が少し質の違うものへと変わった。
ハルは先程の行政府会議で持ち上がったオラン人のシレンティウム同盟参加要請について、新たに来た4人に説明をした上で、徐にシッティウスとアルトリウスへ向き直る。
「先任、シッティウスさん、当然分かり切っているんですけど……オラン人達を受け入れる余地が今のシレンティウムにありますか?」
「分かり切っていますが、ありませんな。もし無理をしてシレンティウム同盟を膨らませてしまえば、その経済的負担と軍事的負担にシレンティウムは耐えられませんでしょう。オラン人をシレンティウム同盟に参加させた場合、北方の海賊や島のオラン人、ハレミア人が正面の敵として浮上してきます。これに現在シレンティウムが相対しているクリフォナム北部諸族を加えて対処せねばなりません。東照は比較的友好的ですが軍事力としては当てに出来ませんし、シルーハや帝国の出方が分からない以上、四面に敵を抱える事にもなり兼ねませんので、私は現実的な面からオランの族民の申し出は断るべきと考えます」
ハルの問い掛けににべもなく答えるシッティウスであったが、その表情は決して明るくはない。
先程同様、額に手を当てているシッティウスの表情は苦渋に満ちている。
『しかし……ある意味好機では、あるのである。この機を捉えて一気に北方をまとめ上げることは可能であろう』
苦しげにではあるがアルトリウスがそう言うと、シッティウスが言葉を捕捉した。
「残念ながらそのような余裕はシレンティウムのどこを探してもありませんな。大部族だけでも20余り、オラン全部族ともなれば族民数を考えてもざっと600万人ですぞ?今我々がどうにかこうにか同盟という形で繋ぎ止めている部族の族民達は全部で約180万人程度、その3倍以上の人々を抱え込む余裕なぞ、シレンティウムのどこを浚っても出てくることはありません」
「ですよねえ……」
ハルとてその辺の事情は十分に知っているが、自分達がシレンティウム同盟を立ち上げた意義や目的から言えばオラン人の参加表明は本来喜ばしいことであり、歓迎すべき事であるはずなのだ。
ただ、時期や情勢というものがある。
「徐々に同盟を拡大していく過程でオラン人を取り込んでいくつもりだったんですが、これは少し早過ぎます」
「そうですな、まずはクリフォナムの南部諸族をしっかりと固め、北部諸族を取込み、それから西への勢力拡大という形が望ましいでしょう。しかし今は東照やシルーハとの関係もはっきりとせず、帝国も内部的にきな臭いとあっては時期尚早と言わざるを得ませんな」
ハルが思わずこぼすと、シッティウスも頷きつつその意見に賛同を示した。
唸る他無いシレンティウムの首脳陣。
無い袖は振れないのだ。
第一未だ不完全とはいえ帝国が領有宣言を既にしているものの、実効支配は果たせていないという曖昧なオランの地域である。
本来であれば辺境護民官が赴任してもおかしくない土地柄ではあるのだが、北辺山脈の北にあり、シレンティウムと比較しても帝国本土との交通の便は非常に悪いことから、なり手がいないのと支援のし難さから放置されてきたという経緯がある。
そこに、たとえ同じ帝国に属するものとは言え隣接する地域担当の辺境護民官が手を出して良いのかという問題も存在していた。
「ハル、少し宜しいですか?」
悩むハルをじっと見つめていたエルレイシアが、ゆっくり口を開く。
「エル……ああ、いいですよ」
少し驚いたように言うハルにほほえみを向けながら、エルレイシアが言葉を発した。
「私は本来こう言うことを言う立場には無いことを承知はしていますが……一言だけ」
エルレイシアは額を押さえているシッティウスや難しい顔をして腕組みをしているあアルトリウス、そしてハルを見て短く言った。
「助けを求めている者を前にして、迷わないで下さい」
はっと顔を上げる3人に、エルレイシアはにっこりと微笑んで言った。
「それがこの街の礎であったはずです。ハル、あなたはみんなの協力を得てそれを実践してきました。規模が大きくなったからといっても、工夫次第でやりようはあると思います。どうかオランの民が上げている、救いを求める声を無碍にするような判断だけはしないようにして下さいませんか?」
エルレイシアの言葉に現実と理想の狭間で悶える3人。
「うう、確かに助けを求めてくる者を拒むことは……」
『むう、太陽神官殿の申し様は一々ご尤もであるが……ううむ』
「ふむ……やり方次第、ということですか……」
しばらく頭を捻った後にすっと席から立ち上がったシッティウスは、持参している資料から1枚の紙を抜き出した。
「アキルシウス殿、顧問官どの。一つ提案と言いましょうか、参考となります事例があります」
そう言いつつ差し出したその資料には、帝国とかつて地方都市国家であったペルオンの間で結ばれた同盟協約の内容が記されていた。
その資料に記されているのは
1 帝国とペルオンは帝国を上位とする同盟を締結する。
2 ペルオンは帝国の庇護下にある事を内外に宣言する。
3 帝国皇帝はペルオン市長を兼ねる。
4 ペルオンは副市長を首班とする行政府にて内政外交を独自に行うが、帝国に 敵対する行為、施策、政 策を行わない。
また帝国と敵対する勢力に利する政策を行わない。
5 帝国とペルオンは交易、通信、人的交流について相互に障壁を設けない。
6 この同盟の有効期限は5年間。
5年後に同盟もしくは編入について帝国とペルオンで話し合いの場を設ける 事とする。
と言うものである。
「ペルオンって、西方大陸に近い島にあるペルオン市のことですか?」
ハルが尋ねると、シッティウスは頷きながらその資料の出所について解説を始めた。
「これはかつて100年前に成長著しい帝国が、西方大陸への進出を目論んで西方諸国の都市国家であったペルオンと結んだ同盟の内容を記したものです。ペルオンは西方諸国に対し優位性を保つ為に帝国の後ろ盾を必要としましたが、この当時帝国は現在のテッシア市を中心とするオラン人勢力と交戦中で兵を出す余裕がなく、有名無実ではありますがこの同盟を宣言することにより、帝国の後ろ盾を得た形になったペルオンは他の西方諸国から攻められ無くなりました。若干手直しは必要でしょうがこの文章の“帝国”をシレンティウムに“ペルオン”をオランの各部族に変えれば宜しいかと」
シッティウスの言葉に感心したように頷くアルトリウス。
『うむ、なるほど、オランの族民達がシレンティウムへ求めているものは、実際の庇護もそうであるが、今は帝国への自動編入を為さず、自己の平穏と立場を守ることであろうからな。これであればシレンティウムの負担は最小限で済む一方で、オランの族民達はシレンティウム同盟に参加しつつも自主性を保ち、更には帝国と一線を画せるわけである』
資料をシッティウスに返しつつ、ハルが力強く言葉を発した。
「オラン人の代表者という者が誰になるのか、また部族別にやってくるのか、全オラン人を代表する者が現われるのか……それにシレンティウムに対してどういった要望や意見を出してくるのかまだ全く分かっていません。ですから、この話を進めるに当たってシレンティウムの基本方針として“来る者は拒まない”という方向で話を進めようと思います」
「世知辛いことを申しますと、今検討した条件にて、という但し書きが入ってしまいますが、これは今のシレンティウムの勢力としての体力から勘案すれば当然です。また、第一同盟者たる6部族の面子も立てなければなりませんので、格下の条件提示は妥当なところであると思います………しかし曲がり形にも同盟を結ぶのですから、危険性もはらんでいることを理解して頂かなくてはなりませんが」
シッティウスの最後の言葉にハルが渋い顔をして答えた。
「たとえ援軍を出す約束をしていなくとも、オランの民が困っているのを見捨てられはしませんからね」
ハルの言葉にシッティウスは珍しく笑みを浮かべ、徐に口を開いた。
「アキルシウス殿のご気性であればこその懸念ですな。しかしその様なことになった場合に補佐するのが私たちの役目でもあります。アキルシウス殿が理想と理念に向けて直走って頂ければ、現実面での補佐や助言は私を始めとする“なれの果て達”や顧問官どの、楓殿やルキウス殿、プリミア殿、それに細君になられたエルレイシア殿やその叔母のアルスハレア殿がしてくれます」
シッティウスの言に大きく頷きながらハルに対して全員が口々に言葉を発した。
「もちろんです。私ハルの為ならなんだってします」
『言うまでも無いことである』
「友達も忘れんなよな!」
「私も及ばずながら、アキルシウスさんのお力になりたいと思っていますよ」
「当然でしょ?ハル兄の性格はボクが一番知ってるもん!」
「わ、私もお力にっ」
「シッティウスさん……みんな………」
呆気に取られるハルを余所に、シッティウスは笑みを浮かべたまま言う。
「全員が同じ気持ちと言うことです……自分も救われた身でありながらお恥ずかしい。このような根本的なことを忘れてしまうとは私もまだまだ修行が足りませんな。オランの民にはしばらくこの不十分な同盟で我慢を強いることになりますが“シレンティウムは見捨てない”と言うことを知らしめるのにも良い機会だと思います」
『うむ、シレンティウムは常に希望をもたらす存在であるべきなのである!』
最後にアルトリウスが言うと、全員が意を強くした頷きをハルへと送るのだった。
話は一旦オラン人の同盟参加から卑近なものへと移る。
今日楓やプリミア、それにエルレイシアとアルスハレアを呼んだのは本来この用件の為である。
「新たな部署をいくつか増やしたいのですが宜しいでしょうか?」
ハルの発言にシッティウスが片眉を上げる。
「むやみやたらと部署を増やすと余計な混乱を招きかねませんが……どのような部署を考えておられますか?」
「学習所担当と、薬事院担当、それから情報庁です。ま、薬事院長は既にアルスハレアさんにお願いしてありますから、正式に長官に任命するだけです。もしくは学習所と合せても良いかもしれませんが、いずれにせよ正式な部署にしたいんです」
「まあ、それぐらいであれば問題ありませんでしょう。既に薬師の方や治療術士の方もおりますし、その方達の給与を含めて予算も実質は行政府で出しておりますからな。それに発展し始めたシレンティウムの医療技術を生かすにはアルスハレア殿にもう少し裁量権を与えるべきでしょうからな」
シッティウスが肯定的な意見を出したので、ハルも笑顔になる。
そしてエルレイシアの隣に座るアルスハレアへと声をかけた。
「というわけで、学習所長を兼ねた薬事院長をお願い出来ますか?」
「もちろんです。フレーディアから移って以来、御世話になりっ放しで心苦しく思っていましたので、私の得意とする分野で貢献出来るのは嬉しいことです。こちらこそ宜しくお願いします」
にっこりと微笑みながら承諾したアルスハレア。
これでシレンティウムに新たに薬事院長が誕生したのである。
薬事院と学習所の話がつくと、ルキウスが口を開く
「ハル、情報庁ってのは?ひょっとしてうちの仕事とも被るのか?」
「ああ、前に先任から聞いたんだ。結構間諜が入り込んでるって……」
『うむ、まあそうであるが…我がいる限りは何もさせんのであるが?』
アルトリウスが何か問題でもあるのかと言った風情で言うが、ハルは首を横に振った。
「いえ、それだけではなく、こちらからも情報を取りたいのです。それに先任の様な人……でいいのかな?がいない他の都市に間諜が入り込んでも困ります。どっちかというと間者対策の方が意味合いとして大きいですね」
「……しかしそんな人員どうやって養成するんだ?こう言っちゃ何だが帝国のその手の組合は良い評判は聞かないぜ?治安官吏とも度々衝突しているのは実際やりあって知っているだろ?あいつらはやめた方が良い」
ルキウスが言うのは、帝都の暗部として活躍する暗殺者や間諜の元締め達である。
帝国は独自に諜報組織を持っているが、それに依存出来ない貴族から雇用されることが多く、殊に最近は貴族の横暴傲慢振りと共に雇われる機会も多くなり、急速に勢力を伸ばしていた。
帝都治安官吏時代に平民指導者に対する脅迫や傷害、果ては殺人事件に絡んでハルやルキウスは武術に優れていたこともあって度々制圧や衝突現場にかり出され、実際そのやり口や非合法振りが露わになる現場に居合わせたのである。
「いや、あんな使えない輩を使うんじゃない。間諜の取り締まりや諜報活動はウチの楓がやる」
「へ?ボクが?」
突然の指名に驚く楓を余所にハルは言葉を継いだ。
「これはあんまり余所で話さないようにして貰いたいんだけど、群島嶼制圧戦争で群島嶼の剣士達が度々帝国の裏をかけたのは地元で地理に精通してた他に“陰者”と呼ばれている群島嶼独自の諜報者集団がいたからなんだ。楓はこの陰者を10人程連れてきているから、この10人を基礎にしてシレンティウムで見所のある人間を育成すると同時に群島嶼から本職も呼ぼうと思ってる」
『ほう、群島嶼にはそのような者が居るのか、知らなかったのである』
ハルの言葉に対し、アルトリウスが興味深そうな声を出す。
「ふ~ん、じゃあ諜者集団はそのカゲモノってやつを使って作るのか?まあ、帝国の組合を使わないんなら良いけどよ。あいつらなんか引き込んだら品性を疑われるからな」
ルキウスは余程その手の組合に悪感情を持っているのか、しかめ面のままそう言うと、引き下がった。
「確かに、陰者は戦争が終わって暇になっちゃってるけど、遠い此処まで来てくれるかな?」
楓の言葉の通り、人手不足の秋留領でも陰者だけは手持ちぶさたにしている。
諜報活動をする相手であった帝国が雇い主達の主人になってしまった、つまりは仕事が消滅したのであるから当然であるが、元々その性質から正面戦力としては考えられていなかったので、戦争による人的被害も少なく、人数的には余裕がある。
なので、楓も10人もの陰者を引き連れてくることが出来たのだ。
ただそれでも故郷を離れることを承諾してくれる者を探すのに苦労した楓は、その苦労を思い出しながらハルに言う。
「食べ物も全然違うしさ、陰道具1つとっても自作するしかないんだよ?そんな面倒な所へ来てくれるの他にいるかな?」
「それは聞いてみる以外にないだろう?」
「む~わかった、ボクが陰者へ聞いてみるよ。こっちに来てる陰者の知り合いや一族で来てくれそうな人がいたら来て貰うけど良い?」
ハルの言葉に、楓は自分がした苦労を分かって貰えていないと思ったのか少々不満げではあったが、ようやく折れて言った。
「ああ、頼む……それからプリミア」
「は、はい?」
楓に陰者の招致を頼み終えたハルはプリミアに向き直る。
「プリミアには官営旅館に来るお客から聞き取り調査をして欲しい。とは言ってもそうあからさまにしなくても良いから、世間話や雑談の中で出てきた帝国やその他の国の情勢や都市の雰囲気、噂話何でも良いから集めて欲しいんだ。特に同じような話が何度も出た時は注意して情報を集めて貰いたいのだけれども……」
「分かりました…それぐらいであれば大丈夫です。普段からお客様とそのような会話はしていますから、それをまとめれば良いのですね?」
プリミアはハルの頼みをごく自然に受け入れる。
と言うのも、これまでも度々ルキウスが訪れてそう言った聞き取り調査をしていたからで、今までと変わるのはそれをあらかじめまとめておく事と、話の出所を確認する為に、誰から聞いたかを記録することである。
補佐に付いているメテラも元は宿屋を経営していたので、その辺についての理解はあるだろう。
「受け取りは……」
「ああ、俺が今まで通り行くって、心配ないよ」
少し戸惑って尋ねかけたプリミアにすかさずルキウスが答える。
ほっとした様子のプリミアを見て、ルキウスがハルへ顔を向けた。
「いいだろ?」
「あ、ああ、ルキウスからも情報を貰うからそこは今まで通りで構わないよ」
ルキウスの言葉に少し戸惑いつつ応えるハル。
ルキウスは、自分とプリミアの様子をエルレイシアが微笑んで見ていた事に気が付いて思わず目をそらす。
ハルはいつも通りなので自分とプリミアの関係に思いが至っていないようだが、その伴侶であるエルレイシアは何かに気付いたようだ。
ばんっ
ハルがエルレイシアの意味ありげな視線に気付いて声をかけようとしたその時、会議室の扉が大きく開かれる。
そこに立っていたのは血相を変えたシレンティウム都市警備隊長のクイントゥス。
「どうかしましたかな?」
冷静なシッティウスの声に我に返ったクイントゥスは、失礼、と小さく言い置いてつかつかと軍靴を鳴らしハルへと近づく。
「フレーディア城代のベルガン殿から至急の伝送石通信が届きました。クリフォナム北部諸族の内、ポッシア族とセデニア族が北の最蛮族、ハレミア人に敗れて蹂躙された模様です。2部族の生き残りはちりじりになって南へ逃れ出ているようで、既に大量の難民がフレーディアに溢れているとの内容が加えられています」