第22話 秋のシレンティウム
シレンティウム西城門
そよ風に揺れる麦穂の絨毯。
その黄金色の絨毯は少しずつ刈り取られ、麦束にされて行く。
穂と藁を刈り取られた後の麦株が奇麗に並び、その合間を落ち穂拾いの子供達が駆け回っていた。
大人達は総出で麦を刈り、束を造って脱穀作業を行っている。
秋の収穫を迎え、シレンティウムは沸き立っていた。
今回は小麦が時期的な問題から栽培されていないが、それでも大豊作。
脱穀はルルス率いる農業庁とスイリウス率いる工芸庁が共同で開発した千歯扱きと唐箕を共同使用して行われており、作業はどんどん進んでいた。
「きれいですね」
「正に努力の成果だからね」
その光景を眺めてため息をつくようにエルレイシアが言うと、ハルはにこやかに応じた。
2人が現在居るのはシレンティウムの西城門。
新設された塔の最上階である。
刈り取ったばかりの麦藁から立つ香りを微風が運んできた。
2人はどちらとも無く目を閉じ、その香りを鼻腔一杯に溜めて楽しむ。
「うふふふ」
「ははっ」
目をゆっくり開くと、同じように目を開く相手の顔を見付け、楽しそうに笑う。
爽やかな秋口の風が、農場へと向き直った2人の顔を撫でて走り去った。
シレンティウムの秋が始まる。
ハルとエルレイシアは連れだって塔を下りた所、西城門脇の城壁上でアルトリウスと出くわした。
「あ、先任」
「こんにちは、アルトリウスさん」
『おう、ハルヨシ、エルレイシア。散歩であるか?仲が良いな』
2人が現れたのを見てアルトリウスがにやりと口角を上げながら応じる。
「農場の視察ですよ。先任はここで何をしていたんですか?」
『なあに、我も何時もの巡回である』
ハルが苦笑しつつ答えた後の質問に対して腰へ手を当て、胸を張って答えるアルトリウスにエルレイシアが小首を傾げて質問を重ねた。
「巡回ですか?」
『おうとも、巡回である!』
余りにも力強い答え。
その違和感の正体が分からず、ハルとエルレイシアは互いの顔を見合わせた。
「先任?」
『巡回なのであるっ』
思わず声を掛けたハルが驚く程の勢いで言い切ったアルトリウスの背後から、ひょいと青い水の精霊が顔を出す。
『お待たせ~あれ?大神官様にハルヨシ君じゃ無い~あなたたちもデート?』
『だあああっ!!』
腕を取られ、胸に抱えられたアルトリウスが絶叫する。
『何故今のこの間合いで出てくるのであるかっ』
『え?え?なに?まずかった?』
すごい剣幕で怒鳴られ、アルトリウスの腕を抱いたまま目を丸くするアクエリウス。
その2人の姿に再び互いの顔を見合わせるハルとエルレイシアに、アルトリウスはばっと勢い良く振り向いて言う。
『これは違うのであるっ』
「何がですか?」
『……むうっ』
ごく普通の質問返しに思い切り言葉を詰まらせるアルトリウス。
怪訝そうな表情でその顔を横から見るアクエリウスをちらりと見遣り、それから正面にいるハルとエルレイシアをちらりと見る。
『……でーとである』
『それ以外の何があるって言うのよ?』
観念したようにがっくり項垂れて言うアルトリウスの腕をくいくいと引きながらアクエリウスが言うと、アルトリウスはブチブチとつぶやいた。
『ハルヨシが視察しておるというのだ。我にも威厳とか、見栄とか……そういう物も有るのである』
「先任……分かります」
つぶやきの中身を聞き取ることの出来なかったアクエリウスとエルレイシアは疑問符を頭に浮かべそうな表情でアルトリウスを見ているが、それを聞いてしまったハルは思わず言った。
そのハルの腕をエルレイシアがそっと取り、耳元に顔を近づけると囁いた。
「ハル、アルトリウスさんとアクエリウスさんはデートだそうです」
「いや、自分達は視察ですから……」
間髪入れずにすぱっと答えるハルに身体を寄せ、胸と腹部を密着させるとエルレイシアが再度囁く。
「デートだそうですよ?」
「ち、ちがいますよ」
腕と半身に伝わる柔らかさと甘やかな香りにドキドキしつつも辛うじて否定するハル。
その耳間近で三度エルレイシアの声がゆっくりと響いた。
「……デート、したいですね?」
「は、はい」
頭から煙を出しそうな表情で折れたハルを愛おしそうに見つめ、エルレイシアはアクエリウスにぴっと親指を上げる。
「これで良いですね?」
『……やるわね』
笑みを浮かべて言ったアクエリウスの目を盗み、アルトリウスがハルに耳打ちした。
『ハルヨシよ、互いに苦労するな?』
「……いえ」
同時期、シレンティウム郊外
今日は待ちに待った収穫の日。
大麦と黒麦がたわわに実るシレンティウム周辺の農場は、農民達の喜びの声で満ちていた。
エルレイシアが行った豊穣祭は威力を十分に発揮し、シレンティウムは大豊作。
ルルスもさすがにこれ程の成果が上がるとは考えていなかったらしく、検見を行った際には驚きを通り越して呆れた程であった。
本来開拓したばかりの土地は地味が薄く、大豊作にまでは繋がらない。
しかし、エルレイシアの豊穣祭とアクエリウスから得た肥料の御陰でシレンティウムはクリフォナムの族民達が今まで経験したことのないすさまじいまでの豊作となった。
今年はルルスの施策により、小麦栽培をせず、それ以外の麦を栽培するという大胆な農業政策も成功の一因であろう。
そして元来寒冷に強く泥炭地などの荒れ地でも育つ黒麦に、小麦より寒冷気候に強い大麦は、農民とルルスを始めとする農業庁の官吏達の期待を裏切るどころかそれ以上の収穫をもたらしたのだった。
シレンティウム西農場のテオネルは、一家総出で収穫に勤しんでいた。
テオネルが大鎌で麦を根元から刈り倒すと、少し離れたところから妻と子供達が麦を集める。
集めた麦束は、シレンティウムの農業庁から借りてきた千歯扱きと唐箕を使って脱穀するのだ。
数日間は刈り取り作業が一日中続くが、雨が降ることで麦が駄目になることを嫌がる農民達は一生懸命に麦を刈る。
あちこちで似たような作業が行われおり、シレンティウムは正に喜びの収穫期を迎えているのだ。
「すっごいね~むらにいたときだってこんないっぱい取れなかったよ~」
「すごいね~」
テオネルが作業を一段落させると、腕に抱えきらないくらいの麦束を抱えた息子と娘がよたよたとテオネルに近寄ってきた。
その後ろからは妻と収穫を手伝いに来た妹のティオリアが同じように腕一杯の麦束を抱えてにこにこしている。
「おう、ここは大神官様のお膝元だしな。おまけに……あんまり認めたくはないが帝国の農法の御陰でもあるか……」
むせ返るような麦藁と土の臭いが立ちこめる中、近寄ってきた子供達の頭を撫でながら複雑な表情で妻とティオリアにそう言うテオネル。
圃場整備や灌漑設備の整備の他にも、施肥方法や除草、栽培作物の選定に新しい輪作の導入など、今年は豊作の影響もあるので一概には言えないが、帝国の農法と技術によってシレンティウムは一般的なクリフォナムの農村に比べるとおよそ2倍近い収量を実現しているのだ。
ちょいと娘の鼻の頭についた麦藁のくずを取ってやりながら、見渡す限り広がる黄金色の農場を見遣るテオネル。
くすぐったそうに笑った娘が息子に誘われて走ってゆくのと同時に、シレンティウムの時鐘が鳴らされた。
麦束を置いた子供達が昼の休憩が近いことを知って集まり始めていたのだろう。
早速刈り入れの終わった農場へ向かい、追いかけっこを始める子供達。
そこには一年前命からがらこの都市へ逃げてきたとは思えない程自然で、平和な光景があった。
「全く、ボレウスの屎野郎に村を追われた時はどうなるかと思ったが……その追ったのと同じ帝国の辺境護民官に救われるとはな、これも太陽神様のお導きか」
テオネルが思わず言うと、妻がにっこりと微笑んでから口を開いた。
「そうね、太陽神様は子供も授けて下さったわ」
「え?ホントか!」
「兄さんおめでとう、アルスハレア様の見立てだと、生まれるのは来年夏頃だろうって」
驚いて妻の腹部を見るテオネルに、ティオリアが麦束をまとめながら言うと、テオネルは笑って妻を優しく抱きしめた。
「次も男の子が良いんだが……」
「あら?私はもう1人は娘が良いわ」
畑のど真ん中でイチャイチャする兄夫婦にティオリアが麦束を手押し車に積みながら苛立たしげに口を挟んだ。
「兄さん、義姉さんも!麦束どうするの~運んじゃうわよ!」
「……そういえば、お前はどうなんだ?」
その声で気が付いたように言うテオネルにティオリアの手が止まる。
「えっ?」
「仕事大変そうだけど、クイントゥスさんちゃんと致してるのかしら?」
「ええっ?」
更に義姉が言葉を継ぐと、ティオリアが目をあからさまに彷徨わせた。
「今度言っとくか!」
「い、言わなくて良いからっ、ちゃんとしてるから!」
兄の言葉に思わず反論したティオリアは、兄夫婦の意味ありげな含み笑いに自分が失言したことに気が付いた。
「ほう、ちゃんと、な」
「ちゃんと、ね」
「ううっ、しまった」
兄夫婦に引っかけられてしまい、真っ赤な顔でうつむくティオリアだった。
同時期、コロニア・フェッルム
鉱山の中はむっとするような熱気で包まれており、時折パラパラと土が崩れて降ってくる。
じっとり汗を掻いたペトラは、同じように大汗を掻いている一族の男達と共にアルトリウスがかつて掘った坑道に入っていた。
周囲は指向灯をやカンテラで照らされているとはいえ視界良好とはいかない。
「初めて入る坑道は何時になっても慣れないね」
「全くです」
ペトラの言葉に近くに居た一族の男が答える。
ペトラ達はコロニア・フェッルムに到着してから直ぐにアルトリウスが掘ろうとしていた鉱山を改めて整備し直した。
基礎が幾らしっかりしているとは言っても40年以上整備も使用もされずに放置されていた坑道はあちこちが崩れて埋まり、設備は腐ったり悼んだりして使えなくなっていたのだ。
坑道を拡張してから木材や石材で固め直して支柱と枠の木材を交換し、排水道を掘り起こしてトロッコの軌道を敷き直した。
そうして一通りの整備が終わってから採掘を少しずつ開始したのである。
北辺山脈の山麓に穿たれた横穴の先は、今までペトラ達が採掘してきた坑道に比べればそれ程深くはないが、地中に居るという圧迫感と暗闇は変わらない。
ペトラ達の採掘師集団は革兜にごつい靴を履き、革の手袋をしている。
もちろん円匙やつるはし、穿孔具を手にしていることは言うまでもない。
坑道の行き止まりに到着したところでペトラ達は分厚い鉄鉱石の鉱脈に行き当たった。
「これはすごい……」
ペトラが思わず声を漏らす。
長年採掘師集団の長を務めてきたが、これ程大規模な鉄鉱山にお目にかかることはそれ程ない。
一族の男達も皆同じ思いのようで、ゴクリとつばを飲み込んだりほうっとため息をつく声があち事から聞こえてくる。
「よし、早速試掘だ!取り敢えず純度の高そうな鉱石を持って帰るよ」
ペトラの号令で男達が動き出した。
その後銅鉱の坑道にも入り銅鉱石と鉄鉱石を採掘してきたペトラは、山盛りになったトロッコの山からそれぞれ1つずつ鉱石を取りだし、小さな木箱に入れて自室へと持ち帰った。
そして大切に保管していた鉄の箱を取り出す。
厳重に封印され、鍵までかけられている鉄の箱。
ペトラはその箱を開錠し、ゆっくりふたを開けると中から慎重に宝玉を取り出した。
宝玉はきらきらと緑色の光を周囲に漏らしている。
不思議な文様が幾重にも描かれたそのえも言われぬ美しさを持つ宝玉に、ペトラはそっと口を寄せて話しかけた。
「スフェラ、起きてくれるかい?仕事だよ」
ペトラの声に反応して光が大きく揺らめき、ふわりと大きな光が塊となって宝玉から飛び出した。
光の塊は次第に輪郭を形作り、最後は緑色の身体をした美しい精霊となる。
所々にきらきら光る鉱石のような物が張り付いているのと、身体や髪の色を除けば人と何ら変わりない姿をしているその精霊にペトラが声をかけた。
「おはよう、スフェラ」
『おはよう、ペトラ……って、随分早いわね?』
周囲を見回して訝るスフェラへ苦笑を返しつつ答えるペトラ。
「ああ、色々事情があってね、早速で悪いんだが仕事をお願い出来るかな?」
『ええ、いいわよ』
ペトラが採掘したばかりの銅鉱石と鉄鉱石の入った木箱を精霊に見せる。
「どうだい?上手くいきそうかい?」
『……うん、大丈夫、ここの鉱石は純度が高いからそれ程苦労しなくて済みそう』
鉱石をじっと見つめてから軽く手を触れたり、離れて眺めたりしていたスフェラが言うとにんまり笑みを浮かべるペトラ。
「そうかい、じゃあようやく私たちも落ち着けるって訳だね」
『でも……前にも聞いたけど、私ここの土地に定着しちゃっていいの?そうすると私は他に移れなくなっちゃうわよ』
手にしたそれぞれの鉱石を箱へ戻しながら、心配そうな顔で言う精霊にペトラは破顔した。
「良いんだよスフェラはそんな心配をしなくて。あんただって定着した方がより力を出せるし、暴走もしなくなるんだろ?」
『それはそうだけど……ペトラ達が居なくなるのは嫌よ?』
緑色の精霊、宝玉の精霊スフェラは美しい眉根を寄せて言うが、当のペトラはひらひらと手を振りあっさりと答える。
「大丈夫大丈夫、私たちは居なくなりやしないよ。ここの御領主は随分と気前と気持ちの良い方だからねえ……私たちもようやく定住出来ることになったのさ」
『本当!?すごいっ!おめでとうペトラ』
「ありがとう……だからあんたを普段から宝玉に封じておく必要もなくなったんだよ。これからは自由にやって良いよ、あんたが宿る物はここの大地で良いんだろ?これもお役ご免ってわけさ」
ペトラがかざすのは複雑な文様が幾重にも刻み込まれている、かつてスフェラを封じていた緑色の宝玉。
しかし今は光を失っており、空虚な緑色を映し込んでいるだけ。
『ええ……ありがとう、ペトラ』
「あははは、全く……最初は行き場がなくて仕方なしに昔なじみの嫌な奴に誘われるまま来たんだけれども、こんな良いことが待ってるなんてさ!全く持って嫌な奴だけど感謝はしなきゃね」
『喧嘩は駄目よ?』
「シッティウスと?」
心配そうに言うスフェラにペトラは答えると同時に爆笑した。
『そ、そんなに変なこと言ったかしら……』
契約者の爆笑に戸惑いを隠せないスフェラであった。