第21話 招魂祭
招魂祭日、シレンティウム市内
今日は招魂祭の日。
招魂祭とはクリフォナム人の夏季祭事である。
生を正しく全うし、彼の世へ旅立ったモノが1年に一度だけ此の世に戻る事の出来る日である。
帝国内では各家庭ごとに行われる先祖供養と由来は同じであるが、クリフォナムやオランの地では部族ごとや村邑ごとにこの祭事が行われる。
帝国人らセトリア内海諸国では先祖を個別に呼ぶが、クリフォナムでは神官や村長が彼の世と此の世の門を開く。
太陽神殿では、その儀式が今正に始まろうとしていた。
太陽神殿の大聖堂には大勢のシレンティウム市民が集まっている。
その前で、儀式を取り仕切るのはもちろん、太陽神殿大神官のエルレイシアである。
楓が試作した木蝋で出来た蝋燭が点され、太陽神を象った大理石のレリーフが浮かび上がる。
エルレイシアは大神官杖をかざした後に同じ大理石で出来た大聖堂の床を数度その杖で打ち鳴らした。
こーんと最後に乾いた音を残し、場は静まりかえる。
「逝きし者の遺志、送りし者の想い、太陽神の名の下に生ある者と生あらざる者の境界を侵す事なき限りにおいて、両者の和と縁結びつけん。太陽神の生まれ、更に生まれいずる時に限り、いざ開かれませ閉ざされし冥界の門」
静寂の中、開門詩を歌うように読み上げるエルレイシア。
その透き通った美声が人々の心へ染み込むと同時に、大神官杖の先から1つの点が奔る。
その点は複雑に別れ、神官杖を立てるエルレイシアの前に大きく、壮麗でありながらどこか禍々しさを感じさせる黒い門を床に描いてゆく。
最後に、門の頂点に終結した点が消え、エルレイシアが立つ位置をしたとする黒い光をぼんやり放つ門が出現した。
エルレイシアが床に跪き、扉の部分をそっと押した。
『古からの盟約により、今冥界の門は開かれた』
深く低い声が響き、床に描かれた門がエルレイシアの手を離れ地面に向かってゆっくり開いてゆく。
警備に付いていた兵士達が素早くその門の周囲に綱と柵を設け、人が立ち入らない措置をとった。
「こんな大きな冥界の門は見た事がない……相当数のご先祖様がこっちへ来られるぞ」
警備担当のレイルケンは昔故郷で村長が祭事を執り行った時のことを思い出しつつ、配下の十人隊を指揮しながらつぶやく。
あの時はせいぜい人が出入りできる程度の大きさだったが、今日太陽神殿の大神官様が開いた冥界の門は大聖堂の床一面に渡る巨大なものである。
しかも、あの声は恐らく冥界の神。
大神官とはいえ冥界の神が地上の者の言葉に応じるとは。
レイルケンや警備に付いている北方軍団兵達だけでなく集まっていたシレンティウムの市民達は、改めてエルレイシアの力の大きさに驚かされるのだった。
~テオネルの家~
『なにっ!帝国人を旦那にするだとう!!わしゃ認めんぞっ』
「落ち着け親父、帝国人だが気持ちの良い奴なんだ、認めてやってくれ」
のっけから怒声を放つ父親の霊を前にして、テオネルは思わず顔をしかめた。
『母さん!どうなっとるんだっ!1年いないうちに大変な事にっ』
『そうは言っても……村はもう無いのだし、仕方ないのじゃありませんか?』
いきり立つ父親の霊に反して母親の霊は穏やかに言った。
『母さんっ?』
「お母さん……」
驚愕する父親の霊と顔を上げるティオリア。
ティオリアは両親の霊から反対を受けることをある程度覚悟していた風ではあったが、やはり面と向かって反対されると辛いものがあるのだろう。
終始俯き加減であったが、母親の霊のその言葉でようやく2人の霊と相対した。
『ティオリア、その方はどうなの?無理矢理などではないのでしょう?』
「そうです、お互いに好きになって……」
『ならいいわ』
ティオリアの言葉とその時の赤い顔を見て満足そうな笑みを浮かべて言う母親の霊に、父親の霊が噛み付く。
『母さん!?相手は帝国人だぞ!』
『それを言うなら私だってシオネウス族じゃありません、隣のファズ族でしょう?』
『そ、それはでも同じオラン人の……』
しかし母親の霊に切り返され、父親の霊の勢いが弱くなる。
『同じことでしょ、私に結婚を申し込んだあの時のことを子供達に全部ばらすわよ?』
『母さんっ!?』
更に追討ちをかけられた父親の霊。
しばらく睨み合っていた2体だったが、とうとう父親の霊が折れた。
『……うぬぬ、わ、わかったお互いに気持ちがあるのなら認めてやらんことも無いっ』
「ありがとうお父さんっ」
「親父、有り難う」
息子と娘から感謝の言葉と表情を向けられ、照れたようにそっぽを向く父親の霊。
その光景を母親の霊はにこにこと笑顔で見るのだった。
~太陽神殿~
『娘よ、息災であったか?』
「父様……」
『エル、久しぶりね』
「母様まで……」
アルフォードとアルシレアの2人が揃ってエルレイシアとアルスハレアの元を訪れているのだ。
決して余所余所しくはない2人の姿を見て、エルレイシアの思いは確証に代わった。
父の話をしなかったのはむしろエルレイシアの将来を縛りたくなかったが故のことで、母は父を恨んでいたのでは無かったということである。
エルレイシアのほんわりとした笑顔に、アルフォードは笑顔を深くした。
『うむ、当然だろう?娘が嫁いだのだ、結婚式には出席できなくとも、祝福ぐらいは授けたいではないか』
嬉しそうな笑顔でその言葉を聞いていたアルシレア。
昔から余りしゃべる人ではなかったが、エルレイシアにはその気持ちが手に取るように分かった。
しばらく見つめ合っていた3人だったが、アルシレアは姉であるアルスハレアにゆっくりと向き直る。
『姉様もお元気そうで何よりです』
「そうね……まあ、もう少しでそちら側だとは思うのだけれども」
微苦笑し答える姉に、アルシレアも苦笑を返す。
『で、小僧はどこだ?あ奴にも祝福を授けてやろうわい!』
『そうですね、エルの旦那様とは一度じっくりお話ししてみたいです』
2人の言葉に少し答えにくそうにエルレイシアが口を開く。
「それが……父様と母様に挨拶をしたいと一度はこちらに来たのですが、ご先祖様方に連れて行かれてしまって……」
その言葉にエルレイシアの両親は顔を見合わせた。
『そうか、まあ、後で顔を合わせる機会もあるだろうから構わんか……』
『そうね……エルがどんな人を選んだのか楽しみだわ』
「とっても素敵な人ですよ母様!」
呆れかえるアルスハレアを余所に自信満々に答えるエルレイシアであった。
~行政庁舎屋上~
『貴様!栄えある秋留家を捨てて帝国の一官吏に成り下がるとは何事か!』
『しかも今度は群島嶼の領を捨ててこのような北方の蛮地に骨を埋めるだと!?』
「す、すいません」
『しかも当主に北方人の嫁を貰うとは!楓っ!貴様何をしておったのだ!?』
「ごめんなさい」
屋上に正座させられているのはハルと楓の2人。
それを囲んで詰っているのは、秋留家と秋瑠家の祖霊達。
取分けハルの父と祖父、楓の父が厳しく2人を問い詰めていた。
『時期を外れて呼ばれたと思えばこのような僻遠の地に呼び出され、あまつさえお家断絶の憂き目寸前の状態とは嘆かわしい……』
天を仰ぎ男泣きに泣く群島嶼の暑苦しい男霊達。
「ハル兄、ボク霊呼びってもっと穏やかなもんだと思ってたんだけど?」
ひそひそ声で招魂祭の群島嶼名でハルに尋ねる楓。
招魂祭に似た日は群島嶼にもあり、“霊呼び”と言われる祭礼が行われているが、確かに祖霊と供え物を挟んで和気藹々と語らうのが習である。
しかし楓の言葉にハルは首を左右に振った。
「お前は外へ出てから初めてだろう?俺は帝都に勤めていた時からずっとこんな感じだ。当主を辞めたと言っても聞き入れやしない」
「ハル兄……」
「耐えろ、今は耐えるしかない……」
げんなりした楓を諭すハルであったが、そこへ中年女性の霊が現われた。
『あら、ここにいたの楓ちゃん、元気でやってた?』
「あ、おばちゃん」
「母上」
群島嶼風の服装や顔立ちをしたその女性霊は、紛れもなくハルの母親。
『晴義も、まあ遠くへ来たものね、でも元気で何よりだわ』
『楓、もう良いから立ちなさいな、全く男どもはしょうもないことをぐだぐだと』
「ひいおばあちゃん」
もう1人現われた女性はハルと楓の曾祖母である。
『お前達っ話は終わっておらんぞ!』
霊同士で話し合いをしている内にハルと楓が立ち上がって女性霊達と話をしているのを見つけた群島嶼の暑苦しい面々が再び詰る。
うっと身を引いたハルや楓に代わり、ハルの母親が言う。
『もう好い加減になさいませ、子孫が遠く離れた地で頑張っているのを応援してあげようという気持ちはないのですか?』
『秋瑠家存続の一大事ぞ!?』
『源継の孫の源義が継ぐと言っているのですから良いではありませんか』
目を剥くハルの父親に対して諭すように語るハルの母親。
言葉は優しいが、目は笑っていない。
『源継め……そもそもあ奴がしっかりしておらんから……』
言い知れない迫力を感じた男霊達が少し弱気になり、同世代である源継にその矛先を向ける。
『終わったことを何時までも鬱陶しい!しゃっきりしなさいっ。この2人は北辺の地できっと秋留家の名を高からしめてくれます』
今度は曾祖母に一喝され、男霊達が遂にしおれた。
『……分かった』
『やむを得まい……』
『そういうことなら……良いだろう』
まだ何か言い足りなさそうなハルの祖父や父ら男霊達であったが、楓がとうとうしびれを切らした。
「もう難しい話は止めにしていろいろお話ししようよっ!時間あんまりないんだよ?」
『そうね、楓ちゃんの言う通りね……ハルのお嫁さんどんな人なのかしら?』
ハルの母が応じる。
「うん、すっごくきれいでいい人だよっ」
『ほう……それは一度会わなくてはいかんな』
「親父……」
楓の言葉にころりと態度を翻した父に、ハルは何とも言えない顔で言う。
「取り敢えずハル兄の部屋へ行こうよ、お菓子とお茶を用意しといたんだ」
楓の言葉でハル達は屋上からハルの部屋へと移動することとなった。
屋上へ最後に残るハルと両親。
『晴義、色々言ったが、お前の事だ、心配はしていない』
『後は楓ちゃんの面倒をよく見てあげなさい、奥さんも大切にするのよ?』
「分かってるよ、心配しなくて良いから」
両親からの言葉にハルは笑顔で答えた。
~行政庁舎執務室~
招魂祭の日は全般的に休業日であるが、シッティウスは今日も普段と同じように出勤して仕事をこなしていた。
『全くこんな時まで仕事か、お主のくそまじめ振りには呆れるわい』
「……シッティウス家のご先祖とはいえ、あなたと同じ血を引いているとは思いたくないものですな」
『わははは、それは無理な話だ、わしはお前の曾祖父、お前にもわしの好い加減でどうしようもない血が流れているのだ』
現われた曾祖父の霊を一瞥し、シッティウスは仕事へ戻ろうとするが、霊が居座るつもりなのを見て取ったので諦めて相手をすることにした。
「博打と放蕩生活で一族を崩壊させかけた張本人が、それを立て直した子孫を腐すのですか?」
『そうじゃない、もうちっと息を抜く時を作れといっとるんだ』
「お断りですな」
曾祖父の霊の言葉をにべもなく断るシッティウス。
しかし曾祖父の霊は諦めない。
『話の分からん曾孫じゃのう!そもそもお主みたいな上司じゃと部下が堪らんわい!良いか……』
「あなたから上司論を聞こうとは思いませんが?」
『良いから聞くのじゃ!そもそも上司たるもの……』
その遣り取りを陰から拳を握りしめ、固唾を飲んで見守るのはシレンティウム行政府に勤める官吏の皆さん。
「ご先祖様、そうですもっと言ってやって下さいっ」
「休暇をっ是非っ休暇を……」
「休憩を……せめて休憩をっ」
~行政庁舎地下2階~
相変らず祭事については身の置き場のないアルトリウスは、自分の墓所でぽつんと佇んでいた。
ほうっとため息をついた所に、外からがやがやと騒がしい音が近づいてくる。
何事か?
ここの場所は余人の知らないアルトリウスの墓所である。
訝しげに部屋の入り口を見つめていると、果たして現われたのはかつてアルトリウスと共にハルモニウム時代のこの街を造り、守った第21軍団の兵士達の霊であった。
あの時の破れ鎧では無く、今は全員がきらびやかな軍装に身を包み、焼き捨てた軍団旗まで掲げている念の入りようである。
もちろん全員が淡い光を帯びており、此の世のものでは無いのは言うまでもない。
『『『軍団長、お久しぶりであります!』』』
『お主達……』
目を丸くして驚くアルトリウスの前に整列し、敬礼した後唱和するように言う兵士達の霊。
しかしにやりとしている兵士達の霊を見て、アルトリウスは直ぐに何時もの調子を取り戻す。
『無事逝けたようであるな?』
『お陰様をもちまして、逝く前には子孫達に会う事も出来ました』
『お取計いの御陰です』
『ありがとうございました』
口々に感謝の言葉を述べる兵士達の霊にアルトリウスも口元をほころばせる。
『何の、我らは良き後任者に恵まれたのだ、辺境護民官殿にもご挨拶せよ?』
『それは先程済ませて参りました。あの折は言葉を失わしめられておりましたから、ご挨拶も出来ず申し訳ありませんでしたとお伝え致しております』
兵士達の霊の言葉に満足そうに頷くアルトリウスに、後段の兵士の霊達が声をかける。
『軍団長は、そろそろ如何ですか?』
『大元の呪いは解けました、最後の呪いは未だ解けていませんが……冥界の神がそれについては面倒を見ると申しております』
何のことはない、冥界の神から昇天のお誘いである。
アルトリウスは真摯な目を向けてくるかつての部下の霊達を見て苦笑すると、徐に口を開いた。
『悪いが我はまだ逝けん、此の世で、この地でまだ果たさねばならぬ事があるのである』
『……もう十分ではありませんか?』
最初に言葉を発した兵士の霊が言うと、アルトリウスは優しい目をして地上の方向である上を見た。
『ふふふ、我には責任と悲願がある、おいそれと昇天している暇はないのである。お主達と共に見た夢もあるしな、しかも今それが実現しようとしているのだ』
『軍団長……』
『……今日はわざわざよく訪ねてくれた、冥界の神には今しばらく猶予を下さるよう申し伝えてくれ』
しんみりした空気が流れる地下墓所。
しかし、兵士の霊達はぱっと顔を輝かせると言葉を発し始めた
『では、昔語りなど如何ですか?』
『あの輝かしき敗戦を今一度!』
『軍団長の敗戦記録を!』
『今も更新中ではないでしょうね?』
どっと笑う兵士の霊達。
兵士の霊達の要望と笑声にアルトリウスも笑顔で答えた。
『おお臨む所よ!この“何もさせて貰えなかった英雄”が為したことを語ってやるのである!』
シレンティウムの街中は死者と生者が混在する不思議な光景に包まれている。
今日は此の世と彼の世が秩序ある中で交わる日。
人の世と人の世にかつてあったものが唯一言葉を交わせる、不思議な優しさと、懐かしさに少しの切なさの混じる1年に一度の契約の日である。