第20話 北の蠢動と動乱の予感、劇団招聘
極北地域、ハレミア人バガンの大集落
大集落の中心にある大天幕。
ダンフォードは目の前に座る巨躯の持ち主と対面していると、酷く落ち着かない気分になった。
自分が望んだ事とは言え、今までは不倶戴天の敵として相対してきた相手とこうして間近にまみえると、恐怖感と忌避感、そしてその様相に侮蔑の気持ちがわき起こる。
粗末だが長大な獣皮の上に座るその男は、まともな上衣も纏ってはいない。
肩から腹にかけて申し訳程度に獣皮を編んだ物を巻き付けているだけで、ほぼ素っ裸と言える格好をしている。
肌はくすみ、伸ばし放題の髪はぼさぼさ、乱ぐい歯を剥き、髭は伸び放題の乱れ放題で整えるどころの話ではない。
しかしその目だけはぎらぎらと粘着く視線をダンフォードに送り続けていた。
その周囲には同じような……いやもっと見窄らしい格好をした男達が、剥き出しの剣を手にして立っている。
鞘という物がないのか剣は一様に錆と汚れにまみれており、お世辞にも鋭いとは言い難いもので、おまけによく見ると帝国製やクリフォナム製のものばかり、恐らく自分達で剣を鍛える技術がないのだろう。
おまけにこの臭い。
鼻が曲がりそうである。
「……族長殿、そろそろ返答を戴けないか?」
ダンフォードが腐臭に近い体臭に耐えながら静かに言うと、その男はげへげへと世にも怖ろしげで下品な笑い声を上げた。
「見返りは何だ?」
だみ声を響かせ、ハレミア人の大族長であるその男バガンは嫌らしい笑いを顔に張り付かせたままダンフォードに問い返す。
「……帝国の都市とその民に食い物だ、帝国の都市にはきらびやかな金銀が豊富にあるぞ、民は奴隷として使えば良いだろう、食い物は街に集めてある」
先程説明した内容と同じことをもう一度言うダンフォードに、バガンは腹を揺する。
どうやら大笑しているらしい。
「そんなうまい話にだまされるものか、お前らは敵だ!敵が良い話をもってくるはずがない!」
笑いを収めた途端にそう大声で言うと、バガンは厳しい腐臭のする屁を一発ひり出す。
そして臭い出した屁に対して心底嫌そうな顔をするダンフォードを見て、バガンはまた大笑いした。
一頻り笑い続けると、バガンはダンフォードを小馬鹿にしたような目で見て言い放つ。
「帰れ、フリードの小倅」
周囲の男達が用は済んだだろうとばかりにダンフォードをつまみ出すべく動き出す。
しかし、ダンフォードは不敵に笑うと切り札とも言うべきその言葉を口にした。
「……アルフォードは死んだぞ」
「何だと?」
色めき立つバガン。
周囲の男達も思わず動きを止めた。
「アルフォードは死んだ……噂は知っているのだろう?それは噂じゃない、息子の俺がはっきり言ってやる、アルフォードは死んでしまった。お前らの進路を遮る者はもういない」
ダンフォードの吐き捨てるような言葉にバガンの顔色がさらに変わった。
アルフォードが死んだという事はハレミア人の間へ確かに噂として広まってきていたが、長年自分達を完膚無きまでに叩き、抑え込んできたあの魔神のようなアルフォードが死んだとは誰も本気で信じていなかったのである。
特にハレミア人の族長の間でその傾向が強く、一部に様子見的な動きはあるものの、本格的な動きは未だ起こしていないハレミアの部族長達。
ここ40年にわたりアルフォード王とは戦う度に負けていたのですっかり怖じ気づいてしまっていたのだが、これは動物的な感性を強く残す蛮族であるハレミア人にとってはむしろ自然な反応であろう。
しかしハレミアの眷属とも言うべきフリンクの族長から紹介されたアルフォードの息子とやらが、そのアルフォードが死んだのは間違いないと言うのである。
それであれば話は別だ、あれほどの邪魔者がもういない。
この寒く痩せた土地を捨て、豊かで温暖な南へ移住することができる。
豊かな土地を奪い、奴隷を狩り、食い物を手に入れることが出来る。
そう考え込んだバガンに、ダンフォードがいやらしい笑みを浮かべて告げた。
「族長、あんたらにここより数倍収穫の見込める土地を紹介できるが……どうだ?」
「ふん……いいだろう、お前に道案内をさせてやる。但し!約束を破った時はどうなるか分かっているだろうな?」
「わ、分かっているとも。早速支度をしてくれ、ここから遙か遠くシレンティウムという土地だ、今から出れば収穫時期に間に合うだろう」
身を乗り出しながら言うバガンの凍てつくような視線に震えながらも、ダンフォードが答えると、バガンは満足そうなうなり声を上げ、乗り出していた身をゆっくり引いた。
「分かった、直ぐにみんなには準備させる…お前もついてこい」
存外素直なバガンの返事に、ダンフォードは外見を取り繕いつつも内実は喜びと達成感で飛び上がりたいぐらいの気持ちで頷いた。
それ程貧しい生活を強いられ続けていたと言うことだろう。
かつてであれば自由に南下し、略奪の限りを繰り返していたハレミア人であったが、アルフォードが優位に立ってからは逆に収穫期になると先手を打たれて攻め込まれ続けていたのだ。
その御陰で大量に出る餓死者や戦死者で冬の食糧が何とか保っているというのは皮肉な話であるが、気が付いているハレミア人は1人としていない。
ハレミア人にとってはアルフォードという巨大な壁が南への道を閉ざしていたのであるが、その壁がなくなった。
噂が確証へと変わるとなれば、ハレミア人は一斉に動き出すだろう。
これで20万とも30万ともいうバガン率いるハレミア人部族を先頭に、ハレミアの蛮族達は大挙してシレンティウム目指すだろう。
真性の蛮族たるハレミア人の恐ろしさは、その人的資源の無尽蔵さと、一切の文明化を拒み続けたその真なる野蛮さにある。
恐らく陥落した都市には布一切れ、麦一粒落ちてはいまい。
男は殺され、女は犯され、子供は奴隷として掠われる。
間もなくだ、もう間もなくそれがあの憎き帝国人の治める都市に訪れる。
絶望と破壊と暴力と劫掠の大嵐があの土地に吹き荒れるだろう。
「では、我々も準備を進めるので失礼する」
配下の戦士長達に指示を出し始めたバガンにそう言うと、ダンフォードは大天幕から外へと出た。
クリフォナムの地であればもうすっかり夏だというのに、この地には未だ肌寒さが残っている。
人間が荒れているから土地が荒れるのか、それとも荒れた土地に住む人間が荒んでいくのか、草もまばらなこの土地に生きるハレミア人の恐ろしさを新たにし、ダンフォードは率いてきた1000名の戦士を引き連れ、極北地域のハレミア人居住区を進むのだった。
同時期、リーメシア州・ポータ河畔
帝国第4軍団軍団長トレボニウスは頭の痛い問題を抱え込むことになってしまった。
第4軍団は今回南方遠征に参加する為に移動中であったのだが、その途中リーメシア州で足止めを受けてしまったのだ。
それというのも治安悪化に伴いリーメシア州で増加していた盗賊と交戦したからである。
交戦相手は既に盗賊というような生やさしいものではなく、紛れもなく盗賊団と呼ぶに相応しい規模と戦意をもっていた。
しかし幾ら大人数と雖も厳しい訓練を積んだ帝国軍団兵と正面からぶつかって勝てる道理もなく、コロニア・リーメシア近郊の戦いで盗賊団を苦もなく打ち破ったトレボニウス率いる第4軍団。
しかし問題はここから始まった。
コロニア・リーメシア市長であるパーンサから正式に盗賊討伐依頼を受けてしまったのである。
パーンサとしてみればこんな好機は他に無い。
頼りになる軍団が移動中とはいえ盗賊と交戦したとあればその脅威を把握しているはずと踏んだのである。
実際馬匹を大量に揃えた盗賊団は無視できない規模に育っており、トレボニウスもその移動速度の速さで背後を突かれることを嫌がった。
一方軍総司令部のある南方大陸のウティカ市からは、一刻も早く集結するようにと矢のような催促が来ている。
トレボニウスも皇帝に優先任務の裁定をして貰おうと思い立ったが、帝都の皇帝宮殿へお伺いを立てた所でまともな回答が来ないことは重々承知している。
正に板挟みになった訳であるが、トレボニウスは盗賊退治を優先した。
スキピウス総司令官宛に盗賊討伐で遅延する旨の報告を為した後は、盗賊の本体を壊滅させるべくリーメシア州内を右往左往してその本体を叩くべく動き回っていたのである。
ようやく盗賊の本拠地を突き止め、進軍している最中の第四軍団は、その途中のポータ河畔で盗賊団がこちらに向かって来ているという地元住民からの通報を受け、準備に入った。
副官が地図を広げながらため息をつく。
「これでまた南方出発が遅れてしまいます」
「全く面倒なことだが、苦しむ臣民を見捨てるわけにもいくまい」
トレボニウス副官にそう言うと広げられた地図を覗き込む。
「しかし我々だけではいかにも手が足りん。我が軍団は補助騎兵隊も居らん純粋な歩兵部隊だからな、打ち破ったとしても追討ちをかけるのが難しい。今回の盗賊のような身軽な輩を補足するのは一苦労だ」
本来は北方蛮族やシルーハに備えた予備部隊として帝都近郊に駐屯する第四軍団。
あくまで予備部隊で防御的な性格を持って編制されている為、重兵器や弩、弓の装備は充実しているが、追撃に向いた騎兵や軽装歩兵は付属していないのである。
先の対戦でも盗賊団を打ち破りはしたものの、追撃不足からさして打撃を与えたとは言い難く、故に数度にわたって盗賊から嫌がらせ的な攻撃を受ける羽目になった。
今回勢いを盛り返した盗賊が挑んで来るのも、分が悪くなれば逃げ散ってしまえば追い掛けてこれないと高を括っているからだろう。
「全く!どうして盗賊如きが馬を大量にもっているのだ!面倒で敵わん」
トレボニウスはそう愚痴をこぼして部下に戦闘配置の指示を下し始めた。
シレンティウム同盟最前線の城塞都市、フレーディア
第4軍団が盗賊討伐に苦戦している頃、フレーディアは一足早く秋の季節を迎えていた。
風向きが西から北に変わり、更には北から届く風に冷たいものが混じり始める。
小麦畑は早くも黄金色に色づいており、もう間もなく収穫期に入ろうとしていた。
太陽神殿へ入った男神官はなかなかの力の持ち主だったようで、豊穣際は族民達の満足のいく結果を生み、フレーディア近郊の収穫は例年通りの質と量が見込めそうである。
相変らずベルガンは王の間での執務を行っているが、ハルの継いだ王位を象徴する玉座は空のまま。
ハルから玉座を撤去しても構わないとの言を貰ってはいたものの、今現に王位に就いている方がいらっしゃるのだからと、ベルガンは撤去しないでそのまま残すことにしたのである。
この措置について他の宮廷官や戦士達もベルガンと全くの同意見。
残された玉座はハルがアルフォードから真っ当に王位を譲られたという証でもある為、ベルガンとしてはハルがフレーディアに滞在する際は玉座を使用して欲しいとまで考えていたものの、ハルは亡きアルフォード王に敬意を払ってという理由から使おうとしない。
しかしこの謙虚さも実はフリードの族民達に非常に評判が良いのだ。
フリード族の血を引くエルレイシアを嫁に迎えたことも相まって、フリード族におけるハルの人気と支持は徐々に高まり始めているのである。
そしてそんな中、城代に任じられたベルガンは、フレーディアの街作りに手を付け始めることにした。
ハルに以前から指示されていたこともあるが、頼りになる応援が到着したからでもある。
その応援が今フレーディア城の王の間に到着した。
「私がフレーディア城代のベルガンだ、宜しく頼みたい」
「おおう、ご丁寧にどうも……私がシレンティウム按察長官のティベルス・タルペイウスです。城代殿の噂は聞き及んでおりますぞ!」
王の間に現われ言葉と共に固い握手をベルガンと交わすのは、シレンティウム按察長官のタルペイウス。
今回ハルから街道敷設事業担当と併せて、フレーディアの都市改良事業担当に任じられたのである。
都市改良計画の主体はあくまでもベルガンであるが、計画立案と施工実施、更にはその助言をタルペイウスが行うことになっており、タルペイウスは帝国人の元退役兵からなる技師や官吏を多数率いてきている。
翻って労働者はクリフォナムの民を雇うつもりであるので連れてきていない。
これはシレンティウムの都市開発が一段落したからで、ハルから予算を気にせず存分にやって良いと言われ、タルペイウスは張り切ってフレーディアへとやって来たのだ。
一方ベルガンとしては技術的なことや実施について口を出すつもりはなく、族民からの要望吸い上げや族民との折衝を自分が担当していくつもりである。
そもそも優れた帝国の都市技術を解することはいかなベルガンと雖も一朝一夕には無理であるからで、その辺は割り切って考える事の出来るベルガンは早速その意見をタルペイウスに伝える。
「見ての通り帝国で言うところのエイセイカンリも十分なされていない街で、甚だ恥ずかしい限りだが、是非お知恵と技術を貸していただきたい。折衝と要望の受け入れ、族民との仲介は私が担当するので存分にやって貰いたい」
「お……なるほど、計画や施工については一任して頂けるということですな?」
ベルガンの言葉に目を丸くして発したタルペイウスの言葉に頷きながら、ベルガンは言葉を継ぐ。
「無論だ、専門知識を要する事業に門外漢が余計な口出しをしない方が良いということは十分承知しているつもりだ。しかし族民達の習俗や権利に関わることも多々あるのでその辺は慎重にやって貰いたい」
ベルガンの言葉に対してタルペイウスは厚い胸板をどんと叩き、にかっと男臭い笑み浮かべて答えた。
「任せて貰いましょう、ここをきっと誰もが住み良い街にして見せますぞ!」
「宜しくお願いする」
もう一度ガッチリと力強い握手を交わす2人であった。
タルペイウスはベルガンとの打ち合わせを済ませた後、早速部下の1人とフレーディア城勤めの宮廷官を1人連れて街の視察に出かけることにした。
ハルから聞いていたとおりフレーディア市街の様相は芳しくない。
ゴミと泥土に汚れた道と建物に不十分な舗装と排水機構。
低い土地は下水が溢れ、妙な臭いを放つ水たまりが出来ている。
フリードの族民達は疫病に免疫でもあるのだろうか?
これで夏場疫病を発生させずに乗り切ったというのだから信じられない。
シレンティウムは大理石の白色に象徴される美しく清潔な街だが、タルペイウスのフレーディアに対する印象は“黒い都市”であった。
城壁、街路、家、城、排水溝、人、全てが黒く汚れている。
上水は井戸水頼りであるが、おそらくこれ程街が汚れていれば井戸水も少なからず汚染されているだろう。
ベルガンが付けてくれた宮廷官に、タルペイウスは飲み水について尋ねた。
「ここらの井戸水はそのままで飲めるのか?」
「はあ、井戸水は必ず煮沸してから飲むように指導してはいますが……実際夏場などは生水を飲んで腹をこわしたり、病気になる者が多いです。フレーディアは少し川から離れておりますし、水汲みに行くのは大変ですので特に身体の弱い者や女子供は井戸を使う他ありません」
宮廷官が答えるとタルペイウスは難しそうに唸る。
やはり汚染はあるようだ。
「ううむ、水もまともに飲めんとは……」
煮沸する燃料代も馬鹿になるまい。
それなりに稼ぎのある者は良いが、貧しい者達にとって燃料費は大きな負担であろう。
そうこうしているタルペイウスの目の前を真っ黒になったクリフォナムの男達が通り過ぎた。
「あれは最近始まった石炭の採掘場に勤めている者達です」
訝しげな視線に気が付いたのか、タルペイウスが質問するより早くその男達について宮廷官が説明する。
既に近郊では石炭の試掘が始まっており、革の兜を被り、厚手のシャツにズボンを身に着け、ブーツを履き、つるはしを担ぐ真っ黒に汚れた男達が多数出入りしている様子が他でも見受けられた。
最寄りの炭鉱とフレーディアの間は街道で繋がれ、更にはシレンティウムまでの街道が現在延伸中である。
恐らく来春ころには帝国風の頑丈な石畳で出来た街道がフレーディアとシレンティウムを繋ぐだろう。
街道が完成し、輸送網が確立されればここで採掘された石炭がシレンティウムやペトラが市長を務めるコロニア・フェッルムに運ばれ、鉄鋼業が興されることになっている。
しかし、差し当たっては……
「うむ、これはまず上下水道と風呂だな!風呂と美味い水の素晴らしさをフレーディア市民に教えなければ!!」
タルペイウスは拳を握りしめて力強く宣言した。
同時期、シレンティウム行政庁舎、工芸庁
スイリウスの呼び出しにより、ハルとシッティウスは行政庁舎の1階にある工芸庁の部屋へ向かっていた。
そしてその後ろに何故かアルトリウスもくっついてきている。
『最近は間諜や刺客の侵入もなく、暇なのである』
とは当人の言動。
「そんなにたくさん来ていたんですか?」
ハルが驚いて思わずそう聞くと、アルトリウスは腕を腰に当て胸を反らせて答える。
『おお、かなり入り込んでおったぞ。大概はあほ貴族に雇われたどうしようもない下手どもだったがな、幾人かは見所があるので今寝返らせてやろうかと思って泳がしているのである』
「……まあ、その辺は宜しくお願いします」
ハルが半ば呆れ半ば感心した様子で言うとアルトリウスは胸を更に反らせて答えた。
『うむ、任せておくが良い!前回は間諜や刺客に随分と痛い目に遭わされたが、此度は我がしっかりと防ぎ止めておる故に、ハルヨシは裏を気にせず存分に政治に励むが良い!』
ハル達が工芸庁の部屋に入ると、スイリウスは一瞬アルトリウスの姿にびっくりした顔をしたが、気を取り直したのか早速近寄ってくる。
そして3人を促し来客用の机が置かれた場所へと案内した。
「……アキルシウス殿、行政長官……それから顧問官殿も……一つ提案があるので、聞いて欲しい」
言葉少なく話し始めたスイリウスは、ハルとシッティウスの前に1枚の羊皮紙で出来た広告宣伝紙を見せた。
アルトリウスがその後ろから覗き込む。
スイリウスが見せた宣伝紙の内容は、帝国やセトリア諸国で最も一般的な演劇の演目や役者名が記された物である。
古典ともいうべき悲劇と喜劇、そして神話や英雄譚を元にした活劇を織り込んだ演目内容が記されており、顔料で色鮮やかに仕上げられた宣伝紙。
「これは?」
帝国とはいえ南方辺境出身で、あまり演劇には詳しくないハルがその宣伝紙を手に取り顔を横に向けると、視線を受けたシッティウスが頷きながら口を開く。
「ふむ、これは帝国でも人気のある演劇団の宣伝紙ですな。スイリウス工芸長官はこの一座をシレンティウムへ呼び寄せよというのですかな?」
『うむ、まあ妥当な演目であろう』
更にその演目についてアルトリウスが感想を述べる。
「……そう、この他に帝国と東照の音楽団も招致したい」
別の宣伝紙を2枚示しながらスイリウス。
それを覗き込む3人の目の前には、西方共通語で書かれた音楽団の宣伝紙と東方語で書かれた東照の音楽団の宣伝紙が並べられていた。
「……工芸技術は、帝国からの技術吸収が上手く進捗しているので心配は無いです……縫製、織布、精錬、鍛造、鋳造、製材、木工、木細工、藁細工、編細工、鞣革、革細工その他諸々……については順調な発展をしている……日用品は全てシレンティウムで製造できるようになった」
物珍しそうに宣伝紙を眺めている3人に、スイリウスは自分の指を折りながらシレンティウムにおいて目覚ましい進歩をしている技術や産業を言い並べると、一旦言葉を切ってから3人の反応を待って言葉を足した。
「……だから、今度は街に文化的な楽しみを持ち込みたい……もちろん、クリフォナムの吟遊詩人や音楽家もどんどん招致する」
物静かではあるがどこか鼻息荒く意気込みを語るスイリウス。
眼が分り易くきらきらと輝いている。
「しかし……招致した後はどうしますか?一年中シレンティウムで講演し続けるわけにはいかないと思うんですが……」
「拠点はシレンティウムに置いてもらって、東照やその他の北方辺境の町や村でも講演を行って貰います、これは文化事業の一環としてやりたいので……出来れば採算が取れるまでは行政府から援助したいです……」
少しスイリウスの熱心さに気圧されながらもハルが疑問を呈すと、スイリウスがよどみなく答える。
それが終わると今度はシッティウスがその隣で疑問を口にする。
「しかし本当に招致は可能ですかな?言っては何ですが、ここシレンティウムは帝国から見れば北方最辺境の蕃地、そんな場所へわざわざ来てくれる楽団や劇団がいるとは思えません、それとかかる費用はどのくらいになりますか?」
シッティウスの疑問にもスイリウスは動じた様子を見せない。
それどころかわずかに微笑を浮かべている。
顔を見合わせるハルとシッティウス、アルトリウスの頭に浮かぶ疑問符を見たかのように、スイリウスは徐に話し始めた。
「……招致は心配ない、おそらく2つ返事で応じるはず……」
「どうしてですか?」
「その劇団……帝国で演目に入れてはいけない事になっている“何もさせて貰えなかった英雄~平民将軍アルトリウスの活躍~”“ハルモニウム陥落”を公演して、帝国貴族から睨まれてしまった……」
ハルの疑問にそう答えたスイリウスは、アルトリウスに物言いたげな視線を向けるが、当の本人はご満悦の様子で言う。
『ほう、我の活躍を演劇にとな?なかなか見所のある劇団ではないか!是非にも招致すべきであるなっ!』
「……先任の?それだけで?」
翻ってハルが言うと、アルトリウスを見ながらスイリウスが頷いた。
「そう、正に左遷劇団……私たちのお仲間……」
「……なるほど、そういう事情があるのであれば納得ですが……楽団の方は?」
納得しつつもシッティウスの新たな疑問に、スイリウスは黙って楽団が発行した宣伝紙の一行を指で示した。
3人が注目したその指先には“南方の勝利者、アルトリウス軍団の行進曲”と記されている。
『これもまた、なかなか見所のある楽団であるな!』
「……先任ってそんなにダメなんですか?」
やはりご満悦なアルトリウスであるが、一方のハルは少し痛ましそうに言うとスイリウスもこくりと頷く。
「そう……ダメ」
その言い方に引っかかりを覚えたアルトリウスが、抗議するように反論する。
『……ダメとは何であるかっ!それだけ平民の中で我の人気が高いと言うことであろうが。あほ貴族どもが勝手に我の人気の大きさにびびっておるに過ぎないのである』
「だからダメなのですな。今の貴族達はあまり平民の希望を煽りたくないのでしょう」
シッティウスの冷静な分析に再び頷くスイリウスが言う。
「そう……お客の大半は平民、その要望に添うとこういう目に遭う……でもお客は取りたいから、こっそりやる、そしてばれてしまって……潰される。今の帝国の芸術界は酷い……だから、誘えば必ず応じるはず。費用も安く抑えられると思う……」
「分かりました、ではその件はスイリウスさんの計画通りに事を運びましょう……そうか~先任のはダメなんだな」
スイリウスがハルの回答に対して嬉しそうな笑顔で頷くと、アルトリウスを見つつぽそっと言葉を付け足す。
「うん、ダメ……」
「ダメですな」
「ダメなんだ」
続いてシッティウス再度ハルが視線をアルトリウスに向けて言うと、アルトリウスはとうとういきり立った。
『……お主ら……我を見てダメダメ言うのでは無いわ!』