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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第2章 シレンティウム造営
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第19話 シレンティウムの夏

 監察から2週間後、シレンティウム東農場


 春に撒いた麦の種は芽吹き、順調に育っている。

 今は青々とした瑞々しい葉を天に向け、伸びている最中。

 帝国本土より寒冷である北方辺境にも夏が来ているのだ。

 ハルがシッティウスとルルスの2人を伴って視察に出た先で見たのは、一面に広がる麦畑の青々とした景色であった。


    ざざあっ


 熱気と麦の葉の青臭さをたっぷり含んだ一陣の風が3人の立つ場所を駆け抜けていく。

 ハルが後ろ振り返ると、風の波が麦の葉を薙ぎながら遙か遠く北の台地へと向かって行くのが望見できた。

 その見渡す限り緑色の大地をぼうっと眺めていると後方から声が掛る。


「寒冷地であることを考慮しまして、今回は大麦、黒麦、燕麦を中心に植えています。圃場整備に時間が掛かってしまって冬蒔きが出来なかった事もありますが、小麦は栽培していません。おまけに大神官様の祝詞のおかげで病虫害の心配がないとなれば、今年の豊作は決まったようなものです」


 ルルスは近くの麦の葉をいじりながら説明を続けた。


「南西の湿地帯であった場所と北の台地に近い場所には黒麦を、その他の場所は大麦を植えました。牧草と燕麦は東と西の一部で栽培を開始していますが……私はシレンティウムでは大規模な畜産は不要と考えています」

「それはどうしてですか?」


 ルルスの言葉にハルが質問する。

 アルマールやシオネウスの族民達はそれぞれ1、2頭の牛や山羊を飼っている者が多い。

 また帝国からの移住者達は鶏を連れてきた者が多く居り、シレンティウムにおいて畜産は既に行われているのだ。


「小規模で個別に行う畜産はそのまま続けて貰って構いませんが、行政府が手がけて大規模な畜産を行う事は不要と考えているんです。理由は畜産による生産品や食肉の供給が周辺地域からの移入で十分賄えている事、それらの地域に貨幣経済や販売網というものを認識させる事、それに伴う生産効率や生産手法を向上させる事、シレンティウムで本格的に始まった農業生産によって受ける打撃を補完する事などなど……まあ、たくさんありますが、分かり易く言うと周辺のクリフォナム人の農民達に“良い物をたくさん作れば良い値でたくさん売れるよ”という事を知って貰いたいんです」


 帝国式の最新式農法を導入しているシレンティウムに、他地域の農業が特に作物栽培で太刀打ちでき無い事は自明の理であるが、それだけでは村々に暮すクリフォナム人農民の為にならない。

 それどころか廉価な食糧が入ってくれば、農民達が生産意欲や労働意欲を失い村が荒廃してしまうかもしれない。


 幸いシレンティウムは移住者が多く大型の家畜はそれ程持ち込まれていないので、畜産業については少し発展が遅れている。

 クリフォナム製のチーズやバター等の乳製品は帝国内でも人気があるが、シレンティウムでも当のクリフォナム人が好きな食べ物なので飛ぶように売れていた。

 ルルスはこの点に注目し、食糧自体はシレンティウムが主体となって生産をし、消費分や備蓄分以外の余剰を出来るだけ東照や帝国へ輸出してクリフォナム農村の受ける打撃を減らそうと考えていた。


 そうは言っても巨大な生産力を持つものが突然直近に現われたことで受ける打撃は小さくは無い。

 価格は平準化する物であるから、シレンティウムで廉価な麦や作物が出回れば、それに引き摺られてクリフォナムの他地域でもそれらの価値が下がってしまう。 

 ルルスはそうして受ける打撃を補完する意味でも、周辺地域へは畜産物の生産とシレンティウムでの販売を奨励しようとしていたのである。


 クリフォナムの民は畜産については意を注いでおり、豚や山羊、牛などについては古くから家畜として利用してきた。

 アヒルや鶏の飼育も盛んではあるが、冬場の飼料不足から今までは最低限度の数を残して絞めて保存食料にしているのが実情である。

 しかしルルスはシレンティウムの農業生産でこの点を改善しようと考えた。


「牧草や飼料となる穀物の生産は行政府主導で行い、これを周辺のクリフォナム人へ廉価で販売します。そうなれば家畜の数は増えて畜産物の生産量が上がり、安い飼料を入手できる事によって畜産物自体の価格も安くなります」


 ルルスはそう締めくくると、感心したように頷くハルに近づき、ぎゅっとその手を握った。


「このように私の知識を存分に行かせる場所を用意して頂いたアキルシウス殿には感謝の言葉もありません!ありがとうございますっ!シッティウスさんも、提案を聞き届けて頂いて有り難うございます!」

「いえいえ……ルルスさんの知識のおかげですから」

「礼には及びませんな、すべき事をしたまでです」


 ルルスはシッティウスからの招聘を受けた際に直ぐさま返事の手紙を送り、シレンティウムの栽培作物について自分の所見を述べていたのだ。

 ルルスの知識と能力を知るシッティウスは、ルルスの手紙による提案を元に栽培する麦の播種を農民達に指示している。

 小麦栽培を行わない事に難色を示した農民達も、今年限りの措置である事を説明して納得させたのはシッティウスとハルの2人である。

 最初に握手した時にも感じたが、ルルスの手は年齢の割に節くれ立っており、がさがさしている上に、爪はすっかりすり減って丸々としているのだ。

 おそらく熱心に土を触り、作物を撫で、鍬を握っているからだろう。


ごほん


 その手にもう一度感心したハルがルルスの手をまじまじと見ていると、シッティウスがあからさまな咳払いをした。

 ハルが顔を上げると間近にルルスの潤んだ瞳があり、ハルは思わずのけぞる。

 ルルスも慌ててハルから離れるが心なしかその顔が赤い。

 ハルが怖いものを見るような様子でルルスを眺めているのを尻目に、シッティウスが資料を繰りながら発言した。


「籠城戦時の備蓄もありますから当分は食糧に困る事はないでしょうが、収穫の時が待ち遠しいですな。サックス農業長官の計画通り運べば、秋には誰もが驚く程の麦を確保できるでしょう……それから余談ですが……農業長官は余りアキルシウス殿に近づかないように、新妻殿から文字通り焼かれてしまいますぞ」

「は、はあ……すいません、つい」

「……ええっ」


 赤い顔のまま頭を掻くルルスに、ハルはやっぱりかと言った表情で距離を置くのだった。






 シレンティウム郊外、フィクトル蜜蜂牧場



 陽射しも随分厳しくなってきた昼下がり。

 農場の視察を一通り終えたハルはシッティウスとルルスを連れてそのままシレンティウム郊外の林へと向かう。

 その林は以前ハルが指示して残したものの一つであるが、少し小高い丘になっている事から自然と残される形となった場所でもあった。

 強い陽射しにハルとルルスは額から汗をにじませているが、シッティウスは手に資料を持ったまま汗一つかかずに平然と歩き続けている。


「シ、シッティウスさん……暑くないですか?」

「……暑いですな」


 ハルの質問に対して全く暑くなさそうな口調で答えるシッティウスに、ハルとルルスの2人はげんなりした表情で顔を見合わせた。

 その後話の接ぎ穂がなく、無言のまま歩き続ける3人。

しばらくしてようやく丘の麓に着くと、いつの間にか先頭を歩いていたシッティウスが後ろのハルとルルスに声をかける。


「ふむ、アキルシウス殿、着きましたぞ」


 シッティウスの視線の先には手書きでフィクトル蜜蜂牧場の文字看板。

 ハル達は新進気鋭の蜜蜂職人フィクトルの新たなる牙城に到着したのだ。

 



「おや、これはこれは皆さんおそろいで……丁度良かった、これから採蜜ですのでどうぞご覧になって下さい」


大きな麦わら帽子をかぶり、首筋には白い手布をかけ、大汗を掻きながら現われたフィクトルは訪問したハル達3人を見て相好を崩す。

 フィクトルはシレンティウム郊外に蜜蜂牧場を構え、春からせっせと蜜蜂の世話を続けているのだ。

 近くに建ててある作業小屋へ一旦戻ったフィクトルは、3人分の網が付いた麦わら帽子を持ってきてそれぞれに手渡す。


「私の蜜蜂たちは大人しいですが、それでも万が一と言う事もありますのでね。どうぞそれを被って下さい」


 奇妙な帽子を被った3人はお互いの姿を見て何とも言えない表情になるが、フィクトルは全く頓着せずそのまま3人を蜜蜂の巣箱を設置してある場所まで案内を始めた。

 作業小屋からほど近い所にある林の中の広場に、フィクトルの選りすぐったハチ達の住まう巣箱が幾つも置かれていた。

 蜜蜂たちは盛んに巣箱から出入りし、たくさんの花粉や蜜をせっせと巣へと持ち込んでいる。

 フィクトルはその様子を一通り愛おしそうに眺めた後、3人を誘って一番奥手にある箱へと向かった。


 フィクトルの蜜蜂は可動式の巣板が幾つも巣箱に入れられている方式のもので、このおかげで採蜜や内部の検査に非常に便利である上に、巣やハチを傷つけずにそれらを行う事が出来る。

 フィクトルは徐に巣箱のふたを取る。

 そしてふいごの付いた燻煙機へ木っ端を入れて火種を落として煙を立てると、ふいごを使用して煙を巣箱の中に送り込みハチ達を鎮めた。

 そしてハチ達が大人しくなったところを見計らって巣箱から巣板を一つ取り出し、優しく巣板から鳥の羽を使用してハチを除けるフィクトル。


 最後に薄い刃物を使って巣の上に張ってあるふたを切り落とと、その中にはきらきらと琥珀色に光る蜂蜜がみっちりと詰まっていた。

 ふたを落とされた事によってたちまち甘やかな匂いが周囲に立ちこめる。

 手際の良いその一連の作業を見たハル達は感嘆の声を上げた。


「すごいですね~」

「腕は衰えていないようですな」

「養蜂は実に素晴らしい……」


 フィクトルはハル達の歓声ににっこりしながら取り出した巣板を円筒形の容器に入れ、付属している取っ手をゆっくりと回転させて蜂蜜を巣板から分離させつつ話し始める。


「ここは今までハチがそれ程いなかったようで、採蜜量がすごいですよ……いや、まだこんな所が残っていたとは!」


 フィクトルの満面の笑顔にハル達も釣られて笑顔になる。

 しばらくそうして取っ手を回し続けたフィクトル。

 分離が終わった巣板を元に戻すとぶんぶんと飛び交うハチ達を避け、分離した蜜をもって3人を作業小屋へと誘った。


「ここではハチ達に蜜を取り戻されてしまいますからな、こちらで宝物を頂きましょう」






 フィクトルの案内で作業小屋へ入ると見た目よりも遙かに快適である事が分かった。

 ハチが入り込まないように随所に工夫が為されているが基本的に風通しが良く、作業に使う道具類などもきちんと整理されて置かれている。

 簡素ながら寝台や生活用品も置かれている事から、フィクトルはどうやらここで寝起きしているらしい。


「夏の時期は分蜂と言いましてな、ハチが家族を分けてしまう事が度々あるので気が抜けません。こうなるとハチの数が半分になってしまうので採蜜量は減ってしまうわ、新たな子供をたくさん育てるのでハチ達自身が蜜をたくさん使うわで大変厄介なのですよ」


 寝台を見ていたハルに気付きフィクトルは笑いながら言うと、3人の前に取れたての蜂蜜を入れた小鉢を差し出した。

 もちろん匙が付いている。


「とは言いましてもハチの群れを増やすには分蜂させなければいけませんから、まあ、今年はそれ程たくさんは採蜜出来ませんでしょうなあ」


 どうぞどうぞとフィクトルから進められるままに蜂蜜を口にするハル。


「上手い……!」


 匙でとろみの強い蜂蜜を少しすくい、口に入れた瞬間濃厚で芳醇な甘味が口いっぱいに広がる。

 ルルスもうっとりした表情で匙を口に入れている。

 その様子を見ながらフィクトルは再び相好を崩した。


「そうでしょう、そうでしょう……おや、シッティウス様はお代りですか?」

「えっ?」


 フィクトルの言葉に驚きハルがシッティウスの方を見ると、シッティウスは無言で小鉢をフィクトルに差し出そうとしていた。


「昔から甘いものには目がありませんでしてな。殊にフィクトル氏の蜂蜜は濃厚芳醇、とろみと舌触りが最高なのです」


 極々平然とした顔でフィクトルの蜂蜜をそう激賞し、ハルとルルスの驚愕を押しきるシッティウスにフィクトルがさも当然と言った顔で質問を重ねた。


「お褒め頂き恐縮です、今日はどのくらいお持ちになりますか?」

「そうですな……久しぶりでもあることですし、とりあえず一缶程貰えますかな。支払いは銀貨で?」

「ようございますとも、早速用意致しましょう」


にこにこ顔のフィクトルと、仏頂面のままではあるが心なしか楽しそうなシッティウスを唖然と眺めるハルとルルスであった。






 同時期、シレンティウム北の台地、黄櫨畑



「やたっ!芽が出てるっ!」


 楓は敷いた麦藁の隙間からひょっこり顔を出している冠黄櫨の芽生えを見つけて飛び上がった。

春先に群島嶼から持ち込んだ冠黄櫨と、このシレンティウムで採取した冠黄櫨の種をそれぞれ北の台地を中心に植えた楓。

 雑木林の間伐をした上で下草を刈り、種を植えた場所へは麦藁を敷いたのであるが、これは皆伝送石通信で故郷の大叔父である源継から教示された方法である。

 源継はハルと楓が連名でしたためた手紙に対し、かなりの憤りと歎きを込めた返事を送って寄越したが薄々こういった展開になる事を予想していたようで、最後は与えられた領地を栄えさせて民に報いるようにと記されていた。


 そして、その手紙には合わせて冠黄櫨は元々大陸由来の樹種である事、秋留家の先祖が大陸で有用樹種を探した際、群島嶼に自生している黄櫨とよく似た樹木を見つけてその種子を持ち帰った事が記されていた。

 先祖はその他にもいくつか有用植物や家畜を群島嶼へ持ち込んだようであるが、他の動植物は群島嶼の風土に溶け込み利用されて定着したが、冠黄櫨だけは余り利用されなかったが故にその由来がはっきりしたまま残っていたようである。


 源継の手紙曰く「使えるヤツはいても苦にならぬから由来も気にならんが、要らぬヤツは何故いるのだと、度々その由来を聞かれる」と言う事である。

 幸いにもと言うべきか、大陸の民に冠黄櫨の有用性は伝わっておらず、単なる雑木、害木の類いであるという認識しかない為に、今まで利用される事なく山々に自生しているだけであったのだ。

 群島嶼の冠黄櫨は群島嶼の温暖な気候に適応し若干変異しているようであるが、自生しているかどうかも分からない木を探し出し、種を一から採取して回る手間暇を考えればこちらの種子を持ち込んだ方が早いと考えた源継が楓に冠黄櫨の種子を持たせたのであった。


「源爺……元気かな。」


 シレンティウムへ居残る事を決めておいて今更であるが、さすがにあの豪放磊落な源継らしからぬ歎きの文面を見て楓は少し心を痛めていた。

 最後は源義を後継に立てる事に同意をしてはいたが、その歎きの深さは察するに余りある。

 ましてやその歎きの原因の一端は自分にあるのだ。

 そんな事を思いつつ楓は足腰頑健なクリフォナムの民や陰者を使い、山の斜面に芽吹いた冠黄櫨の芽に直接被らないよう丁寧に麦藁を避け、その上に3本の枯れ枝を使って三角錐型の風よけ兼獣避けを作る事にした。


 目立つ工作物を残す事で獣の忌避感を誘い、また手入れをする人の目から苗木の位置を分かり易くする為の物で、これも源継の手紙にあった山地で苗木を育てる際の技術の一つである。

 黙々と枝を立て蔓で三角錐の頂点部分を縛る楓。

 しばらく作業を一心不乱に続けていると、昼休憩の時間を告げるシレンティウムの時鐘の音が北の台地にまで聞こえてきた。


 が、いっこうに作業を止める気配のない楓に、陰者が声をおそるおそるかける。


「楓様、もうそろそろ戻りませぬか?昼休みの時間でございますが……」

「……帰りたくないなあ」

「……晴義様ですか?」


 少し呆れを含んだ陰者の声に、楓は作業の手を止めてキッと鋭い視線を浴びせた。


「そうだよっ!文句あるっ、た、耐えられないでしょっ、あんな甘甘空間っ!」

「はあ……それは、まあ……」

「前はキリッと……こう、ピリッとしてたハル兄がさあ~エル姉に完全に骨抜きにされちゃってさっ!一緒に居る時はずっとくっついてイチャイチャやってるんだ……やってらんないよっ!」


 大げさな身振りと手振りを交えて憤りを隠そうともせずに語る楓に、こんどははっきり呆れた様子でため息をつく陰者。

 そして別の陰者が改めて楓に声をかけた。


「しかし……」

「なにっ?」

「姫様は昨夜も眠られていないのでは?」

「うっ……それはっ……」


 一旦はぎりっとその陰物を睨み付けた楓だったが、そう言われた途端に顔を赤く染め、視線をそらして黙り込む。


「晴義様の御寝所の警備など我々にお任せ下されば良いものを……」

「そ、それはでもでもっ!」


 絶対無理っ!


 心の中でそう叫ぶ楓。

 ハル兄とエル姉のあんな姿やこんな様子を赤の他人に見せられる訳がない。

 そんなことを思いつつ自分はしっかり事の一部始終を見届けている楓。

 おかげで昨夜どころか結婚式以来毎晩のように寝不足が続いているのだ。

実は昨日もすごかった!


 どうやったらあんな……


 そうして楓が今日も寝不足なのは言うまでもない。


「楓様?」


 楓がその時の様子を思い出し、赤くなったまま下を向いて黙り込んでいると、陰者が心配そうに声をかける。

 陰者の声に我に返った楓は慌てて顔を上げて一気に言葉を発した。


「と、とにかくダメっ、寝所の警備は身内にしか出来ないのっ!」 

「いえ、別段直に部屋を覗き込まなくても出入り口と外を抑えておけば宜しいかと思います。そうであれば交代も可能でしょう」


 最初に休憩を進めた陰者が諭すように言うと、楓が少し落ち着いた様子で返事をする。


「う、うん……」

「いずれにせよ街へ戻らずとも休憩は出来ます。一旦作業は止めに致しませんか?」

「わかった……休憩にするよ」


 陰者の言葉にようやく楓は落ち着きを取り戻して休憩を宣言すると、陰者の1人があちこちへ走って作業中の者達に休憩を告げて回り、やっと昼休憩が始まるのだった。





 同時期、シレンティウム・東照大使館



「おーすごいネこれは、めったにない薬草ヨ~」


 ホーが感嘆の声を上げつつ、シレンティウムの薬草商から持ち込まれた薬草を吟味している。

 その傍らには東照城市大使の介大成がいるが、場所を提供しているだけで特に口を挟む要素がないため、笑顔を浮かべつつも黙って見ているだけ。

 ホーはいちいち大げさに頷いたり感嘆したり、意見を述べたりしながら薬草を吟味し続けている。


「はー、これもすごいネ!棒茸ヨ!」


 ニヤニヤしながらホーが取り出したのは、いつぞやエルレイシアが持ち込んで大騒ぎとなった滋養強壮に効き目のある薬茸。

 その効能は遙か遠い東照でも知られているぐらいの有名な品である。

 持ち込んだ薬草商の老婆もニヤニヤしながらホーがいじくり回す棒茸を見ていた。


「ホーさん、商品の吟味を進めてくれませんとお話が進みません」

「……お主、さっさとやらんか」


 一方その様子を呆れながら見ているのはアルスハレアとアエノバルブス。

 アエノバルブスは個人で病院を開き、帝都同様大いに族民達から信頼を得ており、また弟子も多数取って帝都の最新医術を伝授している。

 大神官を退いたアルスハレアの方は一介の太陽神官となったが、ハルの要請で太陽神殿に付属する薬事院の院長に今回就任したのであった。


 エルレイシアと共に薬草や薬用生物の分類や生態、精製法に生育法を書物化する事業を進めると同時に、アルスハレアはシレンティウムに出入りする薬草商を使って各地の薬用植物や薬用動物の分布を調査し、アエノバルブスの知識や薬学の書物を参考にシレンティウムでの薬草栽培計画を進めている所である。

 使用頻度が高くかつ生態がある程度知られている冷熱草や解毒草、傷薬になる軟膏草や禁創草などは既に農場の一部を使用して栽培が試みられていた。

 その一方薬草や薬用動物、それに薬用鉱物などの研究や開発を薬事院で行いつつ、偽薬や毒物、粗悪品の監視と摘発を治安庁と協力して実施している。


 アエノバルブスに加えてアルスハレア自身が深い薬草や治療に関する知識を持っている事もあり、おかげでシレンティウムの医療事情は非常に良好で、わざわざその技術を学びにクリフォナムやオラン各地から薬師や医師が集まり、また治療を受けに訪れる人が増えていた。

 以前から薬事院では薬師や治療術師、医師の養成や雇用、派遣も行っている為、アエノバルブスと共に引退したはずのアルスハレアは思わぬ多忙の中に身を置く事になってしまったのである。

 しかし忙しくなった当の本人は気にした様子もなく、むしろその忙しさにかまけていられる事に対して喜びを感じている風でもあった。




「おー申し訳ないネ、すぐやるヨ~」


 アルスハレアからやんわり、アエノバルブスから手厳しく窘められたホーは慌てて薬草の選別に戻る。

 今日はシレンティウム周辺地域で採取できる薬草の内、東照で使用されていたり知られていたりする物で、今後継続的に東照へ輸出可能なものを選別しているのである。

 長期の保存と輸送に耐える物でなければならない為、生薬はほぼ無理であるが、乾燥や塩漬けにしても薬効が落ちない物であれば問題ない。

 既に冷熱草など葉を乾燥させて保存が可能な物が選ばれていたが、薬効の高い物は生薬が多く、東照でも値の張る物は余り長期保存に向かない薬草がほとんどで結果は芳しくない。


「う~んこんなもんかヨ……あんまり多くはないネ~」


 ようやくホーが選び出したのは数種類の薬草のみ。

 いずれも乾燥させて使用したり、乾燥させた後で煮出して使う物など保存の利く物ばかりであった。


「取扱いに注意が必要な効果の高い薬品の販売はやはり無理なのですねえ……」

「まあ、帝都でも使っているのは余り保存の利かない薬ばかりだしのう。仕方ないか」

「そうヨ~」


 アルスハレアとアエノバルブスの言葉に頷くホー。

 残念そうな2人にホーはぽんと手を叩いた。

 不思議そうに自分の方を見る2人に、ホーはにっこりと笑って口を開く。


「でも、方法がないわけではないヨ」

「それはどういう方法ですか?」


 身を乗り出して尋ねるアルスハレアへ、ホーは得意げに答えた。


「東照ではよく使う手ネ、丸薬にしてしまうヨ!」

「ガンヤクとな?」


 ホーの言葉に首を傾げるアエノバルブス。

 西方帝国にもクリフォナムにも丸薬なるものは存在しないからである。

 ホーはアエノバルブスの言葉に一つ頷くと、その有用性について説明を始めた。


「まるい薬のことネ。薬草や薬品を上手い方法使って一旦粉にしてからハチミツを混ぜてまるく固めるヨ!そうすれば効き目そのままで物は腐り難くなるネ。ここではハチミツ作ってる聞いたネ、きっと出来るヨ~」

「……なるほど分かりました。しかしそのガンヤクという物の製法は分かりますか?」

「残念ながら製法はワタシ知らないネ~」

「ううむ……そうか」


 残念そうに呻くアエノバルブス。

 そんな2人に少し申し訳なさそうに答えるホーへ、アルスハレアは更に質問を重ねた。


「どうにかなりませんか?」

「う~ん……じゃあ、塩畔でココへ来てくれる東照の薬師探すヨ。それがダメでも丸薬の製法を書いた書物手に入れてくるネ!」

「そうですか……それでは宜しくお願いします」

「是非頼む、それから薬師が確保出来た場合でも書物は手に入れてくれ」

「任せるヨ!」


アエノバルブスとアルスハレアに対して胸を叩いて頼もしく応じるホーであった。



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