第18話 南方大陸と監察、過去の約束
初夏、南方大陸帝国領・サウシリア州、ウティカ市
ウティカ市は西方諸国人が興した町であり、南方大陸と西方諸国との交易で栄えた町であるが、帝国がセトリア内海沿岸を制するに至って自主的に帝国の支配下へ入った町。
セトリア諸国の共通的な特徴を持った町ではあるが、帝国の都市とは若干趣が異なる。
そして未だ初夏と言って良い時期なのだが、照りつける太陽は既に陽気を通り越している。
市場には市民達がそれなりに集っているが、どこか怯えたような落ち着かない様子でせわしなく買い物をしている。
市民達の暑い気候に適した隙間の多い服装や大ぶりな目鼻立ち、浅黒い肌からは陽気そうな雰囲気を受けるが、全員が一様に視線を地に落とし、用が済むとそそくさと立ち去っているのだ。
開放的な店構えや看板にそぐわず、店主や店員達もあまり商売に集中できていない様子が窺えた。
その原因は直ぐ明らかとなる。
「おらあ、どけどけえ!」
先触れの兵士が槍を振り回して道行く人々を威嚇すると、買い物をしていた市民達は一斉に街路や店の中へと逃げ散る。
後方に続くのは軍旗を先頭に隊列を組み、狭い市場や椰子の木が植えられた街路の中心を我が物顔で行進して来る帝国兵たち。
かつては南方諸族も来訪し、活気に満ちていたウティカの市内であるが、その町中を闊歩しているのは今や帝国の将官や兵士達ばかりであった。
南方大陸に足掛りを持たなかった帝国が60年程前に西方大陸伝いに小さな砦を築いたのが南方大陸帝国領、サウシリア州の始まりである。
以来本当の足掛り以上の役目を果たさない時代が20年弱続いたが、そこに赴任してきた若き平民将軍アルトリウスがこの状況を一変させた。
度々押し寄せてきていた南方諸族の軍勢に対し、それまでの将軍は金品や食料を譲って南方諸族の攻撃をしのいでいた。
わざわざ交渉料という名目での予算が組まれていた事実から分かるとおり、帝国軍は砦の守備兵として1000余りしか置いておらず、万を超える南方諸族に対する術が無かったのである。
しかしアルトリウスは赴任すると現地人を兵士として採用し、厳しい訓練を施した上で軍を増強し、それまで1000を切る程度だった守備兵を3000余りに増やした。
更にアルトリウスは南方諸族で最も帝国に友好的だった遊牧民のサウシリア族を帝国側に寝返らせる。
それを知らずにいつもどおり砦へ押し寄せた南方諸族。
アルトリウスはサウシリア族と連絡を取りつつ頃合いを見て砦から打って出、援軍に現われたサウシリア族と敵を挟み撃ちにして打ち破ったのだった。
いつも通り交渉の後に金品を貰って引き上げるだけと油断していた3つの部族の首長はことごとくアルトリウスの持つ白の聖剣の餌食となり、部族軍は壊滅。
余勢を駆ったアルトリウスは、自軍とサウシリアの部族軍を率いて3部族の本拠地へ傾れ込む。
最後に3部族の応援に現われた南方の大部族、ゴーラ族の大軍を潰走させた所で帝国の上層より停止命令が届いた。
西方帝国は平民出身で派閥に属さないアルトリウスの躍進を嫌ったのである。
現に最大部族を破ったアルトリウスに抵抗する勢力は周辺に無く、彼にそのまま全てを任せていれば南方大陸のセトリア内海沿岸地域はことごとく帝国の手中に収っていたはずだった。
しかし帝国内の政治事情がそれを許さず、アルトリウスは帝都へと召還される。
アルトリウスが制した僅かな領土はそのまま西方帝国領に編入されて、帝国領サウシリア州となり現在に至るのである。
そのサウシリア州はウティカ市の都市参事会議場には、帝国南方派遣軍の首脳陣が勢揃いしていた。
軍総司令官スキピウスを筆頭に
副総司令官ヒルティウス
国境守備隊南方管区司令官マロー
第2軍団軍団長マキシムス
第16軍団軍団長カルトー
第17軍団軍団長ラベリウス
第18軍団軍団長シアグリウス
第19軍団軍団長ウルソー
新設第101軍団軍団長カトゥルス
新設第102軍団軍団長ティティウス
新設第103軍団軍団長スラ
がいる。
第2軍団は帝都守備を主任務とする最精鋭。
第16軍団と第17軍団は元々南方に配置されていた軍団である。
第18軍団は東北のコロニア・リーメシア、第19軍団はその南にあるポートゥルス・リーメスがそれぞれ本来の駐屯地で、本来は北方蛮族とシルーハに備える軍団である。
しかしハルの活躍によってアルフォード王が討たれ、北方蛮族の軍事的な活力が低下した為、今回南方作戦に引き抜かれたのだ。
そして新設の3個軍団は北東管区国境守備隊から転用された兵士達で編制されており、軍団司令部がいち早く最前線へ移動してきた。
アダマンティウスの素早い手配で兵士達も既に編制が終わり、今は帝国本土から船での輸送を待つばかりとなっている。
「ふうむ、集まりが悪いな!」
冒頭からスキピウスが不満を爆発させた。
「仕方ありません……第6軍団と第7軍団、第10軍団は帝国北西辺境の守備が主任務ですから、到着まで少なくとも半年以上かかります。第4軍団はリーメシア州で盗賊団と交戦中で遅れるとの連絡が来ております」
「たるんどる!!気合いが足らん!」
ヒルティウスの合理的な説明にも納得せず、があんと鉄鋲の入ったサンダルで大理石でできた床を蹴りつけたスキピウスは苛立ちを隠そうともせずにそうがなり立てた。
スキピウスが予定した開戦期限はとうに過ぎていたが、そもそも政策決定から半年での開戦など土台無理な話であり、ヒルティウスにとってこの遅延は織り込み済みであった。
むしろ北方辺境からこれ程早く兵士や軍団が送られてきた事に驚いている位である。
引退間際とは言え帝国軍最古参の将軍であるアダマンティウスの非凡な実力を今更ながら思い知り、ヒルティウスは感慨無量であった。
人並みに栄達を望めば、今スキピウスが座っている椅子にはアダマンティウスが座っていた事だろう。
そうなれば自分も今の地位にはいないだろうが、西方帝国や帝国軍にとってはその方が幸せだったかも知れない。
「遅い遅い遅い遅い!何をやっているのだ!!?」
ヒルティウスが感慨にふけっていると、スキピウスがいつものかんしゃくを暴発させた。
げんなりした軍団長達を余所にスキピウスは好き勝手に後れている軍団の悪口を言い立て、後方支援役の官吏達の不手際を呪い、明確な阻害行動を取ってはいないものの自分の構想に非協力的な貴族に罵声を浴びせる。
現在この地に実際ある帝国軍は5個軍団2万5千に補助兵1万。
それに国境警備隊の1万が自由に動かせる。
アダマンティウスから引き抜いた3個の新設軍団は未だ兵士達は到着していないが、これが到着して1万5千が加わり、ようやく6万の帝国軍が揃う。
予定では後4個軍団2万に補助兵8千が加わって、8万8千もの帝国軍が南方大陸の奥地に向かって進撃する事になっていた。
スキピウスは今春に戦端を開くよう命令したが、それは諸事情から到底無理な事である為開戦は来春末を目算していたヒルティウス。
今のところ糧秣や馬匹、馬糧に武具、消耗品の集積も順調ではある。
しかし未だ開戦に足る程の量では無いし、国境警備を行いつつの侵攻である為今の兵数では十分とは言い難い。
当初10万の兵を予定していたが、執政官から補給や兵士補充の目処が立てられない事や予算の都合から随分と兵数を削られてしまった。
これは貴族達が金銭や物資の提供を渋ったからで、帝国の予算だけでは確かに10万の兵士を賄いきれない。
軌道修正を余儀なくされたヒルティウス。
彼の目算では現有兵力で実行可能な作戦はセトリア沿岸地域制圧が限界であったが、スキピウスはそれでも当初の南方大陸北部地域制覇を諦めていない。
確かに創意工夫とやり方によってはそれも不可能では無いが、残念な事にスキピウスはその創意工夫や凝ったやり方が出来る将官では無い。
真っ正面からぶつかり叩き伏せるしか能が無い将官であるため、副官であるヒルティウスは常に敵に倍する兵力を揃える事に腐心してきた。
逆に言えば前線指揮官以上の能力はないのであるが、それでも勇敢で敢闘精神は人一倍ある為、群島嶼制圧戦争では華々しい活躍をし、その戦功でスキピウスは遂に総司令官の地位にまで上り詰めてしまった訳である。
「我が西方帝国が世界制覇を為す為には、この南方大陸の資源と土地がどうしても必要なのだっ!!直ぐに開戦だ!兵を揃えろ!!」
長々と誰もが聞き流す演説をぶったスキピウスは、これまた何時ものようにそう締めくくったものの真剣に聞いている軍団長は正直誰もいない。
今や誰もが世界制覇などは夢物語である事を理解している。
そのような機会が帝国にあったのは100年も昔の話。
英雄が競って現われて活躍し、帝国に世界を呑む気概と勢いと運があった輝かしき時代はとうに過ぎ去ったのだ。
40年前に現われた帝国最後の英雄アルトリウスは政治闘争に敗れた挙げ句左遷の憂き目に遭い、一時の成功を経て最後は北方辺境で果てた。
以来帝国は停滞と衰勢の中に有り、覇権は徐々にシルーハ王国や西方の新興諸国へと移りつつある。
「いざ行かん!!帝国の明日の為に!!!」
しかしここに自分を英雄と勘違いしてしまった男がいたのである。
いつも通りの主張ではあるのだが、ずっと周囲からやり込められて自分の意見を取り下げさせられている為どうやらスキピウスは随分と不満を溜め込んでいた様子。
今日は今までにも増して迫力があり、声の調子も一段高い。
ヒルティウスが諫言を躊躇していると1人の軍団長が立ち上がって意見を述べた。
「総司令官、未だ準備の整わないまま開戦に踏み切ったところで、大部族には太刀打ちできません、ここは物資の集積を待ち、十分な兵力を揃えてから臨むべきです」
「……貴様あっ!敗北主義者は立ち去れい!士気が下がるっ!」
「いいえそれは違います、私は敗北を望んでいるのではありません。敗北する可能性が高い事を指摘しているだけです。敗北する可能性はそれこそ可能な限り低くしなくてはいけせん。きっちり戦う準備をしないまま開戦し、物資不足や兵力不足になれば、かえって士気を下げる結果となります」
すさまじいスキピウスの叱声をものともせず、呆気に取られるヒルティウスや他の軍団長達を余所に、その軍団長、新設第101軍団軍団長フラウィウス・カトゥルスは極々冷静に言葉を継ぐ。
「それが敗北主義だというのだ馬鹿めっ!!世捨て人ぶってるアダマンティウスの糞爺はいけ好かんが、教えを受けた貴様も実に気に喰わん!賢しらに意見するなど100年早いわっ!!」
「アダマンティウス将軍は私の師とも言うべき人ではありますが、何と言われようとも今開戦をする訳にはいきません。満足に埠頭の整備も終わっておらず、群島嶼の水軍がなくなったとは言え海賊の跳梁で航路の安全確保も不十分。このような今後の補給の目処が立たない状態での開戦は断固反対です」
「なああんんだとうううっっ!!?」
ぴしゃりと言い捨てられて怒り心頭に発したスキピウスが青筋を額全体に浮かせ、顔面を真っ赤にして拳をぶるぶると震わせる。
「お待ち下さい総司令官!真の英雄とは部下の意見を聞き入れるものです」
剣に手をやりかけたスキピウスを見て咄嗟にヒルティウスが言うと、ぴたりと動きを止めるスキピウス。
そしてそれまでの怒りの表情もどこへやら、にたっと笑うと浮かした腰を椅子へと戻す。
手はもちろん机の上で組まれており、剣に伸ばした素振りを微塵も感じさせない。
「うむっ!そうだな、英雄は寛大なものだなっ!!よし、兵が揃うまで開戦は延期とするっ!」
ヒルティウスと軍団長達はほっと胸をなで下ろすが、カトゥルスら北からやってきた軍団長達は互いに顔を見合わせた。
しかし兎にも角にも、これで少なくとも帝国軍の兵力がきちんと整うまで開戦は見送られる事になったのであった。
同時期・シレンティウム行政庁舎
シッティウスとカウデクスの指示で、行政庁舎の執務室へ予算や財務に関連する書類が集められ、その項目ごとに並べられる。
しかしその量は決して多く無い。
ハルと並んで座っていたユリアヌスが訝しげに首を傾げた。
「なんだ、これだけか?」
「未だこの都市は徴税をしている訳ではありませんし、本格的に始動し始めて1年と経っていませんから、財務関係の帳簿と言ってもこのような物しかありませんわ、殿下」
ユリアヌスが持ち込まれた書類を見て拍子抜けした様子で答えると、財務長官のカウデクスがあでやかに微笑みながら答えた。
その言葉に唸りながら、ユリアヌスは言葉を発した。
「しかし、3個軍団もの兵士を養い、官吏を雇い、学習所を建てて、薬事院を経営し、これほど短期間で都市造営、街道整備、農地の開墾と圃場整備、水路開削、湿地帯の干拓を行ったんだろう?どこから出たんだこの金は?」
「殿下、前期からの繰越金はご覧になりましたか?」
「うん?繰越金?……ああ、これか、って……何だこれは!大判金貨89325枚!?」
カウデクスから言われて一番手元にあった書類をめくり、ユリアヌスが繰越金の欄をみるとべらぼうな数字が記載されていた。
「ちょっ……!?ちょっと待て待てっ、何だこれは!?」
「繰越金ですわ」
「そう言うことを言ってるんじゃない!」
『ふん、我の在任中に中央官吏共がせっせと集めて貯め込んだ金である。この都市で集められ、この都市で集計された歴とした予算であるぞ。それを我の後任者であるハルヨシに引き継いだだけのことだ、何か文句があるのか。帳簿もほれ、そこにあるのである』
アルトリウスが示すのは汚くもきっちり整えられたハルモニウム時代の予算表。
失陥した日にきっちり“後任者へ引継ぎ予定”とも書き込まれている。
ユリアヌスがその古臭い40年前の書式で記され、綴られた予算表を開いてその記載を見つけ、呆れたように言う。
「……アルトリウス、あんたまだこんな裏の手を持ってたのか」
『失礼な、裏も何もないわ。都市は我が40年間にわたって保持してきたのだ、帝国の帳簿にもクリフォナ・スペリオール州とハルモニウム市の記載があろう?』
その言葉にユリアヌスは複雑な表情でアルトリウスを見た。
確かにクリフォナ・スペリオール州の失陥は帝国内の公式文書に記載されていない。
今も州から辺境護民官担当地域に格下げされているとはいえ、きっちり帝国の公文書には残されているのだ。
そして、アルトリウスはハルが来るまで毎年第21軍団長兼クリフォナ・スペリオール州担当官として年賀の任命式で名を読み上げられ続けていた。
ハルがシレンティウムを復興した事でようやくアルトリウスの名が削られたのである。
「……まあな」
『そういうことだ』
苦々しげに言うユリアヌスを見たアルトリウスが勝ち誇ったように答えた。
「特に……問題は無いな」
「そうですか、まあ、そんな問題は最初からありえませんが」
最後の帳簿を閉じながら言うユリアヌスに対し、シッティウスはすらりとそう答えて帳簿を回収し始める。
その様子にユリアヌスは口角を少しゆがめて言った。
「お前……本当に変わってないな、よくそれでやってこれたもんだな」
「そうですな、今の上司は私が何を言っても受け入れるだけの度量も度胸もあります。以前仕えたどこかの腐れ貴族や腰抜け上司と違いましてね。かと言って責任から逃げるわけではありません。馬鹿正直なところは玉に瑕ですが」
「……それだけ言っても怒らないんだから相当なんだな」
シッティウスの言葉に、特別顔色を変えることも無く傍らにいたハルを見てユリアヌスが呆れて言う。
こちらを見つめているユリアヌスにハルは首をかしげながら問いかけた。
「どうしましたか?」
「なんでもない……いや、お前凄い奴だなあ……」
「え?」
ハルの不思議そうな顔にそれ以上の言葉を継ぐ事をあきらめ、ユリアヌスは設けられた監察官席から勢い良く立ち上がった。
「これにおいて全ての監察は終了した。シレンティウム市の財務や行政に不備や不手際、不正は認められない!これからも励むように!以上皇帝代理の監察官としてユリアヌスが宣言する」
シレンティウムの監察は不備なく終了したのであった。
監察後、シレンティウム行政庁舎・地下
監察終了後、ハルとユリアヌスの2人はアルトリウスから行政庁舎の地下へと呼び出された。
理由を問う2人にアルトリウスは『来れば分かるのである』といい置いて消えたのだ。
顔を見合わせて訝る2人であったが、監察も終了し書類を片付け始めたシッティウスたちの邪魔にもなるので、執務室を後にし2人で地下へと向かったのである。
『おう、来たであるか2人とも』
2人が階段を下りた先にはアルトリウスが待っていた。
行政庁舎の地下は未だに整備が行き届いておらず、昔のハルモニウムの軍団庁舎の時代のままであるため壁は薄汚れており、時折ねずみが走るものと思しき小さな音がする。
水はアクエリウスが供給しているため、ハルがここを始めて訪れたときのような淀みや腐敗は無いが、地下の雰囲気にそぐわしいゆったりとした早さで廊下の端を流れている。
カンテラを手にしたハルとその後ろに続くユリアヌスにそう声を掛けたアルトリウスは2人が返事するよりも早く、自分の周囲に青い鬼火を浮き上がらせた。
周囲の様子が青白く浮き上がる。
『ま、ちと暗いのであるが我に続けば差し支えない、こっちである』
アルトリウスの案内で進むと、奥にもう一段階段があった。
巧妙に曲がり角を使って隠されている為、近寄らなければ分からないその階段を下りた先には幾つかの部屋があるが、その一番奥の少し広い部屋へ入ったアルトリウス。
続いて入るとそこにはぽつんと一つ、石の大きな箱が置かれている。
他には何の飾りも無い。
「先任、ここは?」
『うむ、我の墓所である』
「墓所?」
『そこに石棺があろう、それが我の身体が納められておった棺である。首はないが……ま、いずれにせよもう朽ち果てておろうがな』
「ふん……」
ユリアヌスが無言でアルトリウスを見つめていると、アルトリウスが皮肉っぽく言う。
『ユリアヌス殿下とやら、帝都の廟に我の身体はないぞ?知っているのであろう』
「ああ、聞いた事があるよ」
ユリアヌスが言葉少なく答える。
「あの御伽噺は本当ではなかったんですね?」
『その御伽噺がどうなっているのか詳しくは知らんかったが、最近子供達が学習所でその下りを音読するのを聞いて知ったのである。まあ御伽噺であるからな、流れだけで後はほとんど真実とは異なるのは仕方なかろう』
ハルの言葉にアルトリウスは両手を広げて答えた。
『ハルモニウムは援軍を約束されていたのだ。他でも無い現皇帝陛下のマグヌスによってな……しかし援軍は来なかった』
『まあ、ちと昔話を交えて話をしようではないか。ここであれば余人が来る心配もない、ユリアヌス殿下とやらにもハルヨシに話したい事があるだろう?』
アルトリウスは自分の棺の上に腰掛けると、そう前置きしてから徐に語り始めた。
『我はどの派閥にも属していなかったのであるが、皇族であったマグヌスとは馬が合ったのでな、奴が軍に所属していた折は仲良くしていた。立太子した時は本当に嬉しかったものである。マグヌスは頭の出来が良く、今の帝国の閉塞が何処から来ているのか的確に見抜いていた、それは偏に皇帝に力が無いからである、とな』
「どういう事でしょう?」
アルトリウスの謎解きのような言葉に更に質問するハルに、ユリアヌスが代わって解説を加える。
「最終的な責任や決定権は皇帝にあると規定はされているんだが、実質的に帝国を動かしているのは別の者たち、つまり軍、官吏、貴族だな。今の皇帝はただその地位にあって軍や官吏、貴族が進める施策を追認するだけの存在に成り下がってしまったんだ……ここに全ての元凶がある」
「本当の権力はないと言う事ですか?」
ハルの言葉に頷きつつユリアヌスは言葉を補足した。
「だから本来皇帝宮殿の後ろで座ってりゃいい俺みたいな皇族が、兵やお供の人間も無く直々に出張って来て間諜の真似事や使節の代わりをしないといけない。まあ、出張って来たと言えば格好は良いが、じじいが……現皇帝が政治的な信頼を置ける、本当に信用できる人間はもう俺ぐらいしかいないってことだ」
自嘲気味に言葉を重ねるユリアヌスに、ハルは思わず言葉を漏らす。
「皇帝陛下がですか?」
「ああ、皇帝陛下が、だ」
そしてアルトリウスが口を挟む。
『今や帝国皇帝に本当の意味での力は無いということであるな。兵を動かす権限は軍部に握られ、財は貴族に握られ、行政は官吏共の思うがまま。皇帝が何かを動かそうと号令したところでそれぞれの者の思惑に乗らない限りはまず何も動かん』
「しかし制度というのはそういうものでは?組織が上手く動けば動く程、頂点に立つ人間は仕事が無くなってゆきます」
ハルの言葉に頭を左右に振りつつ皮肉っぽく口を歪めてユリアヌスが答えた。
「かつてはそれでも良かったが、その権限を持った者達が強くなり、その上てんでばらばらに帝国を動かそうとしている。これが今の帝国の乱れの元だ。つまりは芯が無い。じじいはこれを正そうと長年努力してきたが上手くいかなかった……だからそれぞれの持ち込む施策を天秤に掛け、余計な物をそぎ落とす代わりに良い部分があればその施策を実行する、あるいは敵対派閥をあおって施策を潰させるなどして何とか今までやって来たんだ」
ユリアヌスの解説にハルとアルトリウスが頷く。
そしてアルトリウスが語りを再開した。
『そこで我らは一計を案じた……我が北に左遷されたのを利用し、北で力を蓄えた我がマグヌスの皇帝即位の暁には軍事面と財政面で協力しようと。もちろん我の部下は皆このことを知っていた上で協力してくれたのであるが……最初は順調であったのだがなあ。今思えば浅はかであった。ハルヨシには以前語ったが、ハルモニウムが中央官吏に目を付けられた。マグヌスにこの動きを掣肘してくれるよう頼んでいたのであるが、あ奴は何もせんかった……実際は何もできなかったのかもしれんが、まあそういう事である』
アルトリウスは寂しそうに言い一旦言葉を切ったが、ハルとユリアヌスが神妙に聞き入っているのを満足そうに眺めると言葉を継いだ。
『徴税や差別意識に凝り固まった官吏共によってクリフォナムの民が不満を募らせることも容易に予想できたのである。しかしあれほど大規模な反乱に発展するとまでは思っておらなかったのであるが、まあそれでも我はマグヌスに万が一の時は援軍の派遣を求めたていたし、皇太子ともなればそれぐらいは出来るとあ奴も約束してくれたのであるが、結局のところ援軍は来なかった』
「それが、クリフォナムの大反乱ですね?」
ハルの言葉に対してアルトリウスは頷きながら言う。
『我らには脱出するという選択肢もあったのであるが、我はマグヌスを信じ、兵士達は我を信じた……故に籠城する事にしたのである。結果として5か月の長きに渡って粘りぬいたが部下達は次々に倒れ、残された兵士達だけでは都市を守りきれぬと判断し我は最後の賭に出たのである……ま、今更言っても詮無い事だ、我は賭けに負けてしまった』
アルトリウスは自分の棺をぽんと叩くまねをする。
当然手は棺に触れる事はない。
ユリアヌスがその姿を痛ましそうに見ながらも言った。
「しかしいくら英雄アルトリウスと言っても無謀な賭に出たものだな、大怪我をしているのに彼の英雄王に勝てる道理はないだろう?」
『何を言っている?満身創痍の我がアルフォードに勝てないのは当然であろうが。我が討たれるのは計画の一環であったのだ……謂わば掛け金である。我が負けたのはマグヌスが来るか来ないかという賭けにである』
ユリアヌスに向き直ったアルトリウスは語る。
『北の動乱を収めればマグヌスの威に服するものも出てくるだろうと思ったのである。それに平民の英雄といわれた我の敵討ちを為せば、帝国市民はマグヌスを支持するだろう?市民の強い後ろ盾を得られれば、マグヌスが皇帝になった際に自由度が増すと考えたのであるが、これもダメであった。我はアルフォードに首を落とされ、その首を旗印の上に掲げたアルフォードは開城を迫ってアダマンティウスの守る当時の関所へ押し寄せたが、アダマンティウスが固守したが故にアルフォードは引き上げたのだ……翻ってマグヌスは何もしなかった。それこそ何も出来なかったのかもしれんがな……』
「……」
『マグヌスがその後も来たという話は聞かんのである。マグヌスはそのまま順当に3派閥の上に立って皇帝に即位しようであるな……我との約束や夢は忘れ果てたと見える』
遠い目で何も無い壁を見つめるアルトリウス。
かつて自分の身を犠牲にまでして帝国に尽くそうとしたアルトリウスの衝撃的な話に、ハルとユリアヌスは言葉を失った。
絶句する2人を余所にアルトリウスの話はまだ続く。
『最初はそれでも仕方ないと思っておったのでな、部下をまとめてしばらく彷徨っていたが、しばらくして……うむ、そうであるな……数年経って様子がおかしい事に気が付いたのである。何と言っても誰1人昇天せんのであるからな!そうしているうちにこの都市から離れられなくなっている事に気が付いた、これは呪い以外の何物でもない。そして呪いの元にも思い当たった。我も西方帝国の将官であったのでな、亡霊化して未だにユリアルス城に居るというリキニウス将軍の噂を聞いておった故に我らに掛けられた呪いも同じものだろうと分かったのだ。更に数年が経過し、元帝国兵の山賊が悪戯をしに来たのでちょいと脅しつけてやったところ腰を抜かしてしまったのでな、色々話を聞いた。するとあろうことか皇帝になったマグヌスがその呪いをなしているのだという、これには我も愕然としたのである……裏切りどころの話ではない』
「それは……」
「……」
言葉を途中で失うハルに対し、ユリアヌスは顔をアルトリウスから背けた。
アルトリウスはその姿を見てふっと笑みを浮かべて口を開く。
『故にユリアヌス。我はお主ら皇族と西方帝国の事を毛程も信用しておらん。責任を果たす能力も責任も無い者が軽々しく期待しているなどと言う言葉を口にするのでない。曲がり形にも皇族、権勢はあるのだぞ?』
「発した言葉を取り消すつもりはないが、肝に銘じよう」
ユリアヌスが目をアルトリウスに合わせて答えると、アルトリウスがその目を怒らして言う。
『では聞こう。ハルヨシがフリード王である事を不問にするのは何故か?』
「不問というわけではないが、有り体に言えば今回の監察範囲に含まれていないからだ」
『ふん、ものは言い様である……そうして時が来ればそれをあげつらい、我らの足を引っ張る心づもりであろうが。違うか?』
「じじいがどうだったかは知らないが、前にも言ったとおり俺は派閥とは完全に距離を置いている。何度も言うがこの都市には頑張って貰いたいんだ」
「どうしてですか?」
今度はハルが質問を投げかけた。
ユリアヌスは幾分ほっとした顔で答える。
「それは……いずれは俺の後ろ盾になって貰いたいからだ」
「後ろ盾?シレンティウムはようやくクリフォナムの3分の1程度を緩くまとめたに過ぎません。そんな私たちに何を期待するんですか」
「期待しているのはこれからの可能性だ。俺は西方帝国を立て直したい。帝国を乱している官吏と軍、それに何より貴族の強すぎる力を削ぎ落としたいが俺には何もない。今のままだと立太子できるかどうかも怪しい。実際軍は自分達に近い伯父のユニウスを推し始めているし、貴族派は皇位から遠いじじいの伯父に当たるグラティウス家と組んでなにやら画策している。中央官吏派は一応皇帝であるじじいの意向に沿うと言ってはいるが、おそらく俺の大叔父のマエドゥス殿下を推すだろう」
「支援の中身をはっきり言えば……どうなりますか?」
言葉を切るユリアヌスを促すハルに、ユリアヌスは一度天を仰いでから答えた。
「これはまだ言うつもりはなかったんだが……俺が帝位に就くのを後押ししてくれ、場合によっては帝都まで兵を出して欲しい」
『正気か?』
「そんなことを……本気ですか?」
衝撃的な発言にさすがのアルトリウスも目を剥き、ハルは辛うじてそれだけを答えた。
「俺は真剣だ、まだこのシレンティウムは力不足だが、半年暮してみて分かった。この地には今の西方帝国にない希望と未来、そして意志がある」
「……」
ハルの無言を肯定と捉え、ユリアヌスは熱っぽく言葉を継ぐ。
「皇帝や皇族には手足が無いも同然だ、まずは手足を作る事から始めないといけないが、その手足になりそうな才能と気骨ある者はことごとく貴族の馬鹿どものわがままのせいで潰されている。しかしそんな仕打ちを受けても頑張っている奴らがいる場所がある」
ハルへ意味ありげな視線を送るユリアヌス。
その視線を受けたハルは顔を歪めて口を開いた。
「それがこのシレンティウムという訳ですか?ユリアヌス殿下、お言葉ですが私が以前漏らしてしまったとおり、この地は西方帝国とは一線を画そうとしています。最後はおそらく西方帝国の制度を取り入れはしても別の国となるでしょう」
ハルがはっきり言うとユリアヌスは眉を少し顰めるが、その言葉に対しては特に何も言及せずポリポリとこめかみを掻く。
そして何かを諦めたように一つため息をついてから話し始めた。
「ああ、それは分かっている。制度や法適用の基準は全く違うし、そもそもここにはいわゆる“帝国人”がいないんだからな……ここにいるのは元帝国人にオランやクリフォナムの民達だけ、それだって元の形じゃない。今ここでは帝国でもクリフォナムでもましてやオランでもない“シレンティウム人”が育ちつつあるんだ。それは半年近く暮してみてよく分かっている。この地は“いずれは”ではなく“もう”西方帝国じゃあ無い」
「……ではどうして?それに我々が何れかの勢力にユリアヌス殿下の意図を告げたらどうするつもりですか?」
「ま、お前がいる限りはそんな事はしないだろうけどな」
ハルが言うもののユリアヌスは間髪入れずに答える。
「俺が期待したのはお前にだ。何の縁もない場所で幸運な出会いがあったとしても、ここまで部族の信頼を得て、都市を発展させたお前の誠実さと意志で築いた力を借りたい。西方帝国を立て直す手伝いをして欲しい、頼む」
「……」
「とは言ってもまあ……今日明日の話じゃ無い。第一じじいはまだ生きてるしな。数年後か10年後か、いずれにしてもそう遠い未来じゃ無いが、今では無く未来のことであるのは間違いない。それに何も無償でとは言わない。俺が帝位に就いた暁にはハルを“北の護民官”に任じ、クリフォナ・スペリオール、クリフォナ・インフェリオール、クリフォナ・オリエンタ、ノームリアを“北方護民官領”と為し、その他の北方辺境地域については北方護民官の領有優先権を認めよう」
ハルに与える土地を帝国の地域区分で言うユリアヌス。
その地域は現状のシレンティウム同盟に参加する部族の勢力圏をほぼ網羅しているのみならず、クリフォナム人の住み暮す地域全域を示している。
この他に北方辺境地域に含まれるのはオラン人の住むオラニア・オリエンテとハレミア人が主に暮す帝国未踏の地である所の極北地域だけであるが、それについても優先権を認めるという。
『“北の護民官”の権限はどうなるのであるか?』
アルトリウスの問いにユリアヌスは肩をすくめて答えた。
「独立国と思って貰って構わんぞ。ただ対外的には帝国に属する“北の護民官”を名乗る事が条件だが……どうだ?」
結局答えは保留せざるを得なかったハル。
言葉だけを聞けば非常に好条件ではあるが、危険も多い。
第一帝都に進軍するとなればそれだけで反逆者と捉えられかねないからだ。
衰えているとは言え帝国の動員できる軍兵は25万。
大陸の西部を制し、セトリア内海沿岸に覇を唱える紛れもない超大国なのである。
その皇位継承に巻き込まれてしまえばどのような事になるかは火を見るより明らかであろう。
用は済んだと先に地下室を出たユリアヌスであったが、去り際に「俺にも後がないし他に手段はないんだ。」と言い置いていった。
その姿を見送り、ハルとアルトリウスは暗い地下室の墓所で佇む。
アルトリウスが徐に口を開いた。
『ハルヨシよ……我は反対はせぬ。そもそも我は既に過去の者であるからな、そのような事についてとやかく意見できる立場にはないのである。今を生きる者達が選択し、努力し、結果を得るのだ。しかし我の経験と失敗については今伝えたとおりである、よく考えるが良いのである』
「先任……」
『ふふん……そのような情けない顔をするのではない、我も生きながらえてさえおれば今を生きる者達の輪に入れたのであるが、それは言っても詮無い事である。我は今を生きる者に期待をする他無いのである。ハルヨシよ、我は前にも言ったがお主に期待しているのであるからな、裏切ってくれるなよ?』
情けないような、いたたまれないような顔で自分を見るハルにアルトリウスはそう言うと、触れられないその肩へ手を置く仕草をした。
『ふむ、触れられんと何とも締まらないのであるな……ま、頼んだぞ、またこの地で何時来るかもしれん“良き後任者”を待つのは色々骨が折れるのである。おまけに今度は部下もおらん。そうならば暇で仕様がない』
自分の言葉に力強く頷くハルを見てアルトリウスは笑みを深めるのだった。