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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第2章 シレンティウム造営
39/88

第16話 辺境護民官の結婚式

 初夏の日、シレンティウム


シレンティウム市街はかつてない喧噪に包まれていた。

 シレンティウム同盟に参加する各部族長が護衛兵と家族、それに部族の主立った者達を引き連れてシレンティウムを訪問している為である。

 行政区にある空き建物がそれぞれの部族に宿舎として割り当てられ、それ以外の見物人やいずれはシレンティウム同盟に参加したいと考えている部族の者達がプリミアの差配する官営旅館に逗留していた。

未だ失恋の痛手から立ち直ったとは言い難いプリミアだが、それでも忙しさが悪い気持ちを紛らわせてくれる。

今日も料理やお酒の大量手配できりきり舞いしている官営旅館。


「館長!お酒が足りません!」

「館長!アルマール族の猟師さんが来ました。大猪を一頭買って欲しいそうです!」

「館長~ベッドが壊れました~」

「館長っ、会場の方から料理追加の依頼が来ました、至急という事ですっ」


 次々とプリミアの指示を求め、職員達がやってくる。


「会場の料理は、譲って貰ったイノシシを使って下さい。お酒はサックスさんに依頼しておきましたから、シレンティウムの官営倉庫へ配給許可書を持って行って下さい。ベッドは地下の倉庫に予備があるから失礼の無いように手入れしてから入れ替えて」


 てきぱきと指示を下しつつ、自分は新しい宿泊客のリストを持って部屋割りを考える。

 敵対している部族や余り仲の良くない部族も宿泊している。

 慎重に部屋や階を割り振らなければ流血沙汰になってしまう事だってあり得るのだ。


「館長~」

「なに?」

「間もなく時間です~出席の準備をして下さい~オルトゥス君が待っています」

「そうですね……分かりました、直ぐに行きます……」


 はっと我に返ったプリミアは、声をかけてきた職員にそう返事すると踵を返した。





 ルキウスはアルトリウスと組み、治安官吏を引き連れて南街区の一画へと向かっていた。


『ここに来る間諜や刺客はことごとく我が無力しておる故にな、然程も心配ないと思うのであるが……一か所気になる所があるのである。害意はなさそうなのだが、まあ、ちょっとおかしい』

「いや、助かります、こう言った時は申し訳ないがあんた頼みだ」

『うむ、任せておくがよい』 


 そう言うアルトリウスの先導でルキウスと治安官吏は一軒の真新しい家を取り囲んだ。


「ここですか?」

『うむ……間違いないのである。おそらくその者もこの家におる。人数は全部で6人』


 何の変哲も無い北方造りの一軒家であるが、ルキウスはアルトリウスの言に緊張しつつ治安官吏章を取り出すと、合図の後一気にその家へ傾れ込んだ。

 家の中にはアルマール人の夫婦に10歳くらいの息子と娘、それに老爺がいた。

 驚いて自分達を見つめるその家族に、ルキウスは治安官吏章を示しながら鋭い口調で言い向ける。


「すまんな。シレンティウム治安庁だ、不審により中を改めさせて貰うぞ!」

「え、不審?そ、そんな……何も怪しい物はありませんよ?」


 家族の夫が驚愕しながらも辛うじてそう答えるのを余所に、棒杖を構えた治安官達は隙無く出入り口を固めて家捜しを始めた。

 しかしアルトリウスから聞いていた人数と合わない。


「もう1人いるだろう?」

「え?ああ、あの、ユリアスさんの事ですか?屋根裏部屋にいますけど……」

「ふむ、屋根裏か……よしっ、行くぞ!」


 娘を抱きかかえ、怯えた様子でそう言う妻の言葉にルキウスは2人の官吏を連れて油断無く屋根裏部屋へと向かった。




ルキウスが梯子を使って屋根裏部屋に入ると、そこには若い1人の帝国人の男が居た。

 赤い貫頭衣に白い楕円長衣を纏う茶色の目と髪をした男は、ルキウスを不思議そうに見つめて言った。 


「どうしてここが分かったんだ?」

「……何者だ?」

「ん?おれと分かって探しに来た訳では無いのか?」

「何者だと聞いているっ」


 若者のふてぶてしい態度にルキウスは苛立ちを覚えて厳しく問いただす。


「見つかるのは予想外だったが……まあ良いだろう。俺はユリアヌス、帝国皇帝マグヌスが養子だ……奇人などとも呼ばれているぞ」

「な、なに?」

「下の家族に危害は加えるなよ?そうとは知らずに俺を逗留させてくれたのだからな」


 ルキウスは帝都での治安官吏時代、皇帝宮殿へ警備のために入った事があり、皇族を見た事が何度かあるだけでなく、身辺警護に着いた事もあるので顔は見知っている。

 おそらくユリアヌスで間違いない。


「ん?お前、ルキウスじゃないか?」


 ユリアヌスは部屋の奥から歩み寄りルキウスの顔を見直してそう言った。

 その言葉で確信を得たルキウスはユリアヌスを問いただした。


「このような所で何をしておいでですか……一体いつから?」

「ん?そうだな……この街へ来たの自体は随分前だなあ……アダマンティウスが都市にやって来たくらいか?まあ、その後アルマールの村でしばらく世話になっていたから、正確にこの街に住み始めたのは籠城戦前からか。あの家族とはこの街で籠を拾い集めてやった事が縁でな、厄介になっていたんだ」


 こともなげに答えるユリアヌスにルキウスは絶句した。


「ど、どうやって……?」

「どうもこうもない、普通に仕事をしていたぞ?開拓農場を整備したり、水路を開削したり……籠城戦の時には義勇兵もしてみた!あれは面白かったな~」


愉快そうに言うユリアヌスにルキウスは空いた口がふさがらなくなってしまう。

 治安官吏達はクリフォナム人である為、ユリアヌスの地位にイマイチぴんと来ていないようであるが、ルキウスの態度で帝国において相当の地位にある者である事は認識できたのだろう、僅かに緊張している。


「と、取り敢ず同道願えますか?」

「無論だ、俺宛に辞令も届いている頃だろうしな……そろそろ仕事しないとじじいに怒られてしまう」





「ユリアスお兄ちゃん、大丈夫?」


 治安官吏に取り囲まれて屋根裏部屋から降りてきたユリアヌスの姿に、家族の息子マークが恐る恐る尋ねると、ユリアヌスはにっこり笑いながら答えた。


「大丈夫だ、この官吏さん達は俺を迎えに来ただけだ。何も心配はない」

「またおじいちゃんの作った籠、一緒に売りに行ける?」

「どうかな?マークがよい子にしていれば、その時はまた来る事にしよう」

「……分かった、ボク頑張って勉強もするよっ!」

「よし、いいぞ……そうであればまた来よう。約束だ」

「うん!」


 元気に答えたマークの頭をしゃがんで撫でながら、ユリアヌスはマークの祖父であるデニスに顔を向けて口調を改めた。


「御老、家庭をお騒がせして申し訳ない、かくなる次第は私の責任である。今まで大変世話になったな」

「いえ、どうかお気に為されずに……私どもも色々助けて頂きましたし、お礼の言葉など戴けません」

「うむ、そう言って頂けると救われる、では、また会おう」


ユリアヌスは立ち上がるとルキウスを促して歩き始めた。

 その背にデニスの声が掛る。


「どうかお元気で……」


 ひらひらと手を振りつつも後ろを振り返らずに前へと歩くユリアヌス。

 そして物言いたげなルキウスを見て苦笑しながら言った。


「良き家族に良き街で会った、それだけの事だ、気にするな。お前にもそういう覚えがあるだろう?」

「流石に一緒に暮しはしませんが……」

「ははは、違いない」


 ルキウスの言葉に大笑いする奇人殿下ことユリアヌスだった。






 シレンティウム行政府、ハルの執務室



 会議用の大机の上座に座るユリアヌスを見た帝国出身の官吏達は皆一様に驚きの表情となるが、これはアダマンティウスとて例外では無い。


「な、なんとまあ、いつの間に潜り込んでおられたのか……」

「おう、アダマンティウスの爺将軍、久しいな!」


 正装したアダマンティウスはその言に言葉を失う。


「全くこの忙しい最中に難儀な厄介事を増やしてくれますな、ユリアヌス殿下」

「相変らずだなシッティウス、6年前と少しも変ってないぞおまえ……」


 シッティウスの毒舌も意に介さずそう答えるユリアヌスは、その後ろで正装してもじもじしているハルを目敏く見つけた。


「ようハルヨシ、久しぶりじゃ無いか……元気にしていたか?」

「で、殿下もお変わりなく……」

「わははは、お前は随分変ったな!おまけにすげ~イイ嫁貰うんだって?」

「い、いえ、その、これは……」


 しどろもどろに応対しているハルを見たシッティウスがルキウスに尋ねる。


「……ふむ、アキルシウス殿はユリアヌス殿下と面識がおありなのですかな?」

「治安官吏だった時に、おれと一緒に何度か護衛にかり出されてたんですよ。まさか殿下がいちいち下級官吏の顔と名前を覚えているとは思わなかったですがねえ……」

「なるほど、そういう事ですか」


2人の様子を見ながらシッティウスは納得した様に答える。

 シレンティウムに到着した官吏達もユリアヌスから1人1人声をかけられて驚く。

 よほどの記憶力なのだろう。

 しかし感心してばかりもいられない。

 意を決してシッティウスが話しかける。


「殿下、それで今日はどのようなご用件で?」

「用件も何も連れて来られたのは俺の方だぞ。用があるのはそっちじゃ無いのか、シッティウス?」

「……では質問を変えましょう。今日はどうされるおつもりですかな?」

「それなら答えられるな……まあ、まだ辞令も何も届いちゃ居ないから、皇族ってだけで俺はただの旅人だ。内示は貰っているが、内示じゃ効力は無いだろう?」


 そう言いつつ取り出した伝送石通信文を見せつつ、ユリアヌスは言った。

 確かに正式な辞令を手にしない限りその職に任命されたとは言えないが、内示へは確かに今日の日付で監察官に任じる旨が記されている。

 ハルは渋い顔をしてシッティウスを見ると、シッティウスも同じような渋い顔をしてユリアヌスを見ていた。

 その顔を見たユリアヌスがにやにやと笑みを浮かべた。


「お?何だ、随分俺が居るのが拙いってような顔だなあ……大方帝国皇帝の名代でも名乗って、同盟締結式や結婚式に出られたら困るって所だろう。違うか?」

「その通りですが……」

「おまえ……それはっきり言っちゃって良いのか?反逆罪に繋がるぞ?」


 ハルがこぼした言葉を聞きとがめたユリアヌスは、そう意地の悪い笑み浮かべたまま言うと、アダマンティウスとシッティウスが一気に青ざめた。

 その様子をしばらく面白そうに眺めた後、ユリアヌスは真顔に戻り口を開く。


「と……まあ、意地悪はこれくらいにしとこう……俺は何もしやしない。辞令も受け取るのは明日にするから心配するな」

「……どういう事ですかな?」

「どうもこうも無い、俺は別に中央官吏や貴族の手先じゃ無いからなあ……ここでこの街を潰す意味は無いし、どっちかと言うと頑張って貰いたいぐらいだ」


 シッティウスの問いに肩をすくめながらユリアヌスは答え、更に言葉を継いだ。


「じじい……皇帝のマグヌスもそれを望んでるぜ」






シレンティウム・行政区、都市参事会議場



 それぞれの部族の主立った者やシレンティウムの市民、そしてその他の部族の主立った者が見守る中、都市参事会議場に集合したそれぞれの族長達とハルは壇上へと上がる。

 全員が各々の部族の正装で身を固め、きらびやかな装飾を身に付けているのは言うまでも無い。

 豪華に飾り付けられた剣を腰から鞘ごと引き抜き、族長達はクリフォナムの同盟儀式の式次第に則りそれぞれの剣を胸元に掲げた。


しゅぱっ


 そして息を合わせて一斉に剣を抜き放ち、族長達は剣先を壁に掲示された太陽神の紋章が入った同盟誓約書に切っ先を向けて誓約詩を述べる。


「「我ら太陽神の元に集い部族の長!剣を掲げ、誇りを懸け、その名と命をもってここに同盟を為さん!!」」

同盟誓約書は先日族長達が署名をした物であり、薄い光を放っていたが、誓約詩を送られて輝きを増した。

「「同盟よ永遠であれ!」」


 族長達によってシレンティウム同盟の憲章が読み上げられ、最後にその唱和が終了すると、光は一瞬強いものとなって会場を覆った後に元の静かな光へと戻る。

 族長達が剣を鞘へと戻すと同時に後ろで控えていたエルレイシアが前へと進み出た。

 そしてその手の大神官杖を同盟誓約書に向けると、それはぱらりと壁からはがれてエルレイシアの手の中へ静かに収った。


 同盟誓約書は仄かな光を放ちつつエルレイシアの手の中で折れ曲がったり、垂れたりする事無く真っ直ぐ伸びたままの状態を保っている。


「同盟は今この時をもって正式に発足しました。同盟誓約書は太陽神殿大神官である私が確認し、ここに同盟が真正であることを宣言します」


 エルレイシアがそう言いながら盟主であるハルにその同盟誓約書を手渡した。

 ハルがそれを厳かに受け取り頭上へ掲げて会場に向けたその瞬間、会場から爆発したような歓声が上がる。

 ここに北方辺境初の国家的組織、シレンティウム同盟の成立と発足が内外に対して宣言されたのだ。





会場の興奮が一旦収り始めた頃、シレンティウムの時鐘が打ち鳴らされる。

 重厚な金属特有の音がシレンティウム中に鳴り響き、その音は城壁に跳ね返って幾重もの鐘の音となって市内の隅々のみならず郊外にまで達した。

 いよいよこれからが本番、ハルとエルレイシアの結婚式の開始である。



「すさまじい人気じゃな!」

「……うむ、これだけでも同盟を結んだ価値があるというものだ」


 壇上から降り来賓席に案内されたアルペシオ族長のガッティが思わず苦笑してそう言うと、ベレフェス族長のランデルエスが応じ、更には他の族長達も頷く。

 その言葉の通り鐘が鳴ると同時に都市参事会議場にはシレンティウム市民がどっと押しかけてきたのであった。

皆がそれぞれの精一杯のおめかしをしていると分かる、豪華では無いが奇麗な服装に身を包んでいる。

 しかしながら直ぐに都市参事会議場は着飾った市民で一杯になってしまい、議場へ入りきれなかった市民は大通りや広場にどんどん集まっていた。

 そんな中に目立つ格好をした少女が1人。


「や~すごいなっ!」


 空色の羽織袴に身を包み、腰に刀を差した楓があまりの人出に驚きの声を上げた。

 羽織袴は群島嶼の正装であるがそれはあくまで男性のもの、しかし他に服が無いという理由で楓は凛々しくも美しいその姿で参列する事をハルに承諾させたのだ。

 楓曰く「誰も群島嶼の服装や正装なんか知らない」ということである。

 しかし他に無い特徴的な服装や涼やかな楓の容姿と相まって、道行く人たちは皆振り返り、軽やかに歩きだした楓に見とれていた。


 すいすい人混みを抜けていくそんな楓の背中に声が掛かる。


「か、楓さん、ちょっと待って下さい……」

「楓お姉ちゃん、歩くの早いよ!」


 声を発したのはプリミアとその弟オルトゥス。

 人混みに邪魔され、帝国人としてもそれ程大きくない2人はすっかり埋もれてしまっており、楓は振り返ったものの2人の姿を見つけられずにしばらく立ち止まった

 ようやく姿を見せたプリミアは帝国風の白い長衣にベルトを締め、一方のオルトゥスは白い貫頭衣の上から楕円長衣を身に付けるという正装姿。

 3人は当然ながら来賓扱いで結婚式に出席をするのだ。


「あ~ごめんごめん、ちょっと早かったかな?」


 迷惑そうに2人を待っている楓を避けてゆく人達もすぐにその特徴的な容姿や服装からハルの又従妹である楓の事に思い至り、にっこりと微笑みながら通り過ぎてゆく。

 中には「おめでとう」と声をかけてくる人もいたりするが、その度に微妙な笑顔を返す楓。


「楓さん……」


 プリミアはその顔を見て自分の中にある気持ちがざわつくのを感じて、思わずそう呼びかける。

 プリミアは楓の複雑な表情の中に、自分と同じ感情の交じっている事を敏感に感じ取ったのだ。


「あ、来たね……じゃあいくよ?」


 プリミアとオルトゥスが追い付いて来ると、楓は笑顔を作ってそう言うとプリミアの呼びかけには答えず颯爽と歩き出した。

 しばらく無言で歩く3人。

 オルトゥスも何か思う所があるのか、時折プリミアと楓の顔を見る以外は何も言わず大人しく歩いている。

 そして都市参事会議場が目前に迫った所で楓がぽつりと言葉を発した。


「ハル兄の晴れ舞台だからねっ、元気出さないとっ……」

「ええ、そうですね……」


 そう言いつつもなかなか晴れ晴れしい気持ちにはなれない2人であった。





 東照城市大使館では2人の東照人が正装し、結婚式へ出席する準備を始めていた。


 しかし大使館は太陽神殿の隣であり、その裏手に有る都市参事会議場までは割合近い。

 その為に特徴的な前袷の衣服に幅の広い帯を締めている東照人の2人は、急いだ様子も無く今は東照茶を楽しんでいる。


「全く……本当に楽しませてくれる場所だなここは」

「楽しいのは良い事じゃないか。俺はこの街が好きだ……本気で移住しようと思ってる」


東方語で話しているのは奉玄黄と介大成の2人。

 奉玄黄の言葉に、介大成が笑声を上げた。


「ははは、生き甲斐を見つけられたのは良い事だ。借金まみれで北方へ逃げてしまった時のお前の顔は腐っていたが、今は生き生きしているからな」

「今こうしていられるのも晴義さんのおかげだ。だから出来ればお前には大人しくしていて欲しいんだが……」

「大人しく、か……」

「そうだ、大人しく、だ」


 奉玄黄の言葉に介大成は少し考える素振りを見せながら茶を喫し、徐に口を開いた。


「まあ……善処はしてみよう。私も今やこの街の一員と言っても過言では無い、既に半年を暮しているんだからね。それに、私もこの街が本当に好きだからな」

「なら良い……さて、そろそろ行くか?」

「ああ」


そう言いつつ立ち上がる奉玄黄に介大成も茶碗を置いて答え、ゆっくりと腰を上げた。





その隣の太陽神殿では薬師やアルスハレアに手伝って貰い、エルレイシアがその準備に追われていた。

 同盟締結式に参加してからの準備であるので余り時間が無い。

 純白の神官衣から薄くピンク色の入った白い花嫁衣装へと着替え、長い金髪を後ろで一本の三つ編みに結う。

 薄く口紅を差し銀の首飾りを付け、春の花で編まれた鮮やかな冠を嵌めれば、そこには清楚で可憐、そして艶やかさを兼ね備えたクリフォナムのうら若き花嫁の姿があった。


「さあ、出来たわ!本当に素敵よ、エル」


 アルスハレアも声が弾む程の出来に周囲の薬師達も息を呑む。


「有り難うございます、伯母さま、皆さんもどうも有り難うございます」


 楚々と頭を下げるエルレイシアにただならぬものを感じたアルスハレアと薬師達が身を震わせる。


「エル、あなたちょっと尋常じゃ無いわ。今日はハル君以外に微笑んだりしては駄目よ?」

「分かっています、伯母さま……」


 そう答えつつにっこり微笑むエルレイシアからアルスハレアは思わず視線を外して叫んだ。


「だ、駄目って言ったでしょっ!」





 一方、行政府執務室。


 羽織袴の上から磨き上げられた銀色の帝国鎧を身に着け、さらに白い楕円長衣を纏ったハルは同盟締結式に出た時と然程変らない格好であったので既に準備は終了している。

 変ったのはフリードの王冠を嵌めた兜を手にし、紅い肩布を襷掛けしたぐらい。


「おっ、見違えるようだな!」


同盟締結式には出席せず執務室で待っていたユリアヌスがそうハルをはやし立てる。

 結局言葉を濁してマグヌス帝の思惑については語らなかったユリアヌス。

 ただ「期待している」の一点張りで終始し、終には式典の時間を迎えてしまったのだ。

 それ以上追及する事も出来ず一旦諦めたシレンティウムの面々は、今式典の方に全精力を傾けていた。


『うむ、まあ、我の若い頃には劣るが、なかなかのものである!』


 その隣でユリアヌスの見張り役を買って出たアルトリウスが、腕組みをして満足げに言うとハルが固い笑みを浮かべる。


「あ、ありがとうございます、で、では行ってきます」


 緊張している事が丸わかりの少しぎこちない口調で答え、ハルは護衛役のクイントゥスに伴われてぎくしゃく歩きながら会場へと向かった。

 今日は官吏達も総出で式典準備や進行役に回っている為、行政庁舎は閑散としている。

 今また主役であるハルが出て行った事で、警備の人間のもほぼいなくなり、この執務室に限って言えばアルトリウスとユリアヌスの2人だけとなった。




 静まりかえった執務室に亡霊と皇族。


 最初にハルに呼ばれて現われたアルトリウスを見て肝を冷やしたユリアヌスだが、皇族であるだけに秘事を知っており、直ぐにその存在に納得した。

 2人が入場したのだろうか、都市参事会議場の方向から歓声が聞こえてきた。


『我の夢がこうして一つずつ叶ってゆく、恥を晒して地を彷徨うた甲斐があった……』

「亡霊の夢なぞ帝国には必要ないぞ?死者の夢なんてものは大体ろくでもない事だからな」


 歓声を聞いて感慨無量につぶやいたアルトリウスの言葉を聞き咎めたユリアヌスが言うと、アルトリウスは額に青筋を浮かべて言い返す。


『ふん!我は確かに亡霊だが生きたまま屍と化しておる今の皇族どもも然りである。生ける屍の思惑にこのシレンティウムはのせられんぞ!』

「……痛い所を突いてくるな、過去の英雄アルトリウス」

『貴様らの考えなどお見通しである。40年前愚かにもうかうかその思惑に乗ってしまったが故にこの都市は一度滅びたのであるからな。もう2度としくじりはせんのである』

「まあそう言うな、あの時とはいささか事情も変った、今度は大丈夫だ」


 ユリアヌスの言葉に怒りの笑みを浮かべたアルトリウスが言葉を足すと、ユリアヌスは肩をすくめながら良い訳めいた口調で応じた。

 しかし更に継がれたアルトリウスの言葉には反論できず沈黙してしまう。


『前回我と関わった皇族……今の皇帝マグヌス。あ奴も同じ事を言ったのであるが約束は果たされず、我は此処で死んだのだぞ……信用なるものか』

「……」


 黙り込んだユリアヌスの様子を見て確証を得たアルトリウスは、すっとユリアヌスの髪に触れる。


「!?」


 がくっと肩を落とし、冷や汗をどっとかいたユリアヌスが驚愕の表情で顔を上げると、黒い煙を手から出したアルトリウスの姿がそこにあった。

 目の前に枯死した髪がパラパラと落ち、床に着く前に砂となって散る。


『監察とやらが終わるまでは見逃してやるのであるがそれ以降は保証出来ん。我の理性が残っておる内に疾く去る事だ……己の気付かぬうちに身体をシレンティウムの砂となしたくはあるまい?』


 ユリアヌスの顎先から冷たい汗がぽつりと床に落ちた。





 都市参事会議場の裏手でクイントゥスを連れたハルと、アルスハレアに伴われたエルレイシアが落ち合う。

 ここから議場の議長席側入り口より入場する事になっている2人。


「あ、ハル……」


 僅かに先着していたエルレイシアがハルを見つけて手を振った。


「エル!」


 手を振り返しながらハルはエルレイシアに近づくが、間近に来てその姿をまじまじと見つめてしまう。

 そしてその清楚可憐な花嫁姿に心奪われて言葉を失った。


「あの、どうかしましたか?」

「奇麗だ……」

「……ほ、ほんとですかっ、う、うれしいですっ」


 ハルの様子に少し不安を感じていたエルレイシアはその言葉でぱっと顔を輝かせる。

 そしてハルに飛びつこうとした所をアルスハレアに手を取られ阻止された。


「あっ……伯母さま~」

「まだダメよ、化粧や衣装が乱れてしまうわ。後になさい」

「は~い……」


 しぶしぶ引き下がるエルレイシアを苦笑しつつ見つめるハル。

 おかげで緊張も随分ほぐれたようだ。


「じゃあ、行きましょうか」

「はい」


 ハルの差し出した手にエルレイシアがそっと手を載せる。

 載せられた手を一度しっかり握った後、ハルは作法に則り手先でエルレイシアの手を捧げ案内するかのように先導して歩き始めた。




 ハルとエルレイシアの結婚式の方式は男女対等形式のクリフォナムの方式で行われる。

 妻となる女性の所有権を委譲する手続きが元となっている帝国式の結婚式については2人の意見で退けられたのだ。

 ただ本来であれば介添人や立会人を置いて執り行うところであるが、今回については市民全員が立会人となるようにした。

 特定の部族や勢力に阿ると受け取られる事を避ける為でもあるが、市民から結婚式に何らかの形で参加したいと言う要望が数多く、そして強く出された為である。

 中央広場の噴水前に置かれた参列者の名札入れは既に長蛇の行列が出来ており、管理を任されたドレシネス戸籍長官とその部下が右往左往している。

 

 それまでざわついていた都市参事会議場は、先触れのクイントゥスが入場すると静まりかえった。

 その後からハルとハルに手を引かれたエルレイシアが現われると、議場はどよめきに揺れた。


「おお、何と……あれほど美しくなられるとは」

「……くそう、ハルの奴め!」

「言葉もありませんな」

「いいわねえ~私もいつか……」

「わはは、これでまたシレンティウムの市場が活気を呈しますぞ!」

「美しい……あの姿を浮き彫りにして残したい……」

「ううむ、辺境護民官どのがうらやましいですな」

「アキルシウス殿、素敵だっ」


 今回裏方に回っているシレンティウム行政府の面々が言葉を漏らす。

 一方、来賓席に座った族長達は呆然として着飾ったハルとエルレイシアの姿を見つめていた。


「「……」」


 最後にグーシンドがぼそりと言う。


「あれ以上の娘を用意するのは骨が折れそうです……婚姻策は諦めた方が良いのでは?」


 言葉無く頷く他ない族長達であった。





 それまで議場に向かっていた2人はゆっくり手を離すと向かい合う。

 どちらからともなく微笑み合うと、ハルがゆっくり言葉を紡いだ。


「我は、誠意ある愛と共にそなたへ剣と誇りとその生涯を捧げよう」

「私は、貞淑ある愛と共にあなたの家を守り、その生涯を捧げます」


 ハルの言葉が終わると同時に、エルレイシアが応じて言葉を紡ぎ、互いの両掌を腰の高さで重ね合わせる。


「「我らこの地に新しき家を興し、今家族とならん!」」


 2人の唱和と共に、重ね合わした手からまばゆい光が立ち上り、2人を包む。

 2人の姿は春の陽光のような不思議に包まれて見えなくなった。


「こ、これは?」

「私たち“夫婦”に太陽神様の祝福が与えられたのです。真に愛情を持って夫婦になったものだけにもたらされる祝福です」


 驚くハルを余所にエルレイシアはうっとりした様子で重ねた手を開いて指を絡め合わせ、ハルに身体を寄せる。


「これで私たちは晴れて夫婦なのですね……私、うれしいですっ」

「エル……」


 目を潤ませて言うエルレイシアに愛しさが胸を突き上げて溢れ出す。

 温かい光の中でハルは手を絡め合わせたままエルレイシアに顔を寄せた。




 固唾を呑んで見守る議場の参列者達を余所に光は収る気配を見せず、それどころか2人のいた場所から広がりだした。

 驚く間もなく都市全体が暖かな陽光に包まれる。

 光が行政庁舎に迫ると、アルトリウスは寂しそうなほほえみを浮かべた。


『結婚式にも出席すら出来ぬ上にこれか。こういう時は自分の身が死霊である事が恨まれてならんのであるな』


 アルトリウスはユリアヌスを一瞥した後そう言い捨てて消える。

 訝しげにその様子を見送ったユリアヌスは、その一瞬後温かい光に包まれた。


「な、なんだこれは?」


 不思議な暖かみを感じるが実態のない感覚。

 しかしユリアヌスは、今まで感じた事のない安らぎと安心感が自分の中に静かに堪っていくのを感じていた。


「不思議な……事もある……」





 満ちた光が収束し、消える。

 そして議場には何時までも口づけを交わす2人の姿があった。


わあっ


 その光景に参列者が一斉に祝福の歓声を上げた。

 一旦照れくさそうに離れ、手を振る2人。


 歓声は次々と市内に広まり、シレンティウムは祝賀の声と騒ぎに包まれたのであった。




 用意されたごちそうが市民に振る舞われ、酒の樽が開かれたその時、来賓席の隅では。


「うっ、ハル兄が……お婿に行っちゃったっ……!」

「う……」

「お姉ちゃん、楓お姉ちゃん!あっちに行ってごちそう貰ってこようよ……って、どうしたの?」

「オルトゥスは行ってきて良いよ、ボク達はまだ……ちょっといいや」

「う……」

「わ、わかったよ……お姉ちゃん達、元気出してね?」

「「うっ」」


 オルトゥスの言葉に思わずうなだれてしまう、楓とプリミアの姿があった。



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