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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第2章 シレンティウム造営
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第8話 シレンティウム発展

 2週間後、シレンティウム南門前


 ハルとアルトリウスの前に広がるのは、シレンティウムの南を通る2重の水路。

 いずれも大理石の護岸と粘土で固められた底面が覗いており、水は通されていない。


「いよいよですね!」

『うむ、楽しみであるな。』

「きっと凄い迫力でしょう。」

「楽しみだなっ!」


 ハル、アルトリウス、エルレイシア、そして楓の4人が玩具を前にした子供のような無邪気な笑顔でいるのを見て、クイントゥスも顔をほころばせる。

 ルキウスとプリミアは用事があると言うことで欠席していた。

 アダマンティウスがいない間しっかりと帝国兵をまとめきったクイントゥス。

 元ボレウス隊に所属していたという不利な立場にありながら、生来の真面目さと頭の良さで兵達をまとめ、シレンティウムの拠点防御と水路開削に力を尽くしてきた。


 シッティウスは事務仕事があって行政府に残っており、上司のアダマンティウスは未だ北方関所にいる為シレンティウムの帝国兵が力を尽くして設計し、造営した水路と堀の通水式にクイントゥスが指揮官として出席することになったのだ。

 そして退役兵の移住が順調に進んでおり、土木技師や建築士、設計士や測量士の需要が満たされた為に今日の通水式が終われば帝国兵は本来の任務に戻る事が決まっている。


「ありがとございます、間もなく通水です。しっかりと私どもの努力の成果をご覧下さい……よし、湿地の堰を切れ!!」


 クイントゥスの号令で傍らにいた帝国兵が赤い旗を揚げると、シレンティウム南門から次々と8本の旗が西に向かって旗が揚げられてゆく。

 そして最後に旗が揚がったのはシレンティウム南西に広がる湿地帯の北東端に設けられていた簡易堰。

 シレンティウム籠城戦で一度破却されたが、その後再建されて今まで湿地の水を支え続けてきた堰は、旗が揚がるのを今や遅しと待ち構えていた力自慢のクリフォナム人農夫達の手で杭を叩き壊される。

 その瞬間湿地に長年溜まり続けていた水がどっと音を立てて堰を破り、真新しい水路へと迸り出た。

 水はみるみるうちに白い泡を立てつつ水路を下り、ハルの目の前を細かいしぶきを散らしながら通り過ぎてゆく。

 そして遙か東北方向のエレール川支流を目指して駆け下って行った。


「やった……成功だ!」

「すご~いっ!」

「これで一区切りつきましたね……」


 ハルと楓、エルレイシアの言葉にアルトリウスが苦笑しながら口を開いた。


『まだ喜ぶのは早かろう?もう一つ水路が残っておるのだからな』

「そうですね、では早速ご期待に添うといたしましょう……北の水門を開け!」


アルトリウスの言葉に笑顔で頷いたクイントゥスは傍らにいた帝国兵に声を掛ける。

 帝国兵はハル達の様子を見て微笑みながら今度は青い色の旗を勢い良く振り立てた。

 直ぐさま12本の旗が南門からシレンティウム市内を経由して北の台地に設けられたため池の水門へ向かって次々に上げられてゆき、青い旗が最後に到達した大地の南端でから滝のように水が放出され始める。

 落ちた水は水路を経てシレンティウムへ到達し、周囲に穿たれた深く広い堀の中をゆっくりと埋め、幾らも経たないうちに堀を満杯にした。

 更に堀から溢れた水はシレンティウム北東側の水路から北の台地に沿って農地を潤し、そしてエレール川支流へと注ぐ。

 この堀もシレンティウム籠城戦で不完全なまま水が入れられたが、その後改修を行う為に干し上げられ、水路の底や壁をきっちりと作り直した上で今日の通水を迎えた。


「辺境護民官どの、ご下命頂いた水路、堀、街道については造営が滞りなく終了いたしました。後は農民達に頑張って貰うだけです」

「春が待ち遠しくなりましたね」

『うむ、加えてこれでシレンティウムは城壁だけで無く2重の堀に囲まれた城塞都市ともなった。敵はシレンティウムへ迫るのも一苦労となろう……我が成せなかった構想がまた一つ成ったのである。礼を言うぞハルヨシよ!』


クイントゥスの言葉にハルが頷いて言うと、アルトリウスが嬉しそうに答えた。





 更に数日後、シレンティウム行政区・空き建物



 ハルから4階建ての建物インスラの一角へと案内された、50絡みの帝国人の男が感嘆の声を上げる。


「ほう!これはまた……帝国技術と北方諸族の文化が融合した素晴らしく見事な装飾ですな!」

「残念ながらここは昔にあった建物を改修しただけで新築ではありませんが、郵便業務を行うのには十分な広さがあると思います。使用して頂くのは1階と2階部分ですが、ここでどうですか?」

「申し分ありません、早速伝送石を設置するとしましょう」


 ハルの説明に満足げに頷いてからその男、西方郵便協会シレンティウム局長兼北方辺境区長となったマニウス・クルソルは言った。

 クルソルの指示で、建物の表に待機していた郵便協会の協会員が運んできた荷物を荷馬車から降ろし始める。

 十数個の伝送石にその設置台、手紙仕分け様の棚や各種印判に特殊インク、封蝋用の蜜蝋に打刻鎚、ペンやインクなどの事務小物は言うに及ばず、おおよそ郵便設備に必要なものは全て揃えられている。


 20人あまりの郵便協会員はてきぱきとそつなく搬入作業を続け、それ程時間も掛からずに椅子や机などシレンティウムで用意した物品や家具の備え付けも終えてしまう。

 最後にクルソルは“西方郵便協会・シレンティウム拠点局”の文字が打刻された黄土色に鈍く光る真鍮製の看板を表扉の脇へと掲げた。

 そして後ろで控える協会員やハル達を振り返り、にこやかな笑みで誇らしげに宣言する。


「今日をもちまして西方郵便協会は北方辺境での郵便業務を正式に開始します。暫定的に行っていた旧クリフォナ・スペリオール州内での業務を併せて行いますので、宜しくお願いします」


 ぱちぱちぱちと関係者や集まってきた野次馬市民達が拍手を送る。

 シッティウスも資料を小脇に挟んで盛んに拍手していたが、きりが良いと感じたのか、一旦拍手を止め、クルソルへと歩み寄った。


「こちらこそ、宜しくお願いします。早速ですが……伝送石の設置場所は何処を考えておられますかな?」

「そうですね……とりあえずは北方最大の町であるフレーディアへの設置を考えていますが、そのほかは未定です」

「伝送石は何組持ち込んでおられますか?」

「12組です。もっとも、予備が2組含まれていますから、実質設置可能なのは10組ですね。」

「なるほど……設置場所はこちらで提案させて頂いても構いませんか?」

「ええ、利用者の多そうな所を見繕って頂けるなら歓迎です。但し、軍事利用や政治的な理由で選定されるのであればお断致しますので、それは了承して下さい」

「もちろん協会の中立性は理解していますので心配はご無用です。こちらにまとめておきましたのでどうぞ」


 シッティウスは自分の手持ち資料から1枚、紙を抜き出すとクルソルへと差しだした。

 クルソルが興味深そうに受け取ったその紙に記されている、シッティウスが提案した伝送石設置の村邑候補は

クリフォナム最大の町フレーディア・人口5万人

ベレフェス族長の城邑レーフェ・人口4万人

アルマールの城邑ヘオン・人口1万人

     アルゼント族長の村邑セニティ・人口1万人

     アルペシオ族の中心村邑カリーク・人口2万人

     ソカニア族長の村邑ソルカン・人口1万人

     ソダーシ族の中心村邑レニウェ・人口2万人

コロニア・メリディエト(北方辺境関所)人口5千人

の8カ所で、丁寧に概算人口まで記入されている。

 目を丸くするクルソルや郵便協会員を余所に、シッティウスは更に資料を繰りながらごくごく平静に言葉を続ける。


「人口は聞き取り調査から割り出しました。まあ雑な概算とも言えないようなものではありますが、ある程度の目安にはなると思いますな」


 しばらく驚きで紙に見入っていたクルソルだったが、シッティウスの言葉で我に返り改めてその紙を見つめる。

 唯一北方辺境関所への設置が入っているが、これは帝国国内との郵便遣り取りに不可欠な設置場所であるので、最初から設置が決まっていたため問題は無い。

 指定場所の残り7カ所はいずれもクリフォナムやオラン各部族の中心となる村や町が挙げられており、その提案は申し分ないものだった。


「なるほど……クリフォナ・スペリオール州どころの話ではありませんな、驚くべき事にシレンティウムは既にクリフォナムの半分を傘下に収めているのですか……!いや、驚きました。良いでしょう、この提案通り伝送石と協会員を配置させて頂きます」

「宜しくお願いします。設置に赴かれる際は行政府に一声おかけ下さい、護衛を手配しますので」


 感嘆の混じったクルソルの返答にもシッティウスは全く表情を変えずにそう答えると、失笑するハルを促して行政庁舎へと戻っていった。





 1か月後、シレンティウム行政庁舎前


「……これがミツバチの巣ですか?」

「そうです。外側のこれは正確に言いますと巣箱でして、この中にミツバチたちが自分でいわゆる蜂の巣を作っているのです」

「へええ……」


 馬車から降ろされた木箱を興味深そうに眺めるハルに、フィクトルと名乗るでっぷりと太った愛嬌のある40絡みの養蜂職人は、馬車に積み込まれている他の巣箱を併せて示しながら説明を続ける。

 馬車には数十の木箱がぎっちりと詰められており、倒れたりしないようにしっかりと綱で固定されていた。


「今は冬なので動きは活発ではありませんし、封をしてありますから飛び出してくることはありませんが、この箱一つの中に数千から数万のミツバチ達が詰まっています」

「数千から数万……」


 封されて中が見えない箱をそれでものぞき込みながらハルがつぶやくと、フィクトルは面白そうに言った。


「辺境護民官殿はハチ箱を見るのは初めてですか?」

「ええ、故郷でもハチを飼っていましたが、こんな形ではやっていなかったので……」

「そうでしょうな、これは帝国でも最新式のものですから見たことが無いのも無理はありません。まあ、私に任せて頂ければ3年でこの土地を帝国一の蜂蜜産地にして見せますよ!」


フィクトルが自分の太鼓腹をぽんと叩いて自信満々にハルへそう言うと、その後方から声が掛った。


「他に競合する職人もいないので是非お願いしたい。養蜂業の育成と販売網の構築については全てあなたに任せたいと考えていますのでね」

「お、これはシッティウス総督、お久しぶりです。お誘い有り難うございました!」


 相変らず帳面を繰りながら現われたシッティウスに、フィクトルはにこやかな笑顔と共に挨拶する。

 フィクトルはかつてシッティウスが総督を務めていた帝国州の出身で、そこでも養蜂業を営んでいたのだ。

 伝統的な養蜂手法よりも効率の良い新手法を編み出したもフィクトルだったが、それを嫌う他業者から圧迫され、干されていた所をシッティウスに救われたという経緯があったのである。

 資金繰りに行き詰まっていたフィクトルを公金で雇い、総督府直属の養蜂業を興して収入につなげたシッティウス。


 シッティウスが総督職を罷免される直前に独立して養蜂業を再興したフィクトルであったが、生産量や品質に申し分ないのにやはり新手法を嫌う同業者組合から弾き出された。

 シッティウスという後ろ盾を失っていたこともあり、やむなく各地を放浪する移動養蜂業を営むこととなったがこれが当たり、一廉の財を築いていたフィクトル。

 しかし家族や一族もおり、常に旅の危険に晒される移動養蜂は決して楽なものでは無く、フィクトルは移動養蜂の傍ら定住して養蜂業を営める地を探していたのである。


 シッティウスは移動して養蜂を営んでいるため何処にいるか分からないフィクトルを直接探さず家族に連絡を取ったところ、丁度帝都へ向かっていたフィクトルへ上手く連絡を取ることが出来たのであった。

 シッティウスの誘いに一も二も無く乗ったフィクトルは、そのままシレンティウムへと向かった。

 家族は追々こちらへ到着するはずである。


「ええ、こちらこそどうぞよろしく……尤も今は総督では無く、このシレンティウム市の行政長官です」

「そうでした……心配しておりましたが、再就職先が見つかって良かったですね!」


 以前と変わらない満面の笑みに太鼓腹を見てシッティウスが珍しく笑みを浮かべながら言うと、フィクトルはにこにこしながらシッティウスの再起を祝す。


「本当に……またお世話になりますが、先程言ったとおり競合する業者はいません。存分に腕を振ってやって下さい」

「分かりました、さっきの言葉が嘘で無い事を証明して見せますよ!」





同日午後、テルマエ・シレンティウメ、排湯貯水槽


『えっ、処理した物を見せて欲しいって?別に良いけど……そんな物どうするの?』


 ハルの依頼にアクエリウスは怪訝な表情で言葉を返す。


「実は排水から抽出出来る硫黄なんかが商売に使えるそうなんです」

『硫黄?商売?ふうん、まあ別にいいわよ。私には全く必要のない物だし、どっちにしても捨てて貰わないといけないものだから』

「すいません、助かります」


 ハルの説明にアクエリウスは自分にとっては不要で有害でしかない物がどうして必要であるのかをイマイチ理解できず、小首を傾げるがそれ以上は何も言わずに踵を返した。

 不要物を引き取ってくれるというのであれば断る理由は無い。


『こっちよ、一応処理した物は区別して貯めてあるの』


 アクエリウスの案内で向かった部屋へハル達が入ると、そこには山積みになった黄色、赤茶色、灰色の3種の粉末状の物質が置かれていた。

 ハルが一番大きな山になっている黄色い粉末へ近づき、アルトリウスが赤茶色と灰色の山に近づくと2人は同時に口を開いた。


「これが硫黄ですね」

『何と、これは銅と鉄ではないか。しかも大量に……』

『そろそろいっぱいになってきたから捨てて貰おうとは思っていたのよ』


アクエリウスはそう言うと貯水槽に手を差し入れ、数回かき混ぜる。

 しばらくすると排湯が白濁色から透明に変わり、水面から出されたアクエリウスの手には黄色い粉末状になった硫黄が山のように盛られていた。


『はい、これで終わりっと……』

「何たることですかな……正に言葉もありませんな」


 遅れて入ってきたシッティウスがその後更に排湯から鉄と銅を取り出すアクエリウスを見て、帳面と資料を手にしたまま呆然としたようにつぶやいた。

 知識として精霊の力を知ってはいたが、目の当たりにしてしまうとやはり驚きを隠せない。

 鉱物の山へ手の中の物をそれぞれに分けて足してからアクエリウスが言った。


『はいどうぞ~何に使うのかは知らないけれども、この周辺で撒いたりしないでくれれば良いわ』

「分かりました、では早速失礼しますかな……では頼みます」

「ははっ」


 シッティウスが外に向かって合図をすると、空の藁袋を持った兵士達が入ってきた。

 そして山積みになっている硫黄を慎重に藁袋で梱包してどんどん運び出してゆく。

 ついでに積まれていた鉄と銅も同じように運び出し、瞬く間に室内はすっきりと片付いた。

 急いで何事かを帳面へと書き付けつつシッティウスがアクエリウスへ尋ねる。


「今日と同じくらいの量が溜まるまでには、どの程度の時間がかかりますかな?」

『そうね……概ね1月くらいかしら?多い時も少ない時もあるから、まちまちだけど』

「分かりました。では月に一度、今のように回収作業を実施させて頂きますかな」


 再び帳面へ忙しく書き込みをしてからシッティウスが言うと、アクエリウスはにこりと微笑んで応じたが、ふとその後人差し指を顎に当てて1つ質問を追加した。


『ええお願いするわね……それから下水の処理もしているのだけど、そっちで出来たものはどうすれば良いのかしら?』

「下水ですか……ふむ、そちらはどのような物が出来ていますかな?」


 シッティウスはアクエリウスの言葉を聞いて再び帳面を開きながら応じる。


『まあそれこそアレだしね。土に返る物がほとんどだけども、たぶん畑の作物とか木々には良いんじゃないかしら……前もアルトリウスが使っていたみたいよ~』


 話を向けられたアルトリウスが少し言い難そうに話を補足する。


『うむ、まあそれは、であるな……正直に白状すると、アクエリウスには悪いが、下水の屎尿や生活排水から成分を抽出して貰ったのである。我が生前、ハルモニウムの時代に実験してみた所、土と混ぜて使うと良い効果を生む物がいくつかある事が分かったのであるが、アクエリウスよ、それは覚えておるか?』

『まあね、人間のウ○コを処理させるなんてね、契約の一環だったけど、あれは屈辱だったしねっ!』

『う、うむ、それはその……いや、言い訳すまい』


 恨みがましい目を向けながらそう言うアクエリウスに怯むアルトリウス。

 しかし気を取り直したアクエリウスがため息をつきながら言葉を継いだ。


『確かに以前やったことがあるから要領は分かっているわ……同じように貯めておくから、自分達で取りに来なさいな』

『うむ、済まんのであるな』

『アルトリウス、これはあなたへの貸しよ?』


謝るアルトリウスへ胸を得意げに反らせたアクエリウスが上機嫌で言うと、シッティウスがぽんと手を打った。


「ふうむ、なるほど!牛や鶏の糞尿を肥料として使用する方法は一般的に知られていますが、まさか人間のモノを使うとは……これは盲点でしたな!疫病や寄生虫、臭気とそれらに付随する気分の問題もアクエリウスどのが処理をしてくれるのであれば全て解決できますからな。これは実に良い!今後の帝国の都市計画要綱には是非精霊との下水処理契約を追加するべきですな!」


 シッティウスがそう言いながら感心したように大きく何度も頷き、取り出した帳面へさらさらと何やら書き込みを盛んにしていると、アクエリウスがその言葉を聞きつけてシッティウスを三角にした目で睨み付け、おどろおどろしい低い声を出した。


『ちょっとあなたっ!まさか私たちに人間のウン○を処理させる契約を結ばせる気!?』

「いけませんかな?」

『ひ、酷すぎるでしょっ……人間性を疑っちゃうわ!』

「精霊から人間性に注文を付けられるとは思いも寄りませんでしたが……」

『どう考えてもあなたの方がおかしいでしょっ!?』


しれっと答えたシッティウスに、アクエリウスは悲鳴を上げた。





 水路開削から1週間後、フレーディア城、王の間


 フレーディア城代であるベルガンは、帝国人の技師が持ってきたハルからの手紙を読み進めながら少し戸惑いを覚えていた。

 ベルガンが座るのは、玉座の横に設えられた城代の執務机。


「ふむ、アキルシウス王はその……石炭と呼ばれる燃える石を大々的に採掘しようというのですか?」

「はい、その為の技術指導者として私たちがやってきた次第です」

「なるほど……」


 確かに燃える石と燃える土はフレーディア城の近郊に割合たくさん存在する。

 今までは城下町に住む者達が本当に窮した時だけ薪代わりに使うぐらいで、利用価値の無い物だと思っていたがそうでは無いらしい。

 ベルガンやフリードの族民達からしてみれば、畑にすることの出来ない土地が広い範囲に広がっているのでむしろ邪魔なものである。

 燃料としてはそれなりに有用であろうが、薪代わりにする他に使い道があったとは知らなかった。


「採掘は構わんのですが、給金を支払って鉱夫を雇うというのは……」

「ええ、その通りフレーディアの城下町やその周辺から人を募ります。給金は帝国の通貨で支払うことになりますが、併せて既に開始されているシレンティウムとフレーディア間の街道敷設もこちら側からも始めますので、その作業員も併せて募集します」


 そうなれば大量の人員がフリードから動員されることになるが、無報酬で強制的な労役ということでは無いと言う。

 報酬を貰える普請作業であるという話であるので、募集すれば人はすぐ集められるだろう。

 ハルの立場であれば族民達に労役を命ずることも出来るのだが、それをせずに正当な対価を支払うという所にベルガンはハルに対する敬意を新たにした。

 しかし問題は他にも有る。


「通貨か……」


 技師の発した報酬内容の言葉にベルガンは腕を組んで考え込む。

 帝国との遣り取りに通貨を使う事はあったし、金銀をその重さで価値を決めて取引に使う事ももちろんあった。

 確かに族民達の間での物品の遣り取りは物々交換も多いのは確かだが、如何にフリード族が文化的に後進だとは言ってもその程度のことは行っている。

 しかし重さや大きさに関係なく一定の価値を持つ通貨や貨幣という物については、フリードの族民達は知識が無い。


 貰ったとしてもフリード族の勢力圏では、その貨幣に使われている金や銀、銅といった金属の重さ以上の価値が無いので、帝国のように通貨としては使えないのである。

 ベルガンは石炭採掘という労働の対価にフリードでは使えない、あるいは価値の減退してしまう貨幣を支給されるという意味に受け取って難色を示したのであった。


「こちらとしては報酬というのであれば麦や豆、もしくは塩でお願いしたいのだが……」


 金や銀であればまた対応は違っただろうが、それでも支払われる下々の族民にとっては縁の無い物である。

 一般的にこういった労役の対価としてフリードで支給されるのは、麦や乾し肉、乾燥豆や塩と言った保存の利く食物である為、ベルガンはそう帝国の技師に要求した。


「いえ、支払いは通貨で行います。これは譲れません」

「ううむ……」


 帝国の技師から思った以上に強く拒絶され、その意図を計りかねて思わずうなるベルガン。

 しかし技師は拒絶の時とは一転して柔らかく言葉を継いだ。


「ご心配の件は尤もですが通貨はシレンティウムに来て戴ければ自由に使えますし、依頼して戴ければ我々が通貨で買い物の出来る行商人をシレンティウムから呼びましょう」

「……なるほど、通貨を、ね……」

「はい、通貨、です」


 技師のその言葉でようやくハルの意図を理解したベルガンはしかめっ面を解いた。

 要はフリードの地にも通貨を普及させたいのであろう。

 石炭の採掘や街道敷設を行うのが主目的には違いないが、この機会を利用して経済や商業に遅れのあるフリード族に通貨を普及させる事を誰かが思いついたに違いない。


 いずれ文化が発展してくればフリード族も通貨や帝国風の流通という物に深く関わることになるだろうが、いきなり強引な形で持ち込まれるよりは遙かに良い。

 今この機会に自分達に好意的な勢力の下で徐々に慣れてゆけば、帝国やその他の国に富を吸い上げられてしまうような事にならないぐらいに知識の蓄積は出来るだろう。


 上手くいけば早い段階でフリード出身の大商人が生まれるかも知れない。


「分かった、報酬は通貨で構わないが採掘と同時に技師だけでは無く信用できる良心的な商人もフレーディアへ手配して欲しい……この要望ではどうかな?」

「承りましょう。では……」


 ベルガンは笑顔で同じような笑顔を浮かべている技師と固い握手を交わした。




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