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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第2章 シレンティウム造営
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第6話 シッティウスの行政改革

 更に数日後、シレンティウム行政府


 怜悧な灰色の目をした30代半ばの男、トゥリウス・シッティウスは年若い辺境護民官とその顧問官であるという亡霊に目通りしていた。


「初めましてトゥリウス・シッティウスです。この度はお招き頂き有り難うございました」

「いえ、遠い所をよくおいで下さいました。私が辺境護民官のハル・アキルシウスです」

『我が顧問官のガイウス・アルトリウスである』

「先任のお話はアダマンティウス司令官……今は第22軍団軍団長でしたな、彼からうかがっています、宜しくお願いします」


 シッティウスは帝国の鬼将軍と相対しても特に怯えた様子も無く、丁寧にアルトリウスへ礼をする。

 その様子を見たアルトリウスとハルが互いの顔を見合わせた。


 元西方帝国中央官吏、トゥリウス・シッティウス。

 彼はシレンティウムと名付けられたかつての廃棄都市へは3日前に家族ともども到着していたが、住居の手配を受けた後に都市を見て回りたいと目通りまで3日の猶予を願い出た。

 時間は十分あったとは言えないものの、シッティウスは3日で都市とその周辺の様子について概要を把握し、行政府へとやって来たのである。

 素人にしてはよく治めているといったところであるが、まだまだ甘い所が多く見受けられる。

 自分が来たからには、持てる力を尽くしてより一層の発展をこの都市にもたらしてみせるという強い決意を持ったシッティウスであった。


 

 シッティウスは年若い群島嶼人の辺境護民官と挨拶を交わしながらここに至るまでの出来事を思い出していた。

 帝国内で貴族の所領と公領の境を巡って争い、裁定に勝って貴族領の削減には成功したものの自分は総督職を追われて故郷の街への引退を余儀なくされた。

 しかし執念深い貴族はその後裁定をひっくり返して所領を回復したにもかかわらず、シッティウスの引退先を突き止めて執拗な嫌がらせを繰り返した。

 上司から煙たがられてクビ同然の引退をさせられた上に、自分の仕事の成果をも否定され、おまけに嫌がらせとあっては堪ったものでは無い。

 報奨金や給金の蓄えは十分あり、シッティウスの生活は金銭的には余裕があったが、趣味の著作に没頭しようにも周囲がそれを許さない為実に楽しからぬもので、ここ最近は特に鬱ぎがちであった。

 執拗な嫌がらせから家族は身の危険を覚えて外へ出られなくなり、買い物にも一族総出で出かけざるを得ない始末で、そんな窮屈な生活に辟易していたところへ舞い込んだ北方辺境からの手紙を読み、シッティウスは身を振わせた。


 まだ自分を必要としてくれる場所があったのだ。


 その手紙には以前関所の行政を預かった際に知り合ったアダマンティウスの口添え状が付いていたが、自分はあの老将にも手厳しい仕打ちをしたはずで、そのように買われているとは夢にも思っていなかった。

 ハル・アキルシウスという奇妙な名の辺境護民官からの手紙には、至言を尽くして北方辺境の廃棄都市シレンティウムへ自分を行政担当官として招聘したい旨が綴られおり、シッティウスの卑屈になった心を解放した。

 自分の能力に自信もあり、総督であった際に行った事は結局貴族の横車で無駄にはなったとはいえ、間違いではなかったという自負もある。

 最近の帝国の風潮にきな臭いものを感じてはいたが、至当な行政権限を行使しただけでこの様な境遇に追い込まれてしまった事に不満があった事は事実で、それらを排したいという辺境護民官の意思ある言葉に心動かされた。

 シッティウスは直ぐさま一族にこの件を諮り、祖父や父、義父らの承諾を得、故郷を捨てて北方辺境へ移住する事に決めたのである。


悲惨で非文化的な生活を覚悟してやって来た北方辺境であったが、意に反して街道は整備され、関所からシレンティウムまでは兵の屯所まであり安全に旅する事が出来た。

 しかも到着したシレンティウムは自由な活気に満ちあふれており、建造物は帝国の技術をもって造られてはいるが北方諸族の文化を色濃く反映した異国情緒溢れる美しいもので、家族共々シッティウスを驚かせた。

 家族達はシレンティウムの様子を見てそれまでの悲壮感を消し、ようやく安住の地に到着した事を喜んだのである。



「……聞いていたような狷介な人には見えませんね?」

『うむ、物腰は至って普通であるが……』


 前評判をアダマンティウスから聞き戦々恐々であった2人は、感慨にひたっていたシッティウスが少しばかり間をおいた事もあり、思いがけないその丁寧な態度にひそひそと囁き合う。 

 そこにシッティウスのぴしりとした声が割って入った。


「早速ですが……色々手を加えさせて頂きたいのですが宜しいですか?」

「は、はいっ」


 思わず背筋を伸ばすハルに、シッティウスはよろしい、と前置きした上で話し始めた。

 ここで早くも主導権はシッティウスに移ってしまう。


「ここに来るまでに一通り市内を見させて頂きました。まあ都市は美しいですが、内実は酷いものですな!」

「ど、どのようにですか?」


 早速の厳しい言葉に面食らうハルを見ながらシッティウスは言葉を続ける。


「まず、蛮族……この者達に物々交換を止めさせて下さい。市内での取引は全て西方帝国の通貨で行うこととします。もし通貨が無いようであれば持ち込んだ商品を一旦行政府で買い上げ、買い物はその通貨で行わせるように致しましょう。物品価値の平準化を図らなければ商品に対する価値観の違いから争いやトラブルが頻発する恐れがあります。今はまだ近隣諸部族の間でのみ商業取引がなされていますから顕在化しておりませんが、これが他国や西方帝国の良くも悪くも洗練された商人達が入り始めると、シレンティウムの族民達は草刈り場の草と化し、一方的に利を吸い尽くされてしまいます。悪賢く、利に聡くあくどい者だけが得をするような都市にしてはなりません」

『なるほどである……』


 シッティウスの提言に頷くアルトリウスには、かつて自分が治めたハルモニウムで同じ問題が起こったことを思い出した。

 その時は対応を誤り不満をためてしまうことになったが、今回はこの有能な行政官吏が是正措置をとるのだろう。

 腕を組み感心するアルトリウスをそのままに、シッティウスは能弁を振う。


「青空市場自体は問題ありません。と言いますかこれはむしろ積極的に活用して周辺とシレンティウムの交流を活発化させましょう。売れる物があるとわかれば労働意欲の向上にも繋がりますし、シレンティウムを通して他国の文物に触れる機会を持ち、触発される人間が出てくるでしょう」

「そうですね……」


 西方帝国の文物にあこがれてシレンティウムを訪れるものは確かに増えている。

 都市を見ただけでクリフォナム人の職人や工人は自分達には無い技術力を見てとり、西方帝国から来た技術者や職人に師事を請うものが増えているのである。

 退役兵達が都市へ入り始め、土木工作技術のみならず冶金、彫金、織布、縫製、木工を始めとする日用品に使用される技術の底上げもこのところ著しく、またその技術に興味を持って習い覚えようとする者も北方辺境各地から集まり始めていた。


 今までは西方帝国にまで行かなければ習えなかった技術がより近いシレンティウムで学べるとあって、西方帝国へ苦労して留学していたクリフォナム人の技術者や職人達が戻ってきてもいるため、シレンティウムの工芸区画はにわかに活気を帯び始めた。

 西方帝国内で様々な迫害や差別を受け、また習俗や風習の違いから苦労していた者達。

 彼らとてまがりなりにも北方辺境の一部であるシレンティウムで学び、働く方が日常生活の面で遙かに楽なのだ。


同じ理由から帝国で技術を身に着け、帝国内で働いていたクリフォナム人やオラン人達もシレンティウムへと移りつつある。


「工芸区についてはそう遠くない日に、日用品や衣服は材料以外はこのシレンティウムで生産できるようになると思います。人口が増えれば需要も増え、需要が増えれば供給が拡充するのは自然の理です。ズルや誤魔化し、粗悪品販売や詐欺、窃盗などの悪行については目を光らせる必要がありますが、このまま自由にやらせましょう」


 いつの間に取り出したのか、自分が記した覚え書きを眺めながら話していたシッティウスはふと気が付いたように顔を上げてハルに尋ねた。


「都市参事会はどうなっていますかな?」

「いえ、まだそこまで話が進んでいません。一応族長や村長達に集まって貰う事はありますが、都市参事会と言う形にはしていません」


 都市参事会とは帝国の都市に設置される議会の事で、元老院の縮小版であるがその性質は元老院に比べて市民に近く、どちらかといえば市民代表といった位置付けになる。

かつて帝国の元老院もそういうものであったのだが、その規模が大きくなるにつれて変質し、貴族や有力者の場になってしまったのである。

 都市参事会に直接的な行政権限はないものの、総督の諮問機関であり、また市民の要望や意見を汲み上げる大事な組織でもある。


 州総督権限を付与されただけで未だ帝国州にはなっていないシレンティウムであるので、設置が必要不可欠な訳ではないが、そろそろ都市の人口も1万人に達しようとしているシレンティウムの市民意見を聞く為には有効な方法である。

 ハルの答えにシッティウスは頷くと口を開く。


「それは早急に手を付けて頂けますか?今までの族長、村長身分の者に加えて退役兵の中から元将官身分であった物を便宜上選びましょう。他の都市同様に任期は3年、選出区分は街区ごとにしますが、方法は帝国人は帝国方式の選挙で、クリフォナムやオランの民は長老会で選出された族長を議員にします」

「全体で選挙をしないのですか?」


 ハルが疑問を呈すると、シッティウスは当然だといわんばかりの態度で答える。


「いずれは西方帝国の街区選出方式に変えていきますが、今はまだそれぞれの部族による選出方法で構いません。いきなり全てを帝国方式で実施しては無用の混乱と反発を招きます。最初は小さく些細なところから帝国方式を導入し、大事なところや風習で譲れないところは大きな齟齬や非効率がない限りと言った条件付きですが、そのまま従来通りやって貰えれば構いません。もちろん、クリフォナムの方式が帝国より優れている部分についてはその方法を導入します。ただ残念ながら行政においてクリフォナムの方が優れているというものはほとんどありませんな」


シッティウスはそう言いつつ手元の資料をめくる。


「法整備は一旦終わっているようですね……しかしそれを実行する官吏が全く足りておりませんな。幸いにも治安官吏はルキウスどのが養成と整備を行ってくれておりますのでこちらは問題ないでしょう。翻って肝心の行政官吏ですが、これは私が何人か知り合いを引き抜いてきますので、この者達を軸にしてこの都市の目端の利いた者を採用し、行政官吏の養成を行いましょう。現在シレンティウムの行政府の構成はどのようになっておりますかな?」

「今はドレシネスというオラン人の長老が筆頭で戸籍を作っていますが、他は全くいません。まだ徴税もしていませんしね」

「なるほど……分かりました。一応私が行政長官と言うことでシレンティウム市の行政全般を司ることとしますがよろしいですかな?」


 ハルの答えに一旦資料をめくるのを止め、しばらく考えた後にシッティウスが言うと、ハルは当然であると頷きながら答える。


「はい、その為に来て頂いたのですから……宜しくお願いします」


 ハルは顧問官と言う曖昧な役職ではなく、行政全般を司って貰おうとシッティウスを招いたのである。

 そこで初めてシッティウスはニッコリと笑みを浮かべた。

「有り難うございます。権限の有るのと無いのとでは効率と実行力に雲泥の差が出てきますので、まあ戴いた役職であれば腕の振るい甲斐があります。ではドレシネス殿は戸籍長官、ルキウス殿は治安長官としましょう。2人の長官の職分については今まで通りで構いませんので、これからも引き続きお任せ致します。行政機構については模式図を持ってきましたから、これを参考にして形作ってゆきましょう」


 シッティウスは持っていた資料から図面を1枚抜き出すとハルに示した。

 そこには西方帝国の都市一般で用いられている行政府の機構図や組織図が記されており、役職だけが記入されている。

 シッティウスはハルからペンとインクを借り受け、そこに氏名を記していった。


 最高行政官 ハル・アキルシウス(辺境護民官)

 顧問官 ガイウス・アルトリウス

 都市参事会議長

 行政長官 トゥリウス・シッティウス

法務長官

財務長官

商業長官

工芸長官

按察長官

農業長官

戸籍長官 ドレシネス

治安長官 ルキウス・アエティウス


「まあ追々この図は埋まっていく事でしょうから、とりあえず空欄の職官は私が兼務させて頂きます。辺境護民官殿、この図の右隅へ署名をお願いできますか?」

「あ、はい、分かりました」


 ハルはシッティウスから受け取ったペンで図の右隅へ署名した。

 シッティウスはインクが乾くのを待ち、図面をハルの机の後壁にぺたりと貼り付ける。

 その瞬間、糊やピンを使っていないにも関わらず貼り付けられた図は、静かに強い光を帯びた。


「これでシレンティウムの行政府が発足しました」


 シッティウスがそう言うと同時に光は薄いものへと変化する。

 それと同時に図の右上部へ今日の日付がじわりと浮き出てはじめ、直ぐに他の文字と同じ濃さになった。

 この図は帝国の神官によって神聖な祝福が与えられている。

 名を記された者はその職を全うする事が出来ると信じられており、逆に職を放棄したりすれば呪いがかかると言われているものである。


 その職にある者であれば修正や書き込みも可能であるが、汚れず消せず、破れない不思議な効力を持つ図面で、この図面が行政庁舎の最高官の部屋に張られた時が行政府の発足の日時とされる。

 シッティウスはアダマンティウスに依頼し、北方関所での待ち時間を使ってコロニア・リーメシアの街へ早馬を走らせ、知り合いの神官からこの図を手に入れたのだ。


『行政組織図であるか、懐かしいな……その場所に我もかつてそれを貼り付けたが、残念ながら我の死と共に消えてしまったようである』


 アルトリウスが壁で淡く光る図を眺めながら感慨深げに言った。







 ハルとアルトリウスがあれやこれやと図を眺めながら感想を述べているのを尻目に、シッティウスはぺらりと新しい資料をいくつかめくると徐に質問を再開した。


「徴税や財務についてはどうしているのですか?」

『うむ、金はあるのだ』


 シッティウスからの質問に慌てて図から振り返ったアルトリウスが金の出所について解説すると、シッティウスの顔が驚きの表情へと変わる。


「そうですか、それ程の財がこの都市に眠っていたのですか……いや、そうであればこの急発展も納得がいきます。基礎になるのはやはり金ですから、これが無いのでは話になりません。ただそれだけの金を最初から自由に使えるというのは強いですな。尤もそれだけでは無い事は街の中を見ていれば分かりますが、これからは少しばかり金のかかる事が多くなりますので、非常に助かります」

「税は開拓の目処が立つと考えた3年先までは取らないつもりですが、良かったですか?」


 ハルが言うとシッティウスは納得した顔付きで頷いた。


「ええ、徴税は3年後からでよろしいでしょう。財政には余裕があるようですし異論はありません。市民には地力を付けて頂かなくては取れるモノも取れませんし、行政府が一旦約束したことを翻すのはよくありません。貨幣経済が最低限浸透するにもそれぐらいの時間は必要でしょう。それに第一行政は市民との信頼関係があってこそ初めて円滑に回るものです。信頼は何にましても大切ですから、大勢に影響が無い限りは約束したことは守りましょう。東照商人の商品に対する措置も今のままで構いません」

『うむ、ホーが持ってくる東照の品は今のところシレンティウム行政府唯一の収入源であるからな』


シッティウスの言葉にアルトリウスが応じた。

 徴税を3年間しない事になっているシレンティウムは今のところこれといった収入は無く、ホーが持ち込む東照の商品を北方関所で帝国商人へ売り渡して得られる収入以外に収入らしい収入が無いが、シッティウスは更に資料を繰りつつ首を傾げる。

 シッティウスの資料には青空市場で売りに出されていためぼしい商品が記されており、その中には有用な薬草や香草、動物資源が多数有る。

 今のところシレンティウム市内でのみ消費されているが、これを活用しない手は無い。


「帝国や東照で重宝される香草や薬草の類いが随分と産出しているようです。これは分類の上整理し、産出場所を精査して生産できる物は商品作物として生産しましょう。生産できない物は保護と規制を掛けて採取を継続できるように致しましょう。そうすれば直ぐにでも収入は得られるはずです。後は鉱物ですね……温泉がありますが、硫黄はとれるのですかな?」

『アクエリウスが落とす湯を処理しておるはずである。おそらくその際に出来ているのでは無いか?』


 アクエリウスが退いた温泉は濃い硫黄泉で硫黄が大量に含まれているため、アクエリウスはこの湯から硫黄や成分を抜いてから水路へと戻している。

 これはそのまま流しては土壌を汚染してしまう可能性が有った為である。

 排水から抜いた硫黄や成分については、アクエリウスが一か所に集めているはずであった。

 特に使いでの無い硫黄であるが、薬品や消毒薬としての用法は古くから存在する。

 硫黄があると聞き、シッティウスは目を輝かせながら資料に何事かを書き加えて言った。


「それは良いですな!純度の高い硫黄は薬品原料になりますし、秘薬としてシルーハに高値で売る事も出来ます……それから他に鉱物資源はありますかな?顧問官殿は何かご存じではありませんか?」

『うむ、結局は間に合わなんだが我はかつて北辺山脈のこちら側で鉄鉱と銅鉱を見つけて開発しようとしたのである。しかし今は適さんのではないか?』

「どうしてですか?」


 その答えにハルが不思議そうに尋ねると、アルトリウスが答えた。


『湿地帯の排水と開拓が進んでおるのである。かつては鉱毒の入った水を湿地帯へ流せたが、今はそんな事をすれば農地が汚されてしまうであろう?如何に都市のためになると雖もせっかく開拓の目処が立った土地を汚すのは気が進まんのである』

「なるほど、それはそうですねえ……」


 ハルが言葉を濁すとシッティウスはアルトリウスに向き直った。


「鉄鉱と銅鉱がある事はあるのですな?」

『うむ、いかにも間違いない。その時は帝国の採鉱師を呼んで鉱脈を探させたし、今はどうなっておるのか分からぬが試掘もしておったのでな。またそれ以降に開発されたという話も聞いていないであるから、おそらく資源も目減りはしていないのでは無いか?』

「それは間違いなさそうですな。ま、金鉱や銀鉱よりは良いでしょう。そのような物が有っては帝国からの横槍が入ってしまいますので……鉄や銅の方が実用的ですし、早速採鉱師を呼んで採掘を始めましょう。鉱毒の問題は私にあてが有りますので大丈夫でしょう」

『ほう宛があると?……ふむ、もしや精霊付きの採鉱師を呼ぶのであるか?』

「そのとおりですな、ご存じでしたか?」

『おお、聞いたことはあるのである』


 アルトリウスの言葉にシッティウスは資料を繰りながら頷いた。


『ううむ、まあ市内の話では無いから大丈夫だと思うのであるが、一応アクエリウスに話を通しておかなければならんであるな……』


 精霊付きの採鉱師とは西方帝国の更に西方、西方諸国と呼ばれる土地国家群において発祥の採鉱師達の事で、採鉱した際に出る汚染水や有毒な物質、果ては砕石を精霊の力で浄化しながら鉱物の採掘を行う採鉱師達の事である。

 一般的に採鉱は汚染を伴う為にその地域の住人、とりわけ農民達と軋轢を生じる事が多く、移動しながら鉱物を採鉱する採掘師達にとっては迫害の原因ともなってきた。

 そんな中で採鉱の際に汚染を発生させないよう汚染を除去する能力を持った精霊と契約を結び、採鉱する集団が現われたのである。


 当然汚染を気にしなくても良いという地域もあり、そういった場所では従来通りの採鉱が行われているが、大体は国家直営の大規模鉱山などがほとんどで、今や流しの採鉱師達は概ね精霊付きである。

 ただ元は地形や自然物を司る精霊を司る場から引きはがす為、狂い精霊となる場合もあり、その際に及ぼす被害や退治にかける時間と費用は莫大な物になることから一概に良いことばかりでは無い。

 また精霊付きの採鉱師集団は雇用費も高いので、アルトリウスも費用対効果の面を考慮し、以前は湿地帯に廃水を流せば事は済んだことからわざわざ精霊付きの採鉱師を呼ばなかったのだ。


 シッティウスはしばらく資料をめくっていたがやがて目当ての資料に行き着いたのか手を止める。


「その農業ですが、農法はアルマール族が過去に取り入れた帝国式と聞きました。しかし私の見たところこれはもう陳腐化しております。農作物はシレンティウムの気候に合わせて少し変える必要がありそうですが、西方帝国で普及している最新式の輪作農法を取り入れましょう。幸いまだ圃場整備だけで作物を大々的には植えてはおりませんので、来春から早速導入することにします。それから今進めている灌漑設備の設置と圃場整備はこのままの計画で申し分ありません」

「シッティウスさんは農業にも詳しいのですか?」

「いえ、それ程詳しいわけではありません。種を明かしますと、私の知り合いに農法の専門家が居りまして、その者から事前にシレンティウムにあった農法や作物について書面で回答を得ておきました」


 ハルの質問にシッティウスは分厚い資料から十数枚の資料らしき紙束を取り出して示した。


「いずれはその者にここに来て頂こうかと考えています」

『ほう……なかなかの人物であるな』


 シッティウスが農業に触れたところで、ハルはふと思い出して自分の懐から楓に手渡された革袋を取り出した。


「シッティウスさん、これなんですが……冠黄櫨という木の種です。群島嶼では蝋を採るのに栽培していました。おそらくここの気候に合うと思うのです」

「素晴らしい!しかし木ですと直ぐに収穫は出来ませんな?であれば長期的に見なければなりませんので、差し当たっては……そうですな、蝋で思い出しましたが最近群島嶼産の木蝋が無くて蜜蝋の値が跳ね上がっておりますから、養蜂業を興しましょう。シレンティウムの冬は厳しいようですが防寒対策を取ればどうってことはありません。蜂蜜と蜜蝋は帝国内でも高い需要がありますし、それ程時間を置かずに採取も出来ますからな」


 シッティウスはハルから種を受け取ってじっくりとその形を確かめつつそう言い、革袋ごと種をハルへと返した。

 そして養蜂業を興すことを提案してその内容を資料に書き付ける。

 シッティウスが資料へ書き込みを終えるとアルトリウスが口を開いた。


『大理石の類いもたくさん取れるのであるが……どうであろうか?』

「大理石や石灰岩といった建材は、まだこれからシレンティウムで必要ですので販売はしないようにしましょう。木材も同様です。薪炭はどうなっておりますか?」

「アルマール村の入会地があります」


 入会地とは共同体で共有する土地の事で、その共同体に所属する者達が利用できる土地である。

 アルマールの村は既にシレンティウムへと合流したので、アルキアンドからシレンティウムへ利用権限が委譲されてはいるが、未だ所有権等は曖昧なままだ。


「そうですな、それでは正式に行政府の土地として人を雇い管理させて薪炭を最低限供給できる体制を整えましょう。北方辺境は寒いと聞いております。おそらく薪炭の確保は食糧と並んで重要になるでしょうから、建築後に出る端材や反故材を捨てずに燃料と出来るよう確保しておきましょう。それから燃料と言えば石炭です。この近辺で石炭はとれませんか?」

『フレーディア近郊では石炭が露出している場所があるのであるが、活用は為されていないはずである。今なら我らが利用できるだろうが、以前は手が出なかったである』


 当然アルフォード王が居た頃の事であるので、採掘はおろか取引すら出来なかったアルトリウスであったが、情報だけはしっかり集めていた。

 しかしながらその情報はアルトリウスの死と共に失われており、未だ帝国で知る者はいないだろう。


『何分良質な石炭であったようでなあ……西方帝国へも売れると踏んだのだが、残念ながら叶わんかったのである』


 製鉄や製鋼の際に必要な高温を実現できる良質な石炭は帝国において常に需要が逼迫しており、帝国内における石炭鉱山の開発や深掘だけでは足りず、南方大陸や西方諸国からも帝国は石炭を買い求めている。

 鉄鉱山は良質の物が帝国内に多数あるが、それ故に石炭燃料は不足しがちで、今回軍閥が南方大陸に目を付けた一因ともなっていた。

 武器や防具を大量に消費する軍に鉄や鋼は必須であり、その源である鉄鉱石や石炭を安価にそして大量に手に入れる事を軍は常に欲しているためだ。


「もし……石炭がここシレンティウム近辺にある事を知らせれば、軍は南方侵攻を諦めるでしょうか?」

『いや、おそらく無理であろう。戦争を始める一つの目的ではあるだろうが、それが全てでは無いのであるからな』


 難しい顔で答えたアルトリウスに続いて、シッティウスもハルの意見に反対する。


「そのとおりですな。それに北方辺境から大量の石炭が産出される事を軍がもし知れば、軍はシレンティウムを自分達の手による直接統治へ切り替えようとするでしょう。それは大きな不幸をこの地にもたらすことになりますな」


 軍政によって故郷が受けた屈辱とその厳しさを知るハルは黙りこくってしまった。

 奪われた誇りと財産は決して戻って来ない。

 受けた暴力と屈辱は一生忘れないものだ。

 この土地に住む人たちにあんな思いをさせるようなことは、そんなことはしたくない。

 黙り込んだハルを見て何かを感じたアルトリウスであったが敢えて言葉にはせず、そのまま静かに見守る。

 シッティウスもふとハルの出生地である群島嶼の経緯に思い至ったのか、こちらも静かに資料を繰り直して言葉を継いだ。


「むしろそれを利用して我々自身が製鉄と製鋼を興した方が良いでしょう。帝国製の農具や生活刃物は人気があるようですし、シレンティウムへ入っている帝国の行商人達が取扱っている商品で最も多いのは日用品で、次が釘や鎹を含めた帝国製の鉄製品です。何も武器防具だけが鉄を必要とする訳ではありません」

『うむ、確かにな……しかし武器防具が大量の鉄を必要とすることも真実の一つであることを忘れてはいかんのである。悲しいかな武力によって守られるものも此の世には多い。忌避してばかりでもおられぬ、用は如何に上手く使うか、であるぞ』


 シッティウスのハルを慰めるような言葉を肯定しつつも、現実を見据えるアルトリウスの言葉が響く。

シレンティウムを守ったのはハルの武力に拠る力であり、また帝国の平和と繁栄を築き守っているのも剣の力に拠る所が多いのは周知の事実。

 ハルはかつて領を持つ剣士として主君に仕え、その後帝都で治安官吏となり、今また都市の指導者としてあるというように、今まで常に“武”というものを身近な所で扱う立場に居続けた者であることからその要諦はよく知っている。

 確かにアルトリウスの言うとおり、要は使う者の心掛け次第なのである。


「それは分かっています……武器防具の製作をシレンティウムで行うのですね?」

「いえ、実はこれについて少々事情がありまして……差し当たって豊富な在庫を転用できますので、第21軍団分は問題ありません。それ以降の武器防具は帝国からの輸入に頼ろうと考えています」


 ハルの言葉にシッティウスは資料をめくる手を止め、ふと気が付いたように顔を上げるとそう言うと少し慌てたようにアルトリウスが問い掛けた。


『3個軍団もの本拠があるシレンティウムに武具の生産施設がないというのはどうなのであるか?修理ぐらいは出来るであろうが、矢や投げ槍などの消耗品を含めて武具の生産が出来ないというのでは不十分である』

「ええ、いずれはシレンティウムで全てを生産しなければいけない時が必ずやって来ますが今はまだその時ではありません。帝国内の商人とある程度以上に取引をするとすれば、軍団新設の為の武器防具の購入や輸入が一番怪しまれず、かつ安定した品質の品物を大量に帝国内から購入できます。この取引を利用して政商と繋ぎを作っておきましょう」


 一般的に帝国内の武具商人は帝国との取引を通じて官吏や軍人のみならず、貴族の情報や動向に詳しい。

 シレンティウムは現役の高級将官であるアダマンティウスを通じ軍の動向はかなりの程度把握できる状況にある。

 またシッティウスは引退させられたとはいえ官吏に知り合いや支持者、元部下なども多数在籍していることから中央官吏派についても情報は入手できる。

 しかしながら明確に対立していないとはいえ、潜在的な敵対関係にある貴族派貴族の情報は外形的なもの以外は手に入らない状態である為、シッティウスは取引を通じて貴族派貴族とは密接な取引関係にある商人達と渡りを付けようというのである。


 利益次第ではどうとでも転ぶ向背定かならない連中ではあるが、逆に言えば利さえ与えればそれなりに利用できるということでもあった。

 取引を通じて貴族派貴族に利益を分け与え、油断を誘う事も出来る。


「こちらの情報も相手に渡る可能性がありますが……」

「ある程度は仕方ないでしょう。逆に全く情報がないとお互いに疑心暗鬼となり、過剰な反応をしてしまうことに繋がります。相手はどうあれ今のシレンティウムは西方帝国内に明確な敵を作って対立できる状態にない、一地方自治体に過ぎないのです。武具生産の下地は水面下で進めておき、時が来るまでは伏せておきましょう」


 敵となる者との取引がこちらより遙かに長い商人をシレンティウムへ入れるとなれば、それなりの情報が相手に渡ることになる。

 ハルはその点を危惧したが、シッティウスはむしろある程度情報を流して相手の安心と油断を引き出すべきであると主張する。

 しばらく考えた後ハルは徐に口を開いた。


「そうですね……分かりました。差し当たって武器防具は帝国本土から購入することにします」

「意見を容れて戴きありがとうございます。間諜に成り下がらない、比較的まとも……とはいってもあくまでも比較的ではありますが、まあそれなりの商人を選びますので」


 シッティウスはハルの回答に満足そうな笑みを浮かべて自分の資料へ書き込みを行うと、最後の資料をめくって言葉を継いだ。


「それから北方関所にいる間に西方郵便協会と話を付けておきました。ここにも伝送石の中継局を設置してくれるそうですので、これを活用して友好的な各部族との連絡網を構築しましょう。西方郵便協会も安定した北方辺境へ本格的な制度導入を考えているとの事ですので、シレンティウムに近々西方郵便協会の担当者が来る事でしょう」

『ほう、郵便協会であるか……!それは非常に助かるのであるな』


 西方郵便協会がシレンティウムに拠点を置くとなれば帝国中のみならず、西方大陸に存在する西方諸国をも巻き込んだ一大情報網に北方辺境が参加することとなる。

 これでシレンティウムに居ながらにしてある程度の情報は取得できるし、発信受信も容易になった。

 今までは北方辺境関所まで出向かなければならなかった郵便制度の利用も可能になるのである。

これまでも配達だけは郵便配達人が旧クリフォナ・スペリオール州内だけ行っていたが、これからは北方辺境で自在に手紙や伝送石伝達によって遣り取りが出来ると言うことである。


「これでシレンティウムの発展はより一層加速することでしょう」


 ぱたりと資料を閉じたシッティウスがにこりともせず最後にそう締めくくった。


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