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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第2章 シレンティウム造営
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第2話 戦後のフレーディアと北方関所

 フレーディア城、地下牢獄


 暗闇に慣れた目に地下牢獄への入り口から入るほのかな光が入り、アルスハレアは目を細める。

 既に投獄されてから2ヶ月ほど立っただろうか……

 さすがに大神官をいきなり殺すような度胸は無かったようで、ダンフォードは地下牢獄へアルスハレアを繋いだ。

 しかしいずれは機会を見て殺されてしまうことは明らかで、アルスハレアはとうとうその時が来たと覚悟を決めた。

 恐らくあのアルトリウスが築いた都市を攻め滅ぼし、凱旋したのだろう。


「……ここだな、鍵を開けてくれ」


 アルスハレアが繋がれていた牢に複数の足跡が近づき、そして若い男の声が響く。

 さび付いた鍵穴に鍵が差し込まれ、開錠する際の酷く大きい音が牢全体に響き渡った。

 いよいよ自分もここまで。

 そう思い定めて近づく足音を数えつつ静かに暗闇の中で目を閉じたアルスハレアに、声が掛けられた。


「アルスハレアさんですね?」


 目を開いたアルスハレアの前に帝国風の鎧を身に着けた若い男がしゃがみ込んでいた。


「……アルトリウス?」


 思わず懐かしい名前を口にするが、直ぐにアルトリウスの訳は無いと思い直し、誰だろうとその顔を見つめているとその帝国人らしい若い男が徐に口を開いた。


「いえ……残念ですが人違いです。私は帝国辺境護民官のハル・アキルシウスと言います。ご無事で何より、助けに来ました……ゆっくりで構いません、立てますか?」

「ええ、何とかね……」


 名前に聞き覚えがある、確かエルレイシアが寄越した手紙か何かで知った名前だ。

アルスハレアはその手を借りて立ち上がると、促されてゆっくりと歩き始めた。

 これはどうしたことか。

 この辺境護民官を名乗る若者に付き従うベルガンや帝国兵の姿を見れば、何か自分の予想外のことが起こったことは間違いなさそうである。





 ハルは降伏したベルガンらフリードの戦士に300名の帝国兵を率いてフレーディアへ進んだが、ダンフォードがアルフォードの名を使いフリードの戦士を根こそぎ動員していたことからフレーディアに戦士の姿は殆ど無く、戦闘を経ずしてハルはフレーディア城へ入城することができた。

 先触れとしてフレーディアへはフリードの戦士長を派遣し、アルフォード王が一騎打ちの末に敗れ、ハルが王位をアルフォードの遺志で継承したこととダンフォードのあるまじき振る舞いは既に知らされている。

 フレーディア城に残る宮廷官はベルガンの使者に降伏を受け入れる旨を伝えてきており、城下町の門扉は開かれていた。


 ハルが手にした兜に輝くアルフォードの王冠と、後ろに続くアルフォード王の棺を見たフリードの族民は皆が頭を垂れ、跪きアルフォード王の崩御を悼み、敗戦の悔しさに涙を流したが、ハル達は大きな混乱無く進駐を果たしたのである。

 ハルは直ぐさまベルガンをフレーディア城代に任命し、率いてきた3000名のフリード戦士の指揮権を与えてフレーディアの混乱収拾に努めた。

そこで宮廷官の1人からアルスハレアがダンフォードの手によって幽閉されていることを聞いたのである。





「叔母さま……ご無事で!」

「エルレイシア……あなたも大事ないようね。良かったわ……」


 ハルとベルガンによって地下牢から救い出されたアルスハレアは清潔な衣服に着替えてからエルレイシアと対面した。

 少しやつれはしたが至って健康そうな叔母の姿に安堵するエルレイシアに、アルスハレアは周囲の帝国兵やハル、それにベルガンの顔を眺めながら尋ねる。


「それでエルレイシア、一体何がどうなっているの?説明して貰えないかしら」

「叔母さま、実は……」







「そうでしたか……あなたがアルフォードを破ったのですか」


 エルレイシアから今までの顛末を聞かされたアルスハレアは、まじまじと傍らに座るハルを見つめた。

 怪我をして包帯をしている事もあるが、外見的に強そうな雰囲気は見受けられない。

 しかし魂の輝きは人一倍であるようだ。

 かつてアルスハレアがアルトリウスに感じたものと同じか、それ以上の強い輝きを感じる。

 余りにも長く見つめられてハルは居心地悪そうに身じろぎするが、アルスハレアは意に介した様子も無く見つめ続ける。


「叔母さま、あんまり見つめないで下さいませ?」

「何をそんなに警戒しているの?……別に盗ったりしないわよ」


 エルレイシアが少しふくれてアルスハレアの視線を遮ると、アルスハレアは呆れて言葉を返した。

 そしてふくれているエルレイシアを余所に、アルスハレアはハルに向き直る。

 この者であれば、彼のアルトリウスと同じ魂の輝きを持つこの者であれば道を違えることは無いだろう。

 かつての自分がそうだったように、自分の姪もこの魂の輝きに魅了されてしまったに違いない。

 ハルを見て甘く、そして苦いその懐かしい感情を思い出しながらアルスハレアは口を開いた。


「辺境護民官様、私はこのエルレイシアの叔母ですが師であり母も同然の間柄です。そこで、という訳ではありませんが、私もシレンティウムへ赴いて宜しいでしょうか?」

「叔母さま?」


 驚くエルレイシアに微笑みを向けるアルスハレア。


「しかし、大神官をおいそれと移す訳には……」


 太陽神殿が移れば太陽神官達の拠点がこれまでのフレーディアからシレンティウムへと移る。

 大神官と太陽神殿の権威を利己的に利用する為、移設を実施したと宣伝されるのは面白くないし、それが悪評に繋がり逆に足かせになってしまわないとも限らない。

 宗教的権威を手に入れることによる利益や効果は計り知れないが、ハルとしては余り宗教的な権威を利用する事を考えていない為、ありがた迷惑とも言える提案であった。

 ハルの渋り具合にアルスハレアは思い当たる事が有ったのか、少し考えた後に再び口を開く。


「そうですね……それでは大神官位をエルレイシアに譲りましょう。これなら太陽神殿は自然にシレンティウムへと移ります。尤も、継承すべき大神官杖は残念ながらダンフォードに奪われてしまいましたが……」

「えっ?」


 驚くエルレイシアを見て微笑むとアルスハレアは言葉を継いだ。


「私ももうすぐ70に手の届く年齢ですから、私の弟子の中で一番優秀なエルレイシアへ大神官を譲るのは当然です。辺境護民官様が心配しておいでの事はこれである程度払拭されるのではありませんか?」

「しかしそうは言いましても」


アルスハレアの提案になおも渋るハル。

 ハルのフレーディア入城後に大神官の譲位があれば、これはこれでまた圧力を掛けて譲位を迫ったと曲解する輩がいるだろう。

 しかも引き継ぐのは自分とずっと行動を共にしてきたエルレイシアである。

 裏に何かあるとそしりを受けかねない。


「譲位であれば問題ありませんでしょう?その後引退した元大神官が何処に行こうとも自由ですし、元々私の出自はアルマール族。この地へはアルフォードに連れて来られただけなのですから、引退して故郷へ戻るのはごく自然なことではありませんか?」

「ここは恐らくダンフォードやハレミア人との戦いの最前線になります。神官様方はシレンティウムで落ち着いて祭事を司っていただきたいですな」


 ベルガンも太陽神殿を移すことについては賛成意見のようである。

 ベルガンとしてはダンフォードの大神官位簒奪事件に絡む人物を手元に置いたままでは自分がこの件について差配せざるを得なくなるので、そのような厄介で微妙な事案はハルに受持って貰いたいのだ。

 ことはクリフォナムの民全体に信仰の厚い太陽信仰に関わることなので、ベルガンの立場としては決定権が無い以上当然の反応であろう。


 考えれば考える程心配事は尽きないが、心配ばかりでは前に進めない。

 ハルはエルレイシアに対する大神官位の譲位と太陽神殿のシレンティウム移設、そして前大神官のアルスハレアの受け入れをすることに決めた。

 太陽神殿を受け入れることは、マイナス面ばかりでは無い。


「分かりました……ではアルフォード王の葬儀を終え次第、ということで宜しいですか?」

「ええ、エルレイシア共々宜しくお願い致します」


 ハルの言葉にアルスハレアは笑顔で答えた。






フレーディアの城下町をベルガンと散策しながら、ハルは北方随一の人口と規模を誇るこの街が意外にも脆弱な造りをしている事に気が付いた。

 汚泥の満ちた街路に黒く汚れた壁、町中だというのに糞尿の臭気が立ちこめている。

 城下町とは言っても集落が大規模化しただけの雑然とした街並みであり、辛うじてフレーディア城へ通じる道だけが砂利敷きであるだけだ。


 おそらく軍事的な利便性や防御を最大限考慮したフレーディア城は、難攻不落の城地であることは間違いないが町としてみた場合、立地は決して良いとは言えないのだろう。

 元は城に詰める戦士や貴族、それに宮廷官とその家族が集住し、更にその消費を当てにした職人と商人が集まってきたのだろうが、都市計画やその後の都市整備も行われずに発展してきた為か住環境としては極めて悪いのだ。


「城下町の住民はどれくらいですか?」

「はっきりは分かりませんが……恐らく5万人を越えているのではないかと思います」

「どこも街の作りはこの様な感じですか?」

「はあ、まあ……クリフォナムの大邑は概ねこの様な感じですが」


 ハルの質問に答えるベルガンであったが、その質問の意図が分からずに戸惑う。

フリード族の集落は何処もこの様な状態であるのだろう。

ハル自身、南部の諸族については援軍を求めに訪問したことがあったのである程度状況は知っているつもりであったが、北方系はまた全然様相が異なることに気が付いた。


 汚れには余り頓着しない性質なのだろうか。

 人口はシレンティウムの約20倍であるが、見たところ排水の便は悪くゴミも町中に散乱しており、蛮族特有の活気は十分以上にあるものの衛生環境や街の機能は西方帝国の都市に比ぶべくも無い。

 気候的な問題もあるだろうが、故郷の群島嶼も清潔度でいえば北方辺境より遙かに進んでいたのでハルは町の光景に戸惑いを覚えたのだった。


「これは根本的な改造が必要みたいだな……」


 道に溜まった腐敗している汚泥を気にもせず、駆け回ってあそんでいるフリード族の子供達を引きつった笑顔で眺めたハルはそうつぶやいた。



 しかしながら未だシレンティウムも発展途上であり、距離の開いた2つの都市を同時に開発していくことは資金的、資材的な問題と相まって非常に困難である。

 シレンティウムとフレーディアを結ぶ街道については既に普請を開始していたが、街そのものに手を付けるのはもう少し後になるだろう。


 せめて行政機構だけでも整えようとハルは宮廷官の中から、王の文書を司っていた文章司を使って戸籍の作成に着手していたが、そもそもの識字率が低いクリフォナム人、その中でもとりわけその傾向の強いフリード族のために作業は進んでいない。

 是正策として初等学校を設立することをベルガンに承諾させ、既にフレーディア城にて読み書きに計算方法を加えた授業を開始している。

 ハルは初等学校についてはシレンティウムでも設立することを決めていたが、とにかく行政を任せられる人材がいないことを痛感した。


「まだまだこれからだ」






 ハルの到着から1週間後、フレーディア


 5日間に及んだアルフォード王の盛大な葬儀も終わり、フレーディアは落ち着きを取り戻し、フリードの族民達は今まで通りの生活に戻りつつある。 

アルフォード王の遺骸は大神官アルスハレアと次期大神官であるエルレイシアに司られ、フレーディアの族民や戦士達が見守る中火葬に付された。

フリードの族民達は偉大な英雄王との別れを静かに惜しみつつも、戦場に散った誇り高い死を讃えたのである。

 帝国に対する反発からダンフォード派につく族民や貴族も少なくないが、それらは北方に近い場所に集中しており、またベルガンの工作もあってダンフォード派を北部へ抑え込むことに成功していた。


 しかしながら今後敵対部族の中心となるフリンク族は、ハレミア人に長年睨みを効かせてきた勇猛なフリード族の中でも更に武勇を謳われる支族であり、その勢力は大きく油断は出来ない。

 幸いにもアルフォード王の死を知ったハレミア人が極北地域で蠢動し始めており、その対処に負われているフリンク族に南下してくる余裕はなく、しばらくは睨み合いが続く事が予想された。

 ハルは王権をもって各貴族に支配地の安全保障を申し渡し、フリード貴族でベルガンの働きかけでハルに従う者達を引見して今まで通りの関係を維持することに努めた。

 役職名だけをそれまでの宮宰からフレーディア城代に改めたベルガンが宮廷官を上手く司った為大きな混乱も無く、フリード族の支配機構はそのまま維持されたのである。


 そのベルガンに見送られ、帝国兵300名を率いたハルの後には馬車に乗ったエルレイシアとアルスハレアの姿があった。

 地下牢獄に2月近く幽閉されていたアルスハレアだったが、エルレイシアの看病と治癒神官術の施術もあり、体力を十分に回復させ今日の出発となった。

 因みにフレーディアの太陽神殿には、大地の巡検に出ているアルスハレアの弟子の1人が到着し次第就任することになった。


 十分以上に経験を積んだ男性神官であるため、最前線となるフレーディアにはふさわしいだろう。

 アルスハレアはアルフォードの葬儀の後、正式に大神官位をエルレイシアに譲位することを宣言し、仮の大神官杖をエルレイシアに授けた。

 そして伝書鳥を使い、各地の太陽神官に新しい大神官が誕生したことを知らせると共に真なる大神官杖が奪われたことを知らせ奪回への協力を求めたのである。

 奪回への協力とは言っても荒事によるものでは無くあくまでも情報収集である。

 当然シャルローテが所持はしているだろうが、フリンク族の地へ逃れた為詳しい情報が無いための呼びかけであった。





「ハルモニウムはシレンティウムという名に変わったのですか……あの街は久しぶりですね。あの美しい街が再び開かれるとは思ってもみませんでしたが……」


 アルスハレアは期待感に満ちた言葉を口にすると先行しているハルの背中を見遣り、うきうきとしているのが丸わかりの態度で横に座って手綱を取るエルレイシアに質問を投げかける。


「で、あの人の何処に惚れたの?」

「えっ……そ、それはっもう、たくさんありますよ?叔母さま」


 突然の質問に顔を赤くしながらも答えるエルレイシアに、調子に乗ったアルスハレアが更に言う。


「全部言っても良いのよ?」

「えっと、ですね……その」


 ごにょごにょと耳打ちするように話すエルレイシアに、頷きながら相づちを返すアルスハレアは最後に納得したように大きく頷いた。


「なるほど、それで結符までして……気が早いのだから、誰に似たのかしらねえ……」

「気が早いのは父様でしょうか?」

「アルフォードはそうでも無かったと思うわ~」

「ではやっぱり母様ですか……?」

「あのですねえ……そう言う会話は人のいない所、とりわけ当人の居ない所でお願いします」


 2人の会話にとうとう堪りかねてハルが口を出す。

 周囲で2人の会話を聞いていた帝国兵達が笑いを堪えていることに気付き、いたたまれなくなったのだ。


「あら、聞こえていましたか?」


 しれっと言い返すアルスハレアに、ハルは手強い相手を自ら増やしてしまった事に気付き頭を抱えるのだった。






 同時期、北方関所兵士食堂



「というわけなのだが……条件は今話した通りであるが、どうか?」

「土地をくれるって言うのなら否やはありませんや。全面的に賛成しますぜ!」


 アダマンティウスと話しているのは50歳代の逞しい体つきをした帝国人。

 顔や腕に付いた刀傷と、その物腰から普通の市民では無いことが推察できた。


「退役兵協会はシレンティウムの移住者応募に協力しますぜ!」

 





 シレンティウム籠城戦での援軍に間に合わなかったアダマンティウスは、ハルからの指令で関所に居残り、帝国内の情報収集と移住者の募集を担当する事になった。

 そして今、アダマンティウスはシレンティウム籠城戦前にハルとの話し合いで提案したとおり、退役帝国兵を雇うべく帝都の退役兵協会に手紙を出して条件付きでシレンティウムへの移住を呼びかけたところ、退役兵協会がこれに応じてきたのである。


 シレンティウムが提示した条件は


1 シレンティウム市においては帝国人、クリフォナム人、オラン人その他の人種 別なく法令の下に平等で   ある事に、真に納得できる者

2 工兵経験、若しくは都市造営技術を持つ者、または現役兵として活躍可能な体 力を有する者

3 職務は都市造営における技術監督、技術指導、建造、設計または兵士勤務

4 シレンティウム完成後、シレンティウムに土地4Hと住宅地を与える

5 その後は自由契約とするが、シレンティウム在住者は、防衛戦に限って招集に 応じること


というものであった。


 帝国の退役兵達はかつては故郷に戻って農民となる者が多かったが、ここ数年は用心棒や護衛として商人に雇われたり、あるいは貴族の私兵となって働いたりと、現役時代の経験を生かした仕事に就いている者が多い。

 農地に適した土地が少なくなったことで退役時に給付される土地が無くなり、代わって退役金として金貨が支払われるようになったためだ。

 帝国軍退役兵協会は退役兵達にそういった仕事を紹介したり、あるいは退役兵を雇いたい者達に退役兵を斡旋したりする役割を果たしているのである。


 その退役兵協会の会長であるセプティムスはわざわざ帝都から馬を飛ばし、北方辺境関所までアダマンティウスを訪ねてきたのであった。

 セプティムスももちろん元帝国兵であった。

 現役時代は北方辺境関所で百人隊長を勤めていたのだが、退役後は一旦貴族の私兵となった後に退役兵協会の会長へと就任している。


「既に1500人の応募がありますぜ……兵士希望がその内の500人で、後は技術職希望者ですな。退役兵達の家族が移住しても良いのでしょ?」

「おお、構わんよ。むしろ大歓迎だ」

「なら少なくとも後5000人は確実に集まりますぜ司令官。素行不良者は当然除いてありやすんで、心配しないで下せえ」


 ガッチリと握手を交わすと、セプティムスは厳つい顔に似合わない人なつこい笑みでアダマンティウスにそう言い足した。





 数日後、北方辺境関所・アダマンティウスの執務室



 伝送石で送られてきた命令書を手にしたアダマンティウスは絶句していた。


「まさかこの様な事が……本気で南部大陸侵攻を考えているのか?」


 その命令書にはアダマンティウスを定員5000名の第22軍団軍団長に任命すると共に北東管区国境警備隊を解体し、残った15000名の兵士を3個軍団に編成し直して帝国領南方へ送るよう記されていた。

 また併せて北東管区国境警備隊の有していた砦や設備は全てシレンティウムに譲渡し、辺境護民官の指揮下に入るよう追加命令が付されている。


 そしてもう1通。

 こちらはアダマンティウスを通じて辺境護民官へ示達されることになるが、ハルに対する報償と今後の記載がなされていた。


 その内容は

1 辺境護民官ハル・アキルシウスの戦功をたたえ、皇帝賞詞及び大判金貨1000を与える

2 辺境護民官ハル・アキルシウスに担当地域での州総督権限を付与する

3 第21軍団の再建を認め、更に第23軍団の新設を認める

4 軍団の再建、新設は費用装備を含めて辺境護民官の裁量によってなされる

5 北東管区の国境防衛は辺境護民官に一任し、辺境護民官配下の国境警備部隊の設置を認める

というものであった。


 これは完全に帝国北東の国境防衛をハルに委ねる事を意味する。

 軍上層部はおそらく後詰めの兵士達も根こそぎ南部へ移動させるつもりだろう。

 約4万もの兵士で守っていた帝国北東部の国境地帯を、辺境護民官ハル・アキルシウスであれば僅か1万5千程度の兵で守れると踏んだのだ。


 追って西方郵便協会から正式な命令書が送られてくるだろうが、これでアダマンティウスはしばらく北方関所を離れられなくなってしまった。

 軍団再編の指揮と兵士輸送の手配をしなければならない。


「うぬっ、全く貧乏くじばかりだ……本当に難儀な役目を仰せつかる」


 先日気の早い退役兵100名とその家族の一団と併せて辺境護民官の知り合いだという2人の少女を送り出し、ようやく一段落付いたと思ったのだがなかなか楽はさせて貰えないようである。


「まあ、辺境護民官殿の方が大変であろうか……」


 アダマンティウスは命令書を手に早馬の準備を命じつつ、2人の少女の顔を思い出しながらつぶやくと、そっとため息を漏らした。


「おまけに……お主、本気で辺境護民官殿に仕えるつもりがあるのか?」


 アダマンティウスの言葉に僅かに頷くのは30代半ばの鋭い顔付きをした男。

 むろん帝国人であるが、鋭いのは顔付きだけで無く雰囲気もどこか怜悧なものを纏っている。


「そのハル・アキルシウスという辺境護民官に興味があるのは事実です。施策も素人にしてはなかなか堂に入っていますな。私が力を貸すに値する人物かどうか見極めた上でのことになるとおもいますが……彼からの依頼内容についても申し分ありませんので」

「シッティウス……何もそう取り繕って話さんでも良いではないか。本音はどうか?」


 ぞんざいで高飛車な物言いをする男を呆れたように見ると、アダマンティウスは諭すようにその男、シッティウスへ言葉を投げかけた。

 アダマンティウスの視線は意味ありげに窓の外へと注がれている。

 するとシッティウスはそれまでの態度を一変させ、恥じ入るように下を向きつつ唇をかんで答えた。


「くっ……確かに生活に追われているというのが正直な所です……貴族の仕返しは思った以上に陰湿で粘着質ですな……」

「ふむ、であろうな。でなければ一族郎党引き連れては来ないだろうからな」


 表を見るアダマンティウスの視線の先には、馬車に家財道具を満載したシッティウスの家族が当主の帰りを待っていた。

 一族上げての移住である事は明白で、どうにもコロニア・リーメシアの街で隠退生活を楽しむどころでは無かったようだ。


「今となっては仕方ないことですが、家族を追い込んでしまったというのが悔やまれてなりませんな……」


 落胆した声色でつぶやくシッティウスの姿が哀れである。


「まあ良かろう、口は利くから心配しなくても良い。そもそもお主のことは私が推薦したのだ」

「恩に着ますが……今の私には報いる術がありませんな」


 元気づけるように言葉をかけたアダマンティウスに、シッティウスは短く答えた。


「なあに、仕事で報いてくれれば良い。それ以上は辺境護民官殿も求めないだろう。とにかく辺境護民官殿の力になってくれれば良いのだ」

「あなたにそこまで言わせるとは、ますます興味深いですな。では宜しくお願いいたしましょうかな」


 自分の答え方に気を悪くした様子も無く、更に言葉をかけてくるアダマンティウスにシッティウスは今度こそ本当に興味を抱いた。

 少なくとも辺境護民官はこの誇り高い老将の尊敬の念と、助力を獲得するだけの人物である事は間違いなさそうである。


「おお、そうか!では、次の退役兵達が到着し次第出発して貰おう。しばらく休んでいると良い」

「分かりました……ここでやれる事もありますし、待つのは大丈夫ですな」


 元能吏の態度が変化したことに気付いたアダマンティウスが陽気に言うと、シッティウスもようやく軽い笑みを浮かべて答えた。



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