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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第2章 シレンティウム造営
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第1話 戦勝の影響

 6日後、北方辺境関所


 シレンティウムの戦いの顛末が早馬で北方辺境関所にもたらされた時、アダマンティウスは直ぐさま使者を引見した。

 騎乗で駆け続けて来た帝国兵は疲労困憊であったが、水を飲み、息を整えてアダマンティウスへ一気に報告する。


「アキルシウス辺境護民官率いるシレンティウム市は、アキルシウス辺境護民官殿自身が敵英雄王アルフォードを一騎打ちにて討ち取り、ダンフォード王子のフリード族軍をシレンティウム郊外にて破りました!」

「何と!!我々が応援に駆けつける間もなく打ち破ってしまったか……!」


 報告を聞き絶句するアダマンティウス。

 しかも、あの英雄王を一騎打ちにて討ち取ったという。


「急げ!!直ぐに帝都へ使いを出すようにっ!口頭使者で構わない!」


 アダマンティウスが従兵に命じ、命じられた兵士が帝都へ早馬を走らせるべく慌てて駆けてゆく。




たちまち戦勝に沸く関所。


 思うように兵士が集まらずに難渋していたアダマンティウスであったが、自分達が間に合わなかった事など些末な事と思えるくらいの衝撃だった。

 帝国北方における最大にして最強の敵がシレンティウムとの戦いで消えたのだ。

 その立役者である、ハル・アキルシウスの名は帝国に留まらず近隣諸国に轟く事は間違いない。

 それまでの鬱々としていた気分を吹飛ばすかのような偉大な勝利であった。

 

 上機嫌で執務室へ戻るアダマンティウスの目に、帝国兵とやり合う2人女性の姿が目に入る。

 関所はアルフォード王がシレンティウムを攻めるという情報が入った時点で閉鎖しており、帝国人の商人達やオラン、それにクリフォナムの族民達は一切出入りしていない。

 無駄に人心を動揺させるなという帝国軍上層部からの指示で、アルフォード王が軍を動かしたという事には触れていないが関所閉鎖の通知は徹底させており、帝国側においては周囲の村や町にも既に触れは出してある。

 今はハルがアルフォード王を打ち破ったことで解放に向けて手続きが進んではいるが、そもそも原則として西方帝国は北方辺境への越境を認めてはいないのだ。 


 しかし見れば2人のうら若き女性が通過の許可を求めて粘りに粘っている。


「どうしたのか?」

「あっ、アダマンティウス司令官。実は……」


 アダマンティウスが2人の猛攻撃にどう対応したものかと苦しんでいる兵士の同僚に聞けば、既に半月近い足止めにも屈せず毎日ああして粘っているらしい。


「ふむ、なるほど……奇特なものだな。何か事情があるのか?……とにかく私が話をしてみよう」


 アダマンティウスはそう言いながら2人に近づいていった。






 北方辺境関所、兵士食堂


「……という訳で、誠に申し訳ないが関所を越える事は出来ないのだよお嬢さん方」


 ルキウスの時と同じように食堂で対応するアダマンティウスの理を尽くした説明に納得する様子も無く、机に身を乗り出しながら群島嶼の衣服に身を包んだ長い黒髪の少女がアダマンティウスに噛み付く。


「何で身内に会いに行くのに制限があるのっ!?」

「そうです、私は……身内ではないですけど、とにかく御世話になった人が向こう側にいるので、どうしてもこの関所を通して欲しいんです」


 そして旅装ではあるが、もう1人の帝都の町娘といった風情の少女が穏やかにではあるがアダマンティウスへ無理な要望を出す。


「いや、そうではなくてだね……今は戦争中で危険だからという事なんだがね」


 温厚な性格のアダマンティウスであったがこの2人にはほとほと困り果てた。

 シレンティウムでの戦勝はまだ国家の秘事であるが故に明かせない為、従来通りの説明を繰り返すことしか出来ないのだが、新たな頭痛の種に額へ手を添えて顔をしかめる。


「とにかく……先は分からないが今は駄目ですな。とりあえず名前と年齢、それから北方辺境の知り合いの名前と行き先を教えて貰いたい。後でなら力になれると思う」


 アダマンティウスの言葉に2人は頷き、それぞれ名前と年齢、それに会いたい相手を言った。 


「秋瑠楓17歳!秋留晴義……じゃなかった、ハル・アキルシウス辺境護民官の身内なんだけどっ。今どこにいるか知ってますかおじさんっ!?」

「プリミア・ロットです。歳は18ですが、……もうすぐ19歳です。私が会いたいのはハル・アキルシウスさんという帝都で治安省の官吏さんだった人なんですが、ご存じでしょうか?」


そこで互いに隣の少女を見つめる2人。


「え?……ハル兄の知り合い?」

「ハルさんの……身内?」


 見えない何か鋭いものが交錯し、その2人の様子を見ていたアダマンティウスの額に冷や汗が浮かんだ。







 北方関所から10日後、帝都中央街区、元老院前広場



「……以上の顛末により、北方辺境護民官ハル・アキルシウスは蛮族クリフォナムの蛮王アルフォードを一騎討ちにて討ち取り、先任である英雄アルトリウスの汚名を雪いだのみならず、その子ダンフォードの軍を敗走せしめ、北方辺境に安寧と平和をもたらした。マグヌス帝はこの功績を激賞し、北方辺境護民官に彼の英雄アルトリウスの率いた帝国第21軍団の再建を認め……」


 告示官吏がその大声を遺憾なく発揮し、元老院前広場で告示文を読み上げる。

 朝夕定時に1日2回行われる告示は普段訴訟関係者以外は聞く者もほとんどいないが、北方辺境での一戦が告示され始めるとたちまちその噂は帝都中に広まった。

 そして告示の2回目が行われる夕方には、ハル戦勝の告示を聞きに来た帝都市民で広場は埋め尽くされる。


「……おい、ハル・アキルシウスって……?貴族に逆らって北の辺境へ飛ばされたっていう治安官吏じゃ無かったっけ?」

「確かそうだ、変わった名前だから覚えてるなあ」

「へえ~あの英雄王と一騎討ちか……やるじゃないか」

「左遷されたのに腐らず頑張ってたんだなあ……」

「まだ、この帝国にも優秀な官吏が居たんだねえ」


 告示が規定通り2回読み上げられると、それまで静かに告示を聞いていた帝都市民達がどよめき、ざわめき始める。

 次第にそのざわめきは熱を帯び始め、興奮が頂点に達すると、何時しか帝都市民の中から帝国万歳の声が上がり始めた。

 静かに進行する腐敗と身分格差、財産格差に社会の逼塞感が帝都市民を縛り、いつしか暗い雰囲気を纏うようになっていたが、久々に聞く胸のすく告示に鬱屈したものを発散させるかのように歓喜の声が爆発した。




 北方辺境関所からもたらされた戦勝報告に帝都は震撼した。


 帝都市民は、左遷された気骨ある官吏が逆境にもめげず辺境で頑張っていた事に驚喜した。

 貴族派貴族は、左遷したはずの官吏が恐るべき力を付け始めた事に恐れを抱いた。

 中央官吏は隠し続けてきたシレンティウムの成功が明らかになった事に臍をかんだ。

 軍閥は帝国北方の脅威が大きく減退したことに気を良くし、南への野心を募らせる。

 そして元老院は紛糾したのであった。



 


 帝都中央街区・貴族街、ルシーリウス卿・帝都邸宅



 豪華絢爛という言葉が正に相応しい邸宅の大広間。

 磨き上げられた真っ白な大理石はまるで鏡のような輝きを誇り、洗練された彫刻や壁飾りが屋敷中を彩る。

 貴族派貴族の主立った者達が元老院の開催通知を受け、まず向かったのはこの白亜の邸宅であった。





「ルシーリウス卿、あの小憎たらしい辺境護民官の話は聞きましたかな?」


 真っ白な楕円長衣を身に纏いながら、腹の中の黒い物がにじみ出そうな風貌の男が阿るように口を開いた。

 しかしその声に反応する者達は無く、場は静まりかえったまま。

 言葉を発した男が少し気まずそうに黙り込むと沈黙が辺りを支配した。

 十数名の貴族達が集まっているその中心に、邸宅の所有者である貴族派貴族の筆頭、ルシーリウス卿が口を真一文字にひき結んだまま目を閉じているのである。

 時折ごくりと喉を鳴らす貴族達ではあったが、ルシーリウス卿の思索を邪魔しないよう細心の注意を払い続ける。


「……ルシーリウス卿?」


 先程の男、貴族派貴族の1人プルトゥス卿が再度空気を読まず、そう問いかけると、ルシーリウス卿の左こめかみにぴきっと血管が浮き出る。

 息を呑む貴族達を余所にゆっくり目を開いたルシーリウス卿は、ぎろりとプルトゥスを睨み付け、身震いしたプルトゥスを余所に口を徐に開いた。


「アルフォードの息子とやらも大したことは無い……折角援助をしてやったというのに辺境の護民官1人仕留められんとは……代金はしっかり徴収したのだろうな?」

「はは、はい~それはもうきっちりと金と銀で支払いをさせております……」

「それなら良い」


 プルトゥス卿が答えると、ルシーリウスは嘆息する。

 軍閥が南の大陸を狙っている事は知っているし、その準備を画策している事も耳に入ってきていた。

 しかしおいそれと軍に力を付けさせる事も、帝国が領土を拡大することも貴族派貴族は望んでいないのである。

 軍を起こせば当然帝国との取り決めによって貴族派貴族も人員や資材、物資や資金を提供せねばならず、それは生半可な負担では無い。

 享楽生活を送りたい貴族や、自分達の資金を目減りさせたくない貴族にとっては精神的にも物質的にも非常に大きな損失となる。


 ルシーリウスとしては帝国行政府がこの出兵を口実に貴族の資産調査に踏み切り、自派の切り崩しと経済的な力の削ぎ落としに動くのを恐れた。

 万が一にも資産調査などされようものなら貴族派貴族の持つ資産が帝国の持つそれを遥かに凌駕している事など直ぐに知れてしまうし、調査を妨害しようものならそれだけで反逆罪に問われかねない。

 非合法的な手段で資産を形成した者も少なくない貴族派の貴族たち。

 元々地方の経営を帝国に代行する形で領地を手に入れたのであるから、本来手間賃以上の資産形成は許されない立場であるのだが、最早それが形骸化して100年以上が経つ。


 しかし原理原則は未だ生きており、今の皇帝も3派調停型と言えば聞こえは良いが、その実若い頃からどうにかして皇帝権限を強化しようとあれこれ手段を講じ、派閥の勢力削減を狙っている油断ならない人物である。

ただ今の所皇帝に権限を渡さないと言う事で一致している3派によって、その目論見は上手くいっていないのだ。

今回も自分の息子に恥をかかせた群島嶼の南蛮人を辺境護民官となし、これを殺めさせて北の脅威を協調し、軍の南進を防ごうと画策したのであるが上手く行かなかった。

 息子のヴァンデウスに生き恥を晒させたこともあるが、自分の策が上手く行かなかった事と相まって、ルシーリウスははらわたの煮えくりかえる思いでいたのである。

 口をつぐんで考えるルシーリウスに、プルトゥスがめげずに再び声を掛けた。


「それで……あの辺境護民官はどうしますかな?」

「……どうもこうもない、我が一族の後継者に恥を掻かせたのだ、それなりの償いはして貰う事になる」

「如何しますかな?また部署を変えてしまいますか?最早北の地に置いておく意味はありませんが……」


 貴族の1人がそう言うとルシーリウスはふんと鼻を鳴らした。


「馬鹿な、老いたりと雖もアルフォード英雄王を討ち破った新たなる北の英雄だぞ?都市の再建も順調と聞く。前のように軽々しく左遷など出来る訳が無いし、その理由も無い。第一帝都の市民や臣民達が許すものか」


 ルシーリウスの言葉に場は再び沈黙に包まれる。

 しばらくして1人の初老の貴族が意を決して発言を求め、ルシーリウスが顎で促すとその初老の貴族は一礼した後口を開いた。


「しかしクリフォナ・スペリオール州を復興させた所で皇帝直轄州である以上、殺すにせよ左遷するにせよ、今を逃せば我々に今後手出しは出来ませんぞ?そもそもあ奴は中央官吏。我々に出来るのは以前のように圧力を掛けて閑職に追いやることだけですが……如何しますか?」


 初老の貴族の言葉にルシーリウスは頷く。


「そのとおりだ、我々は元老院議員とはいっても行政権限を持っていない。役職は中央官吏共に抑えられているし奴はそもそも中央官吏だから人事もいじれん。だがやりようは幾らでもある……こうなっては仕方あるまい、差し当たっては軍閥の馬鹿共の思惑に乗ったふりをして奴らを焚き付け、北方辺境から兵力を奪い取ってやろう」


 ルシーリウスの言葉に初老の貴族は頷く。


「分かりました、では帝国軍の高位将官に当たりを付けておきましょう」

「頼む、それから北方辺境に対する監視を強めるようにしてくれ。プルトゥス!」

「は、はひっ!」


 満足そうな笑みを浮かべ初老貴族が退室するのを見ていたルシーリウスは、続いてプルトゥス卿を呼びつけた。


「な、何でございますでしょうか?」

「卿は、各地の商人に顔が利いたな?」

「はひいっ」


 豚のような返事を返すプルトゥス卿を汚物を見るような目でみたルシーリウス卿は、それでも利用しがいのある人物である事を懸命に思い出しながら言う。

 プルトゥスはかつて商工長官の地位にあったことがあり、その頃の黒い伝手や交友関係を未だに持っている。

 実際ルシーリウスも一方ならぬ恩恵を受けている1人で、容姿思考は愚かの一言に尽きるが類は友を呼び、利に聡い商人や地廻り連中とは妙に仲が良く、あながち無能とも言えないのだ。


「シレンティウムや北方辺境に入る物資や人を調べろ。速やかにな」

「承知しましたっ。すぐに手配致しますっ」

「それから……シルーハの協力者との連絡を密にしろ。手を借りる事になるかもしれんからな」

「はひいっ!」


 たるんだ身体を揺らしながらプルトゥスが去るとルシーリウスは徐に腰を上げた。


「では我らの戦場へ行くとしよう」


 数名の元老院議委員に任じられている高位貴族が腰を上げ、ルシーリウスに付き従う。

 皇帝出席の元老院特別会は間もなく開催である。






 帝都中央街区、帝国軍総司令部



「実に素晴らしい!!!」


 アダマンティウスから送られてきた伝送石による仮の報告書を読み進めると、厳つい短髪の中年将官は感嘆の声を上げた。

 筋骨逞しい体格に見合った大きな声は周囲の物を振わせる程の声量で、慣れた副官達は瞬間に耳を塞いで事なきを得る。

 最低限度の装飾として壁に掲げられていた盾や剣が将官の大声にカタカタと軽く揺れた。


「何者だ?このハル・アキルシウスという辺境護民官は?一騎討ちで北の英雄王を倒すとは、ただの中央官吏では無いだろう!」


報告書を副官に手渡しながらその高位将官、帝国軍総司令官ティトウス・スキピウスは相変わらずの大声で尋ねる。


「調べました所、群島嶼のヤマト剣士であるそうです」


報告書を受け取らねばならなかった為に耳を塞ぎ損ね、大声の直撃を受けてしまった副官が顔をしかめながら答える。


「ほう!?群島嶼か!!確かに奴らには随分と手こずったな!!」


 興味津々という顔で副官の話に喰い付くスキピウス。


「はい、しかも熾烈な抵抗を最後まで続けていたク州の出身ということです」

「なにっ!?何故そんな逸材が中央官吏などにっ?しかも、何故辺境護民官なんかになっているのだあ!!」


 思わず席から勢い良く立ち上がり、豪華な椅子を後へ倒してしまうスキピウス。

 スキピウスは3年前にようやく終結した群島嶼侵攻戦で、敗北しながらも粘り強く敢闘した群島嶼の剣士達をことさら高く評価しているのだ。

 帝国としては莫大な犠牲と戦費を費やさされた憎き敵であるが、現場で戦った者達にとってはそれ以上に勇敢で堂々としたヤマト剣士達の戦い振りが強い印象を残しているのだろう。


 かくいうスキピウスも群島嶼侵攻戦では軍団長の一人として最前線で戦った。

 それ故に群島嶼の剣士達を帝国軍へ熱心に勧誘しているが結果ははかばかしくない。

 すさまじい音を立てて倒れた椅子が落ち着くのを待ってから副官は言葉を継いだ。


「何でも一族への仕送りの為に帝都の治安官吏と働いていましたそうです。ルシーリウス卿の長男を取り締まった事で貴族派からの圧力がかかり、左遷されてしまったようです。勤務態度は真面目であったそうですが、融通が利かずに苦労させられたとは元上司からの言です」

「ふううん……実に興味深いっ!」


 だんと机を叩いて天井を仰ぐスキピウスはその顔に満面の笑みを浮かべた。


「ヒルティウス!是非とも手合わせをしてみたいぞ!!」

「はあ……また悪い癖が……」


 大声を避けようと少し離れながら答える副官ヒルティウスに、スキピウスが無邪気な笑顔でそう言い放つと副官がため息をついた。


「うん?何だ!?何か言ったか!!?」


 ヒルティウスのぼやきを聞きとがめたスキピウスが振り返る。


「いえ、何でもありません。辺境護民官は職務上大変繁忙でありますし、何分遠い北方辺境です。手合わせだけの為に呼び寄せることも出来ません。そもそも彼は中央官吏で我々が命令できる立場にもありませんので、総司令官の要望は実現不可能です」


 しかしヒルティウスは平然と自分の愚痴を誤魔化しながらもスキピウスの要望が無理難題である事を説明する。


「むっ、それもそうか……しかし、実に惜しい逸材だな!南方侵攻作戦で軍団を任せたいぐらいだ!……おいおまえ、ちょっと行って引き抜いてこい!」

「それは無理と先程申し上げました」

「……ぐうっ残念だっ」


にべもないヒルティウスの言葉にしょげかえって机に手を突くスキピウスだったが、その耳に自分の部屋へと近づく足音が入ってきた。


「ふん?この軽くて勿体ぶった足音は……貴族どもか?」

「如何しますか?」

「通してやれ……!また提案と抜かして腐った話をするつもりだろうが、聞かない訳にはいかないだろう!」


 ヒルティウスの質問にスキピウスは椅子を元に戻し、居住いを正して着席すると机に肘を突き、その上で手を組み合わせる。


「今日はどんな耳グサレ共が来るか楽しみだ!」

「小官は全く気が進みません……総司令官、我々の主目的を見失わないようにお願いします。貴族派貴族は老獪です、決して言質を取られませんようお願い致します」

「分かっているとも!」


 どこかうきうきした様子のスキピウスを見たヒルティウスは、胃の辺りを僅かに押さえるのだった。






帝都中央街区、元老院・執政官執務室



 元老院はもう間もなく開催であり時間は余り残されてはいない。

 早馬が到着した直後に元老院の開催が通知されてきた為、どの派閥も今頃対応や協議に追われていることだろう。

 大陸の西に覇を唱える西方帝国の最高行政官である執政官の執務室としては些か心許ない感じのする飾り気の一切無い部屋に、高位文官達が集合していた。


「……とにかく貴族派貴族は辺境護民官の解任に焦点を合わせて動くだろう、理由は何であれこれは何としても阻止しなければならない。帝国発展の為に北方辺境は重要だ。その重要な北方辺境はあの左遷された群島嶼人を軸に回り始めている。折角動き始めたものを今更止める法は無い」

「しかし理由として挙げられるのは州としては不安定で、未だ未成熟であるという一点だけですと押し通すのは無理がありませんか?」


 カッシウスの言葉に高官の1人が質問するように言うと、カッシウスも少し苦しそうに答える。


「うむ……しかし他に理由は無いだろう。何か妙案があれば出して欲しい」

「南方侵攻を目指す、軍閥がどう考えているかですが……」


 更に別の高官が軍の動きについて気に掛ける発言をした。

 南方作戦について帝国行政府は反対している。

 国庫負担が大きすぎる為である。

 もしこの件が認可されれば10万の兵士が動員され、その動員に見合った補給体制の構築と消費物資の準備、武具の調達に輸送体制を整備しなければならない。


 ある程度街道や航路の整った西方帝国領内ならいざ知らず、未だ未開の地である南方大陸のその様な輸送設備は無く、また南方大陸に到達するのも天候に大きく左右される不安定な輸送手段であるところの船舶に頼らねばならない。

 そして南方大陸の揚陸設備も小さく、この整備にも時間と費用がかかるのだ。

 南方大陸での軍事行動については、目的や意味合いは違うものの阻止について貴族派貴族と連携していかなければならない。


「……余り貴族派貴族と対立したくは無いのですが」

「それは仕方ないだろう……今は北の話だ、軍に一度辺境護民官の件について協議を持ちかけたが、断るどころかハル・アキルシウスを軍へ転籍させろと言ってきた。本末転倒なので断ったのだ」

「なかなか軍は目敏いですね。それを言ってきたのはスキピウス総司令官ですか?」

「いや、副官のヒルティウスだ。何時もの通り太鼓持ちの先読みだろうが、あいつだけは全く油断ならない」


 カッシウスは、怜悧な目をした総司令官副官の顔を思い出しながら、忌々しそうに言った。

 総司令官のスキピウスは兵士に対する人望は絶大ではあるものの、良くも悪くも軍人であり、その発想や思考形態は悪く言えば単純でおよそ政治家としてのものでは無い。

 そのため非常に与しやすい相手と言えるが、その副官であるヒルティウスは全く持って油断ならない人物。


 むしろ今カッシウスらが警戒すべきは副官の言動と思考の方である。

 何度か予算交渉で協議を持ったが、煮え湯を飲まされたこともあった。

 それ以上に煮え湯を呑ませてもいるが、軍人らしからぬ思考の持ち主にカッシウスは普段から警戒心を持っていたのである。


「……では、軍も解任に同意する恐れがあるのでしょうか?」

「貴族派貴族とは目的が余りに違いすぎるからそれは無いだろう。貴族は辺境護民官を亡き者にするのが目的だが、軍はその武略を求めてのことだ。決して合意には至らないと思うが……」


 軍には軍の思惑があり、それは貴族派貴族とは相容れない。

 最悪ハルを転籍させるという交換条件を提示すれば、軍はこちら側に付くはずである。

 しかしそれとは別に、中央官吏達は軍の主目的である南方侵攻には否定的で、その阻止という点についてだけ言えば貴族派貴族と協力をしなければならない。


「しかし解任してしまえば自由になるのでは?」

「解任するのは辺境護民官の職であって中央官吏を解任する訳では無い。転籍は執政官である私の同意と総司令官の同意両方が無ければ出来ん。私に同意するつもりが無いことはヒルティウスとスキピウスにはっきりと伝えた」


最初に発言した高官が再びカッシウスに質問するが、カッシウスは頭を振ってその意見を否定すると執務机から立ち上がって言葉を継いだ。


「いずれにせよ今日の議題は北方辺境に関してであろう。それに付随して辺境護民官の身柄や措置に関する議論が主な物になる。本題はこの件が片付いてからだ」






 後刻、帝都中央街区・元老院議場



 帝国では一定以上の高位文官、高位武官を勤めた者は例外を除いて領地を持たない一代限りの貴族に任じられ、更にその上位に位置する者達は元老院議員に任じられる。

 官職を退いた後も元老員議員の身分は終身である為、家系により元老院議員となる高位貴族と平民や下級貴族出身の元官吏や軍人の席数は常に拮抗しており、今までこの均衡は破られず維持されたために帝国の健全な運営に寄与してきたのである。


元老院は年1回の定例招集、皇帝が招集を議長に求め議長がこれを承認する皇帝招集、元老院側の求めによる元老院招集があり、今回は皇帝招集に当たる。

 重要案件のある場合は皇帝臨席が行われ、今回は北方辺境の変事に対するものであることから皇帝マグヌスが議長に元老院の招集を求めた為、マグヌスは議長席の後方に位置する皇帝特別席へ既に着座している。






「……権限はこれ以上与えることは適当で無いと考えます。辺境護民官という官職の性質を考えればこれは当然のこと、これ以上の権限を与えるならば正式な帝国属州と成し、辺境護民官を解職して新たな州総督を任ずるべきでしょう」


 開会から議題は辺境護民官の身分措置と、今後北方辺境に対してどういう姿勢で臨むかというものに集中した。

 貴族派貴族は辺境護民官の解任と中央召喚を求め、中央官吏派は辺境護民官ハル・アキルシウスに対する更なる権限拡大を求めた為に議論は平行線をたどっていた。


 貴族派貴族の筆頭であるルシーリウス卿が発言を終えると、中央官吏派の筆頭である執政官カッシウスが元老院議長に発言の許可を求めた。

 議長がルシーリウスの着席を待ってからカッシウスに発言を許可する。


「まずこの度の戦勝に対するハル・アキルシウスやそれに協力した者達への恩賞を考えて頂きたいのに、いきなり権限削減や解職を申し出るルシーリウス卿にもの申したい。本来であれば帝都へ召喚し、凱旋式を催しても良いくらいの大功ですぞ!」


カッシウスはそう前置きをし、ルシーリウスが嫌そうに顔を背けるのを確認してから徐に言葉を継いだ。


「私はルシーリウス卿に反論はせねばなりません……未だシレンティウムと名付けられた彼の廃棄都市と州の成熟は不十分と考えます。ここは現職の辺境護民官に権限を与え、更なる帝国版図の拡大と発展を目指す方がより帝国のためになりましょう。彼の者にはそれだけの能力がある事はこの戦勝で明らかになりました。ここは優秀な官吏に全てを任せるべきです!」

「それでは執政官は帝国属州への格上げはどの時点において、どの程度の発展度で行うべきと考えておられるのか?目安を示して頂きたい」


 ルシーリウスが挙手しながら質問する。


「発展度について法令による規定はありませんし、従来通りこれは中央から行う現地調査と辺境護民官の申請を受けてという形で良いと思いますが。これに何か不都合でもありますか?」

「不都合という程のものでは無いが……そのような優秀な官吏は中央で活躍させるべきではありませんか?もしくは西方のどこか適当な市長にでもして、労をねぎらってやっても良いのでは無いかと思うのですが。どうですかな?」


 カッシウスの回答にルシーリウスはやれやれといった風情で言葉を返すが、片眉を上げたカッシウスが更に言い返す。


「おや?治安官吏であったハル・アキルシウスはルシーリウス卿たっての願いで北方辺境へ異動させたはずですが……お忘れですか?」

「ふむ、そうでしたかな?いずれにせよ優秀な者を辺境で腐らしておくわけにはいきませんでしょう。そうですな……武勇に優れたる者ということですから、軍へ転籍という形にしては如何でしょう?後任の州総督にはプルトゥス卿を推薦致しますぞ」


 痛い所を突かれたにもかかわらず、ルシーリウスは空とぼけて議論を素早くすり替え、軍の関心を誘う発言をした後にするりと自分の意見を入れた。

 軍閥関係者は現在の所不気味なぐらいの沈黙を守っており、この案件については全く発言していなかったのだ。

 自分の言葉の効果を見定めるようにルシーリウスは総司令官であるスキピウスを一瞥するが、スキピウスは腕組みをしたまま微動だにしていなかった。


 ……なんだ、何を考えている?


 慌ただしく行った事前協議で一応の賛同は取り付けたはずであるが、スキピウスの態度に不安を覚えるルシーリウス。


「話をすり替えるのは止めて戴きたい!そもそもまだ属州になっていないシレンティウムに州総督を任命するのですか?それに今までの慣例であれば州総督は辺境護民官がそのまま昇格するはずです」


 しかし直ぐにカッシウスが反対意見を述べてきた為、ルシーリウスはスキピウスの隣に控える副官ヒルティウスの笑みに気付かないままカッシウスへと向き直った。


「時代は変わったのですよ執政官。そのような腐敗の温床作りは賛同致しかねますな。ここは一旦人事を刷新した方が良いと思います」

「腐敗?腐敗ですと!?我ら官吏が腐敗しているというのですか!!」


 静かに睨み合う2人の気迫に押されて議場は静まりかえっていたが、そんな中で軍閥の首魁であるスキピウス帝国軍総司令官が議長へ発言許可を求めた。


「北東管区国境警備隊を解体し、兵1万5千を南部へ移動する許可を頂きたい!」


「い、いきなり何を言い出すのですか?」


 議場に轟くスキピウスの大声に怯んだような声でかろうじて言い返すルシーリウス。

 今日の議題は北方辺境と辺境護民官についてのものであり、軍の配置転換は議題に含まれていないはず。

 しかしそんな意見も全く意に介さずスキピウスは言葉を継いだ。


「辺境護民官にはこのまま北の抑えとなって貰いたい!アダマンティウスに北東管区国境警備隊の内5000を与え、第22軍団を新設しましょうぞ!辺境護民官に第21軍団の再建及び増強許可を与えておりますれば、アルフォードのいないクリフォナムなぞ簡単に押え込めましょう。北方に備えた軍を南へ移せば、更に2万は増強が可能です!この好機を逃す手はありませんぞ!今こそ南部大陸侵攻の許可をっ!!」


 一気に自分の意見を言い終えたスキピウスに議場は呆気に取られたが、いち早く立ち直ったカッシウスが負けじと声を張り上げてスキピウスを窘めた。


「総司令官!今日の議題は北方辺境についてですぞ!」


 その途端あちこちで隣り合う派閥同士の議員達がつかみ合わんばかりの議論を始めてしまい、一瞬で元老院議場は蜂の巣を突いたかのような大騒ぎとなり、収拾が付かなくなってしまった。







「……静まれ。皇帝陛下からの下問があるっ!」


 禿頭を光らせた元老院議長である大クィンキナトゥス卿の低い声で、それまで議論に熱中していた議員達が座り始め、しばらくしてようやく落ち着きを取り戻した。

 完全に静まったのは随分経ってからであったが、満足そうに議場を眺め回したマグヌス帝はゆっくりと自席から立ち上がる。


「熱心な議論結構なことだ、これが帝国発展の礎である……まず総司令官と執政官に尋ねる……北方の変事を何時掴んだ?何故我に報告が無いのだ?最悪の事態に備えるべき軍は何をしていたのだ?」

「うぬっ!」

「そ、それは……」


 皇帝の下問に詰まり冷や汗を掻くカッシウスとスキピウスの2人。

 軍はアルフォード挙兵とシレンティウム攻めを把握してはいたが、帝国に侵攻する類いのものとは見なさず、また辺境の廃棄都市を防御する労力と効果を天秤に掛けた結果放置した。

 またカッシウスはシレンティウムの存在が暴露されてしまうことを恐れてシレンティウムの存在やその発展度のみならず、アルフォードの挙兵についても報告をせずに隠していたのである。


「ルシーリウスに尋ねる。辺境の護民官任命権は誰にあるのだ?」

「……皇帝陛下です」


 辺境護民官は親任官であり、また中央官吏の人事権は皇帝に直結している。

 解任や異動について度々圧力を掛けて変えさせてはいたが、本来貴族とは言えルシーリウスが口出しを出来ることでは無い。

 しかし今回の発言に人事干渉を匂わせてしまったルシーリウスは、先の2人同様冷や汗を掻いた。


「おのおの自らの至らぬ所を反省するが良い……」


 しかし、3人が恐縮している様子を見て満足したのか鷹揚に頷くと、マグヌス帝はそれ以上の追求をせず再度ゆっくりと言葉を発した。


「執政官の申し様は尤もである。蛮王アルフォードが討たれたのであれば、これは帝国にとって喜ばしいことだ……辺境護民官ハル・アキルシウスには我が賞詞と大判金貨1000を与え、併せて州総督権限を付与することとするが如何?」


元老院議員達が皇帝の提案に拍手で賛意を示すと、マグヌス帝は鷹揚に頷きながら再び言葉を発した。


「ルシーリウス卿の提案は一部を認める、皇族の1人を監察官としてシレンティウムへと派遣し不正が行われていないかどうか監察させようと思うが、如何?」


 再度元老院議員達はその賛意を拍手で示す。


「軍総司令官の申し出はこれを認める……但し北方の軍指揮権限は辺境護民官ハル・アキルシウスを上位となし、非常時には更に1個軍団の増設を認めることとするが、如何?また別に南部侵攻は計画策定後、まず我と執政官の裁可を求めるが良い……」

「はっ!必ずや!」


拍手に負けない大声で答えるスキピウスに笑みを向けた皇帝は、最後に締めくくりの言葉を添えて、閉会を宣言した。



「帝国の平和と安寧、繁栄を希求すべき者よ、良きに計らえ。この件については以上である」






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