第22話 シレンティウム籠城戦 2
同時期、シレンティウム東城門
アルフォードを乗せた輿が使者を露払いにして東城門の近くに現われた。
『ハルよ……奴が来たであるぞ!』
「いよいよですか……」
普段超然としているアルトリウスもさすがに緊張感をにじませ、かつての仇敵が現れた事を自分の後継者であるハルに伝える。
先日一騎打ちの申し出をした際に回答を保留されて些か焦ったシレンティウムの首脳陣であったが、今日のフリード軍の動きを見て挑発が無駄で無かった事を悟った。
ハルは気力を漲らせ、自分の武器である先祖伝来の刀と、アルトリウスから借り受けた白の聖剣を手にしている。
白の聖剣は帝国兵が一般的に使用するグラディウスと同型で飾り気の無いものである。
しかし非常に軽く頑丈であり、その点においては一般的なグラディウスとは比較にならない。
片手で十分以上に取り回しが可能であったが、ハルは使い慣れない直剣でもある為左手で防御を主として使う事を決めていた。
敢えて不利となる事を承知で両刀にしたのは、自身の腕前にそれなりの自信を持っている事もあるがアルトリウスの汚名返上の為という意味合いが強い。
『ハルヨシよ、我が聖剣は軽く頑丈ではあるが、アルフォードの剛剣を真っ向から受けるのは無謀である。ここぞという時以外はまともに打ち合うでないぞ』
「わかりました先任」
アルトリウスのいつになく真剣な忠告をしっかりと受け止め、ハルは剣の鞘をゆっくりと払った。
白く、冷気を纏った剣身が露わとなる。
「ハル……気を付けて下さい」
気遣わしげな様子を全面に出して泣きそうな顔のエルレイシアがそう声を掛けると、ハルは振り返って小さく微笑み右手を挙げて城門に向かった。
「辺境護民官に告ぐ!我がアルフォード英雄王は最後の温情を示された!このまま都市を巻き込み最後の一兵まで戦うならばそれも良し!その際は兵、民一同全滅せよ!その方が都市の代表として英雄王との一騎打ちに応じるならば兵及び民の命は安堵される!その方が負ければ、城門を開き降伏せよ!万が一にも我が英雄王が遅れをとらば兵を退こう!返答や如何!?」
「一騎打ちの申し出をしたのはこちらが先だ!……私が勝てば降伏しろ!英雄王!」
「おう!!勝てると思うかっ小僧!良かろうっ!!万が一にも貴様が勝たば降ってやろうわ!」
口上を述べたダンフォードをからかうように返答したハルにアルフォード王が威勢良く応じた。
齢80とは思えない張りのある声でハルの挑発に乗ったアルフォード王は輿からゆっくりと降りると抜き身の大剣を右手に、そして黒い箱を輿に置いて進み出た。
ハルの徴発に易々と乗ってしまったアルフォード王に、ダンフォードは渋い顔になるがどうせ王諸共撃ち殺すのである。
大勢に影響は無いと思い直して間諜への合図を出させた。
僅かに開かれた城門からハルはシレンティウムの外へと出る。
正面には頭二つ分程も背丈の違うアルフォードが仁王立ちしており、ハルはその近くへ静かに歩み寄った。
お互い弓の射程距離ぎりぎりの位置に立つ2人。
同時にシレンティウムの城門が閉じる低い音が聞こえる。
これでハルに後は無い。
次に城門をくぐるのは目の前の英雄王に勝利した時のみ。
「フリードの王にしてクリフォナムの王、アルフォード!!」
「西方帝国辺境護民官、秋留晴義」
割れ鐘のようなアルフォードの声と落ち着いたハルの声が重なった。
周囲はこれから始まる戦いの行方と中身に思いを馳せ、しわぶき一つ無く静まりかえっている。
「はん……貴様がアルトリウスの後継者か?群島嶼の小僧。」
「そうですが……アルフォード英雄王。おとぎ話の英雄にこの様な形で会えるとは思っても居ませんでした」
「ぐっぐっぐっ、なるほどおとぎ話か……確かに小僧からすれば現実味の無いおとぎ話の世界の出来事だろうが、あの時代を懸命に駆け抜けたわしらにとっては昔話であってもおとぎ話などでは無いわ!貴様ごときにアルトリウスの後継が務まるか?わしが試してやろう!!」
その言葉が終わると同時、戦いは唐突に始まった。
ぐあっと獣のような声を上げたアルフォードが大剣を一気に横へ振り抜く。
ハルはとっさにアルトリウスから預かった左手に持つ白の聖剣でその切っ先をそらしつつ後へと飛び退る。
すさまじい一降りにかすっただけの聖剣がびりびりと震えた。
「ハルっ!!」
後からエルレイシアの悲痛な声が聞こえてきたが一瞬の油断が命取りとなる今、振り返る事は出来ない。
ハルが心配ないというようにアルフォードから目を離さず手を振ると、アルフォードは片眉を上げてハルの後、城門上にいるエルレイシアをうかがった。
そしてハルの腰に目を落とした。
「ほほう……よく見れば小僧、我が娘の結符を受ける身か……小癪な」
「耄碌している割には良くものが見えていらっしゃる……ぼけた振りか?」
「ぐっぐっぐっ振りなどでは無い……戦場こそわしの居場所、戦場の風に吹かれれば正気にもなるわ」
言葉が終わるか終わらないかの内に振るわれた大剣がハルを袈裟懸けに襲った。
金属同士が衝突するすさまじい不協和音と衝撃音が響く。
ハルが聖剣でアルフォードの大剣を弾いたのだ。
「うわっ、80過ぎたじいさんの力じゃ無いぞ……!ぐっ!!」
「なめるな小僧!わしの娘が欲しくばわしを打ち倒してみよ!!」
「おおっ?は、話が違うっ!」
素早く離れた後攻守を入れ替え、ハルの刀の鋭い斬撃が縦横から襲うが、大剣を片手で操り防ぎきるアルフォード。
「くっ、片手で?!」
「やるではないか若造!だがまだまだだっ!!」
再び攻勢に転じたアルフォードの暴風のような大剣の斬撃を避け、かわし、そして白の聖剣で弾き、剣先をそらすハル。
「それは……アルトリウスの、やつの剣か?」
一拍おいたアルフォードがハルの手にする白の聖剣に気付いて言葉を掛けた。
「いかにも!先任の敗北による汚名は後任の自分が雪いでみせるっ!」
「ぐっぐっぐっ、貴様に果たせるか!?」
油断無く剣を構えて威勢良く応じたハルに笑いを含みながら、アルフォードは答えて再び剛剣を見舞った。
「ぬあっ、くそっ!」
斬撃をかわしつつ時折生じる隙を突いて反撃するが、ハルの攻撃はアルフォードに軽く受け止められ弾かれてしまう。
「そのようなそよ風に類する攻撃ではわしに勝てんぞ、辺境護民官!!」
剣を両手に持ち替えたアルフォードが、今までに倍する速度と力でハルに斬りかかった。
シレンティウム東城門前、フリード軍本陣
「お、おい、どうしたさっさとやれ!」
「合図は既に出しましたが……全く間諜からの反応がありません……!」
「な、何だと?」
すさまじい戦いに双方の戦士や兵士が見とれている時、ダンフォードは焦りも露わに自分の従戦士をどやしつけていたが受けた報告の内容に青くなった。
とうに合図を出したにもかかわらず、潜入させているはずの間諜に反応が無いのである。
シレンティウムから弩の矢が飛び、とうに王と辺境護民官をハリネズミにしているはずが未だ2人は激しく剣を打ち合い、剣戟の音を背景に見事な戦いを展開して双方の戦士や兵士を魅了し続けている。
「兄上……どうしますか?」
デルンフォードが切羽詰まった声色で声を掛けてきたが、焦りきっているダンフォードの耳には入らない。
「く……くそ、こうなればっ」
アルフォードの危機にかこつけて援護射撃のふりをして2人を射殺してしまおう。
しかし幾ら流れ矢であったとしてもこの場合アルフォードに矢が当たれば、命令したダンフォードに明日は無い。
しかし失敗した策はいずれ露見する。
万が一ベルガンや宮廷官などの自分に対して反抗的なアルフォード王の側近達に今回の陰謀が漏れれば、自分達は放逐されるのは確実で最悪は命を奪われる事になるだろう。
「ちっ、畜生……!」
ダンフォードは決断を迫られていた。
ぼくっと鈍い音をさせアルフォードの大剣が空振り、ハルの手前の地面を掘る。
その隙を見たハルが刀で首を目がけて素早く突きを入れるが、アルフォードは無理矢理地面を掘った大剣を跳ね上げた。
下から迫る大剣に慌てて身をよじったハルだったが、予想外の反撃に大剣の切っ先が顔をかすり小さく血が飛んだ。
そして再度距離を取る2人。
「ふうううう……かはああああ……」
「……つうっ」
軽く息を弾ませている程度のハルに比べ、アルフォードは疲労の色が濃くなってきている。
大きく肩で息をし、深呼吸を繰り返すアルフォード。
翻ってハル。
今出来たばかりの真新しい切り傷から顎に向かって垂れている血が地面にぽとりぽとりと落ちるものの、気にした様子も無くアルフォードの動きを見据える。
「群島嶼の剣士よ、貴様はこの地に何を望む?わしらクリフォナムの民が住まう地に?」
「……平和と平穏、それに良き日常と未来」
徐に口を開いたアルフォードへハルが応じると、アルフォードは皮肉な笑みを浮かべた。
「帝国の平和と平穏か?」
「違いますね……はっきり言って帝国の今のやり方は嫌いです。もちろんクリフォナムの排他的な姿勢も嫌いですがね」
ハルの言葉に面白そうな笑みを浮かべ直したアルフォードが更に問う。
「ぐっぐっぐ……ではクリフォナムの民を導くのみならず、帝国にも刃向かうという事か?」
「必要ならば」
断言するハルの言葉に目を見開くアルフォード。
「ふっ……アルトリウスの後継者か、良き後継者が来たものだ!あやつも草葉の陰で喜んでいよう!!」
最後のハルの言葉に満足したのか、アルフォードはにわかに表情を引き締め、身体に力を込める。
「……草葉の陰で大人しくしているような先任じゃありませんがねえ」
身構えながら応じたハルの目の前でアルフォードの身体中の筋肉がぼこりと脹れ上がり、更に肩口から背中に掛けての筋肉が強く盛り上がった。
「むううううんん!!!」
怒声と共に大上段から振り下ろされた飾り気の無い一撃は、しかし恐るべき力が籠められている。
本来であればかわさなければ行けない一撃。
しかしハルは真っ正面からその一撃を受け止めた。
大剣と刀、そして聖剣が触れた瞬間轟く衝撃音。
受け止めたハルの両踵が地面を掘る。
風が舞い、びりびりと振動が辺りに伝わる程の一撃を受けてハルの両腕と背骨がきしんだ。
まさに命と誇りを賭けた一撃に、ハルは膝を落としそうになる。
しかし反発力を蓄えていたハルの両膝と腰、そして腕が脹れ上がった。
「おああああっ!」
気合い一閃。
拮抗が破られ、ハルがアルフォードの大剣を弾き挙げた。
そしてばしっと厚手の布を叩いたような音が響く。
わずかにかがんだハルの前で、アルフォードがゆっくり地面へと崩れ落ちた。
横に薙がれた刀の跡がアルフォードの胴に刻まれたのだ。
鎧を破り、肉体に届いた斬撃はアルフォードの腹部を深く裂いた。
「ぐふっ……見事だ。アルトリウスの後継者よ……」
満足そうな笑みを浮かべ、ゆっくり仰向けに倒れるアルフォード。
呆然とその様子を見送るハルの目に、フリードの弓戦士達が一斉に矢を番えて自分目がけて弓を引き絞る姿が映った。
ダンフォードにとって理想的な展開となった。
策は失敗したが辺境護民官が父王を討った。
堂々の一騎打ちであった事が玉に瑕であるが、これで辺境護民官を討つ理由も出来たし、上手く射殺す事ができれば都市の戦士や兵士の士気も下がるだろう。
父王を討った辺境護民官を討ち取って非難されるいわれは無いはず。
そもそもこのまま包囲を続けていても、強攻しても余裕を持って落とせる都市なのだ。
帝国の辺境護民官を手に掛けるのが自分になってしまうが、父を手に掛けるよりは遙かに良いし、聞けば左遷されてきた不良官吏、良い訳は幾らでもたつ。
また帝国から遠く離れた地の事、誤魔化しようはあるだろう。
未だ戦いは続いており、父王から自分に対する兵権の委譲も問題は無い。
今を逃せば王位は遠のくどころか他の有力な貴族や戦士長が立候補してしまい、自分へお鉢が回ってくる話すら無くなる可能性もある。
この好機は何が何でもモノにせねばならない。
「やれ」
ダンフォードの命で辺境護民官に向けてフリード戦士達の弓から一斉に矢が放たれた。
ハルはダンフォードが戦いを止めないという事は予想していたものの、こんな直接的な手段に訴えるとは思っていなかった。
これでは誰が手を出したか明白になってしまう為、ダンフォードにとって良い結果には繋がらないはずだと高をくくっていたのだ。
「ま、まさか本気で……?」
ハルはうめくように言うが、無情にもフリードの弓戦士の矢は引き絞られてゆく。
とにかく今は飛来するであろう矢を何とかしなければならない。
帝国製の鉄で出来た胴鎧を身に纏ってはいるが盾を持っていない為、慌てて身を地面に投げ出したが渾身の一撃を放った後の事でとっさの反応が遅れた。
「うぐっ!」
衝撃と激痛がハルの左肩と左腕に走る。
急所を庇ったハルの左半身にフリード戦士が使う大型の矢が命中したのだ。
左脇腹に当たった矢は鎧のおかげで弾かれたが、剥き出しの肩口へ2本の矢が突き立っていた。
辛うじて左手の聖剣は取り落とさずに済んだが、左腕はしびれて感覚が無い。
「ごほ……すまぬ、な。よもやこの様な誇り無き所行をする者がおろうとは……我が一族ながら情けの無い仕儀だ」
ハルが苦痛に顔をゆがめながらも肩に刺さった矢の柄を折っていると、未だ息のあったアルフォード王が吐血でむせ返りながら謝罪した。
「アルフォード王……正気に?」
「ふふふ、この期に及んでであるが、な。まあ、そなたに斬られた痛みのせいかもしれんのだが……」
シレンティウムからの応射が即座に開始され、なし崩し的に戦闘が再開される。
ダンフォード王子直属のフリード戦士達が剣を手に2人に迫るが、シレンティウムから弩の一斉射撃を受けその行き足が止まった。
「辺境護民官殿!」
そして間一髪、アルキアンドと各部族の若者達が帝国兵とクリフォナムの戦士を引き連れて駆けつけ、2人の周囲に大楯で壁を作りあげた。
「盾を一つ寄越してくれっ。アルフォード王を運ぶんだ!」
ハルの指示で後衛の帝国兵が盾を差し出し、その上へアルフォード王を載せる。
シレンティウム軍は城壁からの援護射撃を受けながら、ハルとアルフォードを守りつつ慎重に城門へと後退した。
シレンティウム東城門内
「……この様な姿でそなたと最後に相見えるとはな、運命とは分からぬものよ。」
「……アルフォード王陛下、ですか」
「父、とは呼んでくれんか……仕方ない事ではあるが。寂しいものだな……」
生きた心地もせず城門の陰で想い人と父による戦いを見守っていたエルレイシアは、運び込まれたハルとアルフォード王に駆け寄った。
幸いにもダンフォード王子の命令はだまし討ちであり、フリード族はもとよりクリフォナム人の常識から考えればあるまじき事であった事から直属の戦士以外は動きが鈍く、ハル達は上手く城門内へ逃げ込む事が出来た。
「……あまねく照らし導く太陽神の光に祈りを捧げて希う、この者の苦痛とその元を和らげん、洗浄治癒」
エルレイシアはハルの肩の怪我を診察し、痛み止めと止血の神官術を行使する。
ハルの肩から沸き上がるように出ていた血が止まり、痛みが退いていった。
「直ぐに鏃を抜いて下さい」
エルレイシアの指示を受け、太陽神殿で働く薬師がハルの肩と腕に酒精を塗りつけて治療に取りかかる。
ハルの肩の怪我が命に関わるものでは無い事が分かり、安堵のため息を漏らしたエルレイシアは、次いでその傍らで盾に載せられたまま止血処置を受けるアルフォードを複雑な表情で見た。
ハルの一撃は王の革鎧を大きく裂き、腹部の傷は内蔵をも傷つけている。
神官術で止血は出来るだろうが、既に命の残りが少ないアルフォードにとっては一時しのぎにしかならないだろう。
「最早老耄して幾ばくも無い命……このまま捨て置けい……」
確かに出血量も多く助かる見込みが無い事は明らかで、アルフォード王自身も包帯を巻こうとしたシレンティウムの薬師にそう言ってそれ以上の処置を拒んだ。
そして傍らに居るエルレイシアを笑顔で見る。
「ふむ……大きく、そして美しく、賢く育ってくれた……この耄碌した父にも直ぐ分かったぞ、我が娘よ……ふふふ、今際の際にしか会えんとは、親として情けないがな」
「あ……」
アルフォードの呼びかけに言葉無く立ち尽くすエルレイシアだったが、それでもアルフォードが差し出した手をしっかり握る。
その感触を確かめたアルフォードはゆるゆると笑顔を浮かべ、エルレイシアからの返答が無い事も意に介さず言葉を継ぐ。
「今更である上に、月並みではあるが……済まなかったな。我が娘よ」
「……いいえ」
アルフォードの万感の思いのこもった短い謝罪を、初めてエルレイシアは受け入れる。
今までは直接では無いにせよアルフォードの姿や言葉を拒否していたエルレイシアであったはずだったが、初めて直に接した父という存在の中に英雄王の勇姿は無かった。
年頃の娘を案じる、余命幾ばくも無い老いた父の姿だけがそこにあったのだ。
受け入れられた事を悟ったのかアルフォードは更に表情を緩める。
「娘よ、そなたの花嫁姿が見れんのは残念だが……想い人と幸せになって欲しい。この辺境護民官とならば道は険しかろうとも、そなたの結符に託した望みはきっと成し遂げられようぞ……辺境護民官」
アルフォードは言い終えてから自分の頭に嵌めていた王冠を震える手で外し、鏃を抜き終えて包帯を巻かれているハルを呼び寄せた。
「辺境護民官よ、わしは良き王たらんとしたが、王位継承という事については失敗してしまったようだ……先程の不埒な所行は我が息子達の仕業であろう。その方も理解したと思うが我が子達は器が小さく王位に値しない。そこで、その方にこれを授けたい……娘よ、手を貸してくれっ、うっっく……」
そしてアルフォードはエルレイシアの手を借りてその王冠をハルへ手渡した。
王冠がアルフォードとエルレイシアの手から、ハルの右手に委ねられる。
「わしを倒し、実力で勝ち取った王位ぞ……これぞクリフォナムの流儀である。遠慮は要らん、望みのままに使うが良い……これで無事継承が成れば、わしの最後の失策も打ち消せよう」
呆然とアルフォードからエルレイシアを介して手渡された王冠を見つめるハルは、はっと我に返って口を開いた。
「し、しかし、王。私はクリフォナムの民ではありません……ましてや帝国人としても半端者です」
「……先程の戦いの最中の言葉に嘘偽りはあるまい?」
アルフォードがいわんとしている言葉は、ハルの放った帝国にも必要があれば刃向かうという言葉。
当然それはハルの本心であり、そこに嘘偽りは無い。
「それは、ありませんが……しかしっ!」
なおも怯むハルにアルフォードは強い視線でその顔を見据え、最後の力を振り絞りハルの王冠を持つ手を握りしめた。
「アルトリウスの後継者と見込んで頼む、クリフォナムの民の良き導き手となってくれっ……ごぼっ、それに……我が娘を娶らばその方もクリフォナムの一族となろう」
自分の血でむせ返るアルフォードを心痛の表情で見守るエルレイシア。
その手を握りながらアルフォードがハルに静かな視線を向ける。
「分かりました……力の及ぶ限り勤めを果たしましょう」
「頼むぞ……」
ハルの言葉を聞き満足そうに口を笑みの形にすると、静かに目を閉じたアルフォードは最後に息を大きくついた。
その瞬間、胸からまばゆい光を放つ人の頭程もある大きな玉がゆっくりと現われ、静かに天へと登り始める。
それを見たクリフォナムの戦士や族民立ちが一斉に跪いた。
続いてオランの民や帝国兵達も膝を付き、偉大な英雄王の最後に敬意を払う。
ハルは呆然とアルフォードから光の玉、その魂魄が離れるのを見上げた。
王冠をハルに預けたエルレイシアは、神官杖を前後上下に数回振ってから面前で捧げ持ち、静かに頭を垂れつつ跪いた。
「クリフォナムの善良で偉大な導き手、アルフォード英雄王よ疾く天に召されませ……太陽神のご加護が幾重にも重なりし死出への旅路を導き、そして正しき道を照し出しましょう……父様、安らかにお眠り下さい」
葬送詩を述べ、最後にぽつりとつぶやくように呼びかけるエルレイシアに反応し、アルフォードの魂魄が揺らめく。
『末永く健やかにあれ、娘よ。辺境護民官……我が娘を頼むぞ』
嬉しそうなアルフォードの声が響き、玉はゆっくり天へと登っていった。
希代の英雄王が天に召されたのだ。
「エルレイシアのお父さん……ですね」
「これは……戦場の習です、仕方ないのです……」
静かに涙を流しながら、エルレイシアが確認するように尋ねたハルに答えた。
アルフォードが逝った事で、認めたくは無いが自分がその者を父親と思っていた事が露わになってしまった。
父はいないものと思い定めていたはずだったが、それは逆に父が存命であるが故に成立していた感情であったのだ。
「それが仕方ないって言う顔ですか?」
「いえ、すいません……正直に言って私もどうしたら良いのか……」
泣き笑いの顔でそう言うと、エルレイシアはアルフォードの安らかな死に顔を眺めつつその節くれ立った手をそっと取り、胸の前で組み合わせた。
そしてハルの胸にそっと寄り添うとエルレイシアは静かに泣き始める。
「……謝罪はしません。これも自分が為した事、ですから」
ハルの言葉に無言で頷くエルレイシア。
その2人の前にアルトリウスが現れた。
『……ようやく逝ったであるか』
「会わなくて良かったんですか?」
静かに泣くエルレイシアの肩を抱きつつ目を移したハルが聞くと、アルトリウスは皮肉げに片方の口角を上げて言う。
『未練を残して此の世を彷徨うておる我が、躊躇無く彼の世へ向かう事の出来るアルフォードめに何というのだ?恥をかくだけであろう……』
普段とは異なり、物静かな口調でアルトリウスはアルフォードの逝った天を望んだ。
『ふっ、惚けている暇は無いぞハルヨシよ。直ぐに最後の仕上げをせねばならんである』
「はい……分かっています」
視線を戻したアルトリウスに言われたハルは狼煙を上げるよう近くの兵士に命じた。
同時刻、フリード軍本陣
「何と言う事をするのですっ?これではまるっきりの騙し討ちっ!!フリード族の誇りは何処へ行ったのですかっ!?」
弓矢の打ち合いで戦闘が再び始まり、フリード軍の本陣は喧噪に包まれるがベルガンは配下の護衛戦士を率いて本陣へ戻り、ダンフォードへ猛烈に抗議した。
普段沈着冷静なだけに怒りを露わにしたベルガンの剣幕はものすごく、思わずダンフォードも気圧されてしまうが、アルフォード亡き後の王位を考えて弟や妹に弱みを見せる訳にはいかず、なんとか踏みとどまった。
「辺境護民官は我が父を討ったのだぞ!反撃して討ち取るのは当然だろう?」
「馬鹿な!一騎打ちの約定を違えるというのですか!?」
「ふん、帝国人相手に約定など有って無きようなものだ。律儀に約束を守る方がどうかしている!!」
その言葉を耳にしたベルガンは呆れてしまう。
相手がどうこうでは無い、約定を果たすというのは自分に対する責任であり、王が約した事を、仮にも後継を自認する者が守らないというのは周囲にどう映るのか、この元王子は分かっていない。
この様な者が、責任を果たす意思も能力もない者が王になろうとしている。
それだけではないが、ベルガンは今回については一命を賭してでも一騎打ちを止めるべきであったと悔やんだ。
戦場に生き、そして死ぬべき定めのフリードの戦士。
戦士達の王たるアルフォードが自ら戦場に立ち、そして一騎打ちに応じたのであるからその臣下であるベルガンは本来押し止める事は出来ない。
しかし今になってだが、王子達の策謀の臭いが強くする。
そのような画策をする頭は持ち合わせていないと油断してしまった。
今更ながらその事実にベルガンは気付き、自分に対する怒りと王子達に対する怒りで顔を朱に染めつつ猛烈な勢いで抗議する。
せめて戦場で散ったアルフォードの最後の名誉だけでも守らねばならない。
「一騎打ちの作法すら忘れ果てた愚か者どもがっ!勇猛で誇り高いフリードの名を貶め、王の名誉を汚すのか!!」
ベルガンはダンフォードが面食らってしまう程の鋭い口調で王子達を詰る。
そしてダンフォードの言葉を待たずにふいっと踵を返して本陣から去ろうとした。
「ま、待てっ!何処へ行くのだ?」
「決まっている、引き上げるのだ。それが王と辺境護民官が為した一騎打ちの約定だ」
「なっ……裏切って逃げるか臆病者めっ!」
それまでの丁寧な態度はすっかりなりを潜め、ダンフォードを睨み付けるベルガン。
「……言葉に気を付けられよ王子?貴公などに従う古参戦士や戦士長ははっきり言っていない。今はアルフォード王への義理から貴様に従っているだけと言う事をいい加減分かるが良い」
「な、貴様っ……!」
絶句するダンフォードを小馬鹿にしたような顔でベルガンは言葉を継いだ。
「お前ごときに貴様呼ばわりされるいわれは無い。私はアルフォード王の宮宰であって貴様の宮宰では無いのだからな。誇りだけで無くフリードの習いを忘れたか?」
「い、今は戦闘中だ!王の兵権を引き継ぐのは長子の私だぞ?」
「何を世迷い事を……一騎打ちが終わった時に戦いは終わっている!それも約定であっただろうが!貴様に引き継ぐべき兵権など既に無い!」
そう吐き捨てたベルガンは、周囲に居並び事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた戦士長達に視線を移す。
「お歴々もよくよく身の振り方を考える事です……私はこれで失礼しますぞ。王の御遺体も交渉して引き取らねばなりませんからな!」
憤懣やるかたないベルガンが戦士長や呆然と佇むダンフォードらにそう言い置いて本陣を去ろうとしたたその時、シレンティウムから光る玉が天に昇り行くのが見て取れた。
「……アルフォード様」
本陣を囲う天幕から出た所で、ベルガンはその光る玉を目の当たりにして思わずつぶやいた。
中にいた戦士長やダンフォード達も次々に天幕から出てその光景を眺める。
まばゆく光る玉はゆっくりと天に登り行き、やがて見えなくなった。
「とうとう……本当に逝ってしまわれたか……」
戦士長の1人がつぶやくとベルガンはくっと下を向き、率いてきた戦士達に手で従うよう合図すると黙したまま自陣へと引き上げにかかった。
ダンフォード如きの策謀に気づけずに忠誠を誓った王を最後まで守りきれなかったどころか、今際の際にも立ち会えなかった。
戦場で散るのは良い。
ただ本来多数の戦士や戦士長、族民、貴族にかしずかれ、大神官の雄渾な葬送詩に送られるべきフリードの英雄王の最後は、息子の裏切りにより一騎打ちの勝者である敵にのみ見送られる寂しいものとなってしまったのである。
その事実に気が付いた心ある戦士長達も次々と身を翻し、天幕へ戻る事無く自陣へと引き上げ始めた。
「お、おい、待てっ何処へ行くんだ!!」
必死に引き留めようと声を掛けるダンフォードの声に従う者は少なく、フリードの戦士長達はその半分以上が自陣へと引き上げてしまったのであった。




