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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

トウモロコシと太陽

作者: 人見 庭
掲載日:2012/07/16

 丈高く繁った緑の中、金色の頭が見え隠れして遠ざかる。

 もうすぐ収穫時期を迎える黄色いトウモロコシの実は、幹や葉の間を縫うようにしていくつも頭を出し、その先に茶色い髭をふさふさと生やしている。けれど、その色とは明らかに違う、夏の日差しを照り返して輝いて、まるで畑のなかにもうひとつ太陽があるみたいに見える明るい金の髪。それを追って、大きな葉を掻き分け進む。向こうはずいぶんゆっくり歩いているようだけれど、一歩一歩が大きいからか、こっちが早足になったところでなかなか追いつけない。仕方なく、地面を蹴って走り出した。

「誰かいますかー?」

 葉の間に広い背中が見えてきたとき、ホップが急に声をあげた。トウモロコシの実を揺るがすような大声に、思わず耳を覆う。

「ダレー? ドコにいるー?」

 間延びした口調で叫びながら振り返ったかと思うと、もう目の前に来ている。返事をしようとしたときにはすでに、顔の前に飛び出した葉を押し退ける大きな手がすぐそこにあって、次いでサングラスを掛けた顔が現れた。俺を見た途端、大きな口をいっぱいに開けて破顔する。

「麦サン!」

 あ、危ない、と考えたときには遅かった。太い腕が伸びてきて、逃げる間もなく抱きすくめられる。青くさい草の匂いと、日向に灼けた乾いた土の香りが、押し付けられたシャツの胸から漂った。

「よかったぁ! 私、ずっと迷子でした!」

「うぐっ」

「どこ見てもトウモロコシと空だけね! 涙出てきました!」

 顔を胸に埋めたまま頭と背中を馬鹿力で抑え込まれているせいで、抗議しようにも口が開けない。それどころか鼻も塞がれて、息まで苦しくなってくる。

「このまま夜になったらトウモロコシ取って食べようと思ってたよー」

「う、うう」

 身を捩って呻くが、頭ひとつ分も上にあるホップの耳には届かないようだった。どうにか自由になる腕を動かして、力任せに背中を叩く。拳を押し返してくる厚い筋肉は、何度目かでどうにか衝撃を感じてくれたようだ。

「あれ?麦サン?」

 間抜けな声を出して、やっとホップが力を緩めた。頭を力一杯振って太い腕を振りほどき、胸いっぱいに息を吸い込む。つい咽せて咳き込みながら、そのまま何度か深呼吸をした。

「麦サン?どうかした?」

 けれど、首を傾げるホップの腕は、相変わらず俺の背中に回されたままだった。Tシャツ越しに触れたところから高めの体温が伝わって、じっとりと汗をかくほどに暑い。

 何度目かの深呼吸で、なんとかまともに呼吸できるようになってから、もう一度大きく息を吸って腹の底から叫んだ。

「どうしたじゃねえよばっかやろう!死ぬかと!思ったっつうの!このばかアメリカ人が!」

「そういう言いかた良くないね。ジンシュサベツですよー」

 サングラスで見えないけれど、奴の眉毛はきっと八の字になっているに違いない。コメディドラマばりのわざとらしいリアクションで肩をすくめて首を振る様子に、余計に腹が立つ。

「ぅるっさい! 暑いんだよ離せばか!」

 乱暴に腕を振りほどくと、ホップは思いのほかあっさりと体を引いた。あまりにとまどいなく手を離すものだから、拍子抜けして、同時になぜか胸に痛みが走る。

「最初からそうしてりゃいいんだよ…」

 歯ぎしりするように言って睨みつけると、ホップは何もしていないとでも言いたげに小刻みに首を振りながら、両手を挙げて手のひらを見せた。

「…なんだよそれ」

「私さわってないよ! 今のはただのアイサツね!」

「はぁ?」

「ミゲルに教えてもらったよー」

 ミゲルもホップも、有機農法を学ぶため親父の農場で働いている外国人研修生だ。

「麦サンまだセブンティーンね。だからさわるとタイホされるって」

 白い歯を見せて笑う。

「私、タイホされたら国に帰らなくちゃいけない。大好きな麦サンと離れるのはイヤ」

 率直な言葉に鼓動が跳ね上がった。

 ホップは意味がわかっているのかいないのか、時折こういうことを言う。何年もうちで働いて日本語もかなり覚えたとはいえ、まだ語彙は少ないし表現の強弱もよくわかっていないのだろうと思いつつ、そのたびにうろたえたり赤くなったりする自分が嫌になる。

「そういうこと言うな」

 だからつい、いつも苛々して目を背けてしまう。

「もうすぐ昼飯だ。ついてこい」

 われながらふてくされた声で言って、くるりと振り返って歩き出した。見上げた先の空には雲ひとつなく、どこまでも平坦な青が広がっている。風がないせいかまるで絵の具をベタ塗りしたようで、どこまで行っても果てがないかに思えた。

「どうして怒るんですかー?」

 背後からホップの間の抜けた声が聞こえる。暢気な口調にますます腹が立ってきて、なにも言わずに走り出した。触れるたびがさがさと葉を揺らすトウモロコシが邪魔だったが、そんなもの気にしていられない。顔に触れそうな葉だけは手で避けて、あとは体に当たるに任せた。

「麦サーン! 待ってぇー!」

 ホップの声が遠ざかる。体が大きいから、幹も葉も伸びきったトウモロコシ畑では身動きするのが難しいに違いない。わかってはいたが、スピードを緩める気にはならなかった。

 さっきも走ったせいで、すぐに額から汗が噴き出してくる。ここ数年の暑さは記録的で、こんな北の国でも外にいればすぐ汗をかくようになった。いらいらしながら、汗の雫が伝って目に入りそうになるのを手の甲で拭った瞬間、畑の窪みに足を取られた。

「うあっ」

 小さく叫ぶ。咄嗟に手を伸ばして目の前にあった幹を掴むが、さすがに体重を支えてくれるほどの強度はない。難なく折れて、頭からトウモロコシ畑に突っ込んだ。

「いってぇ…」

 葉がクッションになってくれたおかげで、頭は強く打たなくて済んだ。それでも露出した顔や首、腕には折れた幹や葉が擦れて、小さな傷がたくさんできてしまった。

「麦サン!」

 ひときわ大きな声がして、ほぼ同時にがさがさがさっと葉を掻き分けてホップが現れた。折れたトウモロコシの上に座り込んでいる俺を見つけると、サングラスをかなぐり捨てて駆け寄ってくる。

「麦サン、怪我した!?」

 初めて見る表情だった。眉間と鼻の付け根に皺を寄せ、真っ赤になった顔といい、噛み付くような口調といい、まるで怒られているようで身がすくんだ。

「麦サン!?」

 痛いほど肩を掴まれて、思わずびくりと震えてしまう。

 間近にホップの青い目があった。彫りの深い顔は険しい表情のせいでさらに凹凸が強まって、眉の下には黒く陰が落ちている。けれど、そこで光る透き通った目はガラス玉のようにきれいで、つい今の状況も忘れて見入ってしまう。

「痛い!? アタマ打った!?」

 揺さぶられてわれに返った。

「だい、じょぶ。ちょっと転んで、びっくりしただけだ」

 なぜか声が震えた。それでも、ホップは安心したように息を吐く。

「よかったぁ…死ぬかと思ったよ」

「は?こんなことじゃ死なねえよ」

「チガウ。私がだよ」

 何でおまえが、と言おうとして、ふたたび顔をしかめたホップを見て口をつぐむ。俺の顔のあちこちにできた、小さなかすり傷に気づいたようだ。

「やっぱり、ケガしてる」

 言うなり顔を寄せてくる。頬にひやりとした感触があって、一瞬何が起こったかわからなかった。

「…な、に…っ?」

 柔らかい唇の感触、それから、傷をなぞる湿った舌。チュッと小さく音を立てて傷口を吸い、顔を上げたホップがにやりと笑って俺を見た。唇の先に付いた血を舐めとる舌の動きに、つい視線が吸い寄せられる。

「ふ」

 そんな俺の様子を見て、ホップが目を細めた。

「ホラ、ここも、血出てるよ」

 ホップの顔がまた近づいても、俺は動けなかった。今度は首の横に口づけて、耳の下から走る傷を舐める。二度、三度と舌先で嬲ってから、強く唇で吸いついた。

「んっ…」

「ここも」

 堪え切れず漏れた声など聞こえないかのように呟いて、ホップが薄く口を開き正面から近づいてきた。反射的に身を引こうとしても、肩を掴まれていて動けない。思わず目をつぶると、顎の先に軽く口づけられる感触があった。ほっとしたのも束の間、また熱い舌で骨に沿って舐められる。傷口に染みるような痛みとともに、背筋を痺れるような感覚が走った。

「ホ、ップ…おまえ、アメリカ人のくせに…」

 辛うじて搾り出した声で、悪態を吐く。

「簡単に、…ひ、人の血を、舐めるな…」

 喉仏の下の傷を吸いながら、ホップは可笑しそうに小さく息を吐いた。

「ここは日本だし、麦さんはバージンだから問題ないでしょ?」

「ばっ…」

 図星を突かれて、咄嗟に腕で顔を隠そうとしたけれど、手首を掴んで止められてしまう。ホップはそのまま俺の腕を持ち上げ、二の腕の裏にある傷にも口づけた。

「んぁっ」

 自分の声じゃないような、甘い喘ぎが漏れる。ホップは笑っているのか、喉を鳴らしながら、腕、手首と、舌を移動させ、からかうように肌を吸う。そのたびに体が震えて、もう俺にはそこに傷があったかどうかもわからない。

「おい、なんで、知って…」

「麦サンが十八歳になったら私がシュウカクするんだから、ガイチュウを追い払うのは当たり前」

「しゅ、収穫…!?」

 思わぬ単語が出て驚くけれど、もはや落ち着いてその意味を考えるような余裕はなくなっていた。

「ふふ、麦サン、本当においしそうに育ったね」

 ホップの舌が指を這う。口に含まれて、付け根から指先まで吸いついては舐めて、まるで味を確かめるみたいにいつまでも離さない。初めての感触に頭がぼんやりとしてきて、気がつくと、地面に散乱する折れた葉を握り締めていた。

「ホ、プ…なんか…俺…」

 名前を呼ぶと、ちらと目を上げる。間近で見る青い目は心なしか潤んで、瞳孔が黒く大きく拡がっていた。

「俺…変だ…」

 声が上擦っているのが、自分でもわかった。ホップが咥えていた指を離し、また唇を歪めて俺を見た。

「だめだよ、麦サン。まだ熟してないでしょ」

 ささやくように言って軽く手の甲に口づけると、手を引いて立ち上がらせてくれた。俺の体に付いた土を軽く払ってから、身を屈めて顔を覗きこんでくる。

「それに、私タイホされちゃうと困るしね。一緒にガマンしましょ?」

 つい、うなずいてしまって、それを見てにんまりと笑ったホップの顔を見てわれに返った。

「お、俺はなにも我慢なんて…っ」

「私もツライよー。麦サン本当かわいいからね。近くにいるとうっかり味見しちゃうね」

「あじ、て、おま……っ」

「でもガマンね。そのほうがもっとおいしくなるよ。あーでも早く食べたいなー」

 不穏なことを言いながら、ホップはさっさと歩き出す。呆然とその背中を見送って、はっと気づいて駈け出した。

「おいばか、道も知らないくせに勝手に歩くな! また迷子になるぞ!」


お読みいただきありがとうございました。ご感想などお寄せいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 収穫待ちですか!私も収穫時をワクワクと待ってますよwww この作品短編なんてもったいないというか、物足りないというか。 もっと読みたい。 ホップも麦もどんな人物なの?! もっとホップの溺愛ぶ…
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