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断罪された悪役令嬢が廃領地の空き家を直していたら名前を名乗らない男が内覧会に通い詰めてきた  作者: 月雅


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第9話「善意の顔」

馬車の扉が開いた。花の香りが先に届いた。


白い衣に薄紅の肩掛け。金の髪を編み上げ、胸元に聖印の首飾りをかけた女性が、御者の手を借りて降り立った。


オリヴィア・セントール。


聖女。私を断罪した日、セドリック殿下の隣に立っていた人。


ゲームの中では主人公だった。男爵家出身の平民上がりで、治癒魔法の才能を認められ王室が聖女に認定した。侯爵級の待遇。私よりもずっと上の身分だった。


オリヴィアの後ろから、護衛らしき騎士が二人降りた。王都の紋章入りの外套を着ている。聖女の護衛としては最低限の人数だった。


「わあ、本当に人が住んでいるんですね」


オリヴィアが通りを見回して声を上げた。柔らかい声だった。悪意のない声だった。それが分かるから、余計に身構えた。


「お久しぶりです、エヴァさん。覚えていますか」


覚えている。忘れるわけがない。


「聖女様。このような辺境まで、どのようなご用件でしょうか」


私は背筋を伸ばし、深く頭を下げた。聖女の待遇は侯爵級。無爵の私は最大限の礼を取る必要がある。


「堅くしないでください。慰問に来たんです」


オリヴィアが両手を広げるように微笑んだ。


「断罪された悪役令嬢が改心して、廃領地を再建していると聞いて。素晴らしいことだと思ったの。応援に来ました」


改心。


その言葉が、静かに刺さった。


オリヴィアは通りを歩きながら、改修された家々を見て回った。


「すごい。本当に人が暮らしているのね。井戸もきれいに整備されていて」


護衛の騎士が後ろに続き、私はその横を歩いた。トーマが作業の手を止めてこちらを見ていた。メルダが窓の内側からオリヴィアの姿を確認し、眉をひそめた。ヨルンが木材を抱えたまま立ち止まっていた。


「みなさんがエヴァさんの更生を支えてくれているのね」


オリヴィアがトーマに向かって微笑んだ。


トーマは腕を組んだまま、視線だけで私を確認した。私は小さく首を振った。余計なことは言わなくていい、という意味だった。


「お土産を持ってきたの」


オリヴィアが馬車に戻り、護衛に箱を運ばせた。中身は保存食、布地、薬草の束だった。王都の品だった。質が良い。使えるものばかりだった。


「ありがとうございます。聖女様のお心遣い、ありがたく頂戴いたします」


私は頭を下げて受け取った。前世の接客対応が体に染みついている。笑顔を作り、感謝を述べ、相手の善意を否定しない。それが一番穏便に事を運ぶ方法だった。


メルダが箱の中身を確認し、布地の質を指で確かめていた。ヨルンが保存食をトーマに渡した。三人とも、オリヴィアの施し物を素直に受け取りながら、表情は慎重だった。


「ねえ、エヴァさん」


オリヴィアが私の隣に並んだ。花の香りがまた近づいた。


「王都に報告書を出そうと思うの。素晴らしい取り組みだから、セドリック殿下にお伝えしたくて。殿下もきっと喜ばれると思うわ。更生がうまくいっているって」


報告書。セドリック殿下に。


前世の営業職で鍛えた表情筋が、このときほど役に立ったことはなかった。


王都に報告書が出れば、この土地の存在が宮廷で話題になる。噂が広がる。商人の口コミよりも速く、正確に。誰の耳に届くか分からない。ゲームの中には登場しなかった人々の耳にも。


「聖女様、お気持ちはありがたいのですが」


言葉を選んだ。慎重に。


「この土地はまだ小さなものです。王都のお目に留まるには早すぎるかもしれません」


「そんなことないわ。むしろ早く知っていただいた方がいいでしょう? 支援も受けられるかもしれないし」


善意だった。完全な善意だった。ゲームの知識が教えてくれる。この人に悪意はない。自分が正しいことをしていると心から信じている。だからこそ止めようがなかった。


ヨルンが一歩前に出た。


「あの、聖女様」


ヨルンの声は緊張で震えていたが、はっきりしていた。


「僕たちは大家さんに助けられたんです。更生なんかじゃありません。僕は騎士団を除隊して行き場がなかった。ここに来て、初めて自分にもできることがあると思えました。大家さんが更生しているんじゃなくて、僕たちが大家さんに居場所をもらったんです」


オリヴィアの目が丸くなった。


「そう……なの?」


トーマが腕を組んだまま頷いた。メルダが窓から身を乗り出して言った。


「あたしも同じよ。王都で店を失って流れてきた。ここで腕を振るえる場所をもらった。更生って言葉は、ちょっと違うわね」


オリヴィアの表情に、初めて戸惑いが浮かんだ。自分の善意が的外れだったという可能性を、この人は今まで考えたことがなかったのだろう。


通りの東の端から、馬蹄の音が聞こえた。


ルシアンだった。


正装だった。黒の長衣に銀の留め金、胸元に鷹と盾の紋章。マルクスが半歩後ろに従っている。辺境伯としての完全な装いだった。


三日間、姿を見なかった人が、辺境伯の顔で現れた。


ルシアンはオリヴィアの前で馬を降り、外交的な一礼をした。


「聖女殿。ヴォルフリート辺境伯、ルシアンです。この土地への訪問、ありがとうございます」


オリヴィアが背筋を伸ばした。聖女の待遇は侯爵級。辺境伯と侯爵は同格に近い。二人の礼は対等だった。


「辺境伯様。急な訪問をお許しください。エヴァさんの取り組みを拝見して、王都にお伝えしたいと思いまして」


「お気持ちはありがたい」


ルシアンの声は低く、穏やかだった。だがその穏やかさの下に、私が聞き慣れた硬さがあった。


「ただ、この土地は辺境伯領の管轄です。王都への報告は、辺境伯が行います。行政上の手続きとして、ご理解いただければ」


オリヴィアの目がわずかに見開かれた。


「……そう、ですか。辺境伯様の管轄なのですね」


「はい。委託管理人を含め、この土地に関する情報発信は辺境伯領の責任で行います。聖女殿には、ご自身の管轄において存分にお力を発揮いただければ」


柔らかく、しかし明確に、線が引かれた。辺境伯の管轄権という制度的な壁を、ルシアンは外交の言葉で立てた。オリヴィアに反論の余地はなかった。聖女の権限は治癒と慰問であり、行政権は持たない。


オリヴィアは数秒間、ルシアンの顔を見つめた。それから小さく頷いた。


「分かりました。出過ぎたことを申しました」


声には不満が滲んでいた。だが礼儀は保たれていた。


「お土産は置いていきますね。みなさんに使っていただければ嬉しいです」


オリヴィアは馬車に戻り、護衛の騎士が扉を開けた。乗り込む直前、オリヴィアが振り返った。


「エヴァさん。あなたのためを思って来たの。それだけは信じてほしい」


私は頭を下げた。


「聖女様のお心遣い、感謝しております」


馬車が動き出した。花の香りが薄れていった。


通りに沈黙が落ちた。


トーマが息をついた。メルダが窓枠に肘をついた。ヨルンが自分の発言の大きさに今更気づいたように顔を青くしていた。


「ヨルン、よく言った」


トーマがヨルンの肩を叩いた。ヨルンの顔に、少しだけ色が戻った。


私はルシアンの方を見た。


ルシアンはまだ通りの真ん中に立っていた。マルクスが半歩後ろで控えている。正装の紋章が午後の光に鈍く光っていた。


三日間、来なかった人が、この場面に間に合うように来た。偶然ではない。マルクスが王都の馬車の到着を察知し、ルシアンに伝えたのだろう。


この人は、私を守るために来た。辺境伯の権限で、聖女の介入を退けた。管轄権という制度上の盾を、私の代わりに立てた。


贖罪なら、ここまでする理由がない。


領主としての義務なら、三日間来なかった説明がつかない。私が「お帰りください」と言ったから来なかった。私の言葉を聞いたから来なかった。そしてオリヴィアが来たから、戻ってきた。


トーマとメルダとヨルンが作業に戻り、通りに日常の音が戻り始めた頃、ルシアンが私の前に歩み寄った。マルクスは七軒目の方に離れていた。


「エヴァ殿」


ルシアンの声は低かった。いつもの短い声だった。でも今日は、その声の奥にあるものが、少しだけ見えた気がした。


「あなたの追放先にこの土地が指定されるよう、宮廷に働きかけたのは俺だ」


足が止まった。


「断罪の後、あなたの追放先は複数の候補があった。大半は生存が難しい辺境の荒地だった。この土地を追放先にすれば、少なくとも隣接する俺の領地から支援ができる。王室には『使い道のない放棄地を押し付ける』という体裁で申請した」


ルシアンの目が、まっすぐに私を見ていた。


「最初から、全部知っていた。あなたがここに来ることも。この土地が俺の父が捨てた場所であることも。すべて承知の上で、あなたをここに導いた」


風が通りを抜けた。八軒の家が並ぶ通りを。半年前、窓を開けた時に感じた風とは違う、人の暮らしの匂いを含んだ風が。


「弁解はしない。だがこれだけは伝えなければならないと思った」


ルシアンの声が途切れた。一拍の間があった。


「あなたに、嘘をついたままでいたくなかった」


私は何も言えなかった。


十年前の沈黙。追放先の操作。匿名の支援。そして今、この告白。


贖罪だけでは説明のつかないものが、この人の行動の中に積み重なっている。半年分の資材と食料と図面と、窓枠を直す手と、屋根から落ちかけた私を受け止めた腕と、「あなたが自分の力で立ち上がっているのを邪魔したくなかった」という言葉と。


全部を並べたら、贖罪という枠には収まらない。


でもそれが何なのか、今の私にはまだ名前をつけられなかった。


ルシアンは私の沈黙を待った。急かさなかった。答えを求めなかった。


三日間の距離と、半年間のすべてが、二人の間に横たわっていた。

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