表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

底にいる

作者: 桔梗

夜のダム湖には、音がない。

波もない。風もない。虫さえ鳴かない。

まるで、水そのものが呼吸を止めているようだった。


直也なおやはスマホを手に、湖岸のコンクリートの端にしゃがみこんだ。

画面には生配信のコメントが流れている。


「マジで行ったw」

「やばw 夜のダムとか呪われるぞ」

「例の儀式やるんでしょ?」


画面の奥、薄い霧が湖面にかかっている。山の影が歪んで揺れて見える。


直也はにやりと笑って言った。


「じゃあ今からやるね。言われた通り、“声”が聞こえても三回までは無視すること。四回目で振り返ったら終わり、ってやつ」


彼は立ち上がり、湖に背を向けて、静かに目を閉じた。


**


1分。2分。

スマホのコメントは次第に減っていく。バカバカしいという視聴者が抜けていくのだ。


そのときだった。

「ねえ」


直也は肩を震わせて、声を出さずに笑った。スマホを少し持ち上げて、実況を続ける。


「今、なんか聞こえた気がする……けど、まだ一回目ね。ルール通り無視します」


沈黙。


「……こっち、見て」

声は、今度は明確に聞こえた。男の声ではなかった。子どもと女の中間のような、湿った声。

水の中から響くような、くぐもった響きだった。


「これはヤバいな。ちょっと背筋きた。けど……もう一回、聞こえるまで無視」


霧が濃くなる。気温が落ちてきて、吐く息が白い。


そして三度目の声。


「……なおやくん」


直也の背がわずかにこわばる。スマホのカメラが微かに揺れる。


「名前……言われた」


その瞬間、コメント欄がざわつく。


「今、映った?」

「水の中、なんか光ってない?」

「うわうわ、まじで屋根映ってるじゃん!」


直也はスマホの画面を覗きこもうとし、少し振り向きかけた。

その時、四度目の声が、すぐ耳元で囁かれた。


「待ってたよ」


**


ーー水音。


スマホは地面に落ち、カメラは月明かりに照らされた湖面を映し続ける。

そして、ゆっくりと――何かが、水面から“浮かび上がって”くる。

それは、濡れた髪の少女だった。

顔は白く、目だけが大きく見開かれ、笑っていた。


その背後。水の奥、朽ちた柱と、屋根と、瓦が揺らめいている。

沈んだはずの村。その家々の中に、灯りが一つ、二つと、点っていく。

まるで、帰ってきた子どもを迎えるかのように。


**


翌朝、ダム湖からは何も見つからなかった。

ただ、直也のスマホだけが湖岸に落ちていた。

電源は生きており、アーカイブ動画が保存されていた。


再生すると、ラスト数秒。水面に浮かぶ映像の中で、カメラが小さく揺れた。


――その奥。カメラ越しに、何十という顔が、こちらを見上げている。

笑っていた。歯を見せて。動かぬ目で。ただ、笑っていた。


それを最後に、再生は止まった。動画は、それきり再生できなくなった。


今でも、夜のダムには光があるという。

水底の村の住人たちが、今でも誰かの帰りを待っているのかもしれない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ